ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第24話  希望と絶望の伝説

 第24話

 希望と絶望の伝説

 

 蘇生怪人 シャドウマン 登場!

 

 

 タバサを、異世界から連れ戻すことができるかもしれない。その淡い期待を胸に抱いて、一台の馬車がトリステイン王宮からラグドリアン湖へ向けてひた走っていた。

 

「殿方の噂に、ヴァリエール公爵家に女神の寵愛を一身に受けた美姫がいると小耳に挟んだことはありますが、根も葉もないものと忘却の沼地に捨てていました。いえ本当に、人間の常識などというものは当てにならないものですわね」

「お褒めいただき光栄です。けれど、わたくしにレディの手ほどきをしてくださったのはお母さまです。母は、他人にも自分にも厳しい人ですから苛烈に見えてしまいますが、母ほどの貴婦人はわたくしの知る限りおりませんわ」

「ええ、わたしもそう思いますわ。ミス・カトレア」

 馬車の中で揺られながら、キュルケは前の席で温厚そうな笑みを浮かべているルイズのひとつ上の姉を見つめた。

 彼女はカトレア・ド・フォンティーヌ。『烈風』カリンの娘であり、エレオノールを姉に、ルイズを妹に持つヴァリエール三姉妹の次女である。しかし、他の姉妹や母の苛烈なイメージとは反対に、カトレアの穏やかでのんびりとした笑顔は、キュルケの頬をも緩ませていた。

「それにしても、今こうしてわたしがお姉さんといっしょにいると知ったら、ルイズはどう思うかしらね」

「たぶん、血相を変えて怒り出すんじゃないかしら。あの子はあれで嫉妬深いから。昔なんか、アンリエッタ王女でもお姉さまのだっこは譲らないって領土宣言していたんですよ。ふふ」

 キュルケとカトレアは、幼いルイズとアンリエッタがむきになってカトレアのだっこを取り合うのを思い浮かべて、思わず声を出して笑った。

「あっはははっ、これはルイズが帰ってきたときにからかってあげるネタが増えたわね。すぐにでも、タバサにも教えてあげたいわ」

 そう、この旅はジョゼフによって異世界へと追放されてしまったタバサを助け戻すことがなによりの目的である。普通に考えれば、そんなことは絶対に不可能だと誰もが思うだろう。しかし、藁にもすがるような今にあって、カトレアの提示してきた伝承は単なる希望以上のものとなってキュルケの胸を占めていた。

 

 

 それはキュルケがトリステイン王宮で目を覚まし、シルフィードやジルとともにカリーヌに救われたことを知ったあのときのことである。

 異世界という、人間には手の出しようもないところに追放されてしまったタバサを救う希望を失ってしまっていたキュルケ。そこへやってきたカトレアは、ラグドリアン湖に伝わる伝承を教えてくれた。それこそがトリステイン王家に水の精霊との盟約とともに語り継がれる伝説。

「ラグドリアン湖に、異世界への扉が……? そこを通れば、タバサを連れ戻せるって言うの!」

「はい、ラグドリアン湖の底には水の精霊の都があると言われ、代々トリステインの王家は水の精霊と盟約を交わしてきました。その伝承の中に、水の精霊の都にはこの世でもっとも深い海へと通じる扉があり、水の精霊はその扉を通ってラグドリアン湖にやってきたのだというものがあります。恐らく、それもミス・タバサが呑まれたという異世界への扉なのでしょう」

 キュルケは、何度も訪れたことのあるラグドリアン湖にそんな伝承があったとはと驚いた。しかし、それだけではあまりにあいまいな伝説に過ぎない。

「異世界への扉が、ラグドリアン湖に……けど、そんなものがあるならどうして誰も知らなかったの?」

「わたくしどもにも確証はありません。伝えるものも、王家に残るこの伝承だけなのです。しかし、想像は出来ます。ラグドリアン湖は、その沿岸部の浅瀬までは漁師たちにもよく知られていますが、中央部はまるで断崖のように深くなっていて、その底の深さは数千メイルに及ぶとさえ言われています。つまり、その扉にはそもそも誰も近づけなかったのです。ですが……」

 カトレアの説明に、キュルケは怒りを覚え始めていた。近づけもしないというのであれば、いくら異世界への扉があったとしても意味がないではないか。

 しかし、キュルケが激情を破裂させるより早く、カトレアはその難題を氷解させる答えを提示してくれた。

「そちらの韻竜のお嬢さんから聞きました。あなた方は以前、水の精霊と友好を結んだそうですね。人間の力では到底、深さ数千メイルに潜ることはかないませんが、水の精霊が助力してくれたとしたら、あるいは」

 はっ、と、キュルケは目の前で手を打ち鳴らされたように気がついた。

 そうだ、どうして忘れていたんだろう。以前、タバサとラグドリアン湖で砂漠化を進めている怪獣を倒したとき、自分たちは水の精霊に貸しを作っている。それを差し引いても、自分たちに対する水の精霊の心象は悪くないに違いない。さらにシルフィードがキュルケに言った。

「人間と違って精霊は恩を忘れたりしないのね。それに水の精霊は何千年も昔から叡智を溜めてきた偉い精霊なのね。きっといい知恵を貸してくれるなのね!」

「そうね。あの水の精霊なら力を貸してくれるかも。ジョゼフたちも、まさか精霊の力を借りるなんて予想もしてないに違いないわ! 見えてきたわね、希望が!」

 元より前向きな気質のキュルケは、絶望からの出口が見つかると切り替えは早かった。

 人間には解決不可能な問題でも、精霊ならば別かもしれない。そうなると、後は真っ直ぐ情熱のままに突き進むのが微熱のキュルケの本領である。

 行こう、ラグドリアンへ!

 目先の困難などまったく目に見えていない。親友であるタバサに近づける可能性があるのなら、それに懸けない道がどこにあるだろうか。

 キュルケとシルフィードは意気投合して、今すぐにでもラグドリアン湖へ飛んでいきそうなくらい盛り上がっている。ところが、竜の姿に戻って飛び立とうとするシルフィードをカリーヌが静止した。

「待て、このトリステインにもどこにガリアの草が潜り込んでいないとも限らん。ジョゼフにお前たちが生きていることを気づかせないためにも、風竜になって行くのはやめておけ」

 言われてみればそのとおりだった。せっかく執念深いジョゼフとシェフィールドを撒けたと思っているのに、こっちが生きていることがバレたら台無しになってしまう。目立つ移動手段は使えない。

 と、なれば後は徒歩か馬車かということになるが、そこでカトレアがキュルケたちにとって驚くことを提案してきたのである。

「ラグドリアン湖までは、私がヴァリエール家の馬車でお送りしましょう。お母さま、よろしいですね?」

 それを聞いてキュルケは驚いた。知恵を貸してくれるのはありがたいが、自分たちの旅はいつどこで死んでもおかしくないような危険なものなのだ。ルイズやエレオノールならまだしも、このスプーンより重いものを持ったこともなさそうな儚げな”お嬢様”を連れて行くのはとんでもない話だった。

 しかし、キュルケが止めようとすると、母親のカリーヌが事も無げに言った。

「いいでしょう。こちらのほうは我々でなんとかしておきます。ミス・ツェルプストーたちに力を貸して差し上げなさい」

「え、ちょ! ミセス・ヴァリエール! なにを言われるんですか。これは安全な旅じゃないんですよ、またいつジョゼフに気づかれて追手がかかるか。とても、ミス・カトレアを守っているような余裕はありませんわ!」

 遊びではないのだ。ジルくらい腕が立てばまだしも、足手まといを連れて行って万一のことがあっても責任は持てない。

 ところが、だ。カリーヌは娘の身を案ずるどころか、平然として言ったのだ。

「心配は無用ですよ。カトレアは、あなたの百倍は強いですから」

 仮にも私の娘ですよ、と、言外に付け加えてキュルケを見た。すると、カトレアも温厚そうな笑みを浮かべながら。

「もしも足手まといになるようでしたら、置いていってくださって構いませんわ。なんでしたら、ここで私と一戦交えてみますか?」

 カトレアの表情は穏やかだったが、その笑顔の奥にまるで神仏のそれのように底知れないものを感じてキュルケは息を呑んだ。

 そういえば、ヴァリエールの血筋の人間は皆化け物揃いだった。『烈風』カリンに『虚無』の担い手のルイズ、エレオノールは実戦に出ることこそ滅多にないものの、弱いという印象はない。

 思えばそうだ。タバサと初めて出会ったときも、とても強そうには思わなかった。メイジを見た目で判断するととんでもないことになるのは基本であった。戦えば死ぬ! 蛇に睨まれた蛙どころではなく、ドラゴリーに解体される寸前のムルチが感じたような恐怖が背筋をよぎり、キュルケはそれ以上なにも言えなくなってしまった。

 ところがである。キュルケに本能的な恐怖を与えたカトレアであるが、すぐに剣呑さなどひとかけらもない温和な表情に戻ってキュルケの手をとったのである。

「ごめんなさい。わたくしも遊びではないことはよく存じているつもりです。ですが、あなた方のお噂は母や妹からよく聞かされていましたのよ。幼い頃のルイズは、友人らしい人間もおらず、わたしたちもずっと心配していました。そしてそのルイズに友達ができたと聞いたときは、どれだけうれしかったか。特に、あなたがね、キュルケさん」

「え? わたし、ですの?」

「ええ、知ってのとおりヴァリエールとツェルプストーは不倶戴天の敵同士。けれど、あなたは何度もルイズを助けてくれたと聞きました。あなたとルイズのふたりなら、ふたつの家のいさかいだけの歴史を終わらせて架け橋となることができるかもしれない。だから、わたしにも少しだけお手伝いさせてもらいたいの」

 カトレアの言葉に偽りがないことはキュルケにも伝わってきた。

 そして同時に、キュルケは自らを恥じた。自分はこれまで、ツェルプストーはヴァリエールに対して勝者として伝統をつむいできたことを誇りとしてきた。しかし、今現在はどうか? 今のヴァリエール家に対してツェルプストー家は、いいや自分は強者であり勝者だと言えるのか?

 考えて、キュルケはカトレアを正面から見返した。

「……わかりました。タバサを救うために、ミス・カトレア、あなたの力をお借りします」

「ありがとうございます。わたくしの力、遠慮なく使ってくださいませ」

「それはもちろん。ただし、ひとつだけ訂正しておきたいことがありますわ」

「なんです?」

「わたしとルイズは友人ではありません。あくまでツェルプストーのわたしはヴァリエールの宿敵。しかし、わたしとルイズはこれまでに多くの借りと貸しを作り作られてきました。その清算が片付くまでは、少なくともルイズとは休戦いたしましょう。あと何十年かかるかわかりませんけれども、ね」

 にこりと笑い、キュルケとカトレアは手を取り合った。

 それはキュルケにとって、プライドを天秤にかけたギリギリの譲歩だった。しかし、口に出さなくても伝わる思いというものはある。建前の裏に隠されたキュルケの本音を、カトレアはきちんと見抜いていたのだ。

 カトレアは思う。「とても熱いけれども、とても暖かい人。でも、本当に大切なところを表に出せないところは、うちの子たちと似てるわね」と。多くの動物や怪獣たちと触れ合い、物言わぬ彼らの心と触れ合ってきたカトレアにとっては、キュルケの虚勢を見破る程度は造作もないことだったのだ。

 そして同時に思う。ルイズのためにも、彼女を死なせるわけにはいかないと。

「よろしくお願いします。では、さっそく出かけることにしましょう。お母さま、後のことはよろしくお願いいたします」

「わかっております。ヴァリエール家の人間として、ふさわしい活躍を期待していますよ」

 カリーヌに激励されて、カトレアはヴァリエールの次女として使命を果たすことを杖に誓って制約した。

 

 

 そして十数分後には、キュルケたちはカトレアの用意してくれた馬車に乗って、トリスタニアの市街を横切ってラグドリアン湖への旅に出発したのだった。

「ジルが抜けたのは痛かったですが、代わりに百万の援軍を得た気分ですわ。必ずタバサを助けて、帰ってきましょう!」

 この、常な前向きさこそキュルケのなによりの武器である。カトレアが、本当にカリーヌに認められるようなメイジなら、その魔法を見るのは自分にとっても大きなプラスになるはずだ。それがきっと、タバサを救うためにも役立つ。

 そう、火の系統のメイジがくすぶっていても美しくなどない。火は燃え盛ってこそ光を放つのだ。

 情熱の本分を取り戻したキュルケはやる気に溢れ、ヤメタランスでもこの炎は容易に消すことはできないだろう。馬車の中が、キュルケひとりの熱気で室温が二、三度上がったようにさえ思え、カトレアはそんなキュルケを頼もしそうに見つめている。

 また、シルフィードは竜の姿のままでは目立つので人化してもらっていっしょに乗り込んでいる。しかし人化には大きな負担も同時にかかるらしいので、今シルフィードはカトレアのひざを枕にしてすやすやと眠っていた。

「うーん、おかあさま……イルククゥは大きくなったのね……」

「あらあら、この子ったらお母さんの夢を見ているみたいね」

 カトレアがシルフィードの髪を優しくなでると、シルフィードは寝ながら気持ちよさそうに笑った。その様子は、まさに仲のよい母と娘のそれそのもので、キュルケはルイズもこんなふうにカトレアに甘えていたのかなと、その情景を想像して、思わず口元をにやけさせていた。

 ただしかし、大家族でもゆうに乗せられそうな大きさを持つこの馬車には、残念ながら三人しか乗っていなかった。出発の前、ジルも当然同行するものと思われたのだが、ジルは早くいっしょに行こうと急かすシルフィードにこう言ったのだ。

「悪いが、お前たちだけで行ってきてくれ。私はここに残るよ」

「えっ! な、なんでなのね? ジルもいっしょに行こうなのね」

「忘れたかい? 私の足はこれだ」

 そう言い、ジルは義足を失った片足を見せた。

「あっ……」

「この足じゃお前たちの足手まといにしかならないよ。新しい義足を作ってくれるそうだけど、出来上がるには時間がかかる。それに、武器や道具も使い果たした私はただの平民だ。私が行けるのは、ここまでさ……」

 寂しげに言ったジルは、無念さをにじませながらもシルフィードとキュルケの肩を叩き、「シャルロットに会えたらよろしく言っといてくれ」と告げて去ろうとした。ところが、シルフィードはかみつくようにジルの前に出て押しとどめると、ぐっとジルの目を見つめて言った。

「ジル、ジルはこれまでずっとおねえさまやわたしを助けてくれたのね。だから、そんな自分を役立たずみたいに言わないでなのね。ジルがいたから、わたしたちはここまで来れたのね。タバサおねえさまはシルフィたちがきっと連れて帰るのね! だからおねえさまが帰ってきたときに、ジルは一番に「おかえりなさい」って言ってあげてほしいのね!」

 シルフィードのその必死な目は、これまで数え切れないほどの凶暴な猛獣と睨みあって来たジルをもたじろがせるものだった。しかし、恐ろしいものではない。それどころか、胸につかえていたものが取り除かれたように、ジルは愉快な気持ちになるのだった。

「ああ、わかったよ。じゃあ、わたしはしばらく骨休めをしているから、ちゃんとシャルロットを連れ戻してくれよ。あの子のお母さんのことなら心配はするな。ここより安全な場所はハルケギニアのどこにもない。だから、気負わず頑張って来い」

 ジルは、今度は信頼と期待を込めた手でシルフィードの肩を叩いた。

 タバサの母は、今王宮の別の部屋で休ませている。王宮の中にガリアのスパイが紛れ込んでいる可能性は無きもあらずだが、バム星人の件以来、王宮で働く人間の身元は徹底して洗ってある。そうして選ばれた王宮医が診ているので安心だ。もちろん、口の固さでも信頼はおける。

「カトレアさん、このじゃじゃ馬娘たち、手に余ると思いますが、よろしくお願いします」

 別れるときのジルの顔は、まさに母であり姉である人間のそれだった。カトレアは、その重責をしっかりと感じ取り、必ずふたりを守り抜きますと誓約した。

 王宮に残ったジルのためにも、タバサは連れ帰らなくてはならない。水の精霊に必ず会って、異世界への扉へとたどり着かなくてはすべてが無駄になってしまうのだ。

 一方で、カリーヌとカトレアはあえて口をつぐんでいることもあった。ルイズの消息のことである。すでに、ロマリアからの伝えでルイズと才人が死んだということは聞いていたが、アンリエッタをはじめ、誰もそんなことを信じてはいなかった。ヴァリエールの人間はそんなにやわではない。ルイズはこれまで過酷過ぎるともいえる戦いにすべて打ち勝ってきた。そのルイズがやすやすとやられるわけがない。なら、いらないことを伝えてキュルケの気を削ぐ必要はない。

 揺れる馬車の中で、カトレアはすやすやと眠るシルフィードの頭をひざに抱き、その温厚な表情とは裏腹に胸のうちに宿った強い決意を確かめた。そんなカトレアをキュルケは微笑しながら見ている。ふたりの間に溝はもうない。キュルケはカトレアの人柄を知ると、元々気さくな性格を表に出して、今ではすっかりカトレアと打ち解けていた。

 

 

 それが、今これまでの話である。しかし、希望という光が強くあれば、それに比例して大きな闇もまた伴ってくることを、今のキュルケは知らなかった。

 

 カトレアはキュルケに対して、ルイズに向けるようにずっと温和な態度を続けてきた。しかし、キュルケと打ち解けて彼女の人となりを確かめると、カトレアは、温厚そうな表情を引き締めて告げた。

「キュルケさん、あなたのミス・タバサを救いたいという気持ちはよくわかりました。けれど、いくらあなた方が水の精霊に恩を持っているとはいっても、水の精霊が交渉に応じてくれる可能性は限りなく小さいことを覚悟しておいてください」

「なんですの? 今になっておじけずいてきましたか。大丈夫、もし水の精霊がノーと言っても、わたしの炎でラグドリアン湖を干からびさせてでも言う事を聞かせて見せますわよ」

「そういう意味ではないのです。私たちも、可能性に懸けたい気持ちはあなたと変わりません。ですが、ラグドリアン湖にある異世界への扉、そこを潜った先には水の精霊が本来住んでいた世界があるはずですけれど、水の精霊はこちらの世界のものが向こう側へ渡ることを極めて嫌うそうなのです」

「そんなわがままな。それじゃ、まるでハルケギニアのものが汚いみたいじゃないですか。失礼なことですわね」

「その理由をこれからお話します。どうせ、ラグドリアン湖に着くまでに、知っておいてもらわねばならないことですから……」

 キュルケの疑問に答えて、カトレアは自分の知っている限りのことを伝えようと試み始めた。そう、ラグドリアン湖に伝わる水の精霊と異世界への扉への伝承の残りのすべてである。

「あなたにお話いたしましょう。ですが本来これは、トリステイン王家と血筋に近しい貴族にだけ伝えることを許された秘密です。他言はしないよう、あらかじめお願いします」

「ご心配なく。わたしの名誉と杖にかけて秘密は守ります」

 貴族の杖にかけた誓約は神に誓うことに等しい。真剣な表情になって聞く姿勢をとったキュルケに、カトレアは信頼を込めてうなづいた。

「あなたを信じます、キュルケさん。この伝承は、ヴァリエールの血筋でも二十を越えた者にはじめて明かされます。そのため、ルイズもまだ知ってはいないのです。しかし、世界の危機にこれ以上秘匿していても意味はないでしょう」

「信頼にはお応えするつもりですわ。ですが、それほどまでに秘密にこだわる理由はなんですの? これまでの話ですと、確かに衝撃的ではありますけれど、強いて秘密にするものでもないと思われるのですが」

「それは、水の精霊の伝承に、ハルケギニアの民ならば誰もが知っているブリミル教の……始祖ブリミルの動向が重なっているからなのです」

 その瞬間、キュルケの背中に冷たい汗が流れた。ブリミル教の威光と権力はハルケギニアのすべての民が恐れるものであって、睨まれれば死というのは王家や貴族も例外ではない。

 だが、つまりはその伝承がブリミル教の教義にしたら不愉快なものであるということだ。ならば王家がひた隠しにするのもわかるというものだが、聞くからにはこちらにも相応の覚悟がいる。キュルケはそれを決めた。

「外に漏れたら異端審問ものというわけですのね。上等です、続けてくださいませ」

「わかりました。伝承の時代は、今からおよそ六千年の昔に遡ります。その時代は、誰もが知っているとおりに始祖ブリミルがこの地に現れたと言われていますね。ラグドリアン湖はその時代からすでにあり、その当時は水の精霊は湖から頻繁に現れて、湖畔の人々と交流していたそうです」

「あの、気難しいと言われている水の精霊がですか? 冗談じゃありませんの」

 一度とはいえ、水の精霊と直接対面して、その人外の雰囲気を直に感じているキュルケとしては信じられなかったのも無理はない。

「あなたは一度、水の精霊とお会いしているのでしたね。嘘のように思われるかもしれませんが、同じように疑問に思ったヴァリエールの先祖が、水の精霊に直接確認して、間違いのないことを誓約されたと言われています」

「確かに、水の精霊は別名を誓約の精霊……決して、嘘はつかないのでしたね」

「そう、そして水の精霊がなぜ誓約の精霊と呼ばれるようになったのかも関係しているのです。話を戻しましょう。六千年前のその当時、ラグドリアン湖の周りにはまだ国と呼べるものは無く、わずかな人間の集落が点在するだけの、森に囲まれた穏やかな湖だったそうです。そこで、水の精霊は水害などから湖畔の人々を守って、守り神と称えられ、人々も決して湖を侵そうとはせず、共存の関係であったと伝えられています」

「今の水の精霊は、時に水害を起こして畏れられているのにまるで反対ね。それで、その湖畔の人々が、今のトリステインの人たちの先祖なわけですのね?」

「先祖、ですか……確かに、そうとも言えなくもないですが」

 そこでカトレアは言葉を濁して、表情を暗く曇らせた。キュルケは、その様子にこれからの内容にただならぬものを感じたが、カトレアの話そうとしている言い伝えはさらに想像の上にいくものであることを、カトレアの額に浮かぶ汗は示していた。

 実を言うと、内心でこのときカトレアは話を始めたことを後悔しはじめていた。母と共に、秘密を明かす必要は感じていたが、やはりこの伝承を人に聞かすのは重過ぎるかもしれない。

「繰り返しますが、ここから先の内容は秘中の秘です。それゆえに、伝承も完全に口伝で、書類などには一切残されていません。いえ、それよりも、聞かなければよかったと後で後悔するかもしれません。最後に尋ねます。それでも、よいですか?」

「今さら、毒を食らわば皿までですわ。それに、わたしたちはこれまでハルケギニアのあちこちで、常識の通用しない出来事に対面してきました。異世界からタバサを救い出すなんて、奇跡を越えた大それた事をしようとしているんです。水の精霊に関して、少しでも多く知っておかないと、後で後悔してからでは、それこそ取り返しのつかないことになりますわ」

 キュルケにとっては、ブリミル教が敵になろうと正直どうでもよかった。元々それほど信仰心の強いタイプではない。タバサを助けるために邪魔になるのなら、神官でも神でも叩きのめしていくのが偽らざるキュルケの覚悟だった。

 カトレアは、この人は引くことを知らないのだなと悟った。常に前向きで力強いさまは、どこかしらルイズに似ているようにも思える。ならばきっと、どんな残酷な真実が待っていても受け止めることができる。

「続けます……六千年前まで、ラグドリアン湖では数百年に渡って人間と水の精霊が平和に共存してきました。ですが六千年前、そこに奇怪な人間たちがやってきたのです」

「奇怪な、人間たち……ですか?」

「はい、見たこともない異国の衣装に身を包み、不思議な力を操る者たちであったそうです。空を自在に飛び回る丸い船に乗って現れ、病人を瞬く間に癒し、あらゆる食物を与えてくれ、望めばどんな不可思議をも叶えてくれました。当時、その土地には魔法を使える者はおらず、今で言う平民のみが住むところであったために、人々はその異邦人たちを大いに歓迎しました。しかし、それは最初のうちだけだったのです」

 キュルケは、カトレアの暗い眼差しに、ごくりとつばを飲み込んだ。

 空飛ぶ船に乗って現れる、見たこともない姿をした者たち……それって、まるで……

「最初に現れた異邦人の空飛ぶ船はひとつだけでした。ですが、それからすぐに後を追うようにして同じ空飛ぶ船が何隻も現れて、それぞれの船が湖畔の集落の人々を次々に囲い込み始めたのです。それまで、集落同士は争いも無く自由に行き来できたのですが、異邦人たちは自分の囲い込んだ集落の人間に、よそに移ることを禁じました。それでも人々は、異邦人たちが与えてくれる、暑さも寒さも通さない家の中で働かずに遊び呆けていられるので平気でした。ですがその間にも、異邦人たちはラグドリアン湖の周りの土地を競い合うように我が物としていき、そしてとうとう異邦人たちのあいだで衝突が起こったのです」

 その瞬間、暗雲に覆われたトリステインの空で雷鳴が轟き、稲光がカトレアとキュルケの横顔を冷たい光で照らした。

 カトレアはじっと聞き続けているキュルケに伝承の続きを語った。

 ラグドリアン湖周辺を我が物とした、複数の異邦人たちの集団はそれぞれの縄張りを主張するかのように争いを始めた。そして、その争いに駆り出されたのが元々湖畔に住んでいた人々だったのだ。

「っ! 自分たちの争いのために、無関係な人たちを駆り出したというの?」

「そうです。異邦人たちは自分で戦って傷つくことを恐れて、現地の人間をてなづけていたのです。しかしそのときすでに、異邦人たちの強大な力を目の当たりにしていた人々は命令に逆らえず、また、与えられたなんでも欲望の叶う生活を取り上げられるのを恐れて、必死にかつての隣人たちと戦いました。水の精霊は、湖からじっと見守っていることしかできませんでした……」

 水の精霊が強大な力を有するとはいっても、それはあくまで湖の中に限っての話だ。水の精霊がどうすることもできずに見守るしかできないなかで、異邦人たちは最初に人々に見せた友好的な姿勢を脱ぎ捨てて、人々をまるで奴隷のように戦わせた。

 それはまさに、見るに耐えない凄惨な光景であったそうだ。異邦人たちは人々を戦わせるに際して武器を与え、それが惨劇をさらに広げていった。

 水の精霊の知識では表現は難しいものの、異邦人たちが与えた武器というものは現代の銃に似た飛び道具だったらしい。その殺傷力はすさまじく、人々は次々と倒れていった。しかし異邦人たちの技術は医療でも神がかっており、瀕死の人間すら蘇らされて戦わされた。

「ちょっと待ってくださいな。死に掛けても無理矢理生き返させられるなんて、そんなものをみんなが使っていたら、まともな決着がつくわけがないじゃないですか?」

「そうです。苦労して敵の土地をとってもまた取り返され、そんなことが何回も繰り返させられました。異邦人たちの力は拮抗しており、戦いは長引く一方となったのです」

「まさに地獄ね。水の精霊も、さぞ無念だったでしょう」

 誇り高い貴族であるキュルケにとって、自ら血を流そうとしないその異邦人たちの愚劣な所業は許せるものではなかった。憤ったあまりに殴りつけた馬車の扉が激しく鳴り、寝こけていたシルフィードがびくりとなる。

 が、カトレアの話はまだ続いた。

「キュルケさん、あなたが高潔な人間であってくれてうれしいですわ。けれども、これだけなら今の戦争とあまり差はありません。本当に重要なのは、これからなのです」

 そこでカトレアは一度言葉を切り、息をついて呼吸を整えた。

「異邦人たちが、自らの争いのための道具として湖畔の人々を駆り出したところまではお話しましたね。互角の力を持つ者同士の戦いは日々無益に続き、ラグドリアン湖の水面までも震わせたそうです。しかし、異邦人たちは決着のつかない戦いにいらだちを募らせていきました」

 異邦人たちに抵抗する力を持たない人々の、無間地獄にも似た戦いは異邦人たちの気まぐれによって唐突に終わったとカトレアは語った。

 しかし、湖畔の人々はそれで異邦人たちの支配から解放されたわけではなかったのだ。

 互角の力を持つがゆえに終わらない戦いなら、より強い力を持たせればいいと異邦人たちは考えた。そして人々に対して、身の毛もよだつような所業を始めたのである。

「異邦人たちは、湖畔の人々の中から一度に数人ずつを選び出し、それまで決して人々を立ち入らせることのなかった自分たちの船の中に連れてゆきました。その中で、なにがおこなわれたのかはわかりません。ですが、その人たちが船から降りてきたとき、彼らには……」

「え……?」

 カトレアの口から出た言葉を耳にしたとき、キュルケの心は真空となって、それを受け入れることを拒否しようとした。

 呆けた表情となったキュルケの横顔を、窓から差し込んできた雷光が照らし、褐色の彼女の肌を、今の彼女の心と同じように白く染める。しかし、一度望んで秘密という堰を切って流れ出した真実という奔流は、カトレアの口からキュルケの心へと怒涛に流れ込んでくる。

「彼らは船に乗せられる前は、確かになんの力も無いただの人間でした。しかし、異邦人たちは彼らの頭の中をいじくり、無理矢理その力を植えつけてしまったのです」

「そ、そんな馬鹿なことがあるはずないわ! そ、その力は血統でしか伝わらないのは昔からの常識よ!」

「エレオノールお姉さまによれば、この力の源泉は脳に由来するそうです。もちろん私たちの技術では不可能ですが、理論上は可能なのだそうです。話を続けましょう。そして人々は、与えられたその力で戦争を再開させられました。それを持つ人間と持たない人間の戦いがどういうものになるかは、あなたもよくご存知でしょう? 戦いは一時、一方的なものになりました。しかし、ほかの異邦人たちもすぐに同じことをしたのです」

 戦いはふりだしに戻った。しかし異邦人たちが満足することは、なかった。

「戦いは激化し、異邦人たちの所業は、見る間にエスカレートしていったそうです。手を加えてない人々に対しても、より強力な力を付与するだけでは飽き足らず、ある者には鳥の翼を植え付け、さらには人々が家畜にしていた豚や犬に手を加え……」

 見る見るうちに、キュルケの顔も青ざめていく。一体何だ? その神をも恐れぬ所業の数々は。しかも、水の精霊の見ていたという、それがそのとおりだとするならば。

「ハルケギニアの歴史がひっくり返るどころじゃすまない話じゃないですの! まるで、それらは今で言う……」

「そうです。そしてこれと同じことが、もしもハルケギニアのあちこちでおこなわれていたとしたら……?」

 その瞬間、キュルケは猛烈な吐き気を覚えて口を抑えた。

 ハルケギニア全土……それはすなわち、自分の故郷であるゲルマニアも当然含まれる。そこで、ラグドリアン湖で水の精霊が見たものと同じことが繰り返されていたとしたら。

”まさか、そんなことって!”

 キュルケはありえないことと否定しようとした。しかし、明晰な彼女の知性は、本人の思うに関わらずに裏付けを進めてしまう。

 そう、ハルケギニアには人間以外にも様々な亜人がいるが、それらのどれもが戦うことに優れた能力を持っているのは果たしてなぜなのか。そして、その大元になったものは当然ながら、そのすべてを超えたものであるはず……そして、ブリミル教徒であれば誰もが知っている。この地に現在のハルケギニアの基礎を築いたのは誰だったのか。

 であるならば、まさか! そして、現在の自分を含めたハルケギニアに生きる者たちとは。

 つながる。偶然ではありえないほどに、パズルのピースが埋まっていく。

 キュルケの顔から血の気が引いていくのを見たカトレアは、やはり彼女も同じショックを受けたかと思うと、ルイズにそうしていたようにキュルケの体を抱きとめて言った。

「少し、休憩にしましょう。まだ、旅の先は長いのですから」

「ミス・カトレア。わたしは……いいえ、その異邦人たちとは、まさか」

「それはこれから先の話になります。ともかく、気を落ち着けなさい。大丈夫、伝承はどうであれ、それはすでに六千年も昔のこと。今のあなたに心配することはなにもありませんよ」

「……少し、ひとりで風に当たってきますわ」

 カトレアは、キュルケの意を汲んで馬車を止めさせた。周りはすでにトリスタニアから離れて、郊外の森の中へと入っている。人影もなく寂しい道だが、今のキュルケにはそれくらいがよかった。

「私はここで待っています。こちらは気にしないで、落ち着いたと思うまでゆっくりしていてください」

「ありがとうございます。わたしは、きっと大丈夫ですから」

 

 

 カトレアの馬車と別れて、キュルケはひとりでゆっくりと森の中の道を歩き始めた。

”あんな伝承、とても人に知られるわけにはいかないじゃない”

 キュルケは、数分前の自分の威勢よさを呪うしかなかった。タバサを救うという大目標のためなら、どんな大きな壁でも超えていけると思っていたけれど、このハルケギニアという世界そのものに、まさか、あんな……

 嘘であってほしい。しかし、これまでに自分たちは数々の伝説が現実であったことを見てきた。それに、この世には自分たち人間の及びもつかない悪魔的な力を持つ者たちがいることも見てきた。しかし、自分たちはそれらとは違うと思っていたのに。

 歩きながら、キュルケは自分の杖を取り出して見つめた。それは、メイジならば誰でも使える魔法の象徴。これまで自分は、その力があることを当然と思って生きてきた。だが、考えてみれば平民は持っていないこの力の起源はなんなのだ? いったいどこでどうやって、メイジの祖先はこの力を得たのだ? 自分に流れる血の源流は……そして、ルイズやタバサ、自分が知っている皆の血の源流は何なのだ?

 さらに、キュルケは静まり返った森の中を見渡した。人間だけではない。この、ハルケギニアには数多くの亜人や幻獣種がいるが、それらも過去を遡れば……

 信じたくない。自分たちの世界が、そんなものであってほしくないと、キュルケは悩みながら歩き続けた。

 

 

 そして何十分、どれくらい歩いたことだろう。ふと気づくと、キュルケは森の中に小さく開けた場所にたどり着いていた。

「墓場、ね」

 ぽつりとキュルケはつぶやいた。どうやら考えながら歩いているうちに、トリスタニア郊外の共同墓地に入り込んでしまったらしい。苔むした墓石が何十と並び、日の差さないここには時節もあってか墓参りの人間もなく、静まり返っている。

「ある意味、今のわたしにはふさわしい場所かもね」

 ふっ、と、自嘲げに息をついてキュルケは歩き出した。墓場といえば、周りにいるのは死人ばかり、人間は死んだらあの世に行くというが、ならば人間以外のものが死んだらどうなるのだろう?

 わからない、わかるはずもない。ほとほと、人の知る事の出来る真実のなんと少なくてあいまいなことか。

 

 ところが、である。なかばぼんやりと墓地を歩いていたキュルケの耳朶に、突然ありえない声が響いてきた。

”引き返せ!”

「っ! なに? 今の、誰かいるの!」

”引き返すんだ。ここは、危険だ!”

「だから何? なにが危険なの!」

 戸惑いながら周りを見渡すものの、墓地には自分以外誰も見当たらない。しかし、空耳ではなく確かに真剣に訴える男の声が聞こえたのだ。

 なにがなんなのよ? 声に従うべきか迷うキュルケは、わけもわからずその場に立ち尽くして周りを見渡し続けた。

 しかし、声が嘘でなかったとはすぐにわかった。墓場の中に立ち尽くすキュルケを取り囲むように、不気味な人影が何十人もいきなり現れたのである。

「なっ! これは大勢の殿方……わたくしになにかご用ですの?」

 ぞくりと危険を感じ取ったキュルケは、感情を困惑から戦闘に切り替えて啖呵を切った。

 これは、尋常ではない。いつ近寄られたのか、キュルケの周りは完全に囲まれている。見た目は普通の人間の男女で、いずれも喪服のようなみすぼらしい姿をしており、さらに例外なく表情には一切の生気が感じられない。まるで死人だ。

 不気味な集団はキュルケを囲んだまま、じりじりと包囲を狭めてくる。呼びかけにも答えない。こいつらは普通じゃないと思ったキュルケは、ふと連中の姿が半透明で背後が透けているのに気がついた。

「あなたたち、人間じゃないわね!」

 迷わずキュルケは正面の相手に『ファイヤーボール』を撃ち込んだ。大きな火炎弾が一直線に相手に迫る。

 だが、どうしたことか! キュルケの魔法は相手を素通りして、そのまま後ろにあった墓石を焼き払うだけにとどまったのだ。

「魔法が効かない!?」

”無駄だ、ミス・ツェルプストー。そいつらは死者の霊魂が強力な念動力で操られたもの。どんな攻撃も通用しない”

「また! だからあなた誰なのよ?」

 再び聞こえてきた男の声。しかも、自分を知っている? 見渡すが、やはり周囲には誰もいない。

 いや、そんなことより今のピンチが問題だ。こいつらがなんであれ、どう見てもいい雰囲気は持っていない。しかも、相手が霊魂、すなわち幽霊となればスクウェアの魔法でも役に立たないだろう。

「異世界に行くどころか、幽霊に取り殺されたなんて冗談にもならないわ。どうすればいいの、タバサっ!」

 なにか手立ては? キュルケは考えるが、いい考えはそう都合よく浮かばない。幽霊たちはもうすぐ、手を伸ばせば届くところまで迫ってくる。

 やられるっ! キュルケがそう観念したときだった。

 

「地の精霊よ! 濁流となって、汚れたものたちを深淵の底へと押し流せ!」

 

 突然聞こえてきた透き通るような声。するとその瞬間、墓地全体の地面が大きく鳴動して、まるで流砂になったかのように地上の墓石や木々をまとめて飲み込みだしたのだ。

「なっ、なんなの! わ、わたしも沈むっ!」

”飛べ! 君たちの魔法なら飛べるだろう”

「そ、そうか。なんで忘れてたのよ! わたしのバカ」

 声の指示に従って、キュルケは『フライ』を唱えて飛び上がった。たちまちたった今まで立っていた場所が泥の海になり、墓石が沈んでいったのを見てキュルケは肝を冷やした。

 墓地はすでに根こそぎ沈んで跡形もない。幽霊たちも、墓の下の遺体が沈んだためか姿を消していた。

「なんてこと……少し遅れてたらわたしもいっしょに……けど、墓地を丸ごと沈めるなんて、まるで話に聞くエルフの先住……」

「精霊の力と言え」

 はっとして、キュルケが振り返ると、そこにはまたいつの間に現れたのか、白いフードを目深にかぶった人物がキュルケの近くに浮遊魔法を使って浮いていた。

「これは、どこのどちらさまかしら?」

 警戒心をあらわにして、キュルケはその相手に杖を突きつけながら問いかけた。

「ご挨拶だな。結果的にとはいえ、お前を助けたのはわたしだぞ? お前がまずすべきことは、わたしへの礼ではないのか?」

 見下したように告げる相手の言い様に、キュルケは内心で腹を立てたが、冷静な部分では別のことを思っていた。

 この声は、女だ。顔は見えないが、間違いない。しかし、さっき何度も警告したりしてくれた声とは別人だ。あちらの声は、やや年齢を重ねた男性の声だった。だが、この声は若い女性の……いや! そういえばさっき、精霊の力と……それに、よく見たら彼女は宙に浮いているというのにメイジの証である杖を持っていない!

「……危ないところをお助けいただき、ありがとうございます。けれど、あなた人間じゃないわね」

「ほぉ、蛮人の割には察しがいいな。しかし、わたしをさっきの連中と同類とされたら不快だな」

 そう言って、相手はフードを取り去って素顔を見せた。そこに現れたのは、透き通るような白い肌に金色の髪。そして長く伸びた耳。その容姿はエルフ! 間違いない。だが、それよりも相手の顔つきを見てキュルケは愕然とした。

「テ、ティファニア!? いえ、似ているけど、違う?」

 すると、素顔を見せたエルフの少女は興味深そうに笑った。

「なに? なるほど、わたしの従姉妹を知っているのか。これは、大いなる意思も味な導きをしてくださるものだ」

「ティファニアの、従姉妹!? いえ、そんなことよりなんでエルフがこんなところにいるの!」

 動揺しながらもキュルケが問い詰めると、その相手はティファニアに似ながらも鋭い目つきをした顔に薄い笑みを浮かべて告げてきた。

「わたしはアディール水軍所属、ファーティマ・ハッダード上校だ。ネフテス評議会の大命である。大いなる意思の導きに感謝して、我が従姉妹と仲間たちの下に案内願おうか」

 

 

 続く


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