第五十六話を投稿いたします。
「……そんな事を知って、どうするというのだ?」
長身異形の亜人の使い魔からの質問に、ジョゼフは硬い表情と声色で逆に問い返した。先ほどまでの興奮した様子は鳴りを潜めている。
「純粋な好奇心だ。王は、陰日向に「無能」と謗られていると聞くが、リュティスにおける騒乱や「王権守護戦争」における立ち回りを見れば、その深謀深慮には敬服するばかり……」
セルは、慇懃無礼という言葉が見事に当てはまるほどの優雅な一礼をしてみせた。
「傑物などと持ち上げられる、今は亡き王弟殿下如きには、到底無理というもの」
「……黙れ」
「そもそも、王族にあって年の近しい兄弟の存在など、百害あって一利なし。古今、兄弟王族の争いから滅亡の憂き目を見た国々は枚挙に暇が無い。そう考えれば、王位を得たその時を好機として、弟君を排除したのは、誠慧眼であると……」
「黙れっ!! エクスプロージョンっ!!」
ズゴオォォォ!
激昂したジョゼフは、杖を振るい「爆発」の「虚無」を発動させた。ヴェルサルテイル宮殿の謁見の間で放ったそれとは、桁違いの爆発が、長身異形の亜人と、その背後に居るイザベラに襲い掛かる。その爆発規模は、彼らが搭乗している「アンリ・ファンドーム」号の半分を消し飛ばすほどの威力だった。
「ジョ、ジョゼフ様! このままではフネが持ちません! ガーゴイルで一時、お退きを……っ!!」
半壊したフネからの退避を進言しようとしたジョゼフの使い魔シェフィールドの動きが停まる。彼女だけではない。支配下にあるガーゴイル達も、一切の身動きが取れなくなっていた。
長身異形の亜人、セルの念動力による束縛であった。
「爆発」による煙に包まれていたセルとイザベラであったが、バリヤーによって守られており、全くの無傷であった。主であるイザベラが、セルに詰問した。
「セル! おまえ、どうしてあんな事をお父様に! シャルル叔父様は、王位争いなんか起こす人じゃなかったのに!」
長身異形、筋骨隆々の亜人の使い魔は、実に涼しい顔でのたまった。
「わたしは、オルレアン公を知らないのでな。王族についての指摘は、そうそう的外れではないと思うが」
「そういう事じゃなくてっ!」
尊敬する叔父を侮蔑され、憤慨するイザベラに、セルはさらに冷静極まりない声色で問う。
「さて、イザベラ。今の父王ジョゼフをどう思ったかな?」
「ど、どうって……」
「何を考えているか、全く読めない「狂気の怪物」だと思ったか?」
「いくらお父様だって、面と向かって叔父様を侮辱されたら!……え、じゃあ、お父様は、叔父様のために……怒ったの?」
イザベラは、父ジョゼフを恐れていた。何を考えているのか、全く解らなかったからだ。リュティス騒乱やゴーレムによるトリステイン侵攻、それらを引き起こしながら、その結果を省みようとしない、感情さえ定かには視えない正体不明の「怪物」。だが、今、ジョゼフは明確な感情を見せた。まるで、イザベラが、従姉妹であるタバサが王命に背いたが故に処断される旨を通達された時と同じく。
それは、自身が大切にしているモノの為の怒りだった。
その事に気付いたイザベラは、未だかつて無いほど、父ジョゼフを近しく感じることができた。
(……そう、だったのね。お父様は、叔父様を)
表情を引き締めたイザベラが、煙を振り払いながら、前に出る。険しい表情で杖を構える父に臆することなく、言葉を発する。
「お父様!」
「ふん、今の「爆発」でも傷一つ付かぬか。まあ、いい。まだこちらにも手はある……」
ジョゼフの言葉を遮るように、イザベラがさらなる声を張り上げる。
「お父様! そんなにも、そんなにも叔父様の事を愛しておられたのですね!!」
「なん……だと?」
突然の娘の指摘に虚を突かれるジョゼフ。イザベラの言葉は続く。親子の繋がり故か、あるいは「虚無」による共振か、イザベラは父の心情をまるで自身の事であるかのように感じ取ることができた。
「やっと……やっと、お父様のお心に触れる事ができました。お父様は、シャルル叔父様の事を大切に想われていた。でも、三年前の王位継承の際に叔父様との間に予期せぬ事が起こってしまわれたのですね。自らの大切な者を手にかけてしまう。一体どれほどの絶望をお父様は抱えられてしまわれたのでしょう……」
「や、やめろ、イザベラ、おまえは……」
「だから、お父様は、このような凶行に奔ってしまったのですね。「狂王」と蔑まれ、自ら最も重い罰をお受けになるために」
ジョゼフの顔が歪む。自身の心情を看破し、理解しようとする存在。ほとんど省みることのなかった娘がそのような存在となろうとしている事に怯えるかのように。
「だ、黙れ、黙れよ、イザベラ。オレと同じ顔をして、よくも解ったような口を……」
「解ります。わたしも同じですから。わたしは、エレーヌを失わずに済みました。でも、お父様は……お父様の望みは。」
限界だった。ジョゼフの感情が決壊した。
「やめろ! やめろぉぉぉ!! オレを、オレを! 「赦そう」とするなぁぁぁぁ!!」
ジョゼフの杖から、莫大な魔力が放出される。それはスペルを介さない純粋な「虚無」の魔力だった。荒れ狂う魔力が、「アンリ・ファンドーム」号のあちこちを削り取っていく。セルの念動力に押え込まれていたガーゴイルも次々に消滅していく。
「……お、お父様」
そんな魔力の暴風の中でも、セルのバリヤーに守られた主従は、髪の毛一筋すら損なうことはなかった。
「ふむ、限界だな。さて、イザベラ、どうする?」
まるで、ティータイムのお茶菓子を訊ねるかのような口調でセルがイザベラに問う。
「父王は、「虚無の担い手」として限界を迎えたようだ。このまま放置すれば、魔力を全て失い、狂乱の果てに力尽きるだろう。だが、君が「虚無の担い手」を継承すれば、あるいはその魂だけは、救うことが出来るかも知れない」
「き、「虚無の担い手」……この、わたしが?」
父ジョゼフが「虚無の担い手」であることは、事前にセルから知らされていたイザベラだったが、自分自身が「担い手」になるとは想像していなかった。だが、イザベラの逡巡は短かった。シャルルが鬼籍に入っている以上、ジョゼフの望みを真の意味で叶える者は存在しない。ならば、せめてその最期を安らかにしてあげたい。次代の王として、たった一人の娘として。
イザベラは、決断した。
「わかった、セル。どうすればいい?」
「道筋は、わたしがつけよう」
そう言って、セルはイザベラの背後に回り、彼女を抱きすくめるようにする。イザベラは、自身の精神が研ぎ澄まされていく感覚を味わっていた。
「君は、感情を高め、精神を極限まで集中するのだ。「虚無」が君を認めたとき、君の望みを叶える「スペル」が浮かび上がるだろう」
「うん、わかった、お願い、セル……」
そこまで言ってから、イザベラはいつもの調子に戻って、セルに告げた。
「それから、後でなんでおまえがそこまで「虚無」に詳しいのか、なんでわたしに「虚無」を継承させようとするのか、おまえが一体、何を企んでいるのか、ちゃ~んと聞かせてもらうからな、セル!」
「承知した、我が主よ」
暴走したジョゼフの魔力が吹き荒れる中、一人と一体の主従は、その精神を同調させ、集中を極限まで高めていく。やがて、セルの不可視の「気」が、同じく不可視の力の存在を探り当てる。
(ふん、捉えたぞ、「虚無」よ。さあ、新たな主の下へ来るがいい)
「ぐう!!」
「ああ!!」
ジョゼフとシェフィールドが同時に苦悶の声を上げる。二人は、何かが自身の奥深くから引き抜かれる感覚に襲われていた。それと同時にジョゼフの指に収まっていた茶色に輝く指輪が、王の指を離れ、宙を飛び、新たな主、イザベラの指に引き寄せられた。それは、ガリア王家に代々伝えられる「始祖の秘宝」土のルビーだった。
「!! こ、これが「虚無」!?」
指輪を得たイザベラの脳裏に、見たことのないスペルが浮かび上がる。初めて見たはずのスペルを朗々と詠唱するイザベラ。
「ドール・ケルン・セラ・フレイ・ヴォルナ・フェイーコン・キンゲット・ヴァルド・ラーシ・ダークト・ドーリーダー!!」
イザベラは、詠唱と同時に発動する「虚無」の呪文の効果を把握した。
地上のあらゆるモノを光の粒子へと分解消去してしまうスペル。それは、対象者の肉体だけでなく、恩讐や妄念すらも。
「ディスインティグレート!!」
イザベラの全身から発せられた閃光が、ジョゼフを包み込む。
「こ、これは!?」
ジョゼフの両手指が、先端から光の粒子となって、解けていく。だが、ジョゼフは一切の痛覚を感じることはなかった。
「イザベラ、おまえは……」
自身の娘に視線を上げようした父王の前に、一人の男が閃光を背後に立っていた。確かに眩い光に包まれているはずなのに、ジョゼフにはその男の容貌をはっきりと確認することができた。
それは、イザベラの「虚無」が引き起こした奇跡なのか、あるいは長身異形の亜人が意図した結果なのか、誰にも解らなかった。
-その場に居たのは、三年前、ジョゼフの手で暗殺された、ガリア王国第二王子にしてオルレアン公シャルルその人であった。
「……兄さん」
「シャルル……なのか? これは、幻覚か? イザベラの「虚無」の効果なのか?」
「……兄さん、ごめんなさい」
自らの肉体が、痛みも、熱も、違和感すらも感じることなく、光の粒子へと変換されていく中、ジョゼフは期せずして再会を果たした実弟の謝罪の言葉にひどく困惑した。
「シャルル、おまえは、何を言っているんだ。おまえに詫びねばならないのは……」
「僕は、兄さんが羨ましくて、妬ましくて、いつも兄さんさえいなければ、そう思っていたんだ」
「シャルル……おまえが、オレを?」
「そう、いつも自由で、決して自分を偽らない兄さんを誇らしく思いながら、それ以上に嫉妬していたんだ……僕はね、兄さん。ずっとずっと前から、ただひたすらに「虚無」だけを、「虚無の担い手」になることだけを望んで生きて来たんだ。兄さんが、幼い僕に「虚無と始祖の伝説」を寝物語に聞かせてくれたあの時から……」
ジョゼフは、かつて七歳下の弟であるシャルルを寝かしつけるために、彼の枕元で物語を聞かせてやっていた。幼い弟がいつもせがんでくるのは、決まって「虚無と始祖の伝説」。最初に読んでやった本だから、癖になったのかと、ジョゼフは考えていた。その内容は、やや誇張された「始祖」の活躍と仁徳を書き連ね、「虚無」の魔法の万能性を喧伝するだけで、ジョゼフ自身は、薄っぺらい駄作と断じていたのだが。
「担い手となるため、僕は必死に努力した。メイジとしての実力を高めるのはもちろん、神たる「始祖」に少しでも近づこうと、まるで聖人のような振る舞いを日々心掛けていたよ。ふふ、全部見せ掛けの張子だったけどね」
品行方正、清廉潔白を絵に描いたような傑物として、諸国にもその名が知れ渡っていた実弟の告白に、ジョゼフは言葉を失った。
「でも、偉大なる「始祖」は、そんな浅はかで愚かな僕に相応しい罰をお与えになったんだ。担い手になりたいと願い続けていた僕だからこそ、ある日、気が付いてしまったんだ」
そう言ったシャルルの瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。
「兄さんこそが、「虚無の担い手」として選ばれた存在であると……その時の僕の絶望と羨望、もしかしたら兄さんだけは、解ってくれるかもしれないね」
弟が、ひた隠しにしていた自身の心情を吐露していく中で、ジョゼフもまた、どうしても知りたかった事を問いかけた。
三年前、父である先王崩御の折、次期国王に指名されたジョゼフを、シャルルは祝福した。元より、王位などではなく「虚無の担い手」となることを望んでいたシャルルにとっては、兄が王位に就く事自体は、さして問題ではなかったのかもしれない。だが、シャルルの祝意を曲解したジョゼフは、自らの手で弟を殺めた。
自身に向かって毒矢が放たれる瞬間、シャルルは真っ直ぐにジョセフを見つめ、そして、静かに微笑んだのだった。
「……ひとつだけ、聞かせてくれ。シャルル、おまえがあの時微笑んだのは……オレがおまえを殺してしまったあの時、おまえが浮かべた笑みは、どうしてなんだ?」
「兄さんも、僕と「同じ事」を考えていたんだって、そう思ったら、なんだか嬉しくて、おかしくて……」
つまり、シャルルもまた、兄ジョゼフの暗殺を決意していたのだった。弟の真意を知った兄は、心からの笑みを浮かべた。両の眼から涙を溢れさせながら。
「はは、ははは、シャルル、オレたちはなんて、なんて馬鹿な兄弟だったんだろうな」
「うん、そうだね、兄さん。こんな僕たちだけど、もし、生まれ変わっても兄弟になれたら、今度は……「同じ夢」が見られるかな?」
「シャルル……ああ! もちろんだ、もちろんだとも!! オレとおまえならきっと、きっと!!」
「兄さん……」
「シャルル……」
すべての妄念から開放された兄弟が、手を取り合おうとした、その時。
ガリア王ジョゼフ一世は、光の粒子となって、この世から消えた。
「お父様……」
消え去る瞬間、確かに父が満たされた表情を見せたことに安堵したイザベラは、頬を涙が伝わるままに背後のセルの腕の中に倒れ込んだ。
(見事だったぞ、イザベラ。「虚無の継承」、確かに見せてもらった。さすがは我が主だ)
「ああ……ジョゼフ様?」
セルの念動力から開放されたシェフィールドは、恐る恐るジョゼフが居た筈の場所に歩み寄り、甲板に遺された王の装束と外套を掻き抱くようにして膝を突き、弱々しい誰何の声を何度も発した。
「ジョゼフ様? ジョゼフ様? ジョゼフ様? ジョゼフ様?……あああ、ジョゼフ様が何処にも……」
愛してやまない主からの答えは、無かった。
「……返せ」
まるで幽鬼のように立ち上がったシェフィールドは、虚ろな調子で呟いた。掻き抱いていたジョゼフの外套を纏い、懐から護身用の短剣を引き出す。その両の眼には、異様な輝きが宿っていた。
「……わたしの、ジョゼフ様を、ご主人様を……やっと手に入れた、わたしの世界を、返せ……かえせぇぇぇぇ!!」
王のローブを翻し、セルとイザベラに襲い掛かるシェフィールド。その復讐の刃が、使い魔の腕の中で眠るイザベラの首筋に迫る。それでも、セルはシェフィールドに対して視線を向けることはなかった。
ガシッガシッガシッ!!
短剣の切っ先は、イザベラの身体に触れることなく、空中で停止していた。セルが防いだ訳ではなかった。シェフィールドの四肢を複数の奇怪な石の腕が捕らえていた。それは、つい先ほどまで彼女が制御していたはずのガーゴイルの群れだった。今、ガーゴイルを支配しているのは、シェフィールドではなかった。
「ご苦労だった、「元」ミョズニトニルンよ……」
新たな魔法生物の支配者「ミョズニトニルン」たる存在が、その場で身体を起こした。気を失った王女を抱き上げた筋骨隆々の長身異形の亜人。その黒い額には、完全となったルーンが淡い輝きを放っていた。
「今すぐ主の下に送ってやろう、と言いたいところだが、おまえにはまだ役割がある」
いつもと何ら変わらない声色で、セルはシェフィールドに語りかけ、やや大仰な動きで、周囲を見渡した。
「ガリア王の暴走によるゴーレム侵攻……ガリアとトリステインが被った損害は、決して小さくはない」
ガリアは、首都リュティスにおける騒乱と両用艦隊の本拠地サン・マロンの壊滅、さらに国境砦を失逸した。トリステインもまた、国境砦を失い、複数の集落が全滅し、南方の要たる城砦都市トゥールーズの陥落という憂き目に遭った。
ゴーレムは、破壊された。だが、この奇禍の責任を誰が、どのようにして、負うのか。
「すべての絵を描いたのは「無能王」……ではなかった。王の傍に侍る一人の女。その女は、密かにかつての主たるレコン・キスタ首魁クロムウェルの復讐を画策していた」
もし、冷静な状態のシェフィールドが、この言葉を聞けば、噴飯していただろう。
「王を誑かし、ガリアの技術を以って、復讐の尖兵たるゴーレムを建造した女は、その計画を実行に移した。しかし……」
言葉を切ったセルは、自身の腕の中で眠る主に視線を落とす。涙に濡れたイザベラの頬には、幾筋かの髪が張り付いていた。セルは、その容貌からはおよそ想像できないほどの優しい所作で、その髪を払い、整えてやった。
「我が主たるガリア王女イザベラは、ハルケギニアに住まう全ての民の安寧の為、断腸の想いで自ら父王を処断した。そして、事が破れ、無様に逃亡を図った元凶の女を捕らえ、正当なる裁きを下した。愚民共も納得の筋書きだとは、思わないか?」
セルの質問に、シェフィールドが答えることはなかった。四肢が千切れても構わないとばかりに、拘束から逃れようと力の限りにもがいていた。長身異形の亜人も、最初から彼女の答えなど望んではいなかった。
グンッ!
セルが視線を後方に移すのと同時に、念動力によって、シェフィールドと彼女を拘束していたガーゴイルたちが吹き飛ばされ、わずかに原型を留めていた「アンリ・ファンドーム」号のマストに激突する。衝撃によって意識を断ち切られようとするシェフィールドの唇がかすかに動く。
「……ジョ……ゼ……フさ……ま」
「念のため、もう一押しが必要か」
長身異形の亜人が向けた視線の先には、「アンリ・ファンドーム」号から数百メイルほど離れた空中に、十数匹からなる幻獣の群れが滞空していた。
それは、北トゥールーズ平原を迂回したトリステイン魔法衛士隊選り抜きの精鋭たちであった。
その精鋭を率いる、魔法衛士隊総隊長「烈風」カリンは、自身が長身異形の亜人の視線に射竦められたことを自覚した。
第五十六話をお送りしました。
次話で、第五章が一区切りとなります。
なんとか、更新スピードを速めたいところですが、なんとも……
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