Fate/Zure   作:黒山羊

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034:Hole of the drip.

 黒い太陽が燃えている。街が燃えている。天空から滴る泥が、全てを焼払っていく。その、呪われた結末を、ほぼ全てのマスターが目にしたのは、一体いかなる運命の悪戯だろう。

 

 アサシンのマスター、言峰綺礼は、教会の窓からそれを見つめ、滾る幸福感を噛み締めていた。

 

 キャスターのマスター、雨生龍之介はザイードを悼みながら、煉獄の焔の『赤』をその目に焼き付けていた。

 

 バーサーカーのマスター、間桐雁夜と間桐臓硯は、判り切った結末だと思いながら、黒い太陽を見上げていた。

 

 バーサーカーだった英雄は、気にくわないといった表情で窓の外を眺めつつ、眠る桜と慎二の傍らにいた。

 

 ライダーのマスター、ウェイバーは、何が起きているのか理解できず、ポカンと間抜け面を晒していた。

 

 ライダーは、その顔に毒蛇の様な笑みを浮かべながら眼下に広がる地獄を肴に酒を飲んでいた。

 

 ランサーのマスター、ケイネスとソラウは、事態を速やかに理解し、自分達が酷いペテンに掛けられていた事を知った。

 

 アーチャーのマスター、遠坂時臣は、聖杯の汚染という予想外の事態に愕然として、普段の優雅さと余裕を失っていた。

 

 そして、セイバーのマスターと、セイバーは――――。

 

 

【034:Hole of the drip.】

 

 

 どうにかこうにかホールから脱出した切嗣は、目の前の光景に、彼らしくもなく愕然と立ち尽くした。――――熱に焼かれ、捩じれた幼児の死体。火を吹き上げる嘗て民家だった建造物。どす黒い泥に呑まれ、溶けてしまった公園。あちらこちらで人が死に、あちらこちらで街が死ぬ。

 

 彼にとって見なれた筈のその地獄は、彼がもう二度と起こらぬように願っていた光景で。そして、彼が願いを叶える為に求めていた聖杯によって引き起こされた事態だった。

 

「そんな……!? 聖杯が暴走したっていうのか!? それとも、まさか」

「……主、上です。市民会館の上に」

 

 セイバーが指し示すその先には、天に浮かぶ黄金の杯。ドロドロと汚泥を吐き出しながら市民会館だった場所の上空を浮遊するそれは、切嗣が求めていた聖杯からは、あまりに遠い。――――それを見たとき、衛宮切嗣は理解してしまった。聖杯は、彼がこの戦争に参加した時点で、もうどうしようもなく汚染されてしまっていたのだと。そして彼の妻、アイリスフィールの死が、無駄だったのだと。

 

 それを悟った切嗣は、絶叫する様な声と共に令呪を振りかざし、セイバーに命令を下す。

 

「セイバァァァッッ! 全力で聖杯を破壊しろッッ!!」

 

 それを受けたセイバーは、その右手に一振りの青い短剣を顕現させると体を弓の様に反り返らせる。その剣の銘は『極小の憤怒(ベガルタ)』。セイバー唯一のAランク宝具である。その能力は、必中、即死に加え、Aランク相当のダメージを相手に与えるというふざけたものだ。――――では、それほど強力な武器を、なぜセイバーは使わなかったのか? その答えは、非常に単純だ。――――この宝具、一度きりしか使えないのである。

 

「砕けろッ! 極小の憤怒(ベガルタ)ッ!!!!」

 

 怒号と共に放たれたベガルタは音速を突破し、ソニックブームを撒き散らしながら聖杯に突撃する。その刀身に貫かれた聖杯は死の呪いに犯され、その輝きに罅が入った。其処にダメ押しの如く、この宝具の神髄が襲いかかる。青い閃光と共に爆発四散するベガルタにより、聖杯は木っ端微塵に弾け飛んだ。――――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)。ベガルタが一度しか使えないという原因であり、『刃が砕けながらも魔獣の頭蓋を砕いた』という逸話の再現であるその能力は、聖杯を破壊するに十分な威力を帯びていた。

 

 だが、聖杯を破壊した所で、天空に開いた『穴』が閉じるまでには暫くの時間が必要となる。その歯を噛み砕きかねないほど食いしばった切嗣は、聖杯の破壊を見届けると同時に、舞弥とセイバーを連れて冬木の街に駆けだした。――――彼は、少しでも多くの人間を救う為に、今まで生きて来た。その願いを叶える手段が外道であったとしても、その手を血に染めようと、その願い自体は色あせず、衛宮切嗣という機械を駆動させる。

 

 何処までも不器用な殺人機械(キリツグ)と、殺人機械の補助部品(マイヤ)と、殺人機械の武器(セイバー)は、一人でも生存者を救う為、冬木の街をひた走る。――――劫火と呪いを斬り裂いて進む彼らの姿は、皮肉な事に、正義の味方の様だった。

 

 

* * * * * *

 

 

 小聖杯の破壊。使い魔によってそれを確認した時臣と璃正は、自身の悲願が潰えたにもかかわらず思わず安堵のため息を漏らしていた。聖杯の汚染という事態は、セカンドオーナーとして、そして聖堂教会として容認できない状態だ。そもそも、聖杯は一度しか使えないという訳ではない。例え今回を逃したとしても次回で聖杯を手にすれば良いのである。――――故に現状で最優先となる事態は、一つだ。

 

「璃正殿、申し訳ないが、聖堂教会の御助力を願いたい。この惨状を隠蔽するのは、私一人の手には余ります」

「勿論ですとも。この災害が聖杯によって引き起こされた事は明白。であれば、監督役の私にも隠蔽の責任がありますのでな」

「……時臣師、父上。一先ず私がスタッフを率いて現場に向かいます。お二人は、各方面への手まわしを」

「おお綺礼、それは助かるよ。璃正殿、私としては綺礼の案に賛成ですが」

「ふぅむ。確かにそれが一番でしょうな。――――綺礼、くれぐれも油断せぬようにな。『孔』は未だ完全には閉じておらん」

「無論です」

 

 そう答えるが早いか、綺礼は数名のスタッフを引き連れ燃え盛る街へと駆け出した。――――ジル・ド・レェの教えに従う綺礼は、全力で『孤児』の保護に努める心算である。無論、それは一見すれば善行であり、綺礼の『一般市民、特に女子供といった弱者を救出する』という命令はスタッフたちにも好意的に受け入れられた。修道衣を身に纏う綺礼は時に燃え盛る家屋の戸を貼山靠で吹き飛ばし、時に道を塞ぐ瓦礫を震脚で踏み砕きながら逃げ遅れた市民達を救出し、暗示の魔術で記憶を改竄していく。

 

 天空に開いた孔は先程より僅かに縮んでいる様だが、このペースでは下手をすれば明日の朝まで穴が開いたままという可能性もあるだろう。――――流石にそうなっては隠蔽が困難になる。そう思いつつ、綺礼は『善行』を積みながら愉悦の為の下準備に明け暮れる。

 

 孔を閉じるのは、彼の役目では無く彼の父親や師匠の役目。彼らが如何に他の陣営の協力を取り付けられるかに、聖杯戦争の隠蔽は掛かっていた。

 

 

* * * * * *

 

 

「……ほう? あの穴を閉じろとな。……監督役殿も、随分年寄り遣いが荒いのぅ」

『間桐翁、そこを何とかご協力願いたい。……聖杯はマキリにとっても悲願である筈だ』

「ふむ。……それを言われると弱いのう。じゃが、この埋め合わせは高く付くと遠坂の小倅に伝える事じゃな」

 

 そう返して昔懐かしの黒電話に受話器を置いた間桐臓硯は、どうしたものかと首を捻る。……と、彼から肉体のコントロールを奪った雁夜が、さも当然の様に言い放った。

 

「……エクスカリバーでぶっ飛ばせばいいだろ」

『む。苦しむのはお前じゃが、良いのかの? 雁夜よ』

「今の俺は時臣が泣きついて来たという事実に嘗てない程滾っている。――――今の俺の魔力供給は最強だ!」

『…………儂は最近お前は小物過ぎて、一周回って大物なのではないかと思えてきたのじゃが』

「なんとでも言え。そしてざまぁ見ろよ時臣ィ……俺のバーサーカーに恐れ戦け!」

 

 聖杯戦争始まって以来のハイテンションを見せる雁夜。――――その呼びかけに答えて、パジャマ姿の騎士王は屋根の上に上ると気だるげにその宝剣を振りかぶる。

 

「……約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 

 覇気もなく放たれたその黒い極光はしかし、毎度の如く雁夜の魔力を悉く吸い上げ、雁夜は電話の前に倒れ伏すとジタバタと苦しみもがき始める。――――その実に間抜けな自身の主に呆れたのか、バーサーカーはそそくさと子供達と共用の自身の寝室に舞い戻り、布団を被って眠りについた。

 

 その直後、彼女の放った黒い極光が天上の孔に到達し、流出していた泥を力技で押し返した。それと同時に、孔の口径が二周りばかり縮んでゆく。その大役を果たした間桐のマスターは、ここ数日ぶりの『死』を味わって撃沈し、黒電話の前で無様に倒れ伏す。――――後ほどトイレに立った桜が、『また雁夜おじさんが死んでる』と気付き、雁夜を叩き起こすまで、その『死体』は暫し夜のリビングに捨て置かれるのだった。

 

 

* * * * * *

 

 

 天上の孔を貫く黒い極光を目撃した人物は、僅かに四人だった。衛宮切嗣一行は生存者を捜して下を向いていたし、綺礼はその時ちょうど崩れかけの家の中に押し入った所だった。そして当然、教会で方々に手回しを続けている時臣と璃正に空を仰ぎ見る余裕はなく、地下で今後の動向を考えていた龍之介達は外の観測を一時中断していた。間桐雁夜は、言わずもがなぶっ倒れている。

 

 故に、この冬木でその極光を目撃したのは、ウェイバー、ケイネス、ソラウ、そして英雄王ギルガメッシュのみ。その極光の意味する所を悟ったギルガメッシュは、さも愉快だと言わんばかりに大笑する。

 

「クハハハハ、そうか。あの竜め、存外早かったではないか。――――我の寵姫となるが余程待ち遠しかったと見える」

「……あれ、やっぱりバーサーカーのエクスカリバーだよな。間桐の屋敷から飛んできてたし」

 

 そんな会話を交わす余裕を持つウェイバーとギルガメッシュ。絶賛炎上中の冬木市のど真ん中にあって尚その余裕が保てるのは、一重に英雄王の御蔭である。神楯アイギス、火鼠の皮衣、ネメアの獅子の革鎧といった宝具の原点を次々と展開して防御を固めたギルガメッシュの手際により、ハイアットホテルには火の粉の一つとて掛かっていない。――――故に、ウェイバーは、現状無事な訳だが。

 

「なぁ、ギルガメッシュ。お前ならこの惨状、どうにか出来るんじゃないか?」

「くどいぞ、道化。この我の臣民でもない者に、何ゆえ我が庇護を与えてやらねばならぬ。――――義憤に駆られるのは構わんが、それは自力で問題を解決できる者だけに許された行動であると心せよ」

「……ッ」

 

 ギルガメッシュの言葉に、ウェイバーは眼下の惨状を見つめながら歯ぎしりする。――――自身の安全『だけ』が確保されている状況が、此処までもどかしく、惨めなモノであったとは、ウェイバーは今の今まで知らなかった。

 

 

 そうして――――何も出来ぬまま、劫火に焼かれ逃げ惑う人々を、ウェイバーは、ただただ見つめ続けていた。

 

 

* * * * * *

 

 

 爆心地の市民会館から離れた教会近くから救助活動を始めた綺礼とは異なり、市民会館の間近で救助活動を行う切嗣達は、未だ生存者を見つけられずに居た。滴る泥を『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』で斬り払いながら進む一行の内、切嗣の眼には隠しきれぬ焦燥が浮かんでいる。――――屈折しながらも、誰かを助ける為に生きて来た衛宮切嗣にとって、誰一人救わぬまま犠牲を払うというのは許容できるものではない。

 

 

――――そうして、血眼になっていた切嗣が、漸くその少年を見つけた時。

 

 

 少年は既に、死に掛けていた。

 

 

 幼い体躯は焼けただれ、辛うじて無事な両目は涙を湛えながら切嗣を弱弱しく見つめるばかり。痛みを訴えるべき喉が焼けている。痛みを感じるべき皮膚が焼けている。痛みを感じていた神経は焼き切れている。もはやその命すらも焼き尽くされようとする中で、切嗣と舞弥の治癒魔術のみが、その命を辛うじて繋ぎ止めている。――――とはいえ、二人の魔力は無限では無く、何れは終わりが訪れるだろう。

 

――――漸く救える筈のその少年が死ねば、最早切嗣が精神の平静を保てぬ事は明白だ。それが分かっているからこそ、舞弥は無言で治癒に協力している。

 

 では、セイバーは? そう問うたのは、他ならぬセイバー自身だ。――――騎士の誇りを捨ててまで追い求めた忠義の道。その最後の最後で、自分はまたしても忠を果たせぬまま消えるのか? そう考えた直後、セイバーの脳裏には、つい数週間前の記憶が舞い戻っていた。

 

――――ねぇセイバー。切嗣は、本当は優しい人なの。

 

 そう言って冬の城で微笑んでいた女性はもういない。――――されど、ディルムッドがあの時誓ったゲッシュは、彼女が死してなお破られる事はない。

 

 あの時、セイバーは何があっても切嗣の味方である事を誓った。その誓いを、嘘にする訳にはいかない。――――その思いが、セイバーの口を動かしていた。

 

「主! 俺をお使い下さい! ――――俺の肉体を令呪でこの少年に分け与えれば、令呪の奇跡により命をつなぐことも可能ですッ!」

「ッ!? ――――セイバー、それはどういう意味か分かってるのか」

「無論です。――――このディルムッド・オディナの総身は毛の一本まで全て主に捧げました。それを使い尽していただけるならば、本望というもの」

「…………そうか。――――すまない、ディルムッド(・・・・・・)

 

 

 そう告げて、切嗣はその手に残った最後の令呪を発動する。

 

 

「衛宮切嗣が、我が剣に令呪を持って命ずる! この少年の血肉となって、彼を生き存えさせろ!」

 

 

 その命令に首肯を返し、ディルムッドは一瞬輝くとこの世から消えうせる。

 

 ――――その光を悲壮な顔で見送った切嗣の前には、傷が癒え、気を失った赤い髪の少年(・・・・・・)が静かに横たわっていた。


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