Gate/beyond the moon(旧題:異世界と日本は繋がったようです) 作:五十川タカシ
そろそろハルケギニア編は佳境です
才人と海苔緒は温泉に浸かっていた。場所は当然ながらド・オルニエールの天然温泉。
才人の指示で元々日本の露天温泉のような内装に仕上げられた場所だったが、さらに日本側の施工が入り、より近代的な露天温泉へと変貌を遂げていた。
但し、露天風呂の覗きを防止するための防犯対策は日本側の防犯装置だけでなく、加えて幾重もの魔法で固められている。ルイズたちトリステイン魔法学院の女子生徒が協力して構築した鉄壁の守りであった。
この蟻の子一匹通さぬ鉄壁の守りには、オンディーヌ騎士隊の黒歴史じみた前科が関係あるのだが今は割愛しよう。
余談ではあるが、トリステインは元々混浴の風習があったらしい。けれど、ブリミル教の権威が時代と共に高っていたことに起因してふしだらな習慣として自然消滅したという(この手はどこにでもあるもので、日本も西洋的価値観が流入する前は混浴が普通だったりした時代もあった)。
ギーシュやマリコルヌといったトリステインの男児たちは『生まれる時代を間違えた!』と一度は嘆いたことがあるとか、ないとか。
――閑話休題。
いよいよビダーシャルとの会談を翌日に控えた海苔緒は、才人に誘われご自慢の露天温泉に来たのである。現在この温泉は領主特権で才人と海苔緒の貸切だ。
会議の場所だが、エスマーイルを筆頭とする『鉄血団結党』がネフテス議会にてビダーシェルを激しく突き上げている影響で、公式の会談は現状拙いらしく今回はゲルマニア某所での非公式の極秘会談と相成った。
ちなみに会談の場所を提供してくれたのはツェルプストー……つまりキュルケである。話によれば、会議の場はツェルプストー家の別荘となるそうだ。
そして明日の会談に才人は同行しない、ルイズもである。日本とトリステインの会議が詰めの段階に入っているため、両国の繋ぐ存在である二人はド・オルニエールから離れられないのだ。
「すまんな、海苔緒。明日の会議に行けなくなっちまって……」
湯船に浸かりながら才人は申し訳なさそうに謝罪する。
同じく湯船に浸かりながら頭に手拭いを載せた海苔緒が、リラックスした様子で返答した。
「別に――領主の仕事が立て込んでるならしょうがねぇだろ。才人は悪くねぇよ。それに明日の会談は日本とビダーシャル議員の顔繋ぎがメインで、議員と俺の話は蛇足みてぇなモンだし」
……だから安心して待っててくれ、と海苔緒は才人に告げた。アストルフォは海苔緒に同行するが、ケイローンとティファニアはド・オルニエールで才人等と共に残る。『鉄血団結党』が万が一に襲撃を掛けてくる可能性に備えてだ。
もしそうならばティファニアは優先的にターゲットとなる。
それに加えて――。
(あの火竜山脈から感じた“
虫の知らせとでも云うべきか……考えれば考えるほど海苔緒の中で警鐘が膨らんでいくが、未だその正体はまるで掴めない。
(全く……頭痛の種ばかり増えやがる)
「どうした海苔緒、飲まないのか?」
考え込んでのぼせ掛ける海苔緒だが、才人の声掛けに意識を引き戻される。
(まぁ、考え込んでも仕方ねぇか)
海苔緒は少し悩んだ末……悩みを一旦、湯と酒に沈めることにした。
「――あ、ああ。せっかくのド・オルニエールの高級ワインだしな。喜んでご相伴に預からせて貰うぜ」
才人は海苔緒の言葉に頷くと、木桶の中の井戸水で軽く冷やされたワインの瓶の一本を取り出し、コルクを抜いてグラスへとワインを注いだ。
異世界産のワイン――地球に住む金持ちの好事家からすれば現状入手不可能に近い垂涎の品。故に最高の贅沢と云えよう。
いずれは異世界の品々が、かつてのチューリップ・バブルの如き騒動を起こす日が来るやもしれないが……しかしそんな話題は今の二人に関わりのない話である。
「「乾杯!」」
グラスを交わした二人は朱と蒼の
ド・オルニエール産の上等な物だった。少なくとも海苔緒は最近嗜み始めた二千円代の安物に比べればこの上なく上等だ。
御門外交官であったならば、幼い頃より洗練された味覚と深い含蓄によって目の前の白ワインと赤ワインを評価出来るのだろうが、生憎とおハイソなセンスを持ちあせていない海苔緒は陳腐な言葉でしかグラスの中のワインを云い表わせない。
けれども少なくとここは社交の場でなく、裸の付き合いであり無礼講の場。
故にワインの酒気と温泉の湯気に中てられた二人が、まるで修学旅行の夜の如きノリで益体のない話題で盛り上がったのは必然と云える。
「海苔緒は彼女作らないのか?」
ほろ酔い状態の才人がグラスを片手にそんな言葉を飛ばす。
逆に言葉のボールを投げられた海苔緒は若干酔いが醒めた。海苔緒は湯船の近くの置かれたワインの瓶の内、もっとも濃い味の赤ワインを手に取ると、グラスに注いで香りを楽しむこともテイスティングもせず、一気に飲み干した。
若干拗ねた表情を浮かべて海苔緒は口を開く。
「作らない。つーか作れねぇし。――モテねぇからな、俺」
――いやいや、と海苔緒を知る者が聞けば突っ込みを入れただろうが、海苔緒自身は本気でそう思っていた。
幼少から高校卒業まで同年代から『チビ、オトコオンナ、ガイジン』等とからかわれ続け、学校で孤立していた海苔緒はすっかり自信を喪失してしまっていたのだ。
海苔緒がコミュ症の引き篭もりとなり、女性に苦手意識を抱いていたのもそれがそもそもの原因と云える。
当然ながら才人はかぶりをふって否定した。
「いや、そんなことねぇだろ」
才人は海苔緒の方を見た。艶やかな銀の髪に、ツヤとハリを備えた白磁器のような肌。
さらに服装や髪形を整えれば、ギーシュやジュリオのようなイケメンとしても十分通用する。
これでモテない筈がないのだが、海苔緒は釈然としない様子だ。
なので、才人は魔法の如き言葉を口にする。
「云っとくが――あのマリコルヌでさえモテるし、彼女も居るからな」
「……うお! マジですげぇ説得力あるわ、その台詞」
――ベェークシュン!! と、どこか離れた場所で某風邪っぴきのクシャミが響いた。
海苔緒は才人の『彼女』発言に対してしばし黙考し……。
「やっぱ作ってる暇ねぇよ。いろいろと立て込んでるしな。それに――」
そこで海苔緒は言葉を区切った。
海苔緒の脳裏に浮かんだのはアストルフォのこと。毎日振り回されてばかりだったが、思い返してみれば存外悪い気はしない。
(ここ数か月、アイツのことで手一杯だったしな。銀座の向こう側のことが一段落ついたとしても、アイツが一緒の限り彼女を作る余裕なんか……って!!)
不意に過ったのは、ここ数か月のアストルフォとの同棲生活と旅行の日々。客観的に顧みてみれば、どう考えてもカップルそのものであり……。
(いやいやいやいやいや! 違ぇ違ぇ! 断じて違ぇから!! あいつはダチであって! 断じてそんな関係じゃねぇし!!)
顔を真っ赤にした海苔緒は湯の中へとブンブン頭を上下に振ってヘッバッドを何度も決めた。バシャバシャと湯の表面が揺れ、音に驚いた才人と海苔緒のほうへ向きなおった。
「うお! 何やってんだよ、海苔緒!?」
海苔緒の奇行に見て呆気にとられる才人。長い銀の髪が湯船に浸かり、乱れた髪を纏わり付かせる海苔緒はまるで妖怪のような有様だった。
「……ちょっと頭冷やしてくる」
「お、おう」
不思議な迫力を放つ海苔緒に圧され、才人は海苔緒の奇行をそれ以上追及しなかった。
湯船を上がって冷水のシャワーを浴びた海苔緒は、乱れた髪を整えると何事もなかったように才人の隣に戻り、湯船へと再び浸かる。
そして海苔緒は話題を露骨に逸らした。
「俺のことなんかより、才人の方こそどうなんだよ?」
「え、俺?」
「ルイズさんに、シエスタさんに、ティファニアさんの三人と結婚している訳だから……その、なんだ……大変だろ、色々と」
正確には――ルイズとは挙式したが、シエスタとティファニアとはまだ挙げていない。事実婚というか、内縁の妻というか、要は正妻一人に、お妾さん二人の状態なのである
屋敷での才人の行動を見ていて気づいたのだが……才人は三人に対して常に気を配っているのだ。
例えば、シエスタの料理を美味しいと褒めた後はルイズとティファニアたちにも何かフォローを入れる。一緒にいる時間がなるべく均等になるよう調整する等々――列挙すればきりがない。
見ているだけで海苔緒の胃がキリキリしたほどである。対して相方のアストルフォは全く気にした様子はなかった。本当に大した胆力である。
最近までラノベやエロゲに毒され、『ハーレムは男の浪漫』とのたまっていた海苔緒だが、現物を見て認識を改めざるを得なかった。
基本的に仲良しのルイズたち三人でさえ、才人の些細な動向一つでギスギスし始めるのだ。その取り成しを含めて、コミュ症気味の海苔緒は三人同時に付き合っている才人に尊敬の念を抱いている。
海苔緒の問い掛けに、ほろ酔いで緩んでいた才人の顔がしかめっ面に変わっていく。それでも酒の勢いに後押しされて、海苔緒は言葉を続けた。
「つーかルイズさんと新婚数か月な訳だろ。それが何でシエスタさんとティファニアさんまで……あっ!」
云ってる途中で地雷に片足突っ込んだことをようやく自覚する海苔緒。おそるおそる才人の方を振り向くと湯船の中で体育座りをして湯面に“のの字”を描ている。
「だってだって…………ん」
声のトーンが落ちすぎて、最後の方は全く聞き取れなかった。
「は? なんだって!?」
思わずどこぞの難聴系主人公の如き台詞が海苔緒は口から零れた。すると今度は何とか聞き取れるレベルの声で才人は同じ言葉を発する。
「だってだって……しょうがないんだもん」
「――もん?」
海苔緒は気付かなかったが、今の才人はルイズに反省を強要される時の所謂『バカ犬』モードになっていた。パブロフの犬の如き条件反射で才人は言い訳を続けていく。
「シエスタの時はさ。部屋で夜寝てたらベッドに誰か潜り込んできて……ボクちんはね、当然愛しのレモンちゃんだと思ったわけ! 飲みすぎてベロンベロンに酔っていたボクちんは夫婦として当然のコミュニケーションをとったわけで……」
一人称が『ボクちん』とか色々突っ込み所はあったが、海苔緒は要点だけを追求する。
「つまりやったんだな?」
才人は項垂れたままコクリと頷いた。
「それでさ、気付いたら朝になってて、何故かレモンちゃんがグレープフルーツちゃんだった訳なんだよ」
「…………お、おう」
海苔緒は内心で『うわー』と思いつつ、深酒はやめようと深く心に誓う。されど酒のテンションと怖いもの見たさの心理で海苔緒はさらに云い募った。
「ティファニアさんとはどうだったんだよ?」
海苔緒の言葉を聞いた才人の変化は劇的だった。まるで吹雪に凍える遭難者のように湯船の中でガタガタと震え始めた。虚ろな瞳をした才人はそのままうわ言のように呟く。
「違うんだ、ルイズ。は、話し合おう。話せば――や、やめてくれ!! は、放してッ!もげる! もげるから!!」
どうやらティファニアの時はルイズから相当な折檻を受けたようだ。まぁ周りから聞く限り、ティファニアも信じられないくらい大胆アプローチをしていたそうなので、海苔緒は一概に才人を責めることは出来ない。
一瞬、才人に憑りつく鬼子母神の姿を幻視した海苔緒は、『ハーレムなんて所詮は夢幻に過ぎない』と完全に悟りきった。
「おい、しっかりしろ、才人」
このままでは自分と同じく湯面にヘッドバッドを食らわしかねない勢いの才人を、海苔緒は肩をゆすって正気に戻るよう促す。
「――はっ! あれ? 俺、どうして……」
トラウマのあまり才人は記憶が飛んだようだ。……女ってマジで怖ぇ、と海苔緒はしみじみそう思った。
それから海苔緒は才人の他愛ない愚痴を聞く側に回った。『ルイズと一緒に同衾している時、シエスタやティファニアの名前を寝言で呼んでよく折檻される』とか、『日本に一人で帰省する場合、滞在予定を詳しく聞かれる』とか、『日本の居た頃の学友たち(特に女性)に対して入念にチェックを入れられる』とか、『結婚してからルイズからのマナーに関する指摘が厳しくなった』とか、そういった類の話だ。
そうしてそんな話の中で偶々タバサの名前が上がった時、海苔緒は尋ねずにはいられなかった。
「タバサさんの事はどうすんだ、才人?」
シャルロットとは云わず、偽名であるタバサの方を口にしたのは意識してのことだ。厚かましいことは重々承知だが、既にシエスタやティファニアのことまで問いを投げていた海苔緒は、ついで云わんばかりに聞くことにした。
それにどのみち、こういう場でのなければ聞くこと出来ない話である。
少しばかり沈黙を積もらせた後、才人は至極真面目な口調で語りだした。
「ロマリアでの会議の時、少しだけ“タバサ”と二人で話す機会があったんだ。その時に正直な気持ちを告げたら、タバサに云われたよ――『妻でなくてもいい。恋人じゃなくてもいい。従者でもいいから、貴方の傍に居させて欲しい』って」
何となくだが、海苔緒の中でその時の光景が思い浮かんだ。おそらくきっとタバサは、懇願するような気持ちで才人に告白したのだろう。
「正直な気持ちってのは……断ったって意味か?」
「いや、分からないって云ったんだ。大切な友人だと思っているのは確かだけど、それがルイズたちに抱いている想いと同じなのか自分でも分からなくて……ホント優柔不断だよな、俺」
才人は自嘲するように笑った。
日本人としての常識を持つ才人は、三人の女性と関係を持っていることに対して不義理というか不健全であるという自覚が多少あるのだろう。
故に責任から逃げることだけはしまいと、才人は努力しているのだ。
「別に悪いことじゃないと思うぜ」
自分の優柔不断さ加減を自嘲している才人に、海苔緒は云った。
才人は不思議そうに目を丸めているが、海苔緒は構わず言葉を続けた。
「タバサさんがビダーシャル議員に捕まった時があったって聞いたが、皆がタバサさんのことを諦めようとした時、才人は諦めなかったんだろ」
周りが救出は無理だと云う中、才人は自分の気持ちに従ってタバサを助けようとしていた。
海苔緒は少し考えるように己の言葉を区切って。
「上手く云えねぇけど……他人の言葉に左右されずに考えて、考え抜いて、自分の出した結論に従って行動するってのは、中々出来ることじゃねぇと思う。だから今回も自分が納得いくまで悩めばいいじゃないか? それで出た結論ならいいと思うぜ、俺は」
少しばかり無責任な発言とも思ったが、何せ才人は命を張って、好きな女とハルケギニアを救った勇者なのだ。ハーレムだろうと何股だろうと、多少の我儘などを差し引いてもお釣りのくるレベルの活躍の筈である。
海苔緒の発言に、固くなっていた才人の表情が少し和らいだ。
「ありがとよ、海苔緒。少し肩の荷が下りた気がする」
「そうか……なぁ、才人。ついでにもう一つだけ聞いていいか?」
「何をだ?」
海苔緒は一呼吸おいてから口を開いた。
「七万の軍に突っ込む直前、どんな気持ちだった?」
なんとく今の内に聞いておくべきだと海苔緒は思ったのだ。
――覚悟の決め方を。
才人を無言のままグラスの中身を干すと、空に浮かぶ双月を仰いだ。
「…………洒落にならないくらいに怖かったさ。恐怖で体のあちこちが震えて、歯がガタガタして笑ちまったぐらいだ……全然笑える状況じゃねぇのにな。ジュリオの野郎やデルフの奴にも『お前は絶対死ぬ』って云われちまって……走馬灯みたいに色んなことが頭をよぎった。それまでのハルケギニアでの出来事とか、出会いとか、その後は地球というか日本で過ごした思い出が色々浮かんできて……最期に家の近所のハンバーガーショップで好物のテリヤキバーガー食いたかったとか、家に帰って母さんの味噌汁飲みたかったとか、親父の声が聴きたかったとか、色々未練が湧いてきてな。でさ、思わずこの場から逃げようかと思ったよ。でも走馬灯の最後に浮かんだのは――ルイズの顔だった」
才人の視線は双月に向いたままだ。七万の軍に突撃する前にも、こうして双月を見上げて想いを馳せたのかもしれない。
「怒っているルイズ、頑張っているルイズ、笑ってるルイズ、照れてるルイズ、泣いているルイズ。思い浮かべれば浮かべるほど、不思議と全身に力が漲った。そんでその時思ったんだ……
才人は再び自嘲気味に笑う。
だが海苔緒は反論した。
「馬鹿じゃなくて英雄っていうだろ、そういうのは。……答えてくれてありがとう、才人。本当に参考になった」
そう云って海苔緒も才人と同じく夜空に浮かぶ双月を仰ぎ、片手で持ったグラスを双月と重ねた。
――今にして思えば、海苔緒はこの時既に気付いていたのかもしれない。
「才人……本当に綺麗な双月だな」
「ああ、慎一のやつにも早く見せてやりたいよ」
――避けようのない、己の死に。
次回はビダーシャルとの会談
では、