ブラック・ブレット ――漆黒の民警――   作:てんびん座

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物理だッ! とにかく物理力を上げろ!


第八話

 最初に異変に気付いたのは、寝ずの番を決め込んでいた柘榴だった。

 既に布団に潜り込み可愛らしい寝息を立てている延珠とは対照的に、彼女は壁に凭れかかりながら身動ぎもせず目を閉じている。呼吸に乱れは一切見られず、ともすれば眠っているかのようにも見える。しかしその実、彼女は張り巡らされた糸のように周囲へと感覚を集中させていた。

 そうして延珠が眠りについてから延々と黙り込んでいた柘榴が、徐にその目を開く。

 

“……見られている?”

 

 卓越した集中力と感覚器官を併せ持つイニシエーターは、時に第六感とも呼べる超人的な感覚を得ることがある。特にその手の能力に優れている柘榴は、殺気や視線といったものに対して非常に敏感だった。

 室内を窺うような視線の気配は、徐々に遠ざかるようにして小さくなっていった。一度は覗きか何かの悪質な行為かと疑った柘榴だったが、肌に浅く突き刺さるようなその視線は明らかに常人のそれではない。そう判断した柘榴の行動は速かった。

 キシリ――臨戦態勢で待機していた柘榴の両腕に嵌められたガントレットの関節が呻く。これらは半月斧と一緒にケースに収められていたものだ。腕どころか指まで覆うその防具は、鋭角的なフォルムとその黒い色彩が相まって非常に禍々しい印象を与える。

 慎重にゆっくりと視線だけを窓の外に向け、柘榴は視界内に延珠の他に誰もいないことを確認した。向けられた視線はもはや感じない。どうやらこちらからは意識を逸らしたらしい。

 柘榴は音もなく身を動かし、仰向けで眠る延珠に馬乗りで跨った。それと同時に延珠の口を手で塞ぐ。

 

「むッ!?」

 

 腹にかかる重量で流石に目を覚ました延珠は、至近に迫る柘榴に目を白黒させた。声をあげようにも、口元を抑えられているため呼吸すら難しい。

 そんな彼女に、柘榴は自分の唇に人差し指を立てることで黙るように伝えた。

 

「延珠さん、先程この家の中を窺うような気配がありました。確証はありませんが、敵の偵察である可能性があります」

「て、敵……っ!?」

 

 囁く柘榴に、延珠もまた小さな声で応じた。

 突然の出来事に延珠も驚いている。しかし全く動じた様子のない柘榴の姿によって急激に落ち着きを取り戻していた。柘榴の肩を叩き「大丈夫だ」と伝えると、延珠は静かに布団から身を起こす。その間に、柘榴は窓から周辺へと視線を滑らせていた。

 

「どうだ? 何かいたか?」

「……いいえ、周辺に人影はありません。足音どころか気配もない。ですが、蛭子影胤が蓮太郎さんに接触するためにこの場を訪れたという可能性もあります」

「蛭子……例の悪い奴だな」

 

 柘榴が里見家へと転がり込んだ理由は、既に延珠も承知している。その際、自然とこの事件の中心にいるガストレアや影胤についても話してあった。

 そのような怪人が蓮太郎を狙っている可能性があると聞き、延珠は顔を青くしたものだ。

 

「私は周囲を見てきます。延珠さんはここに」

「馬鹿を言えっ、妾も行くぞ。一人よりも二人だ。人数は多い方がいい。人海戦術だ」

「………………」

 

 床に横たえてあった半月斧を持ちあげた柘榴に、延珠はなるべく声を荒立たせないように反論した。すると柘榴は黙したまま延珠を見つめると彫像のように動かなくなる。こうして柘榴がフリーズする光景を延珠は何度か見たが、こういう時は大抵考え事をしているらしい。らしいというのは、柘榴が自分でそう言っていたからだ。実際のところは延珠にはわからない。

 よって延珠は、固まったままの柘榴を放置して寝間着から動きやすい普段着に着替える。やがて延珠の戦闘態勢が整うと、柘榴は無言で懐から折り畳み式の携帯電話を取り出して延珠に見せた。

 仕事用として延珠たちに柘榴が連絡先を教えた携帯電話だ。延珠の携帯電話の中には、そのメールアドレスも電話番号も登録されている。

 

「何か発見したら私の電話に一報を入れてください。急を要するというのならワン切りでも構いません。それも無理だというのなら派手な戦闘音をあげてください。なるべく目立つように。何も見つからなかった場合、30分後にここに再集合。もしも相手が時間通りに戻らなかった場合、決して一人で探しに出ないように」

「うむ、異存はない」

 

 どうやら延珠の人海戦術に異を唱えるつもりはないらしい。連絡手段を確認し合った二人は、アパートの扉を静かに開け放つ。夜の冷たい空気が柘榴と延珠を包んだ時には、既に二人の瞳は赤く変色していた。

 

「ではご無事で」

「お主もな」

 

 刹那、二人の姿が消える。

 夜空へと羽ばたくかのように延珠は電信柱の上へ、夜闇に融け込むかのように柘榴は道路の向かいの一軒家の屋根へと飛び移っていた。二人の少女たちは音もなく反対の方向へと駆けていく。

 そして延珠が蓮太郎と合流し、影胤と相対したのはその僅か10分後のことだった。

 意外なほどにアパートの近くで蓮太郎の姿を確認した延珠は、彼が拳銃を構えている姿を見て即座に緊急事態だということを悟った。そしてバラニウム製と思われる二本の刀を振り上げる少女の存在に気付いた瞬間、もはや柘榴に連絡するほどに時間が残されていないということも理解した。

 だからこそ延珠は、蓮太郎を守ると同時に思い切り小太刀を蹴り飛ばすことでなるべく大きな音を夜の街に響かせる。これで柘榴が気付くかどうかは賭けだ。しかし彼女ならば絶対に気付くという信頼を胸に抱く一方、延珠は漲る戦意を隠すこともなく蓮太郎を襲った少女に相対していた。

 

「延珠……そう、エンジュっていうんだ。私は蛭子小比奈、モデル・マンティスのイニシエーター。パパ、あの兎強いよ。今日は柘榴を殺すの我慢するから斬っていい?」

「ほう、小比奈がこうも褒めるとは珍しい。柘榴くんといい彼女といい、強敵とこうも頻繁に遭遇するとはね。だが駄目だ。何度も言っているだろう、愚かな娘よ」

 

 影胤の仮面のように口元を半月型に歪ませた小比奈は、興奮したように小太刀の刃を延珠に向ける。しかし小比奈にとっては残念なことに、影胤はそれを承認しない。それどころか、若干急ぐ様子すら見せていた。

 

「君のイニシエーターがここに来たということは、既に柘榴くんも私たちの存在に勘付いているね? 彼女が来る前に目的を済ませよう」

 

 進み出る影胤を、延珠が警戒心も露わに睨む。今にも飛び出していきそうな彼女だったが、しかしそれを牽制するように小比奈も二刀を構えた。緊迫した空気は、今にも戦闘が再開される気配を盛大に醸し出していた。それを感じていないはずがないだろうというのに、影胤は臆することもなく蓮太郎と延珠の前に身を晒す。

 自身の斥力フィールドと小比奈の戦闘力を信頼するが故の、絶対の自信だった。

 

「単刀直入に言おう。私の仲間にならないかね?」

 

 

 ◆

 

 

 漆黒のゴシックロリータは夜空によく馴染む。

 住宅街に広がる家屋の屋上や屋根の上を軽やかに舞いながら、柘榴は時折見かける通行人に気付かれることもなく見回りを行っていた。長大な武器を担ぎながらも、ふわりと空を飛び回る彼女は足音の一つすらも立てない。

 ほぼ完全に気配を遮断し余人の五感に引っ掛からないという高等技術を披露しながら、柘榴は視線を周囲に彷徨わせていた。しかし一向に目的の影胤を捉えることは適わず、これは自分の方はハズレなのではないかという考えさえ起き始めていた。あるいは自分の考えすぎだったのか。

 

“それならそれで構わないけど”

 

 一旦足を止めた柘榴は、仕事用の折り畳み携帯電話の側面のボタンを押す。外側に取り付けられた小型の液晶に表示された時計によれば、柘榴と延珠が別れてからまだ10分ほどだ。まだしばらくはこの辺りを回ってみるつもりだったが、これ以上進めばひと気の多い都市部に到達してしまう。もしも影胤が普通の格好で人混みに紛れてしまえば、柘榴にはどれが影胤なのか判断ができない。

 そう考えた柘榴は、知らぬ間に影胤を追い抜いてしまった可能性も考慮して引き返すという選択肢を取った。そのまま蓮太郎たちの家の付近を突っ切り、延珠が向かった反対側にも足を運ぼうと考えたためだ。

 再び柘榴の身体が浮かび上がり、夜に紛れるように消える。唯一彼女の足跡があるとすれば、一瞬で飛び去る赤い二つの軌跡だけだ。

 そうして一軒家の屋根の上を跳躍していた柘榴は、不意に強化された聴覚から異音を聴き取った。そう遠くではない。しかも恐らくは破砕音の類だ。瞬時に跳躍の方向を変更。足場が凹み砕けることも厭わずに、柘榴は脚へと力を込める。

 そして柘榴が軌道を変更した直後、今度は先程とは別種の甲高い音を捉えた。先程の音が破砕音だとすれば、今度の音は戦闘音だ。柘榴も聞き慣れた金属の武器同士が激突する音だ。距離はまだ少しある。

 もしかすると、延珠がアタリを引いたのかもしれない。

 

“今日こそ確実に仕留めないと”

 

 最低でも、柘榴は今日この場で影胤か小比奈のどちらかの首を獲るつもりだった。恐らく、影胤は今回も小比奈を連れているはずだ。もしも連れていないというのならばそれはそれで好都合。余計な小娘に気を取られることなく影胤を殺すことに専念できる。

 そうとなれば、念には念を入れる必要がある。

 屋根から電信柱に跳躍した柘榴は、そのまま近くのマンションの屋上に飛び移った。一軒家などよりも遥かに開けた視界から、柘榴は影胤と延珠の姿を探す。そして程なくして、とあるひと気のない路地で睨み合う四人の姿を確認した。蓮太郎たちのペアと影胤のペアだ。

 先程までいたアパートからそう遠くない場所にいたことに驚きながらも、同時に状況が動く様子がないことを柘榴は好機と捉えた。このままならば柘榴があの場に到着する前に、影胤たちが逃走することなどという間抜けなことにはならない可能性がまだ残っている。

 

“そうとわかればすぐにでも――”

 

 再び脚に力を込めた柘榴は、しかしその直前で踏み止まった。蓮太郎たちのいる位置からそう離れていない場所に、あるものを捉えたからだ。目測で二点の距離を測り、それが柘榴の“射程圏内”であることがわかると柘榴は無言で進路を変える。

 

“行ける。今日の装備なら殺せるッ”

 

 状況を察するに、もはやそう長い時間は残されていない。まだ手遅れではないというだけでいつ手遅れになってもおかしくはないのだ。

 だが柘榴は焦らない。一呼吸の内に焦燥を押し殺し、機械的に影胤と小比奈の殺害の手順を組み立てる。自分に出来得る最大にして最短の最適解を導き出す。どんどんと頭が冷え、それに伴って五感がさらに鋭くなっていくのを柘榴は感じた。身体は柘榴の命令通りに淀みなく動き、高揚感のまるでない凍てつくような全能感が脳に満ち溢れる。

 

“殺す”

 

 柘榴の思考が“殺害”の二文字に集中する。だが思考と理性が完璧に殺気を抑制し、気配の一つすらも漏らさないその姿はまさに獲物を陰から狙う野生の肉食獣のそれだ。

 影胤や小比奈にその存在すら悟らせることなく、柘榴は再び夜闇に融けていった。

 

 

 ◆

 

 

 予想外の影胤の言葉に、蓮太郎は小さくない動揺を受けていた。人間が最も恐怖する存在は“未知”だ。意図のわからない影胤の言葉に、蓮太郎は大きな混乱と恐怖を覚えていた。

 

「仲間だと!?」

「そうとも。実は君のことが、私はなぜだか好きになってしまったらしい。こうして再び顔を合わせてみてもやはりそう感じる。このまま殺すことは容易いが、それが私には惜しくて堪らない」

「ケッ、俺にそっちの気はねぇよ。何ならいいゲイバーでも紹介してやんぜ?」

「ヒヒヒッ、気が合うね。私も同性愛の趣味はない」

 

 おどけるように両手を広げた影胤に、蓮太郎の頬を冷や汗が伝う。蓮太郎は、目の前の男が本当に自分と同じ人間なのかという疑念すらも抱き始めていた。彼は自分に何を感じ、そして何のためにこのようなことをしているのか。隣に延珠がいなければ、今頃恐怖に負けて銃を乱射していたかもしれない。

 

「里見くん、君は今の東京エリアの在り方は間違っている。そう思ったことはないかね?」

「何ッ」

 

 影胤の言葉によって、昼間の少女の記憶が蘇る。凶弾に斃れ滝のように血を流す少女の姿、そしてその原因を作った市民を守るはずの警察官。そして正義を謳う民警でありながらも、恐怖に負けてただ見ていることしかできなかった自分。

 これを間違っていると言わず何と言おう。だが、蓮太郎は素直にそれを肯定することなどできなかった。目の前の男の言葉を僅かにでも肯定してはならないと、民警としての義務感が叫んでいる。

 その逡巡を読み取ったのか、更に影胤は蓮太郎に語りかける。

 

「これから起きる……いや、私が起こす大絶滅は東京エリアの在り方を一瞬で塵に変えるだろう。その時に生き残るのは、そこの延珠ちゃんや小比奈のような『呪われた子供たち』、そして私のような特別な人間だけだ。しかし安心するといい。私の背後には強力な後援者(バック)がいてね」

「……だからテメェの仲間になって、他の東京エリア民たちの屍の上で新しい世界を生きろってのか」

「物わかりが良くて助かるよ」

「ふざけるなッ、絶対にお断りだ!」

 

 吼える蓮太郎に、影胤は聞き分けのない子供を相手にするかのように肩を竦めた。

 

「全く理解できないね。では里見くん、君は延珠ちゃんに人間のフリをさせて学校に通わせているそうじゃないか。それはなぜかね? 是非私に教えてほしい」

「……決まっている。子供が学校に行くのは当然の権利だからだ」

「意味のないことだ。それは力のない、ただの人間たちが決めたルールだ。『呪われた子供たち』は世界が産み落とした次世代の人間。マイノリティだからと大衆に媚び諂ってまで迎合するのが彼女たちの正しい姿なのかね? いいや、違う。彼女たちの正しい姿は、“大絶滅”の果てにこそある。力を持ち、優れた能力を持つ者だけが生き残る世界にこそある。私に付け、里見蓮太郎。私とともに行くその先にこそ正しい世界があるのだッ」

 

 影胤の語る壮絶な世界に、蓮太郎はしばし絶句した。この男は力のない者は滅びろと、無力なただの人間は死ねと、そう言っているのだ。なぜそこまでして能力至上主義の退廃した世界を影胤が望むのかはわからない。だが影胤は、その夢物語や妄想として片付けられてしまうその野望に王手をかけているのだ。

 改めて蓮太郎は理解した。蛭子影胤という男は、自分の理解を超えた世界に棲む化け物だ。東京エリアを飲み込まんと、大口を開けて牙を光らせる怪物なのだ。そのような怪物の誘惑に乗るなど、民警として、そして東京エリアに住まう一人の人間として許すことはできない。

 敵意に満ちた蓮太郎の目に、影胤は心底残念そうな溜め息をついた。交渉は決裂したのだ。それを敏感に察知した延珠と小比奈は、いつでも目の前の“敵”に襲い掛かれるようにジリジリと間合いを計り始める。

 

「君の選択は過ちだ。断言しよう、必ず君は後悔することになる。ヒヒッ、早ければ今日中にでもね」

「過ちだと? ああ、その通りだ。最初にお前と会った時、俺は死力を尽くしてでも貴様を殺しておくべきだった! それが俺の最大の過ちだ!」

「愚かな。君たちの行動はただの徒労だとなぜ理解できない? 君たちがいくらこの東京エリアに奉仕したところで、奴らは何度でも君たちを裏切るッ」

 

 双方の敵意が唸りをあげ、殺伐とした空気が周囲に充満する。ついに足音が聞こえるまでに近づいてきた戦いの気配に小比奈は笑みを浮かべ、延珠もまた戦いの覚悟を決めた。何か一つ、たった一つのキッカケだけでこの空気は弾け飛ぶ。一瞬先の未来では、小比奈の二刀が空気を裂き、延珠の蹴りが空間を穿っていてもおかしくはない。

 場の空気の緊張は留まる様子を見せなかった。押し潰されるような圧力に、四人の誰かの喉が鳴る。

 そしてついに、空気が――動いた。

 

「蓮太郎ッ!」

「パパァ!」

 

 眼前の敵に、二人のイニシエーターが取った行動。それは蓮太郎は愚か影胤すらも想像しないもの――戦いからの退転だった。

 “何か”に気付いたように頭上を見上げた延珠は、小比奈と影胤に背を向けて蓮太郎の腹に飛びつくと全力でその場を離れていく。一方、小比奈は頭上の“何か”から影胤を守るように必死の形相で立ち塞がっていた。わけがわからないまま、影胤と小比奈の姿が蓮太郎たちから遠ざかる。予想だにしなかった衝撃に、蓮太郎は胃がひっくり返ったかのような不快感を味わった。

 

「延珠ッ、何を――」

「伏せろ馬鹿者ォ!」

 

 一瞬で数十メートル以上の距離を取った延珠は蓮太郎に覆い被さるようにしてアスファルトに倒れ込む。引き倒された蓮太郎は、後頭部が地面に打ち付けられたことで視界に火花が散った。

 だが、それと同時に蓮太郎の背筋は凍りついていた。延珠と小比奈が気付いた“何か”――それを蓮太郎は目の当たりにしてしまったからだ。

 それはそこにあってはならないはずのものだ。常識的に考えればそれがそこにあると考える方がおかしい。蓮太郎はこの時、本気で自分が正気かどうか疑った。自分は夢でも見ているのではないか。あるいは既に影胤たちに殺され、今わの際に自分は幻想に浸っているのではないかとすら思った。

 そしてそれが現実なのだとわかった時、蓮太郎は思わず叫んでいた。

 

 

「延珠! 空からタンクローリー(・・・・・・・)がッ――」

 

 

 直後、呆然とそれを見上げていた影胤たちに、巨大なタンクローリーが垂直に突き刺さった。

 その瞬間、蓮太郎の目が莫大な光量に眩む。視界が真っ白に染まり、蓮太郎の視界は完全にゼロとなった。そしてそれに僅かに遅れ、タンクローリーの凄まじい断末魔の轟きが夜の静寂さを木端微塵に粉砕する。

 灼熱の衝撃波が吹き荒れ、地面に伏せていた延珠と蓮太郎は転がるように吹き飛ばされていった。ようやく摩擦力によって身体が地に伏すことを許されたのは、爆発の現場から100メートルほど離れた道路の上だった。

 耳鳴りがする。かなりの近さで大音量の爆音を聞いてしまったためか、周囲の音が聞きづらくて仕方がない。

 

「え、延珠……無事か……?」

「な、何とかな……」

 

 爆風によって吹き飛ばされこそしたものの、蓮太郎と延珠は比較的軽症だった。蓮太郎はまだ身体の節々が痛むが、延珠の方は見る見る間に身体の損傷が治癒していく。

 上体を起こした蓮太郎は未だに目がチカチカする中、タンクローリーが突き刺さったのを見た先程の場所を見やる。影胤は、小比奈はどうなったのだろうか。まさか死んだのか。僅かな期待と緊張を抱きながら、蓮太郎は食い入るように目を光らせる。

 文字通り爆心地となったそこは、紅蓮の炎が渦巻いていた。先程の大爆発の衝撃波によって、周辺の家の硝子窓はその殆どが砕け散っていた。周囲の家々からは、異変によって叩き起こされた人々の慌ただしい気配が漂ってくる。

 だが、異変はそれだけで終わることはなかった。不意に何かが空を切るような音を蓮太郎と延珠が聞き咎めた――かと思うと、なんと次の瞬間には爆心地がさらに土砂を巻き上げて爆ぜたのだ。そして間を置かずにさらにもう一度。轟音を立てながら道は粉々になってゆき、衝撃波で電線が鞭のように撓る。

 

「今度は何だッ」

 

 舞い上がったアスファルトの破片がパラパラと降り注ぐ中、蓮太郎は必死に叫んだ。

 蓮太郎が事態を理解できずに混乱する一方、延珠にはタンクローリーの後の爆発の原因を捉えられていた。だが蓮太郎がそれを理解できないのは仕方がない。常人では視認することも困難だろう。何せ二度目と三度目の爆発の原因は、どこからか超音速で飛来した小型の斧(フランキスカ)だったのだから。

 明らかに銃弾よりも速いその遠距離攻撃を見て、延珠は即座に攻撃の主を理解した。柘榴だ。延珠の戦闘音を聞きつけた柘榴が、味方である延珠たちにすら気付かせずに影胤たちを強襲したのだ。

 そして僅か数秒後、延珠は自身の予感が間違っていなかったことを知る。

 延珠と蓮太郎が爆炎を呆然と見守る、その数十メートル手前。区画の間を走る路地から、見慣れたゴシックロリータの少女が地面を削りながら飛び出してきたのだ。ガリガリとブーツで制動をかけながら慣性を殺し切った柘榴は、蓮太郎たちに一瞥だけくれると炎へと疾風のように駆けていく。彼女の走った跡には砕けた路面だけが残され、その踏み込みの一つずつに殺人的なエネルギーが秘められていることを如実に語っていた。

 

「柘榴!? まさかこの爆発もあいつがッ」

 

 瞬時に柘榴と三度の爆発を関連付けた蓮太郎。だがその驚愕は柘榴の放った影胤たちへのトドメの一撃によって掻き消されることとなった。

 影胤たちが立っていた位置が、ついに柘榴の半月斧の間合いに入る。その瞬間、高く振り上げられた漆黒の分厚い刃が大気を絶叫させた。いや、正確には絶叫させる時間すら与えなかった。

 路面が陥没するほどの踏み込み。瞬間的に音速を遥かに超過したことによりソニックブームを巻き起こす半月斧の斧頭。達人の如き理想的な動きとパワー特化の『呪われた子供たち』の膂力によって人外の破壊力を秘めたその一撃。

 

 

 ――大地が揺れる。

 

 

 半月斧が地面に叩き付けられた衝撃波で爆炎諸共巻き上げられていた粉塵が消し飛んだ。それを追いかけ、まるで絨毯のように蓮太郎たちの足元の地面が波打つ。そして最後に、東京エリア中に響くのではないかと錯覚するほどの大轟音が夜の静寂を殺し切った。

 先程のタンクローリーなど目ではない。柘榴の放った一撃はまさに“地震”だった。こんなことが人間に、いや生物に可能なのか。蓮太郎も仕事の都合で多くのイニシエーターたちを見てきたが、このような馬鹿馬鹿しいほどの膂力を振るう少女など見たことがない。剛力や剛腕などという言葉が霞む。人智では測りきれないその力は、まさに怪力と表現するのが相応しい。

 地面が陥没し、人の造り出した街並みが一瞬で瓦礫の山へと変じていくその様子を、蓮太郎と延珠はただ見ていることしかできなかった。大地が抉られたことで更に朦々と舞い上がった粉塵は、まるで建物の爆破解体現場のように震源地を覆い隠している。

 

「……な、何が起きているんだ。俺は夢でも見ているのか」

 

 呆然と呟く蓮太郎だが、それは延珠も同感だった。およそ現実的ではない光景に、思考が止まってしまっている。

 と、その時。粉塵の幕を突き破り、黒い影が蓮太郎たちの前まで飛び退ってきた。

 

「お二人とも、ご無事で何よりです。一瞬巻き込んだかと心配しましたが、怪我もなさそうですし結果オーライということで」

 

 蓮太郎たちに背を向けたまま柘榴が問う。その赤い双眸は未だに粉塵の中へと油断なく向けられていた。

 あのような強烈な一撃を放ったためか頬には数滴の汗が滴っており、その息もかなり荒い。しかし表情と凍りつく無機質な雰囲気だけは普段通りと変わらず、まるで人形が人間のフリをしているかのような不気味さを漂わせている。

 だが、それでもこの小さな少女があの惨事を引き起こしたなど蓮太郎には未だに信じられない。

 

「ざ、柘榴……お前……」

「申し訳ありません。あまり悠長に話している暇はないようです。逃げられました」

 

 石突を地面に突き立て、柘榴は蓮太郎たちに振り返る。

 するとまるで柘榴の言葉が事実であると示すかのように、突如吹き抜けた一陣の風が粉塵を吹き飛ばしていく。残されたのは大地に穿たれた巨大な亀裂と、見るも無残に抉られた道路の残骸だけだ。この道はしばらく人も通れないことだろう。

 だが、そこに影胤と小比奈の姿はない。肉片の一つどころか服の切れ端すらも残っていなかった。

 

「さっきのタンクローリーもお前がやったのか! っていうか、まさか中に人がいたりしねぇだろうなッ」

「中に誰もいませんよ、失礼な。……ふむ、初撃と投擲までは手応えがあったのですが、その後に逃げられたようですね。どうやら下水道を伝って姿を晦ましたようです」

 

 淡々と言葉を紡いだ柘榴は半月斧を一旋させると肩に担ぎ直し、近場にあったマンホールの蓋を素手で抉じ開けた。まるで玩具のように指が食い込んだ蓋を、柘榴は無造作に脇に捨てる。

 その姿に蓮太郎は柘榴の意図を悟った。

 

「追う気なのか!」

「当然です。此処で会ったが百年目、最低でもどちらかの首級を挙げなければ。神出鬼没の敵が姿を現し、こちらはそれを迎え撃つための準備を整えている。これはまさに千載一遇の好機です。逃す理由はありません」

 

 キシキシとガントレットを軋ませながら、柘榴は殺意を込めた視線を眼下の下水道へと向ける。

 蓮太郎が改めて柘榴を観察してみると、確かに先程の激震を引き起こしたとは思えないほど彼女の装備は損耗していない。担がれている半月斧は細かい傷があるだけで強度に影響があるようには見えず、そのシルエットは蓮太郎が見た万全の状態と全く変わっていなかった。先日の将監のバスタードソードが容易くボロボロになったことから考えれば、この強度はどう考えてもおかしい。恐らくは超バラニウムかそれに匹敵するバラニウム合金を用いて製造された特別製なのだろう。

 

「お二人は早くご自宅に戻ってください。このままこの場に残っていては野次馬に姿を見られます。蓮太郎さんはともかく、この時間にこのような状況で延珠さんの姿を見られれば『呪われた子供たち』だと勘繰られてしまうかもしれません」

 

 柘榴の言葉に蓮太郎と延珠はハッとする。確かにその通りだった。この辺りは蓮太郎たちの家の近所というだけあり、柘榴の顔を知っている住人は多いはずだ。妙な噂が出回ってしまえば、延珠があの家に住むことも難しくなってしまうかもしれない。

 既にチラホラと人の姿も見えてきている。度重なる衝撃によって周辺の街灯が残らず沈黙しているため顔を見られる危険性はまだ少ないが、油断して良い状況ではない。せっかく影胤から生き長らえたというのに、このようなことで身の危険を招くのも馬鹿らしかった。

 そうとなればこの場で足を止めていることそのものが愚策だ。

 

「柘榴、俺たちにも手伝えることはあるか? いや、むしろお前と一緒にあいつらを探した方が……」

「必要ありません」

 

 断言した柘榴に蓮太郎は僅かに眉を顰める。まるで言外に足手纏いだと言われたような気がしたからだ。

 しかし冷静に考えてみれば、今の蓮太郎は足手纏いに他ならないのだということがわかる。延珠ならばともかく、蓮太郎では影胤の斥力フィールドにも小比奈の戦闘力にも歯が立たない。加えて、例え散開して影胤を探そうにも、入り組んだ下水道では合流することも儘ならないだろう。かと言って固まって動いては何のために蓮太郎が付いていくのかもわからない。

 

「妾は? 妾に何かできることはないか?」

「ないこともありませんが、個人的には遠慮してくださるとありがたいです。延珠さんの優れた敏捷性は下水道という閉鎖的な空間に相性が悪い」

 

 延珠の言葉に丁寧に答えると、「それでは」と言い残し柘榴はマンホールへと飛び降りていった。慌てて蓮太郎たちがマンホールを覗き込むが光源のない地下を捉えられるはずもなく、黒一色に染まり切った縦穴が続いているばかりだった。耳を澄ませば微かに下水を蹴って柘榴が走り去っていく音が聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなる。もう追うことはできないだろう。

 

「どうする蓮太郎。柘榴が心配なら妾が追いかけてもいいぞ?」

「……あいつの言う通りだ。これ以上は柘榴の足を引っ張ることにしかならない。人が増えない内に家に帰ろう」

 

 既に柘榴が造り出したクレーターもかくやという爆発現場に野次馬が集り始めている。蓮太郎たちは爆風で離れた場所にまで飛ばされているためそれほど注目されていないが、すぐ傍には柘榴の指によって変形させられたマンホールの蓋が転がっているのだ。ここも直に人の目が集まるだろう。

 周囲の人の流れに逆らいながら、蓮太郎は延珠を連れだってその場を離れた。目立たぬようなるべく自然体を装って歩く蓮太郎と延珠を、そこそこの人数がすれ違っていく。幾人かは不審そうに蓮太郎たちを見ていたが、やがて興味を失うと爆発現場へと小走りで去っていった。

 

「柘榴、大丈夫かな……」

 

 蓮太郎の手を握った延珠が、心配そうに振り返った。

 確かにそれは蓮太郎も思うことではある。だがもはや蓮太郎たちにできることはない。闇雲に追いかけたところで追いつけるはずもなく、仮に追いつけたとしても柘榴の足手纏いになるだけだ。ここは彼女に任せ、自分たちは大人しくしている方が良い。柘榴ならば引き際を誤るということもないだろう。無事に影胤を打倒するかあるいは逃走を許すかをすれば無事に戻ってくるはずだ。

 だがその他にも、蓮太郎には心配なことがあった。それは柘榴と影胤たちの戦闘で引き起こされる可能性が高い二次災害である。そのことを延珠に話すと、「にじさいがい?」と首を傾げられた。

 

「つまりは戦闘の余波だな。影胤の斥力フィールドと柘榴の膂力が激突したら、どれだけの被害が周りに出るか想像もできねぇ。ビルの一つや二つくらいなら倒壊してもおかしくねぇかもな」

「そこまでなのか、あの仮面男の技というものは。柘榴は……うん、まぁ巻き添えを食らいそうになったからわかるが」

「下水道は入り組んでいる上に視界も鼻も利かない場所だから、そう簡単には柘榴も追いつけないはずだ。だけど、もしも戦闘になったら――」

 

 その直後だった。

 夜の街に舞い戻った静寂が、再び雄叫びをあげた轟音によって追いやられる。次いで何かが崩れるような断続的な音を繰り返し、そして沈黙した。距離はわからないが、ここよりもだいぶ都市の中心地に近い位置だ。

 その音は、まるで何かが崩落したように聞こえたが……

 

「……延珠」

「……何だ?」

「もう明日……というか今日の朝に備えてさっさと寝よう。俺たちは何も見なかったし何も聞かなかった、それでいいじゃねぇか。何か事情を聞かれても知らぬ存ぜぬで通すぞ。道路の弁償代がいくらになるかなんて考えたくもねぇ」

「同感だ。学校もあることだしな。妾もいい加減眠いぞ」

「今から寝れば4時間は寝れるな。よっし、今日も疲れたぜ!」

 

 愛しのボロアパートに帰宅した蓮太郎は、現実から堂々と目を背けながら部屋へと入る。

 扉を閉める時にまたどこかから崩落音が二人の聞こえてきたような気がしたが、気のせいだろうと遠い目をしながら蓮太郎は扉を閉めたのだった。

 




柘榴「タンクローリーだッ!」


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