ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第三十話  変わった日常 その3

 練習を少し早めに抜け、塾へと向かい授業を受ける。雑念は多少はあるものの二年間の勉強というものは俺の中に確かなペースを作っており、きちんと先生の話に集中してノートに成果を刻む自分が居た。

 今俺が直面している恋愛の話は確かに重要なことではあるけれど、だからといって優先順位が書き換わったわけではない。きちんと古雪海菜は目標と向かい合えてる。俺は少なからず安心した。

 

 これで勉強に身が入らなかったらマズイからな。

 俺はちらり、と教室の後ろのほうでイチャつく恋人を視界の端に収めた。あいつら付き合ってたっけ? 多分最近だよな。てか、塾とはいえ授業中に乳繰り合うなバカ。

 内心毒づき、呆れて鼻を鳴らす。

 

 しかし、別に珍しい話じゃないのだ。

 

 この時期からカップルがよく成立する。もちろんそれは季節という話もあるけれど、現実逃避という場合が多い。

 受験勉強から逃れるために恋愛して、恋人作って。――その結果落ちていく人間を俺は見てきた。情けない、本末転倒。弱い先輩たちの背中を目に映しながら反面教師にしてきた。

 

 だから、今でも俺は注意深く自分を捉えきろうと努力してる。

 

 

――今の気持ちは、現実逃避では無いのか。

 

 

 疑う。

 

 それは自分の為でもあるのと同時に、彼女たちの為でもあった。

 こんないい加減な気持ちで幼馴染を、親友を……そしてあの天才を選ぶことなんて出来ない。大切な人達だからこそ、色んな事を考えて答えを出さなきゃいけないって思うから。

 

「はい、今日は終わり。お疲れ~」

 

 公務員とは違う、塾講師特有の緊張感の無い挨拶。

 俺たちは一斉にざわつき、立ち上がった。

 

 えっと、今日は……。

 

 俺はスマホを開いて曜日を確認する。

 

――希の迎え、間に合いそうだな。

 

 既に覚えてしまっていた彼女のスケジュール。この授業が伸びてしまったら行けない場合もあるのだが、どうやら今日は大丈夫。めっきりと暗くなってしまったこの時期に、彼女を一人返すのはやっぱり不安だった。

 ましてや希は一人暮らし。

 何かあったら……そう思うと不安で堪らない。

 

 自然に小走りになってしまうのも仕方が無いだろう。

 

「どうした、古雪なんか嬉しそうだな」

 

 不意にかけられる友達の台詞。

 

 

――彼女と会えるのが楽しみだから。

 

 

 そんな理由で駆け出してる訳じゃ……無いハズだけど。

 

 

***

 

 

 軽く息を切らせながら俺はいつもの階段下に辿り着く。

 

――居た。

 

「希!」

 

 振り返った彼女は薄明るい電灯の下でも分かる、嬉しさに揺れるような微笑みを浮かべた。それは何度も見たことのある表情で。

 

 だけど、俺はバカみたいに単純に跳ねる心臓の音を聞いた。

 

「今日は授業時間通りに終わったんやね」

「あ、うん。助かった、伸び始めたら止まんない人だからさ」

 

 自然に俺の横に立ち、歩き始める。

 絵里とは違う、微妙に距離の離れた位置取り。

 恥ずかしがりの彼女らしい、いじらしい態度に思わず頬が緩んでしまう。相手の気持を知ってしまっているというのはこういうことなのか。なんだかいけない事をしているみたいでちょっとだけ申し訳なく思った。

 

「古雪くん?」

 

 静かだった俺を不思議に思ったのか、希は見上げるようにして俺の表情を伺う。

 

 そしてそれは、意図せず見つめ合う形に落ち着いた。

 

「…………」

「…………」

 

 いや、落ち着いたけど落ち着かない。

 

 優しく垂れた目尻が可愛らしく、きちんと手入れされているらしい睫毛が艶やかに光る。何より彼女自身が感じているだろう恥じらいがそのまま瞳に色濃く出ており、なまじ俺が相手の心境を見抜く術に長けているせいか。見ているこっちのほうが照れてしまった。

 ゆっくりと希の顔は下へとシフトし、自然に上目遣いへと変わる。

 

――だから、ズルい。

 

 蕩けたように開く口から溢れる吐息とか、僅かに染まる頬とか。

 無自覚に見せるそんな無防備な表情が魅力的で仕方がない。

 

 

 この娘、こんなに可愛かったっけ!?

 

 

 内心で叫ぶ。

 まぁ、可愛かったけどな! すぐさま納得。そういえば、何度も彼女にドキリとさせられていた。なんとなく思い出に残ってる。その時は胸の高鳴りをスルーできたのだ。でも今はそんなこと出来ない。希の表情は、仕草は、いつまでも網膜に焼き付いて離れない。

 

「……ふる」

 

 ついばむようなカタチに変わるチャームポイントの唇。

 それだけで心拍数が上がる自分に毎度のことながら驚いた。

 

「古雪くん?」

「……ご、ごめん。何?」

 

 あー、もう!

 会話すらままならないなんてどうかしてるぞ。

 

 俺は半ば強引に雑念を振り払って返事をした。

 

「なんだか、最近ぼぅっとしてること多いよね?」

「そうか?」

 

 一応トボけてみる。……その通りなんだけどな。主に君と君の親友のせいでリズムが狂ってるんだよ。反省しろ反省。まぁ、君に関しては俺が勝手に気が付いて勝手にテンパってるだけか……。

 

「そうだよ。もう、寝不足なんちゃう? 無理し過ぎは良くないよ」

 

 ぷくり、と頬を膨らませて希は俺を軽く睨んでくれた。

 

「体調崩したら元も子もないんやから」

「大丈夫だって。生活習慣自体は変わってないし」

「本当なん? 怪しい……」

「ほんと!」

 

 嘘はついてない。睡眠時間自体は殆ど変わらないし。

 俺は慌ててふらふらと彷徨う気持ちをガッチリと捕まえ、表情を作った。

 

 希はじとっとした目線を送りながら、次第に態度を変えていく。

 冗談めかした少し怒っている感じの雰囲気から、ちょっとだけ暗いモノへと移り変わっていった。

 

「あのね、古雪くん……」

 

 伏し目がちな視線。

 彼女はもう何度目かも分からない台詞をくれた。

 

「ウチを送ってくのが古雪くんの負担に……」

「だから違うって!」

 

 俺は言い終わる前に強引にそれを遮った。

 

 全く、何回言わせるつもりだよ。

 今度は逆に俺が希をジトリと睨めつける番だ。

 

「しつこいぞ、希」

「でも……」

 

 彼女は申し訳無さそうに俯いた。一体何度同じやり取りを繰り返しただろうか。自分のことはいつだって後回し。人のことばかり気にしてしまう希らしい言葉に俺は深い溜息をついた。

 

「もう、十一月も終わりやん? 今まではちょっとは時間あったけど、センターまであと二ヶ月も無いし……」

 

 少しずつ声のボリュームを落としながらとつとつと言葉を落とす希。

 俺は取り敢えずは黙って聞いておくことにした。

 

「古雪くんは良いって言ってくれるけど、私としては……」

 

 む。

 

 俺は自分の額に僅かばかり皺が寄るのを感じる。

 

「いや、ホントに気にしなくて良いって」

「……うん」

 

 努めて軽い口調で言ったものの、希の表情は晴れなかった。

 

 あんまり良くない雰囲気が俺たちの間に満ちる。

 

「…………」

「…………」

 

 それは先ほどとは全く別質な沈黙だった。

 希は申し訳無さから、俺は――若干の苛立ちを込めて。

 

 少し気にし過ぎじゃないだろうか? 俺は本当にこの時間を余計なものだとは思っていない。この子が俺のことを好いている好いていないなんて話は全く関係なく、ただの友達として……親友としてココに来ているだけだ。

 

 それに……俺にとって、彼女とこうして二人きりで話せる時間は――凄く幸せな時間で。

 

 だからここまで気にされすぎるのもあまり心地良いものじゃない。

 もちろん、希のどうしようもない優しさだってことは理解ってはいるけれど。

 

 

 ただ、何となく腹が立ってしまったので……少しだけイタズラしてみることにした。

 

 

 

 

「そんなに君は……俺に迎えに来て欲しくないの?」

 

 

 

 

 どんな反応をするのか見てみたくて。

 

 ほんの出来心から紡いだ言葉。

 しかし、彼女にもたらした変化は劇的なものだった。

 

 表情に影を落とし、俯きがちに歩いていた希の肩が電流が走ったかのように大きく揺れた。慌てて視線を上げ、俺の顔を見上げる。

 

 

――今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 

 

 まずったな。

 俺は自身の判断を呪う。

 

 

 

「ちがうよ!」

 

 

 

 到底身体が触れ合うことがない距離が維持されていたお互いの肩と肩。きっと無意識だろう、希は右袖を引っ張って俺の身体を引き寄せた。練習後に使用した香水と、彼女自身の香りが混じりクラクラとさせる。

 普段感じることのない女性特有の柔らかさを右腕に感じ、俺は動きを止めた。

 

「ウチ、そんなつもりで言ったんやないの!」

 

 口吻しそうなくらい間近で見つめ合う。

 

「本当に嬉しいんだよ! 古雪くんがいつも迎えに来てくれて……」

 

 ち、近いって!

 ずいっと顔を寄せてきているせいで、彼女の整った鼻梁とかぷっくりと妖艶に膨らむ唇とか。毛穴が見当たらないくらいきめ細やかな白い肌なんかがキラキラと輝いて、俺の頬に最大火力の熱を与えた。

 

 慌てて離れようとするものの、どうやら希は完全に動揺しているらしい。普段の恥じらいはどこへやら、俺の勘違いを解くために必死で弁明してくれた。

 

 彼女には似つかわしくない早口と焦った表情。

 若干涙目なのが本当に申し訳ない。

 

「わ、分かったから……」

「分かってないよ! ウチがどれだけ!」

「ご、ごめん。ホントに分かってるから! 冗談だって!」

 

 ぎゅう、と右腕をしっかりとホールドしたまま潤んだ瞳で睨んでくる。

 俺達がいるのが夜道で良かったと安堵した。きっと今、俺の顔はどうしようもないくらい真っ赤に染まっているだろう。これほどまで身近に女の子を……希を感じることなんて無かったから。

 

「ウチは、古雪くんが来てくれるの楽しみにしてて……」

「の、希」

「でも、それは古雪くんの時間を奪ってるのと同じことで」

「…………」

「だから、今はウチのワガママを言う時じゃないって、そう思ったから」

 

 次第に鼻声に変わっていく。

 俺は少しずつ冷静さを取り戻していた。

 

「古雪くんは……優しいから何を言ったって迎えに来てくれるやん。ホントは迷惑に思ってたって、絶対に来るのを止めない人だってウチは知ってるから。だからこそ、そろそろ本当に……無理矢理にでも来るのを辞めて貰わなきゃって思ってて」

 

 一歩、彼女は俺から離れる。

 しかし彼女の両手は俺の袖口を掴んだままだった。

 

「だから、だから……そういう意味と違うんよ。嫌なんかじゃないの」

 

 すん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。

 泣いてないよな? 流石にまだ。

 

 俺はあやすように右腕を振り、彼女の気を引く。

 

「ウチは……、私は……」

「希」

「…………」

 

 俯いたまま顔は上げてくれない。ブレザーの袖の皺が僅かに形を変えた。

 

「分かったから、離してくれる?」

「…………」

 

 フルフルと首を振られる、

 どうやらまだ開放してはくれないらしい。

 

「その、ごめんって。別に俺も本気で君が嫌がってるなんて思ってないよ。ただ、希があんまりにも遠慮するっていうか、俺を来させたがらないからつい……」

「そんなつもりやないもん」

「でも、そう受け取っちまうくらい君は遠慮し過ぎなの」

 

 空いている左手で手刀を決めた。

 可愛らしい悲鳴が彼女の口から漏れる。いやいやをするように低い位置で留められた髪の毛が揺れた。

 

「あんなに拒絶されたら俺だって意地悪の一つくらい言いたくなるって……」

 

 俺は知らず知らずのうちに笑みを漏らす。

 

――きっと、こんなこと絵里と一緒にいても起こらないんだろう。

 

 お互いのことを分かり過ぎているせいか、きっと彼女が希の立場なら何も言わず俺に送られるはずだ。俺が心底そうしたいって感じ取ることが出来るから。

 

 でも、俺と希はそうじゃない。

 この二年間半で二人の距離は縮まって、お互いのことをたくさん知ることが出来た。良いところも、悪いところもきっと見抜いてる。だけど、そこには限界っていうものが存在していて……。

 今回もお互いの思いを全て理解することは出来ていなかった。

 

 希は、自分をいつも後回しにする娘だ。

 何よりも先に誰かの心配をしてしまう女性。

 

 だから俺の心からの行動も、俺が気を使っている結果だと勘違いしてしまったんだと思う。こちらも同じで、自分の思いやりを必要以上に拒絶する希の態度が……あまり嬉しくはなくて。

 

 あの娘が俺のことをもっと分かっていたら。

 俺があの娘のことをもっと分かっていたら。

 きっとこんなことは起こらなかった。

 

「じゃあ、これからも迎えに……来て貰っても良いの? 本当に? ……ウチ、古雪くんに無理させてへんの?」

 

 やっと彼女は顔を上げてくれた。

 視線を交わし、俺は微笑む。

 

 まだまだ分からないことが、理解できないことがたくさんあるのだと思う。だけどそれでも良いと感じる。きっとまだ時間はあって、こうして少しずつ分かり合っていくのだろう。

 

 希の一番の美点である優しさを――疎ましく思ってしまうような経験をして……俺たちはもう一歩、近づけるんだ。

 

「……どうだろうな」

 

 ちょっとだけ拗ねたフリをして見せて。

 すぐに続ける。

 

「君がもう一度、お願いしてくれたら良いよ」

 

 その台詞に隠された意味を、希は正しく理解してくれているだろうか?

 

 俺は、改めて彼女に頼んで欲しかった。

 受験が大変で、時間が貴重で。それを知った上でお願いして欲しい。その口で、その声で。だって、それは、俺を本当の意味で信じてくれなければ出てこない言葉だから。

 

――俺は希に想って欲しい。

 

 

 古雪海菜は絶対自分の目標を叶えてくれるって。

 友達と一緒に帰るくらい、屁でもないんだよ。

 

 古雪海菜は……東條希を大切に想ってるって。

 君を放っておける訳がない。

 

 古雪海菜は、君と二人の時間を過ごしたいんだって。

 その理由はまだ分からないけれど。

 

 

 そして、希はまじまじと俺の顔を見つめた後、くすりと微笑んだ。

 きっと俺の意図を汲んでくれるのも彼女だから出来ることで。

 

 

 

「じゃあ、古雪くん。……これからもよろしくお願いします」

「あぁ……貸し、だからな?」

「うんっ。……ありがと」

 

 

 

 そして、彼女は名残惜しげに俺の右袖を離す。

 

 

 

 今はまだ――その手を引き止めることは出来なかった。

 

 

 

 朧月夜の下、僅かばかりの影が揺らめく。

 その二つの距離は昨日より少しだけ……近くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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