「――かずみ、私と一緒に来なさい。それが『神名あすみ』を見つける一番の近道だと思うわ」
降り続ける雨の中で
信じていた仲間達に裏切られ、残された唯一の希望さえ見失っている彼女に、銀の少女は優しげな声を掛ける。
濡れた銀色の髪が街灯の光を反射してシルクのような光沢を纏っている。
少女の放つ現実離れした魔性は、御伽噺に出てくる悪魔や吸血鬼を連想させた。
弱り切ったかずみに甘い言葉で囁くその姿は、どちらかと言えば悪魔の類いであろうか。
かつて銀の魔女によって運命を狂わされた幼子は、現在は<
全ては、無数の悲劇を繰り返す【銀の魔女】を討滅する為に。
永劫に終わらない、魔法少女の呪われた連鎖を断ち切る為に。
スズネは目の前の少女、かずみを哀れに思う。
彼女の事はつい先刻合流した仲間の一人である<双樹あやせ>から知らされている。
この街に巣食う魔法少女集団『プレイアデス聖団』。
その内の一人をあやせが暗殺したところ現れたかずみに見つかり、応援に駆けつけた他の聖団メンバー達とも戦闘になったらしい。
だがその最中に異常事態が起こる。
臨界を迎えるはずのない状態の、まだ十分に綺麗なソウルジェムが突如孵化したのだという。
結果新たな魔女が生まれ、さらに驚くべき事にかずみまで相転移に巻き込まれた。
魔女と同化したかずみを見て、仲間であるはずのプレイアデス達は手遅れであると判断し、かずみごと魔女を抹殺しようとする。
それを邪魔し、阻止したのがあやせだった。
彼女は半身であるルカと共に、かずみを守るように立ち回ったらしい。
スズネが初めてその事を聞かされた時、己の耳を疑ったものだ。
『……珍しいわね。あなたは気紛れだけど、そういう自己犠牲的な行動は取らない子だと思ってた』
むしろ一般的な価値観で言えば、あやせの性格は決して褒められた物ではないだろう。
我侭で天邪鬼、己の好きなように振る舞う自分勝手な気質だ。
敵である魔法少女相手に手加減などしないし、汚い手も平然と使う。外道と呼ばれても仕方のない少女だ。
最もそれは『エリニュエス』の魔法少女達全員に共通する性質でもあったから、スズネが今更とやかく言える筋合いでもなかった。
リーダーの立場からしても『たった一つの誓い』さえ守ってくれるのであれば、それ以外の事に関しては仲間達の自由にさせる方針だった。
だから普段のあやせならば、かずみを助けたりなどせず漁夫の利を狙うべく、最後まで傍観していた事だろう。
そう思い首を傾げるスズネとは対照的に、あやせは恍惚を滲ませた笑みを浮かべた。
『かずみちゃんはきっと特別な子だよ。あれだけの素質を持つ子が
確信を込めた口調であやせは自らの推測を語る。
彼女達が唯一人認めた、眼前の銀の断罪者へと。
『この街に<
私達がこの街に来たのも、きっと偶然なんかじゃないんだろうね』
メンバーの中で一番偏食なあやせがそこまで言うほどに、かずみの
無視などできない。執着せずにはいられない。
なるほど、彼女は<餌>だ。
スズネ達のような存在を惹き付けずにはいられない。
銀魔女の用意した主演にして主菜――つまりは生贄だ。
『それにあの子<魔女喰らい>だよ。それだけでもう普通じゃない』
その言葉だけならば忌避、あるいは畏怖しているようにも思えるだろう。けれどあやせの顔に浮かんでいたのは、言葉に反して喜びに満ち溢れた笑顔だった。
興奮を抑え切れないとばかりに自身の両腕を抱き締め、瞳の奥には情欲の色が炎のように揺らめいている。
『へぇ……面白れぇなそいつ。オレ様がもうちょっと早く着いてりゃご対面出来たんだろうが……惜しい事しちまったかなぁ』
野卑な獣染みた雰囲気を放つ美女、
『クズ姉に気に入られるとか……かずみちゃんもご愁傷様って感じかな! でもでも、クズ姉とはいえあの子は譲らないよ! あの子は私が先に目を付けたんだもん!』
スズネ達よりも拳二つ分は背が高いクスハは、
つい先ほど対峙した『プレイアデス聖団』の余りの歯応えのなさに正直落胆していた所だっただけに、期待の持てそうな少女の存在に喜びを感じていたのだ。
そのかずみという魔法少女は、クスハに強い興味を抱かせるに十分な存在だった。
『魔女喰らいねぇ……もしかすっとオレ様のご同輩か?』
『……えぇー、それはどうだろ? クズ姉のアレって特殊過ぎて誰にも真似できないよ。あの実験で生き残ったのってクズ姉だけなんでしょ?』
『まぁ正確にはオレ様以外の実験体はみんなぶち殺しただけだからよ。たとえオレ様以外の成功例ってのが他にいたとしても知らねぇな』
そんな彼女達の話を聞き終え、スズネは今後の方針を定める。
<かずみ>という餌がわざわざ目立つように用意されたのだ。
たとえそれが罠であろうとも、彼女達が避けて通る理由にはならない。
罠があるのならば、それごと潰してしまえばいい。
その程度の事が出来ずして、一体何の連鎖を断てると言うのか。
曲がりなりにも世界の理を変えようなどと大それた事を思うのであれば、この程度の障害など無きに等しい。
かつて何の力もなかった無力な頃とは違う。
少女の夢物語で終わらないだけの力を、今のスズネ達は手にしているのだから。
『いずれにせよ、彼女こそがこの舞台の主役というわけね』
スズネは、かずみの明るい笑顔を思い返す。
ほんの少し会話しただけの、知り合いとも呼べないほどの浅い関係だ。
そんな短い付き合いでも、彼女の人の好さは直ぐに知れた。
彼女は明るく素直で、元気な少女だった。
良い意味で無邪気な子供らしく、人として好感を持たずにはいられない善なる資質を彼女は持っていた。
だがスズネにとって、彼女がどのような人格をしていようが関係ない。
彼女は無自覚な人形だ。
この街で一番【銀の魔女】の干渉を受けている存在。
彼女自身気付かぬままに運命の糸に雁字搦めにされている。
あの悍ましき銀魔女の無自覚な駒であり、舞台の鍵として設定された哀れな傀儡。
そんな彼女をわざわざ助けようなどとは思わない。
そんな正義の味方のような真似は、スズネ達には出来ない。
自分の運命は自分で変えてもらう。
訳知り顔で『救ってやろう』だなんて、恥知らずな真似もしたくない。
――だからスズネは、ただ己が手を差し伸べる。
全てはかずみの意志次第。
スズネの手を取らなければ、それでもいい。
このまま銀魔女の人形として踊るというのであれば、せめてもの慈悲として苦痛なく<破壊>してやるだけだ。
刹那の回想を終え、スズネは改めて目の前のかずみの事を観察する。
「……スズネちゃんも、魔法少女だったんだね」
彼女は魔法少女に変身したスズネに困惑を隠し切れない様子だった。
無理もないだろう。昼に出会った時、かずみが魔法少女だと気付いたスズネでさえ驚いたのだ。
ましてや彼女はスズネを今まで一般人だと思っていたのだから、その驚きはスズネよりも大きな物だろう。
かずみは瞳を不安に揺らしながら、縋るような口調で弱々しく言葉を紡ぐ。
「……あすみちゃんが何処にいるのか、知ってるの?」
やはりと言うべきか。無数に浮かんでいるだろう疑問の中から最優先で尋ねられた事は、神名あすみの所在だった。
彼女がどれほど神名あすみの事を気にかけているのか、スズネは自分の耳で半日ほど前にも聞いているのだから今更驚く事でもない。
そしてかずみの問いへの答えは、イエスでもありノーでもある。
「どこに居るのか見当はつくわ。でも案内する事はできない。私もまた、その場所を探しているのだから」
かずみの<探し物>は、スズネ達にとっても長年探していた場所にいる可能性が高い。
――恐らく神名あすみは、【銀の魔女】のすぐ近くにいる。
それは確信だった。
あの女の思考を知る者として、銀の魔女が<神名あすみ>を手放すはずがない。
簡単に使い捨てるには、件の少女の
銀魔女がお気に入りの玩具を容易く手放すはずがないと、スズネは憎悪と共に強く確信していた。
それに繋がる縁を持つかずみ。
その出会いが銀魔女による偶然か必然かなどといった疑念は最早どうでもいい。
重要な事は、かずみを連れていけばこの舞台の核心にまで至れるという点のみ。
かずみがこの舞台の主役であるのなら。
銀魔女が舞台裏でシナリオを描いているのだとしたら。
かずみの傍にいれば、きっとその場所まで辿り着けるはずだ。
カーテンコールに至る時、悲劇の主催者は現れるだろう。
その時こそが、スズネ達の刃を【銀の魔女】へと届かせる絶好の好機。
――だからお願い。どうか私の手を取って欲しい。
私達をこの舞台の終幕まで導いて欲しい。
現れるであろう【銀の魔女】をこの手で抹殺する為に。
そのお礼に全てが終わったら、あなたの大好きな『あすみちゃん』と一緒に――殺してあげるから。
何も知らず、幸福の内に死ぬことこそが、魔法少女にとって最も幸せな結末なのだから。
幸福な夢の中で、二人まとめて殺してあげる。
それが自分に出来る唯一にして最大の誠意である事を、スズネは信じて疑わなかった。
――スズネちゃんは、あすみちゃんの何を知ってるの?
かずみが反射的に思い浮かべた疑問は、自身が逆に『神名あすみ』について全くの無知である事実を曝け出してしまう。
神名あすみの事情も背景も、彼女が好きな食べ物さえも知らない。
知るための時間すらなく、当のあすみは記憶を失ってしまい、その原因すらかずみには分からないままだ。
そんな何一つ知らないかずみとは違い、どうやら彼女には何らかの心当たりがあるらしい。
かずみが今何よりも知りたい少女の行方について、天乃鈴音は何かを知っている。
「……スズネちゃん、あなたは何者なの?」
彼女がこの街に来たばかりである事は、昼間に彼女自身の口から聞いている。
おまけにその際仲間の存在についても口にしていた。
この街所縁ではない、余所から来た魔法少女達。
神名あすみもそれは同じ立場だった。
あすなろ市とは本来関係ないはずの魔法少女達。
その共通点。もしも彼女達とあすみとの間に、何らかの関係があったのだとしたら。
――そんな彼女が、ただの魔法少女であるはずがない。
警戒するかずみを、スズネは真っ直ぐに見詰め返す。
その揺るがぬ意思の強さを感じさせる瞳に、かずみは気圧される物を感じてしまう。
「……私は悲劇を終わらせる。その為にこの街まで来たの」
その悲劇とは、果たして何を指しているのか。
今となっては一言で理解するには心当たりが多過ぎて、特定できないほどだ。
あるいは、全ての悲劇を終わらせるつもりなのか。
そんな事、神様でもなければできるはずがない。
否、たとえ神といえども全ての悲劇をなくす事など不可能だ。
「あなたを取り巻く大凡の事情は把握しているつもりよ。でも答えが欲しいなら、先にあなたの選択を教えて欲しい。
私にとってもこれは賭けなの。出会ったばかりの私を信じてくれなくても良いし、その必要すらない。
ただ私達の目的は、互いに邪魔にはならないと判断したから……だから、選んで。
一人でこのまま舞台の上で踊り続けるのか。
それとも、私と一緒に舞台裏に行くのかどうかを」
それ以上の事は何も教えられないと、スズネは口を噤む。
謎の多い彼女ではあるが、今すぐかずみをどうこうする気はないようだ。
それに何よりも、彼女はようやく目の前に現れたあすみへと繋がる貴重な手掛かりだった。
「……あなたに付いていけば、あすみちゃんに会えるんだよね?」
その問いに、スズネは肯定の頷きで返した。
彼女の話が確かであるのなら、かずみには否や応もない。
かずみにとっての唯一の希望を取り戻せるなら、悪魔とだって契約しよう。
だからかずみが選ぶべき選択肢は一つだけだ。
「だったら、いいよ」
――その約束さえ守ってくれるなら、スズネちゃんがどんな目的でわたしを誘ったのだとしても構わない。
かずみには最早、あすみ以外の誰かを無条件で信頼する事などできはしない。
家族同然とさえ思っていた仲間達に裏切られたのだ。
出会ったばかりの彼女を無邪気に信頼するには、かずみに刻まれたばかりの傷跡は深過ぎた。
かずみの直感も、今の所スズネが嘘を付いていない事を教えてくれている。
とはいえそれは参考程度にはなっても、明確な根拠にはならない。
嘘の反対は真実だなんて、世界はそんな単純に出来ていない事をかずみは既に学んでいる。
それでも。
たとえかずみの知らない落とし穴が用意されていて、彼女がかずみを利用しようとしているのだとしても。
あの大切な少女にもう一度会えるのであれば……構わない。
「これは契約よ。あなたの傍に居れば、いつか必ずアイツが現れる。私の目的はそいつで、あなたの探している彼女もその近くに居るはず。あなたは神名あすみと再会し、私は私の目的を達成する」
彼女の目的は、未だかずみにはよく分からない。
あすみとは違う誰かを探している様子だったが、その瞳に映る感情は黒く激しく煮え滾っている。
憎悪と呼ぶ事すら生易しいほどの<殺意>がスズネの裡に渦巻いていた。
それでもスズネは微笑を張り付け、かずみに手を伸ばす。
そんなスズネの手を取ろうと、かずみもまた己が手を差し出した。
それで契約は結ばれる。
目的は違えども、今後は仮初の仲間として共に活動する事になるだろう。
――ただ一つ、かずみにとって
「ねぇ、スズネちゃんって――――あすみちゃんの敵なの?」
「…………」
手を握る寸前、突如として放たれた核心に迫る問い掛け。
スズネの微笑で形作っていた仮面が強張る。
すぐに取り繕うものの、その僅かな動揺がかずみに明確な答えを教えてくれた。
「……答えられないんだね?」
「簡単に答えられる関係じゃないわ。……少なくとも、あなた達に危害を加えるつもりはない」
「それは……嘘、だよね?」
利用されるのは構わない。
嘘をつかれるのも、馬鹿にされるのも、悲しいけど我慢できる。
だけど、大切な少女を傷付ける存在だけは許せない。
「スズネちゃんの事、嘘吐きだって思いたくないのに……どうしてだろう、全然信じられないよ」
直感が教えてくれる。
初めて明確な嘘だと分かる言葉。
神名あすみを見つけるためなら、かずみはどんな手だって取るだろう。
ただしその手が、大切な少女を傷付ける物だとしたら……かずみは決して、それを認めない。
だからかずみは、スズネの誘いを拒絶する。
かつて誓った約束に背く真似など出来ないし、したくもない。
「わたしは絶対にあすみちゃんを裏切らない。
どんな時も彼女の味方でいたい。
だから……スズネちゃんの手は取れないよ」
かずみの言葉に驚いたのか、スズネは僅かに目を丸くする。
浮かべた微笑が苦味を帯びた物へと変わる。
「……あなた、凄いのね。
ごめんなさい、どうやらあなたのこと舐めてたみたい。今、それが分かった。
お詫びにもならないけど、改めて自己紹介させて貰うわ」
小さな溜息を吐いた後、スズネの顔にはもう一欠片の笑みも浮かんではいない。
抜き身の刃のような鋭さがそこにはあった。
「私は天乃鈴音。魔法少女殺し<
あなたが気付いた通り、私達は神名あすみの所属する組織とは敵対関係にある。あなたと戦った<双樹あやせ>と<ルカ>も私達の仲間よ」
その事実に驚きこそするものの、かずみはじっとスズネの目を見て離さない。
彼女の中にある真実を見極めるかのように。
「……『どうして』とか、聞かないのね。あなたは」
「魔法少女を殺すなら、わたしも……あすみちゃんの事も、殺すつもりなの?」
かずみの疑問は、スズネにしてみれば余りにも今更過ぎて、どこか間抜けにも聞こえてしまう。
スズネは少女に、この世界を支配する<理>を諭すように語る。
「あなたはもうこの世界の
魔法少女はやがて魔女になる。魔女は人々に絶望を撒き散らす。使い魔を産み、無数に増殖していく負の連鎖よ。
これは性質の悪い伝染病と同じ。だけど今更隔離しようにも既に世界中に拡散してしまっている。
だけど幸か不幸か、魔法少女になれる素質を持った少女は少ない。……なら解決策は一つだけじゃない?」
魔法なんて幻想は人類には必要ない。
選ばれた少女のみが使える超常の力など、人間社会にとっては単なる害悪でしかない。
唯一魔女を殺す事にしか存在価値がないというのに、魔法少女自身が魔女になるという矛盾の極み。
殺し殺され、祓い穢され、救い破滅し、希望と絶望の相克を延々と描く。
こんなマッチポンプを繰り返す狂った連鎖は、誰かが止めなければならない。
「
使い魔を殺し、魔女を殺し、魔法少女を殺し、この星を穢す全ての孵卵器を破壊する。
殺して殺して殺した果てにこそ、真なる救済がある。世界は浄化される。
それが出来るのもまた、魔法少女だけであるのならば。
ならばスズネは、最後の一人になるまで殺し続けよう。
その果てに自らのソウルジェムを砕く。
その結末こそが、悲劇を終わらせる最善の方法だと信じるが故に。
流血による暁の地平に辿りつく事でしか、この世界は救えないのだから。
「私は、正義の味方にはなれない。誰も彼も救えるような存在じゃない……ただの下らない小娘に過ぎない。
だけど、それでも……私は、自分の理想が間違っているとは、思わない」
血を吐く様なスズネの言葉を聞き、その想いに偽りがない事を悟る。
彼女の理想に共感する部分もあれば、否定したくなる部分もある。
どんな理由があろうとも、かずみには誰かを救うために誰かを害する事が正しい事だとは思えない。本末転倒とすら思えてしまう。
ましてや、かずみの大切な少女すら失う可能性を許容できるはずもない。
「……わたしは、スズネちゃんの手は取れないよ。
たとえ世界を敵に回しても、あすみちゃんの事だけは守るって、決めたから」
もしも神名あすみがいなければ、ニコの遺した言葉がなければ、かずみは自身の命を諦めていただろう。
あるいはありもしない友情に縋って、聖団の魔法少女達に自ら命を差し出していたかもしれない。
聖者の献身は時として狂気の産物に等しく思われる。
誰にも必要とされず、誰にも愛されない自分に価値を見出せない。
故に簡単に差し出してしまう。それは価値がない物だから。
かずみのそれは傍から見れば博愛精神の自己犠牲に思えるかもしれないが、なんて事はない。
価値がないから執着しないだけだ。
簡単に捨てられる物は、単にその程度しか価値がないからに過ぎない。
だがかずみを守り、かずみを必要としてくれた少女がいた。
彼女が守ってくれた命に価値がないなんて、誰にも言わせない。
たとえ自分自身にも否定させはしない。
だからかずみは、たとえ世界中の誰も彼もが敵になったとしても、こんな自分に確かな価値をくれた少女の味方でいると決めたのだ。
銀の少女は世界の救済の為に、魔法少女の根絶を求め。
黒の少女は一人の少女の為に、歌劇の舞台へ躍り出る。
二人の話はどこまでも行っても平行線に終わる。
どこかで互いの事を認めつつも、決して交わる事のない存在なのだと、二人は互いにようやく理解した。
「……残念ね」
スズネは虚空から一振りの剣を取りだし、その手に握る。
巨大なカッターを思わせる鋭い刃が雨の中、陽炎の様な揺らめきを纏っている。
かずみもまた、なけなしの力を振り絞って自身の武装である十字杖を手に構えた。
決意を新たにした彼女の瞳には、決して消えることのない意志の光が宿っている。
だが二人がぶつかろうとするその時、突如景色がぐにゃりと歪んだ。
住宅地だった周囲がみるみると異界へと切り替わっていく。
人の住む家屋が荒廃した廃墟へと変わり、空の雨雲は一切の光を呑み込む暗闇へと変質していた。
「――これは、魔女の結界? でも何かが……」
スズネは反射的に周囲へ意識を張り巡らせる。
この現象自体はスズネにとって見慣れた物だ。
魔女や使い魔が餌となる人間を引きずり込む為の、人外の領域である魔女の結界。
結界そのものは魔法少女にも使えるのだが、魔女共の使うそれとは明確な差異がある。
絶望に狂い憎悪を振り撒く魔女の結界は、人間として本能的な恐怖を感じさせるものだ。
この空間もまた、確かに魔女の物のように思えるのだが、スズネはそこに小さな違和感を覚えた。
魔女のような無作為な狂気ではない、突き刺さるほど明確な殺意を感じ取ったからだ。
「――かずみちゃん、見ぃーつけたぁ」
結界の展開と共に現れたのは、宇佐木里美。
プレイアデス聖団の魔法少女が一人にして、かずみの抹殺に来た少女だった。
他にも見渡せば、かずみと同じ顔をした者達によってかずみ達は包囲されていた。
一人や二人ではない、十二人もの『かずみ』達が周囲を取り囲むように立ち塞がっている。
彼女達こそ、身体に数字を刻み込まれた廃棄番号の少女達『ロストナンバーズ』だった。
「ど、どうしてこの子達、わたしと同じ顔、してるの……?」
動揺するかずみを余所に、里美は異分子であるスズネを見て小首を傾げる。
「あらあら? うふふ。知らない子も一緒なのね?
どうやらあなたも魔法少女みたいだけど、用があるのはそこのかずみちゃんだけだから。誰かは知らないけどあなた、お家に帰った方がいいわよ。夜更かしは体に悪いしね」
「……いきなり出てきて、随分と偉そうなのね」
「見逃してあげるって言ってるのに……察しの悪い子ね」
瞬間、影の中から一体の少女が現れ、無防備なスズネを吹き飛ばした。
廃墟を壊しながら吹き飛ばされたスズネの姿は土埃に隠れてしまい、かずみには彼女の安否が分からなかった。
「スズネちゃん!?」
「他人の心配なんかしてる暇はないんじゃない?」
里美の忠告を合図に、ロストナンバーズ達がかずみへと襲い掛かる。
自壊と再生を繰り返す狂った生命体が結界内部を破壊しながら、里美の指揮の下、かずみの命を奪おうとそれぞれが有機的に連携する。
十二体もの異形の少女達による波状攻撃は、かずみ一人でどうにかなるような物ではなかった。
無機質に責め立てる彼女達の執拗な攻撃に、かずみは我慢できずに叫び声を上げる。
「……どうして、放ってくれないの! 仲間じゃないなら、もうわたしに関わらないでよ!」
どうしてそんなにも、かずみを殺そうとするのだろう。
何もした覚えはないし、これっぽっちも憎まれる筋合いもない。
勝手に生み出して、勝手に殺そうとする。
かずみの事など何一つ慮ることもなく、あたかもお前の命はモルモット以下の価値しかないと言わんばかりに。
わたしだって、生きてるんだよ。
なのにどうして……そんなにも、わたしが憎いの?
わたしを産んだのは、あなた達じゃないの?
わたしはそんなにも罪深い存在なの?
そんなかずみの嘆きを聞いても、異形達の傀儡師である里美は眉を顰めるだけ。
彼女にかずみの言葉は届かない。
「……不快なのよ」
ぽつりと吐き捨てられたのは明確な嫌悪。
ああ、なんて気持ちの悪い。見ているだけで不愉快極まりない。
なぜこんなにも汚い物がこの世に存在しているのかしら。
その目でその口でその全身をもって、宇佐木里美はかずみの存在全てを否定する。
「あなたが存在してるだけで私、よく眠れなくなるの。だって怖いじゃない? いつ襲い掛かってくるか分からないバケモノが身近にいるなんて」
例えば同じ部屋にゴキブリがいたとして、そこで安眠できるほど鈍感な人間がどれほどいるのか。
たかが虫一匹と寛容になれるはずもない。理屈を超えた生理的な嫌悪感には抗いようがない。
よほど無神経な人間でもなければ排除せずにはいられない。
かずみの存在も同じだ。
無視する事などできないし、ましてや共存などできるはずがない。
「ミチルちゃんが死んじゃって、その死体に
思えば、初めからみんな狂っていた。
『和紗ミチル』の存在を言い訳にして、取り返しの付かない事をしてしまった。
今更ながら、どうしてこんなバカな事に協力してしまったのかと後悔するほどに。
――人の皮に、いくら化け物の
だから今からでも遅くはない。失敗作は、化け物はこの世に存在してはならない。
早くこの世界から駆除しないと。
そんな里美の衝撃的な真実の吐露に、かずみは愕然と目を見開いた。
「し、死体に……魔女の肉って……そんな、うそ――嘘だよ!?」
自分が作られた存在である事は、既にもう知っていた。
信じたくはないが、ニコの教えてくれた真実がそれを証明している。
それだけでもかずみには受け入れ難い事だというのに。
里美はかずみが一片の想像すらしていなかった真実を突き付ける。
それがかずみに更なる絶望を告げる言葉であることを、欠片も頓着しないままに。
「あら、本当よ? あなたの心臓は魔女の心臓。流れる血はプレイアデスの魔力。
人に見えるのは外殻だけで、一皮捲れば人としてまともな部分なんて一つもない。
その証拠にかずみちゃんのソウルジェム、グリーフシードとそっくりじゃない?」
里美の言葉に、かずみは思い当たる事があった、
『……わたしのソウルジェム、みんなのとちょっと違う?』
かつて感じた疑問。
他のみんなとは違う、かずみのソウルジェムだけに現れた特徴。
かずみの黒い突起のついたソレは、確かにグリーフシードの特徴を現していた。
呆然とするかずみに、里美は口元に弧を描くように微笑んだ。
「……ミチルちゃんならこう言うんじゃないかな? <
かずみという
「人の皮を被った化け物だなんて……悍まし過ぎて、人の世に存在してちゃダメでしょう?」
人の形をした
そんなこの世に存在してはならない醜悪な異形である事を、里美は酷薄に告げるのだった。