【園田海未の夢】
残すは、二年生の三人だけか……。俺は自分の部屋で静かに手元のスマホに目を落としていた。ひとまずは全員の本心を聞かなくては始まらない。だからこそ一人一人と会って来たんだけど……ここで問題が生じていた。
「次は誰と話すべきかな……」
小さく零す。
別に誰とでもいいじゃんと言われればそれまでなのだが、俺には引っかかっている点が一つあった。『μ’sを辞める』という言葉を穂乃果から『直接』まだ聞かされていないのだ。それは……なんというか穂乃果らしくない。
責任感という言葉を知らないバカは平気で大事な報告を人任せにする。
でも、俺の知る高坂穂乃果という女の子はそんな子ではない。
あの子なら、俺が今まで自分たちに関わってきたことに対して感謝もしてくれてるだろうし、きっと、俺の事も大切に想ってくれているハズだ。そして、自分が辞めると言って、俺がどんなふうに思うかなんてことを無視できるほど酷い女の子じゃない。
本気でやめると決心したのなら、一番先に俺に直接頭を下げに来るだろう。
まぁ、あくまで全て予想だけど……俺はそう思っていた。
だからこそ、迷う。
きっと今揺れているハズの穂乃果と一緒にこれからの事を考えるべきか、それとも彼女なりの答えが出るのを待ってやるべきか。どちらも正解のようでいて、でも、もしかしたらどちらも間違いな気もして……。
「はぁ……。俺はどうすべきなんだろ」
俺は一旦スマホを置いて天井を見上げた。
でも、やっぱりあの子自身の問題に俺が口を出すことなんて出来ないよな……。続けるにせよ、辞めるにせよ、そこに俺の介入は無い方が良いのではないだろうか。
というより、俺自身が既に『穂乃果にμ’sを続けて欲しい』という方に傾いているせいか、もし仮に話し合うことになってもそれは相談ではなく説得になる可能性が高い。だとしたら……少し待っているべきかな。
俺はそう判断して、海未に連絡を取ろうとスマホに手を伸ばした。
瞬間、激しく機体が震えだす。
液晶には園田海未の文字。
全く、心臓に悪いっての!
***
「海菜さん」
「よ、海未」
「すみません、お忙しい所お呼びして……」
「別にいいよ。今日は塾ないから」
海未から連絡があった次の日、俺は学校が終わった後すぐに待ち合わせしていた彼女の家近くの公園に向かった。到着するとそこには既に海未の姿があり、遅れて俺の姿に気が付いてぺこりと頭を下げてくれた。
心なしか目元に疲れが浮かんでいる。折角美人なのに勿体ない。
彼女はベンチに腰を下ろすと、背負っていた弓を入れた棒状のカバンを自身の横に立てかけた。俺は軽く挨拶を返してその隣に座る。ふと、海未の方から風に乗って爽やかな制汗剤らしき香りが届いた。
「部活行って来たの?」
「はい……全然身が入らないのですぐに抜けてきてしまいました」
そう言って、彼女は困ったように笑った。
「それで……今日はどうしたの?」
俺は世間話もほとんどしないまま、すぐに本題を切り出す。
なんとなく、お互いに余裕がなくて……先輩ならもっとどっしり構えておくべきなんだろうけど、さすがにそこまで冷静にはなりきれなかった。
「もう、穂乃果の事は知っていますよね」
「あぁ。聞いてるよ」
「それで……穂乃果と直接話をしましたか?」
「いや、まだ何も……」
「そうですか……やっぱり」
海未は俺の答えを聞いた後、少しだけ怒ったように顔をしかめた。
その表情を見て、俺は今の返答が二人の関係の悪化したこの状態に再び油を注いでしまったのではないかと勘違いして、少しだけ焦ってしまう。海菜さんに報告しないとは、なんて失礼な真似を!
真面目な海未はそんな事を言いだしかねないだろう。
しかし、俺のその予想は大きく外れることになる。
海未は、一瞬下を向いて何かを考えるそぶりを見せた後、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、海菜さん……穂乃果の事、怒らないであげて下さい」
俺は一瞬何を言われたのか分からず、目をパチクリとさせる。
すると、海未は頭を下げたまま言葉を続けた。
「海菜さんに対して失礼な事をしてるって、穂乃果はきっと分かってるんだと思います。でも、今はその事に気を遣う余裕もなくて……」
「……」
「だから、失望しないで待ってあげて……くれませんか?」
そう、言い切った。
えっと……まさか海未からこんなことを言われるとは思わなかった。
てっきり、勝手な事を言い出した穂乃果に怒り心頭なのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。きっと、俺が思っているよりももっと深い何かを穂乃果に対して怒りという形で表現したのだろう。
でないと、今みたいな言葉は出ない。
ま、穂乃果が俺に対して直接事の次第を報告しないというのは確かに失礼な話ではあるけど……もちろん俺はそのことについてとやかく言うつもりは毛頭ない。
俺は微笑みながら頭を下げたままの海未の肩をポンポンと叩いた。
「大丈夫だって。顔あげて。そんなことで失望なんかしないし、一応あの子の辛さも理解してるつもりだから」
「海菜さん……」
「ホントだよ。これからずっと俺の前に姿を出さないなら話は別だけど……穂乃果に限ってそれは無いと思う。だからこそ、今日はあの子じゃなくて君に会いに来たんだし」
そう言うと、海未は安心したように微笑んだ。
「良かった。海菜さんならそう言ってくれると思っていました。けど……」
「うんうん」
「少し、不安だったんです」
「そっか。でも別に君が気にする事ではないと思うよ?」
「いえ。私は穂乃果の幼馴染ですから」
「……そうだな」
当然のように言い切る。
なんとなく、その姿が、いつも俺の背中を支えてくれていた絵里の姿と重なって、少しだけ頬が緩んだ。『まったく、迷惑ばっかりかけるんだから』記憶の中の幼馴染が困ったように笑う。どうやら幼馴染同士っていうのはどこも同じような関係になってるんだなぁ、と図らずも苦笑してしまった。
「今日はそれを言いたくて?」
「はい。海菜さんがみんなと話してくださってるって話をにこから聞いたので……」
「そだね。じゃ、俺からも一つ気になったこと聞かせて欲しい」
「……」
コクリ、と海未は静かに頷いた。
「穂乃果とケンカしたって聞いたけど……理由は何だったの?俺はあの子がやめる事に対して怒ったのかと思ってたけど、なんとなくそれは違う気がするから」
もちろん、その事自体への怒りはあるだろうけど、そんな単純な事で何日も話をしない!なんて子供じみた真似をこの子がするはずがない。しかも、ことりが日本を発つ日は時々刻々と迫っている訳で……それでも尚、海未が自分から折れないのには何か理由がある。
俺はそれが知りたかった。
きっと、そこに答えがあるハズだ。
穂乃果の傍にずっといたこの子にしか分からない事がある。
静かに見守っていると、それは……。と海未は答え始めた。
「きっと、穂乃果は自分の心に嘘をついているんです」
「嘘……?」
「はい。なんとなく分かるんです。穂乃果が、あんな形でスクールアイドルを辞めたいって思うなんて……ARISEに勝てっこないなんて言い出す訳ないんです!」
「……」
「だから私は怒ってるんです。自分の本当の気持ちに嘘をついているのが分かるから」
「なるほど……ね」
彼女は辛そうに震える声でそう言い切って、強く拳を握りしめた。
なんとなく、夢を叶える道しるべが見えた気がした。
俺は、何度も投げかけて来た問いを彼女にも提示する。
「それじゃ、君の心はどう言ってるの?」
「決まっています。私は、穂乃果の引っ張って行ってくれる夢の先が見たいんです。μ’sと……皆と、そしてことりも一緒に!」
八人の夢は……同じ。
【南ことりの夢】
思っていたよりも早く、別れの時は来た。
いや、違う。俺の想定が甘かっただけだろうか。
海未と話した二日後。
俺の元に届いたのは、ことりからの連絡。今日の午後日本を発ちますとの一言。
「嘘だろ!?」
思わず叫んで、手に持っていたシャーペンを投げる。
そして、俺はその連絡を受けるや否やロクに着替えもせぬまま家を飛び出した。ほとんど乗ったこともないタクシーを捕まえて空港まで急いで走らせる。こんなにも早く出発するなんて聞いてないぞ!
海未が言っていたこともふまえて、一週間くらいは様子を見ようと考えていた矢先の事だった。もちろん、何度もことりにいつ発つのか尋ねてはいたのだが毎回はぐらかされてしまっていて……さすがに決まったら教えてくれるだろう、という考えが甘かったのかもしれない。
『皆に会うと泣いちゃうと思ったんです』追伸としてつけられていたメッセージ。
しかし、俺にはそんな彼女の気持ちに気を回す余裕もなく、すぐさま穂乃果へと電話を掛けた。正解がなにかなんて分からないけれど、大人しくことりを外国に行かせる事は、少なくとも俺の望む未来じゃない!
せめて、せめて俺のこの想いだけは伝えなくては。
たとえ彼女の足を引っ張ることになろうとも。
ツーコールの後、穂乃果が電話に出てくれた。
『海菜さん!?丁度良かった、たった今海未ちゃんと話をしてて……』
「海未と!?……いや!とりあえず連絡だけ!あと一時間半後にことりが日本を発つらしい!来るか来ないかは自由にしてくれていいけどとりあえず俺は行く!!」
『え、え、えぇーーー!?!?』
電話越しから海未の『どうしたんですか!』という焦った声も聞こえたが、俺は冷静に事の次第を伝えるほどの余裕はなく、すぐに通話を切った。伝えるべきことは伝えたし、後はあの子達で考えるだろう。
俺は、俺自身のするべきことを考えなければ……。
俺は窓の外の景色を見る余裕もないまま脳みそをフル回転させていた。
そして、四〇分後。
タクシーから飛び出した俺は、大急ぎでことりのもとへ向かった。
しかし、まず最初に会ったのはことりのお母さん。俺は急ブレーキをかけて挨拶もままならないままことりの居場所を問いただす。彼女は一瞬驚きの表情をみせたものの、口早に娘の居る場所を説明してくれた。
「ちゃんと、アナタには連絡したみたいね」
「はい……びっくりしましたけど」
「本当は誰にも言うつもりはなかったみたい。でも、誰か一人にだけはきちんと伝えなさいって言ってきたの。あの子が……選んだのはアナタだったのね」
「は?一体何を……」
「穂乃果ちゃんを呼んでくれた?」
「はい、もちろん……」
「そう。……ありがとう。ごめんなさいね、行ってあげて。ことりもきっと待ってるわ」
「はい!」
俺はほとんど彼女の言っている意味を理解しないまま再び走り出した。
走る。走る。
他の旅行客と違って身軽な俺はスムーズに人ごみを抜け、目当ての人間を見つけることが出来た。柔らかなクリーム色の髪の毛に、華奢な身体つきの女の子。誰より笑顔の似合うその子は、硬い表情で地面に視線を落としていた。
「はぁっ、はぁっ」
「……海菜さん!?」
「はぁっ、はぁっ……ことり、君なぁ!」
俺は息を整える余裕もないまま顔をあげると、真っ直ぐにことりの顔を見つめた。彼女はまさかこの短時間で来るとは思っていなかったのか驚きの表情を浮かべている。いやいや、俺の方が数倍びっくりしてるからな!
「ほんと、君……急に!はぁ、はぁ」
「……」
「ゲホッゲホッ」
言いたいことも、言葉にならずむせ返ってしまった。
さすがに全力疾走したあとに会話をするのは難しい……。しんどすぎる。
ことりは困ったように笑いながら背中をさすってくれた。
「来て……くれたんですね」
「はぁ、はぁ。……あったりまえだっつの」
「ありがとうございます……えへへ、困っちゃったな」
「何が?」
「間に合わないと思って連絡したのに」
会ったら泣いちゃうから……と言いながら、早くもことりは目尻に指を当てて涙を拭っていた。だから、なんで君はそうやって泣いてまで……。
「お母さんに言われて俺に連絡したんでしょ?」
「はい……。ぐすっ」
「来るに決まってるだろ、ばか」
「えへへ。誰か一人には伝えなさいって言われて……ふと思い浮かんだのが海菜さんだったんです。自分でも不思議ですけど」
「そっか、じゃあ時間もないから言いたいことだけ言わせて貰うからな!」
いつもの年上っぽい落ち着いた態度をとるのも忘れて、俺は真っ直ぐに顔をあげてことりとガッチリと視線を合わせた。タクシーの中であれこれと考えていたけど、俺に出来うることなんてこれしかない。
「君の夢は何!?」
至極シンプルな問い。
もっとやりようはあったのかもしれないが、未熟な俺にはこんなことしかできなかった。
「服飾の仕事を……」
「ホントにそれだけか!?」
「……!」
「他に無いの?同じくらい大切な、君のすぐそばに転がってる夢が!君が必死に見まいと目を逸らし続けてる夢は無いの!!??」
持ってるはずだ!
俺達と同じ望みを君だって!
「ことりは……」
「俺にはあるよ!俺は、君が、君たちが!踊る姿を、歌う姿をもっと見ていたい!一番傍で応援したい!君にだってあるだろ!あるって……言ってくれ!」
「海菜さん……」
半ば懇願にも似た俺の言葉。
駄々をこねるような稚拙な台詞だったけれど、少なくとも本心のこもった俺からことりへのメッセージだった。そして、俺のその言葉は、ことりの押し込めていた気持ちを全て……引きずり出した。
「ことりも……ことりだってみんなと一緒に歌いたいです!」
悲鳴にも似た言葉。
九人の夢は……同じ。
でも。
「だけど、もう遅いんです。もう……」
ことりは悲しそうに笑った。
そして俺は悟る。
俺に出来るのはここまでだ、と。
みんなの夢を、繋ぎ合わせることは出来た。きっと、穂乃果も俺達と同じ夢を持ってる。一人一人の思いを紡いで、集めることだけは俺の力で成し遂げることが出来た。
でも、それだけじゃ駄目なのだろう。
集まった九人の想いを、抱き寄せて、引っ張って行けるのはきっと……。
「ことりちゃん!!!!」
穂乃果、君しかいない。