「それはまた、とんでもない話だよな……」
魔法少女のことを全て知った中沢の感想がそれだった。
放課後になって俺は中沢に今まで知ったこと全てを話した。あまりにも突拍子もない話で飲み込めていなかったが、俺がコピーした魔法少女の力を見せることで少しだけ理解することができたようだ。
「ほむらは後日にお前を騙したことを謝ると言ってたぜ。結構罪悪感を感じていたみたいだったし」
「ああ、それはもういいさ。結果的には俺が言ったことは実現されたわけだしな」
中沢はほむらと会った時に、俺達の味方であるのなら学校でも一緒にいられるんじゃないのかと言っていたそうだ。意図していたわけではないが、それは見事達成されたというわけか。今のほむらがあるのは、案外中沢の言葉もあったおかげなのかもしれないな。
「美樹が落ち込んでいた理由っていうのが、そのソウルジェムに関する秘密だったんだな。それはショックを受けたとしても無理はないのかもしれないな……」
「ああ、だけど恭介はそれを知った上でさやかを受け入れてくれた。だからさやかは救われたんだよ」
「そして上条はそのまま美樹に告白したってことか。あいつもにくいことをするものだな。
……けど、そういうことか。だから志筑の説明には美樹が行ったんだな……」
「…………? どういう意味だよ、それは」
「ああ、いや、何でもない。今のは関係ない話だから忘れてくれ」
どういうことなんだろうか? 仁美に説明することができる人間はもうさやかしかいないってだけじゃ……いや、それなら何もさやかでなくても恭介にだって説明できるはずだ。
だけどそれは関係ないと俺も判断したから、そこから先は考えないことにした。
「それから、その魔女ってやつの正体が魔法少女っていうのがきつい話だよな……」
「……まあな。だけど安心してくれ。皆はその事実を受け入れて生きていくことを選んでくれたからな。誰かが絶望に堕ちることは、もうない」
それだけは胸を張って言える。たとえ誰かが絶望に堕ちそうになっても、皆が必ず引き戻してくれる所を俺は何度も見ているのだから。
「お前は俺達の事情を知らなくても、ずっと俺達を支えてくれていたんだよ。まどかも、お前や仁美に感謝していたからな」
「……そうだったのか」
中沢にとって当たり前のことを言っただけでもまどかには救いになっていた。何も知らなくても、何の力がなくても、支え合うことはできる。皆がそれを教えてくれたんだ。
「それでお前が昔から夢で見ていた魔女……ワルプルギスの夜だったか。ソイツが近い内にここに来るんだよな?」
「ああ、そうだ。今までの過程で色んな事実が分かったわけだけど……結局俺はどうしてこんな力があるのか、アイツとどういう関係があるのかっていうのは分からないままなんだよな……」
「お前もお前で苦労しているんだな、洲道……」
労うように中沢が声をかけてくれた。それだけでも少しだけ心が軽くなった。
「俺がその闘いで役に立つことはできないけど……ちゃんと隠さずに話してくれたことには、感謝しているよ」
「……そっか。それならもっと早く話せばよかったのかな?」
「いや、お前らのことだから、巻き込みたくないと思って話さなかったんじゃないのか?」
「そうだけど……」
「それだって間違いじゃないと思うぜ? お前らが俺達のことを思って話さなかったのなら、どうして責められるっていうんだよ? 多分、そこにある想いが同じであるなら、どっちも間違っていなかったと俺は思うからさ」
「……ありがとな、中沢。そう言ってくれるだけで、すごく助かるよ」
どちらも間違っていなかった、それを他でもない本人が言ってくれたことが俺は嬉しかった。
「まあ、色んな事実を知ったわけだけど……それで俺達の関係が終わるわけでもないな。どんな力を持ったとしても、お前らが変わらなければ何も問題はないって俺は思うしな」
「……ああ、そうだな!! 俺達の『日常』が変わるわけがない。ずっと、変わることなんてないんだ……」
何より言ってほしかったことを言ってくれた。どんなことがあったとしても、俺達の『日常』が壊れることなんてない。それを再認識できたことで俺は満足だった。
「…………」
ふと、中沢が俺のことをじっと見つめていたことに気が付いた。
だけどその瞳にある感情が何であるのかは、俺には分からなかった。
話が一段落した所で中沢が話題を変えてきた。
「……洲道、以前風見野で会っていた女の子も魔法少女で、今はワルプルギスの夜を倒すために一時的に味方になっているって言ってたよな?」
「ああ……」
そうだ。そろそろ中沢に聞いてもらおうかな。あいつの過去を語ることはできないけど、俺では気付けないこともこいつなら何か分かるのかもしれないしな。
「お前の悩みごとって、その女の子のことなんじゃないのか?」
「なっ……!?」
おかしい。俺は杏子のことはそれだけしか言っていないはずだ。なのに、どうしてそれだけで中沢には俺の悩みの正体が分かってしまったんだ……!?
「な、なんで分かったんだよ、中沢!?」
「今のお前を見ていて思ったんだよ。魔法少女の話を抜きにしても……お前はいずれその悩みにぶつかるだろうってな」
どういう意味だ……魔法少女のことを知らなくても、俺はいずれ杏子のことで悩んでいたっていうのか?
「洲道、お前はその子に対して何かをしてあげたい、だけど何をしてあげればいいのか分からない。そしてそうしてあげたい理由、いや、今のお前自身がその子に対してどんな気持ちを抱いているのか分かっていないんじゃないのか?」
「――――っっ!!!?」
なんで……詳しく知らないはずなのに、そこまで分かってしまうんだよ……? もしかしてこれは誰にでも分かってしまうようなことで、分からない俺が馬鹿だってことなのか?
「……やっぱりか。お前は美樹の上条への想いに気付いていなかったもんな。今でこそ知っているけど、それは俺達が気付かせてやったものだからな。お前も上条のことは言えないな」
「そ、それは……」
……確かに俺は最初さやかの想いには気付けなかった。皆の話を聞いて、ようやく気付けたというのが正直な話なのだから。はは、これはお笑いだな。
「――――いや、お前はそうじゃなかったんだよな。あえて気付こうとしなかったんだ」
「…………え?」
いま、中沢は何て言った? 俺はさやかの想いに気付いていなかったんじゃなくて、気付こうとしなかった、だって……?
「な、何を言って……」
「洲道、お前は……」
笑って答えようとしたけど上手くいかなかった。顔が引きつっているのが自分でもよく分かった。
だけど中沢はそんな俺にお構いなしに言葉を続ける。
「さっき俺が言った、志筑への事情の説明に美樹が行った本当の理由に気付いているんじゃないのか?」
「それは、単にさやかしかいなくて……いや、恭介も知っているわけだけど、どうせなら同じ女子が話した方が、その、言えることがあるのかもしれないし……」
言葉がしどろもどろになっているのは、自分が動揺を隠せていないからだと嫌でも気付いた。
「違うな。お前は心のどこかで分かっていたんだ。志筑も上条のことが好きだったんだってな」
「あ…………」
「だけどその想いが叶うことはなかった。その相手は、すでに別の人間のことが好きだったからだ」
「…………」
……言葉が出なかった。いつもの俺だったら、『そっかー、仁美も恭介のことが好きだったんだな。さやかのライバルが出現だな。まったく、恭介も罪なやつだよ』とか言えたはずなのに……
「志筑が上条に告白をしたのかは分からない。だけど少なくとも志筑はそのことを美樹に話していたんだ。だから志筑への説明には美樹が行ったんだよ。お互いの想いに決着をつけるためにな」
「そう、だったんだな……」
「……お前がそれを言うんだな」
だって俺は、そのことは知らなくて……いや、俺は本当に知らなかったのか……?
分からない、自分のことなのに分からないなんて……
いや、それはともかく、仁美の想いが叶わなかったってことは俺達の前にはもう……
……あれ? それはおかしくないか?
「……志筑は変わっていなかったな。上条と美樹の関係を聞いても、変わらず俺達の友達でいたよな」
「……そ、そうだよ!! つまり、仁美が恭介のことが好きだっていうのは勘違いってことじゃないか!?」
「あるいはそうなのかもしれないな。どっちにしても……よかったな、洲道?」
「な、何がだよ……?」
それはさながら蟻地獄から垂らされた糸のようで、その糸の先には蜘蛛が待ち構えていたという、どちらにしても救いがない状況のようで。俺は今の中沢が怖ろしかった。
「志筑が俺達の前からいなくならないで。お前の『日常』が壊れなくて」
「――――――――――――――――っっっ!!!!!?」
そして……その予想は完全に当たっていた。中沢の言葉は俺の触れられたくなかった所にこれ以上ないくらいに的確に突いていたからだ。そしてそれこそが、俺が気付こうとしなかった理由だったのだから。
「お前は、今ある関係が変わってしまうことを怖がっていた。誰かを好きになると、必然的に関係が変わってしまう。最悪、その人がそばにいなくなってしまう。それがお前の知っている人だとしたら、お前の『日常』が壊れてしまう」
「あ、あ……」
「恋愛感情によって誰かが離れてしまうってことは……早乙女先生っていう最たる例を俺達は何度も見てきたもんな? だからお前は無意識の内に恋愛感情が自分の『日常』を壊すものだと見なして、それに気付こうとはしなかったんだ」
「ち、違う……」
「お前は美樹の上条への想いを知ったとしても、それ以降進まないように願っていたんじゃないのか? それによって何かが変わってしまうことを恐れていたんだからな」
「違うっ!!!」
聞いていられなかった。頭を押さえてまるで自分を守るようなみっともない姿を晒していた。
「なあ、洲道。お前はそれ以外にも……何かが変わることを恐れてしまうきっかけがあったんじゃないのか? お前のかつてあった『日常』が決定的に壊れてしまう何かが……」
「……っ!!」
その言葉で、思い出す。俺が、初めて大切なものを失った時。その時に聞こえた、あの男の言葉。
『どんなものにも、平等に死はやって来る。お前の手にあるそれも、その時が……』
『聞きたくないっっっ!!!!!』
「……何が悪いんだよ」
「洲道……?」
「変わらない『日常』を求めることがそんなにいけないことなのかよ!!?」
『それ』を思い出した時、何かが切れた。目の前にいる相手に、がむしゃらに感情をぶつけたくなってしまった。
「俺はそのために闘っているんだ!! 俺は何も失いたくないんだ!! まどかも、さやかも、お前も、仁美も、恭介も、ほむらも、マミさんも……何より杏子を失いたくないから!! それの何が悪い!?」
誰かがいなくなる結末なんて認められない。認めるわけがない。
それを邪魔する存在とは魔女だ。ワルプルギスの夜だ。元がただの女の子だとしても、俺の大切なものを奪うのなら、俺は容赦なく消滅させる。同情なんてするものか。
「……洲道」
だけど目の前にいる中沢はそれで怯むことはなかった。その事実が腹立たしくもあったが、何故か同時に安心できることでもあった。
「別にお前が闘うことまでは否定しないさ。大切なものを守るために闘う。俺が聞いても格好いい限りだよ。これは皮肉でもなんでもない。そしてこの町を守ってくれるんだから、俺は感謝してもしたりないくらいだよ。……だけどな」
そう言って中沢は俺の肩を掴んだ。その力の強さに俺は驚いていた。
「断言してもいい。お前がそのままでいる限り、近い内にお前とお前の大切な人が傷つくことになる」
「な、に……?」
俺がまた……杏子を傷つけることになる、だって……? そんなことって……
「人は変わるさ。いや、成長するんだから変わらざるを得ないんだ。志筑はきっと傷つくことを覚悟して新たな一歩を進む決心をしたんだ。それができたのも……たとえ何かが変わったとしても、変わらない大切な何かがあると信じていたからだ」
「変わらない、大切な何か……?」
「それは多分お前の『日常』そのものじゃない。その『日常』の中にあるものなんだ。そしてそれは、志筑達や、そして俺やお前にもあるものなんだよ」
『日常』の中にあるもの……それは、一体……?
「洲道、その答えはお前自身が見つけるんだ。それは俺達が教えるべきものじゃないからな。そして見つけることができたら、それをもう二度と手放すな。お前の大切な人の手を絶対に手放すな。お前は強いし、頭のいいやつだから、きっとそれができるはずだ」
「中沢……」
「それができれば……お前がその子にしてあげたいことが分かるはずだ。だから自分に負けるな。お前自身と、そしてお前の大切な人のためにもな」
「…………」
結局、俺が杏子にしてやれることが何であるのか答えは出なかった。中沢はその答えは俺自身にしか出せないと言った。そしてそのためには……俺自身を克服しないといけないということが分かった。
「まあ、お前にそんなチャンスが来たっていうのは意外だったけどな。本当にその子のことが大切なんだな、お前は。俺は早い内にそんな相手を見つけられたのはお前や上条のことを羨ましいと思うよ」
「……俺も意外だったよ。もっと冷静だと思っていたお前が、そんな熱いことを言うなんてな」
そう言ったら、中沢は一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに悪戯っぽく笑った。
「ばーか、忘れたのか、洲道? 俺達は14歳、中二なんだぜ? 俺達くらいの年齢のやつらはな……親友のためにそんなことを言うことが許されるものなんだよ」
結果が出たら教えてくれと言われて、俺は中沢と別れた。
「はあ……」
正直、ちゃんとした答えは見えていない。何かを決意したわけでもないんだ。情けない限りだ。
「ああ、ちくしょうっ!!」
気合いを入れるつもりで自分の両頬を叩いた。ものすごく痛かったけど、とりあえず気合いが入った気がした。いくらなんでも、魔女退治でもこんな気持ちでいるわけにはいかない。
今は答えは見えていないけど、とにかく前を向こう。沈んでいるままではいられない。
中沢は俺なら答えを見つけられると言ってくれた。
だから俺は中沢の言葉と、そして俺自身のことを信じてみよう。
俺自身のために、そして何より杏子のために。
そう思って俺はマミさんの家へ足を向けるのだった。
放課後になって裕一達と別れた後、まどかとほむらは一緒にショッピングモールにあるCD屋へと向かった。大切な友達である二人は、こうして過ごせる時間を大切にしていた。
「ほむらちゃんは音楽はどんなものを聞くの?」
「ジャンルにこだわらず、一通り聞くわ。入院生活が長かったというせいもあるけど、ループする世界の中でも色々聞いていたこともあったけどね」
「そうなんだ。私もジャンルにこだわりは特になかったけど……今度はクラシック系のものを色々聴いてみようと思っているんだ。この前上条君のバイオリンを聴かせてもらったから、なんだか影響を受けちゃって」
「バイオリン……?」
「そう、それこそがさやかちゃんの願いの結晶なんだよ。上条君がさやかちゃんのために作った曲を私達にも聴かせてくれたの。本当に……いい曲だったんだよ」
「そうなのね……」
ほむらはその言葉に胸がつまる想いだった。今までのループした世界では、『美樹さやか』が魔法少女となってしまったら、ほとんどの例外もなく『上条恭介』へ想いが届かずに魔女になってしまっていた。
ほむらも『上条恭介』に魔法少女のことを話そうと一度も思わなかったわけではない。事実試みたこともあったが、大抵は信じてもらえないか、受け入れることができなかったかだったのだ。それゆえに、ほむらはこの世界にいる上条恭介を信じることができなかったのだ。
(それこそが……私と裕一の決定的な違いだったのね……)
裕一はずっと前から上条恭介達と共にいた。自分よりずっと近しい位置にいたのだ。彼と中沢、そして上条恭介がまどか達とさらに近い関係であったことなんて今までなかった。たった一人いるだけで状況はいくらでも変わってしまう。それで同じ結果になるなど誰が決められるだろうか?
しかしほむらはそれでもそこにいる皆を同じ存在として見てしまっていた。そして過去の結果に照らし合わせて、もはや変えられないと諦めてしまっていた。そんな決意で運命を変えるなどできるわけがなかった。
ほむらはそんな自分を恥じた。まどかと自分の可能性を信じると決めていたはずなのに、結局は誰も信じることができなかったのだから。
「ほむらちゃん、行こう?」
その時、CDを数枚買ったまどかの声が聞こえた。その声でほむらは沈んでいた心を再び奮い立たせる。
「ええ、行きましょう」
だけど、とほむらは思う。今はまどかが目の前にいる。それは今まで出会った『鹿目まどか』とは違うのかもしれないけど、それでも彼女が自分の大切な友達であることに変わりはない。
そのことを再び胸に刻み込んでほむらはまどかの後について行った。
「まどか、次はどこに行くの?」
「そうだね……あっ!?」
その時、まどかが外の方を見て驚いた表情をしていた。ほむらが何事か聞こうとしたが、次のまどかの言葉によって凍りつくことになる。
「エイミーっっ!!!」
「……え?」
その名前に驚くほむらを余所に、まどかは脇目も振らずに外へ駈け出して行った。
(ど、どうしてエイミーが……? ……いえ、それよりまどかを追わないと!!)
今は考えている場合ではない。ほむらも急いでまどかの後を追うことにした。
ほむらが走って行った先にいたのは、まどかと、まどかに抱かれている名前と住所の入ったタグをつけている黒猫だった。
「駄目だよ、エイミー!! 一人で行くのは危ないんだよ!? また事故に遭ったらどうするの!!」
「黒猫……エイミー……また事故に……!?」
エイミーと名前がついた黒猫を叱っているまどかの傍らで、ほむらは目の前の事態に混乱していた。
ほむらの頭の中にあったのは、『なぜここにエイミーがいるのか』だった。
「ま、まどか……その猫は……?」
「あ、ほむらちゃん……勝手に飛び出してごめんね。この子はエイミーっていってね、ちょっと放浪癖があって、前に事故に遭いそうになっていたことがあったの……」
「事故に遭いそうになった……?」
「あれはほむらちゃんが転校してくる数週間くらい前のことだったかな? 学校の帰りにこの子が道路で動けずにいた所に車が走っていた時があって……」
「そ、それで……?」
「それを助けたのが、洲道君だったの」
「なんですって……裕一が!?」
「あれは私と洲道君と仁美ちゃんが一緒に帰っていた時だったの。私達が道路の所に黒猫が動かずにいたのを見て、その瞬間洲道君が道路の方へ全速力で走って行ったんだ。車が轢いてしまう前に、洲道君はその黒猫を抱き上げて助けることができたんだよ」
エイミーを胸に抱えてまどか達はベンチに座っていた。ほむらはただ静かにその話を聞いていた。
「エイミーは放浪癖があって、しかも足を怪我していた。洲道君は、このままじゃまた同じことが起きてしまうと言って、最初は市の動物愛護団体の人達に預けようとしたんだけど、それなら自分が飼うことができると言ったのが仁美ちゃんだったの。それで今はエイミーは仁美ちゃんの飼い猫になっているの」
「そう、だったのね……」
また一つ、今までと違うことがこの世界で起きていた。そしてそれを起こしたのはやはり裕一だった。
「まどか、もしかしてエイミーという名前はあなたがつけたものなの?」
「ううん、洲道君だよ。私と仁美ちゃんも、命を助けた洲道君こそが名付け親になるべきだって言ったんだ。でも不思議だよね。私も名前をつけるなら、エイミーがいいなって考えていたんだもん」
「エイミーの名前を裕一が……!?」
ますます混乱してしまった。どうして裕一がその名前をつけたのだろうか? そのことはまだ彼らには話していなかった。裕一が今までの世界の情報を知っているはずがないのだ。それなのに、あの黒猫を助けて、さらにまどかと同じようにエイミーと名前をつけている。
ほむらの混乱した姿を見て、まどかは一つ思い当たることがあった。
「……もしかしてほむらちゃん。あなたが見てきた世界の中にもエイミーがいたの?」
「……そうよ。私が初めて会った『まどか』は、事故で死んでしまったエイミーを生き返らせるために魔法少女になっていたのよ」
そうしてほむらは語る。自分が初めて出会った『鹿目まどか』との想い出を。黒猫のエイミーと出会ったことから全てが始まった、暁美ほむらの物語を。
「そう、だったんだ……私、また知らない所で洲道君に助けられていたんだね……」
「裕一は……当然このことは知らないはずよ。どうして彼はエイミーと名前をつけたのかしら……?」
「私もどうしてその名前を思いついたのか聞いたんだけど、洲道君が言うには、猫に名前をつけるならもうこの名前しかありえないと言っていたんだよ」
「この名前しかありえない……?」
まどかの言葉にほむらは首をかしげる。エイミーもそれを真似て首をかしげていた。
「洲道君も昔猫を飼っていたそうなんだけど、それ以上は教えてくれなかったの。でも洲道君が住んでいるアパートはペットは飼えないってルールがあるそうだから無理だったんだ」
そのまま考え事をするほむらを余所にまどかはその時のことを思い出す。
あの時の彼はその猫以外は何も見ていなかった。道路に猫がいる。ただそれだけで、その猫の運命が分かってしまったかのように、彼は駈け出した。まるで自分が轢かれるのすら厭わないように。
そうして助けた猫を抱き、彼は何度も呟いていた。
よかった、と。今度こそ助けられてよかった、と。
その時の彼は、本当に救われたような顔をしていた。猫を救ったのは彼だったのに、救われたのは彼だというのはおかしな話だったけど、あの時のまどかにはそのようにしか見えなかったのだ。
しかしやがて何かに気付いたように彼は、その黒猫から目を逸らした。その目に宿す想いは罪悪感だったとまどかは思っている。どうしてそんな顔をしたのか、まどかには今でも分からないままだ。しかし、それは自分が触れてはいけないことであることだけは理解できた。
それ以降、エイミーの話は彼から挙げられることはなかった。そのせいで彼がいない時にエイミーの話をすることが多くなってしまったのだ。
だけど、こうして外に出たエイミーを見てまどかは思う。エイミーは彼に会うために外に出たのではないかと。今までずっと会っていなかった彼に会いたくなったのかもしれない。
それならその願いを叶えてあげようとまどかは思った。仁美にメールを送っておいて、エイミーを皆がいるマミの家に連れていってあげようと決めた。
「ほむらちゃん、ちょっとエイミーを見ていてくれないかな? 私、買いたいものを買ったらすぐに戻って来るから!」
「え、ええ……」
エイミーをほむらに任せてまどかは再びショッピングモールへ向かって走って行った。
「エイミー……」
黒猫を胸に抱いてほむらは名前を呼ぶ。名前を呼ばれた黒猫は、それに答えるように鳴いた。
「この世界であなたを見つけることができなかったけど、あなたは志筑さんの家にいたのね……」
ほむらは最初、世界をループする度にエイミーを探した。それがまどかが契約してしまう理由の一つであったからだ。しかし、まどかはその理由がなくても魔法少女になってしまうことを知ってしまってからは、あまり積極的に探すことはしなかった。まどかを見張り、エイミーを見つけなければそれでいい。もしも自分が見つけたら、市の動物愛護団体の人に預けたりしていたが、見つけられなかったら、すでに事故に遭って回収されてしまったと判断していた。
まどかを救う、その目的のためにほむらはエイミーの存在も無視していたことは否めなかった。
「そんな私が言えたことじゃないけど……私はあなたもいるこの町をきっと守ってみせるわ。だからあなたは……これからも幸せに生きてね……」
精一杯の想いを込めたほむらの言葉に、エイミーは首を傾げるだけだったが、やがて何も知らないままその頬をほむらの頬に擦り寄せてきた。
「ふふっ、もう、この子ったら……」
「よかった。ほむらちゃんもエイミーとお友達になれたんだね」
「え!? ま、まどか!?」
エイミーとのじゃれあいで頬が緩んでいた所をまどかに見られてしまって、ほむらは顔を真っ赤にしてしまっていた。そんなほむらの姿を、ほほ笑ましいものを見るかのように、まどかはくすくすと笑っていた。
「お、お帰りなさい、鹿目まどか。それで目当ての物は買えたのかしら?」
「またフルネームで呼ぶくせが出てるよ、ほむらちゃん? うん、買ってきたのはエイミーの御飯だよ。せっかくだから、仁美ちゃんに連絡をしておいてマミさんの家に連れて行こうと思ってね。エイミーをマミさんや杏子ちゃんに紹介したいし、なにより洲道君に会わせてあげたいからね」
そうして袋から出したのは猫缶だった。それはかつての世界での『鹿目まどか』がエイミーに与えていた猫缶と同じであったことに懐かしさを感じていた。
「……ねえ、ほむらちゃん。私はあなたが転校してくる前の日にね、夢を見たの。色んなものが破壊されていく世界の中で、会ったはずのないあなたがナニカと必死に闘っていた姿を……」
「まどか、それは……」
まどかの独白にほむらは思い当たるものがあった。忘れるはずがない。幾度となく闘ってきたワルプルギスの夜に何度も敗北してきた自分の姿を。そして以前の世界では、そんな自分を守るために『鹿目まどか』が契約して魔法少女となってしまっていた。そしてその結末は、いつも同じものだった。
「それは私のせいよ、まどか……きっとあなたに絡まってしまった因果の糸の影響で、以前の並行世界にいた『まどか』が見ていた光景を夢として見ていたのよ……」
「そうだったんだ……」
ほむらは今のまどかが苦しむ原因を作ってしまったのは、紛れもなく自分のせいであることを自覚せざるを得なかった。まどかを救うというたった一つの願いを叶えるために闘ってきたが、その実自分はその願いを自分が他の何か切り捨てるための言い訳にもしていた。目をそらしていたのは自分も同じだったのだと。
しかし、ほむらはそこで絶望に沈むわけにはいかなかった。今の状況を作ってしまったのが自分であるのなら、なおさら自分が闘わなければならないのだから。
その時、慌てた様子でまどかが口を開いた。
「ごめんね、ほむらちゃん。今の質問はあなたを追い詰めるつもりで言ったわけじゃないの……」
「え……?」
「夢での私はね、ずっとほむらちゃんのことを心配していたの。それで今のあなたの話で確信が持てたんだ。あなたが今まで会ってきた『私』は、どんな時でもあなたのことを大切な友達だと思っていたんだって。だって、もしも私が同じ立場になったとしても、それでも私はきっとあなたには幸せになってほしいって願っていたと思うから。きっと、全ての『私』の願いも同じだったんだって、そう思うから……」
「まどか……」
ほむらは嬉しかった。自分が『まどか』を大切な友達だと思っていたことが間違いではなかったことを、他でもない彼女が肯定してくれたことが何より嬉しかった。
だからこそ、ほむらはまどかと再び約束を交わす。
「約束するわ、まどか。私は今度こそあなたを……いえ、あなたとあなたの大切なもの全てを守る。そしてワルプルギスの夜を倒して、必ず皆であなたの所に帰ってくるわ」
「うん。ほむらちゃん、私はずっと待っているからね。ほむらちゃんが今まで過ごせなかった時間を、皆で一杯過ごしていこうね……!!」
「ええ……!!」
きっと伝えたかったであろう『鹿目まどか』達の想いを、まどかはほむらに伝えた。彼女達の想い全てを理解することはできないだろうけど、きっとそれだけは同じであるだろうとまどかは信じていた。
長い旅路の果てに二人は再び約束を交わす。全てを守り、同じ未来を歩んでいくことを。
そうして約束を交わした二人を、黒猫はただ静かに見守っていた。
恭介がさやかと付き合うことになった最たる理由は裕一と中沢です。本来、仁美のことについてとやかく言うことは許されないと思いますが、今回は裕一の歪みについて指摘するために中沢に突っ込んでもらいました。
ドラマCD、Memories of youの内容を聞いて閃いたのが今回の内容です。ほむらが最初に出会ったまどかの願いが、エイミーを生き返らせることだったわけですが、僕はそれが優しいとは思いますが、同時に甘いと思わざるを得ませんでした。放浪癖をそのままにしておいたら、いずれ同じ事故が起きることは目に見えているわけですからね。
今回のエイミーの話は、ただドラマCDの要素を盛り込みたかったわけではないんです。その話が裕一の歪みの話に繋がっているわけですから。近い内にそれを明かす予定です。