「はあ、はあ、はあ……」
数分後、肩で息をしている杏子とぼろ雑巾のようになっている俺の姿があった……
(す、すごかった……まさかあんな技を杏子は隠し持っていたとは……身体が持たないかと思ったぜ……)
そう思って杏子の姿を見てみたら、顔を真っ赤にしていたが、特に目元が赤くなっていた。そういえば何度か目元をこすっていたような気がする。
「はあ、はあ……もうちょっとやり様はあったんじゃねえのかよ……よりによってあんなことをして……」
なんだかぶつぶつ言っていたがよく聞き取れなかった。
「これじゃ素直にお礼が言えないじゃん……裕の、ばか……」
「さっきからなにぶつぶつ言ってんだよ、杏子?」
「~~~~~っっ!! なんでもねーよ!! このばーーか!!」
そう言ってそっぽを向いてしまった。まあ、あんなときにあんなことをしてしまったから、怒るのは当然だろう。とりあえず杏子が落ち着くまで待つことにした。
「それで、裕。以前お前が言ってきた休戦の申し出なんだけどさ……」
ようやく杏子が落ち着いてきたため、俺達は話を続けることにした。
「ああ。けど、今の俺にはお前に提示できるメリットはないんだ。そのことについてはマミさん達と相談しないといけないから、まだなんとも言えなくてな……」
「……いや、メリットならあたしにもあるさ」
「え……?」
「前にも言ったけど、風見野は魔女がしけているんだ。だからワルプルギスの夜にこの見滝原を壊されるのはあたしとしても困るんだ」
「そういえばそんなこと言ってたな……」
「お前が言った通り、ワルプルギスの夜はバラバラになって勝てる相手じゃない。けど数人でかかれば多分勝てない相手じゃないんだ」
「じゃ、じゃあ……?」
「……お前の申し出を受けるよ。ワルプルギスの夜を倒すまでは勝負はお預けだ。お前らと一緒に闘ってやるよ」
「杏子……! ありがとう! お前が一緒なら百人力だぜ!!」
俺は杏子の言葉に感激して思わず杏子の手を取ってしまった。
「ちょ、ちょっと裕! 顔が近い、近いって……!!」
「あ、ああ、ごめんごめん! つい興奮しちゃって……」
杏子が顔を赤くして顔をそらしてしまったため、俺は慌てて手を離した。
「えっと、それじゃあさ、ワルプルギスの夜についての話はまた今度な。今は他にやらなきゃいけないことがあるからな」
「……マミ達の所へ行くんだな?」
「ああ。マミさんもさやかもかなり落ち込んでいたからな……ワルプルギスの夜のこともまだ話してないし……」
「……そっか」
「けど、大丈夫さ!! 俺のこの手できっと二人を元気にして「おい、ちょっと待て」……ど、どうした?」
「マミ達の所へ行くのはいい……けど、その手を一体どこに伸ばすつもりなんだ、お前は?」
先ほどの赤面とは打って変わって今度は一気に視線が冷たいものに変わっていた。俺を見つめるその目はどんどん細くなっていった。や、やばい……余計なことを言ってしまったよ……
「ええと、それはもちろん、マミさん達に……」
「まさかとは思うが……あたしと同じようなことをするんじゃないだろうな……?」
「いや、その、さっきのお前みたいにそれで目を覚ましてくれると俺は思うんだよ……だから、仕方なく、ね?」
「へえ……?」
杏子の視線がどんどん冷たくなっていく。蛇に睨まれた蛙のように俺は動けなくなってしまった。
「……やっぱり、駄目?」
「駄目に決まってんだろうがっっっ!!」
杏子の怒声は教会全体を震わせ、ステンドガラスの一部がパリンと砕けてしまった。さらにここから見える外の木から鳥が数羽落ちていくのが見えてしまった。当然俺の鼓膜もダメージを受けてしまっていた。
そんなに怒らなくてもいいじゃないですか、杏子さん……
「……決めた」
「ど、どうしたんですか、杏子さん……?」
恐る恐る目の前の少女に尋ねてみる。腰が引けている俺をへたれとは呼ばないでほしい。
「やっぱりお前だけに行かせるわけにはいかないな……」
「え……?」
「お前はマミ達の所に行くんだろ? あたしもお前について行く」
「……! 本当か?」
「同じ魔法少女として言えることもあるしな。それにあたしとしても早いとこワルプルギスの夜のことについて話し合いたいんだよ。だから早いとこ立ち直ってもらわないと困るんだよ。それになにより……」
「な、なんだよ……?」
その先を聞こうとしたら、突如杏子が俺の頭を掴んで自分の顔の所まで持ってきた。目の前に杏子の顔があることと、お菓子や果物ばっかり食っているせいなのか、彼女特有の甘い香りによって俺は少し心臓が高鳴ってしまった。
しかしそれも彼女の次の一言で吹っ飛んでしまった。
「お前はほっとくとまた同じ間違いをするだろうからな。だからあたしはお前の監視をさせてもらうよ」
「少しは信用してくれよ!?」
「どう信用しろっていうんだ!!」
ですよねー。セクハラしたのは事実だし、言い訳しようがないですからねー。
(はあ、他に方法はないか、もっとよく考えておくんだった……)
おかげで杏子の俺への評価はだだ下がりだ。しかし、それ以外を考えるとマミさん達の説得に同じ魔法少女である杏子がついてきてくれるのはとてもありがたい。しかもワルプルギスの夜のために一時的に力を貸してくれることも約束してくれたのだ。これくらいのデメリットは目をつぶるべきなんだろう。
(でもこの妙にやるせない気持ちはなんだろうな……あーあ……)
得られたものの代わりに失ったものへの未練がどうしても捨てられない俺だった。
「さてと……今日はもう遅いし、俺はそろそろ帰るとするよ」
「ああ、明日は朝から行動を開始するぞ。裕、お前はまず誰の所へ行くんだ?」
「そうだな……」
話に行くならなるべく早い方がいいから、学校は休むつもりでいた。おそらく二人も学校を休むはずだ。しかし後でまどかにも話を聞かないといけないが、さやかは家族と住んでいるから尋ねるとしても放課後以降でないと両親に不審に思われてしまうだろう。だから、次に行くべき相手は……
「マミさん、だな。あの人なら一人暮らしだし、朝早くから行けば多分家にいるだろうしな」
「そうだな。じゃあ、明日は朝八時にマミの家の前に集合するぞ」
「ああ。なら、朝飯はマミさんにお願いするか。あの人の作る料理やデザートはすごく旨いからな」
「お、いいねぇ。久々にマミの飯を食べるのも悪くない」
とりあえずこれで明日の方針は固まった。明日のために今日はもう帰って寝ることにしよう。
「ああ、そうだ。杏子、俺が渡した金はまだあるか?」
「え? ああ、一応まだ残ってるさ。今日の宿賃と明日の飯代くらいは大丈夫だ」
「了解、了解。休戦中でも食事代や宿賃の面倒はみられるから安心してくれ」
「うん、それは、助かるよ……」
杏子はいつもよりしおらしい態度で答えていた。いつもと違う返され方をして一瞬戸惑ったが、今は気にしないことにした。今は他にやるべきことが山積みなのだから。
「じゃあ、また明日な、杏子!」
「あ、ゆ、裕!」
別れを告げて帰ろうとしたら杏子に呼び止められてしまった。一体どうしたというのだろう?
「なんだ、どうした?」
「その、さ……えっと……」
そう言って言葉につまってしまっていた。顔を俯かせてしまって両手の指をいじり、片足のつま先でのの字を書いている姿は今まで見たことのない姿で一瞬あせってしまった。もう一度どうしたのか聞こうとしたら突然顔を上げて矢継ぎ早に言葉を続けていった。
「とっとと、マミ達の目を覚ますぞ! それから皆でワルプルギスの夜を倒したら、また勝負再開だからな!!」
「……ああ、もちろんさ! 必ずお前に勝ってやるからな!!」
「それはあたしの台詞だ!!」
互いに軽口を叩き合いながら俺達は別れていった。
……そうだ、これが俺達のいつものやり取りだったんだ。これが俺が守りたい『日常』の一つだったんだよ。
佐倉杏子が洲道裕一を見送ったのはこれで三度目だった。一度目は戸惑いながら別れ、二度目はすれ違いながら別れてしまったが、今の気持ちはそのどれもと違っていた。
「はあ……どうしたってんだよ、あたしは……」
そう言って杏子は自分の心臓の所をおさえていた。その鼓動は今までよりずっと速かった。今まで魔女との闘いで心拍数が上がるかことは何度もあったが、今の鼓動はそれらとは全て異なっていた。
「あいつがあたしに変なことしたせいかよ……くそっ、もっとボコボコにすりゃよかった……」
原因は裕一のしたセクハラだと決めつけた杏子は彼に対して怒りを抱こうとしたが、なぜかそんな気にはあまりなれなかった。
「まあ、いいか……」
なぜならその鼓動は今まで感じたことのない、とても甘く心地の良いものだったからであった。
「……って、これじゃあたしがセクハラされて喜ぶ変態みたいじゃねぇか!?」
自分の思考の矛盾に気付いた杏子は頭をかかえてしまった。そんなことは断じて認められなかった。
「~~~~~っっ!! やっぱり全部あいつが悪いんだ!! 裕のばかやろーーーーーーっっ!!」
杏子の叫びは再び教会に響き渡り、夜空に昇って行ったのだった。
「……ん? なんか杏子の声が聞こえたような……いや、気のせいか」
俺は自宅に向けて歩いていた。もう深夜近くになっている。早く寝ないと明日に響いてしまう。
「おっと、そうだ。忘れるところだったよ」
俺は携帯を取り出してアドレス帳から電話番号を選んで電話をかけた。もしかしたら寝てるかもしれないが、それなら明日の朝にかければいいだけである。
「……もしもし?」
「ああ、まどか? 俺だよ俺」
「えっ!? あ、あの、家には振り込むお金はないですよ……?」
「オレオレ詐欺じゃねぇよ!? 携帯見れば誰からの着信か分かるだろ!?」
確かに俺もまぎらわしい言い方だったけれども!!
「ああっ、ご、ごめんね、洲道君! つい反射的に……」
「……もういいから、とにかく報告をしときたくてな」
「う、うん」
「さっきまで杏子に会っていたけど、あいつは分かってくれたよ。もう心配はいらないと思う」
「え、本当!? す、すごいよ、洲道君!!」
「あいつ自身も強かったおかげもあるからな。俺だけの力じゃないよ」
「でもきっかけを作ったのは洲道君でしょ? それならやっぱり洲道君はすごいよ……」
まどかはさっきからしきりに俺を褒めてくるがそんなに褒められると俺としてもやりにくい。俺は話を進めることにした。
「それで、さやかの様子はどうだった?」
「……ごめんね、家に閉じこもってしまって今日は会えなかったの……携帯でも連絡が取れなくて……」
「そっか……」
考えてみるとさやかの場合、家族がいるから家に閉じこもられたら会うのは難しくなってしまう。この辺りは正直考えが及んでいなかった。少し考えた後、俺はまどかに次の内容を伝えた。
「まどか。明日俺は学校を休んで朝から杏子と一緒にマミさんの所へ行くつもりなんだ」
「うん……分かった。それなら私はさやかちゃんの所に……」
「いや、できるならお前には学校へ行ってほしいんだ」
「え、ど、どうして?」
「さやかは家族と一緒に住んでるだろ? 学校があるときにさやかに会おうとしたら両親が不審に思うからな。その点マミさんは一人暮らしだからあまり問題ないからな」
「それなら私もマミさんの所へ……」
「それはありがたいけど、まどかに学校に行ってほしい理由はそれだけじゃないんだ」
「それは、なんなの……?」
「暁美だよ」
「え、ほむらちゃん!?」
俺の答えが予想外だったのだろう、まどかは素っ頓狂な声をあげてきた。
「あいつはお前に日常に帰れと言ったんだろう? もしお前が学校を休みでもすればあいつはお前を疑うかもしれないからな。まだ未練があるのか、ってな」
「…………」
もちろん、これはあくまで可能性の話だ。あんなことがあった後だからまどかがショックで休むこともあり得ると暁美は考えるかもしれないし、そもそも暁美が欠席することだってあり得るのだ。しかし、なるべくそういう可能性に対しても備えておきたかった。今暁美に邪魔されるわけにはいかないのだ。
「そんなわけで、まどか。できるならお前には暁美のことを少し見張っていてほしいんだ。もしマミさんが立ち直ってくれたら、後はさやかだけだからな。魔法少女同士にはテレパシーっていう便利な連絡手段があるからな。マミさんや杏子が何度も呼びかければあいつも出てこざるを得ないと思うんだ」
「う、うん、分かった、やってみるよ……」
まどかはあまり乗り気ではないようだ。確かに友達の見張りというのはあまり気持ちのいいものではない。まどかにとっても辛いだろう。もちろん、暁美が俺達の監視に動くこともあり得る。けど俺は、暁美ならまどかのことを優先するような気がするのだ。俺達が動くためにはまどかの協力が必要なのだ。
「あのね、洲道君。ほむらちゃんと仲間になることはできないかな?」
「なんだって?」
唐突にまどかはそんなことを言ってきた。俺は今のまどかの言葉の真意を確かめようとしたが、それより先にまどかが言葉を重ねてきた。
「今日ほむらちゃんに聞いたんだけどね……実はこの町に……」
「ああ……ワルプルギスの夜が来るって話を暁美から聞いたんだな?」
「し、知ってたの!?」
「暁美は以前に杏子にその話を持ちかけて協力を求めていたことがあったんだよ。もっとも、杏子は信用できないって言って断ったんだけどな。その話を杏子が教えてくれたんだよ」
「そうだったんだ……す、洲道君、あのね……」
まどかがしどろもどろになりながら、なんて声をかければいいか分からない様子だった。おそらく長年の因縁があるワルプルギスの夜がこの町に来るということで俺が不安に思っていると考えているんだろう。
「心配するな、まどか。もう取り乱したりはしないよ」
「そう、なの……?」
「確かにその話を杏子から聞かされたときは取り乱してしまったよ。それで杏子になんのメリットも提示せずにただ力を貸してくれって言ったんだ。そんなんじゃ断られるのは当然なのにな。結局拒否されて、それで逆上して杏子と口喧嘩してしまったんだ……」
「そうだったんだ……」
「その後杏子と別れてしまって、ふらふらさまよっている時にタツヤ君が迷子になっているのを見つけてな。お前の家に行って知久さんに会っていたんだよ」
「あ、そうだ! パパ達が言ってたよ。また洲道君にお世話になったって。遅くなっちゃったけど、タツヤを連れてきてくれてありがとう、洲道君!」
「ああ、どういたしまして。それでその時に知久さんに杏子と喧嘩したことを相談したんだ。そのときに教えてくれたことが俺を立ち直らせてくれたんだよ」
「パパは……何て言ってたの?」
「一度裏切られた後でもう一度信じる勇気が持てれば、きっとその想いは相手に届くってさ」
「信じる勇気……」
「その言葉で俺は杏子のことを最後まで信じることを決意できたんだよ」
「それで……洲道君の想いは杏子ちゃんに届いたんだね……」
「多分、な。ワルプルギスの夜との闘いでも力を貸してくれると約束してくれたしな……」
「そっか……うん、よかったね、洲道君……!」
「うん……本当に、よかった……」
知久さんのおかげで俺はここまでこれたのだ。本当にあの人には感謝してもしきれなかった。そうだ、今度また改めてお礼に行かないとな。
「……私も、信じているよ」
「まどか……?」
「マミさん達もきっと立ち直ってくれる。それで、ほむらちゃんとも分かりあえる日が来ることを信じているよ……!」
「そっか……けどさ、まどか。それはもう少し後にしてもいいか?」
「え? ど、どういうこと?」
まどかの気持ちは分かるが、今は暁美に余計なことをしてほしくないというのが正直な気持ちだった。
「今は俺達はマミさん達のことを優先しないといけないからな。二人のことを解決してから暁美に話をしてみようぜ」
「そう、だね……」
「だから、さ……暁美のこと、任せたよ。見張りとかじゃなくてもいいからさ」
「……うん、任せて!」
暁美のことはまどかに任せよう。最終的には俺達はあいつとも仲間になってアイツと闘わなければならないのだ。まどかの言葉ならきっと暁美に届く。今はそんな期待を持っていた。
「頼んだぜ、まどか。魔法少女じゃない俺達にもできることはあるんだってことを暁美に見せてやろうぜ」
「洲道君……」
「友達のことを心配することは当たり前だからな。俺達は何も間違ったことはしていないんだ」
「うん……そうだよね、そうなんだよね!」
「じゃあまたな、まどか。できるなら明日は皆でマミさんの家でケーキを食べようぜ」
「うん! あ、洲道君……」
「どうした?」
「ありがとう。洲道君がいてくれて私は救われたよ。ううん、洲道君だけじゃなくて、中沢君や仁美ちゃんにも救われた……私にもできることはあるんだって教えてくれた……」
「まどか……」
「頑張ろうね、洲道君。きっとなんとかなるって、今ならそう信じられるんだ」
「ああ、もちろんさ。それじゃあお休み」
「うん、お休みなさい……」
そう言ってまどかとの電話は切れた。そしてちょうどまどかと話し終えたときに家にたどり着いた。そしてそのままベッドへダイブした。
「なんだか長い一日だったな……早く寝るか……」
明日も長い一日になる。俺は薄れゆく意識の中でそんな予感がしていたのだった。
アニメでは杏子は不安定じゃありませんでしたし、マミさんはマミっていたため、まだスタートラインにも立っていません。裕一達はほむらの所にまでたどり着けるのでしょうか?