「とうとう、この日が来たわね」
時の流れというのは残酷というか、平等というか。
横でそう呟いたエリチに頷き返して、私はUTXの校舎を見上げた。見慣れた音ノ木坂学院とは打って変わって近代的なそれは、大きすぎて全貌を視界に収めることが出来ない。
これからここで踊るのかな、と考えると少しだけ萎縮してしまった。
既に準備は整っているのか、外装部分中央のスクリーンには大きくA-RISEの姿が映し出されている。
あと、丁度一時間後。ここに私達が出てくる事を想像して、小さく溜息をついた。
私は元々、臆病で人見知りをしてしまうタイプだから。
いくら下手な関西弁や演技を交えていても、本質自体は変わらない。
……でも、今日は頑張らなきゃ!
そっと、エリチに見えないように拳を握りこむ。
今日は地区予選大会当日。
ライブ中継の人気投票の結果で最終予選に出られるか否かが決まる。
私の……ウチの大事な夢の第一歩。
「エリチ、緊張してる?」
「ううん。もちろんしてないといえば嘘になるけれど、今は少し楽しみだわ」
「ふふ。そっか」
「希は?」
「ウチも大丈夫だよ」
元気よく『大丈夫!』と返すことは出来なかったけれど……、きっと皆と会えば。
微笑みながらそう問いかけてくれる親友に頷き返して、止まりかけていた足を前へ踏み出した。
自動ドアの向こうには私達の到着を待っていてくれたらしい受付の方が立っていた。軽く頭を下げられたのであわててお辞儀を返す。なんだかなれへんなぁ、ウチの学校じゃ元気のいい購買のおばさんがまず最初に迎えてくれるから。
その女性に案内されるまま、着替えやメイクの準備が出来る部屋に向かう。
白く、綺麗に塗装された扉を開けると既にメンバーは揃っていた。
「絵里ちゃん! 希ちゃん!」
「もぅ、遅いわよ」
「全員集合にゃー!」
衣装をとりあえず机の上に広げていた穂乃果ちゃんたちは、私達が来たことに気がつくと嬉しそうに出迎えてくれる。もっと全員緊張してるかと思ったけど、どうやら大丈夫そうだね? 不思議な事に、この部屋に入った瞬間、少しずつ身体の硬さが取れていくような……そんな感覚がした。
「何回見ても可愛い衣装やねっ」
「ふふ、希ちゃん、ありがとうっ。細かい調整はほとんど終わってるから、多分ぴったり合うと思うかな」
ことりちゃんは嬉しそうに笑った後、私の衣装を渡してくれた。
少し薄めの生地は肌触りが良く、綺麗なデザインも相まって早く着たいと、新しい服を買ってもらった子供みたいな感想を持ってしまう。同じく、ことりから衣装を受け取ったエリチも心なしか嬉しそうだ。
「ほら、衣装受け取ったらさっさと準備しなさい」
にこっちの声に釣られて振り向くと、彼女は既に着替え終えて髪型を一生懸命に整えている。今日はいつものツインテールではなく二つの可愛らしいお団子を作っていた。小柄でスリムなにこっちだからこそ似合うヘアースタイルだ。
うーん、可愛いなぁ。わしわししたくなるやん。
凛ちゃんもにこっちのその髪型を気に入ったのか、素直に声をあげる。
「わー! 可愛いにゃー!」
「当たり前でしょ。……今日は勝負なんだから」
本当に何食わぬ顔でそう返す彼女。
流石、凄い自信やな。私も見習わなきゃ。
内心ではそんなことを考えつつも、私はそっとにこっちに近づいて……。
――わしわしを敢行した。
「ひゃあああ! なっ、何よ希!?」
「うーん、にこっちが可愛すぎて、つい」
「折角着た衣装が崩れるでしょー!!」
ふっふっふー、にこっち。ウチには分かるんよー? 冷静そうに装ってても、にこっちが今緊張してることくらい。
私は、少しだけ身体の硬さが抜けた彼女を離して笑う。
彼女がずっと憧れてきたスクールアイドルA-RISE。今日はその人たちと一緒にライブをする。もちろん、花陽も彼女たちに憧れていた子ではあるけれど、にこっちの比では無いの。だって、にこっちは憧れるだけじゃなく、ずっと一人でA-RISEの背中を追いかけてきたんだから。
「やっぱり、にこっちはわしわしのやり甲斐がないなぁ」
「希、アンタねぇ……」
部屋の中に全員分の軽やかな笑い声が響いた。
そして、各々準備に入る。
十分ほど経っただろうか。
全員衣装は着替え終えて、お互いの髪型やアクセサリーのチェックを丁寧に行っている。ウチも穂乃果ちゃんの髪飾りを一番かわいく見える位置に調整し、逆に彼女に髪を結って貰ったりしていた。
「みんな、準備は出来たかしら?」
『はーい!』
エリチの声に、元気よく返事を返す。
頼れる生徒会長はそれを聞いてにやりと笑った。
彼女の幼馴染のよくする表情に似たその笑い方。
「うん。大丈夫、何も心配ないわ! とにかく集中しましょう」
彼女らしい激励の言葉。
そういえば、古雪くんは今日どうしてるのかな?
ここは関係者以外立ち入り禁止だから家で見るとは言っていたけれど。
「でも、本当に良かったのかなぁ。A-RISEと一緒で……」
ことりちゃんが不安そうな声をあげる。
確かに、こうして実際にUTXに来てみると萎縮してしまうかも。
でも、エリチは間髪入れずに彼女の問いかけに答えた。
「一緒にやるって決めてから、集中して練習が出来た。それに、きっと、今日は私達が新たなステージに進む大きなきっかけになると思うの。だから、私は正解だと思うわよ」
「うん、そうだね……。海菜さんもそう言ってくれてたから」
「えぇ。ことりがステージ上でそんな顔してると、あのバカがまた心配してしまうわよ?」
「うんっ。頑張らなきゃ」
そういえば。と、海未が口を開いた。
「海菜さんは今日いらっしゃるのでしょうか? ライブ中継に支障をきたさないために、確か今日は関係者以外立入禁止でしたよね」
「海菜は大人しく家でライブ中継を見るって言ってたわよ」
「なるほど、そうですか。でも……」
彼女は不安そうにスマホを見る。
そういえば、今日は彼から激励というか、応援のメッセージが届いていないのだ。意外にマメな所もあるようで、ライブ前にはくだらない内容ばかりではあるものの、何か一言くれるのが恒例になっていて……でも、今日は一つも音沙汰が無い。
古雪くん……。少しだけ不穏な空気が流れた。
こういった瞬間に、いかにあの人が楽しく、前向きな雰囲気を作ってくれていたのか気付かされるね。
ガチャリ。
少し大きめの音を立てて扉が開き、その向こうからA-RISEの面々が姿を現した。
パープルやブラックを基調とした大人びた衣装を着こなして、颯爽と私達の前に立つ。
不思議なことに、綺羅ツバサさんに一瞬見つめられただけで思わず背筋を伸ばしてしまった。
「こんにちは!」
「あ……こ、こんにちは!!」
思っていたよりもフランクな彼女の挨拶に、代表して穂乃果ちゃんが応える。
「いよいよ、予選当日ね。今日は同じ場所でライブが出来て嬉しいわ」
「は、はい! 私達も嬉しいです! こんな大きなステージで踊れるなんて」
「うふふ。あなた達のライブ、楽しみにしているわ」
にこり、と綺羅さんは笑う。
しかし、その可憐で魅力的な笑顔と共に、強烈なプレッシャーが押し寄せた。息苦しくなるような感覚、暴力的なまでのカリスマ性。第一回ラブライブ覇者の風格を備えた、年齢で言えばひとつ下の彼女に完全に飲まれてしまいそうになる。
「が、頑張りますね!」
「予選突破を目指して、お互い高め合えるライブにしましょう」
彼女はそう言って静かに右手を差し出した。
穂乃果ちゃんは一瞬きょとんとした顔で目の前の彼女を見た後、嬉しそうに力強く握手を返した。
「そういえば、あなた達にプレゼントがあるの」
「プレゼント?」
何故か楽しそうに綺羅さんが微笑む。
私たちは訳がわからないままに首を傾げた。
「英玲奈。まだ連絡は届いてない?」
「いや、丁度いま到着したみたいだ。もうそろそろこの部屋までくるんじゃないか? ちなみに『当日連絡するんじゃねぇよ! せめて前日にしてください!』って怒ってたぞ」
「ちゃんと来るあたり、彼らしいけどね。実は今日、あなた達には内緒で呼んでおいたのよ」
彼女はそっと、私達と扉の間から身体を避けると、壁に持たれて両目を閉じた。
カツンカツンと、わずかに踵を引きずるクセのある聞き慣れた足音が聞こえてきた。
まさか。
私たちは顔を見合わせて、『彼』の登場を待つ。
「よっ!」
間の抜けた声と、緊張感のない表情。
ひょこりと、顔を覗かせたのは古雪くん。その人だった。
「海菜さん!」
「古雪!?」
μ’sの皆は、慌てて彼の周りに駆け寄った。
まさか来てくれるなんて……。
「やっほ、皆。衣装、いい感じじゃん」
「ありがとうございます! って、来るなら言ってくださいよー!」
「ごめんごめん。俺も急に英玲奈から連絡が来て、来ることになったからさ」
あはは、と、申し訳無さそうに古雪くんは笑う。
もう、本当にこの人は……。
なんとも嬉しそうに彼にじゃれつく一年生や二年生を見て、私はそっと微笑んだ。
来てくれたんだ。嬉しいな。
他の皆がどう考えているのかは分からないが、私には彼がこの場所に来るにあたっての葛藤がよく分かる。
古雪くんは本当に優しい男の子。
私達が負けた時の事を考えて、傷つかないか、この先のスクールアイドル活動に響かないか、といった色々なことにまで気を回して『A-RISEとの合同ライブ』に異を唱えたりした人でもある。
きっと、彼は私達が今日、彼女たちに負けてしまうと考えているだろう。
言葉にはしないけれど、彼はその考えを改めてはいないハズだ。
そんな彼が、この場所に来た。
私達が、自分たちとA-RISEとの差に苦しむ姿、負けてしまう姿。
絶対に見たくないはずなのだ。
誰よりも、彼は私達が傷つく姿を嫌う。
だからこそ、いつだって、今だって。
私達を笑顔にしようと色んな話をして、微笑んでくれる。
でも、彼は来てくれた。
そんな、私達の姿をその目で見るために。
「カイナ。ちゃんと来てくれたのね?」
「……あっ! そちらさんはμ’sの前座の、A-RISEさんじゃないっすか。ちーっす! 呼んで頂き、あざっす!」
「ちょーっと!! 古雪!? 開口一番煽るってどういう神経してんのよ」
「あはは。たしかに、歌うのは私達が先だから前座かもしれないわねっ」
「ちゃんと盛り上げといてくれよ?」
「任せておいて! ……私達の後だとやりにくいだろうけどー」
「あぁ?」
「ふふん」
バチバチと火花を散らす古雪くんと綺羅さん。
……ほ、本当に今言ったような理由で来てくれたんだよね?
A-RISEの皆さんを煽りにきただけじゃないよね?
私は若干不安になりながらも、素直に古雪くんに感謝した。
「カイナ。ちゃんと私達のステージも見てね?」
「あぁ」
彼は綺羅さんの言葉に軽く頷いた。
コツ、コツ。
彼女はすました顔で、一歩二歩と間を詰めていく。
僅かに、古雪くんの顔に動揺が走った。
なんだろう、私はその表情に違和感を感じる。
一体何が……。
その疑問の答えが出る前に、綺羅さんは古雪くんの顔を見上げながら綺麗な人差し指を彼の胸元に当てて微笑んだ。見るもの全てを引き込む魔性の笑み。
「……虜に、してあげる」
古雪くんは慌てて彼女から距離を取って視線を外した。
綺羅さんはそんな彼を見て満足そうに頷くと、颯爽と身を翻す。
「それじゃ、二十分後に私達のステージが始まるわ。屋上で待っているから」
言い終わるが早いか、三人はすぐに部屋から出て行ってしまった。
この切替の早さも彼女たちの凄さの一つなのかもしれないね。
「海菜さーん?」
「いてっ。こ、ことり?」
「やっぱり、A-RISEの皆さんと仲が良いんですね」
「いや、からかわれてるだけだって! 見てれば分かるでしょ」
「そうですか? ことりにはそうは見えないですけど……」
***
十五分後。
全ての準備を終わらせた私たちは屋上に来ていた。
ステージの前に一列に並び、見上げる。
そこには既にA-RISEの面々が揃っていた。
三人共初めの位置に凛々しく立ち、静かに目を閉じている。
辺りでは数人のスタッフらしき人が生放送の準備を整えていた。後五分で始まるのだ。初めて見る、彼女たちの生のライブ。にこっちや花陽ちゃんはライブに行ったことがあるみたいだけど、ここまで至近距離。尚且つ客は自分たちだけなんて状況は初めてに違いない。
全員、固唾を飲んでA-RISEの姿を見守っていた。
「本番三分前です!」
響く声。
その瞬間、初めて綺羅さんが目を開けた。
「わかりました! よろしくお願いします!」
そして、私達を視界に収める。
見ていてね。そんな一言が聞こえるようなウィンクを残して、彼女は私たちに背を向けた。他の二人も同じく振り返って始まりのポーズをとり、静止した。その立ち姿だけでもA-RISEの凄さがよく分かる。上手く言えないけれど、伝わってくるの。
彼女達が今から踊るダンスにどれだけの想いをのせているのか。
「本番一分前です!」
ついに始まる!
何故か私まで緊張してしまい、きゅっと握りこぶしを作る。
そっと隣を伺うと、穂乃果ちゃんが誰よりもキラキラとした瞳でA-RISEを見つめていた。もう、この子は本当に……。相変わらずの彼女の様子がなんだか可笑しくて、人知れず微笑んでしまう。
彼女の隣には、対象的に厳しい顔でステージを眺める古雪くんの姿。
「五秒前です! 5! 4! ……」
3、2。
心のなかで数えたカウントダウン。
1。
『……!?』
瞬間。
μ’sのメンバー全員が硬直する。
一瞬の出来事だった。
私たちに背を向けていたA-RISEのメンバーから、圧倒的な気を纏った何かが発せられたのだ。目には見えない、でも、確かに感じる力。プレッシャー? 強者の波動? それとも別の何か。表現することの出来ないそれに私たちは一人残らず。
――飲み込まれてしまった。
そして、ライブが始まる。
凄い。などと考える暇もない。
到底及ばない技量の伺えるダンス。
聞き惚れてしまうほどの歌声。
強く。あまりにも強く心を揺さぶるその表情。
ただただ呆けて見守る他、無かった。
『ラブライブに出場する!』
私達が立てた目標。
確かな夢。
その意思に嘘はなかったし、本気で目指して練習してきた。
今日だって、本気で勝つつもりでここに来た。
それでも……。
A-RISEのライブが終わる。
風にのって、遥か下のスクリーン辺りから発せられた悲鳴にも似た歓声が届いたような気がした。
「直に見るライブ……」
凛ちゃんが、ぱちぱちと力ない拍手を送りながら呟く。
そして、花陽ちゃんがその言葉を引き継いだ。
「全然、違う……」
花陽ちゃんの言った違いとは、彼女達から受ける印象だろうか。
映像で見るA-RISEと、今見た綺羅ツバサ、統堂英玲奈、優希あんじゅ。
きっと、そうじゃないやんな?
違い。
それは『μ’sとA-RISEの違い』のことだよね。
「やっぱり、A-RISEのライブには私達……」
「叶わないよ」
ことりちゃんの、悲痛な声。
私は小さく唇を噛んだ。
そんなことないよ。ウチらだって、負けてないよ!
そんな風に言ってあげられない私。
いつまでたっても、変わらない東條希。
「認めざるを得ませんね……」
「……っ!」
真姫も、エリチも悔しそうに俯いた。
古雪くんが危惧した事。それが全て現実になってしまいそうだ。
『敵に圧倒的な才能を見せつけられる可能性』『大敗を期す可能性』『より直接的にA-RISEと比較される可能性』その全てが今のままではその通りになってしまう。食い止めなければいけない。誰かが。
そんなこと、分かってる。
誰かが前を向かなきゃいけないことくらい。
でも、同時に理解もしていた。
東條希は、その誰かには成れないの。
そっと、陰ながら誰かを支えることは出来る。だけど、引っ張っては行けないんだ。
だから、ごめんね。
そして、ありがとう。
穂乃果ちゃん。
「そんなこと無い!!!」
響く声。
そして、その明るく力強い一言は確かに私たちに力をくれる。
綺羅さんの全てを飲み込むプレッシャーとは別種の、確かな波動。
「A-RISEのライブが凄いのは当たり前だよ! 折角のチャンスを無駄にしないよう、私達も続こう!」
別に、根拠がある一言では無い。
ありきたりで、都合が良くて、なんの捻りもない台詞。
それでも……。
不思議な事に、いつの間にか全員がその顔を前へと向けていた。
そして、μ’sには彼が居る。
顔をあげた私達の背中を、確かに押してくれるあの人が。
「まさか、負けるつもりで踊ろうなんて言う奴はいないだろうな?」
いつもと同じ、ニヤリと笑う古雪くん。
「当たり前よ! ニコ達を誰だと思ってるの!」
「が、頑張ります!」
「そうですね。やる前から諦めるわけにはいきません」
私たちは走りだす。
本番はもうすぐだから。
彼は少しだけ真面目な表情で、手を振った。
「俺は、信じてるよ」
私達が勝つ事を、だろうか?
それとも、最後まで踊りきれること? 予選の結果の話かも知れない。
その一言だけでは全ては伺い知れなかったけど……。
彼の言葉は、私たちに確かな力をくれた。
A-RISEに通用するかなんてことは分からない。
一生懸命やりさえすれば、予選を突破出来るとは限らない。
でも!!
私達の精一杯を皆に! そして、古雪くんに届けたい。
「古雪くん!」
「……」
「ウチら、頑張るからね!」
「……! あぁ! 頑張れよ!!」
やっとここまで来たんだから。
一人の時間を乗り越えて、エリチと出会って。
穂乃果ちゃん達と出会って、μ’sと出会って!
今、本当の意味で一つになった私達が、ラブライブ出場を目指してこの場所に立っている。
開けなければ始まらない。
「μ’s!!! ミュージック!!!」
『スタート!!!』
古雪くん。私達。この手で、開けて見せるからね!
ユメノトビラ。