3.幾星霜と紡がれる……
イマジンは地上には存在しない、人工的に作られたエネルギーだ。しかし、その原型となる力は、太古の昔より存在していた。ただ、それはとても希薄な物で、現代のイマジンのように魔法のような現象を起こせる力は全く無く、力が湧きたつ土地に、何世代も掛けて長居した子孫に、ちょっとだけ肉体的変化が訪れるくらいの、本当に希薄な物であった。
故に、“私”と言う存在が生まれた―――否、
ただ、はっきりと思い出せる思い出はある。
それは、自分の担い手が、とある大捕り物のために、仲間達と共に出向いた頃の話だ。
「いやいや、『
『八徒家』と呼ばれる八つの名家の一つ、
それに応えるように、集った八人が、それぞれあいさつ代わりの雑談を始める。
「ええっ! ええっ! 皆さまお久しぶりですわっ! なんだかんだで初めましての方もいらっしゃりますので、自己紹介をっ!
どんと、胸を叩いた瞬間、拳を跳ね除ける弾力と豊満さを持つ胸がぶるんと揺れ、全員の目が引き寄せられる。それに気づいた紫苑は、いたずらな笑みを浮かべて、上下に左右に揺らして視線を誘導してくる。
「やめんか、はしたないっ!」
紫苑の頭に拳を落として窘める、体のがっしりした青年、
いつもの事なのか、二人のやり取りを微笑ましそうにクスクス笑う愛らしい少女。彼女は
彼女の隣で呆れたように溜息を吐く少年は、
「……お前、なんでまた顔合わせとるが?
「私がそうしてるみたいな言い方しないで……っ、それは私のセリフです、ナガラ……ッ!」
その端で睨み合っているのは
この二人は、別に家が親しい関係にあるわけではないのだが、先祖代々腐れ縁で、よく絡むことが多く、世代によっては人生に深く関わる事もしばしばあった。特にこの二人は顕著らしく、図っても無いのに顔を合わせる日々に辟易し、仲が悪いわけでもないのに喧々とした態度を取り合っている。
東雲家も朝宮家も、担当するのは祭事であったが、東雲は市民向けの祭事、朝宮家は戦闘などが求められる物騒な祭事を担当している。
それが原因かは分からないが、朝宮鳴龍の姿は手足や首に片目にまで包帯が巻きつけられ、女性なのに体中、怪我の痕跡が目立つ。その異様な姿の所為か、悍ましい呪術を使うのではと噂されるほどだが、実際に呪術など存在しないこの世界、使っているのは普通の剣術で、包帯の正体は籠手だったり、苦無だった李を仕込むためのカモフラージュだ。もちろん隠している片目も普通見える。以前零した話では、忍び辺りに閃光玉で目眩ましされて、逃げられたのが悔しくて、保険の片目を残す訓練をするようになったとか。
「おい、なんか包帯増えちょるけど、本当に怪我してるとかないやがね?」
「相変わらずの心配性……。私はそんなへまはしない……。その辺の侍モドキの男衆より強い……。知ってるでしょ……?」
「信頼しとっても心配はするもんやで?」
「そう……、お礼は言っとく。不要だけど……。ところで今度は四国にでも行ってきた……? すぐ方便が移るね、ナガラは……」
「俺だって、好きでやっとるんと違うがでっ!? なんか移るんじゃっ!?」
「流されやすい……」
「一言で表すなやっ!?」
「まあまあ、二人ともその辺に……」
そう言って笑いかけた青年は
「今回の俺達の目的は、大捕り物だ。噂になっている妖の討伐に向かう。力を合わせて頑張ろうよ」
月日に言われて皆が無言の肯定を見せる中、鳴龍だけが惟神の背に隠れるようにして月日を睨む。龍を滅すると言われた八雲家に対し、龍神を奉る朝宮は本能的に忌避感を感じているらしい。
妖や龍……、残念、っと言うのは正しい認識かどうかは分からないが、この世界においてそんなものは存在しない。無論、それらに相対する呪術、法力、魔法と言った類の力も存在していない。当時の時代では自然発生の粗悪なイマジンを土地から受け続けた『八徒家』に数人ほど特異な体質を持つものが生まれているくらいで、それらも炎を出したり、斬撃を飛ばしたりなど、超常現象と言えるような現象は起こせていない。
例題を上げるなら―――、
浅蔵蚩尤は、フェロモンバランスが変化し、“色々”と呼び寄せやすい体質。
天笠紫苑は、感情、行動、声の質や音が変化し、ともかく目立ち易い。
八束樫は、直感力が並はずれ、いかなる状況にあっても危機を察知する。
三門筅は、声が特異で、その声で紡がれる言葉には妙な説得力を感じるほどに魅力的だ。
荻内九十九は、精神性が悟に近い境地があり、いかなる異常者の精神性をも理解する。
東雲惟神は、継承力が強く、代を重ねる毎に、才能や素質が色極受け継がれている。
朝宮鳴龍は、緊急時における学習能力が常人離れしていて、急成長する者が多い。
そして八雲月日は、神性を帯びた物の声が聞こえると言われている。実際には、無機物の状況を漠然とした『声』と言う形で捉えることができるだけなのだが、当時の彼らにそれらの違いを認識する術はなかった。
ならば妖はどうか?
この時代においての妖は、確かに存在する。だが、それも戯画に描かれるような魑魅魍魎の類ではなく、超常現象を起こせるような化け物でもなかった。
彼等『八徒家』同様、長い世代に渡って継承し続けた特異体質持ちの獣、『
ならば彼等が戦う獣とは何だったのか? その記録も生憎存在していなかったが、それが獣の範疇であったのは確かだろう。
特異な力など存在しない。この時代に女性が戦うのは異常だったし、鳴龍のような特殊な存在も、歴史上に名を遺すほど成果を見せることはなった。
そして八徒家の人間もまた、特別であっても特異ではない。
「お願いしますっ! 俺にできる事なら何でもしますっ! ですから、どうか鳴龍を俺に下さいっ!」
額を地面につけ、月日は朝宮の門前で懇願をしていた。
化生との戦い容易な物ではなかった。直接戦いに赴いた蚩尤、九十九、惟神、鳴龍、樫、月日の内、蚩尤は右半身を失い、九十九は意識不明の重傷、惟神は絶命し、鳴龍は片目を失った。無事だったのは、お家が武家であった樫と月日くらいの物だ。
当時はまだ、銃や大砲などの強力な武器は国の中枢、城などでしかお目にかかれない時代。いくら日本最大の財閥としても、個人で武力を有するようなことは不可能であった。
死者など珍しくはなく、顔を見ることのなかった親戚兄弟なども多かった。
今回の事もそれの一つに数えられた。それぞれ、お家を継ぐことのできる人間は、ちゃんと確保していた。
故に月日は朝宮家にて、鳴龍を娶ることを申し込んだ。
武家、ではないにしろ、朝宮家において鳴龍の価値は戦場に置くことしかない事を知っていたからだ。そうでもなければこんな時代、女性の鳴龍が、何故戦場に当たり前のように駆り出されるのか? 朝宮の兄弟において、鳴龍だけが価値を認めさせる要素を、“それ”しか持っていなかったからだ。
片眼を失う。それだけでもう戦場に立つことはできない。無理に出てもすぐに死ぬだけである。仮に遠近感を掴み取って戦えるようになるとして、一体それまでにどれだけの時間を必要とするのか? それまで朝宮の人間が面倒を見てくれるのだろうか?
答えは否である。
傷モノになった女性では嫁ぎ先も難しい。先の未来を考えれば、明るいものがない事くらい誰にでも良そうで来た。
(そんなことはさせないっ! させてなるものかっ!)
月日にとって、あの日、戦った皆が仲間であった。八徒家が全て揃うと言う事自体が奇跡に近かったので、運命的な物も感じていた。絶対に生きて皆で帰ろうと誓っていた。
だが結果は惨憺たるものだった。
蚩尤は化生の足を斬り落としたが、代わりに右半身を持っていかれた。
九十九は全ての攻撃を一身に受け、生還したものの重症となった。
そして惟神は、止めを刺そうとした鳴龍と刺し違える形で襲い掛かった化生との間に割り込み、彼女の代わりに絶命した。庇われた鳴龍も、右目を失い、戦闘不能となる。
樫と月日の手によって化生は討たれたが、その代償は重かった。いや、月日は重いと感じた。実際には、周囲の誰もが“軽い被害で済んだ”と、感じていたとしてもだ。
(そうであったとしてっ! 何故見捨てられるっ!? 共に戦った仲間の不幸を、どうして見過ごせるというんだっ!?)
月日は頭を下げ、頼み込んだ。
結果から言えばその懇願は叶った。
代わりの代償として、月日は朝宮の割に合わない仕事の多くを引き受ける事となったが、彼はそれでも引き受けた。
一人、八雲家のお屋敷で自分の部屋として宛がわれた一室で鳴龍と月日は静かに
寛ぐ、と言っても、その空気は重く、鳴龍は生気が抜けたような瞳で夜月を眺め、月日も掛ける言葉を見つけられずに押し黙っていた。
「ナガラ……」
ぽつり、っとなるが言葉を零す。
「ナガラは……、なんだかんだで、死なないと思った……」
「……ああ、しぶとそうな印象はあったな」
「なんか、妙に縁があって……、仕事で行くとこ行くとこ、必ずいた……。今度ももしかしてって、思ったら……本当にいて……」
そよぐ夜風は冷たくて、心まで凍てつくような気がしてくる。
「私の人生には、この先もずっと……ナガラがいるものだと……、なんでかな……? いつの間にか、当たり前のように……そう考えてた……」
「……惟神の事が、好きだったのか?」
月日の質問に、鳴龍は答えることができないと首を振った。
「分からない……、私達の縁って、きっとそう言う類の物じゃなかったから……」
一滴の涙が頬を伝った。
そんな気がしたが、月日の目には鳴龍の頬は濡れていなかった。
だがきっと泣いたのだ。月日はそう思う事にした。
月日にしても、鳴龍に対して恋慕があったわけではなかった。それは単なる同情でしかなかった。
それでも、大切にすると誓った。誓い、ずっと傍にいよう覚悟を決めた。
後に二人がどのような関係になったのかは“記録”にはない。夫婦と言う建前が、本当になったのか、建前のままだったのか、それは分からない。それでも、彼が抱いた誓いと覚悟は、確かに刻まれたのだ。
時を経て現代。
八雲家にて、才能無しと判断された少年がいた。
竜を滅する力―――正確には、物質を脆い所を見抜く眼力だった―――を持ち得ていなかった事から、一族で欠陥品と呼ばれ続けた。だが、少年は偶然にも逃げ道として選んだイマジン塾にて“かの神刀”に刻まれた記録を、顕現させることに成功したのだ。
愛を知らぬ少年は、己の理解者を手に入れた。それを手放さぬために、彼は額をこすりつけて両親に頼み込んだ。
今まで逆らう事の無かった少年は、初めて親に意見し、自分の我を通した。罵声を浴びようと、殴られようと、それでも彼は譲れぬ物を手放さなかった。
そしてからは勝ち取った。たった一つ、八雲家から命じられた条件を引き受け、それを果たすために、イマジネーションハイスクールのあるギガフロートへと向かう。
「お待たせしました日影様。イマジン体の登録完了しました」
「ああ、手間取らせてゴメンね?」
「手間などありません。日影様と一緒にいられるなら、何事も喜ばしい事です」
「……? こんな欠陥品の僕に、そこまで言ってもらえるなんて嬉しいよ」
多少の卑屈さを見せながら、返す八雲日影に、雷切の一振りたる刀のイマジン体たる少女、紫電は、否定するように首を振る。
「欠陥品などではないのです」
大切なモノのためなら、誰が相手でも頭を下げ、その意思を最後まで貫き通すことができる胆力。そして、いかなる条件を突きつけられようと、受けて立つ覚悟。
そのどちらも、八雲家三大宝剣の一振りたる自分を抜いてきた者たちが持っていた意志なのだから。
「きっと日影様も、いつか御自分で御自分の価値を認められる時が必ず来ます。私がそれを保証いたします!」