ソードアート・オンライン リング・オブ・ハート   作:木野下ねっこ

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1:死神

 《彼》は佇んでいる。

 

 

 戦いの終わった直後だというのに、己が武器を地面に尽き立て、悠然とその傍らに立っている。

 

 その眼前に広がるのは、がしゃがしゃと重鎧の音を忙しなく立てながら必死に敗走する戦士達。恐怖と絶望にまみれているであろう、その兜の奥からは口々に『助けて』『化け物』『死神』『逃げろ』などという叫びが次から次へと吐き出されるが、要約すると結局は『何故こんなことをするのか』という言葉に行き着く。

 彼はそれに無言を以って答えていたが、やがてそれらの悲鳴という名の問いかけは、森の中へ薄く木霊して消えていった。

 《彼》はゆっくりと辺りを見回して、この森の路地にはもう自分以外が居ないことを確認する。

 やがてそれを裏付けるように、どこからともなく微風が吹き……彼の真っ黒なマントを薙ぐ音だけが続いた。

 静寂に包まれた中、彼は先程の戦士達に投げかけられた言葉を頭の中で反芻(はんすう)した。……すると、言葉にし難いどす黒い感情が滾々(こんこん)と胸の内に沸き上がってくる。……しかし、彼の顔の上半分は深く被った黒いフードに覆われ、わずかに露出した口元も強く引き結ばれている為、その湧き上がる感情にただ酔いしれているだけのか、若しくは敵を傷つけた狂喜を堪えているのか、はたまた己の力に恐怖を覚え恐れ戦いているのか……誰もそれを(うかが)い知る事は出来ない。

 やがて、彼はその胸の(うず)きを抑えるように、突き立てた己の武器――身の丈以上もある、恐ろしいほどに長大な大鎌を胸に抱えた。

 

 そして……

 漆黒のフードとマントを身に纏って素顔を隠し、誰もが恐れる大鎌を携えた彼――《死神》は、敗走者達に投げかけられた言葉の答えを強く心に刻んだ。

 

 

 

 ――人は、傷つき、傷つけ合う為に生きている。

 

 

 

     ◆

 

 

「オーイ! こっちだ、キリの字ィ! よく来てくれたな!」

 

 そう言って、店の奥から喧騒に負けない大声で手を振るクラインが俺を迎えた。

 彼が俺に送って来たメッセージの内容には書いていなかったが、彼の隣には何故か俺の腐れ縁の商人であるエギルも同席していて、豪快にジョッキを(あお)っていた。

 

 ここはアインクラッド第五十層の都市《アルケード》にある、とある大衆酒場だ。フロアいっぱいに丸テーブルとイスが無造作に所狭しと並べられ、店の外に居ても聞こえて来るほどの猥雑な喧騒をBGMに、ジョッキや料理を満載したトレイを両手に持つNPCウェイトレスが溢れ返った客の中を間を縫うように動き回る忙しない場所だが、ここの近くには俺のねぐらやエギルの店がある点、俺達を呼ぶには悪くない指名地点だ。

 だがしかし、一日の攻略と狩りを終えてヘトヘトになりながら帰り道を歩いている最中、いきなり急ぎの呼び出しのメッセージを送ってくれた点については些か苛立ちを覚えないでもない。この中々に豪勢である晩餐がオゴリという追伸がなければ、きっとメッセージを無視して、今でもトボトボと家路に就き続けている自信が俺にはあった。

 そのまま渋り顔で席に着き、頬杖片手にお冷で喉を潤してから一息ついてボヤく。

 

「俺、こう見えても攻略に向けて結構忙しいんだけどな……」

「まぁそう言うな、キリト。あのクラインがオレ達の席も全部オゴリで用意したんだ。きっと相当な話だぜ?」

 

 エギルがポンポンと軽く背中を叩いてどやす。

 

「エギルの旦那はたまたま同じ店に居ただけだろ! なんで俺様が、いつの間に旦那の飯までオゴるハメになってんだよ!?」

「おいおい、そうカタいこと言うなって。お前だって、ウチに貸しが無いわけじゃないだろう?」

「そ、そりゃそうだがっ……あーもう分かったって! とにかく本題を始めるぞ! わざわざキリ公を急がせた意味がねーからな!」

「おう、早速話してくれるとこっちとしても嬉しい。俺も二人の漫才を見に来たわけじゃないからな」

 

 いつもの馬鹿なやり取りとテーブルに並ぶ肉メインの料理もそこそこに、クラインはゴホンと咳をし表情を引き締めて切り出した。

 

「――キリト。俺から……いや、俺のギルド《風林火山》から、手前に仕事を依頼したい」

「え? ……あっ」

 

 真顔で言うクラインの言葉の真意を測りかね、俺は口に運びかけたローストビーフをベチャリとフォークから皿へ落としてしまう。

 どうやらエギルも同意見だったようだ。

 

「ほう……? 珍しいな、クライン。お前が他人に仕事を依頼なんてな。となると内容はアレか……最前線の攻略関連か、あとは……ギルド間での厄介事の仲裁か?」

 

 そのエギルの言葉は的を射ていた。

 クラインはSAOに措ける大抵の困難に対してレベルが別段過不足な訳ではないだけでなく、ギルドリーダーとなる気概もあって、クエストや他人に依頼するような事柄も全てギルド一丸となって取り組むような男だ。そのクラインが直々に他人に何かを依頼するという話はついぞ聞いた事がなかった。しかも、わざわざ同じ攻略組の一人である俺へ頼み事とくれば、エギルも言った通り、最前線クラスの危険が伴う仕事なのだろうか……と考えを巡らせていると、クラインも俺の心の内を察していたらしく、

 

「いや……そういう類の仕事じゃねぇ。今回のヤマはちょい特殊で、流石の俺様も専門外っつーか……とにかく話を聞いてくれ」

 

 と、首を左右に振った。クラインはここで初めて、少しだけエールのタンブラーを傾けてから周りを気にするように声を抑えて話しだした。

 

「まだほとんど知られてない噂なんだけどな……」

 

 慎重に念を押したように前置きしてから一拍置いて、

 

 

「――キリ公、旦那。《ミストユニコーン》って知ってるか?」

 

 

「発見されたのかっ!?」

「うわっ!?」

 

 ガタッとイスを鳴らして席を立ち、クラインへ身を乗り出したエギルの大声に驚き、俺は再び中身がレアな焼き加減の桃色が魅力的な牛肉の切り身を口に入れ損ねる。

 

「ちょっ……声がデケェよ旦那! 俺様も今知ってる事自体が僥倖な情報だってのに!」

「あ、ああ……すまん。オレとした事が、久々のレアなニュースに興奮しちまった」

 

 クラインの真似をするように少し落ち着きを欠き始めたエギルを片目に、俺は今度こそ三度目の正直とばかりに肉を口に放り込み、赤ワインベースの上品なソースの味と牛肉の原始的な旨味をじっくり噛み締めてから二人を宥めた。

 

「この繁盛騒ぎっぷりだし、余裕で大丈夫だろ。それで、ミスト……えーと、なんだそれは?」

「ミストユニコーン。端的に言っちまえば、レア中のレアモンスターだ」

 

 俺の問いに答えたのは依頼主ではなく、まだ少し口調が興奮した、ただの同席者のほうだった。

 

「アインクラッドのどっかでランダムに生息してる、わずか十体しかいないとされてる馬型のモンスターでな。普通のレアモンスターなら狩られ尽くしても、数は少ないが再湧出(リポップ)して世界からいなくなることは無いんだが……コイツは狩られても再湧出(リポップ)しないんだ。つまり、個体数が十体コッキリの幻の馬だ」

「代弁感謝するぜ、旦那。……キリトには俺様の新しいカタナの為に、(やっこ)さんのドロップする貴重な素材を調達して来てもらいてェんだ」

「ああ……ウチの店もあの素材を入荷してガッポリ儲けたいぜチクショウめ」

「ヘヘッ、悪ィな旦那。今度の武器調達は、旦那の経由無しになりそうだぜ」

「……ああ、思い出した。俺もベータの頃、リアルで公式サイトのレアモンスター紹介ページで見た事があるよ」

 

 当時、無我夢中でプレイしていたベータテストの緊急サーバメンテナンス告知の後、強制的にログアウトを余儀なくさせられ、手慰みにパソコンで公式サイトの巡回に湿気込んでいた時のことである。なんのとなしにマウスホイールを回しながらモンスターの画像を流し見していて、幻想的な白馬の画像でピタリと中指が止まった記憶がある。皆が思い浮かべるユニコーンの想像図の通り、一本角を有した純白の仔馬をした外見の他に、赤い目を持ち、ミスト――《霧》の名を冠するに相応しい、薄く霧が立ち込めているかのような神秘的な(たてがみ)が印象的だった。説明文に『討伐するとドロップする《ユニコーンの蹄》《ユニコーンの鬣》は神秘の力を秘めた強力な武具の素材となる』というそのレアリティ成分たっぷりな一文を読んだ時は胸が高鳴らなかったといえば嘘になるが、未だベータテストということもあり「出会えたらラッキーだな」程度に流しながら再びシークバーを滑らせたのも、かろうじで脳味噌の端っこに記憶されている。

 

「それだけじゃないぜ。サイトにも載ってなかった詳しい情報も、信頼できるスジから大方揃えた。コイツを見てくれ」

 

 料理を脇にどけ、なんとか出来たスペースにクラインはウィンドウを飛び出してそこに羊皮紙のロールをオブジェクト化して広げた。そこにはユニコーンのデータらしき文章が、何とも彼らしい荒々しい筆致で羅列していた。

 

「へぇ……アルゴリズムとかは《ラグー・ラビット》に少し似てるな。体力もそう高くないし、敵を察知し次第逃げ出すタイプの非好戦的モンスターか。流石にラビット程じゃないが、馬型だし逃走速度も速い。……でもSAOが開始してからもう2年だ。いくら討伐が難しいからって、流石にもうとっくに狩り尽くされたんじゃないか? 噂は噂だ、発見もただのガセネタってだけの可能性もある」

「ところがどっこい。ここに今までの討伐記録があるから、その数を良く数えておくんな」

 

 即座に反論したクラインがトントンと羊皮紙の端を指先で叩く。俺はその指先の指し示す、記録の行数を数えてみる。

 1……3、4……7、8……9。 もう一度数えてみる。 ……が、やはり9だ。

 

「……一頭、足りない?」

「そうだ。SAO開始後、ある程度のペースでユニコーンの発見と討伐が繰り返されたが、最後の一頭だけは長い間、発見さえされなかった」

 

 肉コースの料理だが、律儀にも脇役であるサラダにドレッシングをかけていたエギルが頷く。

 

「そもそも、今の最前線が七十層程度で十体中九体まで討伐できたこと自体がかなりの幸運なんだよな……。そんでもって、とうとう最後の一頭の発見と来た。こりゃ何かの思し召し……なのかも知れねぇな」

「どういうことだ?」

 

 意味深に言うエギルの言葉に、俺は首を傾げた。彼はその巨漢な図体に似合わず、丁寧にサラダを食みながら、

 

「困った事に、コイツは実に非好戦的レアモンスターらしい特殊能力を持っててな。……ホラ、ここだ」

 

 今度は茶色い肌の太く逞しい指が紙の一端を指す。タイトルに特殊能力とある記事の欄は二つあり一つは《不明》と記されていたものの、俺は詳細がちゃんと書かれてある方を、英訳の問題を当てられた生徒の如く音読した。

 

「えっと……《日に一度だけ、霧を纏って他のエリアまたは階層へワープすることが出来る》――って、ちょっと待て。他のエリアだけじゃなくて、他の階層にも? え、マジで?」

「マジだ」

 

 モンスターには、危機が迫ると他のエリア――同じマップ内の、そう遠い距離ではない地域――にワープして逃げる者もごく一部存在するが、他の階層ともなってくるとその狩猟の手間は尋常ではない。ただでさえ希少かつ逃げ足があるのに、ようやく発見できても先にユニコーンに見つかったり、先制攻撃に失敗して数秒も隙を与えてしまえばワープしてしまうことだろう。この能力は日に一度だけという縛りがあるものの、逃げられてから再び発見するまでに、何十という広大な階層を虱潰しに再びマッピングしていく事を考えればほぼ縛りなんて無いに等しい。まさに最初のワープで逃げるまでの数秒間の勝負ということになるのだろう。

 ……だがしかし、だ。

 

「……………」

 

 俺は結局、肝心な事が腑に落ちず、頬杖に充てていた手の上に顎を乗せ、黙り込む。

 二人はそんな俺に気付かず、話を続ける。

 

「一時期は最後の一体は流石に未到達階層にいるんじゃないかって諦めてたからな。オレでつい叫んじまうザマだ。もしこのネタが広まれば、一部の奴らはきっと発狂すんじゃないかってくらい喜ぶだろうな」

「その噂が広まる前に、速攻でこの《黒の剣士》様に狩って来てもらうっつー寸法よ! コイツの脚に勝てるヤツはまずいねーからな」

「諦めてた所で今回の吉報だが……あれだな、例えクラインの情報が真実だろうがガセだろうが、いずれ誰かの手で行われるであろう狩猟がもし失敗でもしたら、ヘタすりゃ今度こそ未到達階層に逃げるという憶測が現実になるかもな」

「はぐれ水銀もビックリの逃げ腰っぷりだよな!? カーッ、最初の不意打ちワンチャンしかねーって、突撃兵みてぇな俺達のステータスじゃムリだ! もうどうすりゃいいんだってんだよォ……って話なんだ、キリ公よォ……ってあれ……キリ、ト……?」

「……ん? どうした、キリト?」

「……………」

 

 一瞬激昂するも、すぐさま凹むという微妙に器用なリアクションをして見せたクラインを、じっとジト目で見つめる俺。それをエギルは眉を顰めて訝しむ。

 だいぶ話が見えてきた。が、同時に解せない事もまた浮き彫りになってくる。

 

「……クライン、そろそろ全貌を話したらどうだ? 話を聞いてきたが、俺が出なきゃならない決定的な理由が無いじゃないか。確かに逃げ足のあるモンスターってのは分かったけれど、それもギルド員総出で探して、発見したらワープする前に全員で一斉に飛びかかれば、別に隠蔽スキルや索敵スキルに特化してないお前達でも狩れる可能性は充分に高いだろう。それに、なんだかんだで今までに九体も狩られているんだ。それなりの対策でもない方がおかしいし、ここまで調べたのならその対策もお前なら知ってる筈だ。……なによりもクライン、お前が俺にわざわざ依頼事っていう異常事態を説明できる要因が、まだ出てきてないと思うぜ?」

「……………」

 

 クラインが一瞬目を見開いた後、少し顔を伏せ沈黙する。

 ……顔でも嘘をつかないこの男を、俺は本当は心の底から尊敬しているが、これでいよいよ話がキナ臭くなって来た。

 

「……なぁ、クライン。別に急かしてる訳じゃないが、聞かせてくれ。そこまで用意周到に下調べしておいてそれでも尚、俺に依頼したいのは一体どうしてだ?」

「あー……えっとな……」

「ま、ヘンに鋭い所は流石、黒の剣士様って所か。……クライン、事情は分からんが……何か隠してんなら、話してやれよ」

「……けど、よォ…」

「それとも、やっぱりオレが居たらマズイ話だったか? だったら外すぜ」

「い、いや大丈夫だ旦那ッ……居てくれていい」

 

 気遣う笑顔で席を立ちかけたエギルを引き止めるクラインの顔は依然として暗い。エールで唇を湿らせて一拍置いた後、長い溜息をついてから、観念したように顔を上げた。

 

「……確かに、そうだな。別にハナから隠すつもりはてんで無かったし、どの道…遅かれ早かれ『この噂』を知った時点で、キリトには近い内に話すつもりだった」

 

 そして、あまり口にしていなかったタンブラーの残りを一気に煽ってから……焦点の合わない目でテーブルの中心を真剣に見つめながら、短く呟いた。

 

 

「――《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。」

 

 

「「……………」」

 

 たったその一言で、今度は俺達が沈黙する番だった。俺は表情を凍りつかせ、エギルも席に再び座りかけの体勢で静止していた。 

 《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。ラフコフという略称でも名が知れ渡ったSAO史上最悪最凶のPKギルド。かつて俺が、相手が殺人者とはいえ……俺と同じ血の通った人間のプレイヤーを斬り伏せた感触が両手に蘇り、背骨が氷柱に入れ替わったかと錯覚するほどの悪寒が全身に走る。

 

「この件に、ラフコフが関わっている可能性が、あるんだ……。しかも厄介なのは……それだけじゃない」

 

 エールで潤したはずのその声は乾いており、途切れ途切れに言葉が続く。

 

「二人共、じゃあ今度は……これもまだほとんど知られてないが……《死神事件》って噂は、知ってるか……?」

 

 その物騒な名前に再び軽い寒気を抱きながら、俺は「いや……」と答える。エギルもイスに身を沈め、同時に深く溜息をつきながら首を横に振った。それを見たクラインは、気を持ち直すようにバンダナをギュッと締め直した。

 

「……だろーな。最後のユニコーン発見の噂もまだ数十人と知らないネタだが、死神事件っつーのは、その尾ヒレでついてきやがった、知る人ぞ知る……怪事件の噂だ」

 

 それからクラインは声色を変えず、淡々と俺達に詳細を告げた。

 

 

 《死神事件》。

 それはつい先日、第一階層《はじまりの街》にて、ミストユニコーン最後の一体を発見したと自称する、とあるギルドパーティーの一団が街に逃げ込んできたのが事の発端だという。

 彼らは最前線攻略にも参加する歴戦の戦士達だったにも関わらず、ひどく傷ついておりパニック状態に陥っていたが、街の宿で保護されているうちに少しずつ何が起こったか、彼らを保護した者や他のギルド員に断片的に話し始めた。

 彼らの話を要約すると――幻のミストユニコーンを発見した直後のことだ。まるで、死神のような……漆黒のマントとフードで顔と姿を隠し、恐ろしい程に長大な大鎌を手にした謎のプレイヤーがいきなり襲い掛かってきたのだそうだ。不意打ちで大勢が痛手を受けたが、数で圧倒的に勝る此方が体勢をどうにか立て直し、やがて謎の襲撃者のHPバーを半分近くまで追い詰めるまでに戦局を変えることに成功していた。これで相手を退けることが出来ると思っていたのだが……死神装束が武器を構え直したかと思うと――見た事も無いほどの激しいステータス上昇エフェクトを迸らせながら、HPバーまでもが見る見るうちに右端まで全回復したという。そしてパーティー全員を瞬く間に圧倒し、彼らは逃げ回る中なんとか全員が転移結晶でワープする事に成功。それから命からがらホームタウンがある第一層まで遥々逃げてきたのだ――と話した。

 その後も似た事件が続いたそうだ。今度は突如、とある街の一角に《回廊結晶》によるものと思われる光の渦が出現し、そこから同じく傷付き逃げてきた戦士達が出てきたという。またある時は《軍》の本拠地である黒鉄宮前に同じ物と思われる光の渦が出現、瀕死に加え麻痺状態にまでなっていた犯罪者プレイヤーが次々と吐き出され、軍によってそのまま捕縛、投獄された。

 その者全員が口を揃えて死神装束の姿を目にしていた事などの情報から、犯人は『ミストユニコーンの恩恵を独占しようと企む、習得者が既に居ない筈だったエクストラスキル《大鎌》を操る犯罪者プレイヤー』と断定。その大鎌使いはその風貌からそのまま《死神》と呼称され、その危険性から《笑う棺桶》と関連のある可能性も踏まえ、早急な対処が望まれている……

 

 

「――ってな内容だ。キリトには、ユニコーン討伐も兼ねてこの死神野郎を調査して貰いてェ。言っとくが、あくまで『調査』だけだ。なんてったって、ラフコフの生き残りの可能性が……」

「いや、その可能性は無い」

 

 俺はキッパリと遮った。

 訊きたい事は多いが……現状までの話を聞くに、少なくとも死神はラフコフに所属する生き残りではないという確信が俺にはあった。それは、かつて俺がこの中で唯一ラフコフとそのリーダーに対峙した故あっての事なのだろう。

 案の定、二人共「何故そう言い切れる?」と顔で問いかけて来るので、俺は手で作ったピストルでこめかみを押さえながら答えてやる。

 

「簡単さ。……ヤツは話の中では一度も《殺人》をしていない。相当な力と殺意を持って幾度と無くパーティを襲っているのに、被害者全員が生存しているってのはどう考えたっておかしい。ヤツはプレイヤーを襲う犯罪者ではあっても、PK――レッドプレイヤーじゃないんだ。もしヤツがラフコフのメンバーだったら、誰一人逃がさずに殺してる」

「なるほど……」「確かにそうだな……」

 

 同時に納得する二人に、俺はそのピストルを向けた。

 

「何度も襲撃しておいて一人も殺していないってことは……たぶん、今までも人を殺した事がない……いや、殺せずにいるオレンジプレイヤーなんだろうが……だからといって安心も出来ない。もしかすると、ラフコフの生き残りから死神への入団の勧誘があるかも知れない。――その死神とやらの、不気味なまでの……外見、強さ、行動の危険性、不可解さ……」

「……ああ。死神の謎は多いが、アイツらがただ指を咥えて放っておくはずが無い。ラフコフも一度崩壊して有能な人材を欲してるだろうし、もしくは……組織に有害な人物は早めに消しておきたいとも思ってるだろうしな」

 

 最後にエギルが俺の言葉を引き継ぎ、皆で頷いた。

 ここで一度、《笑う棺桶》の話題を出してしまった事による気まずさを払拭するように、三者三様に料理に舌鼓を打ち、喉を潤した。

 ………

 ……

 …

 

「ったく……俺が話しておいてなんだが、本当に不甲斐ねェ話だ……。ユニコーンの討伐ってのは建前で、それを狙うタダでさえ危険なヤツいて、しかもソイツがラフコフに関わる可能性まであるからテメーじゃ歯が立ちませんっつって、終いにゃ腕の立つダチに調査を頼み込んで危険を承知で向かわすなんてよ……笑えねェ……」

 

 クラインは空になったグラスに今度はウィスキーをストレートで注ぐ。トクトクと優雅な音が流れるも、その表情は悔しげだった。

 

「……実はな、最初の被害にあったギルドは、俺や俺のギルメンのダチも多く所属してる友好ギルドなんだ。だから良く知ってるぜ、アイツらは嘘なんてつかない良いヤツらだってな。……だから死神は実在するし、俺はアイツらを傷つけた死神が許せねぇ……!」

 

 グラスを持つ手とは反対側の手がギリリ、という音が此方にまで聞こえて来るまで強く握り締められる。が、不意にその手が緩んだ。

 

「……けどよ、俺が敵討ちに行こうにもよ……ギルメン全員に涙目で引き止められちまってよ。それでも行こうとしたけどよ……でも引き止める方の気持ちも分かっててさ……。だって仕方ねェよな……俺よりもレベルも武器の扱いも上だったアイツらが、コテンパンにされて虫の息で帰って来てんだ。情け無ェ話、そんな時に皆で相談して白羽の矢が立ったのがキリト、手前って訳よ……。――ダチの敵討ちをダチに頼むとか、マジで笑えねェッ……何一つ出来ねぇ俺ッ、マジで、情け無ェッ……」

 

 込み上げる嗚咽を堪えるように話しながら、とうとうクラインは二杯目のグラスを一気に空にし、カランと氷を鳴らす。その伏せられた眉間には悔しさと申し訳無さで深い皺が刻まれ、金壷眼の瞳は細かく揺れて少し濡れている様だった。

 

「まったく……お前もバカだな、クライン。それは情け無いんじゃなくて、それでも……ちゃーんと『ダチ想い』って言うんだよ」

 

 エギルはいつになく柔らかい声色で、クラインのグラスにおかわりのウィスキーを注ぐ。そのよく通る優しいバリトンは、五月蝿いはずだった店の喧騒を遠いBGMに変えてしまう。

 ――クラインもだけど……エギル、お前も大概だよ。

 と、密かに心の中で、この二人と友人であることを誇りに思いながら、クラインが落ち着くまで間を空けてから口を開いた。

 

「……事の成り行きも分かったけど、もう一つ事件の話を聞いてからずっと気になってたんだ。話の中にあった《大鎌》って一体……」

「そいつは、オレが説明してやろう。その件はオレも良く知ってるからな」

 

 俺の言葉には、クラインを気遣ってか……エギルがすぐさま答えてくれた。

 

「《大鎌》……十数種あるらしい《エクストラスキル》の一つだな。今ではエクストラスキルも大分解明されて来たから、大体どれも最低十人以上は習得者が居ると聞いてる。……ああ、KoB団長様の《神聖剣》は別だがな」

 

 それを聞いて、ヒヤリと冷や汗が流れる。……そう。その《神聖剣》と、密かに俺が持つ《二刀流》は俗に言う《ユニークスキル》と呼ばれる、習得者が一人しか居ないスキルなのだ。バレない分かっていても、冷たい感触が走るのは仕方が無いというものだ。

 

「だが、中でもこの《大鎌》は習得者が最も少なく、今ではこのスキルを使う者はゼロとさえ言われてんだ」

「何故だ?」

「理由は3つある」

 

 エギルは掲げて見せた握り拳から三本の指を突き出した。

 

「一つ。習得条件として《槍》《斧》《戦槌》《棍棒》など、棒タイプの両手武器スキルを複数、ある程度熟練していること」

「もうそれだけでかなり数が絞られるな」

 

 戦闘スキルを鍛え育成していく際、メインとなるそれぞれの武器スキル、それにサブとして短剣や投剣、ピックなど小さな武器の二つにスロットを絞り、集中して重点的に育成していくのがセオリーである。もちろん、他のMMORPGにも見られるようにスキル育成において例外や個性というものがこのSAOにもあり、様々な武器を試したいが故に浮気性に鍛錬する者も多くいるが、わざわざ複数の棒状の両手武器を、マスタークラスに迫るまで習得しているものはかなり稀だ。これで該当する職を挙げると数える程しかないが……

 

「二つ。防御力に優れたステータスでなく、重鎧や盾を装備していないこと。もしそれらの防具を装備してると、スキルを発動出来ないどころか大鎌を装備することすらも叶わんらしい」

「さらにタンクの線も消えたか」

 

 つい先ほど予想していた、タンク……つまり壁役のステータスでもないとすると、いよいよ数が際限無く限られてくる。

 普通、両手武器は片手武器よりも振る速度が遅く、ほとんどの物はかなり重い為に相応の高い腕力を必要とする上、さらに剣でなく棒にもなると、連続攻撃の合間にも反撃を許しやすい程の扱い辛さも持つ想像以上にアクの強いジャンルだ。タンクは役職上火力を必要としないので、様々な敵に対応できるように複数の武器スキルを習得することもあるが、重鎧や腕に付けるバックラーも着込めないとなるとこの線も消える。中には防具のみを頼らず武器でのパリィ防御で前線を維持するタンクも存在するが、彼らとて鎧や盾の一つは必ず装備する。装備しないメリットが、防御職である彼らには存在しないからだ。

 長槍などの中・遠距離からの火力支援型のケースも考えたが、こちらもダメだ。何故なら、防御や敏捷も必要とする前線火力職以上に純粋に火力を第一に要求される職が、メインの棒武器の鍛錬を他所に、別の棒武器スキルをメインに迫るまで上げる事も考えにくいからだ。結果、複数の両手武器を修練するメリットは、ほぼタンク専用にあると言ってもいい。

 つまり、この条件をクリアする該当者の大まかなステータスは、こうなってしまう。

 それぞれ扱いに一癖も二癖もある棒武器を、火力を犠牲にしてでも最低2種類以上は精通し、両手が塞がる重い武器を抱えながら、いつ肉薄され攻撃されるか分からないアクシデントに対して、頑丈な盾や鎧に頼る事も無いという実に辺鄙(へんぴ)なビルドになるのだ。結果だけ見れば、セオリーも何もあったもんじゃないトンデモな失敗ステータス配分である。仮にも命が掛かったデスゲームの只中に居る中、こんなビルドで本当に大丈夫かと此方が心配になる程だ。それこそ、一万人中習得者がわずか十人程度という話も頷ける。

 

「ははは。出かける前に、そいつらに会ってどうしてそんなビルドにしたのか聞きたいな。……それで、三つ目の条件はなんだ?」

「三つ目は……あー……いや、これは条件というよりも……その、なんだ……」

 

 そこでエギルは指を立てていた手を降ろし、茶を濁すように目を逸らして気まずそうに身じろぎをした。

 ――ジジジッ……

 不意に、後頭部がチリチリと微かに焦げたような錯覚――嫌な予感がした。俺はそれを表に出さず、あえて微笑を浮かべて先を促した。

 

「なんだよ、焦らすなよエギル」

「ああ、悪い……。俺の情報屋――《鼠のアルゴ》がな、かつて《大鎌》習得者の人数確認の為に、その全員とフレンド登録していたそうなんだが……その、ソイツ曰くだな……」 

「《大鎌》使いが一人も居ない原因の三つ目。それは――」

 

 それでも口篭るエギルの言葉を上書きしたのは、未だに沈痛な面持ちをしたクラインだった。それを見た俺は、半ば強がりで浮かべていた微笑も浮かべる気も失せ、増徴を続ける嫌な予感の裏切りをただただ期待して次の言葉を待った。

 ――だが、出てきた言葉は……俺の淡い期待であった悪い予感の裏切りを裏切るものだった。

 

 

「――習得者だった十人のプレイヤーは全員、原因不明の怪死を遂げた」

 

 

「……………え?」

 

 カン、カララン……と何度目かの空になったグラスがテーブルを叩き、中の氷が踊る音だけが響く。

 その瞬間から、BGM同然に聞こえていた店の喧騒は大音量のノイズとなって、俺の耳に雪崩れ込んだ。

 

 


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