二体のキング・クリムゾンが激しい音を立てながら拳をぶつけ合う。今のところ、力と速さは互角だが本体であるディアボロとなのはの消耗具合には明確な差が現れていた。なのはは疲労していることを隠すために意図して無表情を維持してるが、流れ出る多量の汗までは誤魔化せなかった。
なのははこの日だけでリゾットとチョコラータという強敵たちと渡り合っている。それに加えて足や脇腹に負った怪我はジョルノが治療したとはいえ、消耗した体力は回復しきっていない。スタンドは精神力がものを言うが、行使するには相応の体力を消耗する。
一方でディアボロには余力があった。時飛ばしも先程の戦闘以外では使っていないため体力は多分に残っている。肉体も一般的な範囲内だが鍛えているため、スタミナもなのはと比べると遥かに優れている。
10秒ほどの殴り合いでディアボロは自分が有利だと見抜いたのか、少しだけ警戒を緩めて口を開いた。
「我がキング・クリムゾンと瓜二つのスタンドを出してきたときは驚いたが……どうやら、キサマはそのスタンドを使いこなせていないようだな。どうした? たったこれだけの殴り合いで、もう息が上がっているぞ?」
「そっちこそ、未来が見えなくなって焦っているんじゃあないのか?」
「なにを──ッ!? クソッ! キング・クリムゾン、時間を吹きとばせ!」
なのはに意識を割いていたディアボロは、闇夜に紛れて自分の足元に多種多様な毒ヘビが近づいていることに気がついて時間を飛ばした。ジョルノは周辺に落ちている物を片っ端から生物に変えてディアボロに向かわせていたのだ。
スタンド能力で生み出された生物であろうと宮殿の内部では無力である。先程まで自身が立っていた場所を噛みつこうとしている毒ヘビたちの動きの軌跡を、ディアボロがすり抜ける。そのままディアボロはジョルノを始末するために移動しようとしたが、なのはに阻まれてしまった。
立ちふさがってきたなのはのキング・クリムゾンがディアボロを攻撃する。ディアボロはキング・クリムゾンを使って防ごうと動いたが、両者の拳はぶつかることなくすり抜けてしまった。両者ともに苦々しい顔をしながら距離をおいて時間が再始動する。
「時が消し飛んだ空間の中では、同じスタンドを使える人間同士ですら干渉はできないか。予想していたことではあるが……いささか面倒だな」
「……やはり、おかしい。てっきり
再び襲いかかってきた毒ヘビをキング・クリムゾンで踏み潰しながら、ディアボロはなのはに問いかける。殺された毒ヘビたちは元となった石ころやガラクタに戻っていく。常人相手なら命の危機に陥るであろう獰猛な毒ヘビたちもキング・クリムゾン相手では無力だった。
ジョルノはスタンド能力が成長したことで生み出した生物の行動を自分の意志で操作できるようになった代わりに、生物が受けたダメージを攻撃した相手に反射する能力を失っていた。精神が成長することでスタンド能力が変化することは多い。康一のように過去の能力を全て使えるほうが珍しいのだ。
「……わたしは『矢』をジョルノに奪われて敗北した『未来』のおまえ自身だ。わたしはおまえという未熟な過去に打ち勝って、人として成長するためにここにいる」
「オレが……この未熟な新入りに負けるだと? そもそも、おまえが『未来』のオレ自身だとして、なぜブチャラティたちと協力している。パッショーネをオレから奪おうとしているのかッ!」
ディアボロの問いかけを聞いたなのはは冷淡な視線を向けながらも重々しく口を開いた。なのはの答えを聞いたディアボロは作り話だと思って切り捨てはしなかった。しかし、相手が『未来』の自分自身だったとしてもディアボロは手を結ぼうとはしないだろう。
帝王として裏社会の頂点に君臨しているディアボロには相応のプライドがある。自分と同等の才能の持ち主を味方にできれば心強いだろうが、帝王の椅子に座れる者は一人しかいない。
仮に今の自分が同じ立場になった場合、間違いなく組織を奪い返そうとすると考えたディアボロはなのはの目的を誤認した。なのははブチャラティたちと協力してパッショーネを乗っ取った後、彼らを排除してパッショーネを完全に支配しようとしているのだと思ったのだ。
「わたしが……オレが本当に求めていたのは人並みの幸せだ。今ならまだ引き返せる。トリッシュを殺そうとした事実は消えないが、わたしと同じ結末を辿らずにすむ道は残されている」
「そんな世迷い言を、このディアボロが信じると思っているのかッ! オレは帝王だ。オレが目指すものは絶頂であり続けることだ。人並みの幸せだと? くだらないな。オレが求めているのは、そんなものでは断じてないッ!」
ディアボロには想像できない。無数に積み重なった死の経験によって帝王としてのプライドが完全に打ち砕かれる未来を。自分自身が本当に追い求めていたものの正体を。なのはがパッショーネの内部抗争に介入した本当の理由を。
なのはがどれだけ言葉で言い表そうと、ディアボロがそれらの事実を理解することは決してない。無駄だと分かっていたが、それでもなのははドナテラとの約束を果たすためにディアボロを説得しようとした。
根本的な部分で二人の考え方は分かれてしまっている。過去は同じ人物だったが、なのはとディアボロはあり方が変わりすぎてしまった。もはや説得はできないと割り切ったなのはは、ジョルノに目配せして攻撃の合図を送った。
「ゴールド・エクスペリエンス、新たな生命を生み出せッ!」
「ヘビの次はハチか。だが! どれだけ毒性のある
ジョルノが生み出したのはモンスズメバチというスズメバチの一種だった。本来ハチは夜は活動しないのだが、この種だけは例外で夜も活動するという特徴がある。しかし、30匹あまりのハチを使ってもディアボロに攻撃は通らなかった。
時間を飛ばして立ち位置を変えたディアボロは、ハチの群れの側面に移動して宮殿を解除した。そのままラッシュを放って、あっという間にハチの群れを壊滅させてしまった。
ディアボロのキング・クリムゾンによって叩き落されたハチは紙から作られていたようで、周囲に大きな紙片が飛び散っている。空中に散らばった紙片の隙間を縫うように近づいてくるなのはを攻撃するため、ディアボロは向き直る。
「これで終わらせてやる、ディアボロッ!」
「終わるのはキサマのほうだ、ナノハッ!」
交差するように両者のキング・クリムゾンの拳が双方の頭部に叩き込まれる。一瞬の沈黙の後、頭から血を流してなのはが崩れ落ちた。ほんの一瞬だけディアボロのキング・クリムゾンのほうが早く届いていたのだ。
体力を消耗していたなのはのキング・クリムゾンは、ほんの僅かにだが動きが鈍っていた。基礎能力に差が無いからこそ、その僅かな差が命運を分けたのだ。
「やはり、真に頂点に立つのはオレだったッ! オレは運命を乗り越えて『矢』を手に入れ──ッ!?」
血を流して地面に横たわっているなのはの息の根を止めるため近寄ろうとしたディアボロが膝をつく。ディアボロは急に足に力が入らなくなったことに驚いて目を見開きながら自分の体を確認している。ディアボロが体勢を崩したのは当然だった。
彼の右腕や右脚が『本』のページのようにめくれ上がって分解されていたのだ。スタンドも同様に分解されているディアボロは立ち上がることができない。そんなディアボロに追い打ちをかけるように状況は変化する。
頭から血を流して倒れていたなのはが立ち上がったのだ。なのははディアボロの攻撃を完全に食らったわけではなかった。当たる寸前で右腕が『本』になったため、浅く攻撃を受けるだけで致命傷を回避していた。
「まだだッ! 時間を飛ばせばスタンド能力の影響からは
「時間を飛ばせないのは当然だ。ぼくがインクを飛ばして『スタンド能力が使えなくなる』という命令をすでに書き込んであるからな」
驚き戸惑っているディアボロの疑問に物陰から現れた頭にバンダナを巻いた黒髪の男──岸辺露伴が答える。彼は不機嫌そうにディアボロを見下ろしながら追加で『手足が動かせなくなる』という命令を書き込んで動きを完全に封じた。
露伴のスタンド──ヘブンズ・ドアーが発動した理由はジョルノがハチに変えていた紙にある。露伴が不機嫌になっている理由でもあるそれは、彼が作戦のために提供した1話分の読み切り原稿だった。
スタンド能力が成長したことで露伴はスタンドのヴィジョンで相手に触れるか、指を走らせて空中に描いた絵を相手に見せるだけで能力を発動させられるようになった。だが、康一にヘブンズ・ドアーを食らわせたときに使った漫画の原稿を見せることで『本』に変える能力も残っていた。
ディアボロはハチを破壊したことで空中にばら撒かれた原稿の切れ端の一コマを目にしてしまったせいで、ヘブンズ・ドアーの発動条件を満たしてしまったのだ。
都合よく露伴が現れたように見えるが、実のところ彼はフーゴと共にブチャラティと承太郎がディアボロと戦っているときからコロッセオのすぐ側で待機していた。
直接戦闘に強いとは言えない上、エピタフで能力を回避される可能性が高い露伴と、『殺人ウィルス』で無差別に攻撃してしまうフーゴでは足手まといになると考えて様子を見ていたのだ。
露伴がなのはと承太郎に黙ってイタリアに来ていた理由の半分は創作意欲を満たすためだったが、残りの半分はノトーリアスに対処する手段と保険として予備戦力を用意するためでもあった。
なのははディアボロがカルネを市街地で運用するとは思っていなかった。また、露伴の面倒な性格をよく理解しているため、計画に組み込もうとしていなかった。露伴はなのはの考えをよく理解していたが、同時にヘブンズ・ドアーでノトーリアスを無力化できるのではないかと考えていたのだ。
実際に露伴は宿主が死んだ後、他の人間に取り憑くチープ・トリックにヘブンズ・ドアーの能力を発動させたことがある。もし効かなかったときに備えて、途中でブチャラティチームから離脱したフーゴも情報を与えることで味方にしていた。
「せっかく描き下ろした原稿をバラバラにされたのはムカつくが、それだけの価値はあったか」
「……おまえが協力してくれたおかげで助かった。それについては礼を言おう。だが……パパと康一を巻き込んだ件については許したわけじゃあないからね」
地面に落ちた紙片を指先でつまみ上げた露伴が眉を寄せながらため息を漏らす。そんな露伴に対してなのははイタリア語で礼を述べた後、日本語で抗議していた。露伴の行いは結果的になのはたちを助けたが、最悪の事態になっていた可能性も十分にあった。理屈はともかく感情では納得できていなかった。
普段の露伴なら自分の作品を破壊することが前提の作戦に協力するはずがない。好奇心だけでこの場に現れたわけではなく、なのはと承太郎の手助けをするためという理由があったからこそ、露伴は原稿を使い潰す作戦に協力していた。露伴は大人げない負けず嫌いだが、恩を仇で返すような性格ではないのだ。
身動きを封じられ、口と目ぐらいしか動かせないディアボロは
「どうやら、そっちはうまくいったようだな」
「……やっと対面することができたわ。あんたが……あたしの父、なのね」
「おまえさえ……トリッシュ、
スタンドを出したままディアボロを警戒している承太郎が『本』になっているディアボロを眺めながら帽子を被り直した。ブチャラティチームに加えて、露伴が用意した増援も含めると10人以上のスタンド使いにディアボロは取り囲まれていた。
なのはの隣へ移動したトリッシュがディアボロに問いかける。追い詰められて焦燥しているディアボロは、うわ言のように焦点の合わない目でトリッシュをぼんやりと見ている。
「ボス……あんたは自分ひとりのために人々の心を裏切り続けてきた。これはその報いだ」
「報い、だと? オレは……オレはッ! この世の運命は我がキング・クリムゾンを頂点に選んだはずなのだ……こんなところで終わったりなどしないッ!」
「なんだとッ!? ヘブンズ・ドアーの命令は解除されていないはず……まさかッ!?」
ブチャラティの言葉に怒りを露わにしたディアボロは命令で動かせなくなっているはずの腕を動かして、強引に命令が書き込まれている部分の『本』を引きちぎった。ヘブンズ・ドアーの能力は絶対だと思っていた露伴は
ディアボロはもう一つの人格であるドッピオにヘブンズ・ドアーの命令を押し付けて無理やり体を動かしたのだ。しかし、命令が書き込まれている『本』を無理やり引きちぎった代償は大きかった。ディアボロは自分だけが助かるために、ドッピオの魂ごと『本』を引きちぎってしまったのだ。
絶対的なヘブンズ・ドアーの支配から逃れるためにはそうせざるを得なかったとはいえ、ディアボロの決断は自らの絶対性を捨てるのと同意義であった。そうとは知らずにディアボロは時を飛ばしてこの場から脱出しようとした。しかし、ディアボロが逃げることはできなかった。
「ドッピオだけでも何とかできないかと考えていたが……うまくいかないものだな。だが、これでキサマを殺すのに
「この……便器に吐き捨てられたタンカスがッ! オレの邪魔をするんじゃあないッ!」
再起を図ることができると信じて逃げようとしたディアボロだったが、なのはが飛ばした血の水圧カッターで太ももを大きく切断され足止めされてしまった。唯一の例外であった血液は同じスタンドを使う本体同士であっても有効だったのだ。
それでもなお、
追撃が来ないことに疑問を覚えながらも、ディアボロは『矢』を手にして逆転する可能性に賭けていた。しかし、ディアボロより先に『矢』を確保するために動いていた人物がいた。
「『矢』を手にするのはボス、あんたじゃあない。ゴールド・エクスペリエンスッ!」
「させるかァ────ッ! キング・クリムゾンッ!」
ディアボロより一足早く回り込んでいたジョルノは、ゴールド・エクスペリエンスに握らせた『矢』をスタンドの胸部に突き立てようとしていた。ポルナレフが持っていた『矢』のシャフトをネズミに変えて追いかけていたジョルノが、ディアボロより先に『矢』を回収していたのだ。
突き立てようとしている『矢』を止めるべく詰め寄ったディアボロがキング・クリムゾンでゴールド・エクスペリエンスの頭部を強打した。衝撃でゴールド・エクスペリエンスがひび割れたことでディアボロは口角を上げるが、数秒後には自分が間に合わなかったのだと実感することとなる。
ディアボロが砕いたのは、レクイエムへと進化する過程で生まれた外殻だったのだ。慌てて追撃を放つディアボロだったが、攻撃は脱ぎ捨てた外殻にしか当たらなかった。
スタンドがレクイエムになったことで得た溢れ出るスタンドパワーによって空中に浮かんでるジョルノを、ディアボロは呆然と見上げることしかできなかった。
誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。