Fate/Zure   作:黒山羊

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032:Hall of the trap.

 時刻は昼過ぎ。参拝客を装い柳洞寺の調査を行ったセイバー陣営の一行は、其処にサーヴァントの気配はおろか、あらゆる魔術の痕跡すらも感知できなかった。――――敵はキャスターである。それ故に、極めて高度な魔術の隠蔽を行っている可能性も無くはない。だが、それ程の魔術師の工房に踏み込んで無事で済むとは考えにくく、切嗣はキャスターの根城は柳洞寺に非ずと判断した。

 

 そうなってくると、いよいよ怪しいのは市民会館である。とはいえ、すぐにでも突入するという訳にはいかなかった。万全の状態で戦闘に臨む為には、色々と準備が必要なのだ。現在の装備は柳洞寺を想定した装備なので、さしあたっては一度衛宮邸に帰還し、装備を換装する必要がある。

 

 更に言えば、作戦行動の為には栄養補給も重要だ。サーヴァントであるセイバーはともかく、切嗣と舞弥はカロリーを補給せねば激しい戦闘行為に耐えられない。食休みの時間も考えると、攻め込むのは夕方頃になるだろう。

 

――――その時が、この戦争の最終決戦の幕が切って落とされる瞬間になるとは、この時のセイバー陣営には思いもよらなかった。

 

 

【032:Hall of the trap.】

 

 

 ウェイバーが己の不幸を深く嘆くのを、初めはケイネスとソラウはよく分からないままに眺めていたが、昼過ぎになって漸く彼が落ち着き、その悲しみの理由を聞いた頃には、ソラウはともかくケイネスはすっかり彼に同情していた。

 

 『去勢』、そして『性転換』。二つの副作用を持つ霊薬を同時に用いられた事で、ウェイバーは命こそ助かったものの、その肉体は骨格レベルで変化し、女性のものへと変貌してしまっている。同時に投与された『去勢』の霊薬の影響で胸が急激に膨らむなどといった被害は無かったものの、元々非力だった身体にも多少ついていた筈の筋肉が柔らかな脂肪に変わり、胸元はうっすらと膨らみ、そしてウェイバーと長年連れ添った『相棒』は初陣を果たす事も無く死んでしまったのである。

 

 ケイネスは、男性として、そして魔術師としてウェイバーの不幸を完全に理解している。性転換はそれを望まぬ者にとっては正しく拷問であり、去勢は魔術師にとって致命的である。魔術師とは一代で成る物では無く、子々孫々と修練に励む事で根源を目指す存在であるからだ。

 

 故に、ケイネスはその同情心からウェイバーに掛けられた呪いをレジストしてみようと試みたのだが。――――結論から言うと無理だった。その呪いの強度は仮にも宝具だけあって並大抵のものでは無く、それをどうこうする事は流石のケイネスでも不可能だったのだ。

 

 そんな訳で、すっかり可愛らしくなってしまった声で啜り泣くウェイバーの悲しみをどうにか出来るのは英雄王だけとなったのだが。

 

「愉快故、そのままでいるが良い。――――良いではないか、合計で秘薬三本を摂取した貴様の肉体は長命だ。子が絶えても問題なかろうよ。加えて我の機転で『去勢』と『性転換』を組み合わせた事で月経も無い。男として生活するのも不可能ではないと思うがな」

 

 などと供述しており、ウェイバーを元に戻すのはどうやら絶望的らしい。それを聞いて一層さめざめと泣くウェイバーを肴に酒を飲むのだから、この英雄王は本当にどうしようもなく暴君だった。

 

 それから約二時間。漸く諦めの境地に達したウェイバーは、涙と鼻水でずぶ濡れになった服を非常に不本意ながら英雄王の用意した妙にひらひらした服――と言っても女装ではなく一応男性用のフリルシャツ――に変え、今後の策を練っていた。

 

 ランサーを打倒した上でケイネスを味方に引き込めたのは大きく、実質マスター三名体勢でギルガメッシュを運用できる。欠点は誰一人として令呪を持っていない事だが、ギルガメッシュに令呪は無効と言っても良いので、あまり痛手では無い。ケイネスは魔術回路の影響で魔力量自体は快調とは言えないながらもその魔術の冴えに衰えはなく、現在は月霊髄液の代用品として自動攻撃剣を数本生産して所持している。ソラウはその魔術自体はウェイバーより多少優れている程度だが、魔力量はウェイバーの比では無く、名家の令嬢にふさわしい莫大な出力を誇っている。

 

 そして、ウェイバーは代償として『不眠』『性転換』『去勢』の呪いを受けながらも、代わりにかなり強靭な生命力と、毒や病に対する耐性を獲得している。とはいえ不死身に成ったと言う訳でもなく、耐久性が上がった訳でもない。ただ、怪我の治りが良く、長生きができるというだけのものだ。それでも『傷が早く治る』というのは、ウェイバーのピンチに合わせて強くなる英雄王とは相性が良かった。

 

――――戦況はよくなった。では、現状で残っているアサシン、セイバー、キャスターを相手にどう戦うべきか?

 

 ウェイバーがそう思考を巡らせ、師であるケイネスに意見を仰ごうとした直後。

 

 そろそろ夕暮れとなりつつあった冬木の街に、『ドン』という魔力の衝撃が響き渡った。それは、魔術師が連絡用に用いる、魔術師以外には関知できない魔力パルスによる狼煙の様なものだ。それを感知したケイネスとウェイバーはすぐさま窓際きかけ寄ると、パルスの発生源を探す。――――程なく見つかったその場所は、冬木市民会館。その屋上から打ち上げられたらしいパルス信号と魔術の火花は、間違いなくどこぞの陣営による挑発だった。

 

 三色の火花がそれぞれ、一つ、四つ、七つずつ。タロットになぞらえた符丁で言えば、四は『皇帝』の『達成』、七は『戦車』の『勝利』。となると一は『魔術師』の『機会』であると見るのが普通だろう。だが、聖杯戦争参加者であるケイネスとウェイバーは、その意味する所を正確に理解した。『魔術師が勝利を達成』というそのメッセージは、紛れもなくキャスター陣営からの挑発だ。

 

「おい、ライダー。挑発されてるけどどうするんだよお前」

「ふむ。我を差し置いて王を僭称する輩は討ち果たした故、無視するとする。――――雑種同士の共食いを肴とするのも一興だ。道化よ、酌をする栄誉を与える。励めよ」

 

 そう言ってウェイバーに酒瓶を押し付け、空の酒杯を掲げて酒を注げと暗に示すギルガメッシュのやる気の無さに、ウェイバーは『そう言えばこいつはそういう奴だった』と諦めの溜息を吐く。――――だが、何故今日に限ってウェイバーに酌などさせるのか。普段は手酌で飲んでいた筈である。そうウェイバーが主張すると、英雄王は呵々と笑ってこう答えた。

 

「ふははは、何のために性転換の秘薬を飲ませたと思っているのだ。アレはランクBの逸品なのだぞ」

「おいいい!? 僕の性転換ってお前の酌をさせる為なの!? やっぱりアホなのお前!? いや、アホだろ!」

「そう喜ぶな、道化よ。王たる我に酌が出来る者など滅多におらん故、興奮するのは判るがな」

 

 結局のところ、いつも通りのライダー陣営と、そのノリにいまいちついていけず『ウェイバーも苦労していたのだなぁ』と思考放棄気味のケイネス。そして、案外早く場に順応してちゃっかりワインを飲んでいるソラウ。

 

 彼らが英雄王の手も加わりさらに強化された完全無敵要塞ハイアットホテルの頂上でやんややんやと騒ぐ中、地上では、遂に最後の舞台が始まろうとしている。

 

 自身がその舞台の唯一の観客となる事を、英雄王が取り出した『遠見の水晶玉』を覗く三人は知る由もなかった。

 

 

* * * * * *

 

 

 狼煙を見たセイバー陣営は、舞弥の運転する車で市民会館に乗りつけると錠前を素早く破壊して内部へと侵入した。だが、一歩踏み込んだ直後に切嗣と舞弥は足元の不快感と不安定さに歩みを止める。タイル敷きの会館内部の床には全面水たまりになる量の液体がぶちまけられていたのだ。それは塩酸や硫酸といった危険物ではないが、ある意味一番危険物でもあった。

 

 切嗣達が知る由もないが、百の貌のハサン八十名は専科百般や此処の性格ごとに、この市民会館に二人一組で一個ずつ、計四十の罠を設置している。その内、第一の罠がこの『床一面ローションまみれの罠』。薬問屋や通販で買い求めたポリアクリル酸ナトリウム百キログラムを用いて合成した十トンものローションで溢れかえる廊下は、サーヴァントはともかく人間が歩くには不向きにも程があった。

 

 ローショントラップと聞くとコミカルな印象しか湧かないが、実物は中々凶悪なモノである。人間は、二本脚という不安定な構造を重心移動で無理矢理直立させている動物だ。そんな生物が『足場の摩擦がほぼ無い』空間でまともに立てる訳もなく、切嗣達は足止めを喰らわされてしまう。

 

 だが、この悪辣で悪趣味な仕掛けからすると、キャスターがここを拠点にしているのは間違いない。そう判断した切嗣の行動は速かった。姿勢を低くして重心を下げ、同時に片手を地面につく事で転倒のリスクを減らす。いわゆる第一匍匐前進の姿勢に移行した切嗣と舞弥は、ローションで服がべた付くのも厭わず館内に侵入する。唯一この状況下でも直立二足歩行が可能なセイバーを斥候に、三人はじわじわと廊下を進んでいく。だが、キャスター陣営とてローションだけで敵陣営をどうこうできるとは当然考えていない。

 

 切嗣達が館内に侵入した事で作動した第二の罠。無線によりスイッチが入れられたそれは、斥候のセイバーの動きを感知し、その全身にボールベアリングを叩き込む。流石にそう易々と打ち取られるセイバーではなく、器用に槍を回転させて迫りくる鉄球を弾き落とすが、その一発は切嗣達の背筋に寒いものを走らせるには十分だった。キャスター陣営第二の罠、『セイバー陣営からザイードの子分が盗ってきたクレイモア地雷』である。数は少ないものの、このトラップが狙うのは相手に心理的な疲労を生じさせることだ。一個のクレイモア地雷は、相手に無限の地雷に対する警戒を生じさせる。『一個あった』ということは『二個目もあるかもしれない』と考えてしまうのが、人間という生き物だ。その考えは、常時の緊張を生じさせ、精神を疲弊させる。

 

 そしてこれの厄介な所は、ローショントラップとの相性の良さである。逃げるに逃げられないその状況は地雷をより一層の脅威とするのだ。

 

 切嗣にも当然それは分かっているが、地雷に対する対処法など『気をつける』他にはどうしようもない。そして、キャスターのトラップはそれだけでは無かった。続く第三の罠は、これまた原始的で悪質な嫌がらせだ。その『液体』は、防災用スプリンクラーの水源にたっぷりと満たされており、先程の爆発をキーに作動した火災警報――無論消防局には警報がいかない様に加工済み――によって館内に一斉に放水される。ザイード達がいる一画は予めスプリンクラーを撤去した為被害に遭っていないが、それ以外の場所には『取り敢えずスプリンクラーが詰まらない程度に濾した下水に酢と各種芳香剤をブレンドした物』という強力な匂いの兵器が放たれる。下水は好きなだけあるし、芳香剤は業務用品店で詰め替え用を幾つか買うだけ、酢も業務用ならそれなりに安い、と中々に財布に優しいそのトラップはしかし、敵には全く優しくなかった。

 

 鼻を直撃する強烈な悪臭は、流石の切嗣と舞弥をして鼻を顰める程のもの。衛生的にも大変宜しくないそれが目などに入ればただでは済まない事は明白で、二人は視野角が多少減ることを承知で懐から取り出したゴーグルとガスマスクを着用し、対策を講じる。

 

 廊下は悪臭とぬるぬるとした粘液に満たされた魔窟と化し、降り注ぐ汚液が視野を妨害する。その状況下で第四のトラップ『館内放送』が使用された事で、切嗣達は視覚、嗅覚、聴覚において妨害を受ける事になる。随所に設置されたスピーカーから大音量で流れるのは、いわゆる『エッジボイス』『エッジサウンド』と呼ばれる人の声だ。カセットテープに録音されたそれはキャスターと愉快な仲間達総出で地下拠点にて収録された為、経費ほぼ皆無のエコノミートラップだ。だが、そのゾンビが出しそうな独特の音は、非常に耳障りかつ、やかましい。下手に人の声であるがゆえに耳が反応してしまう上、他のトラップの作動音が聞き取りにくくなるという効果もあるのだ。

 

 そんなわけで、セイバー陣営がそれらの地味ながら不快なトラップに手古摺っている頃。

 

――――修道衣(カソック)に身を包んだ綺礼(アサシン)は、切嗣達とは別の侵入経路から市民会館に侵入しようとしていた。

 




次回更新は予告していた通り、3月です。
2月はお休みをいただきますのでご了承ください。

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