原作の用語が出てくる度に、ルビを振っております。
用語の表記と読みはPSP版>アニメ版 に準じており、音声>表記 です。
例:皇(オゥルォ)
ハクオロ皇(オゥ)
ウマ(ウォプタル)
侍大将(オムツィケル)
→侍大将(ルビなし、読みは『さむらいだいしょう』)
用語以外にも、ルビが多めです。
ルビが読みにくい場合は、お手数ではありますが、その旨を作者へお伝え頂ければ幸いです。
邂逅
下弦の月は美しくも切ない気分にさせる、と子供は空を眺め続ける。肘近くまである黒い長髪を右側のこめかみから掬うように上げ、小さく息を吐いた。
茶色の毛で覆われた長い耳の下にある三本の傷跡が、月明かりに照らされる。その首元に、落ち着きのある少年の声が掛けられる。
「宜しいのですか?」
低い、しかし幼さを帯びた少年のような声に対し、子供は振り向くことも、立ち上がることもない。
「ええ。宜しいのですよ」
床に垂れる自身の長い茶色の尻尾を子供は左右に揺らす。太腿の上に広げられた木簡を束ねた巻物の端を取り、慣れた手つきで巻いた後に左側へ置いた。その左手の中指にある、茶色の鉱石が嵌められた指輪が光る。
先程の声の主が軒端に座り、膝下を動かす子供の右隣で口を開いた。
何故。捨てるような声に、子供の耳が、くん、と上がった。仮面のような薄い笑みで髪から手を離し、切れ長の目に収まる墨のような黒い瞳を、はらりと漆黒の髪が落ちる間に右へと向ける。
顔の各部分と配置されている間隔が非常に整った、美しい顔立ちの少年である。日焼けの無い白い肌、高い鼻梁、形の良い唇。しかしその表情や青みを帯びた黒い瞳からは年相応の無邪気さや明るさは無く、良く言えば大人びた表情、悪く言えば無愛想な印象を受ける。瞳と同色の切りそろえられた黒い髪は種族を判断する材料となる耳を隠し、動く気配のない短い尻尾を投げやりに廊下へ出すように座る様子は人を寄せ付けない雰囲気をさらに高める。
少年の持つ雰囲気が所以か、はたまた別の理由があるのか。過去に幾つかの宴で見かけた彼が、同年代の者と話をしているところを子供は知らない。こうして話をする事も初めてである、と眉を下げる。
「主役は
「しかし。あなたは嬉しそうに見えません」
「貴方も。あまり嬉しそうには見えません」
口元がくっと曲がった少年の背中から、大人達の笑い声が沸いた。広い室内で談笑する彼らの中心で酒を呷る、他の者とは明らかに容姿が異なる――毛深くない小さな両耳と白い両翼を背に持つ、白い髪の男を一瞥し、申し訳ありません、と子供は苦笑した。
「おじ様……いえ、養父に言われたのですね。私があまりにも同年代の方々と話をしないから、相手になって欲しいと」
少年は肯定も否定もせず、尻尾と足をばたつかせる子供をじっと見続ける。ぶれることのない視線に、子供はくすくすと笑った。
「無理に話に付き合うことはありませんよ。それに、そう見つめられては話しにくい」
子供の一言に、少年の行動が変化した。視線を相手から逸らし、出発点に戻ることなく転々としていく様子は、明らかな困惑と、多少の焦りを感じさせる。
相手の仕草に笑いをかみ殺しつつ、子供は空を見上げた。蟲の音が止み、酒の臭いと生温く強い風が二人の首にまとわりつく。喉を詰め、首を切り、微睡みを抱かせるソレに嫌悪感を覚え、払うように子供は首筋を掻いた。
周囲に沈黙が落ち、子供の長い黒髪が大きく靡き、流れる雲に月が隠れること二回。発光石の灯りを一瞥し、疲れました、と子供は耳を垂らした。
「……本当に何もお話にならないとは。いくら容姿が良いとはいえ、退屈な殿方は嫌われますよ。他人の身なれど、貴方の将来が少々心配になってきました」
「無理に話に付き合うことはないと仰ったのは、あなたですが」
そういう問題ではありませんよ、と手櫛で髪を整える子供から視線を逸らし、少年は発光石が放つ白い光を見つめる。
床に落ちる濃い影の上で、眉を寄せる少年の顔が白く浮き立つ。
「……
言いかけた少年の言葉が止まる。ばつが悪そうに咳払いをし、世辞にも綺麗とは言い難い肉刺と胼胝が点在する右手で、僅かに赤くなった顔を覆った。
視線を隅に追いやる相手に子供は目を瞬かせ、ふっと吹き出した。何事か、と背中に受ける複数の視線を感じつつも、口元と腹部を押さえながら笑い続け、呆れるような相手の目と交差したところで、落ち着けるように深呼吸した。
正直な方だ。そう子供は微笑し、発光石を皿から取り出し床に置いた。光る事をやめた白い石の隣、爪の長さも無い薄い膜に、底なし沼のような墨色の瞳が映る。
「はてさて。仰る通り、私は様々な方々とお話て参りましたが」
実のところ、
「決して話上手、ましてや聞き上手というわけではございません。むしろ、できれば――」
いえ。と子供は口を噤み、皿を太腿の上に乗せた。水差しを手に取り、皿の真上でゆっくりと傾ける。
「話すと申しましても。相手の質問に答えるだけの、簡単な……簡単で、一辺倒で。そう、時には退屈な」
眉を顰める顔が映る水面が揺れる。ほぼ同時に子供はすっと目を閉じ、薄い笑みを浮かべながら皿を置いた。
「そんな私ではございますが。心掛けていることが、一つ」
子供は発光石を手に取り、元の場所へ戻した。同心円状に広がっていく白い光の先、視線を逸らす相手の手を取り、青みを帯びた瞳を真っ直ぐに見つめる。
「初対面の方の場合は。相手の目を見ながら、お話すること」
「…………」
簡単な事です、と子供が笑った直後。ぱちん、という高音が二人の間を駆けた。
少年は子供の手を払い除け、不満そうに身体を逸らした。
「あなたの顔は。見ていて不快になります」
これはまた、素直な。と、子供は笑う。
「そう仰る御方は、決して嫌いではありませんが」
「私は。あなたのことが好きになれそうにありません」
結構なことです、と子供は笑う。淡々とした調子で声を上げる相手に眉を寄せ、少年は組んだ両手がある太腿へと視線を落とした。
「あなたの顔は、まるで」
白き光が満ちる中。子供の口端が、くっと下がった。
まるで、と、言葉を切った少年の代わりに反復した子供の瞳が大きくなり、深い影でくすんだ。
「まるで。人形のような?」
「死人のような」
少年の言葉に俯き、子供は微笑する。その笑みは月明かりと発光石の光に照らされ、生気の感じられない白さと深き影を落とす。
「……それは死人に失礼というものだ」
え? と振り向いた少年に、何でもありません、と、制するように子供は手を振った。
「参りました。以前、私と歳が近い初対面の方に『人形のような』と評されたことはございますが。無愛想な貴方の言葉の方が、よほど堪えます。ああ、無理をなさらず。どうぞ美しい月をご覧になりながら」
相手に促され、少年は半分の月が昇る夜空を仰ぐ。二色の光を反射する怪訝そうな横顔は、化粧をした女性のように白さと美しさが際立つ。
再び落ちた沈黙。蟲の音も無く風も無い。大人達の会話も無く、食器の擦れる音も無く、少年か子供の一方が立ち上がる様子もない。さながら我慢比べの如く、じめっとした場所に二人は居座り続ける。一方は天井の無い夜空を仰ぎ、一方は白色の満ちる地面を見つめ。
やがて。先に音を上げるように溜め息を吐いたのは、子供の方であった。
「そろそろお開きの時間だと思いますが」
そのようですね。それだけ返した少年に、子供は眉を上げて
「……不快なモノと尚も一緒にいようとする貴方の忍耐力に敬意を表します」
「八方に同じ笑みを浮かべ続けるあなたに表されるとは、光栄です」
面白い方だ、と言った子供の顔から笑みが消えた。
「同時に。理解し兼ねると伝えておきましょうか」
「嫌であれば。あなたが立ち上がれば
月が綺麗に見える、お気に入りの場所なのです。と子供は再び笑んだ。
「それに。此処は私の住む家だったと思いますが」
「それは」
押し黙り、しかし頑としてその場を離れようとしない相手の表情を、子供は横目で眺める。軽く咳払いし、ちらちらと此方を窺うように視線を動かす少年の隣で立ち上がった。
「それとも」
低い、はっきりとした、しかし単調な子供の声が、髪の隙間から覗いた茶色で毛深い少年の小さな耳を揺らした。
黒い瞳で、周囲に誰もいないことを子供は確認する。相手の正面で正座し、発光石を皿の横へと移動させ、指輪を外し、目を閉じる。
「私に御用がおありで?」
薄暗い軒端を、一陣の風が吹き抜ける。
同時に、水面に映る
「……」
相手の変化に少年は目を丸くしたものの、表情に変化は感じられない。相手の正面、床に胡坐を掻く行動に動揺はなく、奥底で闇の燻る金色の一点をじっと見据える様はまるで、待っていたかのようだ。と、子供は内心で苦笑する。
しばしの後。少年は相手の質問に否定の意を示した。
「
突き離すような相手の物言いに、おやおや、と笑う子供の目は黒い。
「貴方の、その無愛想な顔で楽しませて頂いたお礼として。本日は
「結構です」
やや怒りの籠った声を残し、少年は片膝を立てる。
「第一――」
なればこそ。と、少年の言葉は遮られる。
「信じない貴方にでしたら、話して良いのかもしれません。他にお礼を用意するのも面倒ですし。何より、他の方々よりも反応が楽しそうです」
相手の言葉を無視し、少年は立ち上がる。白い光に包まれる中。失礼、と軽く会釈し、踵を返した少年の背に、子供は低い声をかけた。
「この國は、緩やかな滅びを歩み始めている」
踏み出した足が止まり、短い尻尾の先端が上がった。振り返ることのない少年の背を、金色の瞳は見続ける。
「一年も経たぬ内に國の頂点、
「……つまり?」
「貴方は、十数年後に起った内戦で死ぬ、かもしれません。ということです。今からでも、道を変える事をお勧め致しますよ」
立ち尽くす少年自身から放出される"青白い光"。その周囲――自分を含めた、おそらく國全体に舞う、火の粉のような"黒い光"を、子供はじっと睨む。自分以外の人間には見えないという、神秘的な"アレ"を。
月にうっすらとした雲が掛り、二人の間に影が降りた。床を這う若干の冷気が"黒い光"と共に各々の髪や頬、手足を刺すように舞い上がり、月から雲を切り離した。
周囲に光が戻るにつれ。子供の正面、相手を見据える少年の顔が顕わになる。
「國が滅亡するなどと仰ることは、お控えになった方が
更に低い、淡々とした口調で、吐き捨てるように言った少年に、淀んだ瞳が鋭い視線を走らせる。
驚嘆も、嘲笑も、恐れも、困惑と焦燥もすでに無く、あるのは叱責。言葉の意図を読み取るべく観察するような視線を全身へ送り、しかし胸元で組む腕と肩、くっと閉じられた唇は僅かだが、震えている。
お控えに、ね。相手の言葉を強調し、子供は人差し指で頬を突く。
「今まで大陸を渡り歩いてきた身としては、少々理解し兼ねるのですが。自國が滅ぶなどと言われると、腹が立つものなのですか?」
「当然です」
相手の強い肯定に子供は頬から手を離し、子供はくっと眉を顰めた。
「貴方は。私の申したことが冗談だと、お考えにならなかったのですか?」
虚を突かれたのか、少年の顎が上がった。そんな相手の反応を見て見ぬ振りをしつつ、やはり面白い人だ、と子供はへらへらと微笑する。
「失礼しました。確かに、たとえ冗談であっても、不快な思いをすることこの上ない」
しかしながら、と子供は発光石を手に取る。
「
「……御自身を卑下なさるか」
「事実でしょう。"予知"など信じぬ方なら、尚の事」
口を噤んだ少年の瞳が揺らぐ。
同情ではない憂いと、静かな怒り。その場に立ち続ける様子を眺めながら、ああ、やはり変わっている、と子供は思う。
何故、他人に対してそのような顔ができるのか。優しさなのか、はたまた使命なのか。
何故、自身の事には触れないのか。無関心であるのか、そう在らねばならないのか。
皿の上に戻った灯りを手元へ引き寄せ、子供は笑う。少年のいう、八方に振りまく笑みで。
「ご忠告、とお思いください。上に立つことを考えている人ほど、関わる人物を選んだ方が良いということです」
まあ、お好きにお考えになって頂いて結構ですが。と視線を逸らし、子供は夜空を見上げる。大人達の笑い声も戻らず、ただただ、再び鳴き始めた蟲の声だけが屋敷を囲む。
再び鳴き始めた蟲の声に耳を澄ませ、子供は相手が去るのを待つが、自身の予想が外れ少年はその場に留まり続けることに、心中で苦笑した。
おかしな人だ。そう口にしようと息を吸った子供の隣に、少年は再び座った。
「……根拠があるのですか」
「ありませんよ。"予言"という類のものは、そういうものでしょうに。その前に、先程申し上げたことを信じるのですか?」
いえ。と否定した少年の声は、小さい。
「ですが。
ふむ、と子供は指輪を嵌め、先程まで眺めていた木簡を相手に渡した。
「根拠などという、大層な物ではありませんが。確かに、これをお渡ししないわけには参りませんか」
丁寧な、しかし慣れた手つきで木簡を開き、これは、と目を見開いた相手に、「その歳で
「有り体に言えば。皇城内で行われている、不正の証拠という物です。ほんの一部ですが」
どこで、ではなく。どのように、と少年は訊ねた。
「もちろん。皇城で。見張りの方にコレをお渡しし、写しを持ってきて頂きました」
子供は懐から袋を取り出し、その口を緩めた。ずしりとした音を立てて床に置かれた袋の中からは、闇夜を切り裂かんとまばゆい光を放つ硬貨が出現する。
申告して頂いて構いませんよ、と子供は茶色の尻尾を振り、笑う。しかしその笑顔は、強風に乗り一瞬で闇へと散る。
「……"予言"に関係なく。この事実に抱く危機感は、私だけではないはずです」
ぱきっという音が、静寂を破壊する。
子供が強く握った拍子に発光石が砕け、手元の灯りが消えた。仄かに薄暗くなった中で膝に落ちる白い粉にあたふたする子供の両手を、険しい表情で少年は見据えていた。
お気になさらず、と笑う相手に、気にしていませんから、と少年は返した。身体を硬直させ、引き攣る笑みで固まる子供から目を逸らし、あからさまに咳払いをする。
「しかし。そういった人間だけがこの國にいる訳ではありません」
確かに、と子供は目を逸らし、指輪を擦る。
「養父は、この國の衰退を嘆いておられる数少ない御方の一人です。そのような御方は何人もおられます。しかし養父はさほど地位も高くなく、政に口を出せぬ立場。ましてや、あの
眉を寄せる少年から子供は目を逸らし、赤茶の液体が付着する歪な形となった発光石を片手で覆う。
「他の方々は……養父と交流のあった大半が、牢の中です。中には処刑された方もいらっしゃいます。理由は、まあ。大体が不敬罪のようですよ。ちなみに養父が今ここにいるのは、おそらく。老い先長くないことを誰もが知っており、それほど害はないと思っている、と自分は愚考しております」
更に話を続けようと子供は口を開くが、背後から二人を呼ぶ声が掛ったために中断し、笑って返答する。
「とても、楽しゅうございました」
子供は少年の方へ向き直り、床に達する位置まで頭を下げた。さらりと長髪が揺れ、白い光の元に傷跡が現れる。
「またいずれお会いした時には――」
いえ、と子供は尚も笑い、首の後ろで長髪を持ち上げる。
「もうお会いすることは、ないやもしれません」
どういうことですか、と問うた少年を、黒い瞳はじっと見据える。
「この家を出ようかと思います。家を出て、再び……一人で旅を。もしくは、軍に志願しようかと。っと」
そうなれば、再び会うこともございますか、と子供は髪を離した。
「もちろん、すぐという訳には参りませんが。此処の――家のことは、優秀な
「しかし」
何故か、ですか。と相手の言葉を復唱し。子供は静かに、暗い地面へ視線を落とした。
くすみのある黒い瞳を強く閉じ、生温かい風を深く吸い込む。軽く会釈した後、少年にだけ聞こえるような小さな声で微笑した。
「はてさて。それは、ご想像にお任せします、ということで」
月明かりとは異なる、青白い光の中へ消えていく子供の背中に、一つ良いですか、と少年は声を掛ける。
「あなたの、名を」
子供は振り返る。赤い手で、月明かりに彷徨う茶色の
報告:2013/1/18に、地の文の一部を修正しました。