恥ずかしながら、投稿を再開させていただきます。
ブリミル歴六千四百三十二年ケンの月、フレイヤの週、エオーの曜日、ハルケギニア大陸に冠たる四王国の一角、トリステイン王国の王都トリスタニアは壊滅した。十万の人口を誇った荘厳なる白亜の都は瓦礫の山と化し、そこに住まう人々は貴族、平民の別なく全て消えてしまった。たった一人を除いて。
「どうして……こんなことを……」
王都全体を見下ろすマルトュルムの丘の上でただ一人の生き残りである少女が、跪きながら呟いた。その両腕にはメイドのお仕着せを抱えていた。少女が通うトリステイン魔法学院指定のものであり、ほんの数分前まで少女と最も親しいメイドが身に纏っていたものだ。
「皆はあんたのことを信じていたのに……」
お仕着せを胸元に掻き抱きながら立ち上がった少女は振り返る。桃色の美しい髪が大きく揺れた。
「……答えなさい」
少女が振り返った先には、複数の衣類が散乱しており、それに囲まれるようにして立つ異形の存在があった。
「……」
「主が答えろと命じているのよ、セルッ!!」
その小さく華奢な体格からは想像できないほどの裂帛の気合が込められた少女の詰問に長身異形の存在『人造人間セル』は、まるで対照的な冷静極まる声色でその問いに答えた。
「実に単純なことだ、我が主ルイズよ。君を含めたこの国、いやこの世界の役目が終わったのだ。この私、人造人間セルを完全体へと導く、その役目がな」
両腕を広げながら、朗々と響く良い声で語る長身異形の亜人セル。主と呼ばれた少女、ルイズにとってその姿は見慣れたものではなかった。かつてのセルは文字通りの異形異相の存在であったが、現在の姿は人のそれとは異なるものの一種、端正とも言える容貌とさらに人に近しい四肢を備えていた。
セルは『完全体』へと変態していたのだ。
「あんたが完全体になる為に私の『虚無』の魔法を狙っていたのは、解っていたわ……でも、なんでみんなや王国の人々を吸収なんてしたの?」
「私が完全体となる為には、『虚無』だけでは足りないのだよ。人間共の生体エキスを吸収する必要があったのだ、それも大量にな」
「十万人もの人間をその為だけに……」
「桁が足りんな、ルイズ。私が吸収した正確な数は二百万だ」
「!?」
それは、トリステイン王国の総人口と同数であった。驚愕するルイズを余所に落ち着き払った態度でセルが続ける。
「だが、それでも全く足りないのだよ。私が『真の完全体』となる為には、さらに五千万は必要だろう」
「このハルケギニアに住まう全ての人間を、あんたは喰らうと言うの……」
「フフフ、なに心配は無用だ。一度は『我が主』と呼んだ君の事だ。この世界の全ての人間を平らげた後、一番最後に君を吸収すると決めている」
かつての使い魔の恐るべき言葉に一度は視線を落としたルイズだったが、すぐに顔を上げ言った。
「……シエスタはね、あんたに気があったのよ。なかなか言い出せなかったみたいだけど。タバサやミスタ・コルベールはあんたに心から感謝していたし、私だって……」
「ルイズ、君に私の最も好きなことを教えよう」
悲痛な面持ちで語りかけるルイズの言葉を遮り、セルは愉悦に表情を歪めながら言い放った。
「それは、愚かな人間どもの表情が恐怖に歪み、絶望とともに死に絶える様を見ることなのだよ」
「なっ!?」
セルの言葉に絶句するルイズ。かつての主の驚愕の表情に、長身異形の亜人はさらに相好を崩すと高笑いと共に言い放った。
「ハハハハッ! そう! そんな表情だよ、ルイズ!」
バサッ
セルは自身の昆虫のような翅を羽ばたかせると瞬く間に上空へと飛び去った。後に残されたルイズはシエスタのお仕着せを抱きしめながらポツリと呟いた。
「……セル、わたしは、あんたが……あんたのことが」
そこから先は声にならなかった。やがて、ルイズは肩を震わせながら嗚咽を漏らし、両の眼からは止めどなく涙が溢れた。
「くうっ……ううっうっ……」
どれほどそうしていただろうか。震えも嗚咽も、涙をも振り払うかのように顔を上げたルイズは、使い魔が飛び去った彼方を睨みつけ、吼えた。
「セルっ! わたしはおまえを許さないっ! 絶対に! 絶対に許さないっ! わたしが必ずこの手でおまえを殺してやるからっ!!」
少女の叫びはアルトゥルムの丘の隅々にまで響き渡った。
いつまでも、いつまでも。
(どうしよう)
ルイズは困惑していた。
(……ものすごくしっくり来ちゃうんだけど)
自分自身の『妄想』に、である。
彼女は今、トリステイン王国の中枢たるトリスタニア王宮の一角、魔法衛士隊総隊長執務室にいた。目の前には、ルイズがこの世の何よりも恐れる人物が彼女を真っ直ぐに見つめている。
トリステイン王国が誇る最精鋭、魔法衛士隊の頂点に立つ女傑『烈風』カリンにして、ルイズの実母でもあるヴァリエール公爵夫人カリーヌである。ルイズは母から一つの問いを投げ掛けられた。
(でも、母様はどうしてこんな質問を……)
最初、カリーヌは娘に対して「自分のしたことを報告しなさい」と言った。
ルイズは、焦った。アーハンブラ城を消滅させたことだろうか、ガリアの王族であるタバサを拉致同然に連れ帰ったことだろうか、はたまたトゥールーズ平原の決戦に無許可で介入したことだろうか。
どれ一つ取っても、下手な弁明をすれば自分は明日の朝日を拝めないかもしれない。ルイズは全身から冷や汗を流し、直立不動のまま数分間、言葉を発することができなかった。
すると、カリーヌは。
「……ルイズ、あなたの使い魔である、あの亜人。あれがもしも反逆した場合、あなたは止める事ができるのかしら?」
「えっ、母様?」
突然の質問にルイズは二つの意味で驚いた。一つは、あの母が自身の命令に相手が答えないのを咎めない事に。そして、もう一つはあの母が彼女の使い魔たる長身異形の亜人の『反逆』についての問答を求めてきた事に。
ハルキゲニアにおいて、メイジの『サモン・サーヴァント』によって召喚され、『コントラクト・サーヴァント』を以って契約し、使い魔となった存在は主であるメイジに対して、基本的には逆らうことはない。
(でも、セルの場合、色々と規格外過ぎるから……)
やがて、ルイズはその明晰な頭脳を以って、一つの事象を想定したのだ。
――セルの『反逆』によるトリステイン王国滅亡。
それは、まるで明晰夢のような妄想であった。
(まさか、ここまで鮮明に想像できてしまうなんて。まるで、一度体験してきたかのよう)
だが、ルイズにはもう一つの確信があった。
(セルは、反逆なんてしないわ。理由は説明できないけど、絶対にしない……多分……恐らく……そこはかとなく、しない。でも重要なのは))
どうやって目前の母を納得させられるだけの理屈を捻り出すか、ルイズは自慢の脳細胞をさらに高速回転させる。だが、そう簡単に根拠を構築できるわけでもなかった。
(と、とにかく! そんなことには絶対にならないわ)
「大丈夫です、母様! セルは反逆なんてしません!」
「……そう言い切るだけの理由があるのでしょうね?」
大見得を切る娘にやや怪訝な表情で問うカリーヌ。ルイズは実にあっけらかんと答えた。
「だって、セルにとってこのハルケギニアなんて取るにも足らない狭い世界ですから」
「!」
「それに万が一、セルが本気で反逆したなら、何をしても無駄です。どう足掻いても世界は滅亡します」
「ルイズ、あなた……」
自身の使い魔の反逆、それが世界の滅亡を引き起こすとあっさり宣言する娘に戦慄するカリーヌ。
(ルイズの使い魔に対する、この過度の信頼の根源は、妄信? 執着? あるいは思慕? まさか洗脳などとは思わないけど)
実はカリーヌ自身もルイズのセルが反逆することはないだろうと踏んでいた。しかし、カリーヌの脳裏にはもう一体の長身異形の亜人の姿がこびり付いていた。トゥールーズの戦いの終盤、ゴーレム操作者が搭乗していると思しきガリアの戦艦で遭遇した長身異形の亜人が垣間見せた凄まじいまでの殺気と途方もない破壊の力。
(あの亜人は自らをイザベラ副女王の使い魔だと名乗った。そして副女王はゴーレムを操っていたジョゼフ王を『消滅』させてしまった……)
さらに使い魔は驚愕するカリーヌに告げた。ゴーレムを建造し、ジョゼフ王を誑かしたのは『レコン・キスタ』の残党であると。
(確かにマザリーニ卿の最終報告書でも、『レコン・キスタ』を事実上統括していたと思われるクロムウェル直属の秘書官長の行方は不明となっていた)
もし、クロムウェルの秘書官長とジョゼフ王の側近の女が同一人物だとすれば、『レコン・キスタ』の設立とその後の急激な勢力拡大、それによるアルビオン王国の衰退、さらには『王権守護戦争』の勃発。そのすべてを、ガリア王ジョゼフ一世が裏で糸を引いていた可能性が高いということになる。
(国際問題、どころの話ではなくなるわね。でも、なぜあの使い魔は私にその情報を流したのか)
事が公になれば、疑惑の段階でもガリアは国際的な立場を失うことになる。副女王の使い魔であるならば、自身の主に不利な情報を馬鹿正直に他国に渡すとは思えない。使い魔の真意は視えない。だが、確かなことが一つだけあった。
(あの使い魔に対抗できるのは、ルイズの使い魔だけ……)
カリーヌは決断した。現状で優先すべきは、ルイズの独断専行に対する叱責や再教育ではなく、彼女だけが知っているであろう事実を確認し、それを共有すること。魔法衛士隊総隊長は実の娘に、少しだけ鎌をかけることにした。
「十日後、ガリアとの国境緩衝地帯でガリア側との秘密会談が開催されます。先方からはイザベラ副女王自らが御出席されるとのこと」
「えっ!? あのデコ王女が!? ……あっ!」
見事に語るに落ちるルイズ。慌てて両手で口を塞ぐが後の祭りである。娘のあまりの迂闊さに内心呆れつつも、瞳を細めた『烈風』が懐から鉄扇を取り出し、容赦ない口調で告げた。
「ルイズ、あなたは一体いつ、どこで、どのようにしてイザベラ殿下の御前に侍る栄誉を得たのかしら? 母さまに解り易く説明してみなさい」
「ええと、その、あの、なんと申しましょうか……」
(セル! た、た、たすけてぇ!)
涙目でその場にいない長身異形の亜人に助けを求める『蒼光』ルイズであった。
その頃、長身異形の亜人、セルは王宮内の特務近衛官専用居室にて待機していた。室内にはもう一人、一目でご機嫌だとわかる少女がハタキを片手に掃除に勤しんでいた。メイドのお仕着せを見事に着こなしたシエスタであった。
「ふんふんふふ~ん」
「シエスタの嬢ちゃんは上機嫌だがよ、ご主人様の方は大丈夫なのかい、旦那?」
居室内の定位置ともいうべき入口の扉横に陣取る亜人に対して、その右手に握られているインテリジェンスロッド『デルフリンガ―』は何気なく問いかけた。
「ルイズならば問題はない。公爵夫人も実の娘相手に無茶はしないだろう」
「だと、いいんだけどよ」
(イザベラのセルとの邂逅によってカリーヌも長身異形の亜人『セル』の力を知った。他国の王族が途轍もない力を持った使い魔を従えている。そしてそれに対抗し得る存在はルイズの使い魔であるこの私のみ。アーハンブラ城におけるタバサの一件やトゥールーズの戦いでの越権行為を差し引いても、今ルイズに罰を科す事の愚かしさを理解しないカリーヌと公爵ではあるまい)
セルのやや甘い見通しは、主たる少女にある意味での地獄を見せることになる。
「やっぱりすごいですね、セルさん! 王宮の中でも王族とそれに近しい人しか入れない区画だけあって、どの調度品も最高級品ばかり……わたしみたいな平民がお掃除しちゃっていいんでしょうか?」
ルイズが王宮に参内する際に使う近衛特務官の居室は王族専用区画の端に位置している。本来であれば、平民の立ち入りなど認められるはずはないが、シエスタはルイズの専属メイドということで特別に許可されていた。
「ルイズの君に対する信頼の証だ。他の誰でもない君を選んで帯同させたのだからな」
「えへへ、嬉しいです。ミス・ヴァリエールにそこまで信用していただけるなんて」
「無論、私も君を信頼している。どうかこれからも我が主を盛り立ててほしい」
室内の隅々まで響く良い声でそう言うと頭を下げるセル。するとシエスタはハタキを持ったまま真っ赤になって首を振りながら言った。
「そ、そんな! 頭を下げたりなんてしないでください、セルさん! わ、わたしは何があってもミス・ヴァリエールのお側を離れたりはしませんから! ……そ、それにセルさんの近くにも居られるし」
思わず本音が漏れるシエスタを尻目にセルはさらなる考えを巡らす。
(シエスタ、君は地球出身者の末裔であり、ルイズが深く信頼する者だ。この先いくらでも使い道がある。せいぜい私の役に立ってもらおう。そして、問題はアルビオンの状況か……ロマリアの坊主ども、さてどう出るか)
――アルビオン王国王都ロンディニウムの中枢、ハヴィランド宮殿内立太子執務室。
「……『月の悪魔』か。始祖『ブリミル』に敗れ、封印された伝説の存在。それがあの使い魔殿の正体……」
反王権貴族連盟『レコン・キスタ』との闘いから数か月。ようやく復興への道筋が見え始めたアルビオン王国を率いるテューダー朝の立太子、『プリンス・オブ・ウェールズ』ことウェールズ・テューダーは、ほんの数十分前に自身の執務室を訪れた者の言葉を思い返していた。
「フ、フフフ、ブリミル教のお歴々は、どうやら何もお解りではないようだ」
三日前、正式な先触れもなく突如アルビオンを訪問したのは、大陸全土において遍く信仰されているブリミル教の最高権威者、教皇聖エイジス二十三世ことヴィットーリオ・セレヴァレその人であった。訪問の表向きの理由は『王権守護戦争』によって疲弊した人々を慰撫するため、五十年に一度催される『大降臨祭』を特例としてアルビオンで開催したいとの意向を直接伝えるためだという。ウェールズの恋人であるトリステイン王女アンリエッタなどは諸手を挙げて賛意を示し、さらにヴィットーリオが『大降臨祭』に合わせて婚姻の儀を挙げられてはいかがだろうか、と問えば完全に有頂天になってしまった。ウェールズ自身も当初は、王国の人々の心の慰めになるならば、と前向きであったが、先ほど夜半の闇に紛れるかのように執務室に現れた教皇直属の助祭枢機卿だという若者は困惑するウェールズに告げた。
――トリステイン王国の英雄『蒼光』のルイズの使い魔は、かつて始祖『ブリミル』に敵対し、世界に災厄を齎した『月の悪魔』である。その確たる証拠を宗教庁は提示することができる。いずれ忌まわしき伝説が再現される前に『聖伐』を執り行う。その為の協力を要請する。
ウェールズは、かつて長身異形の亜人の使い魔セルの姿とその力を目の当たりにしていた。ハルケギニアにおいて、主人たるルイズ、イザベラらを除けば、最もセルの恐ろしさを知る存在であった。そのウェールズからすれば、宗教庁の言い分は、身の程知らず以外の何物でもなかった。
「彼は、いや『アレ』は、そんな生易しい存在ではない。始祖の秘宝だろうと『虚無』だろうと彼の前では何の役にも立たない。ミス・ヴァリエールならばまだしも彼を敵に回せば待っているのは、破滅だけ……」
そんな無謀な試みに巻き込まれるなど冗談ではない。臍を噛むウェールズは自身の執務机に積み重ねられた書類の一束に目を止める。それは、王都をはじめとする領内の主要都市に建立されているブリミル教聖堂の修繕依頼に関するものだった。『レコン・キスタ』を率いたクロムウェルは自らをブリミル教総大主教と称し、ロマリア宗教庁の権威を否定。領内の聖堂を打ち壊す暴挙に出た。戦役後、アルビオン教区の高位聖職者たちは聖堂の復元を最優先するようにとウェールズに嘆願した。費用すらも王国が負担すべきであるなどとのたまったのだ。元々、必要以上に華美な意匠が施され、一般市民の礼賛には多額のお布施が必要とされた各都市の聖堂について苦々しく思っていたウェールズは、程無く一つの結論に到る。
「……偉大なる始祖『ブリミル』よ、あなたの偉功は何千年経とうとも決して色褪せることはありません。しかし……しかし、それにただ群がるだけの有象無象の者どもは、本当に必要なのでありましょうか?」
ウェールズ・テューダー。後のアルビオン・トリステイン連合王国の共同統治者である。後世の歴史書において彼の名前の前にはある渾名が必ず付けられることになる。
曰く、『破門王』と。
第五十九話を投稿いたしました。
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