ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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最終話 貴方の腕で、私の願いを

 鳴り響くインターホンの音。

 返事を待たずに海菜は彼女たちが待つ部屋へと飛び込んだ。

 

「希……」

 

 肩で息をしながらも、青年は力強い眼差しで目の前に座る想い人を見つめた。彼女はまるで怯えているかのように弱々しく体を縮め、そっと彼の表情を伺う。目の下には最近なりを潜めていた青黒いクマが再び姿を現しており、僅かにやつれた頬が同情心を誘う。

 

――あぁ、私は古雪くんをこんなにも。

 

 唐突に襲い来る後悔と。

 同時に訪れる僅かな安堵。それは喜びにも似た感情で。

 これほどまでに自分のことを――。

 

「希」

 

 しかし、疲れ切った表情に似つかわしくない力強い光が彼の瞳には宿っていた。

 

「……どうしたん?」

 

 あくまでその声は冷たく。

 あくまで心と心を突き放すかの様に。

 

 しかし、そんな態度とは裏腹に――

 

「どう……したん? 古雪……くん」

 

 涙が意思とは関係なく流れ出していた。

 彼女の、人とは異なる――優しく歪に変化した思考回路が導き出す答えと、口調。親友を想い、そして想い人を愛するからこそ彼女は海菜を拒絶する。しかし、希自身の心がそれを受け付けず、流れ出る涙でもって自分自身に訴えかけていた。

 

「昨日言われたこと、俺なりに一生懸命考えた」

「……うん」

「だから、ちゃんと聞いて欲しい」

 

 自らの身体を抱くように座る希。そんな彼女の目の前に、彼は膝を下ろした。正座のような形で、体育座りをしながら目線だけをこちらに向ける希と向かい合う。アメジスト色の星屑の様な瞳が濡れ、行き場のない感情を湛えていた。

 

――あぁ。なんて綺麗なんだろう。

 

 海菜はふと想う。

 他の誰に、こんな目が出来るだろうか。

 こんな瞳を持つ女性に、この先出会えるだろうか。

 

「……希」

 

 不覚にも己の両眼にも雫が溜まる。

 彼女は俺を想うからこそ、絵里を想うからこそ――こうして涙を流しながら、心を殺してる。

 そんな事態を予測できなかった自分が憎らしい。

 初めての感情に舞い上がり、希がどう考えるかすら思考の外へはじき出していた。

 

「……うん、聞くよ」

 

 希と海菜は視線を合わせる。

 傍らの絵里は少しだけ哀し気に微笑み、数歩、彼らから距離を取った。

 

「昨日、言われたよな。同情で希を選んでるんじゃないか。絵里より君を選ぶ理由を教えてくれって」

「うん、そうやね……」

「あれからずっと考えて、分かったことがある」

 

 

 海菜は真っ直ぐに希の瞳を覗き込み。

 

 

 

「もしかしたら……君の、言う通りかもしれない」

 

 

 

 その台詞に希は小さく頷き。

 絵里は息を呑んだ。

 

 

 

「希に同情しているのは事実で、絵里じゃなく君を選ぶ理由なんて無いのかもしれない」

 

 

 

 その時だった。

 今まで見せたことのない怒りの表情を湛えながら絵里が鋭い声をあげる。

 

「海菜っ! 貴方、何てことを!!」

「いや、絵里……」

「希に対しても……私に対しても失礼よ!!」

「分かってる! 分かってるから、落ち着いて話を聞け! 続きがあるから!」

 

 彼らは睨みあいながらも、絵里はとりあえず口を噤む。

 希はそんな二人の様子を見守っていた。

 

「二人を、比べてたのは……俺自身はそういうつもりは無かったけど、もしかしたらそうなのかもしれない。俺の傍にはずっと絵里がいて、今までもきっと、誰とも恋をしてこなかったのは……他でもなく絵里と無意識に他の人を比べてたからだと思う」

 

 少し言い辛そうにしながらも、海菜は心中を吐露した。

 それは、彼が必死に自己分析を行った結果。

 自分の中に在り続ける、絢瀬絵里という女性の大きさを理解していた。

 否定できない程に彼女の存在は自分にとって確かなもので。

 

「希と会って、色んな君を見て、好きになった。それは本当だよ。でも、きっと、俺は君と絵里を比べて――君の方を選んだ。それは、同情心かもしれない。不幸な君を……見たくないって気持ちは確かに俺の中にあるんだよ。俺は、君に笑ってて欲しいから」

「うん……そうだよね」

「だから、君のあの言葉は……否定できない」

 

 希は頷いた。

 

――それが古雪くんの優しさだから。

 

 私の心を想像せずにはいられない。

 想いが散る私の心を、彼は正確に思い描いてしまう。

 優しいからこそ、そんな人だからこそ、私は恋をした。

 

「希を好きな理由はたくさんあげられる。でも、同じくらい、絵里を大切にする理由もあげられる」

 

 海菜は歯を食いしばりながら、それでもはっきりと事実を口にした。

 幼馴染はそんな彼から目を逸らす。

 

「だから、絵里じゃなく君を選ぶ理由を、俺はきっと言葉に出来ない」

 

 まるで独白であるかのように、声が部屋に溶けていく。

 春を目前にしながらも未だ気温は低く、空調の聞いていない薄暗い部屋の空気は冷え切っていた。渦巻く感情を押し殺しながら、絵里は俯いて床に視線を落とし。海菜は次に紡ぐべき言葉を探している。希はぽつり、ぽつりと大粒の雫を零しながらも、目の前の彼を見上げ、その黒曜石のような瞳をまっすぐに見つめていた。

 

 そして、希は言う。

 

「うん。分かってたよ?」

「…………」

「だって、それが古雪くんやもん。エリチを大切に想う男の子。私の事も大事にしてくれた男の子。それだけやない、穂乃果ちゃんたちにも心をくれた……。そんな人だったからこそ、ウチは古雪くんを好きになったんよ」

「……希」

「だからこそ、ウチは」

 

 ウチは……。

 少し流暢だった話声は次第に震え。

 

 

「ぐす……だから……大好きなエリチと、大好きな古雪くんに幸せになって欲しいんよ」

 

 

 そう言って、笑顔を見せた。

 本物の、混じり気の無い、笑い顔。

 希は本気でそう思っていた。彼女が一番欲しかった居場所と、夢をかなえてくれた二人に。自分にとって何事にも代えられない程大切な親友と想い人に。ただただ、幸せになって欲しかった。自分のことは放って置いて良いと。もう十分に幸せを貰ったから。

 

 そこに、嘘はない。

 息をするかの如く自然に、自分を犠牲にする女の子の姿があるだけだった。

 

 

「だから。一時の感情で、ウチを選んじゃだめだよ……」

 

 

 一時の感情――。

 希は恋をそう表現した。そして、それは決して間違いではない。恋愛感情とは往々にして一過性のものだ。燃え盛る炎の様な感情が何年も何十年も持続することは無く、いつの間にかその炎が消えるか、あるいは愛に昇華するか。いずれにしても恋と言う感情は必ず消える。

 

 希は知っていた。

 彼の自分に抱く感情は『恋』であると。

 彼の絵里に抱く感情は『愛』であると。

 そうであるなら、自分の取るべき道は――一つしかない。

 

 希は精一杯の笑顔を浮かべ……。

 

 

「俺の話はまだ終わって無いぞ、希」

「……え?」

 

 

 海菜は力強く言い放った。

 

「君の言いたいことは全部分かってる。正解だとも思う。俺はきっと、絵里を選べば……幸せになれると思う。な? 絵里」

「……ふふ、そうね。海菜はそうするつもりが無いみたいだけど」

 

 絵里は困ったように笑いながら返事を返し。

 

「あぁ、絵里だってそのつもりはないし」

「何よ、昨日まではあったわよ?」

「嘘つけ。大体予想はついてただろ」

 

 軽口を叩き合いながら。

 見慣れた姿。恋心を自覚する前の二人の姿がそこにあった。

 

「希の言った事には一つだけ間違いがある」

「……間違い?」

 

 そして、海菜は語り始めた。

 懸命に考え抜いた――彼自身の答えを。

 

 

 

 

 

「君への想いは、一時の感情なんかじゃないよ」

 

 

 

 

 

 断言。

 希は困惑の色を浮かべる。

 

「そんなことない、エリチに対する愛と、私への恋なんて――比べ物にならへんよ?」

「もちろん、絵里を大切に想う気持ちを否定するつもりはないけど」

 

 彼は優しく微笑んだ。

 

「さっき、言ったよな。同情から――君の悲しげな顔が見たくないから、君を選ぶのかもしれないって。それは本当ではあるけど、きっと、言い方の問題で」

「言い……方?」

「俺はただ……君の笑顔が見たかったんだと思う。不幸な君じゃなく、幸せな君を見たかった」

 

――私の、笑顔が?

 

 

「絵里を……諦めてでも、俺は君の笑顔が見たかった、君に幸せになって欲しかった」

 

 

 視線が交錯する。

 

「だからきっと、俺のこの想いは――一過性のものじゃない」

「……わからへん。どういう事? 古雪くん……」

 

 海菜はそっと彼女の双眸を覗き込みながら、両肩に手を置いた。縮こまった華奢な肩が揺れ、不安げに希は視線を揺らす。部屋着を通して伝わる彼の体温は暖かく、どこまでも――愛しい。乱れる心を落ち着かせることが出来ないまま、彼女は彼の言葉を待つ。

 

「俺が、希に笑顔になって欲しいとか」

 

 彼は伝える。

 

「俺が希に幸せになって欲しいって想うのは」

 

 自分の本心を。

 やっと見つけ出した、彼女への想いを――。

 

 

 

 

「俺が君に対して、ずっと抱き続けてきた感情だよ」

 

 

 

 

 希は思い出した。

 海菜が、常に自分に優しかったことを。

 自分を――東條希という女の子の幸せを願い、手を差し伸べ続けてくれてきたことを。

 

 

 

「だから、この想いは一時の感情なんかじゃない。俺は希と出会って、希っていう女の子を知ってからずっと、ずっと! 君に笑顔でいて欲しいって思ってた。君の望みが叶って欲しいって心から願ってた! ラブライブのことだってそうじゃんか。前も言ったよな? 穂乃果たちに協力したのは、彼女たちの夢を応援したのは、全部――君のためだよ」

 

 

 

――うん、そうだったね。

 

 希は涙を溢れさせながら頷いた。

 彼はずっと私のために頑張ってくれていた。

 μ'sを応援する理由も、私。

 皆でした曲作りを後押ししたのも、私のため。

 

 海菜くんは、ずっと私の幸せを願ってくれていた。

 

 

 

「だから、俺は……君に対して、絵里とは違う、恋なんていう一過性の感情じゃないもっと大切で、もっと暖かな想いを持ってる。それは、事実だよ」

 

 

 

――でも。

 

 希は食い下がる。

 

「ウチだけじゃなくて、エリチのことも大切に想ってる。それは変わらへんやろ? だから、古雪くんはエリチを選んだ方が……」

「悪いけど」

 

 僅かに怒りさえ含んだ声で、彼は遮る。

 

 

「それは、希が気にすることじゃない」

 

 

 それは――優しい、でも厳しい、拒絶の言葉だった。

 

 希は息をのみ。

 絵里は彼の言葉に同意するかのように頷いた。

 

「俺と絵里がお互いをどう考えて、どういう決断をするかは、俺達の問題だ」

「で、でも……ウチのせいで二人が……」

「それも込みで。全部、俺達が決める事だよ、希」

 

 彼は言い聞かせるように言う。

 目の前の、自分の心以上に人を思い遣ってしまう優しい女の子を――叱る。

 

 

 

「俺達の関係は、俺達の想いは――俺と絵里にしか分からない」

 

 

 

 それは至極当たり前のことで。

 しかし、希にとっては――救いの一言となった。

 

「俺達の決断に対しては――誰にも文句は言わせない。それは、希、君にもだよ。俺は俺なりに、未熟だったけど、君を泣かせてしまうくらい考えが幼すぎたけど……。それでも、自分なりに答えを出した。そして、それを絵里に話したし、きっと絵里も絵里なりに色んな事を考えて、それを受け入れて――この場所に居てくれてる」

「えぇ。バカ海菜がまた希を泣かせないか心配だったしね?」

「はぁ? 来た時にはもう泣いてただろ。なんなら絵里が泣かせてたまであるぞ」

 

 二人は視線を合わせてニヤリと微笑み合い。

 

「そして、その決断は変わらなかったんだよ。俺は絵里と付き合わない。恋人にはならない」

 

 その宣言に、絵里は力強く頷いた。

 

 

 

「もし君が俺と絵里が深く理解し合ってると思ってくれてるなら……『そんな二人が一生懸命考えて出した答え』を、手放しに信じて欲しい」

 

 

 

 海菜は言う。

 

 

「だから、これ以上君に俺の決断が正しいか正しくないかなんて、文句は言わせない! それに俺はずっと君の事を想っていたよ! それはここ数か月の、思い付きの感情なんかじゃない。希が好きで、希が大切で、ただただ希に笑って欲しくて、幸せになって欲しくて!!」

 

 

 それは、相も変わらず未熟な言葉だった。

 希の問いに完璧に答えることは終ぞ出来ず。

 自身の想いだけをぶつけるかのような。

 

 

 それでも、いや、だからこそ。

 

「俺のこの君への想いが、君を笑顔にさせてあげられるなら……それほど嬉しい事はない」

 

 一瞬の静寂――そして。

 

 

 

 

「好きだよ、希。誰よりも、君が……好きだ」

 

 

 

 

 その声は希に――届いた。

 

 差し伸べられた右手を呆けたような表情で見つめる。

 目には大粒の涙と、未だ消えない葛藤と戸惑いの色が滲んでいた。

 

「古雪くん……、エリチ……」

「……ん」

「どうしたの?」

 

 いつの間にか絵里は二人の傍にやってきて、希の肩を抱いていた。小刻みに震える体は弱々しく、普段感じられる同年代よりも大人びた希の、頼もしさや安心感は消え失せている。そこに居るのは年相応の、心優しく不安げな少女だった。

 

「私は……」

 

 吐き出したのは、ずっと抱えていた不安。

 彼女に常に付きまとっていた悩み。

 

 

「二人の邪魔をしてたんじゃないかって……ずっと悩んでたんよ」

 

 

 嗚咽交じりの声。

 

 

「勝手にエリチと古雪くんに居場所を求めて、古雪くんに――横恋慕して。二人のあるべき形まで壊して……。でも、古雪くんのことを諦めることが出来なくて、大好きで、大好きで! でも、同じくらいエリチも大切で。エリチと古雪くんが二人仲良くしてる姿も、本当に好きだった……だから、自分が許せなくて。だけど、気持ちは変えられなくて……」

 

 

 幼馴染二人は視線を交わし合い、困ったように笑う。

 そこまで考えすぎなくても良いのに――しかし、それが希という人間なのだ。

 どこまでも不器用で。だからこそ、彼らは彼女を受け入れていたから。

 

「私は……」

 

 懇願するように。

 迷いを湛えて。

 

 

 

「まだ、二人に甘えて良いの……?」

 

 

 

――俺たちの決断を手放しに信じて欲しい。

 

 それは拒絶の言葉。これ以上二人の関係性を考える必要はないと。

 それは二人が差し伸べる救いの手。ただ、希の想いだけを優先すれば良いと。

 

 絵里は大きく頷いた。

 そっと希の腕を取る。

 

「もちろんよ……ほら、希」

「エリチ……」

「私の大切な幼馴染を任せられるのは、貴女しかいないわ」

「あ……」

 

 絵里は親友の両手を支え――海菜の差し出した右手へと誘う。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 海菜の掌と、希の両手が触れそうになったその時。

 

「希。ここからは貴女が頑張らなきゃ」

 

 そう言って、ふわりと微笑んだ。

 

 

 

「……うん」

 

 

 

 希は深く息を吸い込んだ。

 目の前に座る海菜を見つめる。

 見慣れた表情。憧れの眼差し。

 黒く透き通った瞳には――自分だけが映っていた。

 

――自分が望むものは手に入らない。

 

 そんな思い込みも、絵里と――彼が壊してくれた。

 

 きっと、これからも。

 

 

 

「古雪くん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その(かいな)で、私の願い(のぞみ)を叶えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私も、好きです。ずっとずっと、好きでした。私を――古雪くんの一番傍に、居させてくれますか……?」

 

 

 お互いに伸ばした手が、やっと。

 

 

「あぁ。こんな俺でよければ……よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

――繋がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長い間、お世話になりました。
ひとまずは物語は完結です。
後日談をいくつか投稿する予定なので気長にお待ちください(笑)
感謝の言葉はまた改めて述べさせていただきたいと思います。

では、また。

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