俺は走り続ける。間に合わないことは頭では分かっているが、それでも俺はあきらめない。この手を伸ばす。
残り五メートル。
まだ怪物は巴先輩に噛みつかない。――――大丈夫、大丈夫だ。
残り四メートル。
まだ怪物は巴先輩に噛みつかない。――――なんだ? 怪物に何か起きたのか? まさか魔法少女は食えないとか、そんなオチか?
残り三メートル。
まだ怪物は巴先輩に噛みつかない。――――ていうか、怪物は噛みつこうとしてないんですから、自分でよけて下さいよ、巴先輩。
残り二メートル。
まだ怪物は巴先輩に噛みつかない。――――おかしい。何故誰も動かない? 何故自分の心臓の音しか聞こえないんだ? いや、今はそんなことはいい。
残り一メートル。
まだ怪物は巴先輩に噛みつかない。――――ありえないことが起こりそうだ。やったよ、杏子。手が、届くよ。
そしてようやく、希望にたどり着く。
「巴先輩!!」
「えっ、洲道君!? ――――きゃっ!?」
俺は巴先輩の肩を抱き、倒れこむ。
それと同時にまた、カチリと音が響く。
次の瞬間、怪物がさっき巴先輩がいたところを通り過ぎていった。
それと同時に、再び心臓が大きくはねた。また自分の体に何か得体のしれないもので満たされる感覚に陥った。
「マミさん!! えっ、洲道君!?」
「ゆ、裕一!? なんでマミさんのところにいるの!?」
まどかとさやかがよく分からないことを言ってくる。だが、そんなことはどうでもいい。巴先輩は今こうして無事でいるんだ。それだけで十分だった。
「洲道君、どうしてあなたが……?」
巴先輩も困惑しているようだ。彼女まで何を言っているんだ? 俺には何も分からないが、ひょっとして分からないのはまどか達の対応じゃなくて、俺自身の方なのかもしれない。とりあえず今の俺はこう答えるしかなかった。
「どうしてって、普通にあそこから走ってきたんですけど……」
「そ、そんなわけないわ! だって、一瞬で私の所にまで来てたじゃない!?」
混乱してきた。さっきから何を言っているんだ、この人達は。やっぱりどういうことなのか、今の俺には分からなかった。
だが、そんなことを考えている場合じゃなかった。黒い怪物がこちらに気付いたのだ。
あれが魔女の本体なのだろう。先ほどのプレッシャーの正体は、この化け物から発せられていたのだ。妙にファンシーな姿をしているくせに、その実は獰猛で残酷なな獣となんら変わりはしない。
『二人とも、このままだとマミや裕一が危ない!! 今すぐ僕と契約を!!』
そのときキュゥべえの声が頭に響いた。無意識に俺は叫んだ。
「やめろ、まどか!! おまえが今のままで契約するのは、絶対に駄目だ!!!」
俺はまだ、まどかに話していないことがある。このまま魔法少女にさせるわけにはいかないんだ。
「え、そ、そんな!?」
まどかも困惑しているようだ。
『裕一、このままだと君も危ないんだよ? 大丈夫。まどかの才能なら、すぐにこの場を……』
「そういうことを言っているんじゃない!!!」
キュゥべえの言葉に全力で反駁する。これは才能だとかの問題ではないのだ。
「俺は今の願いで魔法少女になるのには、絶対に反対なんだよ!! この場は俺達がなんとかするから、頼むからお前はそこで見ているんだ!!」
「す、洲道君……」
まどかがショックを受けているようだ。自分の望みを真っ向から反対されることを予想していなかったんだろう。
「そうよ、キュゥべえ。今の状況で契約をせまるなんて駄目よ? この場は私が切り抜けるわ」
後ろから巴先輩の力強い声が聞こえる。
「洲道君、ありがとう。私はもう大丈夫。事情は分からないけど、あなたは私を助けてくれたのよね。あなたの勇気にきっと答えてみせるわ」
そう言って巴先輩はまた構える。よし、もうさっきのような不意打ちはないだろう。
「じゃあ、後は頼みます」
「ええ、あなたは鹿目さん達のところへ……きゃっ!?」
突如、大量の使い魔が巴先輩を襲った。あの怪物が出てきてから、なんだか活発になっているような気がする。
「く、離れなさい!!」
だが、それでも巴先輩がやられることはないだろう。問題は、巴先輩が使い魔を相手にしないといけない状況で、
黒い怪物が俺に目を向けて迫ろうとしていることだった。
「す、洲道君!! 早く、鹿目さんのところへ……!!」
巴先輩の声がスローモーションで聞こえてくる。いやいや、無茶言わんで下さい。あんな速度の敵を一般ピーポーの俺にはかわせませんよ。さっきみたいな『ありえないこと』が起きれば話は別だが。今の俺には分かる。今の俺にはそれは使えないんだ。なぜなら、今、俺の中にあるのは
さあ、どうする? よけられないなら、俺が取るべき選択肢は?
巴先輩に助けてもらう? ――――却下。彼女は今使い魔の相手で忙しい。
まどか達に魔法少女になってもらう? ――――却下。契約するな、と言ったのは俺だし、今からじゃ間に合わない。
おいおい、袋小路じゃないか。いや、待て。もう一つあるじゃないか。あのときの使い魔相手に、俺は逃げられなければどうしようとした? あのときは無理だったけど、今の俺ならどうだ?今の俺は無力じゃない。心臓の鼓動が教えてくれる。俺には、力があることを教えてくれる。
そう、逃げられないならどうする? ――――闘うしかないじゃないか……!
黒い怪物が俺のところへ来る前に、手をかざした。
その瞬間、俺の背後に数多の銃が現れた。
「え……?」
それが誰の言葉かは分からない。知る必要のないことだ。とにかく、迎撃するんだ。俺は数多の光がやつを襲うイメージを頭に浮かべた。次の瞬間俺のイメージとほんの少しずれた光景が目の前に広がった。光はやつの顔面に当たる。それだけではなく、やつの側面にも当てる。体の全ての箇所に当たるように撃ち尽くす。
やがて、黒い怪物はたまりかねたように身をねじり、その口から先ほどと同じように新たな黒い怪物が出現した。
あまり、驚きはしなかった。中にひそんでいるのはさっきのことで分かっていたことだった。だが、このままだとじり貧だ。この力は無限には使えないんだ。俺は考える。
(外からじゃ駄目だ。内から他の中身も突き破らないと、こいつは倒せないんだ)
そう結論付けた俺はさらに銃を出し、やつに弾幕を浴びせる。自分の右側面のところだけ少し薄くして。
黒い怪物はその身に受けることで、どこが安全かを感じていた。自分の左側面のところが若干薄い。そう判断した黒い怪物はこの弾幕の原因を絶つために左側に旋回して、襲いかかる。丸呑みにするために口を大きく開ける。今度は逃がさない。そう思って、口を閉じようとしたら、何かに阻まれてしまった。それは先ほどの魔法少女が使っていた白い大砲だった。
(よかった……上手くいった)
俺は自分の右側から迫ってくる黒い怪物の口に大砲をくわえさせることができた。俺は自分の右側面だけ弾幕を薄くしてやつの動きを誘導しようとしたのだ。そして、狙い通り右側に迫る怪物に、残った力で作った大砲をくわえさせたのだ。
「そんなになにか食いたいなら……これでも食らってろっっ!!!」
残った全ての力をこの化け物にたたき込む。今度は中にひそむ存在も全て吹き飛ばしてみせる。心の中で大きな引き金を引いた。
「吹き飛べっっ!!!!!」
その瞬間、黄色の閃光が黒い怪物の全てを貫いた。
誰も何も言わなかった。目の前の全ての光景が異質だった。そこでは先ほど黒い怪物を倒した少年が心臓をおさえていた。彼が倒したことは間違いない。なぜなら、彼の足もとには先ほどの黒い怪物のグリーフシードが転がっていたのだから。
『洲道裕一……君は一体……』
感情のこもらない声でつぶやき、キュゥべえは目の前の少年をただ観察していた。
「はあっ、はあっ……」
心臓のところが苦しい。気持悪い。自分のものではない鼓動を刻む。
「す、洲道君!!」
「裕一!!」
「洲道君!!」
まどか達が駆け寄ってくる。彼女達は無事だったようだ。そのことに俺はただ安堵していた。
「と、巴先輩……使い魔は……あの、黒い怪物は?」
「使い魔は私が倒したわ。魔女の方は……」
彼女は落ちている黒い何かを取って俺に見せてきた。
「あなたが、倒したのよ」
ならば、これで危機は去ったのだろう。全身の力が抜ける。
その時、目の前の世界が変わる。俺達の元の世界だ。帰ってこれたの実感した。
「巴……マミ……なぜ……?」
そのとき後ろから声がした。暁美が依然巴先輩によって縛られていたのだ。その表情は驚愕の色に染まっていた。
「暁美さん、今はあなたに構っている暇はないの」
「あなたは……この魔女には敵わない、はずだったのに……」
「いきなり御挨拶ね」
暁美が信じられないものを見るかのように声を絞り出す。その視線を俺に向けてくる。
「洲道裕一……あなたは、一体何を……?」
その視線はなにかにすがりつくようだった。その理由は分からないが、答えてやる義理はなかった。
「お前には……関係のない、ことだろ……?」
そう、声を絞り出す。そのとき巴先輩が暁美の拘束を解いた。
「暁美ほむらさん。今は私達は忙しいのよ。あなたが去らないなら、私達が行くわ」
二人はまた、険悪状態だ。それはともかく、早くこの場を離れるのは俺も賛成だった。だんだんと心臓の苦しみが治まってきていた。
「巴先輩。とりあえず、場所を移しましょう」
「ええ、分かってるわ。私の家へ行きましょう」
俺達は茫然と立ち尽くす暁美をそのままにして、巴先輩の家へと向かった。去り際に俺は暁美に精一杯の想いをこめて視線を向けた。
どうだ、暁美。俺は、お前に勝ったぞ――――
というわけで、マミりませんでした。ご都合主義かもしれませんが、長い目で見てやって下さい。