「〈撃ち砕くもの(ブラスター)〉――その威を示せ(アクティベイト)!」
カナコの口から、言霊(ことだま)が告げられる。
同時に〈スサノオ〉が構えた〈アマノムラクモノツルギ〉の先端から、赤い閃光が光線(ビーム)となって迸(ほとばし)る。
その先に居たのは巨大な『蜘蛛(くも)』だった。全高約五メートル。黒い体色に赤い複眼。
〈ツチグモ〉。
それは名前の通り蜘蛛の姿をしたタタリガミの一種である。
『土蜘蛛』とは本来、古事記における上古天皇に恭順しなかった土豪達を示す名詞であり、蜘蛛の妖怪として知られるようになったのは後代になってからなのだが、カナコにしてみればどうでもいい。
「その威を示せ(アクティベイト)!」
続けざまに長距離戦用の咒法(じゅほう)――〈撃ち砕くもの(ブラスター)〉を発動させる。
しかし、攻撃は当たらない。
〈ツチグモ〉の動きが速いのだ。
『接近して〈切り裂くもの(スラッシャー)〉の使用を提案します』
舌打ちするカナコに、〈スサノオ〉の操縦補助用ナビゲーション・システム〈ヤサカニノマガタマ〉が男声を思わせる機械音声(マシン・ヴォイス)で告げてくる。
「判ってる。けど、足を止めないと接近も出来ない」
もう一度〈撃ち砕くもの(ブラスター)〉を撃つ。
今度はなぎ払うように魔剣を右に振ると、赤い閃光が〈ツチグモ〉を追尾するように線を描いた。それが八本ある脚のうち、右脚の二本に触れ、塵状になって消えていく。
バランスを崩した〈ツチグモ〉が地面を削りながら派手に横転する。
『お見事です、カナコ。これで文字通り、向こうの脚は封じました』
「……〈ヤサカ〉、上手い事言ったつもり?」
〈ヤサカニノマガタマ〉――通称〈ヤサカ〉は妙に人間くさいところがある。あくまでナビ――高度な人工知能でしかないはずなのだが、〈スサノオ〉と接続された影響なのか、『彼』は経験を蓄積するごとに人格のようなものを形成していった。
カナコは時々、〈ヤサカ〉の言葉を〈スサノオ〉の声なのではないかと錯覚する事があるほどだ。
『事実を述べたまでです。さあ、今のうちにとどめを』
〈ツチグモ〉は残った六本の脚で体勢を立て直そうとしている。確かにチャンスだろう。
「――行くよ、〈スサノオ〉」
フット・ペダルを踏み込むと、〈スサノオ〉が命令どおりに駆けた。人間と同じ二本の脚を交互に前に出し、目標に向けて走る。
まだ思うように動けない〈ツチグモ〉に肉薄し、魔剣を振り下ろそうとする。
しかし――
「――――!?」
嫌な悪寒を感じたカナコは、一瞬の判断で〈スサノオ〉の機体を左に回避させた。
〈ツチグモ〉が口から『糸』の様な物体を吐き出してきたのだ。吐き出された糸が地面に落ちると、その一帯が焼け爛れた様な状態となった。溶解液の類だろう。
「往生際が悪いわ」
〈ツチグモ〉の糸をかわした〈スサノオ〉は、機体をひねった勢いのまま魔剣を再度、振り下ろす。
「〈切り裂くもの(スラッシャー)〉――その威を示せ(アクティベイト)!」
じたばたともがく〈ツチグモ〉の背を、赤い光をまとった〈アマノムラクモノツルギ〉が切り裂く。
〈切り裂くもの(スラッシャー)〉は近接専用の咒法だ。効果範囲は狭いが、威力は高い。
先に消滅した二本の脚と同様、〈ツチグモ〉の全身も光になって消えていく。
――きしゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……。
断末魔の叫び。
だが、その叫びもカナコの心には響かない。
かつては感じていた勝利による高揚感も今は無い。
「アラミタマ反応、消滅を確認」
『――こちらも確認したわ。状況終了。おつかれさま、カナコ』
通信機を介して、カヤの声が〈スサノオ〉のコクピット内に響く。
『今夜、及川さんに夜神楽を見せる予定だったんでしょ? 残念だったわね』
そう――〈ツチグモ〉が顕現したのは、ミズキと真名井の滝を見て、ボートを降りた直後だった。時刻はすでに七時を過ぎていた。夜神楽の時間は九時からだが、〈スサノオ〉で出撃をした日は、カナコは夜神楽に出る事を禁じられている。タタリガミの『穢(けが)れ』を神聖な場に持ち込む事になるからだ。
今夜の夜神楽にカナコは出られない。
「別に……機会なんていくらでもありますから」
残念がる様子も見せず、カナコはそう口にした。
『そう? とにかく、おつかれさま。明日も及川さんと出かけるんでしょ?』
「はい。明日は買い物に行きたいそうです」
『そう。いい機会だから、あなたも普通の女の子の休日を満喫してらっしゃい』
「…………」
カヤの軽口に、カナコは応える事が出来なかった。
「どうすればいいんでしょう」
『難しく考えなくていいのよ。彼女に任せて、引っ張りまわしてもらいなさい』
† † †
4月15日。〈ツチグモ〉の顕現から一夜明けた日曜日。
ミズキがバスを降りると、待ち合わせ場所でもあった停留所には、すでにカナコの姿があった。昨日とは違った装いで、白いワンピースとつばの広い帽子の組み合わせは、サナトリウム文学に登場しそうなヒロインそのものといった雰囲気をまとっていた。
しばし、ぼーっとその光景を眺める。
やはりカナコは綺麗だ。気安く声をかけるのをためらってしまうくらいに。
しかし、そうも言っていられない。カナコが待っているのは自分なのだから。
「お待たせ、カナコ――」
と、声をかけた直後――
「――――っ!?」
突風が吹き、カナコの白いワンピースの裾(すそ)がめくれあがった。
カナコは慌ててそれを押さえたが、ミズキには『また』見えてしまった――初めて出逢った日に見たのと同種の、挑発的な黒い下着が……。
「ミズキ……?」
呆然とするミズキの姿に気づいたカナコが、怪訝そうに名前を呼ぶ。
「どうしたの?」
「……カナコは、いつもそんなすごい下着を穿(は)いてるの?」
「?」
「いや、だから――」
不思議そうな顔をするカナコに、ミズキは世間一般的に言われるところの『黒い下着』の意味を説明する。
それを聞いたカナコは、顔をわずかに紅潮させる。
「で、でも……カヤさんが『これくらい普通よ』って――」
カナコにしては珍しく、口調もたどたどしい。動揺している証拠だ。
話を聞くと、件(くだん)の下着はすべてカヤからのプレゼントらしい。
ミズキの頭には、悪戯(いたずら)を成功させて喜んでいるカヤの姿が浮かんでいた。
「カナコは……カヤさんにもてあそばれてたんだね」
冗談めかしつつも、気の毒そうにカナコに告げる。
「――くっ」
咄嗟(とっさ)にカナコが携帯電話を取り出し、操作する。恐らく、呼び出しているのはカヤの番号だろう。
『もしもし。どうしたの、カナコ? 電話なんて珍しいじゃな――』
「カヤさんの馬鹿ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!」
カヤの言葉を最後まで聞かず、カナコは思い切り叫ぶと、一方的に通話を切った。
はあはあ、と荒い呼吸を繰り返すと、握っている携帯電話に付けられたストラップが揺れた。昨日、ミズキとおそろいで買ったものだ。
黒い天然石――オニキスが光を受けて鈍く光るのを見て、ミズキは嬉しくなった。
「付けてくれてるんだね、それ」
そう言ってミズキは自分の携帯電話を取り出し、カナコと同じストラップをかざして見せる。
カナコは少しだけ照れたように視線をそらしてから、同じように自分のストラップを掲げて見せてくれた。
「ええ。そのために買ったんだし……」
「そっか――そうだよね」
ミズキが満面の笑みを浮かべると、つられるようにカナコも自然と笑顔になった。
† † †
〈タカマガハラ〉本部――その食堂で昼食を摂っていたカヤの携帯電話から、少女の怒声が響き渡った。
『カヤさんの馬鹿ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!』
慌てて携帯電話を耳から遠ざける。
しばしの無言の後、再び携帯電話に耳を当てる。通話はもう切れていた。
「……なんだったのかしら?」
呆然とするカヤ。
「今のカナコから?」
カヤの隣の席に座っている娘が訊ねた。
長い白髪と赤い瞳の娘だ。日本人離れした特長的な容姿だが、外国人といった感じではない。
飯綱メイ。
見た目の年齢は二十代前半。
〈タカマガハラ〉での肩書きは情報分析官となっている。
「ミズキがここに来てから一週間。この短期間でちょっと変わったね、カナコ」
好物の鳥のからあげをぱくつきながら、メイは感心したように言った。
「ええ、そうね」
携帯電話を閉じ、感慨深そうにカヤは応じた。
「もしくは、あれが本来のカナコなのかもしれないわ。なんでもない事で笑ったり、怒ったりする普通の女の子」
そうだ。普通に笑って、普通に怒る――普通の女の子であってほしい。
それがカヤのささやかな、しかし切実な願いだった。
「それで? なんでカナコは怒ってたの?」
メイの問いかけに、カヤは「さあ?」と答えて、首をひねった。
† † †
「思えば、カヤさんは出会った頃からそうだった。私をおもちゃにして遊んでるのよ」
カヤに対する愚痴を言うカナコ。
だが、ミズキはそんな彼女の言葉の端々に、親しい間柄であるが故の感情のようなものを感じた。口では邪険に扱っているが、それはカヤに気を許している証拠だろうとミズキは思う。
「カヤさんは、カナコが可愛くて仕方ないんだよ。可愛い女の子が居れば、可愛い服を着せてみたくなるのは判るし……その、下着はちょっとやりすぎかもしれないけど」
下着という単語に反応して、カナコの頬がわずかに紅潮する。高校生にあるまじき、挑発的な黒下着を着けている自分に、改めて羞恥心を感じているのかもしれない。
「……行きましょう。今日は高校生らしい『普通の』下着を買うわ」
そして、少し口ごもるようにして、
「でも、普通ってよく判らないから……ミズキも一緒に選んでくれる?」
と、つぶやくように口にした。
その表情が可愛くて、放っておけない。
だからミズキの答えは決まっている。
「うん、もちろん。可愛いのを選んであげる」
そう言ってミズキはカナコの手を取った。
† † †
(ミズキの手は温かいな)
何気なく手をつないでくれるミズキの体温を感じながら、カナコは引かれるままに歩を進める。
こんなふうに誰かと手をつなげる日が来るとは思ってもみなかった。思い返してみれば、ミズキはよくこうして手をつなぎたがる。これが彼女の距離の縮め方なのかもしれない。
最初は抵抗があった。迷惑ではないだろうか? 嫌がられていないだろうか? そんなふうに考えてしまうから。
しかし、ミズキの楽しそうな表情を見ていると、そんな事を考えてしまう自分が馬鹿らしくなった。彼女はきっと、ただ良かれと思って行動に移しているだけだ。
なんの打算も無く。
ただ、そうしたいから。
だから手をつなぐのだろう――それがミズキの愛情表現だから。
(ミズキ……)
つないだ手に想いを馳せる。
(あなたのためになら、きっと私は戦える)
だから、ずっとこうして手をつないでいてほしい。
そのためには戦わなくてはならない。タタリガミを倒すためではなく。この世界を護るために。
ミズキと生きるこの世界を。
† † †
まずは無難に大型デパートの下着売り場を巡り、次にブティックを物色し、気になったものがあれば試着をした。どの店でもカナコの存在は目立った。やはり美人だからだろう。自然と店員が寄ってきては、あれこれと様々な服を勧められる。
美人は何を着ても似合うというが、ミズキはその実例を見せられている気分だった。
そして、カナコに対して嫉妬の類を抱かないのが、ミズキという少女の美徳だった。むしろ、慣れない事態に困惑するカナコをフォローするのが楽しくて仕方なかった。
結局、デパートに入っていたブティックを全店制覇した。
散々あちこちで試着をしたが、結局、購入したのは最後に入った店のみだった。
カナコはミズキが選んだ、黒いゴスロリチックなスカートとキャミソールを。
ミズキはカナコが選んだ、ピンクハウスっぽいワンピースを。
どちらも普段着にするには派手なものだが、非現実感が気に入って買う事にした。
ミズキは「似合わないよ~」と苦笑していたが、カナコが「いいえ、すごく似合ってる」と主張して譲らなかった。実際、ミズキは可愛らしい顔立ちをしているのだ。それに自覚が無いのはもったいないとカナコは思った。
そして、それはカナコ自身にも言える事ではある。
要はカナコもミズキも似た者同士なのだ。
それに気付くと、なんだかおかしな気持ちになって、ふたりで笑った。
「そろそろ、お昼ご飯にしようか?」
というミズキの言葉を聞くまで、カナコは時間を忘れていた。そのくらい楽しくて、あっという間だった。
ふたりはフードコートのフロアに移動し、それぞれに購入した食事の乗ったトレイを手に、空いているテーブルを探して席に着いた。
カナコはホットドッグとホットコーヒー。
ミズキはライスの上にビーフを乗せた鉄板焼き。
「本当に肉が好きなのね」
ランチでがっつりと肉を食べるミズキに、カナコは少しあきれていた。
「うん。カナコはそんなに少しで平気なの?」
ミズキは不思議そうに問う。
「充分よ。あまり食べる方じゃないの」
「だから、そんなに細いんだ……うらやましい」
「ミズキも、そんなに食べる割には太らないのね」
「う……そんなに見ないでくれるかな」
ミズキが両腕で抱くようにして自分の身体を隠す。
「…………」
そういえば、以前ミズキに抱きしめられた時にふくよかな感触があったのを思い出す。服の上からでは判らないが、彼女は着やせするタイプなのかもしれない。
カナコはふと自分の胸元に視線を落とす。
「…………」
そして、ミズキの胸元に視線を移す。
「な、何かな……?」
カナコの視線の意味に気付いたのか、ミズキは居心地悪そうに身をよじった。
「………………隠れ巨乳」
「い――言わないで! 恥ずかしいんだから……」
「否定しないのね」
「誘導尋問だ! 謀ったな!?」
「太らない訳ね。栄養が胸に行ってるんだ」
「もう! それ以上はセクハラで訴えるよ!」
顔を真っ赤にしてミズキが抗議してくる。
面白い。セクハラ親父――野口の事だ――の気持ちが少し判った気がした。
そんな他愛の無いやり取りが――楽しい。
普通の女の子同士の、普通の日常。
そんなものとは無縁だとカナコは思っていた。
(ミズキのおかげかな)
ミズキと出逢って変わり始めた。世界が変わって見えた。
きっと自分も変わっていく――変わっていける。
それがカナコは嬉しかった。
† † †
やがて食事も終え、話題が一旦途切れたのを潮に、カナコは昨日見せられなかった夜神楽の件を告げる事にした。
「昨日はごめんなさい。夜神楽、見せられなくて」
「仕方ないよ。〈スサノオ〉で戦った日は舞えないんでしょ?」
事情はカヤから聞いている。だから、ミズキはカナコを責めないし、そんなつもりも無い。
「次はいつ舞うの?」
「私の担当は土曜日だから、来週ね」
「そうなんだ」
「言っておくけど、『舞』と言っても華やかなものじゃないわよ?」
過度な期待をされても困ると、カナコは少しだけ真面目な顔をして言った。
「あたしは、カナコがやるから見たいんだよ。カナコがやるから興味があるの」
それに、とミズキは付け加える。
「カナコが舞うなら、それはきっと綺麗だよ」
「……お面を付けるから、どれが私かなんて、判らないかもしれないわ」
カナコの表情が少し曇る。
(意地の悪い言い方だな。どうして、こんな事を言ってしまうんだろう)
だが――
「――判るよ」
ミズキは優しい笑みを浮かべていた。
「きっと見つけてみせる。あたしがカナコを見間違う事なんてない」
その言葉は、カナコの曇った表情を吹き飛ばすのに充分だった。
「ミズキ……」
「だから、そんな寂しそうな顔しないで」
どうしてこうも、言ってほしい言葉をくれるのだろう。
不安で仕方ない、心の闇を振りほどいてくれるのだろう。
(ねえ、どうしてミズキは私を気にかけてくれるの?)
言葉には出来なかった。言葉にするのが怖かった。
だから、想いを視線に込めて、じっとミズキを見つめた。
「…………」
「? 何かな?」
きょとんとするミズキ。
伝わらなかった。だが、それでよかった。
今はまだ、これでいい。
いつか、そんな事が気にならないと思える日まで、この疑問は秘めておこう。
ミズキと共に居るのが当たり前になって、こんなつまらない事を考えた事もあったなと、思い出話に出来る日が来るまで。