ブラック・ブレット ――漆黒の民警――   作:てんびん座

7 / 12
祝・お気に入り500件突破!


第六話

 不意に視界に差し込んだ一筋の陽光に、柘榴は無言で顔を上げた。窓の外を見やれば、まだまだ低い位置にある太陽が遠方のビルの隙間から顔を覗かせている。どうやら夜が明けたらしい。

 壁に凭れかかる格好で一夜を過ごした柘榴は身体にかかっていた毛布を取り払うと、すぐ傍で眠っている“監視対象”とその相棒を起こさぬよう静かに立ち上がった。柘榴の服装は昨日とは若干意匠こそ違うものの、いつも通りのゴシックロリータだ。着替えとしてトランクに数着押し込んできたものの、この状況になると事前に知っていたならば隠し持っている普通の服装でも良かったかもしれない。

 朝焼けの中に横たわる影のような自分の服装に内心で嘆息した柘榴は、しかしそれをおくびにも出さずに玄関へと歩いていった。そして音を立てないように最大限の気を遣いながら、扉を開けて周囲を窺う。するとその無機質な視線が、玄関の目の前の柵に立て掛けられた巨大な“物”を捉えた。それを室内に運び込んだ柘榴は、再び音もなく扉を閉める。

 

“心音はちゃんと届けてくれたみたい”

 

 後輩に今度何かの礼をすることを心に決めながら、柘榴はそれを居間の隅に立て掛ける。柘榴の身長よりも二回り以上大きいそれは、楽器のハードケースだった。大型で知られるコントラバスか何かの楽器のケースをモデルにしているらしく、その大きさは柘榴や延珠ほどの歳の子供が中に入れるほどには大きい。側面にはキャスターが取り付けられており、それを足にすることで比較的容易にケースを運ぶことができる。

 だが、当然ながらその中身は音楽を奏でるための楽器などではない。柘榴がケースを開けると、その中身が露わとなった。

 ケースの中には、型によって固定された柘榴の武器や防具が眠っている。それらが一式収納されていることを確認していった柘榴は、最後にその中で最も重要なものを取り出した。

 

「…………完璧(パーフェクト)です、心音」

 

 中から出てきたのは、柘榴が最も愛用している武器――半月斧(バルディッシュ)だった。ガストレアの生命を断つために製造されたそれは、重厚なその刃は当然ながら柄や石突に至るまでの全ての部品が黒い。

 軽く持ち上げてみれば、手に馴染む重さに柘榴は思わず感嘆の吐息を漏らす。やはり使い慣れた武器は違う。昨日は伊熊将監というプロモーターのバスタードソードをその場凌ぎとして使用したが、握っただけでもわかるこの使用感は段違いだ。この全長180センチに達する長柄武器(ポールウェポン)こそ、柘榴が本来手にするべき武器だということが改めてわかった。

 本当ならば少し素振りをして感覚を完全なものにしたいところだが、そのような目立つことをすれば監視対象である蓮太郎に迷惑をかけることとなるだろう。ここは軽くでも武器に触れられた程度で満足するべきだ。

 そうして半月斧をケースに戻そうとすると、小さいが確かに衣擦れの音を柘榴の耳が捉えた。そちらに視線を向けると、薄っすらと目を開いた蓮太郎が布団の中から柘榴を見上げている。

 

「おはようございます、蓮太郎さん。起こしてしまいましたか?」

 

 壁にかけられた時計を見上げれば、時間はまだ5時半を回ったばかりだ。世間では本日は休日であるため、彼がここまで早く起きる理由はない。となれば、もしや柘榴の気配に気付いて目を覚ましてしまったのだろうか。だとすれば申し訳ないことをした。

 だが蓮太郎は「いや……」と首を振り、眠そうにしながらも上体を起こす。まだ本調子ではないようだが、寝惚けているというわけでもないようだ。

 

「おはよう、柘榴。お前、起きるの早いな」

「普段はこの後で自主的に早朝訓練をしますから。流石に今日はしませんが、自然と目が覚めてしまって」

 

 延珠を起こさないよう互いに小声で会話をする。その甲斐あってか延珠が目を覚ます様子はない。

 普通の子供ならばこれが普通なのだろう。しかし柘榴はこの朝という時間を逃せば訓練の時間が夕方と夜にしか残せず、そしてその時間は柘榴の勤務時間だ。ある程度以上身体を動かすとなれば、基本的に他のイニシエーターが勤務を担当しているこの時間しか安心して訓練することができない。

 

「意外と真面目だな。そんなことしなくても、お前みたいなイニシエーターは充分強いと思ってた」

「持って生まれた身体能力でゴリ押しするだけなら猿にでもできますし、そしてそれはガストレアと大差ありません。せっかく戦う者として知恵があるのですから技術を身に付けることは有効的ですよ。私、これでも技巧派を謳わせてもらっているので」

「あんなパワーファイターな技巧派がいるかよ」

「力が強くて技術も凄い、というものを目指しているので」

「そんなもんか……というか、さっきから気になっていたんだが」

 

 蓮太郎の視線が柘榴の手元へと吸い寄せられる。先程からチラチラと見ていたようだが、やはり気になっていたようだ。天井に穂先が付かないよう斜めに半月斧を構える柘榴に、蓮太郎は意を決したように口を開く。

 

「それがお前の武器なのか? 槍……というか斧のようにも見えるが」

「分類としてはバルディッシュに相当します。昨日の戦いでは借り物を使っていましたからね、今度は本気で蛭子影胤を()りに行くつもりですから。先程、蓮太郎さんたちが寝ている間に同僚のイニシエーターに運び込ませました」

 

 無骨なそのフォルムに魅入っているのか、蓮太郎は珍しそうに半月斧を眺めている。それに対し「持ってみますか?」と柘榴が半月斧を差し出すと、蓮太郎は布団から出てきてその黒い柄を手に取った。

 

「……重いな。それにやっぱりデカい。俺じゃ扱いきれねぇ」

「でしょうね。蓮太郎さんの使う天童式戦闘術は素手が主体の流派です。天童式には神槍術という分野もあるらしいですが、そちらの方でなければ長柄の武器など扱いにくいだけでしょう」

 

 蓮太郎から半月斧を受け取った柘榴は仕舞いやすいようにクルリと回転させ持ち替えながらも、室内の家具などにぶつけないよう器用に扱いながらケースに再び収めた。それを見ながら、蓮太郎が小さく口笛を吹く。延珠に気を遣ってか掠れるような小さな音だったが、称賛の意は伝わってきた。

 

「そんなデカい武器を本当にお前が使えるのか半信半疑だったが、杞憂だったみてぇだな」

「扱えなければ持ってきません。それにこの程度の大きさは私の武器の中でも中レベルです。実験目的とはいえ、3メートルに達する武器を装備させられたこともありますからね」

「何の武器だよ、それ。どう考えても人間じゃ使えないだろ」

「だからイニシエーターに持たせるのですよ。普通ならば使うことも儘ならない、そんな武器を開発するのが千崎技研ですから」

 

 昨日の影胤との戦いで蓮太郎も察していたようだが、柘榴は筋力(パワー)特化のイニシエーターである。故にその膂力や脚力は通常の『呪われた子供たち』を凌駕するのだが、当然ながらそれにはデメリットも存在している。それは武器の方が柘榴の力に耐え切れないということだ。

 柘榴が本気で振るえば、通常のバラニウム製の武器では数回程度の攻撃で壊れてしまう。将監の剣などもよく持った方だったが、柘榴としてはかなり慎重かつ丁寧に使ったつもりだったのだ。相手が相手だったためあのような結果になったが、それでも柘榴としては使い勝手の悪い武器に相当する。

 そのため千崎技研で柘榴が武器職人に求めるのは、切れ味などではなくとにかく“頑丈さ”に尽きる。そしてそれを追求していった結果として柘榴に会社が支給したのが、この半月斧だったのだ。よって柘榴にはこの武器を使いこなす以外の選択肢がなかったという、それだけの話である。

 

「話は変わりますが、蓮太郎さんに本日のご予定は? 可能な限り付き添うつもりですが、私が一緒ではご迷惑になる場所もあると思うので」

「いや、今日は特にねぇな。例のガストレアの情報が上がるまでは自由だ。精々が買い物くらいだろ」

「そうですか」

 

 柘榴としてはそれはありがたい報せだった。一応、楽器ケースという武器運搬のための方法は用意したが、それでもあれを持ち歩くのが面倒であることに変わりはない。手間が省ける分には柘榴としても助かるというのが本音だった。

 加えて言うのならば、柘榴はこの服装で人の集まる場所などには行きたくなかった。このようなフリル地獄の衣装で人前に出るなど、常識的な思考を持つ柘榴からすれば耐えがたいものがある。千崎の趣味と会社の社長命令という二重の意味で強制されている柘榴としては拒否することは得策ではないため、せめてもの対応策として人の目の多い場所にはあまり行かないようにしているのだ。

 そのことを蓮太郎に伝えると、「変な趣味のプロモーターもいるもんだな」と呆れられた。全くの同意である。

 

「じゃあ、外で勝手に服を買えばいいじゃねぇか。それならお前のプロモーターにもばれねぇだろ」

「買うことはできますが仕舞う場所がありません。どうやらあの人は私の部屋を時々ガサ入れしているらしく、滅多な場所には服を置けないのです」

「……それ、パワハラってやつじゃねぇのか?」

「紛うなきパワハラです。そしてプライバシーの侵害です。しかし抵抗しても時間と労力の無駄なので、今はこの服で我慢しています。せめて仕事着としてならば納得できなくもないのですがね……」

「仕事着って……ガストレアと戦う時もその格好なのかよ。それは流石に動きにくくないか?」

「こちらにも色々と事情があるのですよ。これ以上は社の禁則事項に相当するためお話しできません」

 

 実際のところ、柘榴は仕事中にこの服装をしろという命令自体には納得している(・・・・・・)。だが、私生活でもこの装飾華美なゴシックロリータを強要されるのは如何なものか。千崎からは「仕事中にも最高のパフォーマンスができるように私生活でもその服に慣れるため」という尤もらしい理由を説明されているが、あれは絶対に趣味だ。その証拠に、柘榴の部屋には一ヶ月に三着は新品のゴシックロリータとその他の装飾が送られてくる。

 それをゲンナリとした気持ちで受け取るのが、柘榴の日常となっていた。

 

「まぁ、安心しろ。蛭子影胤とガストレアの件もあるし、今日はあまり出歩かねぇよ。それにお前の機嫌を損ねてぶん殴られたりでもすりゃ、俺みたいな普通の人間は余裕で三回は死ねるからな」

「失礼ですね。そのようなことはしませんよ。それと断っておきますが、筋力特化型の私が“全力”で殴れば人間の身体程度ならば一瞬で血霧にできますのでそのつもりで」

「ちゃっかり脅してんじゃねぇか。まぁ、肝に銘じておくよ」

 

 肩を竦めながら、蓮太郎は苦笑したのだった。

 

 

 ◆

 

 

「………………」

 

 目の前に広がる光景に、蓮太郎の隣で佇む柘榴は一言すらも発しない。表情は普段の無表情を越え、どこか冷たい気配を放ってすらいる。朝の穏やかな雰囲気とは打って変わってドライアイスのようだ。触れれば寒さで逆に火傷しかねない。

 

「……柘榴」

「はい」

「その……怒ってるのか?」

「怒っていません」

 

 このようにコミュニケーションは問題ない。打てば響くように返事をする。だが必要以上の会話はしてこない。雑談の一つすらもないというのは蓮太郎にとっても居心地の悪いものであったが、しかし柘榴の心境を鑑みれば彼女の方が気まずい思いをしているのだろう。実際、ゴスロリ姿でコントラバスのハードケースを引き摺る柘榴の姿は非常に目立っていた。

 そんな二人を余所に、二人をこの人目が多く柘榴の服装が非常に目立つ場所――大手家電量販店の玩具コーナーに連れ出した延珠は興奮しながら『天誅ガールズ』のコーナーを物色している。

 

「……あれだ、柘榴。お前も行ってきたらどうだ? 荷物は見ててやるし、蛭子影胤も流石にここに出てきたりはしないだろうしよ」

「興味ありません」

 

 素っ気なくそれだけ言うと、再び柘榴は置物に戻った。しかしここで黙っては先程までの二の舞だ。同じ轍は踏まぬとばかりに、蓮太郎は無理やり会話を続行させた。

 

「え、遠慮する必要はないんだぞ?」

「ご心配なく、本心ですから。私はアニメを観て設定を読み込むのは好きですが、ああしたグッズ関連を集める趣味は持ち合わせておりません。ポスターやフィギュアなどを集める方もファンには多いようですが、私はDVDとコミックとノベライズまでで充分です」

「そ、そういうもんなのか……」

 

 とりあえずわかったことは、柘榴は機嫌が悪いことに加え本心からこの場を退屈だと感じているということだ。蓮太郎も退屈なので気持ちはわかるが。

 コーナーの端にあるベンチに腰掛けながら、蓮太郎と柘榴は無言で延珠の姿を眺め続ける。時折、子連れの大人たちが蓮太郎と柘榴を見比べてひそひそと何かを話しているのを見て胃が痛くもなったが、それは努めて無視した。そのことで若干柘榴を恨めしく思うものの、直後にその子供が「ねーねー、あの子変なカッコしてるー」と柘榴を指差すのを見てすぐにやめた。

 そうして沈黙する二人の下に、延珠は何かを手に取って走り寄ってくる。どうやら彼女の御眼鏡に適う品が見つかったらしい。

 

「蓮太郎、柘榴、見ろ! こんなのはどうだっ!」

 

 延珠が掲げたのは、劇中で天誅レッドが使っている刀の玩具だった。ゴテゴテと装飾の付いたそれは当然ながら刃などないが、子供としてはこのようなものを持つことで作品内のキャラクターになりたがるものなのだろう。蓮太郎も似たような覚えがある。確かテレビで流行っていた戦隊ヒーローか何かだったか。

 

「俺が斬られ役とかすることになりそうだから却下」

「ナニィ!?」

 

 大仰に仰け反った延珠は、「それならば」と新しい品を蓮太郎たちに見せつけてきた。蓮太郎はまず最初に商品に取り付けられた値札の表示に度肝を抜かれ、次いでその品そのものにゲンナリとした。赤を基調とした和服テイストなその服は、なんと天誅レッドのコスチュームだ。見た感じ布などは安物だというのに、その値段は蓮太郎の目玉が飛び出るほどに高い。それに何より――

 

「蓮太郎の趣味なのだ、とか言いそうだから却下」

 

 ただでさえ近所では蓮太郎がロリコンだという噂が広まっているというのに、これ以上その要因を作るわけにはいかない。今朝などは柘榴の姿を近所の住人に見られたため、恐らくは更に妙な噂が広まっていることだろう。

 

「ええいッ、ならばこれはどうだ!」

「……何だそれ?」

 

 新たに掲げられたものに、蓮太郎と柘榴の視線が集中する。それは輪っか状の何かだった。どうやら手触りと重さからアルミ製と思われるそれは、表面に規則的な紋様が彫られている。蓮太郎にはそれが何なのかサッパリわからない。

 しかし延珠と同じく『天誅ガールズ』の視聴者である柘榴はピンときたのか、「ああ」と何か納得したような声を漏らした。

 

「仲間の証のブレスレットですか。そんなものまであるのですね」

「このように大きな玩具屋でないと見つからない貴重なものなのだぞ!」

「商品開発にも余念がありませんね。第一話から視聴している身としては、作品が人気となって嬉しいような寂しいような複雑な気持ちです」

 

 無表情ながらも感慨深げなことを柘榴は口にしているが、やはり蓮太郎にはわからない。彼女たちのいる世界は蓮太郎には少しディープすぎる。

 そんな蓮太郎に延珠が説明したところによると、このブレスレットは『天誅ガールズ』の主人公である大石蔵助良子たち四十七士たちが嵌めている仲間の証であり、仲間を欺いたり嘘をつくなどの行為を働くと砕け散ってしまうのだとか。

 つまりはファンタジーな嘘発見器だと蓮太郎は解釈した。同時に蓮太郎は、中国に伝わる神異経の『破鏡』という故事を思い出していた。そのことを口にすると、延珠と柘榴は揃って「はきょう?」と首を傾げる。流石に小学生には難しすぎたかもしれない。実際、蓮太郎も知り合いである研究者の女性に聞いただけの受け売りだ。二人が知らないのも無理はない。

 簡単に説明すると、所用によって離れて暮らすこととなった夫婦が浮気をしない誓いの証として鏡の破片を互いに持って行くのだが、妻がその誓いを破り浮気をしたことで鏡が鳥に変身して夫の下へと浮気を報せに行ってしまったという話だ。これによってこの夫婦は最後に離婚している。

 

「さて、二人とも。このありがたい故事から得られる教訓は何かわかるかね?」

 

 少々偉ぶりながら、蓮太郎は二人に尋ねた。蓮太郎としては、「浮気ダメ、絶対」というような解答が返ってくるのを予想していた。すると延珠が元気よく手を挙げる。

 

「はい、先生! 浮気はばれないようにやれ、です!」

「ええッ?」

 

 予想外の答えが返ってきた。

 蓮太郎は「女って怖ぇ」という感情と延珠の将来に対する一抹の不安を内心に抱いていた。そんな蓮太郎の内心を見透かすように、柘榴は溜め息交じりに手を挙げる。蓮太郎は思わず身構えた。

 

「ざ、柘榴。お前ならちゃんとした答えを出せると信じているぞ」

「何を言っているのですか蓮太郎さん。こんなもの普通に考えればわかるでしょう。この故事から得られる教訓は、できもしない誓いをしたこの夫婦は馬鹿だ、です」

「お前には愛というもんがないのかッ?」

 

 予想以上に酷い答えが返ってきた。別れ際には信頼し合っていたはずの夫婦の愛を全否定するかのような答えだ。

 愕然とする蓮太郎を尻目に、延珠は気に入ったようにブレスレットを眺め回していた。柘榴は相変わらずボケッと虚空を見上げて置物に戻っている。

 そして蓮太郎が我に返った時、延珠は既に会計を済ませていた。その時にレシートを見せてもらったが、なんとこのような安っぽいアルミの玩具が6980円もするということに本日二度目の愕然を味わう。蓮太郎の二ヶ月分の食費に相当する。高い。あり得ない。延珠が自分の給料で買ったため蓮太郎の懐に影響はなかったことだけが幸いか。あと、なぜか蓮太郎の分までブレスレットが買われていた。どうやらアニメの設定に肖り二つで一つというペアリングを想定している玩具らしく、上手い商法だなと蓮太郎は感心させられた。これならば値段にさえ目を瞑れば親子がふらりと買っていっても不思議ではない。

 そうして買い物を済ませた蓮太郎たちは、デパートを出ると適当にその辺を歩くこととなった。柘榴はすぐにでも帰りたそうな雰囲気を放っていたものの、自分はこの中では部外者だとでも思っているのかそのプランに口出しはしてこない。意気揚々と歩いていく延珠の後を静々と付いていくだけだ。それに嘆息しながら、蓮太郎は柘榴の隣に並ぶ。

 

「何か悪ぃな」

 

 明らかに居心地が悪そうな柘榴にそう言うと、「お気になさらず」と柘榴は前を見たまま答えた。しかし視線は時折周囲を気にするようにチラチラと余所を向いていた。これは影胤を警戒しての行動なのか、それとも周囲の視線が気になっているからなのか。真実は柘榴のみが知っている。

 

「あー! 柘榴、抜け駆け禁止! 蓮太郎の隣は妾のものだぞ!」

 

 いきなり蓮太郎と柘榴の間に入ってきた延珠は、ブレスレットをしていた右手で蓮太郎の左手を掴んでいた。奇しくも蓮太郎は左手にブレスレットを嵌めていたため、自然と柘榴にペアリングのブレスレットを見せつける形となる。それを掲げた延珠は、柘榴に向けて「どうだこの愛はッ」と言わんばかりにドヤ顔を決めている。一体何をしたいのだ彼女は。

 そんな延珠を一瞥した柘榴は、興味など欠片もなさそうに蓮太郎たちから視線を外した。

 昨日からのコミュニケーションで感じていたことだが、柘榴には少し情動が大人しすぎる嫌いがある。延珠のようにオーバーリアクションをしろというわけではないが、もう少し反応を示しても良いのではないだろうか。子供の内は泣いて笑ってといった感情に触れることが精神の成長に大きく繋がる。延珠と比べても落ち着いた精神性を持っているが、彼女はまだ子供だ。歳不相応という表現はあまりしたくないが、実際にこれは彼女にとっても良い傾向だとは思えない。

 

「――あっ、聖天子様だ。蓮太郎、テレビに聖天子様が映っているぞ」

 

 延珠の指差す先に視線を向けると、街頭テレビに大きく映し出された聖天子の姿があった。その姿は昨日も画面越しに見たばかりだったが、今日の彼女は会見の録画映像を流されているもののようだ。彼女が語っているのは、昨今の東京エリアを騒がせる基本的人権に関する法案の見直しに関してだ。『ガストレア新法』と呼ばれるそれは、『呪われた子供たち』に対して法律によって正式に人権を与えるという画期的な法案である。

 『奪われた世代』だけでなく、大戦を経験していない『無垢の世代』と呼ばれるここ十年に誕生した子供たちからも『呪われた子供たち』は非常に嫌われている。国中が『呪われた子供たち』差別主義者といっても過言ではないこの世論で、この法案が果たして無事に通るかどうか。

 否、通ってもらわなければ困る。このガストレアによって混迷した世界となった今でも、むしろ今だからこそ『呪われた子供たち』は保護されて然るべきなのだ。『奪われた世代』はガストレアによって家族や見知った人間を軒並み奪われることとなったが、『呪われた子供たち』は生まれたその瞬間から将来を奪われた。彼女たちも被害者だ。そんな彼女たちが一方的に“同じ人間”から差別を受けること、断じてなどあってはならないことである。

 だが、現実は非情だ。この世界にはガストレアと同じ赤い眼を持つ『呪われた子供たち』を人間だと認めない者は多く、そしてその悪意の視線を受けた『呪われた子供たち』は屈折して生きざるを得ない。

 その現実を、蓮太郎は垣間見ることとなる。

 

「そいつを捕まえろぉぉぉッ」

 

 前方から怒声が響く。

 いきなりの大声に延珠がビクリと肩を震わせた。同時に蓮太郎は、前方の人垣から飛び出す小さな影を確かに捉えていた。

 その正体は、薄汚れた格好でスーパーマーケットの籠を持って走る少女だった。必死の形相で走る彼女は、道行く人に身体をぶつけながらも必死の形相で脚を動かしていた。見れば、その背後からは籠の置いてあったスーパーの店員と思われる男性を初めとした複数人の大人たちが追いかけてくる。

 少女の持つ籠の中には、詰め込まれた大量の食品が山となっていた。それを見て、蓮太郎たちは大体の事情を察する。

 

「万引きですか」

 

 偶然にも少女に立ち塞がるような形で遭遇した蓮太郎たちに、少女はハッとして立ち止まった。咄嗟に商品を守るように抱きかかえながら、少女は『呪われた子供たち』特有の赤い瞳で蓮太郎たちを睨む。それを見た柘榴が、冷たい瞳で少女を眺めていた。

 

「彼女、盗みにあまり慣れていませんね。『呪われた子供たち』が盗みをする時は、閉店間際の小さな店に大勢で押しかけて一気に掻っ攫っていくのが最も効率的で成功率が高いです。このようなひと気が多くて逃走しにくい時間帯に一人で盗みを働いている時点で経験不足なのは明白ですよ。どうでもいいことですが」

 

 「行きましょう」と、まるで目の前の少女など最初から存在しなかったかのように柘榴は先へと促した。厄介事に巻き込まれる前に無視して立ち去ろうというのだ。その気持ちがわからなくはない蓮太郎だったが、こちらを睨む少女と目が合った蓮太郎は地に足が張り付いたように動くことができない。

 彼女は恐らく、外周区に住むホームレスの『呪われた子供たち』だろう。身寄りのない『呪われた子供たち』は、ガストレアウィルスによって強化されたその身体能力を悪用して食料や衣服を盗むことで生活している者も多い。かく言う延珠も昔はそうして暮らしていたと聞く。

 蓮太郎たち睨んだまま進退窮まった状態の彼女は、意を決したように蓮太郎たちを突き飛ばして強行突破しようと足に力を込める。だがその決死の一撃は、背後から伸びた手によって強制的に押し潰された。追いかけてきた店員たちによって取り押さえられたのである。籠の中に詰められた食品たちが、路面に派手に散らばった。

 

「ようやく捕まえたぞ、化け物め!」

「東京エリアのゴミが!」

「“赤眼”なんかが人間様のものを盗んでんじゃねぇ!」

「ガストレアがッ、大人しくしろ!」

 

 口々に少女を罵る言葉を吐き出した彼らは、「放せッ」と抵抗する少女を力尽くで押さえ込んだ。どうも彼女は『呪われた子供たち』としての力は弱いらしく、大人たちを跳ね除けることもできない。あるいは外周区での困窮した食生活のせいで、もう暴れる力も残っていないのかもしれないが。

 痛ましくて見ていられなかった蓮太郎だったが、とにかく足を動かさなければと咄嗟に近くにいた男性に声をかける。

 

「な、なぁ、アンタ。あの子が何をしたか知ってるか?」

「あのガストレアか? あいつ、スーパーで盗みをやった挙句、声をかけた警備員を半殺しにして逃げやがった! とんでもねぇ奴だッ」

 

 憤る彼の言葉に延珠の身体が震える。顔は真っ青に染まっており、蓮太郎の服の裾を握ったまま少女から目を放さない。その様子を周囲の人々は、『呪われた子供たち』に怯える普通の子供だと思っているのか労わるような目を延珠に向けている。

 その一方、柘榴は顔色一つ変えることもなく押さえ付けられる少女を見下ろしていた。むしろその目は、まるで養豚場の豚でも見るかのような冷たく残酷なものだった。決して蔑みを抱いているのではない。だが文字通り、明日には出荷され肉屋の店頭に並ぶ運命なのだなというような冷め切った無関心に染まった目だ。恐ろしささえ感じさせるその冷たい視線に、蓮太郎は僅かに気圧される。

 するとその時、少女は蓮太郎にとって予想外の行動に出る。なんと彼女は、延珠に向けて助けを求めるように手を伸ばしてきたのだ。なぜ、どうして――そのような疑問が湧き上がるより前に、蓮太郎は反射的にその手を払い除けていた。そこに悪意があったわけではない。蓮太郎は純粋に、延珠を守らなければという咄嗟の判断が働いていた。

 延珠がその行動に驚愕し、少女が絶望と恐怖を刻んだ顔で蓮太郎を見上げる。同時に蓮太郎は、「やってしまった」と我に返っていた。

 

「貴様らッ、何をしている!」

 

 荒々しい声とともに、少女を囲むようにできあがっていた人垣に割り込んでくる者たちがいた。警察だ。制服を着込んだ二人の警察が、事態に気付き介入してきたのだ。組み伏せられた赤い瞳の少女と、それを抑え付けるスーパーの制服を着た男性、そして地面に投げ捨てられたスーパーの籠。これらを順に見回した片方の警官は、「またか」という表情とともに少女の腕を乱暴に掴み上げる。そしてこともあろうに、その場の人間から碌な話も聞かずに手錠を少女の手に嵌めてしまった。

 そのまま抵抗する少女をパトカーに押し込むと、代表の一人に適当に挨拶してその場を立ち去っていってしまう。恐ろしいほどの短時間で事態は沈静化していた。普通の人間が相手では考えられない、まるで本当に話の通じないガストレアを駆除するかのような手際だ。あの警官たちは、本当にこの場で何が起こっていたのか把握していたのだろうか。

 後味の悪いものを見てしまった蓮太郎は、もう忘れてしまおうと頭を振って延珠の手を引こうとする。だが、その手を延珠は振り払った。

 

「なぜだッ、なぜあの子を助けてやらなかったのだ、蓮太郎!」

 

 その双眸を薄っすらと赤く染めながら、延珠は絶叫するように蓮太郎に詰め寄る。興奮して感情を持て余している証拠だ。咄嗟に周囲を窺った蓮太郎は延珠がまだ『呪われた子供たち』であると気付かれていないことを確認すると、「ちょっと来い」近場の路地に引っ張り込む。ビルとビルの間にできたその狭い路地は、都合の良いことに全くひと気がない。

 小走りでそこに駆け込んでいく蓮太郎たちに、柘榴がケースを引きながらゆっくり付いてきた。その顔はこの状況にあっても相変わらずの無表情で、その不動の冷静さが蓮太郎は少し癪だった。

 

「延珠、仕方ないだろ。あそこでお前が呪われた子供たちだって知られれば、お前だってただじゃ済まなかった。それこそリンチに遭う。もしかしたら一緒にいた柘榴だって疑われるかもしれない」

 

 これは事実だった。あの場で延珠や柘榴が『呪われた子供たち』だと露見すれば、彼女たちすらも拒絶の対象となる。最悪、民警のライセンスを見せれば場は沈静できただろうが、それでもあの少女が盗みを働いたことは事実だ。庇えることではない。

 そのことを延珠に説いた蓮太郎だが、彼女は全く納得する素振りを見せない。いや、蓮太郎も内心では、これが薄ら寒い理論武装だということを理解していた。昨日柘榴を泊める時にした決意が、こうも脆く呆気ないものだったということに、蓮太郎自身も愕然としていた。

 そしてその時になって、蓮太郎はあの少女が延珠に手を伸ばした理由にはたと思い至る。

 

「……延珠、まさか……あの子を知っているのか……?」

 

 その問いに、延珠は泣きながら頷いた。蓮太郎の背筋が震える。

 

「昔、妾が外周区にいた頃に何度か見かけたことがある……一度も話したことはなかったけど、あっちも妾を覚えていた……」

 

 嗚咽を漏らしながら話す延珠に、蓮太郎は言葉も出なかった。

 

“……俺は、どうすれば良かったんだ”

 

 現実的に考えれば、蓮太郎は延珠を守るために正しい行為をした。しかし彼女の目線から見て、蓮太郎のした行動は本当に正しいものだったのか。自身の良心と現実との間の袋小路に迷い込んだ蓮太郎は、立ち尽くしたまま延珠の目をみることができない。

 その時、路地の入口で動く気配があった。無言のまま佇んでいた柘榴が、初めて動いたのだ。そこには蓮太郎の思いもしない光景があった。なんと柘榴が微かにだが表情を露わにしていたのだ。

 その表情は――失望。

 呆れ果てた内心を隠すこともなく、柘榴は盛大に溜め息をつきながら歩を進める。その姿に、蓮太郎はやはり自分の行動は間違っていたのだという深い自責の念に襲われた。確かにあの場の行動は延珠を庇うためのものだった。だが、せめて手錠をかけられた瞬間のおかしさを指摘することくらいはできたのではないか。あの時の自分は、本当に正義と言えたのか。

 

「すみません。少し、歯を食い縛ってください」

 

 右手はケースを引いているため使えない。そのため、柘榴は左手を持ち上げた。それと同時に柘榴の瞳が赤く染まる。

 それを見た蓮太郎は、柘榴が本気で殴れば人間程度ならば簡単に死ぬという今朝の会話が思い出していた。流石に殺されるということはないと願いたいが、蓮太郎は云われた通り歯を食い縛って衝撃に備える。

 そして――

 

「調子に乗らないでください」

 

 バチッ、という凄まじい音が路地に響く。

 その音とともに――削げ飛ぶかというほどの凄まじい威力の一撃が延珠の頬に炸裂していた。

 

 

 




早く戦闘を書きたいィ!
柘榴と影胤&小比奈の戦闘の余波で街が壊れていくのを書きたいィ!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。