ハープとの話し合いが終わってから数分も経たないうちに、涼やかな効果音が近くで鳴った。それとともに浮かび上がってくる数人の人影。
ゆっくり目を開けるキリトたちは俺とハープが先に来て待っていたことを悟ると申し訳なさそうに口を開いた。
「すまん、もしかして遅れたか?」
「いや時間通りだ。俺とハープは少し早くログインしていただけだから」
「ほんとはボクだってもう少し早く入れたんだよ? でも姉ちゃんが……」
「……なにかあったのか?」
言いづらそうに視線を逸らすユウキに俺は眉をひそめる。
もし家庭内の事情なら踏み込むべきではないと思うが。俺は言葉の続きを促した。
「お菓子作ったから味見してって言ってきて」
「うん、そんなことだろうと思ったよ」
予想していたような内容が返ってきて俺は苦笑した。片目をつむりながらはにかむユウキの隣では、似たような心境なのかリーファもキリトもなんとも言えない表情をしている。
「お菓子…………じゅるり」
「お前そんなキャラだったっけ?」
「甘い、もの……好き」
「さいですか」
目がしいたけ、と言う表現がぴったりなくらいハープは目を輝かせていた。それを見たユウキは得意気な顔で胸を張る。
「姉ちゃんはお菓子作りがとっても得意なんだ。今度ハープにも食べさせてあげるね」
「やった」
「リーファもよかったらどうかな?」
「ええ是非とも」
よしっとガッツポーズをするハープと嬉しそうなリーファ。ログインして数分で成立した妖精のお茶会に思わず呟く。
「これがガールズトークというやつか……」
「ふっ、コミュ力の違いを見せつけられたな」
「いや、キリトといっしょにされても……」
「そこは同意してくれよっ!?」
そんなこともあって今日も世界樹攻略が始まる。
現実時間では平日の午後三時過ぎ。それなのに通りを通行するプレイヤーの数は思いのほか多かった。
「メンテ明けはいつもこうなのか?」
「そうだよ。モンスターとかアイテムの出現なんかもリセットされるから週に一度入るメンテナンスが終わると大体こうなるんだ」
「となると夜になったらもっとプレイヤーは増えるんだろうな」
そんな他愛もない話をしながら街の中央へ歩いていく。
巨大な積層構造を成すアルン。その中心に世界樹がそびえ立つのだが、それは近づくにつれて視線を上へ向けてしまうくらいの迫力があった。
「うわぁ……」
「樹木とは思えないな」
何本も伸びる巨大なうねりは現実世界じゃまずお目にかかることがないだろう。そう感じたのは俺だけではなかったようだ。反応は様々だがみんな一様にこの光景に圧倒されていた。
「この上にも街があるんだよな?」
「うん、伝説の空中都市があってそれから光の妖精アルフと妖精王オベイロンが住んでいる……って言われてるわ」
「王様と最初に……謁見した、種族……アルフに転生、できる」
「そして到達した種族は未だいないんだよね?」
俺とユウキの問いかけに古参プレイヤーであるリーファとハープが答える。
「…………」
「どうした? キリト」
会話に参加せず終始黙ったまま世界樹を見上げるキリト。すると真剣な表情でこちらに振り返ると口を開いた。
「あの樹は外側からは登れないんだよな?」
「幹の周りは進入禁止エリアになってるからね。飛んでいこうとしても制限時間のほうが先に来ちゃうらしいよ」
「でも肩車で枝まで迫ったプレイヤーがいるって聞いたけど……」
「ああ、あの話ね」
リーファはくすりと笑った。
「今は障壁が雲の少し上に設定されてるんだって。だから正攻法じゃなきゃあれ以上の高さまで昇ることはできないかな」
そう言ってリーファは視線を移した。視線の先にはアルン中央市街の入口である大きなゲートが見える。
「とにかく根元まで行くしかないってことだな」
―☆―☆―☆―
事態が加速するきっかけとなったのはユイの言葉だった。
「ママ……ママがいます」
掠れた声がユイから洩れたのはアルン中央へ向かうゲートの前。その言葉にキリトは顔を強張らせる。
「本当か!?」
「間違いありません! このプレイヤーIDは、ママのものです……座標はまっすぐこの上空です!」
それを聞いたキリトは、直後に上空へ飛び出していた。乾いた破裂音が聴こえたかと思うと、既にその姿は黒い点となりつつある。
「ちょ……ちょっと! キリト君!?」
慌てて叫ぶリーファ。
「カエデっ!」
「分かってる!」
硬直から回復した俺はユウキの声と同時に翅を広げて地面を蹴った。そして地面が急激に遠ざかっていく。
「キリトのやつ、先走り過ぎだ!」
悪態をつきながら翅を鋭角に畳み、更なる加速へ入っていく。最初の飛び出しで距離を離されてしまったが、こういった飛行の細かい技術はキリトよりも俺のほうに分がある。よって飛行高度の限界にたどり着くよりも先にキリトへ肉薄することに成功する。
そしてキリトの肩を掴んだ俺は、力の限り翅による制動をかけてその無謀な突撃を強制終了させた。
「カエデっ、放せ!」
「このまま進んでも障壁があることくらい知ってるだろうが」
「それでも、行かなきゃ……行かなきゃいけないんだ!!」
「だからそれが無謀だって言ってるだろ」
肩を掴んだままの腕に力を込め、キリトに顔を近づける。
「いいか、今の状態だと間違いなくシステムの壁を抜けることはできない。そしてこの行為はアスナを救い出す上で徒労に終わる」
「けど俺は…………」
「アスナに一秒でも早く会いたいんだろ?」
俺の問いかけにキリトはすぐに頷く。
「ならこんな分かりきってることなんてするな。どうせ会うなら大手を振って迎えに行こうぜ?」
ニヤリと笑いかける俺を見て、キリトは意図していることを察したようだ。そして顔を
俯かせた
「…………すまなかった」
「いいって。これで頭は冷えただろ?」
「もちろん。……ありがとな、カエデ」
「どういたしまして。けどアスナがこの真上にいるってのは驚愕だな」
俺とキリトは改めてはるか上空に見える世界樹の枝を睨む。
「ユイ、なんとかしてアスナに連絡を取れたりできないか?」
「一言でいい、俺たちがここにきていることを伝えられれば……」
「警告モード音声なら届くかもしれません……! ママ!! わたしです!! ママー!!」
わずかな希望を頼りに、ユイは虚空に叫び続けた。
ユイの必死の呼びかけとそれに答えるように空から落ちてきた一枚のカード。
システム管理用のアクセス・コードだと判明したそのオブジェクトを凝視したまま、キリトはユイに尋ねる。
「じゃあ、これがあればGM権限を使えるってことか?」
「いえ……ゲーム内からシステムにアクセスするには、対応するコンソールが必要です。けどここには……」
キリトの言葉にユイは悔しそうに首を振る。
「でも理由もなくこんな大事なものが空から落ちてくるなんてこと……」
「ああ、意図的に誰かが落としたはずだ」
ユウキの言葉を俺は強く肯定した。
「カエデ」
「……わかったよ。どうせ一回は挑むつもりだったし、クエスト挑戦が少し早くなっただけだ」
決意を込めた表情を見せるキリト。その姿を見て俺も覚悟を決めて苦笑した。
アスナがこの世界にいる確固たる証拠。それを見つけてじっとしているなんてできない。
それは俺もユウキも強く感じていた。そして今もなお、彼女はこの世界で懸命に抗っている。だとすればやることは一つだ。
「行くか」
「もちろん! 絶対に助け出そうね」
「ああ、堂々と正面突破してやる。そして今度こそ……アスナを救う」
手に収まるカードをぎゅっと握りしめて、キリトが力強く宣言した。そしてリーファとハープへ向き直ると、口を開く。
「リーファ、教えてくれ。世界樹の―――」
だが、そこでキリトの言葉が途切れてしまう。視線の先には口に手を当て、絶句したまま固まるリーファ。
「……いま……いま、何て……言ったの……?」
聞く人が聞けばそれは些細なことだったのかもしれない。だがそれは一人の少女が受け止めるにはあまりにも大きく、非情なものだった。
「ああ……アスナ。俺たちが探している人の名前だよ」
―――グランドクエスト挑戦におけるイレギュラー。
それが発生した瞬間だった。
―☆―☆―☆―
「なあ、カエデ」
「なんだ?」
力なく崩れ落ちたまま、キリトがぽつりと俺に問いかけてくる。
「俺は……どうすればいいんだ?」
この世界で出会ったキリトというスプリガンの少年は自分の兄だった。そんな事実を受け止めることができなかったリーファは、目に大粒の涙を溜めて耐え切れないと言わんばかりにゲームをログアウトしてしまった。
「それはこのままグランドクエストに挑むべきか、それとも妹を追いかけるべきか、そういうことを聞いているのか?」
黙り込んだままのキリトを見て、俺は小さく嘆息した。
「はぁ……。まあ気持ちは分からなくもない」
今までのキリトはアスナを救い出すことに全力を注いでいた。その確かな手がかりも先ほど手に入れたのだ。一刻も早くグランドクエストをクリアして世界樹へたどり着きたいと思っているはず。
「まさかキリトとリーファが現実のほうで兄妹だったなんて……」
「別にユウキが落ち込むことじゃないよ。遅かれ早かれ分かることだった」
「そうだとしても…………」
ハープは事前に話した通り、一度サラマンダー領に戻って計画の一端を領主に持ちかけている。この場にいるのは俺とキリトとユウキだけだ。
「……キリト、お前がしたいことをやれ」
「俺がしたいこと?」
「少なくとも今こうして打ちひしがれている時間は無駄だ。そしてそんな情けない姿を、俺は見ていられない」
「…………」
二年間、共に死と戦ってきた戦友だから分かる。
ちょっとコミュ障なのにお人好し、そのくせ一人で全部背負い込もうとする。アスナをすぐにでも助けたいという気持ちはキリトの中でさらに大きくなっているだろう。けどそれと同じくらい妹と分かり合いたいと今は思っているはずだ。
だから、俺にはキリトがこれからどうするのか分かっていた。しかし改めて問う。
「で、どうする?」
「……行ってくるよ。少しだけ時間をくれ」
立ち上がってウインドウを開くキリトを見て、俺とユウキは頷いた。
「キリト、頑張ってね」
「一発ぶつかってこい。どんな結果になっても俺とユウキはお前の仲間だ」
「……ありがとう二人とも」
感謝の言葉と共に小さく笑うとキリトはリーファと同様にログアウトしていった。
それにしてもリーファがキリトの妹か……。キリトを見るときのリーファの表情と接する態度。その二つからあの少女がキリトに抱いていた感情も今ではなんとなく予想できる。
「大丈夫かな……」
「こればっかりは家族の問題だからな。けどそう悪い結果にはならないと思う」
少し感情の整理をつけるだけだ。
そしてすぐにキリトとリーファはこの世界に戻ってくるだろう。
「ユウキ」
「なに、カエデ?」
だから残された俺たちが今やるべきこと。それは―――――
「今からデートしようか」
―☆―☆―☆―
時刻は午後四時を過ぎていた。
現実世界で日が暮れていくにつれてプレイヤーの数は徐々に増えていき、大通りは先ほどよりも妖精たちでごった返している。
「スイルベーンとはまた違った新鮮さがあるよな」
再び大通りに視線を移す。
最初に訪れることになったスイルベーンはシルフ領最大の都市であるため、道行くプレイヤーは当然ほとんどがシルフだった。だがここは違う。
すれ違うのは重厚な金属鎧に身を包んだノームであったり、楽器を携えて吟遊詩人のような出で立ちのプーカ。その雑多さはこれまでに訪れたどの町とも似つかない異様な光景だ。
「プレイヤーメイドの品物を売ってる店なんかもあるな」
様々な種族が開く露店を冷やかしたり、街を這うように伸びる世界樹の根がどこまで続いているのか追ってみたり、改めて歩いてみると新しい情報がどんどん入ってくる。
そうやってちょうど大通りを回りきったところで、俺とユウキは近くに設置されていたベンチに腰を掛けた。
「ねえ、カエデ」
「ん? どうした」
通りを見ていた視線を右にスライドさせると、隣に座るユウキがぶすっとした表情でこちらを見ていた。
「どうしたもなにも……。キリトとリーファを待たなくてよかったの? それにハープだって……」
「ハープは俺たちのために今も動いてくれてるよ。世界樹攻略にはハープの存在は欠かせない」
「だったらなおさら――――」
「俺たちも動くべきだ。そう言いたいんだろ?」
言葉を遮ると、図星だったのかユウキはそのまま口をつむぐ。そんな彼女に苦笑して俺は口を開いた。
「きっとキリトとリーファはすぐに折り合いをつけるよ。そうなったとき、俺たちはその場に居合わせない方がいい」
そのほうが円滑に進むはずだ。そうユウキに伝えると、思うところはあったのかもしれないがひとまず頷いて納得してくれた。
「それに果報は寝て待てって言うだろ?」
「……どういうこと?」
「もちろん怠けて結果を待つほど俺もふてぶてしくないよ。ただ向こうのほうでもこっちの世界でも、もう可能な限り手を尽くしたから。あとは全力を出すために英気を養おうと思って……」
そう言って俺はユウキの左手に自身の右手を重ねた。
「ユウキ、これで絶対に終わらせような」
「うんっ!」
陽だまりのような笑顔を浮かべると、ユウキはそのまま頭をぽふっと俺の肩に預けてきた。
そして時を同じくして俺のメニューウインドウに三件の通知が届く。それら三通のメッセージに目を通した俺は
「……ようやくだ」
ここからは一気に動き出す。送られてきたメッセージに返信しながら、俺はそんなことを予感していた。
一つはキリト、もう一つはハープ。そして最後の一つは――――――。
妖精の国。
世界樹を攻略するグランドクエスト。
決戦の時は確かに近づいていた。