あなたといるからver.1.0   作:流遠亜沙

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第九話『明日への帰還』

 声が聴こえた――カナコの声が。

「カナコ――!」

 高千穂高校のグラウンドに転送された〈スサノオ〉のコクピットで、ミズキは声を頼りに機体を動かした。

『ミズキ、カナコの声が?』

〈ヤサカニノマガタマ〉の機械音声(マシン・ヴォイス)がミズキに訊ねた。

「うん、聴こえた。カナコはそこに居る」

 声はミズキにしか聴こえなかったのだろう。だが、幻聴などではない。確かに聴こえたのだ。

 カナコが呼んでいる。

 助けを求めている。

 ならば助ける――いや、もし求められていなくても、助けたいのだ。

「そうだよ、カナコ……あたしはあなたを助けたいんだ」

 初めて逢った時の事を覚えている。

寂しそうな目をした綺麗な少女……それがカナコだった。

どうして、そんな目をしているのか。

気になって、追いかけた。

そして――友達になれた。

もう、あんな寂しい目をさせたくなかった。

「それは私の勝手な願い。だけど――」

笑って欲しい。幸せになって欲しいと思う。

「だから助けるよ……。お願い、〈スサノオ〉!」

 不思議と〈スサノオ〉の動かし方は判った。ミズキの想いに応える様に、動いてくれた。

 巨大な右腕を振り上げ、『貫手(ぬきて)』の要領で、指先を貫くように中空に突き入れる。すると『見えない壁』を貫いているかのような手応えがあり、〈スサノオ〉の右手が『見えない壁』の奥に突き刺さった事が判る。続けて同じように左手も突き刺し、『見えない壁』を無理矢理こじ開けるように両手を左右に開こうと力を込める。

『このまま最大出力で空間をこじ開けます。ミズキ、貴女の力を〈スサノオ〉に注いでください』

「どうすればいいの?」

『この言葉を――』

〈ヤサカニノマガタマ〉の機械音声と共に、ミズキの脳裏に言葉が浮かぶ。

「――その威を示せ(アクティベイト)!」

〈スサノオ〉が咆哮を上げる。その姿は神話に語られる『荒らぶる神(スサノオ)』のようだった。

 

    †  †  †

 

 異相世界に揺らぎが生じた。

 そして、『見えない壁』があるかのように、空間に亀裂が入る。亀裂の中心からは巨大な『手』が生えていて、それが『見えない壁』をこじ開けるように左右に開いた。

「来たか……『荒らぶる神』よ」

〈テング〉が予想していたかのような口調で、巨大な手の持ち主を呼んだ。

『見えない壁』をこじ開けて現れたのは〈スサノオ〉だった。

「…………〈スサノオ〉?」

 わずかに残った気力を振り絞ってカナコは呟いた。

 

    †  †  †

 

〈スサノオ〉のコクピットから見える異相世界――そこは、ただひたすらに黒い空間だった。

 ミズキの視界の右には見知ったカナコの姿が。

 左にはミズキと同じ顔をした誰かの姿があった。

「何あれ……あたし?」

『あれは恐らくタタリガミです。何らかの理由から、貴女の姿をとっているのでしょう』

 疑問を浮かべるミズキに機械音声が応えた。

『それよりもカナコの救出を急いでください。彼女の精神状態が思わしくありません』

 ミズキの正面モニターに、カナコの顔が大画面表示される。その表情からは生気が失せている。

「カナコ――!」

『……ミズキ?』

〈スサノオ〉が拾った外部音声がコクピット内に届く。その表情通り、カナコの声には力が無い。

「カナコ、大丈夫!? 迎えにきたよ、帰ろう!」

『…………』

 カナコの表情が明るくなる。しかし、それも一瞬……俯(うつむ)き、無言になってしまう。

「カナコ? どうしたの!?」

『……ごめんなさい。私はもう、一緒に行けない――』

 

    †  †  †

 

 ミズキが来てくれた……。

 それが嬉しい。

 だけどもう――

「ごめんなさい。せっかく来てくれたのに……ごめんなさい」

『カナコ? 何言ってるの……!?』

〈スサノオ〉の外部スピーカーからミズキの声が聴こえた。ほんの少しのはずなのに、もう長く聴いていなかった気がする。

(嗚呼(ああ)……ミズキ)

 今すぐ顔が見たい。

(ミズキ……)

 今すぐ駆け出して、ミズキに抱きしめて欲しい。

(ミズキ――!)

 もう一度、名前を呼んで欲しい。

 もう一度だけでいいから……。

 

「――カナコ!」

 

 声はスピーカー越しではなく、肉声で聴こえた。はっとして顔を上げる。

〈スサノオ〉のコクピットを解放し、ミズキが飛び込んでくる。

「ミズキ……ミズキ!」

 堪えきれなくなり、カナコも叫んだ。こちらに向かってくる少女の名を呼んだ。

 互いに伸ばした手と手が触れ、指先を絡め合う。そのままカナコは引き寄せられ、ミズキに抱きしめられていた。

「えへへ……つかまえたよ」

「ミズキ……」

 また逢えた。

 もう逢えない――逢ってはいけないと思っていたのに。

「帰ろう、カナコ?」

 ミズキの声が耳朶をくすぐる。甘い響きだ。

『うん』と言ってしまいたい。

 ミズキと一緒に帰りたい。

 だけど――

「……私、帰れない」

 自分が災厄を呼んでいた。自分が世界を脅かしていた。

 帰れば、またタタリガミを呼んでしまう。

 だから――帰れない。

 なのに……。

「駄目だよ。絶対に連れて帰るんだから」

 ミズキの声は揺るがない。

 

    †  †  †

 

 誰が何と言おうと関係ない。

 カナコの意思も知った事か。

「あたしはカナコを連れて帰る! あたしがそうしたいから、連れて帰るんだ! 一緒に居たいから! 一緒に生きて欲しいから! 一緒に笑って欲しいから! だから――!」

 だから――

「〈スサノオ〉――ッ!」

 

 ――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!

 

ミズキの呼びかけに〈スサノオ〉が咆哮する。すると左腕の装甲の一部が展開し、まばゆい光を放つ。

「〈ヤタノカガミ〉……?」

 カナコがぽつりと呟いた。

 それは『三種の神器』と呼ばれるもののひとつだ。これまで、カナコが搭乗していた時には一度も発動が確認出来なかった〈スサノオ〉の装備のひとつ。

「悪い夢はもう終わりだよ――さあ、世界を照らして!」

 ミズキが告げると、黒いだけだった異相世界の色が白く反転した。

 

    †  †  †

 

 白く反転した世界。

 そこに居るのはカナコとミズキだけだった。

「……どうやって、ここに来たの?」

 時が止まっているかのような静寂の中、カナコの第一声はそれだった。他に言いたい事、訊きたい事はたくさんあるはずなのに、つまらない意地を張ってしまう。

「カナコとおそろいで買ったストラップ――これが教えてくれたんだ」

 そう言ってミズキは携帯電話を取り出し、天然石(オニキス)のストラップを揺らして見せた。

「そう、これが――」

 カナコもポケットから携帯電話を取り出し、ストラップを眺めた。一昨日の事なのに、もう遠い昔のように感じる。あの日の事を思い出す。

「……帰りたい――」

 カナコはぽつりと呟く。

「帰りたいわ」

「なら、帰ろうよ」

〈テング〉との会話を知らないミズキはあっさりとそう告げる。

「ミズキは何も知らないから、そんな事が言えるのよ」

「うん、知らないよ。ここでカナコに何があったのか、あたしは知らない。だけど、何があったって関係ない。あたしはカナコを連れ戻しに来たんだから」

「私が帰ったら、皆の迷惑になるわ」

「いいよ。あたしが許す」

「私が世界を壊してしまうかもしれない」

「いいよ。全部……何だってあたしが許す。あたしのわがままでカナコを連れ戻すんだから、あたしも一緒に責任を取るよ」

 ミズキは事の重大さを知らない。個人が責任を取れるレベルの問題ではないのだ。だから、そんな事が言える。

 だけど、知らない事が免罪符になるのなら――すべてをミズキのせいにしてしまえるなら、それでいいのではないか。

 そんな事を考えてしまう。

「……本当に、一緒に責任を取ってくれるのね?」

「うん!」

 花が咲いたような満面の笑みを浮かべて、ミズキは応じてくれる。

 優しい笑顔。

 それは救済の女神に見えた。

 ミズキなら本当に責任を取ってしまえるかもしれない。カナコにしか動かせなかった〈スサノオ〉を駆って、ここまで来てくれたのだ。不可能な事なんて無いのかもしれない。

 そう思わせてくれた。

「――帰ろう? 一緒に」

 その言葉が背中を押してくれた。

 だから――

「……ええ、帰りましょう――一緒に」

 ミズキとなら、きっと大丈夫。

 なんとかなる。

 それは思考の放棄かもしれない。

 それでも……。

「私は帰りたいと思った。この気持ちは誰にも否定させない!」

 世界が反転する。

 カナコとミズキは〈スサノオ〉のコクピットに居た。

『――お帰りなさい、カナコ。さあ、命令をどうぞ』

幾度も共に戦ってきた戦友の機械音声(マシン・ヴォイス)がカナコの耳に届く。この声もずいぶんと懐かしく感じる。

「ただいま、〈ヤサカ〉」

 だが、今は感傷的になっている場合ではない。

「〈アマノムラクモノツルギ〉、使えるわね?」

『もちろんです、我が主(イエス・マム)』

 律儀な答えを返すナビゲーション・システムに微苦笑を浮かべ、カナコは魔剣の安全装置(セーフティ)を外す祝詞(のりと)を唱える。

「ハラエタマエ・キヨメタマエ・マモリタマエ・サキワエタマエ――」

 そして――

「〈世界を壊すもの(デストラクタ―)〉――」

 咒法を選択。あとは言霊を告げるのみ。

 隣に居るミズキに視線を向ける。彼女はただ頷(うなづ)いて、カナコの手を握る。

 ただそれだけの行為に、カナコは勇気づけられる。

 ミズキとなら越えられる――どんな苦難も。

「――その威を示せ(アクティベイト)!」

〈スサノオ〉が〈アマノムラクモノツルギ〉を大上段から振り下ろす。紅(あか)い力場をまとった剣が、世界を両断する。

 

    †  †  †

 

 異相世界が崩れていく。

 それは時間にすれば一瞬の事だった。

 カナコ達が通常空間に帰還するまでの刹那に、〈テング〉はカナコの心に触れた。

「機神の操主よ、それがあなたの選択か……」

 崩壊する世界の中で、〈テング〉はひとり思考に耽(ふけ)る。

 一度は絶望したはずのカナコが、希望を取り戻した事が不可解だった。

「ミズキという介入者の存在か――まったくもって、ヒトというのは理解に苦しむ」

 何故、神はヒトに抗う力(スサノオ)を与えた?

 何故、カナコを選んだ?

 判らない事だらけだ。

 やがて刹那の時も終りを迎える。

「そうか、これが死か……」

 終りゆく世界で、またひとつのタタリガミが消えた。


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