「ねぇ、花陽ちゃん。本気でスクールアイドル、やってみない?」
パソコンの画面に映し出される先輩方のライブの様子に夢中になっていた私は、突然穂乃果さんにかけられた言葉に思わずうろたえてしまった。
「え?……あの、私は」
まっすぐにこちらを見つめてくれている先輩の目を直視することが出来ず、俯きながら小声で答える。
「私には……向いてないと思います」
パソコンから流れ出る音にすらかき消されてしまいそうなか細い声が私の口から零れ落ちた。穂乃果さんは少し困った表情を、海菜さんは黙って私の目をじっと見つめている。まるで何かを訴えかけるような瞳。
何か言いたげに顔をあげたもののすぐに口をつぐんでしまった。
どうしたんだろう?
少し落ち込んでしまった部屋の空気を気にしてか、ことり先輩が明るい声色で話しかけてくれた。
「自分でいうのもなんだけど、私も、自分がアイドルに向いているなんて思ったことなんてないよ?」
にこにこと可愛らしい笑顔。
本当に可愛らしい人だなぁと改めて感じ、感心すると同時に少しばかりの劣等感を感じてしまった。私にこんなに人を惹きつけるような笑顔なんて出来ないよ。
「踊りとかよく忘れちゃうし、運動だって得意じゃないんだよ」
「私もそうです。人前に出るのだって苦手ですし、とてもじゃないですがアイドルに向いているとは思えません」
ことりさんに続いて海未さんも口を開く。
そういえば学校の校門あたりでμ’sのみなさんがチラシ配りをしていた時、海未さんだけどこかぎこちない感じだったような?……でも、海未さんはりんとして格好いいし、たしかどこか運動部にも所属していたはずだけど。
「私もすごくおっちょこちょいだよ」
「いや、それは関係ないだろ」
「あれ~?そうかな~」
続いて口を開いた穂乃果さんに間髪入れず海菜さんのツッコミが入る。
こういうことを本気で言うあたりほんとうにおっちょこちょいなのかも。てへへ、と頭をかく穂乃果さんと、それをジトっとした目で眺める海菜さんを見ていると少しだけ面白くて、思わずくすりと笑ってしまった。
初めて笑顔を見せた私を見て穂乃果さんは嬉しそうに微笑む。
そして海菜さんはなにやら考える素振りを見せた後、おもむろに口を開いた。
「俺は……こうみえておちゃめなところあるよ?」
「海菜さん、少し静かにしててくれませんか。誰も聞いてませんし……」
なにを考えているかと思えばやっぱりくだらないことでしたか……と呆れた様子で呟きながら海未さんが冷ややかな視線と共に氷のような言葉を投げかける。
「いや、これは流石に俺もなにかぶっこまなきゃいけないパターンだっただろ!」
「そんな義務感感じる必要はないですから!そもそも、海菜さんアイドルじゃないじゃないですか」
「アイドルではないけど……。会って間もない後輩の家に急きょお邪魔出来るぐらいには予定アイトルからな。あっはっは、アイドルだけに」
「……」
「……ごめん」
しょうもないことを言った自覚はあるのか謝罪の言葉と共に体操座りでシュンと丸くなってしまった。これが海菜さんのいうおちゃめな所なのかな?
……そんなこと言ったら怒られそうだけど。
トントンッ
不意に肩を叩かれ、横を見るといつの間にかすぐそばにことりさんがやってきていた。彼女は私の手をとり、少しだけ真剣な表情で語り始める。
「こんなふうにね、私たちプロのアイドルならみんな失格だと思うよ。でもね、スクールアイドルならやりたいって気持ちを持って、自分の目標を持ってやることが出来る!」
私だけに向けられたまっすぐなことりさんの本心からの声に、私の中の何かが揺れ動く音が聞こえたような気がした。
「だから、花陽ちゃんもスクールアイドル一緒にやってみない?」
「もっとも、練習は厳しいですが」
「ちょっと!海未ちゃん~~」
「あ、……失礼」
そっか、『アイドル』じゃなくて『スクールアイドル』なんだね。
***
「それじゃまたね花陽ちゃん。ゆっくり考えて答え聞かせて?
私たちはいつでも待ってるから」
玄関先まで見送りに来てくれた穂乃果さんは別れ際そんな言葉をかけてくれた。
こくり。今の私には黙って頷くことしかできなかったけれど。
「海菜さん、ちゃんと花陽を家まで送っていってあげてくださいね?」
「分かってるよ」
「少し遅くまで引き留めてしまいましたから。夜道は危ないですし……」
「君も気を付けて。……壁に耳あり扉の向こうに古雪の目ありけり。マイクパフォーマンスの練習は場所を選んでやるように」
「いちいち一言多いです!」
横に立つ海菜さんは相変わらずの口調で海未さんをからかっているようだ。
この二人はあんまり相性よくないのかなぁ?ことりさんはそんな二人を見て、なぜか楽しそうにニコニコと幸せそうな笑顔を浮かべている。
「それじゃ、花陽。帰ろっか。それじゃまた。雪穂ちゃんにもよろしく言っておいて」
「はい!……あ、そういえば海菜さんの話したかった事って?」
「あぁ、それはもういいわ。一応解決したし」
「そうですか!それじゃ失礼します!また練習見に来てくださいね」
海菜さんは三人の先輩方に手を振って歩き始める。
わたしもぺこりと頭を下げてその背中を追った。
コツッコツッ
コンクリートの地面に触れる私のローファーの音がすっかり暗くなった春の夜空に響く。
うぅ……困ったなぁ。
夜道を一人で帰るのは怖いし、ついてきてくれてありがたいけど……。
男の人、しかも二つ上の先輩と二人きりになった経験なんて一度もないしこんな時、何を話していいのか分からない。わざわざ送って貰ってるっていうのに私が黙ってちゃだめだよね?
少し勇気を出して顔を上げてみる。
歩幅の小さい私に合わせてくれているのか少しゆっくり歩みを進める海菜さん。
なんだか少し表情が固い。もしかして緊張してるのかな?
少し意外。おもしろくていい人だし、女の子から人気のありそうな先輩だからこんな状況慣れていると思ったけど……。
「いやー、なんというか。いざ二人になると緊張するね」
きっと話題を探してくれていたのだろう。ちょっと困ったような顔で考え込んだ後、柔らかい表情でこちらを向いて話しかけてきてくれた。
「そう……ですね」
こんな返答しか返せない自分の内気さが嫌になる。
別に海菜さんだって私と帰りたくて送ってくれている訳じゃないのに……。
「緊張しすぎ!別にそんなに恐がらんでもいいよ?いじめたりしないし」
海菜さんは笑いながらぺしっと私の頭をはたく。
私のよそよそしい態度にも気を悪くした様子も見せず、気さくに話を続けてくれた。
「はい……。うぅ、……すみません」
「別にいいよー。まともに知り合って一日もたってないしな。緊張するのも無理ないか。てか、……まさか秋葉原で偶然会うとはね」
「はい。あ!CDの件は本当にありがとうございました」
「うむ、今回だけやで?」
冗談めかした口調で返事を返してくれる先輩。
今日、あのA-RISEのCD売り場で海菜さんと会えなかったら折角の限定版が一つ欠けてしまうなんていう由々しき事態が起こってしまったかもしれないんだよ!アイドルファンとしてそんな最悪のケースを避けることができて良かったと思う。本当に感謝してもし足りないくらい。
「まさか一人一枚なんて制限が付くとは思ってなくて……」
「まぁ、そうだろうね。俺もこんなにスクールアイドルが世間的に人気が出てきてるとは思わなかったし」
「はい!それは私も予想外でした。やっぱりA-RISEは凄いです!実際プロのアイドルと比べても遜色ないくらいですし、なんていったって『スクールアイドル』っていう言葉を世間に認知させたのも彼女達ですから!」
おもわず少し熱くなって語ってしまうと、海菜さんがちょっと困った顔をしていた。
うわあぁぁ!またやってしまった!
「ご、ごめんなさい!急に……」
「や、おもしろいから続けていいよ?」
「うぅ……」
いつもは暴走しちゃうときは凛ちゃんが傍にいてくれるからあんまり気にしたことなかったけど、こんなのただの変な子だよね!?
恥ずかしさから頬が真っ赤になっていくのが自分でも分かる。
「凛からも聞いてたけど、ホントに好きなんだね。アイドル」
「はい……」
好きなものがあるのはいいことだ!などと言いながら笑顔でウンウンと頷く海菜さん。
よかった……ひかれたりしてはいないみたい。
「俺はあんまりアイドルに関心が無かったタイプなんだよ。スクールアイドルを始めた穂乃果達の影響で少しだけ興味が出てきてはいるんだけど……」
「そうなんですか?そういえばサインボールを誰かにあげたって話されてたような」
「うんうん。そいつは今日、三通りの変装でCD買い占めていたけどね」
「えぇ!そんな人もいるんだ。すごいなぁ……」
なるほど、変装って手もあったんだ。
……って、むりむりむり!私にいろんな格好して行列に何度も並びなおす度胸なんてないよ。ばれて怒られちゃうかもしれないし。
いや、見習う必要はないからね?と少し呆れた顔の海菜さんに念を押される。でもその人のアイドルに対する愛はホンモノだと思うなぁ。
海菜さんは苦笑いしつつ、改めて口を開く。
「なんていうか……君らがそこまで好きになれる【アイドル】っていったいどんなものなの?」
あくまで自然な会話の流れで問いかけられたその台詞。
でも海菜さんのその目はなぜかとても真剣なものだった。
「可愛いから、なんていう俺が思いつくようなしょうもない理由じゃない気がするんだ。俺は君の中にそれほどの情熱が生まれる訳をすごく知りたいって思ってる」
私がアイドルが好きな理由……。
思い浮かぶ言葉はたくさんある。
カッコイイから、可愛いから、声も大きくて、自分に自信があって、いろんな人に笑顔を届けることが出来る人たちで……。
いわば私とは対極の場所に居る輝いてる人たち。
私はどうしてこんなにアイドルが好きなんだろう?
「私は……私と違って輝いてる人たちを」
「……」
「せめて、せめて応援したくて。応援したいから……好き。なのかな?」
我ながら要領を得ない説明だと思う。だって私自身よく分かっていないんだもん。
ただ好きだから好きだっただけで……そこに理由があるなんて考えたこともなくて。
うまく言葉にできずに考え込む私に海菜さんがゆっくりとした口調で一つの言葉を届ける。
「俺の知ってる、矢澤にこって奴は【憧れ】って言ってたよ」
「……憧れ?」
彼の紡いだその一つの単語が私の心に抵抗なく染み込んでいく。
「私も……同じかも」
「……」
思わず口にしてしまった『せめて』っていう言葉は、『私には到底そうなれないから、せめて』っていう意味だったのかな。
「私に無いものをたくさん持ってる人たちへの憧れが、私のアイドルへの熱意の源になってるのかもしれません」
「そっか……」
そう一言口に出した海菜さんの表情はとても優しく、それでいて少し寂しそうなものだった。
「つまり、君は『アイドルみたいになりたい』って思ってるんじゃないの?」
歩みを止め、まっすぐに私の目を見つめてくる海菜さん。
その真剣な光が私には少し眩しい。
「それは……」
「だったら、やってみるべきなんじゃないかな?」
きっと、この人はこの一言が言いたかったのだろう。
私の中に眠っている気持ちを優しく目覚めさせてくれた。ううん、海菜さんだけじゃない。穂乃果さんも、海未さんも、ことりさんも。そして凛ちゃんも。きっとみんな私の想いを分かっていたんだと思う。
「はい、私、スクールアイドルやりたいです……!」
必死に目をそらし続けていた私の素直な気持ちは、先輩方のお蔭で無視できないくらい大きく膨らんでしまったようだ。
でも、でも……。
「それでも、やっぱり自信がなくて……」
「自信がなくても!」
海菜さんは私の弱気なその言葉をかき消すように鋭い声をあげる。
どうしてこの人はこんなに一生懸命に私と話してくれようとしているのだろう。
「今やらなきゃ後悔するよ。俺はそのしんどさよく知ってるから」
そういって海菜さんは何か考え込む素振りを見せた後、真剣な表情で。
それでいてどこか辛そうに語り始めた。
***
「実は俺、小学校から高二の初めの頃までずっとバスケをやってたんだ」
「バスケ……ですか?」
「うん、背も高くはないけど小さくはないし、運動も出来た方だったからそれなりに上手い方ではあったんだよ。なによりバスケ自体がすごく好きだった」
見た感じ一七〇センチ後半はありそうな身長の海菜さんを見上げ、なんとなくバスケが似合いそうな人だなぁと感じる。でも、その話がどうしたんだろう。それに高二ってことは今はやってないのかな?
「高校に入ってからは国体選手の候補に選ばれたりもしたんだけどね……」
「そんなに上手かったのに、やめちゃったんですか?」
「うん。やめちゃった」
「どうして、ですか?」
スポーツのことはよく分からないけどきっとすごい選手だったに違いない。それなのになんで?なにより好きだったことをやめちゃう理由なんてどこにあるのだろう。
「話せば長くなるんだけどね。今日はそれを伝えたいわけじゃないから簡単に説明するけど。色々考えちゃったんだ」
「色々、ですか?」
「うん、ほんとにたくさんのことを考えたけど大きな理由は二つ。将来のことと、自分の才能のこと。」
「……」
私は静かに海菜さんの話に耳を傾けることにした。
「一応都内でもかなり優秀な進学校に通ってるから、二年生になって勉強も難しくなってきたんだよね。それで漠然と将来何をしていくんだろうって考えたら。やっぱり自分は勉強するしかないって思ったんだよ。
親はただの共働きのサラリーマン。結局いづれは自分の力だけで生きてなきゃいけない。だったら何か自分だけにしかない【武器】を身につけなきゃって思った。俺の場合それが勉強によって生まれるモノだったんだよね。
少なくともバスケで生きていけるほどの才能は持ち合わせてなかった」
「それで、バスケやめちゃったんですか?……両立だってできたはずじゃ?」
「うん、だからもう一つの理由があったんだよ。それは俺自身の能力の話。
大学受験するにあたって俺の家は裕福じゃないから現役合格が条件。それに加えて生きる武器を学力に決めた以上、日本最高って呼ばれる大学を目指そうって思った。
で、バスケもして勉強もして。なんて都合のいい話があるか。なんて思った訳。
もちろん、それが出来る人は世の中にたくさんいるよ?
でも、俺はそういう人間じゃないって思ったんだ。」
「……」
「で、結局俺はバスケをやめた」
努めて冷静さを装いながら話を続ける海菜さん。
その声は少し震えていたけど、それでも凛と響いた。
きっと海菜さんの中で、かつてあった葛藤は今言葉にしてくれたものの何倍も、いや何十倍もあったに違いない。私には想像も出来ないほどたくさんのことを考えて考えて、そして自分の大好きだったバスケをやめたのだろう。
「もちろんその選択が間違ってたなんてこれっぽっちも思ってないし今の自分に後悔なんてしてないよ?でも、その決断をした時の辛さはよく知ってる。だから、自分の大好きな何かを諦めるしんどさはよくわかる」
目の前の海菜さんは思い出したくない痛みを再び味わってまで一生懸命私に語り掛けてくれている。同じ辛さを知っているからこそ、なのかな?
なめやがって!転がり込んできたチャンスを自分の弱さが原因の、しょうもない理由でふいにするなんて馬鹿じゃないか!
なんて、怒ったっていいはずなのに。
本当に優しい人。
「だから、もし君が『自分に自信がないから』なんて理由で、君のもとに舞い込んだまたとないチャンスを蹴ろうとしているなら……本当によく考えて欲しい」
先輩の、勧奨とも懇願ともとれる優しい言葉に私は静かに。
それでいてはっきりと、うなずいた。