なんでこんな事になっているんだ…?
確かほんの少し前までは川釣りしたり、炊き出しをしたりして皆で楽しく過ごしていたはずなのに…
保健室のベットで深く寝入っている天使を見て思い出す。
完璧に同じ見た目をしているもう一人の天使とこの天使の唯一の違いである、あの紅い目を。
まるで鮮血を浴びてるかのように紅い狂気に満ちた目。
ベットを囲んでいる他の皆も同じようなことを考えているのか、すっかり黙りこんでしまっている。
「奏は…大丈夫なのか?かなり深い傷だけど…」
そんな中その沈黙を破ったのは、やや状況に則していない音無の台詞だった。
「あたしたちと同じよ。時間が経てば直に治るわ」
それに答えたのは、あの赤目にやられた傷に応急措置を施しているゆりだった。
「ていうか、今はあのもう一人の天使の方が問題だろ」
このまま放っておいて話が脱線してはいけないので、本題を提示する。
「確かにそうだけど、どうしようもねえだろ。なんであんなのが出てきたのかもわかんねえのに」
「いいえ、原因は分かってるわ」
「そうなのか?」
「ええ。天使エリア進入作戦は覚えているわね?」
「ああ」
もちろん覚えている。
というより、忘れられるわけがない。
ついチラリと隣にいる岩沢を見てしまう。
目が合うが、俺がつい見てしまった理由には思い至ってないようだ。
まあこの反応からみるに、本人はもう覚えていないかもしれないけど。
あの作戦の時に岩沢は1度消えかかった。
思い返すだけで今でも心臓が薄ら寒くなる。
本人はそうでなくとも俺にとっては最も印象に残っている作戦と言っても過言じゃない。
「あの時、天使の部屋のコンピューターを調べた時に見つけた『ハーモニクス』っていう能力が起動したのよ」
「それがあの分身を作ったのか?」
俺はあの時ガルデモの護衛についていて、その情報は初耳なので一応確認をとっておく。
「そうなるわね。その能力は一体が二人に分かれる能力だったから」
「つまり、今回のものは天使自身がソフトウェアで開発したものということですね?」
「でもそっくりそのままって感じじゃなかったぜ?」
藤巻の言うとおり、あの分身は見た目こそ目の色くらいしか違いはなかったが、あの凶暴な性格は元の天使と明らかに一線を画していた。
分身だから不完全ということなのか?
「全く、無能の集まりだな貴様らは。あ、もちろん音無さんと柴崎さんは別ですが」
まるで思い付いてない自分を持ち上げる直井を見て少し心が傷む。
ごめん…全く何も思い付いてない…
「まあ基本的にアホの集まりですから」
更に追い討ちをかけるようにユイが一言添える。
きっと本人はそんなつもりはないだろうが。
「可能性を1つ提示してやろう」
直井はユイの一言などまるで気にせずに、人差し指をビシッとゆりの方に向けて指す。
「もし攻撃的な意思を持っていた時に分身したとしたら…」
「あの時か…!」
俺とゆりが分身する瞬間を目撃した時。
確かに、天使は皆を助けるためにあの主に対して攻撃的な意思を持っていたかもしれない。
「ちょっと待て!奏は攻撃的な意思を持ったりしない!ガードスキルにしたってそうだ!全部自分を守るためのものしかない!」
「むきになるな。天使が分身した時、主から皆を守るためにそういう意思を持っただけだ。そんで、それが今回は厄介なことになっただけだ」
こんなことになるなら、皆食われて再生を待ったほうがまだマシだったかもしれないな…
「それで、僕たちは何をしたらいいの?」
「倒すのか?!」
「バカか、消すんだ」
「んだと?!ぐぉら!?」
「しかし、その子が出したものならその子の意思で消せるはずだろう?だったら起きるまで待っていればいいのではないのか?」
直井に突っかかろうとした野田の首をしめる松下五段。
こういう話し合いの時に野田は役に立たないので誰もそれをやめさせたりはしない。
「いやでもよ、消せるならこんな風にやられてるか?」
「きっと無意識下での発動なんでしょうね。だから刺し違えてでも止めるしかなかった」
「つーことはこれからはあんなのが居続けるようになっちまうのかよ?!」
藤巻の言うことはもっともで、このまま消せないのなら、ずっとあの赤目はこの世界に居続けることになる。
そしてそれは、終わりのない戦闘が始まるということに繋がる。
「今は見逃されてるけど、規則に背いた行動をとればすぐさま今日みたいな血生臭い戦闘になるわ」
「生徒会長でもないのに?」
「あたしたちを更生させるという意思は立派に継承されてるからね。更に好戦的…最悪ね」
この状況に陥って初めて気づく。
俺たちは天使に見逃されていたんだと。
きっと今眠っているこの天使も、本気で俺たちを潰そうとすれば、今日のように圧倒的な力で制圧することが出来たはずだ。
しかし、それではダメだと見逃されてきた。
理由は分からないが。
「対抗しようにも時間が無さすぎだぜ」
「…少し時間をちょうだい」
少し間を置いてゆりはそう言った。
「どうやって時間を稼ぐ?」
「一日だけ授業に出て、授業を受けてるふりをして。決して授業に耳を傾けてはダメ。皆無事にまた会えることを祈るわ」
こうして、その日は解散となった。
「しくった…」
なんとか赤目の目を盗んで一日稼いだ次の日、天使の様子を確認するために保健室を訪れた。
が、そこはもぬけの殻になっていた。
かなり争った形跡があるのを見ると、連れ去られたのだろう。
「やられたな…」
「ええ。この乱れよう、拐われたとしか思えない。貴様、何をした?!」
俺に同調するように頷いたあと、ゆりに向けてビシリと人差し指を指す。
お決まりのポーズだ。
「な、何って…プログラムの書き換えよ。もう一度発動したら分身が消える設定にしたの」
そして目を覚ました天使にもう一度能力を使ってもらおうとしたら拐われた。ということか。
「先手を打たれたってことかよ…」
「どうするゆりっぺ?」
「捜すしかないじゃない」
「あの分身の目を掻い潜ってですか?」
高松の言うとおり、赤目の目から逃れて天使を捜すことは生半可なことでは無理だ。
昨日授業を受けるふりをするだけでも精一杯だったんだ。
「陽動だっていつまで持つか…」
「へ?あたしですか?」
「ってことはあたしもか」
日向の不安そうな目線を受けて、あっけらかんとした物言いをする二人。
「そりゃそうだよ!ガルデモの本職は陽動だろ!?」
「い、いやいや無理っすよ!あんな怖いの相手に陽動とか!」
「やれよ!!」
日向の言うことは正論で、本来なら反論することはしないが、今回は別だ。
「陽動は無理だろ。あの分身相手に陽動なんてしてもすぐに潰される」
「うっ…そりゃそうだけどよ…」
「それに岩沢に危険な真似はさせられない!!」
「「結局それかい!!」」
「ぐへっ!」
本心を口にしただけなのに、二人に思いきりみぞおちを蹴られてしまった。
ていうか、ユイに蹴られる理由がわからん…確か庇っていたはずなのに…
「まあ柴崎くんのいつもの病気は放っておくにしても、最初に言った理由はもっともだわ。今回は陽動無しで動くわよ」
病気ってなんだろう?
皆はとくに疑問に思っていないようで口を挟むやつは誰一人いなかった。
「まずはやれることからやるわ。皆天使の目撃情報を集めて!」
ゆりの号令を聞き、皆三々五々に散らばっていった。
ゆりの号令のあと、俺は岩沢と情報を集めていた。
しかし中々有力な情報は出てこなかった。
「これだけ訊いて回ってもダメってことは相当上手く運んだんだな」
「そうみたいだな」
もう一時間ほど聞き込みをしているが、まるで収穫なし。
まるで消えてなくなったみたいだ。
もしかしてこのまま見つからないんじゃ…と頭に不吉な考えが過った時にインカムから声が聞こえてきた。
『柴崎さん。天使について有力な情報が入りました。今すぐ体育館に集まってください』
「悪い、ちょっと待ってくれ。なんで体育館?」
あれだけ探しても見つからなかった情報があっさりと見つかったことに驚いたが、それよりも何故いつもの校長室じゃなく、体育館なのかが気になった。
『天使の連れていかれた場所がギルドだと言う情報が入ったからです』
「じゃあ俺もギルドに向かうってことか?」
『はい。なので出来れば岩沢さんと別れた方がよろしいかと思います』
やっぱりそうなるか…
「悪い。ゆりには上に残るって伝えてくれないか?」
『…何故でしょう?』
きっと理由は言わなくても分かっているだろうが、自分の仕事を全うするためにそう訊ねてくる。
「ギルドに天使を助けに行くのが大事なのは分かってる。けど、なんか嫌な予感がするんだ。だから俺は上に残ってガルデモの側にいる」
こんな身勝手な理由はさすがに怒られるかなと思っていたが、インカムから聴こえてきたのは、はぁ、という呆れたようなため息だった。
『わかりました。伝えておきます』
「本当か!?ありがと―『そのかわり』
まさかの返答に舞い上がっていると、言葉を途中で切られる。
『ちゃんと守ってあげてくださいね』
「バーカ。当たり前だろ」
『そうですか。それでは』
俺の返事に満足したようで、ブツリとそこで通信が切られた。
「なんだって?」
「天使の居場所が分かったらしい。皆はギルドに向かうみたいだから、俺たちは念のためにガルデモの皆と合流しとこう」
散り散りになっていたら、守れるものも守れない。
「柴崎はギルドに行かないのか?」
岩沢は率直に疑問を投げ掛けてくる。
確かに、本来ならいくべきだからな。
「まあ念のため、だな」
「念のため?」
そしてその念のためは見事に成功することになった。
『天使の分身はざっと見る限り2、3体といったところです。今は校舎を徘徊しています』
了解、と言ってインカムの通信を切る。
そして、俺の回りにいるガルデモの皆にその事を伝える。
もうすでに天使奪還のため、ゆりたちはギルドの最深部へと向かったらしい。
そして何故かユイだけはガルデモで唯一その奪還作戦に同行していった。
ビビっていた癖にわけの分からない奴だ。
まあこちらとしても守る人数は少ない方がやりやすいんだが。
「で、どうするの?」
遊佐からの情報を伝え終わると、関根がそう切り出してきた。
「まあとりあえずは見晴らしの良い場所に出ようと思う」
「え、でも天使が何体もいるんだったらどこかに隠れてた方が良いんじゃないの?」
関根の疑問は確かにその通りではあるんだが、それは相手が俺でない場合に限る話だ。
「俺には誰よりも遠くが見える眼がある。だったら下手に隠れるより相手の先手をとって逃げ回る方が安全だ」
実際、俺は生前この眼を使って借金取りの手から散々逃れてきた。
この眼は逃げることに特化している。
…なんだか微妙な能力だな。
「そうだな。あたしは柴崎を信じるよ」
「まあ、他に方法も無さそうだしな」
俺の案にガルデモの二大巨塔が賛成すると、他の二人も賛成してくれた。
「ならとりあえずどこか開けた場所に移動しよう」
そうした経緯で俺たちは広場にやって来た。
広場といっても特にこれと言って特別なものがあるわけじゃなく、ただベンチなどが置かれているだけの、休憩や談笑に使われる程度の場所だ。
ここがグラウンドを除けば最もこの校内で見晴らしの良い場所だと言える。
昼休みや放課後ならここに多数のNPCが居るが、今は幸い授業中だ。
多少校舎などで死角があるのはこの際目を瞑る。
ここなら俺の眼が最大限に活用出来るはずだ。
「俺が周りを確認するから皆は真ん中に固まっといてくれ」
そう指示すると皆は素直に従ってくれ、広場の中央に円になるように固まった。
そして俺はその周囲をグルグルと歩き、天使が来ていないかを確認する。
端から見たら何かのお呪いか何かと思われてしまいそうな光景だ。
「ねえ、本当に天使って分身してるの?」
ピリピリと緊張した空気の中、口を開いたのは関根だった。
今さら何を、と言いたくなったが直接見ていない関根にとってはにわかに信じられないのも理解出来る。
「ああ、分身してる。それも無数にな」
今はゆりの工作によって分身を増やすことは出来ないが、おそらく赤目たちはそれまでに何体も増殖しているはずだ。
ギルドに向かった皆ももしかすると戦っているかもしれない。
「でも全然いないよ?」
「そりゃここにいるのは2、3体だし。ていうか、見つからない方がありがたいんだからそういうこと言うなよ。なんかのフラグみたい――――」
よくよく考えたら関根の台詞よりも俺の台詞の方がフラグっぽいということには、言っている途中で気づいた。
けれど、言葉を途中で切った理由はそれではなかった。
話ながらもグルグルと広場を歩き、索敵していた俺の視界に赤目を捉えたからだ。
広場に繋がる道で最も生徒たちがよく使う、大通りの道をパトロールするかのようにてくてくとそいつは歩いていた。
まだ常人では人かどうかも視認出来ないほど離れた距離だが、俺の眼にははっきりと見えていた。
「天使だ!走れ!」
天使が向かってきている道とは反対側の道を指差す。
ガルデモの皆を先行させ、俺は最後尾につき、天使の行動を確認しながら走る。
どうやら気づかれてはいないようだ。
そのまま天使が見えなくなるまで走り、またある程度開けた場所に留まることにした。
「はぁ、はぁ…もうダメ…走れない…」
その後も何度も何度も同じことを繰返した。
天使を視界に捉えれば走って逃げ、見えなくなれば止まる。
ここが大規模な学校であることが幸いして、挟み撃ちのような形になることは今のところなかった。
しかし、運動になれていないガルデモのメンバーには、もう体力の限界が近づいていた。
休み時間になれば授業を受けていなくても天使の処罰の対象にならないから休めるかとも思ったが、結局天使の目の前でチャイムが鳴ってしまえばそこでこの逃亡撃は終了になってしまうため、結果的により気を配らなければならなかった。
かろうじてまだ逃げ回る体力が余っているのが俺とひさ子くらいだった。
「頑張れ。後少しすればきっとゆりたちがなんとかしてくれるから」
「…うん。そうだよね…大山さんだって頑張ってるんだよね…!」
「そうだ。後少しだから…」
頑張ろう、と言いたかった。
けれど、上手く口からは言葉が出せなかった。
本当は後少しかどうかなんて分からないからだ。
きっとゆりたちは今もこの状況を打破するために奮闘してくれているはずだ。
なんなら俺たちよりもよっぽど危険な状態で。
だけど、上手くいくかどうかなんて分からない。
何時この状況が終わるのかなんて、もっと分からない。
自分の言葉が慰めでしかないことが分かっているから、上手く言葉に出来なかった。
そして、その一瞬の隙が命取りになった。
「柴崎!天使が!」
肩で息をしていた入江の方に視線を向けていたその時、岩沢の声が耳に入ってきた。
今自分たちがいる場所が少し入り組んでいることが災いした。
死角になっている校舎の影から、天使が急に現れたのだ。
距離は、今までのように遠くはない。
いつもの驚異的な身体能力で追いかけられれば、すぐに追い付かれてしまう程の心許ない距離だ。
俺たちを確認してニヤリと、残虐な笑みを浮かべている。
「走れ!早く!」
考えるよりも先に叫んでいた。
いくら早く走っても追い付かれるかもしれないが、とにかく叫んだ。
さっきまでと同じようにガルデモたちを先行させ、俺はしんがりを務める。
ある程度走り、追い付いてこない天使を不審に思い、後ろを振り返ると、天使は変わらず笑顔を浮かべて歩いていた。
何故か剣を生やした腕を交差させて。
何で走って追いかけないんだ――――
という疑問は、猛烈な頭痛によって掻き消された。
思わず頭を抱え込む。
「あ…!がぁっ…!な、んだ…!この、お、と…?!」
まるで黒板を爪で引っ掻いた音や、発泡スチロールをこすり合わせる音等の不快な音を全て混ぜ混んだような爆音だった。
前にいるガルデモたちを見ると、俺と同じように頭を押さえている。
そして、後ろをもう一度振り返ると、天使はまたも変わらず笑顔でこちらにゆっくりと向かっていた。
くそ…!こんな状態じゃまともに逃げられない…!
せめて岩沢たちだけでも逃がす方法はないのかと痛む頭を働かせようとしたその時
「柴崎さん。こっちです」
この爆音の中ではっきりとそういう声が聴こえた。
頭の中に直接語りかけるような声だった。
そしてその声の響く方を向くと、校舎の裏路地から少し顔を覗かせている人物が一人。
「せん、り…?」
なんでそんな所に、とかそこに隠れたからってすぐに見つかってしまうんじゃとか、そういう疑問は激しい頭痛ですぐに掻き消される。
くそ…考えてる暇はないか…!
俺は岩沢たちに向け、意を決して叫ぶ。
「皆ぁ!そこに逃げ込めぇぇ!!」
この爆音の中皆に声を届かせるために、喉を引き裂かんばかりに叫ぶ。
何か言っていることは伝わったようで、俺の方に振り向いた皆に裏路地を指差すことでそこに逃げ込めと伝える。
皆がそこに転がり込んだのを確認してから俺も逃げ込む。
「はぁっ…!はぁっ…!皆、無事か?!」
「ああ。しばらくまともな音が判別出来なさそうで不安だけど、とりあえず無事だよ」
「いや岩沢、さすがに今は音がどうとか置いとこうぜ…」
他の皆も似たような状態みたいでしきりに頭を振ったりしている。
でも、とりあえず一時的にはあの爆音からは逃れられたみたいだな…
「大丈夫ですか?柴崎さん」
ホッと一息つこうとした時に、後ろから声をかけられる。
「ああ、なんとかな。助かった。けど、こんな所にいてもすぐに見つかっちまうし、早く移動しようぜ」
「いえ、その必要はないと思いますよ?」
「え?いやでもさすがにこんな所じゃ――「しっ」
千里は人差し指を立てて口元に当て、俺の言葉を遮る。
千里の目線を追うと、そこには俺たちを探して首をキョロキョロと動かしている赤目がいた。
それを見て咄嗟に息を潜める。
その行為が単なる気休めでしかないことは、誰よりも自分が分かっていた。
いくら気配を消そうが、あれだけ首を動かして探されてはこんな所にいくら隠れても見つかるに決まっている。
しかし、赤目はこちらを見ても何もなかったかのように素通りしていった。
「……行きましたね」
千里がそう言ったが、俺は驚きやらなんやらで唖然として言葉を発せずにいた。
そんなバカな…見つからないなんて…
「柴崎さん?どうかしました?」
「いや、どうかしたっていうか、なんで見つからなかったんだよ?!」
「ちょっとちょっと、声が大きいですよ。天使が引き返してきたらどうするんですか」
また人差し指を口元に当て、しーっと子供に言い聞かせるような仕草をする。
確かにそうなってはせっかく助かった命を無駄にしてしまう。
いや、もう死んでるんだけど。
って、そんなことは今はどうでもいい。
俺は声のボリュームを下げてもう一度問う。
「なんで天使に見つからなかったんだ?」
「簡単な話ですよ。ここはちょうど影とか校舎の位置関係から死角が出来やすいだけです。天使も余裕だと思って歩いていたので見失ってしまったんでしょう」
…そんなことありえるのか?
確かに赤目は余裕綽々に歩いていたから、走って逃げた俺たちを視界から見失うくらいはあるのかもしれない。
だけど、ここが死角になりやすいというのはいくらなんでもこじつけがすぎる。
本当にそうならそもそも俺は千里がどこにいるか見えなかったはずだ。
「柴崎さんは眼がいいですから、天使と違って僕を見つけるのは容易だと思いますよ?」
「………」
またこいつは俺の思ったことを先回りして答える。
直井の時と同じだ。
「でも、天使だってバカじゃないんだ。こんないかにも怪しい場所があったら確認するだろ」
「あの娘天然ですから」
「天然って…」
それで済まされる問題なのか?
「なあ、この薄いのは誰なんだ?さっきから普通に喋ってるけど」
俺が黙ったところを狙って岩沢が訊ねてきた。
そういえば会うのは初めてなのか。
「薄いのって、酷いなぁ」
岩沢の出し抜けな台詞が面白かったのか、ケラケラ笑っている。
…いや、こいつはいつもこんな風に笑っているか。
「こいつは千里。俺が来てすぐの時にたまたま会ったんだよ」
「会うのは初めましてですね。僕の方は噂をかねがね耳にしてましたけど」
「噂?」
「はい。なんでも柴崎さんとラブラブのカップルだとか」
千里の突拍子もない発言に思いっきり吹き出す。
「…こいつ良いやつだな」
「こんな程度で流されるなよ!」
いや別に悪いやつって言いたいわけじゃないけど、こんな簡単に言いくるめられてたら将来が心配だ。
「…お前、本当に戦線か?」
「何言ってるんだひさ子?この、千里だっけ?は戦線の制服来てるじゃんか」
「確かにそうだけど、あたしはこんなやつ見たこともないし、ましてや千里なんて名前も聞いたことないよ」
本当に戦線か?と、もう一度恐い顔をして問いかける。
これは俺も前に同じことを訊いたことがある質問だ。
それを受け、千里はフッと笑みをもらす。
「そうですね。僕はこの通りあまり特徴もないですから。さして話題に上がらなかっただけじゃないですか?」
確か前に俺が訊いた時も、こんな風にはぐらかされたはずだ。
しかし、今この絶好のチャンスを逃す手はない。
「遊佐にお前の名前を出した時、アイツはそんな人は戦線にいませんって言ってた…なあ千里、お前本当に何者なんだ?」
「いやだなぁ。そんな恐い顔しないでくださいよ」
「この顔は生まれつきだよ」
「うーん…そうですねぇ。前にも言った通り、僕は僕なんですけど…」
困ったように笑い、うーん、ともう一度唸ってから、そうだ、と何か思い付いたように手を打つ。
「おそらくもうすぐギルドに行った皆さんが戻ってくるので、何か1つだけなんでも質問に答えます」
「なんでもうすぐ皆が戻ってくるってわかるのさ?」
「それが質問ですか?」
「いや、そうじゃないけど…」
思わず噛みついた関根をその一言で黙らせる。
何か1つだけ…?
謎だらけのこいつに出来る質問が1つ…
一体何を訊けば…
「お前は敵なのか?」
数ある選択肢の中から答えを掴めずにいると、唐突に岩沢がそう切り出した。
「それで良いんですか?」
「ああ」
「岩沢?!」
「ん?なにか問題あったか?」
まるで俺の反応がおかしいかのように小首を傾げている。
「そりゃそうだろ!1つしか訊けないだぞ!」
そう言うと、さらにわからないという風にまた首を傾げる。
「だったら、敵かどうか分かればいいんじゃないのか?」
岩沢は、困惑した様子のままそう言った。
「何者なのかとか戦線なのかとか訊いたって、結局謎は残るんだし、だったら敵か味方かはっきりさせておけばいいんじゃないのか?」
「それは…」
その通りかもしれない。
下手に質問して不安だけを残してしまうのが一番の失策になるのかもしれない。
ならここは…
「決まりましたか?」
変わらずニコニコと人の良い笑顔を浮かべている千里に、ああと短く答える。
「お前は敵か味方か?」
「……どちらでもないですね」
「どういうことだ?」
「深い意味はないですけど、少なくとも敵ではありません」
結局、出た答えはまたそんな風にはぐらかすような答えだった。
「はっきりしないな?」
「いえ、そもそもあなたたちにとっての敵ってなんなんですか?」
「はあ?何って…神だろ?」
「なら神じゃない僕は敵では無い。でしょ?」
ニッコリと、またも人の良さそうな、いや、人を喰ったような笑顔を見せる。
「ちょっと待てよ。そういう意味で訊いたんじゃねえぞ!」
「まあ、安心してください。何にしても敵になるつもりは元からないですから」
「おい、勝手に話を纏めるなよ。ちゃんと質問に答えろ!」
「残念ですけど、時間切れみたいです」
千里がチラッと目線を横に向ける。
それにつられるように俺もその方向を見る。
「なんだ、あれ…?」
そこには空に伸びる光の柱のようなものが数本出現していた。
「分身が天使に戻るみたいですね」
「ってことは、ゆりたちがやったのか」
質問するために目線をもう一度戻すと、そこに千里はいなかった。
まるで元から存在してなかったように消えていた。
「なっ、せ、千里は?!」
「せんり?なんだそれ?」
「は…?」
何を言ってるんだ…?
「さっきまで話してたろ?!薄いのとか、戦線なのかって!」
「いや…天使から逃げてたんだからそんな暇ないだろ…なあひさ子?」
「ああ。どうしたんだお前…?」
二人だけじゃなく関根と入江も同じように、怪訝そうな顔をしている。
天使から逃げてる間に頭でもおかしくなったのかというような視線が送られている。
でも、確かにさっきまでここに千里はいて、会話を交わしていた。
なのに、岩沢たちの記憶からは抜け落ちている。
どうなってんだよ…一体…
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