Angel beats! 蒼紅の決意   作:零っち

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「んぅ?!…ちょっと、これは…刺激が強いかも」

「……天使が目を覚ましたわ」

 

朝一に校長室に集められた俺たちを前にゆりは重苦しい空気を醸し出しながらそう切り出した。

 

「なにぃ!?」

 

「それで、天使は?!」

 

「…逃げられた」

 

日向の質問に答えたのは音無だった。

 

音無は天使が倒れてから毎日側に付いていた。

 

「昨日の夜、俺がうっかり寝てる間に窓から逃げていったみたいだ…」

 

そう語る音無の顔は苦渋に満ちていた。

 

きっと自分の失態を悔いているんだろう。

 

「でも、それだったらまだ天使がどっちで目を覚ましたのかは分からないんじゃない?」

 

「いや、奏が前のままなら逃げたりしない。…俺たちとずっといるって約束したんだ。だから、多分…」

 

「それについては今日これから分かると思うわよ」

 

「どういうことだ?」

 

「今から全校集会がある。それがどうやら生徒会長についての事らしいわ」

 

ということは、そこで何か俺達に害を与えるような内容なら天使は分身の精神で目覚めてしまったってことになるのか。

 

「行くわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーー!!くそ!天使のやつめ!見事に作戦に参加したやつ全員暴き出しやがってぇ!」

 

反省文用の作文用紙を前にして日向はガリガリと頭を掻きむしる。

 

「やめとけって。ハゲるぞ」

 

本気で日向の毛根が心配になる程の音を鳴らしていたので制止を促す。

 

「この世界なら大丈夫だよ!くそぅ!」

 

「おいおい、俺にまで当たるなよ…」

 

結局、天使は分身の精神が勝ったようだった。

 

0点だったテストが誰かの作為によるものだということを提示し、しかも下手人を全員突き止めて身の潔白を証明し、生徒会長に復帰ということらしい。

 

そして下手人である俺たちはしっかりと反省文を書かされることになった。

 

「ああ!俺たちは錐揉み飛行仲間さ!」

 

天使が味方になるかと思ったら敵になったり、反省を書かされたりで日向は多大のストレスを受けているみたいだ。意味の分からないことを口走っている。

 

でも気持ちは分からなくもない。

 

あの敵に回したら絶望的な天使の力が味方になるんだと期待していた。

 

いや、それよりももう戦わなくてもいいんだと、安心していた。

 

それが、その可能性があっけなく崩れたのだ。

 

落胆しないわけがない。

 

それに、俺にはもう1つこの結果によって起きる事がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ、分身の方で起きちまったか。せっかく下の名前で呼ばせてやろうとしたのによ~」

 

反省文を書き終わっていつもの空き教室に行くともう既に直井と大山から話を聞いていたらしいひさ子たちは俺が来ると口々に落胆の台詞を口にしてきた。

 

つーか、これはさすがに不謹慎じゃないか?

 

「柴崎さん、そんな賭けをしていたんですか?」

 

「俺じゃなくて岩沢とひさ子でな」

 

「貴様ら!柴崎さんに迷惑をかけるとは何事だ!」

 

俺の言葉を聞いた途端直井が岩沢とひさ子に怒鳴っていた。

 

「まあまあ直井くん落ち着いてよ。二人に悪気はないんだから」

 

「む、しかしだな…」

 

激昂していたはずが関根に宥められると、珍しく言い淀む。

 

この間ケンカをしていたみたいだから心配だったけど、良い方に向かっていってるみたいだな。

 

でもそれとこれとは別。

 

「ちなみにその賭けまで誘導したのは関根な」

 

ちゃっかり良い奴ポジションを獲得しようとしてるのは見過ごせないな。

 

「せ~き~ねぇ~!この僕に嘘を吐くとは覚悟は出来てるな!?」

 

「あわわわわ!嘘、まさかのマジ怒り?!」

 

「当たり前だこのマヌケぇ!」

 

あっという間に二人の追いかけっこが始まってしまった。

 

「ごめんなさいごめんなさーい!許してぇ~!」

 

「誰が許すかぁぁぁ!!」

 

「このしおりんの可愛い顔に免じて、ね?」

 

逃げ回っていた関根が急ブレーキをかけてあざとくウィンクを決める。

 

いやこれ逆効果だろ…

 

「かっ……!可愛いわけあるかぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

「あ、あれ?!直井くーん?!」

 

何故かうろたえたあげくにすごい速さで教室から出ていってしまった。

 

しばしの沈黙を経て、岩沢がゆっくりと口を開く。

 

「…とりあえず追いかけたら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関根たちが出ていきそのまま流れで…というか、また例の賭け云々の話題に持っていかれたら居たたまれないので岩沢と一緒に教室から逃亡した。

 

「しっかし何だったんだろうな?さっきの直井、急に出ていっちゃて」

 

しかし岩沢には逃亡したなんていう気持ちは欠片ほどもないだろう。

 

いや、いつもとまるで変わらない岩沢の雰囲気を見ると、もしかしたら賭けのことすら忘れているんじゃないかと思ってしまう。

 

「そうだな~。いつもならあそこで拳骨の1つでも落としててもおかしくないのにな」

 

気にしてるのって俺だけなのかなぁ…

 

「そういや直井って最近関根のことちゃんと関根って呼ぶようになったよね」

 

「ん?そう…だったかな?言われてみればそうかも」

 

でもよくそんな細かいところ見てたな岩沢のやつ。

 

「そういえば記憶なし男も天使のこと奏って下の名前で呼んでたね」

 

「あー、本当だよな。知らない内に仲良くなってたんだなあいつら」

 

しかしなんで今そんな話を?

 

「下の名前って言えば入江たちも二人きりの時は下の名前で呼んでるんだってね」

 

「…………もしかして、気にしてるのか?下の名前で呼んでないの」

 

あまりにも同じ話題ばかりを話すので、もしやと思って訊いてみると岩沢は身体をビクゥっと強張らせる。

 

「そ、そんなこと…ない…ことはなくもなくもない…」

 

「えっと、つまり…?」

 

「気に…するに決まってるだろ…バカ…」

 

羞恥に耳まで紅く染めながら呟く。

 

ああそっか、俺だけじゃなかったんだな…

 

「入江と大山はあたしたちよりも長い間付き合ってるからまだわかるけど、記憶なし男と天使は敵同士なのに下の名前で呼びあってるんだよ?そんなの、気にならないわけないじゃん…」

 

「下の名前で呼びたいのか?」

 

「呼びたいっていうか…呼ばれないっていうか…」

 

「…まさみ」

 

「んぅ?!…ちょっと、これは…刺激が強いかも」

 

「そんなうっとりしながら言わないでくれませんかねぇ?!」

 

わりとそういう表情って男は来るものがあるんですよ!?

 

「む、そんなこと言ってられるのも今の内だぞ」

 

「は?」

 

「……そ、蒼」

 

こ、この火照った顔と拗ねたように尖らせている唇と上目遣いは、まさに男を惑わす黄金のトライアングルやぁぁぁぁぁぁぁ!!!

 

――――はっ!お、俺は今何を言っていたんだ?

 

「どうだ?」

 

まだ意識がハッキリとしない中声をかけられ、再びハッとする。

 

「いや、なんつーか、慣れないとな…」

 

これは慣れないと恥ずかしすぎる…!

 

「やっぱりそうだよね。良かったぁ~あたしだけじゃないんだ」

 

「そりゃそうだろ。こんなの平気で出来たらそいつは血が通ってねえよ」

 

「…じゃあさ、これから二人の時はあたしたちも、その…」

 

「そうだな。慣れるために下の名前で呼ぶか」

 

そう言うと、顔をパァーっと輝かせる。

 

いつもはクールか抜けてるかどっちかの癖にコイツは本当にもう…

 

「可愛いなぁ」

 

「な、何を急にしみじみと恥ずかしいこと言ってるんだバカァ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いってぇ~…」

 

突然の平手打ちを喰らわされた左頬を押さえながら校舎を練り歩いている。

 

岩沢はこの左頬の痛みの原因になった平手打ちをかましてすぐにどこかに走っていってしまった。

 

「はぁ~…そろそろこの手のことには慣れて欲しいなあ…」

 

可愛いとか言う度に殴られていたら俺の身が持たない…

 

かと言って俺が避けた拍子に岩沢が怪我をしでもしたら自殺くらいじゃ気がすまないし、そもそも死ねないし。

 

「キスの時は殴られないのになぁ。なんでだ?」

 

「なんでかは分からないですけど、とりあえず天下の往来でそんな独り言はやめた方がいいと思いますよ?」

 

唐突にスルリと後ろから滑り込んできた声に心臓が握りつぶされたような気分になり、勢いよく振りかえる。

 

「千里…っ!?」

 

「はい、なんですか?」

 

驚く俺をよそに飄々とした態度で首を傾げている千里。

 

「なんですかはこっちの台詞だ。…今度は何をしに来た?」

 

「ちょっと、ひどいなぁ。その言い方だと僕が今まで何かしてきたみたいじゃないですか。僕は今まで助言をしてきただけですよね。違いますか?」

 

「それは…」

 

…違わない。

 

岩沢の時も、直井の時も、ついこの間の天使の時も、千里はふらっと現れては誰がどうなるかの直接的なヒントを与えてくるだけ。

 

確かに害はないんだ。

 

それに、俺は別に千里が嫌いなわけじゃない。むしろ此処に来てすぐ、不安な時期に話し相手になってくれた千里には感謝もしてる。

 

けど、コイツが来ると何か不幸なことが起きる前兆なのは間違いない。

 

不吉の象徴。

 

そんなイメージが焼き付いて離れない。

 

「今度は何が起きるってんだ?」

 

真剣な顔をして訊いている俺を見て楽しんでいるかのように微笑みながら言う。

 

「天使は元の意識で目を覚ましていますよ」

 

「なにを言ってるんだ…?天使は分身の意識で目が覚めたって確かに…!」

 

「それを言っていたのは誰ですか?」

 

「誰って、ゆりが…「違いますよ」

 

ピシャリと、俺の言葉を妨げる。

 

「彼女は報告を受けてそれを皆さんに伝えただけです。では、彼女にその報告をしたのは誰ですか?」

 

「………音無…?」

 

俺の言葉を聞き、ニッコリとまるで出来の悪い子供がようやく正解を導きだしたのを見た親のように嗤い

 

「そうです」

 

「いや…だけど、なんでだ?!音無がなんでそんな嘘を?!」

 

「彼は昨日天使の側で寝ていました。そしてそこで彼は取り戻していたと思っていた記憶を、今度こそ完全に思い出したんです」

 

「ちょっと待てよ。取り戻していたと思ってたって何だそりゃあ?」

 

それ以外にも質問したいことがたくさんある。

 

「彼の記憶は直井さんの催眠術では完全には戻ってなかったんですよ。そしてその不完全な記憶は彼の満たされていたはずの記憶を悲惨なものにすり替えてしまっていた」

 

「それが昨日戻ったってのか?」

 

「ええ。そして何をどう思ったのやら他の皆さんにも満たされる事の心地よさを知って欲しいと思ったみたいですよ」

 

何故かそこだけ、少し辛辣な調子で吐き捨てる。

 

くだらないとでも言いたげに。

 

「そこで天使をあえて敵として配置させ、皆さんの生前を聞いて回り満足させていこうとしているみたいです」

 

「それってつまり…」

 

「そう。消滅させて回ろうとしてるんですよ」

 

そう言われた瞬間に頭の中を消えかけている岩沢の表情がフラッシュバックしていく。

 

満たされて、もう何もかもに納得したかのようなあの顔が。

 

「まあ消滅と言うから悪く聞こえるだけで、厳密に言うのなら成仏と言う方が正しいのかもしれません」

 

さて、とそこで一呼吸置き。

 

「あなたはどうしますか?柴崎さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、答えられなかった。

 

そもそもそんな重大なことを俺一人で判断できるわけがない。

 

いつまでも返答しない俺を一瞥して千里はなにも言わずに笑顔を浮かべたまま去っていった。

 

「あんなもん、なんて答えたら正解だって言うんだよ…」

 

ゆりに報告?

 

そんなことしたら音無がどうなるか分からない。最悪戦線を抜けることになるかもしれない。

 

黙って様子を見る?

 

皆が消えていくのを俺は本当に黙って見てられるのか?

 

なら止める?

 

けど千里から聞いた音無のやろうとしていることは完全に悪いものだとはどうしても思えない。

 

どれもこれも可能性を潰していく事しか出来ない。

 

色んな理由でがんじがらめにされて身動きがとれない。

 

なんでアイツは俺なんかに毎回毎回こんな重要な事を伝えてくるんだ?こんな案件を抱えるのに相応しいやつは俺の他にもっと適任がいるだろ。

 

こんな俺に何を期待してるってんだよ。

 

「柴崎?」

 

「…岩沢」

 

「どうしたんだ柴崎、そんな暗い顔して…はっ!もしかしてさっき叩いたこと怒ってるのか?!それは本当に悪いと思ってる!けど…柴崎が急に恥ずかしいことを言うから悪いんだぞ。だからあたしのこと嫌いにならないでくれ!」

 

「ちょっと、ちょっとちょっと落ち着いてくれ岩沢さん。今そのテンションに付き合える気がしません」

 

ていうか、叩かれたことなんてもう忘れてたよ。

 

「何かあったのか?」

 

「ああ…うん。岩沢には話しとこうかな」

 

そう切り出して千里から聞かされた話を岩沢にも説明していく。

 

そして俺の今の心境なども加えて話す。

 

もしかしたら心のどこかで岩沢に答えを求めていたのかもしれない。

 

「そっか。記憶なし男がそんなことを。それで柴崎も悩んでる、か」

 

「そうなるな」

 

ここで岩沢にこうしろ、と言われたのなら俺は間違いなくその通りにしたと思う。

 

岩沢が言うなら、なんていう免罪符を掲げて行動をしたかもしれない。

 

けれど、やはりうちの姫様はそんなに優しくはなかった。

 

「あたしには分からないな」

 

しばらく悩んだような素振りをみせて、しかしあっさりとした調子でそう言い切った。

 

「まあ、そりゃそうだよな。俺だってどうしたらいいのかわかんねえよ」

 

「いやそうじゃなくてさ、あたしの分からないっていうのは何であたしにそんなことを言ってるのかってことだよ」

 

「何でって…」

 

自分でこんなことを決められないから。

 

そう言うのは躊躇われた。

 

自分でも決められないことを彼女に決めさせるなんてどんなやつだ。

 

そんな俺の考えを知ってか知らずか岩沢はこう言う。

 

「あたしは、柴崎の決めたことなら例え間違いだったとしても信じてついていくよ。それで世界が潰れたって、あたしが消えたって、柴崎が決めたんならついていく。だから柴崎が決めてくれ。これからどうするのか、どうしたいのか」

 

「なんで…そんなに信じられるんだ?俺は自分で決めれないことをお前に決めてもらおうとしたんだぞ?そんな情けないやつなのに…」

 

「…そんなの決まってるよ、好きだからさ。好きだから、好きで柴崎をずっと見てきたから分かるよ。柴崎はこういうところで判断を間違ったりはしないってこと」

 

一息にそう言い切り、1拍置いて、それに、ともう一度口を開く。

 

「彼女ってのは病める時も健やかなる時もついていくもんだろ?」

 

まるで聖女のように微笑んで言う岩沢。

 

俺はそんな岩沢の顔を見ながら、盛大に吹き出した。

 

「な、何が可笑しいんだ?!」

 

なんで笑われているのか訳が分からないといったように叫ぶ岩沢。

 

「いや、なんでって、病める時も健やかなる時もってのは結婚の時だし、彼女じゃない。それをそんなドヤ顔で言うから思わずな」

 

「~~~っ!もう、知らない!」

 

「あ、岩沢!ごめん!ごめんなさい!励ましてくれたのは分かってるから!機嫌直してくれよ!」

 

スタスタと足早にここから離れようとする岩沢の手を掴んで引き寄せる。

 

意地を張って顔を背ける岩沢の耳元に口を寄せる。

 

「……ありがとうまさみ」

 

下の名前で呼ぶとピクリと反応を見せる。

 

「まさみが居なかったら、ここで俺は何の行動もしなくて、もしかしたらそれで後悔することになったかもしれない。まさみが背中を押してくれたから、俺は少なくとも後悔はしないで済みそうだ」

 

まさみ、と呼ぶ度に思わず後ろに振り向こうとしてしまいそうになるのを必死に堪えてるのが手に取るように分かる。

 

「病める時も健やかなる時も、だっけ?」

 

「うるさいな!」

 

またからかおうとしてると勘違いしたのか、バタバタと抵抗し始める。

 

それを力で押さえ込んでさらに耳元に口を近づける。

 

「結婚、するか?」

 

「本当に?!」

 

「ぐがぅっ!」

 

「あ、ごめん」

 

目一杯顔を近づけていたところに振り返られて、盛大なヘッドバットが鼻っ柱に炸裂する。

 

「って、それよりも、さっきの本当か?!」

 

「いやぁ、半分冗談」

 

「し~ば~さ~きぃ~!!」

 

「いやいやいや!最後まで人の話を聞いてくれって!半分、半分だよ?!」

 

背後に人を殺せそうな程のオーラを漂わせている岩沢に必死のジェスチャーで落ち着くように促す。

 

「…半分って?」

 

「だから、なんつーの?今は音無とか天使とかどう転ぶか分からない事があるから今すぐにって訳にはいかないけどさ、このもろもろが終わって落ち着いたら、形だけでも結婚…とかどうかなって思ってよ」

 

結婚という単語に照れてしまい鼻の頭をポリポリと掻きながら言う。

 

仮にもプロポーズの場面でする仕草ではないだろうがしょうがないだろう。恥ずかしいものは恥ずかしいんだ。

 

「柴崎」

 

「なんだよ、まだ怒ってるの……」

 

一瞬時が止まったのかと思った。

 

そして遅れてやってくる唇の柔らかい感触。

 

いつもの触れるだけのキスよりも少し、深いキス。

 

「――――っ!」

 

心臓が破裂しそうに苦しい。

 

ドクンドクンと、こんなに速く鳴ってたら爆発するんじゃないかと不安になるくらい高鳴っている。

 

そして、満足したのか岩沢からやってきておいて、岩沢から離れていった。

 

「嬉しいよ」

 

岩沢はいつものような真っ赤ではなくほんのりと桃色がかった色で頬を染め、胸に手を添えて微笑んでいる。

 

「こちらこそお願いします」

 

ペコリと頭を下げる。

 

なにもかもが夢みたいな光景だった。

 

もう何時目が覚めてこの光景が消えてもおかしくないような。

 

「でも、満足するなよ。まだ結婚してないからな」

 

そう言われて、はたと気がつく。

 

なんだか自分と世界の境界があやふやになっていたことに。

 

もしかして、今消えかけてたのか…?

 

「…ったく、敵わねえな」

 

「当たり前だよ。なんたって婚約者ってやつだからな」

 

ふふん、とそこまで大きくない胸を張る。

 

「何か失礼なこと考えなかったか今?」

 

「いいえなにも」

 

……もしかしたら遊佐と同じ読心術を手に入れる日も近いのかもしれない。

 

「で、柴崎は結局どうするんだ?」

 

「とりあえず、音無が動くのを待つよ。それで、もう下手に誤魔化せない状況になってからきちんと理由を聞く。人伝えじゃなくな」

 

「そっか。それじゃ、もう他に何か訊かなきゃいけないことはないな?」

 

「あ、1つある」

 

「ん?」

 

すっかり上機嫌になって身を擦り寄せてくる岩沢。

 

そして俺は訊く。

 

「なんでキスの時は叩かないのに可愛いとか言ったら叩くんだ?」

 

「で……」

 

「で?」

 

「デリカシーってものを身に付けろ、バカぁぁぁぁぁ!!」

 

「ぶぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

その平手打ちは今までで一番痛かった。

 

 




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