艦長と二名の執務官による本格的な事情の聞き取りは、なのはの体調が回復するまで延期となった。
アースラの医務室でリンカーコアの過剰使用と魔力ダメージの蓄積と診断されたなのはが、用意された個室のベッドに横になるなり意識を手放してしまったためだ。
なのはと共にアースラに搭乗していたユーノとジュエルシードに関する事情をよく知っている恭也、未知のスタンド使いを警戒して同行している億泰の三名はベッドで小さく寝息を立てているなのはを見守っていた。
フェイトとアルフは一度、時の庭園に帰った後にプレシアと共にアースラに搭乗する手筈となっている。
「こうして改めて見てみると、寝顔はそこら辺のガキと変わらねえよなあ」
椅子に腰掛けて腕を組んでいる億泰がまじまじとなのはの寝顔を眺めながら、思っていることをぽつりと口にした。
なのはと億泰は面識こそあるものの個人的な付き合いはあまりなく、イタリアンレストラン『トラサルディー』か翠屋、もしくは町中で時たま顔を合わせる程度の関係だ。
むしろ不良と小学生にプライベートの付き合いがある方がおかしい。
社会人なのに執拗になのはを取材している露伴は例外である。
そんな億泰がなのはに対して持っているイメージは、天使の皮を被った悪魔で固定されている。
見かけこそ少しだけ目付きが鋭い小学生だが、本性は裏社会を支配していたギャングのボスの生まれ変わりなのだ。
今でこそ平常時は歳相応の言葉遣いと態度を見せているが、億泰が対面した当時は言葉では言い表せない不気味な雰囲気と凄みを漂わせている子供だった。
「なのはは僕と同年代のはずなのに随分としっかりしていますからね」
「おめーだって人のこと言えねーだろ。育った環境が違うってのはわかるが、異世界のガキはどいつもこいつもそんなに大人びてるもんなのか?」
「そんなことないですよ。自分で言うのもなんですが同年代の人たちと比べると、僕は落ち着いているほうでしたから」
ユーノが知っている同年代の人間の中には多少大人びている者も居たが、基本的に地球と大差がない。
魔法学院の修士課程を一年程度で終わらせて、部族の長に成人と同列に扱ってもらっているユーノが異例なのだ。
そんなユーノからしてみても、なのはは精神的に成熟しているように見えた。
日常と戦闘で別人のような二面性を見せるなのはが、ただの子供ではないことはユーノも薄々感づいている。
初めて触れる力に対して極僅かな時間で落ち着きを取り戻す冷静さと、敵に対して微塵も物怖じしない度胸を管理外世界の一般的な子供が持っているとは思えない。
最初はスタンド使いだからだと思っていたが、仗助や億泰、康一などと会話を交わす度にユーノは違和感を覚えていた。
スタンド使いという点では彼らとなのはは同じなのだが、生きていた世界が違うような印象を受けたのだ。
いまだに本心を見せてくれないなのはのことを考えながら、ユーノはレイジングハートを手に取り管理局に提出するための資料を纏めることにした。
半日ほど経過して体力が回復したなのはは、クロノに先導され艦長が待っている一室に案内されていた。
明かりの光をうっすらと反射しているリノリウムのような材質の暗緑色の床と、デザイン性よりも利便性に考慮された灰色の内壁から連想する印象は、SF映画に出てくる宇宙船というよりもホテルに近いものだった。
(もう少し機械的なものを想像していたが、どうやら管理局はわたしの予想よりも遥かに高度な技術を持っているようだ。火星の土すら踏めていないNASAの研究者が見たら腰を抜かすだろうな)
現実味のわかない光景に感慨深い気持ちになっていると、道案内をしていたクロノが歩く速度をゆるめてなのはたちに目的地についたことを伝えた。
クロノが入り口の正面に立つと、内装と同質の材質で作られたスライド式のドアが中央から左右に分かれ静かに開かれる。
その先に広がっていた光景に、なのは、恭也、億泰の三人は思わず目を見開いた。
無機質な部屋に植わっている桜の木と風も吹いていないのに舞い散る花びら、風流な音を打ち鳴らす鹿威し、段々畑のように流れ落ちる水、野点の際に用いられる野点傘と小道具が並ばられている。
これで背景が日本庭園ならば違和感はなかったのだろうが、灰色の壁と巨大な窓から見える様々な色が揺らめく次元空間の風景がすべての雰囲気を台無しにしていた。
そんな部屋の中央に敷かれた
プレシアがリンディと向かい合うように座り、その隣にフェイト、後ろにアルフが控えている。リンディの隣にはM・ティムが胡座をかいており、アルフも正座がつらいのか足を崩していた。
温和な笑みを浮かべているリンディとは対照的に、プレシアは無表情で話を進めている。だがプレシアの顔色は昨日までの半死人のような蒼白ではなく、かなり血色が良くなっていた。
その原因は昨日の戦闘後、プレシアが杜王町に訪れていたことが関係している。
アースラに搭乗する前になのはは、念話でプレシアに、電話で一人のスタンド使いに連絡を取っていた。
その相手は行きつけのレストランの店主、トニオ・トラサルディーという男だ。
トニオのスタンド、パール・ジャムには一切の戦闘能力がない。
元来、争いとは無縁の性格をしている彼が望んでいたのは、故郷で待っている彼女の病を癒す力だった。
その結果、彼は自分が作った料理にスタンドを潜り込ませ相手に食べさせることで、食べたものの体調や病を回復させるスタンド能力に目覚めた。
常連客のなのはとは、イタリアとフランスでパティシエの修行をしていた桃子とトニオが顔見知りだったことと、共にイタリア語が話せることから個人的な交友を結んでいる。
本来は早いうちに店を閉めてしまうのだが、なのはの頼みを快く引き受けたトニオは営業時間外にもかかわらず、店を開けておいてくれた。
トニオが作った料理を食べれば病気が治るかも知れないとなのはに聞かされたときはプレシアも半信半疑だった。
更にはフェイトはおろかアリシアも同伴させるなと念押しされていたのも気にかかっていた。
その理由は実際に料理を実際に口にすることで明らかとなる。
プレシアはいずれ死に至る病に侵されていたが、その病そのものは決して不治の病ではなく、適した治療さえ受ければ完治する病だ。
あまりにも症状が進行しており合併症も現れていたが、幸いにもパール・ジャムで治せる範囲内だった。
問題があるとすればパール・ジャムの能力で悪くなった部分が治る際の治り方が特殊な点にあった。
目が疲れているのなら眼球がこぼれ落ち、虫歯が生えているのなら歯が銃弾のように飛び出し一瞬で生え変わり、腸の調子が悪ければ腹が裂け内臓が飛び出す。
傷跡はおろか違和感すら感じずに綺麗に治るのだが、その光景がグロテスクすぎるため、なのははフェイトとアリシアを同伴させないように注意していたのだ。
『トニオさんの料理は美味しかった?』
『味は文句のつけようが無かったけれど、喉元から胸元まで体が裂けて内臓が出てくる料理なんて初めて食べたわ』
開口一番になのはが念話で感想を聞くと、恨めしそうな声色でプレシアが返事を返した。
相も変わらずそっけない女だと思いながら、なのははプレシアの隣に座り正面に座っている艦長と思わしき女性と向き合った。
一見すると二十代半ばの若い女性だが、艦長という役職に就いていることから見かけどおりの年齢ではないだろうとなのはは推測した。
隣に座っているプレシアも血色が良くなったおかげか外見だけなら三十代半ばに見えるため、管理世界の女性は外見で年齢を計ることができないというイメージがなのはの中に生まれていた。
「他の皆さんとは一度顔を合わしてみますが、改めて自己紹介させてもらいますね。初めまして、なのはさん。私がアースラの艦長を任されているリンディ・ハラオウンです」
「オレの名前はマウンテン・ティム。お嬢ちゃんの世界では馴染みがないかもしれないが、執務官という役職に就いている。大層な役職名だが、要するに融通の聞く便利屋だと思ってくれればいい」
「クロノ・ハラオウンだ。僕も彼と同じく執務官をやらせてもらっている。それとマウンテン・ティム執務官、誤解を生むような発言は控えてくれないか」
鋭い目つきで睨みを利かせているクロノの視線を悠々と受け流すM・ティム。
生真面目な優等生とそれなりに経験を積んだ少し不真面目な兵士というイメージがしっくり来る二人だが、軍人という印象はあまり感じさせない。
挨拶はそのままつつがなく行われ、本題であるジュエルシードについて話し合うこととなった。
とはいえ昨日、なのはが眠っている間にジュエルシード回収についてのデータはユーノが提出しているため、話すことはほとんど残っていなかった。
「散らばった二十一個のジュエルシードのうち、二十個は回収が終わっているのですね。それでは残った一個の回収は私たちが担当します」
「はい、よろしくお願いします」
元々、管理局が来たらジュエルシードについては任せる気だったなのはは、あっさりとリンディの言葉に同意した。
あれだけ探しまわって見つからなかったのだから、人海戦術に頼るほかないのは分かりきっていた。
そもそもアンジェロを処理してプレシアと和解した今となっては、率先してジュエルシードを集める理由はあまりない。
「それと一つだけ君に聞きたいことがある。昨日の戦いで見せた幻術のような魔法は君のレアスキルなのか?」
「魔法ではないとだけは言っておくよ。この力の正体が知りたいのなら、そこのお兄さんに聞いてみればいいんじゃないかな」
「マウンテン・ティム執務官が……?」
思いもよらぬ返答に、クロノの口から疑念の声が漏れ出ていた。
M・ティムがレアスキル持ちだということはクロノも知っており、何度か模擬戦を行った際には、そのレアスキルを使いこなし普通の人間では絶対に不可能な回避法を取られたことは鮮明に覚えている。
だが彼の能力となのはの能力ではあまりにも接点が無さすぎる。
そんなクロノの疑問に答えるように、今まで口を閉ざしていたM・ティムが喋り始めた。
「彼女の能力の正体はスタンドと呼ばれているものだろう。レアスキルにはいくつかの分類があり、その中にスタンドと表される能力が存在している。
スタンドは基本的にスタンドを使える人間にしか見えず、数百万人に一人の割合でしか発現しない特殊な力だ。その上、魔力資質のある人間となるとかなり数が限られる」
「……そんな話、聞いたことがない」
「スタンド使い以外だと、一定以上の経験を積んだ執務官か、ある程度の階級以上の人間にしか開示されない機密情報だからな。おいおい、そう怖い顔をするんじゃあない。この航海が終わったらクロノにも話そうと思っていたんだぞ」
「ごめんなさいね、クロノ。彼に黙っていて欲しいと頼んだのは私なのよ」
止めに入ったリンディの口ぶりからして、彼女もスタンドのことを知っていたのは明らかだ。
仏頂面で文句を言いたげにしているクロノだが、場の空気を乱すわけにはいかないため大人しく引き下がった。
管理局側の話がまとまったのを見計らって、なのははクロノの質問の続きを答え始めた。
「スタンドについての認識は同じようだね。ところで、このアースラにはお兄さん以外のスタンド使いは乗ってるの?」
「いや、オレ以外にスタンド使いは乗ってないな。それよりも、その物騒なスタンドを引っ込めてくれないか。警戒しているのはわかるが、オレのスタンドじゃアンタのスタンドには太刀打ちできそうにない」
「あなたのスタンド能力を教えてくれたら解除してもいいよ」
未知のスタンド使い相手に警戒心を緩めるつもりのないなのはが出した提案。
それは奇術師に手品のタネを明かせと言っているようなものである。
スタンド使い同士の戦いにおいて最も優先されるのは、相手のスタンド能力を見破ることだ。
あえて一部の能力だけを開示することで相手に動揺を誘うこともあるが、それは勝ちを確証しているときなどに限られる。
「いいぜ、教えてやるよ」
まず素直に答えることはないだろうと判断していたなのはは、どうやって相手の能力を聞き出すか策を練っていたのだが、M・ティムは思いもよらぬ早さで即答した。
仗助や康一、億泰といった杜王町在住のスタンド使いに露骨にスタンド能力を隠すような性格の人物は少ないが、まさかM・ティムも彼らに近い人種だとは思っていなかったのだ。
しかし、時を止めることが出来る承太郎のスタープラチナのように、能力がバレてもあまり意味が無いタイプのスタンド使いも少なからずいる。
キング・クリムゾンも能力を見破られないに越したことはないが、見破られていたとしてもあまり意味が無い部類のスタンドだ。
攻撃手段が血の目潰しか近接戦しかない昔ならともかく、魔法が使える今となってはプレシア並みの使い手でなければ対抗策は取れない。
目の前で拳銃型デバイスを腰のガンホルダーから抜いて、くるくるとガンスピンさせているカウボーイ気取り男もその手の類ではないかとなのはは推測した。
「オレのスタンド、『オー! ロンサム・ミー』はヴィジョンを持っていないタイプのスタンドだ。能力は説明するよりも実際に見せたほうが早いな」
《Seil Binden》
M・ティムの
この手のバインドは本来、ユーノが使ったチェーンバインドのように魔法陣から複数伸ばすことで対象を捕捉する魔法なのだが、彼は自分の手で触れられるように魔法を構成している。
一見すると何の利点もないように見えるが、このバインドこそが彼のスタンドの正体だった。
握っているはずの手をよく見ると、赤茶けたロープバインドにみるみるうちに同化していき指や手、腕がバラバラになり伝っていく。
最終的に全身のパーツを事細かに分解して、ケーブルを移動するロープウェイのようにロープバインドを使って移動してみせた。
「見ての通り、オレのスタンドの能力はロープバインドに触れた人間を一体化させることができるだけだ。さて、用心深いお嬢さんの信頼を勝ち取ることはできたかな?」
「可でなく不可でもないと言ったところだね。初対面の人間、しかも異世界人を無条件で信頼するほどわたしはお人好しじゃあない。言われた通りスタンドは消すけど、わたしのスタンド能力は教えないよ」
本当は自分がスタンド使いであることを隠しておきたかったが、相手にスタンド使いがいるのでは仕方がない。
自分がスタンド使いであることを明かしている時点で、なのはからしてみればかなり譲歩しているのだ。
クロノがなにか言いたげな顔をしているが、なのははあえて無視を決め込んだ。
なのは側はプレシアとフェイトという厄介事を抱えているのだから、出せるカードは多いに越したことはない。
助ける義理が無いとはいえ、悲劇的な過去に加えスタンド使いに操られていた可能性が高い人物を放っておけるほど、なのはは冷徹ではなかった。
仗助たちと出会う前なら、このような厄介事に関わろうなどとは考えなかっただろうが、良くも悪くも今のなのはは周囲の環境に感化されていた。
無論、プレシアを助ける理由の中には打算的な考えも混ざっている。
SPW財団からスタンドの情報が盗まれている現状をどうにかするには、時空管理局と関係を持つ必要がある。
魔法についての情報を持っていないSPW財団では、魔導師の侵入を防ぐ手立ては無いからだ。
封時結界で研究施設を覆い尽くされれば、いかなるセキュリティも意味を成さない。
そうなるとほぼ間違いなく、なのはが窓口役として仕立てあげられるだろう。
SPW財団と関わりのある人物で、魔法の才能があるスタンド使いはなのはの他にいない可能性が高い。
ただでさえパッショーネとの縁を切りたいと思っているのに、さらに面倒な立場になる気など少しも持ち合わせていなかった。
そこでなのははプレシアに恩を売り、管理局とSPW財団の窓口役に仕立てあげることにした。
スタンドのことを知っていて、どこにも所属していない魔導師となるとプレシア以上に都合のいい人物はいない。
問題は違法研究の処罰がどれほどのものになるかだが、都合の悪いことは黙っていればいいのだ。
「私たちも無理に強要するつもりはありません。なのはさんが私たちを信用できると思ったときに、話してもらえれば結構ですよ」
柔らかい物腰を見せつつ子供に接するような態度で話しかけるリンディ。
過去の経験からなのはは、この手の相手との交渉が油断ならないことを知っている。
念話でプレシアと口裏を合わせながら、切れるであろう手札の枚数を数え始めた。
事件の経緯やプレシアの過去についての説明を聞き終えたリンディは、大きく頷いて微笑を浮かべながら優しげな声を発した。
「プレシアさんの事情はよくわかりました。できる限り罪が軽くなるようこちらでも尽力いたします」
なのはとプレシアがでっち上げたカバーストーリーの大筋に嘘偽りは混じっていない。
人為的な事故により娘を失ったことで狂ってしまったプレシアが、当時から指名手配されていた次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティにそそのかされクローン技術の研究を進めていた過去と、研究は成功したもののスタンドにより記憶と思考を操作され、正気を失っていたことを赤裸々に明かしただけだ。
最近までプレシアが正気を失っていたのは事実であり、スカリエッティが接触しなければ違法研究に手を出さなかったのも事実だ。
プレシアが少しばかり同情を煽るような演技を加えたのと、なのはがスタンドによる影響が大きいのではないかと主張したが、この程度なら嘘には当てはまらない。
実際にプレシアが正気を失い始めたのはクローン技術が完成した後の話で、DISCがどのような影響を与えていたかどうか検証すらしていないが、そんなものは些細な問題である。
要するにプレシアが正当な裁判を受け、まっとうな立場に戻れればそれで十分なのだ。
(この女がそれなりの地位に就いていることは、親族を選り好んで船に乗せていることから察することができる。
そしてマウンテン・ティムの話が事実なら、スタンド使いは管理世界においても希少な存在なのだろう。
ならばスタンドについて数十年にも渡り研究してきたSPW財団の存在は無視できないはずだ)
なのはは内心でほくそ笑みながら丁寧に頭を下げた。言葉の裏で交わされた交渉は、双方ともに損をしない終わりを迎えた。
有り体に言うと、なのははプレシアの罪を可能な限り減刑させる代わりにSPW財団と管理局の交渉権を提示したのだ。
SPW財団と関係を持っているからとはいえ、なのはの立場は意見できるほど高くはない。真実を知っている承太郎やジョルノは、なのはのことを大人と同列に扱っているが、それ以外の人間からしてみればただの子供にすぎない。
そんななのはが約束できるのは、承太郎の口を通して管理局とSPW財団の幹部を引き合わせるところまでだ。
なのはの口添えがなければ、表向きには総合研究機関として通っているSPW財団に、地球では無名な時空管理局がコンタクトをとるのは不可能だ。
それに加えて、スカリエッティがプレシアに渡していたSPW財団のスタンドに関する研究データの一部をあえて見せることで、SPW財団がどれほどの精度でスタンドを研究しているかをリンディたちに理解させた。
資料に目を通していたリンディの真剣な目つきからして、SPW財団の研究結果が有用だと判断されたのは間違いないだろう。
その実、地球と比べると管理世界でスタンド使いが現れる確率は非常に少ない。
魔法という目に見える超常現象が関係していると言われているが、管理局も詳しいことは分かっておらず、絶対数が少ないためスタンドの研究はあまり進んでいない。
『彼女は本当に約束を守るかしら』
『腹に一物抱えている人間は山ほど見てきたが、あの女からは汚職に手を染めている連中特有の腐臭を感じなかった。女だてらに船を任せられるほどの立場に就いている人間だ。損得勘定ぐらいは出来るだろう』
さすがのプレシアも自身の研究に後ろめたさを感じていたのか、いつもと比べるといささか声色が弱々しい。
一方、なのはは弱みを見せる気配すらなく、堂々とした口調で念話を返している。
本業が研究者のプレシアと比べると、姿を隠していたとはいえ人の上に立っていた経験のあるなのはのほうが、交渉事には長けているのだろう。
悪事に手を染めている人間を数えきれないほど見てきたなのはは、リンディのことを交渉事に長けているそれなりに誠実な女だと判断した。
立場からしていくつかの『抜け道』は持っているだろうが、権限を乱用して悪事を行っているような人間にしてはやり方が回りくどすぎた。
『前々から思っていたけど、あなた本当は見た目通りの年齢じゃないでしょ。こんなにも可愛げのない子供は初めて見たわ』
『酷いよ、プレシアさん。九歳の子供にそんな心にもないことを言うだなんて……』
『急にわざとらしいことを言うのはやめなさい。その変わり身の早さを見ていると、二重人格を疑いたくなるわね』
何気ないプレシアの一言に、なのははほんの僅かだけ片眉を吊り上げた。
彼女の言動は人格を切り替えているというわけではない。
ただ単に物腰の柔らかな喋り方では相手に舐められるので、男性的な口調で話しているだけだ。
家族や友人といった気を許した相手には、普段の子供らしい口調を見せている。
なのはがポーカーフェイスを崩した理由は、未だに引きずっている過去が影響していた。
二重人格という単語を聞いて、かつて切り捨てたもう一つの人格、ヴィネガー・ドッピオのことを思い出してしまったのだ。
過去のディアボロは人の成長は未熟な過去に打ち勝つことだと豪語したが、未だになのはは全ての過去を乗り越えることが出来ていない。
しきりにリンディが薦めてくる角砂糖やミルクが限界まで溶かし込まれた緑茶のような飲み物を押し返しながら、なのはは心の中で交渉が無事に終わったことに対して安堵の溜息をついた。
数時間に渡る聞き取りという名の交渉を終えたなのはたちは、クロノに地上へと送ってもらうこととなった。
プレシアたちは、なのはたちが送り届けられた後に、クロノとM・ティム、そして何人かの武装局員と共に、時の庭園に向かう手筈となっている。
名目上の任務は違法研究を行っていた証拠の捜索となっているが、スカリエッティとの通信履歴の回収が主な目的だ。
「まさかジェイル・スカリエッティの名が出てくるとは……こうなると輸送船の事故もヤツの仕業である可能性が考えられますね」
「プレシアさんに連絡が来たのは、事故が発生してから数日後だったようね。親切丁寧に隠れ家や現地の通貨まで用意されていたとなると、突発的な襲撃ではなくあらかじめ計画されていた線が濃厚……スカリエッティは何を考えているのかしら」
聞き取りに使われていた部屋で緑茶を啜りながらM・ティムとリンディは今後のことについて話し合っていた。
プレシアたちは一旦、客室に戻らされているためこの場には二人しかいない。
当初の目的であるジュエルシードの回収任務は収束の兆しを見せているが、新たな問題ごとにリンディは頭を悩ませていた。
スタンドによる犯罪は数こそあまり多くはないものの、広義的には魔法犯罪に分類されるためリンディも対処法は心得ている。
問題は突如として容疑者に浮上した大物犯罪者ジェイル・スカリエッティと、SPW財団なるスタンド研究機関の存在だ。
「狂人の考えは図りかねるな。現状で推測できるのは、スカリエッティもスタンド使いかもしれないということぐらいですか」
「あるいは他人の記憶を書き換えて命令するDISCを作れるスタンド使いが、スカリエッティの協力者にいるのかもしれないわね」
「どちらにせよ一筋縄ではいかないスタンドだ。……しかし地球にはスタンド使いがかなり大勢いるようですね。オレを含めて八人のスタンド使いと相会するなんて初めてです」
管理局にも多数のスタンド使いが所属しているが、ほうぼうに散らばっているためお互いに面識のない場合が多い。
M・ティムも数人のスタンド使いに心あたりがあるものの、そりが合わないため個人的な付き合いは無きに等しい。
基本的にスタンド使いは普通ではない人間が多い。
まともな感性から少しズレていたり、集団生活を行うのに問題があったり、平気な顔で犯罪に手を染めていたりいる者が大勢いる。
その点においてM・ティムは取っ付き易い性格をしていると言える。
「その中でも高町なのはは別格だ。彼女はスタンドが発現してから5年程度しか経っていないオレとは比べ物にならないほど、スタンドを使いこなしていました」
「魔法の才能だけでもエース級で、それに加えて強力なスタンド使いとなると、人事はなんとしてでもなのはさんを入局させようとするでしょうねえ」
「スタンド使いを説得するのは難しいですよ。それに彼女はリンディ提督と交渉できるぐらい口が達者ですからね」
「なのはさんの扱いについてはレティに任せましょう。彼女ならスタンド使いの扱いも心得ているはずよ」
リンディが口にした女性、レティ・ロウランは時空管理局本局運用部に所属している提督で、装備・人事・運用の担当をしている。
リンディとは旧知の仲で昔から愚痴を言い合ったりしており、気心のしれた相手だ。
彼女は仕事に対しての真面目な気質と、優秀な人材であれば過去や出自は問わないという信条が相まって、複雑な過去を持つ人間やスタンド使いの人事をよく担当している。
リンディがスタンド使いについての知識を持っているのは、酒の席でレティの愚痴を聞かされていたからだ。
「それではオレは目先のことに専念しますかね。お先に失礼します、リンディ提督」
クロノから念話でなのはたちを送り届けた報告を受け取ったM・ティムは腰を上げ、リンディに頭を下げた後にカウボーイハットをかぶり直し退出した。
ドアが閉まる音を聞き届け自分以外に誰もいなくなったことを確認したリンディは、湯呑みの中身を眺めつつぽつりと独り言を呟いた。
「どうしてみんな、私の淹れた緑茶を飲もうとしないのかしら」
リンディの疑問に答えるものは誰も居ない。
一定周期で鹿威しが打ち鳴らす風流な音を聞きながら、リンディはわずかに残った緑茶を飲み干した。