ブラック・ブレット ――漆黒の民警――   作:てんびん座

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第四話

 会議室の扉を開けた柘榴を出迎えたのは、シンと静まり返った民警たちだった。どうにも雰囲気がおかしい。

 別に静かなのは結構なことだが、この通夜のような空気は一体何なのだろうか。

 

『お疲れ様でした、柘榴さん。お怪我は御座いませんか?』

 

 まず口を開いたのは、映像越しに柘榴を見下ろす聖天子だった。彼女とは仕事の関係で何度か顔を合わせたことがある。超高位序列者はエリアにとっての決戦兵器にも等しい。そのため政府にも顔見知りが数人はできるものなのだ。これは柘榴に限った話ではなく、恐らくは他の民警たちもそうだろう。

 

「ええ、幸運にも無傷です。強いて言うのならば、砕いた壁のせいで髪と服が粉まみれになったことくらいですね。しかし申し訳ありません。蛭子影胤と蛭子小比奈は逃がしました」

『そのようですね。しかし彼らを相手に死人もなく撃退できたというだけでも、この場では重畳です。この場を設けた者として、あなたに感謝します』

「感謝されるのはまだ早いでしょう。依頼はまだ終わっていないのですから」

 

 それだけ言うと、もう話すことはない柘榴は聖天子から視線を外す。そしてグルリと室内を見回すと、ボロボロとなったバスタードソードを肩に担ぎながらまっすぐに一人の人物の下へと歩いていった。

 その途端、柘榴の進路上にあった人垣が一斉に割れる。それは宛ら、伝説に残るモーセの偉業のようだった。目の前を過ぎ去る柘榴に対し、人々は言葉を発することもなくそれを見送っていく。

 柘榴としては気まずいことこの上ない。非常に居心地が悪い。誰も声を発さないというのに、視線ばかり集まってくる。ゴシックロリータという悪趣味かつ派手な服装をしている柘榴が言っても殆どの者が信じないだろうが、柘榴は目立つのが嫌いな性分なのだ。

 そうこうしている内に、柘榴は目的の人物の下へと辿り着いた。

 

「剣、勝手にお借りして申し訳ありませんでした」

 

 担いでいた剣を本来の持ち主――伊熊将監へと柘榴は差し出した。若干の緊張の面持ちを浮かべながら、将監は「お、おう」とそれを受け取る。

 しかし彼も流石は高位序列者といったところか。バスタードソードを受け取るなり、刀身を眺めながら状態を細かく確認していた。自身の命を預ける武器だ、その状態は常に気を配るのが当然だろう。「帰ってから考える」というほど適当な人物ではないようだ。

 だが柘榴の目から見ても、その有様は酷いものである。先程までは使い込まれた痕跡はあっても、このような廃棄寸前の鉄屑ほどの損傷は受けていなかった。人間用の武器を『呪われた子供たち』が使用すればこうなることは目に見えているが、それでも使ったから返すというだけで済まないレベルだということは事実だ。

 

「心音、彼に私の名刺を」

「は、はいっ」

 

 一同に混ざって呆然とこちらを見ていた心音が、柘榴の一声で走り寄ってくる。柘榴が弾丸を弾いたアタッシュケースを拾ってくると、その中から名刺入れを取り出して駆け寄ってきた。

 そこから取り出されたのは、柘榴の名前と会社の連絡先が記された名刺だった。当然ながら、普通のイニシエーターは自分の名刺など持っていない。しかし千崎技研のイニシエーターは例外だ。プロモーターなしで現場に投入される彼女たちは、その場で自分の名刺を必要とする場面がたまにある。よって会社側から、彼女たちに自分の名刺を持つことを義務付けられているのだ。

 

「三ヶ島ロイヤルガーダーの伊熊さんで間違いありませんね? この度の武器の損傷は完全に私の落ち度です。私の名前を出していただければ新品との交換、あるいは修理の料金を我が社に請求できるようにしておきます。重ね重ね申し訳ありません」

 

 丁寧な柘榴の謝罪に、将監は鼻白んだように黙り込んだ。恐らくは柘榴の子供とは思えない対応に驚いているのだろう。彼のイニシエーターも落ち着いた空気を纏ってはいるが、それは動物因子の影響によるものだと柘榴は知っている。

 しかしこちらは天下のブラック企業こと千崎技研に所属するイニシエーター。人様に迷惑をかけた回数は数知れず。そのような環境にいれば、自然と謝罪スキルとバックレスキルが経験によって身に付いていくのだ。ちなみに最高のバックレスキルを持つ柘榴の同僚のイニシエーターは、目撃者を消すほどまで拘るというのだから笑えない話である。

 

「それで心音、この空気は何なのですか。私のいない間に、何か話が進展したのですか?」

「そ、それは……」

『私が説明いたします』

 

 言い淀む心音の言葉を遮り、聖天子が名乗りを上げる。政府の代表が直々に説明してくれるというのはありがたい話ではあるが、逆にそのことが柘榴の不安を煽った。できることならば聞きたくない。というか依頼を降りたい。

 そんな柘榴の心情など知るはずもない聖天子は、簡単に『七星の遺産』についての説明をしていく。本当に概要だけの簡素なもので、やはり肝心な部分は伏せられたままだ。しかしそれでも、柘榴が心底気怠さを感じるには充分な話だった。

 

「……なるほど」

 

 正直に言おう、真剣に頭が痛い。

 ただのガストレアの駆除だと思っていた数時間前がもはや懐かしい。それが今では、東京エリア壊滅の危機と来た。『新人類創造計画』、『七星の遺産』、『大絶滅』、どれか一つの単語だけでもお腹いっぱいだというのに、それが徒党を組んで襲い掛かってきているのだ。

 こんなもの、柘榴の処理できる領域を超えている。できることならば千崎技研に所属するイニシエーターを総動員して取り掛かりたいほどの大事件だ。

 たぶん無理だろうが。

 柘榴が諦観の念とともに社長に電話で指示を仰ごうと携帯電話を取り出した、まさにその時だった。

 部屋の隅に佇んでいたイニシエーターの一人が、「ひっ」と悲鳴をあげる。静まり返った室内に響いたその声に、視線が一気に集中する。そして悲鳴の主と思われる少女が見つめる視線を追い――やがて全員が固まった。

 

「あ、あれは……!」

 

 民警たちの誰かが呟く。

 それは床に転がる箱だった。丁寧に包装されたそれは、影胤が蓮太郎に置いていったプレゼントボックスだった。普通と違うのは、その端々から滲み出る赤い水くらいだろう。その水の正体は、調べるまでもなく全員が理解しているだろうが。

 誰もその場を動かない中、一人の少年が前に進み出る。蓮太郎だ。影胤にあの箱を渡された身として、意を決してそれを開けようというのだろう。ぎこちない手つきで包装を解いた蓮太郎は、僅かに間を置いてその箱を開ける。

 その中身を見て、柘榴は初めて表情を崩した。その表情のまま、柘榴は携帯電話を操作して千崎の電話に繋げる。そろそろ留守番電話になるのではないだろうかというほど長いコール音の後、ようやく千崎は出た。

 

「……社長、柘榴です。実は仕事が大変なことになりそうなのです。プロモーターとして手伝ってください」

 

 「無理」の一言の後、電話が切れた。

 そんなことだろうと思っていた柘榴は、心の底から面倒臭そうな表情をしながら箱の中身を見て嘆息する。

 そこにあったのは、斬ったばかりだと一目でわかる新鮮な人間の生首だった。後に、それが大瀬フューチャーコーポレーションの社長のものだと柘榴は知る。

 それを知った柘榴が思ったことはただ一つ。

 

“あれがウチの社長の首だったら良かったのに”

 

 柘榴はやさぐれていた。

 

 

 ◆

 

 

 例えば、仕事帰りのサラリーマンがいたとしよう。今日も嫌な上司に詰られ、ハードな仕事を終え、取引先の相手に文句を言われる。そんな苦痛すら感じる一日を終えた人間が、最も安らげる場所はどこだろうか。

 それは自宅だと柘榴は思っている。

 誰にも邪魔されず、完全にプライベートで保護された癒しの空間。この中ならば普段の仕事で見せない素の顔を晒しても、人には言えない趣味をしても怒られないし非難されない。

 部屋の中であれば、社長に強制されているゴスロリを脱ぎ、ラフな格好になっても大丈夫。

 自宅に帰り、ゴスロリを脱いだ瞬間こそが柘榴にとって一日で最も至福の時だ。ああ、自分は今日も仕事を終えたのだなという達成感で天にも昇る心地となる。

 しかし実は社長の千崎からはそのラフな格好も禁じられており、見つかれば即焼却処分されてしまうというプライバシーを完全に無視した嫌がらせを柘榴は受けている。そのため柘榴は自分の家でも普通の服を着ることにも警戒が必要なのだが、まさかあの社長も柘榴が風呂場の換気扇の裏に服を隠しているとは思うまい。

 このように、柘榴は自宅が大好きだった。できることならば一日中引きこもっていたいくらいだが、それでは憎き千崎と同類になってしまう。よって柘榴は、最低でも一日に一回は外出するよう心掛けていた。

 だというのに――

 

 

「……はぁ、出張?」

 

 

 千崎技研に帰ってきた柘榴に突きつけられたのは、まさかの社長による出張命令だった。しかも内容を見る限り数日は家に帰れない。

 防衛省での一件を千崎に改めて電話で報告した柘榴は、行きと同じように心音を伴いリムジンで会社まで戻ってきていた。そして社屋に入るなり受付の女性に手渡されたのが、書類によって通知されたこの命令だ。

 全くもってわけがわからなかった。イニシエーターに与えられている執務室で半ば放心しながら、柘榴は書類を読み進める。

 そこには防衛省からの依頼に対してどのように対応するかなどが書き留められている。いわば達成に向けての方針を指示しているのだ。本当ならば顔を合わせた上で審議し、各種の確認をしてから活動を開始するのが普通の民警だ。難しく言ってしまったが、要は普通にペア同士で依頼の相談をすると考えれば良い。

 しかし千崎技研ではそうではない。依頼の内容を聞いた千崎が、それを担当するイニシエーターに漠然とした指示を送る。細かい問題があればその都度連絡――大体は現場判断に任されるが――し、それ以外は“臨機応変”の四文字で済まされるという非常にイニシエーターに優しくない業務体制なのだ。

 尤も、“開発した兵器を使わせるために依頼を受ける”という千崎技研からすれば依頼が成功したかどうかなど二の次なのだろうが。

 

「………………」

「ざ、柘榴ちゃん?」

 

 書類を読み進めれば読み進めるほど怒りのオーラが増していく柘榴に、同じく会社に戻ってきた心音が恐る恐る話しかける。柘榴の書類を握る手は細かく震えており、今にもそれを破り捨てそうだ。

 無表情ながらに頭に血が上っているのか、先程からその瞳は赤と黒の明滅を繰り返している。『呪われた子供たち』に特有の、感情の高ぶりによる能力の発現だ。他の『呪われた子供たち』ならばともかく、常に冷静沈着な柘榴がこれを起こすのは心音も初めて見た。

 

「何これ……わけわかんない……里見蓮太郎……張り込み……蛭子影胤……」

 

 ブツブツと呟いた柘榴は、頭を押さえて大きな溜め息をついた。

 影胤たちと戦いを終えた時以上に疲れを滲ませる柘榴に、心音はリュックの中から麦茶の入った水筒を取り出す。冷えた麦茶を紙パックに注いで差し出された柘榴は、「ありがとうございます」と礼を言うと一気に飲み干した。

 

「大丈夫? 凄く辛そうだけど」

「全く大丈夫ではありません。あのボケ社長、私を疲れを知らないターミネーターとでも思っているのではないですか」

 

 ヨロヨロと歩き出した柘榴は、自分の席にグッタリと上体を投げ出した。

 ついに英気を養うための最後の砦までもが、千崎によって突き崩されようとしていた。

 

「でも、どうして急に出張なんか。出張ってことは会社に戻ってこないんだよね? 聖天子様からの依頼を考えたら、逆に会社で待機していた方がいいと思うんだけど」

 

 心音の指摘は尤もだった。

 この依頼の達成条件は、蛭子影胤に先んじて感染源ガストレアを発見し、直ちに駆除。そして内部のケースを手に入れ、それを政府に届けることだ。それには目標を発見してからの迅速な対処が求められるため、常識的に考えれば柘榴は会社に缶詰となる方が意味があるだろう。

 そう考えれば、この中に会社から柘榴を出すことを必要とする要素はない。事件現場が他のエリアだというのならば話はわからなくもないが、この依頼はどう考えても東京エリア内で一週間以内にケリがつく。縦しんばガストレアが影胤や民警たちから逃げ続けられたとしても、モノリスの結界の内部ではそう長く生きられまい。

 

「あっ……まさかガストレアを狩り終わるまで会社に戻ってくるなっていう、そういう意味で出張ってこと?」

 

 だとすれば鬼のような命令だ。血も涙もない。仕事が終わるまで何日も帰宅すらできないなど、流石にそれは会社として常軌を逸した命令だろう。

 だが、柘榴が受け取った指令は心音の想像もしない内容だった。

 

「……出張と言うと大げさかもしれませんね。ただ、しばらく会社にも家にも戻れないのは確かなようです。社長曰く、依頼が達成されるまでの間、24時間体制で重要人物と目される人を監視する“だけ”らしいですが……何が“だけ”ですか、じゃああなたがやればいいじゃないですか。24時間って、それ一人でやる類の仕事ではないのですが。交代くらい寄越しやがってくださいよ」

 

 「学校は結局休みですね」と柘榴は溜め息をついた。

 柘榴の言っていることを、心音はイマイチ上手く呑み込むことができない。

 

「監視? なんで? だってこの依頼はガストレアと蛭子影胤を見つけることでしょ? 早くしないと大絶滅が……」

「社長は端からこの依頼には然程興味がありませんよ。あの人が優先すべしと命令してきたのは、“蛭子影胤の生け捕り、または死体の回収”ですから」

「……は?」

 

 心音の目が点になる。

 当然だった。東京エリアの大絶滅という危機が目前に迫っているというのに、それを防ぐための戦いに参加しないと千崎は言うのだから。

 この反応を示す時点で、心音はまだ千崎技研に染まり切っていないのが柘榴にはわかった。他のイニシエーターならば、「あー」と千崎の思考トレースが大体できる。

 

「ど、どういうこと?」

「つまりあのクソマッドなクソ社長は大絶滅を防ぐことは他人に任せ、『新人類創造計画』のサンプルである蛭子影胤を“回収”してこいと言っているのですよ。かの機械化兵士計画の統括者にして、四賢人の内の一人でもあるグリューネワルト教授の技術に興味津々なのです。といっても、恐らくは十年前の技術なので教授本人からすれば型落ちもいいところでしょうけど」

「そ、そんなのって……!」

 

 気でも狂ったかと思えるようなその命令に、今度こそ心音は絶句する。

 今は東京エリアに住む人々はもちろん、会社の人間や自分自身の命にさえ危険が迫っている状況なのだ。だというのにその大問題を放置して、研究のためのサンプル集めを優先する。どう考えてもまともな思考回路ではない。

 自身の所属する会社の狂気を垣間見た心音は、一気に背筋が凍りついた。

 

「言っておきますけど、これは“極秘”の判子が押されているので他言無用ですよ。プロモーターにも漏らしてはいけません。これがばれたら、社内に残るまともな社員がクーデターを起こすかもしれませんからね」

「ッ、すぐに社長に直訴しようよ! こんな命令、絶対おかしいよ!」

「落ち着きなさい。確かに問題ばかりの命令ですが、全ては私が無事に依頼を終えられれば良いのです。まだ慌てるほどの事態ではありません。というかですね」

 

 心音の言葉に、柘榴は顔色一つ変えない。

 ただ面倒臭そうに資料に目を通していくだけだ。

 

「あなたは自分自身がどこの誰の会社に所属しているのか、ということの自覚が足りないようですね。私たちは民警として史上最悪のブラック企業、千崎技研のイニシエーターなのですよ? この程度の無茶振りは日常茶飯事です。流石にこの規模の事件は少ないですけどね」

 

 ジロリと向けられた漆黒の瞳に、心音は思わずたじろぐ。

 

「あなたは入社してから半年間、一体我が社の何を見てきたのですか。おかしいなど、何を今更。半年ほど言うのが遅いですよ」

 

 柘榴自身、自分の会社がだいぶおかしいということは自覚している。それでも仕事なのだからやるしかないではないか。

 きっと世間は自分のことを“社畜”と揶揄するのだろうが、自分には超高位序列者としての責任がある。ここで仕事を投げ出せば結果として誰かがやらなければならなくなるのだ。ならば少しでも実力の高い自分がやった方が効率的だし安全だろう。

 

「まぁ、結果的に政府からの依頼の達成の助けにはなりますからね、率先して蛭子影胤を討つことは。後顧の憂いを断つという意味では、社長の方針もアリではあります。よって私の仕事は、“蛭子影胤の待ち伏せ”を優先することとなるでしょう。そのための待ち伏せ場所として、なぜかあの時にいた民警の人――里見蓮太郎の近辺を指定してきたのは全くわけがわかりませんが」

 

 正常な思考回路を持つ柘榴には千崎の意図は全くわからないが、言っている内容は理解できる。本当に意図は全くわからないが。

 つまり千崎は、影胤が再び蓮太郎に接触を図ると考えているのだ。理由や根拠は書類に記されていない。ただ隅っこに手書きで、「たぶん大丈夫だけど、来る確証はないからまだ秘密☆」と書かれている。文末の星にイラッとした。

 というか、確証もないのにこんな適当な命令をしないでほしい。柘榴とて、無能な上司の巻き添えを食らって死にたくはない。確かに影胤が蓮太郎を気にかけていた素振りを見せたと柘榴は報告したが、それとこれとは別問題ではないだろうか。なぜ千崎は蓮太郎という少年に目を付けたのか。

 

“蛭子影胤と里見蓮太郎……二人には何か接点がある?”

 

 千崎が来るとほぼ確信していることは、指令からも感じ取ることができる。それも影胤が自ら蓮太郎に接触を図ってくるレベルとなれば、相当に大きな接点だろう。しかし肝心のそれがわからなければ、柘榴にもこの千崎の考えが正しいのかどうか判断がつかない。

 

「せめて他に誰かがいれば、里見さんの張り込みとガストレアの追跡の二手に割けるのですが……」

 

 というか本当のことを言うのならば、柘榴も心音と同じようにこのような監視など無駄なのではないかと思ってはいる。しかし柘榴にとってはもの凄く遺憾であり納得のいかないことなのだが、千崎の勘はここぞという時に当たる。それも未来予知ではないかというレベルで。

 通常、そのような運任せや神頼みといった類に命を預けることを嫌う柘榴であるが、しかし千崎の直感だけは馬鹿にできない。それでもと安全策を取るのならば心音をこの依頼の担当に回しても良いのだが、それは彼女のプロモーターである英彦から文句が来るだろう。

 そうとなれば、やはり自分一人でやるしかないのだ。

 幸いにも、ガストレアの方が先に発見されればそちらに向かうようにという指令も書類には記載されている。あくまで影胤は“優先対象”なのであって、目的そのものをはき違えるようなことは千崎もしていない。何度も影胤の名前を出していることから、本心では影胤が最優先だという意志は透けて見えるが。

 

「ぅ……ざ、柘榴ちゃんは……」

「はい?」

 

 ポツリと呟く心音に、柘榴は視線を向ける。俯いているため表情は見えないが、決して快い感情を抱いていないということは柘榴にも理解できた。

 

「柘榴ちゃんは、東京エリアを守ってくれるよね? この会社がおかしいのは英彦さんも少し話していたけど、でも柘榴ちゃんは東京エリアを守ってくれるよね?」

「当然です。それが政府からの依頼であり、私の仕事ですから」

 

 俯く心音から視線を外した柘榴は、気にした風もなくペラペラと書類を捲る。これも千崎技研に入社したイニシエーターが通る道だ。この会社の方針が無理と感じた者は勝手にIISOに戻っていくのだから、これ以上柘榴が口を出す必要はないだろう。

 そんなことよりも、柘榴にとっては目の前の仕事だった。監視の方法は任せるとのことだが、たった一人の人員で24時間の一時も目を放すなと厳命されている以上は近場にいなければ駄目だ。そして近隣のホテルを携帯電話の地図機能で探してみても、どうしても住宅街の中心地にある里見家からは距離がある。となれば、もはや監視の方法は野宿くらいしか残されていない。

 いや、会社の車を使った車内泊という手段も残されているか。しかし昨今の東京エリアは土地の面積が少ないため、それに比例して警察の路駐に対しての扱いも厳しくなっている。普通に駐車場を探すという手もあるが……

 

「げっ、『極秘の依頼故になるべく個人で対処すること』って……ちょっとそれは厳しすぎませんか」

 

 抱いた希望は、たった一つの文によって打ち砕かれた。このなるべくがどの程度なのかは知らないが、人手を借りることに千崎は良い顔をしないだろう。精々が送り迎え程度か。

 というよりも、その人物に「なんでここで監視なんてしているんですか?」と聞かれればノーコメントを貫くしかないという致命的な弱点を晒してしまう。聖天子の出した依頼そのものは別に極秘でも何でもないため、社員だって調べれば内容はわかる。それを受けているのが柘榴だということもすぐに見当がつくはずだ。その柘榴が、依頼とは関係のない民警を24時間体制で監視している――どう考えても怪しい。

 これは確かに人手は借りられないかもしれない。

 しかも――

 

「……今週、雨降るじゃないですか」

 

 携帯電話で調べたところによると、天気がどうにも怪しい。こんな住宅街のど真ん中で雨風を凌げ、尚且つ人様の家を監視できて、おまけに数日だけの居住が許されるような都合の良い場所があるだろうか。いや、ない。住宅地の中でテントを張るのは厳しいし、傘を差して凌ぐのも無理がある。

 これはもう、どうにもならない。

 努めて冷静に携帯電話のメール機能を起動させた柘榴は、簡素なメールを千崎に送った。

 

『一人では無理です。手伝ってください』

 

 返信は迅速だった。まるで柘榴がこのメールを送ることを事前に予知していたかのように、即座に返事が返ってくる。

 

『無理、疲れた、面倒臭い。この三つは人間の持つ無限の可能性を押し留める良くない言葉。以降、仕事上で使わないように』

 

 意味の分からない返信だった。答えになっていない。おまけに最初に無理と言ったのは向こうではないか。自分は良くて柘榴だけ使うなということか。殺すぞ。

 その引きこもりにだけは言われたくない言葉に、柘榴は思わず「うっざ」と呟いてしまう。可能か不可能かを論じている時に精神論を持ち出してくる人間ほど煩わしいものはない。

 しかし千崎が柘榴にどうあってもこの依頼をやらせようとしているということはわかった。柘榴の脳内に『社長室に完全武装で突撃する』、『社屋を倒壊させて千崎を生き埋めにする』、『会社の電力供給のラインを破壊する』、『大人しく仕事をする』という四つの選択肢が現れる程度には怒りに満ちているが。

 だが、金峰柘榴は千崎技研の最強戦力にしてイニシエーターの筆頭。そのプライドと責任を頼りに、ここで感情に任せて暴れることだけは何とか堪えなければならなかった。

 

「……これで蛭子影胤が現れなかったら社長をぶち殺しましょう。手足を捥いでエリア中を引き回してやります」

 

 結局、選ばれたのは四つ目の選択肢だった。

 もはや怒りと面倒臭さで頭が痛い。頭の血管がいくつか切れたのではないかと心配してしまうほどだ。

 

「ざ、柘榴ちゃん?」

「心音、荷物を纏めます。武器を収めるケースが倉庫に置いてありますから、それを取ってきてください」

 

 穴だらけの指示に嘆息しながら、柘榴は心音に指示を飛ばす。

 「もうどうにでもなればいい」と開き直れるくらいには柘榴はこの会社の色に染まっていた。

 

 

 ◆

 

 

 唐突だが、千崎技研に所属するイニシエーターは寮生活を基本としている。

 普通のイニシエーターは、その多くがプロモーターと同居し生活をともにするものだ。これによって公私のパートナーと信頼を深め、戦場における連携などを確かにするという目的があるためである。

 しかし千崎技研にそのような常識は通用しない。恐るべきことに、千崎技研のイニシエーターにプロモーターと呼べる人間は存在しない。いや、正確に表現するのならば書類上は存在している。しかし現実問題、彼らはプロモーターとしての名前を会社に貸しているだけのただの社員だ。これによって千崎技研はイニシエーターだけをまんまとIISOから連れ出し、会社が纏めて彼女たちを管理しているのである。

 多くのイニシエーターを獲得できるというメリットはあるが、もちろんこれはIISOの規定する規約にはスレスレというグレーゾーンに位置する手法である。“空プロモーター”と呼ばれるこの手法を強引に行っている民間警備会社はいくつかあるが、しかし千崎技研ほど大量にこの手法でイニシエーターを獲得している会社は、少なくとも東京エリアには存在しないだろう。

 さて、ここまでの説明で理解できただろうが、千崎技研のイニシエーターにはともに暮らすべきプロモーターがいない。よって住む場所を持たない彼女たちは、自然と会社が用意した住居で暮らさざるを得ないのだ。

 その場所こそが、柘榴の暮らす千崎技研の所有するイニシエーター専用社員寮――通称『赤眼寮』だ。千崎技研の内情を知る外部の者たち、あるいは社内でも『呪われた子供たち』を偏見の目で見る者たち皮肉を込めてそう呼んでいる。

 

赤眼(イニシエーター)を一ヶ所に収容しようというわけか”

 

 心無い人々はこう言うだろう。

 しかし実際のところ、千崎技研において社長の名の下に集められたマッドサイエンティストやイカレ武器職人たちにそのような意識はない。というか、言われるまでそのような発想すらなかった。それどころか、そう外の人間に言われたからこの通称を使っているだけだったりする。

 彼らがこのような寮を建設した理由は単純明快。

 

“だって便利じゃん”

 

 貴重な実験材料兼テスター兼戦力をバラバラに住ませる方が意味がわからない。

 爆撃や襲撃でもされるのならばそれも合理的と言えるだろうが、千崎技研はむしろ爆撃する側である。携帯用迫撃砲などを本気でイニシエーターに装備させる彼らにとって、一般人の感性などクソ食らえな代物だった。

 そもそも『呪われた子供たち』がその身にガストレアウィルスを持っているというだけで恐怖するというのが、彼ら千崎技研の“逸般グループ”にはわからない。それを言うのなら動物と比べても高い知能を持ち、道具を製作する器用さを持つ人類もそう大差ないではないか。要はそれをどう利用するかが重要なのだ。――これが千崎技研の理念である。

 誤解しないでほしいのが、彼らは善意など微塵もなく、ただ自身の探求心と知識欲と創造力のためだけにこの理念を掲げているということだ。

 

“『呪われた子供たち』の保護? その子使えるの? 使えない? じゃあ死ね”

 

 これが千崎技研である。利益を生まず利用価値もない『呪われた子供たち』など興味の対象にすらならない。

 一方で柘榴を初めとした千崎技研のイニシエーターは、社長や幹部クラスのイカレポンチたちが品定めした上で採用された、いわば厳選の末に引き抜かれたエリートたちなのだ。その筆頭が、二つ名を持つまで伸し上がった柘榴なのである。

 今のところ唯一の例外が心音だ。彼女は転職してきたプロモーターに連れられてきたため、その実力は度外視で入社している。

 千崎技研としては、正直なところ心音の存在はいらなかった。しかし彼らは、どうしても彼女のプロモーターである我堂英彦が欲しかったのだ。その理由はただ一つ。

 

「何これカッケェェェェェェェッッッ!!!」

「SUGEEEEEEEEEEEEッッッ!!!」

「YABEEEEEEEEEEEEEEッッッ!!!!!」

「神☆降☆臨ッッッ!」

 

 千崎技研の一同にそう絶賛された、兵器の“デザイン力”である。

 元々画家志望だった彼は、その画力に光るものを持っていた。その能力を利用し、彼は何と千崎技研の兵器の外観デザインを買って出たのだ。

 最初は胡乱な評価だった彼は、面接の一発目で取り出した千崎技研のメインウェポンの外観の改良デザインを研究と思考錯誤の末に披露してみせた。その結果が先程の絶賛である。その絶叫はフロア全体に響き渡り、面接していた全員が狂喜のあまり踊り出すほどだったという。

 その場で社長にデザイン案を面接官が画像データとして送ったところ、即行で「何としてでも雇え」という旨の返信メールが来た。ちなみに件名は「なにこれすごい」である。

 

“ロマンを現実にする未来の企業”

 

 それがキャッチコピーである千崎技研にとって、デザイン力は必要不可欠にして希望の塊だ。誰だって新しい兵器を造るのならば、性能だけでなくその外観にまで拘りたい。しかし開発はできてもセンスはない。千崎技研にはそういう人間が本当に多かったのだ。

 こうして英彦の「心音と一緒が条件」という言葉を二つ返事で了承した千崎技研は、例外措置として心音を千崎技研のイニシエーターとして雇い入れた。当然ながら侵食抑制剤も配布されるため、心音は働かずに暮らすという、ある意味では子供として当然の権利を手に入れたのだ。

 それ以降、心音は主に英彦の付き人が主な仕事となっている。業務内容は、期限が迫って修羅場に突入した英彦を公私ともに元気付けることだ。それがなく暇な時は、他のイニシエーターたちの暮らす寮の掃除や仕事のちょっとした手伝いなどを任されている。

 さて、そうしてイニシエーターたちに与えられている寮であるが、意外なことにその設備はかなり整っている。各部屋には家具が最初から完備されており、一階には食堂もある。シャワーとトイレは地上八階建ての寮の一室ごとに備え付けられており、だというのに大浴場まで寮内にあるというのだから、ちょっとしたホテル住まいと変わらない。

 その寮を千崎に建設させるまでにも柘榴や他のイニシエーターたちの並々ならぬ苦労があったのだが、そこは一先ず置いておこう。つまり何が言いたいのかと言えば、そうした苦労を経て自身の住処を手にした柘榴には、“家”という存在には並々ならぬ愛着があるということだ。マイホームを手にした世間の父親に匹敵するかもしれない。

 そんな柘榴にとって、これから数日とはいえ監視対象となる少年の住居のあまりのボロさは開いた口が塞がらないレベルの代物だった。

 

「これ、築何年の建物なんですか……」

 

 目の前に聳え立つのは、二階建ての木造アパートだ。柘榴の本来の家である築二年の寮からすると、比較にならないほどのグレードダウンである。雨風を凌げるという意味では野宿よりは幾分かマシ、という程度。隙間風もありそうだ。住人たちには悪いが、場所を選べば同じ家賃でももう少しまともなアパートがあるのではないかと言いたくなるほどにはボロい。

 革製のトランクケースを片手に暫し立ち尽くしていた柘榴は、軽く眩暈を覚えながらアパートの一階にある新聞受けに目を通した。そこには煤けた字で『里見蓮太郎』と『藍原延珠』という名前の書かれた表札が差し込まれている。どうやら本当にここで間違いないらしい。

 

「本当にここに住んでいるのですね……」

 

 さり気なく失礼なことを呟きながら、柘榴は再びアパートを見上げる。そのまま首を持ち上げれば、まだ夕方の一歩手前という程度に日が傾く空が目に映った。

 つい数時間前に影胤と柘榴が戦ったというのが嘘であるかのように、この近辺は平和に満ちている。ゴスロリ姿で佇む柘榴の背後を、小学生の少年たちがランドセルを背負って走り去っていった。彼らがどのような目で柘榴を見ていたのかは、努めて考えないようにする。

 少年たちの声が小さくなるのを確認した柘榴は、改めて周囲を見回した。しかし広がる光景は家ばかり。やはりこっそりと監視するには向いていない場所だ。

 これが警察ならば事情を話して建物の一角を貸してもらえたりするのかもしれないが、柘榴は民警でイニシエーターだ。ガストレア戦争によってガストレアの脅威を肌で体験した世代――通称『奪われた世代』に位置する大人たちは、過剰に『呪われた子供たち』を恐怖する傾向にある。民警が協力を求めても、恐らくは断られるだろう。あるいは石を投げられるか塩を撒かれるかのどちらかだ。

 ならば、発想の転換をするしかない。

 トランクケースを持ち上げた柘榴は、ズンズンとアパートの敷地に踏み込んでいく。今にも崩壊しそうな階段を一段一段しっかりと上がっていき、メモを取り出しながら二階の角部屋の前に到着する。メモには千崎に渡された資料に載せられていた、監視対象の住所が走り書きされていた。

 

「逆に聞きましょう。一体いつから監視を“こっそり”やると錯覚していた?」

 

 開き直ったように、柘榴はインターフォンを押した。

 後でこの時を振り返った柘榴は、当時の疲れ切った自分がどれだけおかしくなっていたかを後悔することになるのだが、それは別の話だ。

 

 

 




ちょっと展開が強引だと思わなくはありません。
改めてですが、このプロットを考えた半年くらい前の私って何を考えていたのでしょう。

生首inプレゼントボックス「わちき許された!」

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