うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

2 / 49
一章
再会


 高々と昇る上弦の月を背に、一人の兵士が足元にある徳利を持ち上げた。栓を抜き、直に口へつける左手の中指、茶色の鉱石が填められた指輪が光る。

 関の周囲を見張る物見櫓の一つ。そこには酒を呷る兵士一人しかいない。時折吹く微風は兵士の黒い短髪を揺らし、首元にある三本の傷を、水の入った皿の上で輝く青白い発光石の灯りへと晒す。

 兵士は徳利を床に置き、両耳を隠す布が付いた額当てをいじりつつ、切れ長の目に収まる墨のような黒い瞳で櫓の周囲をざっと見渡す。

(……本当に、(いくさ)中なのでしょうかね)

 國の東部、辺境の集落で叛乱。此処は彼の地よりも離れているとはいえ、耳に入ってきた情報と周囲の様子は、あまりに違い過ぎると兵士は眉間を掻く。

 甘ったるい花の香りがやってくる森の奥に光りは無く、夜の帳とは言い難いほどに闇は濃い。月明かりに照らされた地に石礫が多いが、泥沼を這い上がってきたかの様に足跡はくっきり残っている。生温かい空気が微かに喉を詰め、生温い風が汗ばむ首を僅かに切り、各々の意志で詩を奏でる蟲の演奏は眠気を誘い、合わせるように"黒い光"が浮遊する。

 ()()()()様子だ、と兵士は口を結び、誘いに乗るように目を瞑った。

 しかし。

(蟲の(うた)がやんだ……)

 静か過ぎる程の周囲と、それに混じる痛覚。嫌な兆候だ。と、兵士は鼻をおさえていた手を離した。東方から吹いた――冷たい、清々しい、肥沃な土の香りがする風を取り込むように深呼吸をし、中指にある指輪を外そうとする。が、首を横に振りつつ手を離し、苦笑しながら、奥底で金色が燻る目を閉じた。風が止んだ、刹那。きっと目を見開き、街道や森の奥、櫓の真下を、己が黒い瞳でくまなく探していく。松明の灯火、不自然に揺れる灌木、金属が擦れる音や付随する鈍い光……鋭さを内包した双眸だけを動かし、兵士は真上にある半鐘を鳴らす為の紐を左手で握る。

 しばし探索するも、周囲には兵士の危惧する異変はない。しかし、兵士の緊張は止まる事を知らない。自身の躰、心、詰まるところ身体全体が緊張で強張り、素顔を隠す仮面のような薄い笑みさえ貼ることができずに剥がれ落ちる。それを両断するかの如く、下方から突き上げた――生温かい、しかし清涼なる、無臭の風に驚き、身を引いた。が、足に力を入れつつ体勢を整え、嘲笑しながら、上辺に波を打つ目を瞬かせた。

 用心に越したことはないだろうと、左腰にある剣の位置を確かめた後。弓矢に手を掛けようとした兵士の右手は止まり、布から突き出た長く茶色の両耳と同時に方向を変えた。

(足音)

 交代は先程行ったばかりだ。と、兵士は心中で吐き捨てる。

 軽快な足音。しかし踏みしめられる階は、しなやかで重みのある音を同時に返す。等速で刻む足音は段々大きくなり、兵士の背後に到着しようとしていた。

 闇に潜む獣のような、鋭利な視線――自身へ向けられている殺気に近い感覚も、ままある。

(数は、一か)

 僅かにふらつく頭で思考を巡らし、左手を動かすべきかと悩む。叛軍であろうが内乱に乗じて領土拡大を目論む他國の侵攻であろうが、双方共にさほど利益になるとは思えない、お偉いさんのために相当な額の金を巻き上げるだけの関。此の場所はその一つではあるのだが、侵攻を許すことは吝かではある。割と人好きな顔をした同僚達が傷つくのを見たくないのもあるが、何より自分の失態で侵攻される事が不愉快ではある、と兵士は口を結ぶ。なら左手を動かせば良いだけの話ではあるが、過去に誤って半鐘を鳴らした同僚を叱責する上官の嫌味が朝から晩まで止まらない様が想起され、左手は一向に動かない。前者の理由も重なり、むしろ離れつつあった。

 まさか、ばれたのでは。無意識の内に徳利へと視線を移していた事にはっとし、()()()違う、と兵士は激しく首を振った。直後、突き抜ける強風が、再び下方から両耳と布を逆立てた。

 灯りを乗せた皿が動き、発光石が落下する。唐突に明かりが消え、石が撥ねた振動が伝わってきた事で、兵士の緊張が最高に達する。

 相手をきちんと確認してからでも遅くはないだろう。一旦は至った結論が、余裕を残した表情と共に兵士の頭から消えた瞬間であった。

(殺気)

 突如として膨れ上がった相手の気に、頭よりも、躰が先に動いた。

 足音が最上段に達したとほぼ同時。おそれで硬直する節々を無理矢理動かし、左手を軸に振り返りつつ兵士は腰にある剣を抜く。勢い任せに振りかざした右手は速度を上げ、目標を捉える、はずだった。

 右手は勢いを落とし、最も高い位置で停止する。下げようと力を左右上下に動かすが、しっかりと手首を掴む相手の左手によってびくともしない。

(しまっ――)

 兵士は視線を左に向けるが、状況を認識する前に左手と鳩尾が激痛に襲われ、苦悶の表情を浮かべる。軽く右腕を捻られ均衡を崩した躰はあっさり床へと落ち、反動で撓んだ。拍子に、両手にある物が離れ、一つは音もなく相手の隣で漂い、一つは宙を舞った後、頭から外れた額当てと共に相手の背後に落下する。

 激しい物音の後に訪れた静寂。半鐘は役目を与えられることなく、その日も静かに佇み続ける。

 喉元に長槍の穂先を突きつけられた兵士の真上で。

「……」

 声が出せず、兵士はただただ口を半開きにしたまま、黒い瞳で相手を見続ける。

 女性に受けの良い、中性の、整った顔立ちをした若い男である。白みの目立つ肌、高く見えない鼻梁、きつく結ばれた唇。手前にいる者を捉えているようで、遠くを見つめているような、青みがかった黒い双眸。それらを含めた表情からは、歳不相応な落ち着きと暗さがあり、良く言えば泰然とした、悪く言えば居丈高な印象がある。瞳と同色の、長くはない黒髪は茶色の耳を隠し、均整のとれたしなやかで細い躰が毅然とその場に立つ様は、突風に揺れてはためく臙脂色の服と、首から背中を覆う紺色の外套、白い肩当てと胸当てと相まって、武人であることを強く相手に認識させる。

 男は兵士を睨み、穂先を左側――相手の右腕をなぞりながら、自身の手元へと引っ込めた。

 兵士は慌てて起き上がり、男の左側で姿勢を正す。

「こ、これは。侍大将」

 何故このような場所に、と見上げる兵士を無視し、男は相手の全体を見下げつつ鼻に手を当てる。その表情は、兵士を叩きのめした時とほぼ変わらない。

「……任務中にお酒、ですか」

「あ、いえ。その」

 両足をもたつかせる兵士の両足の隙間を槍が抜け、床に転がる徳利を突き刺した。欠片は音を立てて四方へ飛び散り、中身と共に床を這う。

「あぁ……高かったのに……」

 両耳を垂らし、ぼそりと呟く兵士を余所に、男は懐から木筒を取り出した。栓がしっかりされているが、酒とは異なるツンとした独特の臭いが漏れており、兵士の鼻を刺激する。

 酔い醒まし。非常に苦い薬だと、兵士は瞬時に理解する。

「飲みなさい」

「い、いえ。じ、自分はお酒に強いので――」

 飲みなさい、と言い放った男の目は据わっている。尚も抵抗を目論む兵士を容赦なく槍で叩きつけ、相手の喉に無理矢理薬を流し込んだ。

 兵士の嗚咽が空高く舞い上がったのは、その直後である。

 

 

 

 

 

 ぐったりとした様子で額当てを握り、今にも倒れそうな青い顔で柱に背中を預ける兵士を一瞥し。階段付近の縁に両腕を乗せつつ、男は月を眺める。

「頼みがあります」

「それは」

 月が平等に地を照らす下。顔は白く、身体は黒い男の隣に立ち、横顔を探るように兵士は眉を僅かに寄せる。

 背を正し、顎を引き、胸に左手を当て。薄い影に半分隠された顔から発せられた声は、やや侮蔑の感情が籠る。

「それは。ケナシコウルペ國の侍大将としての、という事、でしょうか」

 いえ、と男は視線だけを兵士へ向け、槍を隣に置いた。

「私的に」

 影が均一に伸びる上。薄暗い空間に佇む彼から距離を取り、月へと振り返りつつ、相手は黒い背中を掻いた。

 背中を曲げ、視線を高くし、笑いを噛み殺し。真白に化粧した顔から発する言葉は、やや得意げな子供のように弾む。

「これは珍しい。何年振りでしょうか」

 笑いつつ、相手の目を覗き込む墨色の目は最早、上官に向ける視線ではない。

 相手の視線を掃うように片手を動かしつつ、男は静かに口を開いた。

「用件は、解っているはずです」

「……本気ですか――左様ですね。此処までやって来て冗談を言う性格ではないことを、失念しておりました」

 二つ申し上げておきます。そう前置きし、兵士は目を閉じる。灰色の雲と共にさらさらと前髪が流れる中、ゆっくりと瞼が開いていく。

「『信じぬ者には、時間と命の無駄』です。……お帰り頂いた方が、双方にとって余程有意義だと、自分は思います」

 冷ややかな声である。明らかなる軽蔑、拒絶、嫌悪が混じる言葉は、見開かれた闇色の瞳と共にはっきりと相手を突き放しに掛る。

 それと。短い後ろ髪を掬い上げるように、兵士は左手を動かす。

「この戦。(わたし)が何かを申し上げたところで、変化がないと思いますが。それでも――」

「それらを判断するのは、一兵士の――いえ、コゥーハ殿ではありません。……違いますか?」

 失礼。と謝罪し、兵士――コゥーハは苦笑する。

「確かに。ベナウィ殿の仰る通りです」

 そう言って、コゥーハは天を仰ぎながら深呼吸する。

「とはいえ。前者に関しては、是非とも御考慮頂きたいものですね。ああ、御心配なく。此処までお越し頂いてお断りする程、私は性格が悪くありませんし、お金の代わりに腰にある徳利を頂ければそれで構いませんので」

 妙だと言わんばかりの視線を送る相手の前で、補足しましょうか、とコゥーハは左手の中指から指輪を抜き、月の見えない真上へ投げた。

「一兵士が持つ情報量など、侍大将の耳に入る情報に比べれば地と天の差。現在の私に人脈があるはずもなく、貴方の役に立つ物があるとは到底思えません。(いくさ)中であるため、擦り合わせる時間も持ち合わせていないでしょうし。故にその情報量分を差し引かせて頂くだけです。当然、信用度も非常に低く――いえ、在って無いようなものですか。それを理解して尚、私に問いかけるのであれば」

 くどい、という相手を一笑し、コゥーハは左手で指を鳴らした。直後、鳴らした指が降りてきた指輪を弾き飛ばし、指輪は依頼主の――ベナウィの手に収まった。

 コゥーハの瞳は、闇の中で黄色く光る。黒い瞳は何処にもなく、蜂の蜜のような金色の光彩が不気味に相手へ向けられた。

「それで。自分は何を()()()よろしいのでしょうか」

「次に戦火に巻き込まれるであろう集落を」

「集落?」

 目の色が変わった相手に動揺することなく、ベナウィは肯定した。落ち着いた様子の彼とは対照的に、コゥーハは目を丸くし、鼻を鳴らす。

「噂も絶えつつあるとはいえ、"番人"も相当に舐められたものです。それとも? 軍の頂点で指揮する侍大将様が? まさか、次の(いくさ)場も判らぬと仰るのですか?」

 きっと口を結ぶ相手に睨まれても尚、ベナウィは眉一つ動かさない。仮面のように固く、偶像のように孤高に、しかし散り際の花冠の如く儚さを帯びた顔に調子を乱され、コゥーハは低く呻いた。行き場を失った怒りをぶつけるように腕を組み、あからさまに不機嫌を押し出しつつ櫓を支える柱へ背中を押しつける。

「……答える気はない、と」

「ええ」

 淡々とした、感情を削ぎ落とした声に、コゥーハは更に眉を寄せる。何かを隠しているのか、と考えつつ、探りを入れるようにしばらく相手を見続ける。

「怒りもしない、と。相変わらず、品の無い御方だ」

「これでも。残りの薬をあなたの口に流し込みたい程度には、いら立っているのですよ」

 木筒を目の前で振られ、その口も相変わらずで、とコゥーハは小さく呟く。視線を逸らし、俯く相手から距離を置き、木筒を懐へ戻しながらベナウィは一枚の紙を投げた。手触りの良い、白い紙面上に描かれた國の全体図を広げ、コゥーハは右手の親指を噛みつつ地図に目を光らせる。

 薄墨で描かれた地図の上、こと細かく書かれているのは朱と濃墨の丸や矢印、そして十字である。地図を正位置で見た場合、極端に少ない朱色が右側――東部に偏っていることや、朱と黒が衝突した部分には朱の十字が多数付けられていることからして、朱が叛軍の動きや勢力を示した物であると、コゥーハは推測する。

「宜しいのですか?」

「それは私物です」

 そういうことにしておきましょうか、とコゥーハは嗤い、月を映す目を閉じる。

「……外も中も新鮮な果実の方が、好みなのですが。この時世、変わらぬ私は馬鹿で、望む自分は愚か、なのでしょうね」

 何か言いましたか? というベナウィの問いに、何でもありません、コゥーハは片手を振る。土の香りを運ぶ風に包まれながら、噛んだ指の頂点、盛り上がった赤黒い血を地図へ向け、黒の陣地の内側――現在位置を記した。

 赤い液体がやや垂れる隣、左側に転々と記された黒い十字へ目を向け、コゥーハは眉を顰め、俯く。

 一兵士といえど、伝手を持つコゥーハはある程度の情報を保有している。それらの情報から、相手がどういった存在であるか、常日頃から考えていた。

 叛軍が攻撃を仕掛けるところは決まって、叛軍に加わりたいと思われる行動が見られる集落と叛軍の占領地を分断している場所か、藩主の居城や蔵、営倉、食糧庫、武器庫。進軍している隊の拠点。奇襲や陽動は常あれど、いずれも狙いは藩主かケナシコウルペ軍のみである。正面からぶつかってくる様は軍の士気を下げかねない程に清々しく、集落を襲い略奪行為をした、というような例外は今のところ一切無いことも含めて、不定期に出没する体の悪い賊とは一線を画する相手である。故に、彼らが集落を襲うという確率は限りなく低い、とコゥーハは推察している。つまり、軍と相手の規模、両者が集う周辺の地形から、叛軍の次の目的と次の一手を推察しその上の対策を講じるだけで良いはず。戦場になるであろう集落の民を避難させるべきではあるが、これだけの情報があれば予想が立てられる。

 だというのに。ベナウィはコゥーハのところへ来た。それが何故なのか、自身の疑問に、昨日耳にした情報と黒い十字、そして"黒い光"が答えた。

 場所は複数、比較的叛軍に近い場所が多いものの叛旗を翻した訳でもなく、中には叛軍に批判的な集落もある。そしてそれらの場所は、昨日上官の口から告げられた、焼き討ちがあったとされる場所と全て一致する。

 國の内部、侍大将の与り知らぬ所で行われている事実。共通性が感じられない、無作為と思われる集落の焼き討ち。

 赤い血が滴り、強く唇を噛みしめる中、"黒い光"が嘲笑するかの如く墨をなぞる様に、地図を無造作に折り畳む。

「――貴方は」

 荒げた言葉にはっとし、コゥーハは眉を下げた。静かに首を振り、くっと顔を上げ、地図を相手に返す。

「失礼。私情はいけませんね。それに。仮に貴方自ら罪無き民に手を掛けたなら、貴方は此処に来る必要が無いはず」

 違いますか? と笑んだコゥーハの表情が、一瞬固まる。

 コゥーハの正面、光りが当たり、影を伸ばす長槍。一般兵士に支給されている物よりも柄は太く、枝分かれした形状の大小二つの穂も巨大で鋭い。天へ真っ直ぐ伸びる美しい直線とぶれることのない存在感を備えていることもあり、生半可な腕では扱うのも難しいであろうその槍を持つコゥーハの正面に傾ける右手は、持ち主の年齢に釣りあわない皺と筆肉刺を刻んでおり、コゥーハを見据える目は、槍の持ち手に不相応だと感じる程に、月明かりで揺れていた。

 蟲の音も無い沈黙の中。コゥーハは小さく息を吐いた。己が鞘で槍を相手へ押し返し、櫓の端を歩き始めた。

「馬鹿言わないでください。その槍は、その場所は、貴方の物だ。少なくとも、自分はそう思います」

 カチリ、と鞘に収まった音と金色の瞳が、ベナウィの口を閉じさせる。

「対策? していませんよ、何も。ですから、私に判断する資格などございません」

 頬を突いていた人差し指を離し、コゥーハは剣を佩き直す。

 周囲を見渡す金色の奥で、あらゆる感情が闇と共に逆巻く。

「たとえ()()()いたとして。何かをしたとして……ね。貴方が此処にいる時点で、答えは出ています」

 悔しい事にね、と閉ざしたコゥーハの口端から一筋の血が流れ、暗い床に落ちた。それを踏みつけ、重くなる頭を左手で支えつつ、コゥーハは階段付近で立ち止った。すっと息を吸い、人差し指でとある一点――月のある方角からやや右、コゥーハから見て右方で、やや背中に掛る方角を示す。

 "黒い光"が集束し、大きな"金色の光"が向かいつつある場所を。

「チャヌマウ」

 コゥーハの表情も、頭を下げる仕草も、ゆらりと揺れる黒髪も、声も、硬く冷たい。月明かりが更に二人の硬さを助長させ、沈黙が時を伸ばすかのような感覚を作り出す。

「かの地が一番、黒い光に満ちております。……それはもう」

 最後の一言を噤み、コゥーハはふっと息を吐いた。ぐらりと頭の重みが増し、ひどく不味い鉄の味が口腔に広がる。

 他には、ベナウィの問いに、コゥーハは薄く笑う。

「あと二つは……此処からでは特定できません。戦況など、と照らし合わせた後、後日書簡をいつもの場所へお送り致します。自分の直感では、二つはそれほど急を要するとはない、と」

 そうですか。と呟き、ベナウィは腰から徳利を取り出し、指輪と共に投げた。真面目さを滲ませ、コゥーハを向いていないその双眸に、揺るぎは無い。

 右手を伸ばすコゥーハの顔に活気が戻った。嬉しそうに笑い、足をふらつかせながら二つを受け取った。

 槍を持ち、櫓を降りようとする客に、上機嫌な声が掛けられる。

「もう二つ」

 コゥーハの視界。黒い光が蔓延る中、それらを寄せ付けないかの如く"青白い光"を放つベナウィの躰が止まる。

「貴方は未だ、死なないようですよ」

「……もう一つは?」

 "青白い光"の周囲、特に背中を包む"淡い茶色の光"に向かって、コゥーハは微笑んだ。

「いつからご一緒かは解り兼ねますが……慕ってくれる副官は、どうか大切に。あまり苦労させると、逃げられますよ」

 肝に銘じましょう。とベナウィは返し、コゥーハの瞳から姿を消した。

 相手が確実に去ったことを確認した後。指輪を定位置へ嵌め直し、コゥーハは徳利を月へと突き出し、目を閉じる。

「……『余計なお世話です』って、素直に言えばよろしいのに」

 ゆっくりと開いた黒い瞳で月を眺めながら、徳利の中身を一気に飲み干す。直後。コゥーハの顔が苦々しく歪んだ。

「むむ。やはり水ですか……しかも温い。きつけ薬ではないだけマシですかね」

 厚い雲が作りだす影の中、文句を並べつつ額当てを付けるコゥーハの口端は、僅かに上がっていた。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 とある関に訪れた侍大将訪問という突然の出来事は、兵士の緊張を劇的に高める結果となった。関の視察が目的であることもあって、眠たい目を擦っていた兵士達も慌てて姿勢を正し、侍大将と副官、その部下数人が関を出発するまで崩すことはなかった。視察団に話しかけられた数人は、彼らが去った後に他の兵士に質問攻めにされ、羨望の眼差しと嫉妬の含む罵倒を浴びせられ、いつもとは違う活気に包まれた。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 関から聞こえる歓声を背に、薄暗い森を駆ける数人で構成された一団があった。全員が武装しており、ウマ(ウォプタル)――二本足で歩行するトカゲのような、ヒトの約三倍の大きさである緑色の動物に騎乗している。

 その中央、唯一白いウマ(ウォプタル)に騎乗しているのは、ケナシコウルペ國侍大将、ベナウィである。彼の後方、鉾のような大きな槍を背負う背中を追い掛けるように、怒りと呆れを含んだ、しかし若干の羨ましさが滲む低い男の声が続く。

「あいつら……」

 どうしましたか? と、ベナウィは背後を一瞥するが、ウマ(ウォプタル)の足を止める気配はない。

 いいえ、何も。と、先程の声の主が、呑気さが混じる声で返答した。

「大将」

「何ですか」

 眉を上げ、やや咎めるような口調のベナウィに、いや……、と相手は一瞬声を詰まらせた。

「あの櫓で、何やってたんすか」

 ベナウィは上方に見える月を眺める。月夜に現れたその瞳は、遠方を見るように、ただ一点を見据えていた。

「……大した用ではありません」

 視線を変えるように瞳を閉じ、前方に向きた後。眉を寄せ、ゆっくりと瞼を開けた。

 急ぎます、と声をあげ、ベナウィはウマ(ウォプタル)の手綱を強く握り締める。その直後、嬉しさを噛みしめるような男の笑いが響く。

「んで、どちらへ?」

「そうですね――」

 ベナウィの声は、泥沼を踏みしめるウマ(ウォプタル)の足音によって掻き消された。




補足:「國の“東部”で叛乱」これは捏造設定です。
   ゲームとアニメでは、國の位置に若干のズレがありますが。拙作ではアニメを基準に、不明な点はPSP版で仕入れた情報を「アニメ基準」の地図に当てはめた表記になっております。
   PSP版攻略本の巻末インタビューによれば、ヤマユラは「北のはずれ」だそうです。アニメでは触れられていないようなので、不明です。
   また。地軸の傾きとそれに伴う影響を全て無視しております。申し訳ありませんが、ご了承ください。気候や食べ物に関しては、原作設定を守っていく所存ですので、おかしな点がございましたら、お手数ですが、ご指摘をお願いします。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。