ブラック・ブレット ――漆黒の民警――   作:てんびん座

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第五話

「……はぁ、どうすっかなぁ」

 

 喪服のような黒い上下の学生服を身に纏った一人の少年が、籠付きの自転車を引きながら誰にともなくぼやいた。西日がアスファルトを染める中、彼の姿はまるでその中に落とされた影のようだ。

 彼、里見蓮太郎は、現在非常に厄介と言える依頼につい数時間前から巻き込まれていた。蛭子影胤の思惑と政府の事情が複雑に絡み合ったその依頼は、その結果次第によっては東京エリアに住む全人類の存亡が関わる大問題だ。

 とはいえ、そのような状況でも腹が減るのが人間だ。防衛省から帰還した蓮太郎は先日仕事先に放置してしまった自転車を回収した傍ら、今晩の食事の買い出しをしていた。しかし蓮太郎の家の経済状況は非常に厳しく、タイムセールを上手く活用しなければ食事に財産のリソースを大きく取られてしまう。よって今日の収穫も、先日パンの景品で手に入れたエコバッグが殆ど空というほどの少ない量だった。

 自転車の前籠に仕舞われたエコバッグに目を落としながら、蓮太郎は嘆息する。

 

「蛭子影胤の件もそうだが、まず飯をどうすっか。今月は報酬ゼロだし……」

 

 蓮太郎の所属する天童民間警備会社は、事務所の場所にすら困窮するレベルの零細企業だ。まだ起業して一年だからということもあるが、純粋に蓮太郎が戦力として上手く機能していないことが収入を増やすことのできない最大の理由である。民警のペアとしても、その仕事の殆どは相棒である延珠に頼り切りだ。まだ10歳の少女を相手に情けないことではあるが。

 

「ただいま」

 

 住人である本人も認めるボロアパートに帰宅した蓮太郎は、重い足取りで自宅のドアを開けた。アパートの外観と同じく古い扉が軋むような音を立てる。その音に、蓮太郎はますます憂鬱な気持ちになった。

 そんな暗い顔の蓮太郎を、幼い少女特有の高い声が出迎える。

 

「おかえりなのだっ、蓮太郎!」

 

 部屋の奥からひょっこりと顔を出したのは、蓮太郎のイニシエーターにして同居人でもある藍原延珠だ。長いツインテールが目を引く彼女は、その活発さも相まって見る人を元気付ける力がある。蓮太郎も彼女の笑顔によってどれだけの活力を貰ってきたか。そのことを自覚するたび、蓮太郎は彼女が自分の相棒で良かったと心から思い出すことになる。感覚的には娘を見守る父親の気分だった。

 断っておくが、断じて性的な視線で見たことは……たぶんない。

 何はともあれである。今晩の食事の献立を考えながら、蓮太郎は玄関で靴を脱ぐ。冷蔵庫の中には殆どものがない。昨日、タイムセールで手にした一袋六円のもやしがまだ残っているだろうが、切り詰めて使っても二人分の食事にすれば今日と明日でなくなるだろう。

 その時、蓮太郎は居間で何やらキャッキャと騒いでいる延珠が気にかかった。耳を澄ませば、テレビから軽快な音楽と派手な効果音が流れている。どうやらアニメを観ているようだ。恐らく、延珠が最近嵌っているという『天誅ガールズ』なるアニメだろう。既にDVDまで購入している延珠は、この作品の大ファンなのだ。

 

「おおっ、かっこいいぞ天誅レッド! 流石は主人公! しかし新キャラの天誅ブラックもなかなかに捨てがたい!」

「そうですね。どうやらスタッフも彼女がお気に入りのようです。その証拠に、初登場だというのに戦闘シーンが凄くヌルヌル動いています」

「当然だ! 天誅ガールズのキモは何といってもキャラクターと作画! ストーリーはネットでも賛否両論だが、ここを否定する人間は居らぬ!」

「起用している声優も優秀ですしね。新人声優が何人か主要キャラに当てられたと聞いた時は大丈夫かと思いましたが、どうやら大型新人というものだったようで。演技で叩くべき部分がほぼ見つかりません」

「そうだろうそうだろう! やはり『天誅ガールズ』は最高だな!」

「そうですね。『天誅ガールズ』は素晴らしいです」

 

 このように、語り出した延珠は止まらない。若干マニアックな設定まで読み込んでいる辺り、ただ純粋にアニメを楽しんでいるという段階を超えている。ああして他のファンに出会ってしまうと、その饒舌さにスイッチが――

 

「ちょっと待てェ!!!」

 

 冷蔵庫に買った品を仕舞おうとした蓮太郎は、その異様な光景に度肝を抜かれた。

 そこにいたのは、目を輝かせながらテレビを観る延珠――ここまでは良い。彼女は同居人だ。この家にいても何もおかしくはない。問題なのは、延珠の隣に並んでテレビをボケッと見ているゴスロリ少女の方だ。

 畳張りの床に座布団を敷き、謎の少女が正座してアニメを観ている。言葉にしても奇怪だが、実際に目にしてもらえばさらに奇怪だろう。部屋の内装に服装が合っていないのは勿論だが、その派手な服装には吸い込まれるような魔力とも呼べる力を感じる。退廃的でありながら神秘的なその少女に、蓮太郎は堪らず絶句した。

 というか、我ながら気付くのが遅すぎる。玄関にも見慣れぬ子供サイズの編み上げブーツがあったではないか。

 

「蓮太郎、うるさいぞ! テレビが聞こえぬではないか!」

「全くです。何を苛々しているのですか、あなたは。短気は若さの特権だとでも思っているのですか? その迷惑な考えは今すぐ捨ててください、周囲に迷惑です」

「そうじゃねぇよ! っていうか、なんで俺がおかしいみたいな感じになってんだ! はっ倒すぞ!」

 

 蓮太郎の正論に、少女二人はなぜか仕方のない奴を見るような視線を向けてきた。そして「やれやれ」と肩を竦めた延珠が、リモコンを操作してテレビの電源を切る。もう一人の少女は、何を考えているのかわからない無表情で蓮太郎を見つめていた。

 

「やはり、あなたが里見蓮太郎さんでしたか。十歳児の私が言うのもなんですが……若いですね。学生ながらにプロモーターの仕事をしている方は初めて見ました」

「そうだろう! やはり蓮太郎は凄いだろう! やはり妾の相棒なだけはある!」

 

 ない胸を張る延珠に、少女は「そうですね」と返すだけで特に否定しなかった。どうやら“情”を“表す”と書いて表情と読むように、あまり感情表現をしない子らしい。現実離れしたその服装もあって、人形めいた雰囲気を放つ少女だ。

 そしてその気配と服装に、蓮太郎は非常に心当たりがあるのだった。

 

「お前は確か……」

「はい。本日、防衛省の会議室で顔を合わせた……というほどではありませんね。依頼の件でお部屋をご一緒させていただいた者です。覚えてくださっていたようで」

「当たり前だろ。あんなのを見せられちゃ、そう簡単には忘れられねぇよ」

 

 柘榴――確かそう呼ばれていた少女だ。伊熊将監の剣を使い蛭子影胤とその娘を一人で撃退した、驚異の戦闘力を持つ少女。壁面戦闘という尋常ではない戦いを繰り広げた彼女のことは、蓮太郎の脳に今でもハッキリと刻み付けられている。

 

「何だ、蓮太郎。お主は柘榴の知り合いなのか!? どういう関係だッ! まさか浮気か! 浮気なのか!?」

 

 なぜか延珠が顔を真っ赤にして立ち上がった。言っている内容も意味不明だ。そもそも蓮太郎は、浮気どころか正式に付き合っている相手もいない。はて、フィアンセ。そんなものは知らぬ。

 

「落ち着け、延珠。こいつは今日の依頼で顔を合わせただけだ。それで顔を覚えてたんだよ」

「本当だろうな。もしも嘘だったら二人とも赦さんぞ」

「なんで俺がこんなことで嘘をつかにゃならん。っていうか、俺はお前とこいつが知り合いだったってことにビックリなんだが」

 

 蓮太郎としては、そこが本当に意外だった。このような目立つ少女のことを延珠が話していれば多少なりとも頭に残っていそうなものだが、蓮太郎の記憶には柘榴についての情報は全くない。

 

「それはそうだろう。妾も柘榴に会ったのはさっきが初めてだぞ?」

「はぁ!?」

 

 やけに親しげにしているから知り合いなのかと思えば、延珠と柘榴は初対面だという。詳しい事情を尋ねてみれば、そこには呆れるような経緯があった。

 どうにも、蓮太郎が不在の時に家に訪ねてきた柘榴をとりあえずと家に上げた延珠は、当の蓮太郎が返ってくるまでは無言の柘榴によって気まずい思いをしていたらしい。しかしその途中で『天誅ガールズ』の放送が始まったため、延珠は客の手前でアニメを観るわけにはいかぬと録画を開始。しかしそれを見た柘榴によって互いが『天誅ガールズ』の視聴者だと発覚し、そのまま一緒に『天誅ガールズ』の視聴をすることになったという。

 それ以降は蓮太郎が見た光景に続いているらしく、互いに『天誅ガールズ』を語り合う内に心が通じ合っていったのだとか。

 

「……お前、そんな格好なのにアニメとか観るんだな」

 

 呆れ交じりに蓮太郎が柘榴を見やると、女児二人から猛反発が返ってきた。烈火のように顔を真っ赤にした延珠と、吹雪のように冷たい視線を向ける柘榴の挟撃に蓮太郎は圧倒される。

 

「聞き捨てならんぞ、蓮太郎! 例えどのような服を着ていようと、それは『天誅ガールズ』への愛に関係などない!」

「全く以ってその通りです。確かに私の服装が奇天烈なのは認めるところですが、それは作品の視聴を妨げるほどのものなのですか? 私の作品への愛を侮辱するような発言は許せません」

「大体、蓮太郎はアニメというものを全く理解していないのだ! 今や『天誅ガールズ』は子供にも大人にも大人気を誇る国民的アニメになりつつある。グッズ生産は鰻登りで、オープニングのダウンロード数は今でも増え続けている! 女子児童の五人に三人が観ているこの作品を――」

「里見さんは、アニメなど子供が観るものなのだから大したものではないと断じる古い世代の人間なのですか? アニメ大国と呼ばれる日本のアニメは以前より海外でも好評でしたが、昨今のアニメは脚本や演出の細部にまで力の入った、いわば芸術性の高い作品が増えて――」

「わかったわかったすみませんでした! 『天誅ガールズ』は凄いアニメですッ、俺が間違ってました!」

 

 捲し立てるように語る延珠と淡々と言い聞かせてくる柘榴の二人の猛攻に、蓮太郎はこれは堪らんと即座に白旗を上げた。何を言っているのかさっぱりわからなかったが、とにかく二人の『天誅ガールズ』への入れ込みようが半端ではないということは蓮太郎にも理解できた。

 そうして自身の非を認めた蓮太郎に、延珠は一転して満面の笑みで抱きついてくる。そんな彼女を宥めるように頭を撫でながら蓮太郎は嘆息する。

 

「ふふん、わかればいいのだ! 蓮太郎もようやく『天誅ガールズ』を認める気になったな!」

「はいはい、認める認める。だからもう勘弁してくれ。俺はさっさと晩飯を作って寝たいんだ。今日は疲れてるんだよ」

「……里見さんは」

 

 蓮太郎と延珠のやり取りを見ていた柘榴が、静かに口を開いた。表情もなく蓮太郎を見上げた彼女に、二人の視線が集まる。

 

「藍原さんと恋人としてお付き合いをなさっているのですか?」

 

 蓮太郎はひっくり返った。一方、延珠は「その通りだぞ」と適当なことを言う。

 即座に体勢を立て直した蓮太郎は、憤慨しながら怒声を張り上げた。

 

「ふざけんなッ、そんなわけねぇだろうがッ! こいつはあくまで仕事の相棒! そんな不純な目で見たことはねぇッ!」

「しかし、蓮太郎さんは“浮気”という単語を否定しませんでしたし……ひょっとしてそういう関係なのかと」

「なにッ!? ……そういえばそうだ。つまり蓮太郎、お主はとうとう妾を受け入れる気に!?」

「犯罪だろうがそれはッ! こいつはまだ10歳だぞッ、豚箱にぶち込まれるわ!」

「大丈夫ですよ。我が社にもプロモーターなのにそういう性癖を持つ方はいらっしゃいます。確かに社内の風当たりは強いですが、その愛情は間違いなくイニシエーターに伝わっていますから」

「擁護するなッ、俺は違ぇ!」

 

 必死に誤解を解こうとする蓮太郎だが、相変わらず柘榴は冷め切った表情だった。これでは本気で言っているのか、それとも冗談なのか判断がつかない。

 

「……というかだ。そもそもお前、ここに何しに来やがった」

 

 流れが悪いと即座に理解した蓮太郎は、強引に流れを断ち切りにかかる。未だに延珠は「やんやん」と顔を赤くしているが、それを無視して柘榴は蓮太郎の話に乗ってくる。

 

「まず、連絡もなしに突然の来訪というご無礼をお許しください。改めて名乗らせていただきます。私は千崎技研に所属するイニシエーター、金峰柘榴と申します」

 

 自己紹介をするとともに、柘榴は自身の名刺を差し出してきた。それを受け取った蓮太郎は、十歳児が出してきた名刺をしげしげと眺める。会社の連絡先と柘榴の名前だけが印刷された簡素なものだった。普通ならば印象に残らなさそうなそれが、逆に柘榴の無機質さを表しているようだ。

 

「本日お伺いしたのは、今回の依頼の件であなたにご協力を仰ごうと我が社が考えたためです」

「……協力だぁ? 俺たちはあそこに呼ばれたのが不思議なくらい序列が低い民警ペアだぜ? お前たち高位序列者の足を引っ張るだけだ」

 

 やぶ睨みでそう告げる蓮太郎は、しかし内心では自分の動揺が表情に出ていないかということに必死だった。

 柘榴の正確な序列を蓮太郎は知らないが、間違いなく千番台だった将監よりも格上だったということはわかる。そんな彼女が協力を求めてくるとなれば、もしや自分の“秘密”を知っているのではないか。その力を極力使いたくない、さらに言えば否定的ですらある蓮太郎は反射的に柘榴の言葉に惚けていた。

 それに対し、柘榴は蓮太郎を見上げながら首を傾げる。

 

「……そこなのですよね」

「どういうことだ?」

 

 柘榴の意図を掴めない蓮太郎は、眉根を寄せて問いただす。隣に座る延珠も意味がわからないのか、柘榴と鏡合わせのように首を傾げた。

 

「ハッキリ申し上げますと、私も“上”の命令の意図を理解しているわけではありません。そうですね。どこから説明したものか……」

 

 ジッと何もない虚空を見つめる柘榴は、どうやら蓮太郎に話す内容を整理しているようだった。身動ぎどころか瞬きの一つすらしないその様子は、本当に等身大の人形がそこに置かれているかのように蓮太郎を錯覚させる。お世辞にも趣味が良いとは言えないその服装も相まって、今の柘榴は非常に不気味だ。

 やがて内容の整理が済んだのか、柘榴がゆっくりした瞬きとともに動き出した。

 

「……序列123452位、里見蓮太郎」

 

 ポツリと呟いた柘榴は、歌うように言葉を羅列していく。

 

「天童式戦闘術初段。両親は十年前のガストレア会戦で死亡。以降、天童菊之丞に養子として迎えられる。民警の資格を取得したのは一年前。イニシエーターは藍原延珠で、正式なペアの交代歴はなし。所属する民会警備会社は天童民間警備会社で、社長は天童木更。彼女とは血の繋がりこそないものの、家族同然に育てられたという」

 

 語られた情報に誤りはない。しかし機械が淡々と音声を吐き出すように情報を伝える柘榴に、蓮太郎は言い知れぬ不安感と恐怖を感じた。延珠も同じことを思ったのか、小さく蓮太郎の制服の裾を掴んできた。

 

「あなたが仰る通り、私もあなたが戦力としてこの依頼に必要不可欠な要素だとは思っておりません。しかし私のプロモーターである千崎は、あなたに対して私の知り得ない情報を握っていると思われます」

 

 その言葉に、蓮太郎の心臓が跳ね上がった。嫌な汗が背中を伝い、喉がカラカラに乾いていく。

 蓮太郎についての余人が知り得ない情報――心当たりが、蓮太郎にはある。まさか目の前の少女のプロモーターは、それを利用せんと企む輩なのだろうか。知らず知らずの内に、蓮太郎は拳を握り込んでいた。

 

「私は千崎より、“なぜか”あなたを24時間体制で監視するよう命令されております。千崎曰く、間違いなく蛭子影胤はあなたに接触してくるため、そこで彼を討て――とのことです。私が本日あなたにお願いしに参りましたのは、その待ち伏せに協力してほしいという旨を伝えるためです」

 

 今度こそ蓮太郎の思考が一瞬止まった。あの怪人が、また自分に接触してくる。妙に馴れ馴れしい態度だったとは蓮太郎も思っていたが、他人に言われたことで改めてその可能性を認識させられた。

 だが、同時に思う。あの斥力フィールドという超常の能力の使い手に対し対等に渡り合った彼女が、自分たちに一体何の協力を求めるというのか。

 

「その協力っていうのは、具体的に何だ? お前は俺に何をやらせようってんだ?」

「端的に言います。泊めてください」

「…………は?」

 

 思いもしなかった柘榴の言葉に、今度は違う意味で蓮太郎が固まる。隣に座る延珠も、ツインテールを逆立てながら固まった。

 

「……待て待て待てッ、どうしてそうなる! 今の流れでどうしてお前が俺ん家に泊まることになんだッ」

「あなたを監視するには、24時間あなたに張り付いているのが単純ながら最も効率的だと判断したためです。同時にこれはあなたにとってのメリットにもなり得ます。もしも再び蛭子影胤があなたに接触してきた場合、私がこれを撃滅することは同時にあなたの身を護衛することにもなるためです」

 

 一応、理には適っている。蓮太郎では影胤と遭遇したが最後、抵抗することもできずに殺される可能性が高い。延珠がいれば逃げることくらいはできるかもしれないが、あちらには柘榴と同等の戦闘力を持つ小比奈というイニシエーターがいる。延珠が負けるとは蓮太郎も思いたくないが、しかし苦戦することは間違いない。

 しかしここに、柘榴という強力な戦力がいればどうか。少なくとも彼女さえいれば、延珠と二人で影胤と戦うことができるかもしれない。

 だが、納得ができない。

 

「……その根拠は何だ? あの仮面野郎が俺に会いにくるとお前らが考えているのはわかった。だが今の話には、どこにも蛭子影胤が俺のところに来るっていう根拠がないぞ」

「確かに、仰ることは尤もです。しかし私もその根拠を知ろうとする努力はしましたが、残念ながらそれが明かされることはなく今に至りました。確かなことは、千崎が“来る”とほぼ確信しているということだけです」

 

 つまるところ、柘榴自身は根拠を持っていないということだ。彼女の口ぶりからするにプロモーターは何らかの情報を持っているのかもしれないが、それをイニシエーターにまで知らせてはいないらしい。少なくとも、目の前の少女が自分の“秘密”を知らないというだけで蓮太郎は内心で胸を撫で下ろした。

 そうとなれば、もはや蓮太郎に遠慮する必要は一切ない。早々に話を打ち切ろうと、蓮太郎は話を畳み掛けた。

 

「話にならねぇよ。俺に協力してほしいってんなら、まずは具体的な情報を出しな」

「……正論すぎてぐうの音も出ないのが本当のところなのですけどね。しかし“上”が話さないと判断した以上、“下”はそれに従うだけです。そして私にできるのは、“上”からの指令を全うできるよう全力を尽くすことのみですから」

「それで俺に頼み込みにきたってのか? お断りだ。大体、それはお前らが勝手に言っているだけだろ。なんで俺がそんなことに協力しなくちゃならねぇ。監視だか待ち伏せだか知らねぇが、俺の知ったことかよ」

「無理を承知でお願いします。そこを何とか」

「駄目だ」

 

 にべもなく言い捨てる蓮太郎に、柘榴は再び黙り込んだ。

 実際、彼女にもこれが蓮太郎に大きな迷惑をかけているという自覚はあるのだろう。しかし彼女の口ぶりからするに、どうやら彼女もわけがわからないままプロモーターにここへと遣わされただけのようだ。そんな状況でも仕事を全うしようという彼女の意志は尊敬に値するが、それこそ蓮太郎の知ったことではない。

 それよりも、蓮太郎には先程から気になっていたことがあった。

 

「というかだな。お前、会議室で見た時にも思ったが、相棒のプロモーターはどうした。こういう時はそっちが交渉するのが常識だろうが。情報握ってるのはそっちみたいだし、お前一人じゃ埒が明かないぜ?」

「…………相棒、ですか」

 

 蓮太郎としては当然のことを言ったつもりだった。人間とは比較にならない戦闘力を持つとはいえ、イニシエーターは所詮年端も行かぬの少女たちだ。むしろこうした損得勘定が必要な場面にこそ、プロモーターの力が活きると言っても過言ではない。

 だが蓮太郎それを言った直後、柘榴の纏う空気が一変した。無機質さを人型に収めたような柘榴から、背筋が凍りつくような殺気が漏れ出す。視線は若干だが鋭さを増し、そしてその眼孔に収められた瞳が赤く変色した。ポツリと呟かれたその声は低く、今まで機械的ですらあった柘榴が初めて“怒り”の感情を発露している。

 戦闘態勢へと唐突に移行した柘榴に、蓮太郎と延珠は度肝を抜かれた。しかし蓮太郎が何事かを口にする前に、蓮太郎を庇うように延珠が前に飛び出す。威嚇するように瞳を赤くした彼女は、警戒心も露わに柘榴と相対した。

 

「柘榴、何の真似なのだッ」

 

 蓮太郎の内心を代弁するように、延珠が柘榴へと鋭く問いかける。

 何も知らない人間から見れば、これは恐ろしい光景だろう。人外の身体能力を誇る生きた災害が、この小さな八畳の部屋に二人。それもその両方が力を解放した状態で向き合っている。普通の人間が銃を向け合っているのとう、状況的にそうは変わらない。いや、それ以上に被害が甚大になることを考えれば、大砲を向け合っていると表現してもその脅威を表現しきれないほどだ。

 だが、延珠の言葉で初めて柘榴は表情を変えた。それはとても小さな変化だったが、何やら困ったような、後悔しているような表情となったのだ。その変化に蓮太郎と延珠は鼻白む。

 

「……すみません。少し感情が昂ぶってしまいました。暫しお待ちを」

 

 瞼を下ろした柘榴は、小さく溜め息をついた。そして再び目を開いた時、既に瞳は元の闇色へと戻っている。

 一応、敵意があっての行動ではなかったらしい。それを理解した蓮太郎は、警戒心を残しながらも延珠を脇に戻す。未だに彼女は心配そうに蓮太郎を見ているが、黙ってそれに従った。

 

「……そうですよね。普通はここでプロモーターが出てきますよね。常識が通用しないプロモーターで申し訳ありません」

 

 深々と頭を下げた柘榴は、本当に申し訳なさそうに謝罪した。先程の態度と一変したその様子に、蓮太郎はもはや付いていけない。

 

「私のプロモーターは、基本的に受けた依頼に直接的な関与をすることがありません。よって私は、ただあの人に言われた通りに一人で行動することが常となっております。今回もただ里見さんを見張れと書類越しに指示されただけで、あの人の意図は私も知らないのです。ここ数ヶ月は顔も合わせていませんし、あの人も何を考えているのやら」

「……何だ、それは」

 

 蓮太郎が疑問に思ったことは尤もだった。

 プロモーターとは、まだ子供でしかないイニシエーターに的確な指令を与え依頼を成功させるという役目だけでなく、幼い彼女たちの精神的主柱となることで精神の均衡を保たせることも重要な役目だ。

 だというのに、柘榴の言葉が正しいのならばその千崎とやらはそのどちらの役目も放棄している。指示を与えるばかりで依頼には関与せず、しかもその指示は間接的に紙媒体で下しただけ。どちらも尋常な民警ペアならばあり得ないものだ。

 

「つまりお前一人で俺の監視をさせるつもりだったのかよ、そのプロモーターは。もし俺が断ったら、それで終わりじゃねぇか」

「正確には、あなたに協力を申し込むように千崎は指示していません。これは私の独断です。もしも協力していただけないのならば、私は当初の予定通り外で野宿しながらあなたを見張ることとなります」

「「野宿!?」」

 

 柘榴の言葉に、蓮太郎と延珠は暫し言葉を失う。春先とはいえ夜はまだ冷える。しかも明後日からの天気は雨と予報されている中、彼女は外で寝泊まりをしようというのか。ガストレアウィルスの影響で風邪すら引かない彼女たちだが、その精神的な疲労は計り知れない。

 それと同時に、自身の相棒であるイニシエーターにそのような過酷な状況を平然と命令できるプロモーターの存在も蓮太郎には信じられなかった。少女一人を寒空の下に放り出し、自分はそんな少女と顔を合わせることもなく命令するだけ。蓮太郎も民警として働き始めてからまだ一年だが、それがプロモーターとしても一人の大人としても明らかに愉快なものではないことくらいはわかる。

 

「お、おいおい。それは自分の身を盾に俺たちを脅しているのか? だとしたらそれは無駄ってもんだぜ?」

「本当のことです。この時代、『呪われた子供たち』である私に協力してくれる人間などそうはいません。プロモーターが手を貸してくれないとなれば、孤立無援の私にできることは身体を張ることくらいしかありませんから」

 

 「とはいえそろそろ引き時ですね」と呟いた柘榴は、元の無表情のまま立ち上がった。呆然とそれを眺める蓮太郎たちを余所に、部屋の隅に置かれた革製のトランクケースを持ち上げる。

 

「元々、こちらには駄目元でお邪魔したので断られることは想定内です。しかしこちらも仕事ですので、監視だけはさせていただきます。その過程で見聞きしたことは外部に漏らさないとお誓いします。それとなるべくあなた方の前に姿を見せないよう配慮しますが、もしも私の姿を捉えた場合は無視してくだされば幸いです」

 

 それだけ言うと、柘榴は蓮太郎たちの脇を通り抜けて玄関へと去っていく。その背中は、柘榴が本気であることを言葉にせずとも語っていた。恐らく彼女は、本当にこれから寒空の下で一睡もせずに蓮太郎を監視するつもりなのだ。自分には全く責任などないはずなのに、なぜか蓮太郎はまるで悪事を働いた後のような罪悪感に苛まれていた。

 実際、蓮太郎は何も悪くはない。突然押しかけてきた見ず知らずの人間を正当に追い返しただけだ。そこに暴力は介在しておらず、全て言葉による弁論で全ては解決した。その結果として相手は不利益を被ることとなるが、そこまでは蓮太郎の感知するところではない。

 完全な理論武装を済ませた蓮太郎は、しかし、それでもなぜか柘榴の背中から目を放すことができなかった。

 

“クッソ! 何なんだよッ”

 

 苛々が最高潮に募る。それが表情にも出ていたのだろう。延珠が心配そうに蓮太郎の顔を覗き込んできた。どうやら彼女を不安な気持ちにさせてしまったらしい。これでは保護者として失格である。いくら『呪われた子供たち』とはいえ、延珠はまだ10歳の少女だ。親代わりである自分がしっかりしなければ、彼女の精神も不安定に――

 

 

 ――『プロモーターが手を貸してくれないとなれば、孤立無援の私にできることは身体を張ることくらいしかありませんから』

 

 

 ちょっと待て、里見蓮太郎。お前は何を思い出している。

 不意に脳裏に蘇った柘榴の言葉を、蓮太郎は頭を振って追い出した。自分が気にすることではない。

 

 

 ――『ここ数ヶ月は顔も合わせていませんし、あの人も何を考えているのやら』

 

 

 やめるんだ、蓮太郎。気にしても自分にできることはない。

 必死に自分に言い聞かせる蓮太郎を余所に、柘榴の言葉は次々と記憶を過っていく。

 自分は一体、何を考えているのだろうか。目の前の少女は、蓮太郎たちとは比較にならない戦闘力を持つ次元の違う強者。彼女ならば蓮太郎の助けなどなくとも、きっとプロモーターの命令を無事に終えることができるだろう。

 そう、彼女は自分とは違う。ましてや、自分の“秘密”を暴かれる危険を冒してまで彼女を助ける理由などない。

 だが――

 

 

 ――『そうだろうそうだろう! やはり『天誅ガールズ』は最高だな!』

 ――『そうですね。『天誅ガールズ』は素晴らしいです』

 

 

 その言葉を思い出した瞬間、蓮太郎は我に返っていた。いや、目が覚めたと言うべきか。あるいは、気付かなくとも良いことに気付いてしまったと表現しても良いかもしれない。

 そう、確かに彼女は次元の違う強さを持つイニシエーターだ。序列は確実に蓮太郎よりも上だし、ほぼ同い年と思われる延珠よりも精神的にもしっかりしている。

 

“けど、だから何だってんだよ”

 

 それでも柘榴は、延珠と同じ小さな女の子だ。

 『天誅ガールズ』が好きで、服のセンスが悪く、何を考えているのかわかりにくい。それでいてプロモーターに雑に扱われ、誰の助けを借りることもできず、それでも健気に依頼を熟そうと苦慮する一人の女の子なのだ。

 確かに彼女を抱え込むことは、蓮太郎にとって不利益を与えるかもしれない。恐らくは気苦労も増えるだろう。

 しかし藁にも縋る気持ちで自分を頼ってきた少女を、面倒事は御免だからという理由で放り出すような人間は――果たして延珠に胸を張って大人だと、親代わりだと言えるような人間なのか?

 

「ああっ、クソッ」

「れ、蓮太郎?」

 

 唐突に頭をガリガリと掻いた蓮太郎に、延珠は訝しげな目を向けた。

 しかしその顔が迷いを吹っ切ったものであると察した彼女は、安心したように微笑む。それを見てますます退けなくなった蓮太郎は、玄関で靴を履こうとしている柘榴に向き直った。

 

「あーわかったわかった! 俺の負けだ、降参! 好きなだけ泊まってけ! その代わり家賃取るからな!」

 

 背中から投げられた蓮太郎の言葉に、柘榴はゆっくりと振り返り首を傾げる。

 突然意見を翻した蓮太郎のことを、不思議なものを観るような目で窺っていた。

 

「……いきなりですね。どのような心境の変化ですか? 自分で言っておいてこう言うのは無責任だと思いますが、私、相当無理なお願いをしたと思いますよ?」

「うるせぇ。確かに面倒事は御免だけどよ、寒空の下に小学生を放りだせるほど俺は人間が腐ってねぇんだ。あ、勘違いするんじゃねぇぞ! あくまで良心が痛んだだけであって、お前に同情したとかそういうんじゃねぇかんなッ」

 

 ビシッと言い放った蓮太郎を、やはり柘榴は無表情で見つめている。しかしその意志は伝わったのか、履きかけていた靴から手を放すと居間に戻ってくる。そして再びトランクケースを床に置くと、蓮太郎に向けて可愛らしくお辞儀をした。

 

「では、これからお世話になります。里見さん、藍原さん」

「堅苦しいな、お主は! 妾のことは延珠で良い! 蓮太郎のことも、里見さんなどと呼ばずに蓮太郎と呼ぶのだ!」

「……承知しました。では、蓮太郎さんと延珠さんで」

 

 こうして、蓮太郎の家に奇妙な同居人が一人加わった。

 

 




柘榴「計画通り」

次話辺りで戦闘に突入できるといいなぁ……

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