ブラック・ブレット ――漆黒の民警――   作:てんびん座

8 / 12
難産でした、想像以上に。


第七話

「くぁッ!?」

 

 頬に受けた衝撃に、延珠は堪らず吹き飛んでいた。まるで殴り飛ばされたかと錯覚するようなその威力に、延珠は威力を殺し切れず路地を転がる。かと思うと、延珠はその双眸を赤く染めると同時に超人的な体捌きで跳ね起きた。

 

「クッ、何をする!」

 

 食らった攻撃はただのビンタ――ただ平手で頬を張られただけだ。だというのに、延珠の頬は青黒く変色していた。しかしそれも束の間のことで、すぐにガストレアウィルスによる高速再生が始まる。そして数秒後にはその傷も跡形もなく治癒していた。

 

「お、おい、柘榴! お前――」

「気に入らないので言わせて頂きます。蓮太郎さんの先程の行動。私は全く間違っているとは思っておりません。延珠さんの身を守るためにも、あの場面ではあのようにするのが最適解です。むしろ見直しましたよ。あそこであの少女の手を払ったのは、少なくとも私の中では称賛に値することです」

 

 蓮太郎の言葉を遮り、柘榴は延珠と向き合った。

 延珠は柘榴の言葉を聞き、怒りの色を濃くして声を張り上げる。

 

「なぜだッ! 蓮太郎ならば、助けようと思えば助けられたはずだ! 蓮太郎は、蓮太郎は正義の味方なのだぞ! それを――」

 

 そこまで言った瞬間、延珠は壁に叩き付けられていた。胸倉は柘榴に掴み上げられ、額が触れ合うのではないかというほどに接近して両者は睨み合う。持ち主の手を離れたケースが、重い音を立てて倒れた。

 

「延珠さん。蓮太郎さんに『破鏡』の故事を習ったお礼です、私も教えてあげます。私たちは存在そのものが、人類にとって“悪”なのです」

「あ、悪だと……ッ!?」

「そうです。人間の社会における善悪や成否――正しさとは、社会を構成する人々の多数決で決定する。その多数決の結果、社会は私たち『呪われた子供たち』を圧倒的に認めていないのです。だから同様に、それを救済する行為は人類にとって悪でしかない。ガストレア新法などという小賢しい法律をわざわざ用意しなければならないのがその証拠です。そのお天気な脳味噌に刻んでおきなさい。私たちの存在を救ってくれる“正義の味方”など、存在しないということを」

「悪などではないッ! あの少女だって救われて然るべきだ! 柘榴はあの光景を見て、何とも思わなかったのか!」

「私にも心はあります。確かにあの少女は哀れです。運がなかったとも思います。しかし蓮太郎さんは、正義の味方などではなくただのお人好しな少年です。だから救うことができるのは精々あなた一人が限度なのですよ。もう救助船里見号は、あなたという定員でいっぱいなのだということを理解しなさい」

「そんなことないッ」

 

 柘榴の手を払い除けた延珠は、改めて柘榴と対峙する。もはや空気は一触即発だった。いつこのまま戦いが始まってもおかしくはない。だというのに、蓮太郎は動くことができなかった。蓮太郎の良心を延珠の言葉が体現しているように、柘榴の言葉は極端ではあるが蓮太郎の理性を代弁しているかのようだった。

 

「延珠さん。蓮太郎さんのような『呪われた子供たち』をガストレアと同じ害獣と見做すこともなく、ただの使い捨ての道具(イニシエーター)として酷使することもない尊い思想の持ち主がどれだけ少ないかわかるでしょう? そのような人が迎えてくれる居場所をどれだけ多くの『呪われた子供たち』が望んでいるのかということも。あなたはその幸運を感情的かつ衝動的に捨て、あの少女を助けようと宣っているのですよ。こういう比較論のようなものは好きではありませんが、あえて言わせてもらいます。あなたは贅沢です。長く一般社会の温い空気に浸かりすぎて“普通”の大切さを忘れているのではないですか?」

「そ、それは……」

「そして何度でも言わせてもらいます。あなたは蓮太郎さんを過大評価しすぎです。そう、あなたは彼に要らぬ期待を押し付けている。彼は民警をやっているだけのただの高校生です。正義の味方などではありません。そんな彼にこれ以上誰かを救えというのは無理難題というものでしょう?」

「ッ、違うッ!」

「違いません。あなたは多くを望み過ぎています」

「違う違う違うッ! 蓮太郎なら助けられた! 蓮太郎は正義の味方だ! 蓮太郎が本気を出せば助けられたのだ!」

 

 もはや泣き叫ぶかのように繰り返す延珠を、蓮太郎はまともに直視することができなかった。確かに延珠は自分に期待をかけている。だが、それは本当に柘榴の言う重すぎる期待だったのか。もしかすると、本当にそのような手段があったのではないか。そう考えずにはいられない。

 そしてそこで、ようやく蓮太郎は二人の意見が平行線を辿っている理由がわかった。

 

 ――柘榴は蓮太郎に何も期待などしていないのだ。

 

 ただあるがままを受け入れ、そして可能か不可能かだけを論じている。柘榴にとって蓮太郎はただの“人”であり、正義の味方などではない。だから望まないし期待しない。等身大の蓮太郎しか捉えず、それが当然のことだと承知している。だから柘榴は、それ以上を蓮太郎に望み過大評価する延珠の言葉を贅沢と感じ赦せない。

 だが延珠は違う。彼女は蓮太郎のことを信頼し、だからこそこの程度ではないと期待をかける。自分を救うことができたのだから、まだ何でもできると望みを抱く。正義の味方だと縋る。だからこそ延珠は、蓮太郎を過小評価する蓮太郎自身と柘榴が赦せない。

 

“けど、けどよぉ……!”

 

 確かに蓮太郎には何もできなかったかもしれない。この良心の呵責も無駄なものなのかもしれない。延珠の言葉を子供の戯言だと一蹴するのも簡単だ。それでも、それでもだ。

 

“このままじゃ……俺、カッコ悪すぎだろうが……ッ”

 

 期待しない柘榴の言葉に縋り、現実を生きることを蓮太郎は否定する。確かにそれは堅実な生き方なのだろう。

 だがそんな姿、格好悪すぎて延珠の相棒だなど到底名乗れない。失敗するかもしれない――それは失敗”した”ではないのだ。

 どちらも正義の味方としては失格な、格好悪いことなのかもしれない。だが、それならば例え格好悪くとも、正義の味方には程遠くとも、蓮太郎は失敗“した”という人間として延珠の隣に在りたいのだ。

 そのはずだったのに、自分は今、ここで何をしている。

 

「……延珠、先に帰ってろ」

 

 泣きじゃくる延珠の頭に手を置き、蓮太郎は路地の先を見据えた。まだ、パトカーはそう遠くに行っていないはずだ。向かった方向も大まかにわかっている。足さえ手に入れられれば、まだ充分に追いつける。

 気が付けば、蓮太郎は路地から飛び出していた。そして近くを通りすがった原付を無理やり止めさせると、民警のライセンスを使って拝借する。

 

「絶対に追いつく!」

 

 そう気迫を込めながら、蓮太郎はアクセルを全開にしてパトカーの後を追っていった。

 

「…………あれっ? 蓮太郎さん、監視は――」

 

 原付のエンジン音に紛れて何か聞こえた気がしたが、蓮太郎はついにそれに気付くことなく自動車の波の間へと消えていった。

 

 

 ◆

 

 

 見えなくなっていく蓮太郎の背中を見送りながら、柘榴は呆然とその場に突っ立っていた。後ろには泣いたままの延珠が放置されており、流石に目立ち過ぎたのか周囲からは不審な目を向けられている。

 

“今から追いかければ……駄目だ、流石に目立つ”

 

 原付程度ならば走って追いかけることもできなくはないが、足がそこまで速くない柘榴では今から追いかけても見失ってしまう可能性が高い。短距離の加速力には自信のある柘榴だったが、持久的に走るのは苦手なのだ。それに能力を解放して走り回れば、今度は自分が警察に声をかけられることになるかもしれない。一々民警のライセンスを提示していくのも手だが、それではやはり蓮太郎を見失う。闇雲に探すにしても、それで蓮太郎と入れ違いになれば余計に監視の時間が減ったなどということになりかねない。

 となれば、柘榴に残された手段はそう多くなかった。

 未だに嗚咽を漏らしているも延珠に柘榴は視線を向ける。非常に気まずい。柘榴としては間違ったことを言ったつもりはないし、実際に延珠の言動が癪に障ったということも事実だが、それでもあそこまで言う必要はなかったはずだ。というよりも、穏便にことを済ますならば口出しなどするべきではなかった。

 どうやら柘榴も少しばかりおかしくなっていたらしい。要反省だ。

 

「……帰りますか」

「………………」

 

 無言で頷きながら、延珠は歩き出す。それに続くように柘榴もケースを引き摺っていった。ガラゴロというキャスターが地面を転がる音だけが二人の間に響く。

 柘榴としてはそう長く付き合うこともないだろう延珠にこれ以上関わる義理などなかったが、しかし人並みの罪悪感はあった。延珠が自分とは決定的に相容れない考えを持っているとはいえ、彼女のような純粋な少女を泣かせて『私は悪くない』とヘラヘラ笑えるほど柘榴は非道ではないのだ。

 

“どう話したものか。下手をすれば先程の二の舞になりかねない。ここは慎重に――”

 

 柘榴が話すキッカケを窺っていると、不意に延珠がチラリとこちらを一瞥した。それに柘榴が気付き目が合うと、「しまった」とでも言わんばかりに延珠は前へと視線を戻す。どうやら話す機会を窺っているのは向こうも同じらしい。

 恥ずかしながら、柘榴は喧嘩というものをした経験がない。よって仲直りなどというものとも無縁な人生を送ってきた。会社では基本的に自分は従う側の立場であるため逆らうことなど滅多になく、他のイニシエーターたちを纏める際も感情的なことで口論になることはない。これは千崎技研の方針でもあり、「例え詭弁であっても論理的な意見がなければ反論してはならない」という社訓まであるためだ。よってそこに感情的な言葉が介在する余地はほぼなく、また柘榴も自身の感情を仕事に挟むことを許さなかった。

 だが過去を振り返っても仕方がない。経験がないというのならば臨機応変を指標とするしかない。この程度のコミュニケーション、会社勤めの自分ならば決して不可能ではないはずだ。手早くやって無難に謝罪してしまおう。

 そう意気込む柘榴だったが、その出鼻はいきなり挫かれたのだった。

 

「……柘榴」

「はい?」

 

 出だしを潰されたことで、柘榴の会話のペースが狂う。表情には全く変化はないが、柘榴は内心で動揺していた。まるで腹の探り合いのような状況だと柘榴は思った。

 

「その、さっきはごめんなさい。確かに普通に考えれば、蓮太郎のしたことは妾を守るためのものだ。それを頭ごなしに否定したことは、柘榴の目からすれば腹が立っても仕方のないことだったと思う」

「……いえ」

 

 柘榴の罪悪感がさらに重くなった。あろうことか泣かせた相手を先に謝らせてしまった。ここで自分が謝れば、まるで延珠が謝ったから謝ったようではないか。

 これが自分の考えすぎだということは柘榴も理解している。だが、柘榴の理性はチクチクと良心を突き刺していた。

 

「私も先程は言いすぎました。我が身とあなたたちの安全を重視するあまり、あの少女の身の行く末を軽視し過ぎたことも事実です。申し訳ありません」

 

 実際、これは柘榴も思っていたことだ。

 今でも、柘榴は自分たちの身を守るためにあの場では傍観に徹していたのが最適解だったという主張を曲げるつもりはない。だが、延珠の言うように多少の危険を冒せばもう少しはマシな状況に持ち込めたかもしれないという言葉を否定することはできない。

 無論、柘榴は何度あの場面に遭遇しようと同じ行動をするだろう。見ず知らずの少女を我が身も顧みずに救うほど柘榴はお人好しではないし、そのような余裕もない。自分たちと彼女を冷静に天秤にかけ、その末に見捨てるという選択をしたのだ。故に彼女のことを自分が心配する資格などなく、同時に選んだ以上は延珠に説明の義務があるとも思っていた。だからこそ、先程柘榴は手を出してまで延珠に説教染みたことをしたのだ。

 だが、それでも助けたいと思うかどうかが柘榴と延珠の相容れない部分なのだろう。それを延珠も理解しているのか、彼女は柘榴を悲しげな目で見つめていた。

 

「……さっきの少女、どうなったのだろうな」

「常識的に考えれば、窃盗と傷害で少年院行きですが……」

 

 その続きを柘榴はあえて話さない。

 先程の警官たちの態度から見て、彼女が碌な目に遭わないことは想像に難くない。無事に少年院に行ければ御の字。最悪の場合、適当な場所で殺されてしまってもおかしくはない。

 何を馬鹿なと思うなかれ。『呪われた子供たち』は戸籍にすらその存在が記されていない者ばかりなのだ。存在しない者を殺すことはできない。死体など目立たぬ所に捨ててしまえば、誰が殺したかどうかもわからなくなってしまう。

 

「私も物心が付く頃には外周区で暮らしていたので、あのような子は大勢見てきました。可愛そうですが、『呪われた子供たち』には生きにくいのがこの世界の実情です。早めに忘れることをお勧めします」

「……忘れるなんて、できるものか……ッ」

 

 歯を食い縛りながら、延珠は呻くように呟いた。

 だが、柘榴の言ったことも否定しようのない事実なのだ。イニシエーターでもない『呪われた子供たち』の命は軽い。人間社会からすれば吹けば飛ぶほどに価値がない。ものを盗めば殺されても文句は言えないし、特に理由がなくとも殺されてしまうこともある。

 そう、彼らにとって『呪われた子供たち』は人間ではないのだ。

 

「なぁ、柘榴。どうして街の皆は『呪われた子供たち』を人間ではないなどと、ガストレアなどと言うのだ。確かに妾たちの身体は普通の人間とは違う。でもそれ以外は普通の人と何も変わらない。そんな妾たちは、あそこまで迫害を受けなければならない存在なのか……?」

「………………」

「前にな、街の人が言っていたのを聞いたのだ。民警システムは、ガストレアと『呪われた子供たち』を殺し合わせるための体の良いゴミ処理だ、って」

 

 柘榴に向き直った延珠は、再び目に大粒の涙を浮かべていた。決壊寸前のその瞳は、世の理不尽への悲しみで溢れている。

 そんな延珠の言葉に、柘榴はジッと耳を傾けている。

 

「やっぱり、妾たちは人間じゃないのか……? 妾たちが居場所を探して必死に生きようとすることは、そんなにいけないことなのか?」

「……なるほど」

 

 柘榴は知らずの内に呟いていた。

 延珠の悩みは『呪われた子供たち』が物心付けば一度は思い至る悩みだ。人間とは違うとわかっていながらも、それを認めたくないという葛藤。『呪われた子供たち』が抱くパラドックス。むしろこの悩みを抱かない『呪われた子供たち』の方が少ないはずだ。

 民警システムへの疑問も、イニシエーターならば自然と行き着くものである。毒を以て毒を制す――そう言えば聞こえは良いが実際のところは延珠の言う通りだ。ガストレアに対抗できる有効な手段がイニシエーターだという事実がある側面、邪魔な『呪われた子供たち』を間引きするという理由も存在するのだろう。

 人間とガストレア――二つの種族の間に苦悩する『呪われた子供たち』。そんな悩める少女たちに、柘榴はこの言葉を送りたい。

 

「『人間が人間たらしめている物。それは己の意志だ』」

「え……?」

 

 厳かに語る柘榴に、延珠は思わず俯いていた顔を上げていた。

 

「『人間は魂の、心の、意志の生き物だ』――延珠さん、普通の人間と私たちの違いを探すのではなく逆に考えてみてください。普通の人間と『呪われた子供たち』に共通し、ガストレアにはないものは何ですか?」

「それは……」

 

 わけがわからないという風に眉を顰める延珠。考えたこともないといった様子だった。むしろそれが普通だろう。

 『呪われた子供たち』という生物は誰もがそうだ。いつも“人間と自分たちの何が違うのか”ということで悩み、苦悩する。その一方でガストレアとは体内のウィルスという逃れられない共通点に何度も行き着くことで心を摩耗させていく。

 だからこそ柘榴の放った言葉は、延珠の悩みに一石を投じることとなった。

 

「それは“心”です。“意志”です。即ち“魂”なのです。例え世界中の誰もが私たち『呪われた子供たち』の存在を否定しようと、いつかガストレアウィルスによってこの身がガストレアに変じてしまおうと、私は私の意志がある限り自分は人間でありガストレアなどではないと思っています」

 

 この言葉は柘榴が他者から借り受けた言葉だ。しかし柘榴の考える真実でもある。この言葉の持ち主である男は、柘榴の目から見ても大凡まともと呼べる部類の人間ではなかった。血も涙もない冷血漢にして、己の望みのためならば他者を徹底的に利用し尽くす悪逆非道の権化だ。

 しかし彼の“人間”という存在に対する姿勢は本物だった。周囲の味方たちが人間を捨て去り怪物へと変じていく中、彼だけはあくまでも人間として戦場に立っていた。自らの信念に基づき、身体の大半を機械に置き換えながらも自分を人間だと高らかに言い放つその様は、柘榴をしても見事と言わざるを得ない。

 確かに『呪われた子供たち』の存在は、人間とガストレアという二つの種族の間に挟まれた中途半端な存在だ。人間ではないが、ガストレアというわけでもない。だが、だからこそ『呪われた子供たち』を人間たらしめるのは“己の意志”なのだと柘榴は思っている。

 

「意志……」

「そうです。延珠さん、確かに普通の人間と私たちには、埋めようのない身体機能の差があります。私たちは彼らに比べあまりにも頑丈で強く、そして恐ろしいほどの治癒力を持っている。彼らは私たちに対してこう思っているはずです。“まるでこいつらは人間のようなガストレアだ、気持ち悪い、怖い”と」

 

 無論、これは極論だ。普通の人間たちの中には、ガストレアウィルスの保菌という現実的な面から『呪われた子供たち』を危険視している者たちもいる。だが多くの人々の心に根付いているのは、そのような感覚的且つ倫理的な側面から来る差別なのだ。彼らは『呪われた子供たち』を人間とは認めない。

 

「しかし、だからこそ私たちは“意志”を持ち続けなければならないのです。“自分たちは人間である”と自覚し続けなければならないのです。自分は人間ではないと思考放棄してしまうことは実に簡単です。しかしその“人”としての意志すら失ってしまえば、私たちは本当に自他ともに認めるガストレアなってしまう。少なくとも人間ではないことが当然の認識となってしまいます」

 

 結局のところ、『呪われた子供たち』が人間かどうかなどという議論に結論は出ない。認めない者は決して認めないし、人間だと思う者は思い続ける。ならば柘榴や延珠たちにできることは、自分たちが人間であるという意志を持ち続けることだけだ。誰が否定しようと、自分は自分だと個を貫く以外に道はない。

 それは険しい道だろう。人間であることを諦めた者からすれば、無駄に傷ついているように見えるかもしれない。だがそれでも、柘榴にとって自身が人間であるということは絶対に曲げてはならない自分の在り方なのである。

 

「私は自身の存在が人間社会にとっての害悪であると自覚しています。しかし、だから何だと言うのでしょう? そのことと私が人間であるか否かということは関係ありません。私は私です。いつか私も、ガストレアとなって己の意志も記憶も失うことになるのかもしれません。あるいは戦いの中で命が尽き果て、冷たい死体になるのかもしれません。しかし私が人間であるという意志を持って生き続ける限り、私は人間です」

 

 そしてこの考えを持っているからこそ、柘榴は民警を続けている。柘榴は自身を人間であると確信しているからこそ、あくまでも同胞である人間たちを守る仕事をしているのだ。

 恐らくそれは、柘榴にとっての自己満足の結果にしかならない。延珠の言った通り、助けられた人々は柘榴を体の良いゴミ処理としか感じないのかもしれない。だが、それこそ柘榴には関係のないことだった。その自己満足こそが、自身の人間性を肯定しているのだから。

 誰のためでもない。自分のために柘榴は人間を救っている。だから極論すれば柘榴にとって助ける相手など誰でも良いし、助けた結果その誰かがどうなろうと構わない。“自分が人間のために戦った”という自己認識さえできればそれで良い。

 以前、柘榴のプロモーターである千崎はそれを聞き盛大に笑った。「偽善もここに極まれり」と。それに柘榴は問うた。「それの何が悪いのか」と。

 自己完結した柘榴の行為は確かに偽善的で独善的だ。だが、柘榴は自身が“人間である”ということと“善良である”ことを両立させる必要などないと思っている。ならば何も問題はない。そもそも柘榴の中で完結している以上、柘榴にとってそれは問題にすらならない。

 

“そんな君だから、私は他ならぬ自分自身のイニシエーターに君を選んだんだよ”

 

 柘榴の脳裏に、嘗て自身のプロモーターが言い放った言葉が蘇る。

 全く忌々しい記憶であるが。

 

「だから延珠さん。あなたが自身が存在する理由に疑問を持つことはあっても、人間であることを否定しないでください。それはあなたを守ろうとする蓮太郎さんを否定することにもなると……まぁ……そう思う、わけなのですが……はい……」

「………………」

 

 柘榴の言葉に、延珠は呆然としたままだった。口をポカンと開けたまま、柘榴の顔から目を放さない。

 むしろ無言の延珠に、柘榴の方が恥ずかしくなっていた。唐突に自分のことを語るなど、傍から見れば痛々しいことこの上ない。自信満々に人間とは何かなどということを語ってしまったが、よく考えればマンガのパクリだし結局は精神論でしかない。偉そうにしてみても、所詮は十歳児に話せることなどたかが知れていた。

 このように内心では恥ずかしさのあまり死にそうな柘榴だったが、実際のところ柘榴の表情は延珠から見てもピクリとすらしていない。この内心と表情のギャップは柘榴の悩みの種でもあるのだが、今はそのようなことはどうでもいい。

 問題は、話を主導していたはずの柘榴ですらどうやってこの話に区切りを付ければ良いのかわからなくなったということだ。

 

“ど、どうしよう……どうやって話を終わらせたらいいの? なっ、なんちゃって、とか言って誤魔化す? いやいや流石にそれは苦しいって……!”

 

 あまりの緊張と羞恥に、柘榴は内心で「あわわわ」と軽いパニックに陥っていた。端的に言えば凄くテンパっている。感覚的には既に10分以上が経過しているようにすら感じていた。しかし実際は、柘榴と延珠がお互いに無言になってからまだ10秒と経っていない。

 日頃、会社の人間や極親しい弓月などとしか会話しないことが完全に裏目に出ていた。

 だが、沈黙は唐突に終わりを迎えることとなる。

 

「……そうか、そうだったのだな」

 

 ポツリと呟いた延珠に、柘榴は救われた気持ちになった。これでこの気まずい空間を踏破することができる。

 そんな柘榴の感情とは裏腹に、延珠は晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。

 

「そうだったのだな! うむ、妾はとっくに人間だったのだ! こんな簡単なことだったのだな!」

 

 一転して朗らかな表情となった延珠は、「流石は柘榴!」と言いながら背中をバシバシと叩いてくる。急激なテンションの変わりように、逆に柘榴が驚かされるほどだ。

 

「よしっ! 悩みも解決したことだし、帰って『天誅ガールズ』のDVDでも観るぞ! さっきの少女の方は、きっと蓮太郎が何とかしてくれる。妾たちにできるのは、蓮太郎の帰りを待つことだけだ!」

「そうですね」

 

 何はともあれ、延珠が持ち直したことは柘榴にとって喜ばしいことだった。

 戦いでは、迷いが人を殺す。技の冴えを鈍らせ、判断を遅らせる。だからこそ戦場で生き残る戦士は、戦いに迷いを持ち込まない。例え戦いそのものに思うところがあろうと、「それはそれ」と横に置いて戦いに没頭できる。

 イニシエーターは戦うための存在だ。柘榴も、延珠も、小比奈もそれは変わらない。だからこそ実力が拮抗した者同士が敵として出会った場合、迷いのある方が死ぬ。柘榴の言葉が延珠の迷いを晴らすことができたというのならば、それはとても重畳ではないか。

 

「行くぞ柘榴! 家まで競走だ!」

「……えっ? でも私、荷物が――」

 

 走り出す延珠に、もはや迷いは見られない。そんな彼女の様子に安堵しながら、力を解放する訳にもいかない柘榴は必死にその背中を追いかけた。

 

 

 ◆

 

 

 携帯電話の液晶に映し出された数字が正しいのならば、時刻は既に午前2時を回っていた。

 人の気配がまるでしない夜道を歩きながら、蓮太郎は何度目かわからない溜め息をつく。流石に今日は疲れていた。

 あの後、外周区でパトカーに追いついた蓮太郎が目撃したのは、彼が想像すらしていなかった悲惨な光景だった。なんと少女を連行した警官たちは人の目がない場所に少女を連れ込むや否や、携帯していた拳銃を彼女に向けて乱射したのだ。いくら『呪われた子供たち』といえど、10発を超える銃弾を受ければ致命傷になってしまう。

 案の定、少女は頭部に大きな傷を負い意識不明の重体にまで陥った。警官たちはそのまま足早に去っていったが、それを隠れて見ていた蓮太郎は少女を病院に連れて行くことで何とか一命は取り留めた。

 その時のことを思い出し、蓮太郎は改めて自分が情けなくなる。

 

“あの時、俺は何もできなかった……ッ”

 

 蓮太郎は少女が撃たれる瞬間、あの場で隠れていることしかできなかった。自分も警官たちに口封じされるのではないかという恐怖が、彼女を助けなければという正義心に勝ったためだ。

 自分は確かに彼女を助けようと飛び出していったはずなのに、いざその時になればあの様だ。結局蓮太郎は、何一つ行動を起こすことができなかった。情けなさ過ぎて涙が出てくる。

 少女が助かったのは、確かに蓮太郎が彼女を病院に運んだからだ。だがもしも警官の持つ弾丸がバラニウム製だったら、再生能力がもっと弱かったら、『呪われた子供たち』特有の身体の頑丈さがなければどうだっただろうか。蓮太郎が病院に運んだかどうかなど関係なく、間違いなく彼女は死んでいた。

 浮かび上がるのは後悔ばかり。そして先には彼女の治療費と入院費という問題も待ち構えている。もうすぐ延珠の待つ我が家だというのに、どうしようもなく蓮太郎の気分は沈んでいった。

 

「――お疲れのようだね、里見くん」

 

 意識が切り替わる。反射的に右手が動いていた。

 背後から唐突に聞こえた声に向け、ホルスターから拳銃を引き抜く。だが蓮太郎が銃爪を引く前に、その鼻先には漆黒の拳銃が向けられていた。

 蓮太郎が振り向いた時、既にこの拳銃は蓮太郎に照準を合わせていた。つまり声の主は、いつでも蓮太郎を殺せたのだ。

 

「悪趣味な銃だな、蛭子影胤」

 

 蓮太郎の射殺すような眼光に、仮面の奥から「ヒヒヒッ」という不気味な笑いが漏れた。燕尾服の怪人が、闇の中に気配もなく佇んでいる。

 影胤の持つ銃の姿は、蓮太郎に異形とすら思わせる造形だった。恐らくはベレッタのカスタム銃だと思われるが、各所に取り付けられた刺々しいスパイクや銃剣などによって原型を留めていない。グリップには邪神クトゥルフを象ったメダリオンまで嵌め込まれている。

 よくもここまで愉快な改造ができたものだと、蓮太郎は影胤の趣味の悪さに吐き気すらした。

 

「この銃かね? フフフ、この黒いのは『スパンキング・ソドミー』、そしてこちらの銀色の方が『サイケデリック・ゴスペル』という。私の愛銃さ」

 

 黒いカスタムベレッタこと『スパンキング・ソドミー』を下ろした影胤は、左のレッグホルスターに収められた色違いの同型銃『サイケデリック・ゴスペル』を蓮太郎に見せつけた。

 

「……よくも俺の前に顔を出せたな。俺は民警だぜ? このまま仮面ごとお前の顔を吹っ飛ばすことなんざ訳ない」

「それは困る。今日は怖いお嬢さんの目を盗んでまで君に会いに来たのだからね。実は少し話がある。君も銃を下ろしてはもらえないか?」

 

 影胤の言うお嬢さんが誰のことか、蓮太郎はすぐにピンと来た。それと同時に、柘榴がなぜ自分たちの下に訪れたのかも思い出す。本当に彼女の、正確には彼女のプロモーターの言う通り影胤は自分の下に姿を現した。今更ながらに、柘榴を置いてあの場から去ってしまった自分を迂闊に思う。

 

「テメェ、柘榴がウチに来てることを知ってんのかよ」

「あんな目立つ服装でウロウロされれば誰の目にも付くさ。君が彼女から離れてくれたのは、私にとって幸運だった。さて、まだ返事を聞いていない。もう一度だけ言おう。銃を下ろしてくれないかね?」

「断るッ」

「……やれやれ、私は本当に話をしに来ただけなのだがね」

 

 徐に影胤はパチリと指を弾いた。静寂が支配する夜道に響いたその音は、やがて小さな足音へと変わった。街頭の光が届かない影で、赤い二つの点が瞬く。姿を現したのは、その手に二刀を携えた小比奈だった。

 

「小比奈、右腕を斬り落とせ」

「はいパパ」

 

 冷酷な影胤の言葉に小比奈が嗤う。蓮太郎との会話に拳銃が邪魔だと考えた影胤は、恐るべきことに右腕ごと拳銃を排除しようというのだ。

 蓮太郎がそのことを理解したのは、思考を凌駕した肉体が地面を大きく蹴った後だった。直後、蓮太郎のいた場所を漆黒の凶刃が斬り裂く。交差するように地面に描かれた二つの斬撃に、アスファルトが硝子細工のように砕け散った。蓮太郎では、二つの刃の軌跡すらも捉えられない。

 その威力に蓮太郎の喉が引き攣る。あんなものを食らえば、人間の身体など豆腐のように切断されてしまうだろう。

 斬り損ねた蓮太郎の右腕を見て、本当に困ったように小比奈は表情を歪ませる。だが表情とは裏腹に、光を反射して禍々しく輝く二刀が小比奈の殺意を雄弁に物語っていた。間違いない。もはやすぐそこにまで、小比奈が蓮太郎の腕に刃を食い込ませる未来が迫っている。

 蓮太郎がそう思った瞬間、小比奈の姿は消えていた。足に力を込める力みすらも蓮太郎には捉えられない。まさに超人的としか言いようのないその動きに、蓮太郎は死を覚悟する暇すらなかった。

 

「……動かないで。首、落ちちゃう」

 

 凶刃が、蓮太郎に迫る。見えず、聞こえず、人間の五感では感知することもできない脅威を、蓮太郎は確かに感じ取っていた。

 だがそれは、蓮太郎に届くことなく中空に弾け飛んだ。甲高い金属音と激しい火花が弾ける。吹き飛んだ小比奈が、何かを受け止めたように小太刀を交差させて一点を睨んだ。

 

「そこの小っちゃいの……何者?」

 

 鋭く、しかし静かに小比奈が問う。その気配はまるで刃の如く。今までの困り果てた表情は一変し、乱入した存在に対して明確な敵意を向けていた。

 その敵意に答えるように蓮太郎の前に小さな背中が降り立つ。「お主だって小っちゃいではないかッ」と呟くその頼もしいその姿に、蓮太郎は思わず安堵していた。

 

「妾の名前は藍原延珠。モデル・ラビットのイニシエーターだ。覚えておけッ」

 

 炎のように双眸を赤く染めた延珠は、高らかに言い放った。

 

 

 




戦闘の気配を感じるッ……!
というわけで、次回は待ちに待った戦闘回。もう唐突に暴れても爆発しても怒られない!
というわけで次回ッ、『やはり物理こそ最強の巻』!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。