ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第二十四話 かえりみち

 ツバサと話をしてから二時間ほど。俺はいくらか冷静になった頭で過去問を解き進めていた。

 

 俺は性格上、人に相談してどうこうするのが苦手な方ではあるが、彼女と話していくらか楽になった自分がいることに気付く。なるほど、これが悩みを人と共有するということか。そんな月次な感想を浮かべた。

 相談に乗って貰った訳ではないが、自分の中で確信が持てなかった部分。つまり『希が俺に好意を寄せている』という疑いが、ツバサと接触することによってほぼ確信へと変わった。

 

 彼女がわざわざここに現れた意味。

 そして、俺自身の培ってきた洞察力や思考力。

 今までの思い出や過去を根拠にすれば、きっと間違いはない。

 

 人間とは不思議なもので、明確な課題よりも、疑いや疑惑の状態のままの問題に対して強いストレスを感じるものだ。ツバサの提示した最終予選までというタイムリミットも、俺にとっては良いプレッシャーになっていると思う。

 正直、まだ恋愛感情というものは分からないし、どうすべきかなんて検討もつかない。

 しかし、多少なりとも前向きな思考と冷静な状況把握が出来るようになっていた。

 

 ……昨日今日ともはや病んでるレベルだったからな。

 それを考えると大きな進歩だろう。

 

 大きく息を吸って、吐く。

 

 計算用紙に記した解答が、赤本のそれと完璧に一致しているのを確認した後、俺は現在時刻を確認した。そろそろ閉店の時間が迫っているようだ。

 消しゴムのカスやシャー芯から零れた粉を丁寧に片付けて俺は席を立つ。

 マグカップを返しがてら大して売上に貢献できない男子学生をいつも快く迎えてくれるマスターに挨拶しつつ、相変わらず開閉時に大きく軋む古いドアを開けて外に出た。木枯らしが吹き、店内の暖かさに慣れた身体が震える。

 

 

「……希、迎えにいかなきゃな」

 

 

 寒さの中、一番初めに浮かんだのはやるべきその習慣。

 俺は小さく呟くと、彼女のバイト先へと向かった。

 

 

***

 

 

 いつからだろう、彼女を迎えに来始めたのは。

 

 境内へと続く石段を登りながら考える。

 時期は覚えていない。既に塾の授業がない時は迎えに来るって習慣が出来上がってしまってるからな。始まったタイミングをわざわざ記憶しては居ない。ただ、そんなルーティンが出来たきっかけはよく覚えている。

 

 理由はシンプル。

 俺はこの時間、希に日が沈んだ後の夜道を一人で帰らせるのが堪らなく心配だったんだ。

 

 いつも帰りは一人っていう話を聞いて、居てもたっても居られなかった。不自然なほど大きな感情の波。でも、それは友達として当たり前の感覚だとも思う。贔屓目なしに彼女は美人だし、スタイルも良い。そんな娘に危険を負わせられないだろ。

 もちろん週何度かの送りは、俺にとっては多少の負担にはなっている。本音をいうと、精魂尽きかけるまで勉強した後の事だから、体力的には少しばかりキツイ。それにそんな様子を優しい彼女には見せられないから、出来る限り明るく振る舞わなきゃいけないし。

 

 

 でも、不思議と俺にとって彼女を迎えに行く時間は苦でなかった。

 

 

 家に帰る際にわざわざ遠回りして、数十分とはいえ勉強時間を減らして。

 体力削って、精神削って。

 

 それでも、行きたくないとは一度も思ったことがない。

 

「…………」

 

 思わず石段の途中で足が止まる。

 

 不思議なものだ。

 どうして俺はこんなに一生懸命希を迎えに来ていたんだろう?

 

 

――友達だから当たり前。

 

 

 そんな理由に逃げられるほど、俺は自分を騙すのが得意では無かった。

 

 

「希の事が好きだから……心配してしまうのかなぁ」

 

 

 独白。

 

 マンガやアニメの主人公なら、上手く恋愛というフィールドから逃げ出して曖昧な誤魔化しをしてしまえるのだろう。幼馴染の親友だから、自分自身の大切な友人だから。常識的に女の子には優しくすべきだから。そんな、上っ面の理由。

 

 確かに、理由をつけようと思えば幾らでもあげられる。

 

 しかし、今の俺にそんな悠長な時間は無い。

 

――好きという気持ち。

 

 それを正確に理解しないことにはツバサに対する返事だってしようがないから。だからこそ、俺は自分自身に問い続けなければいけない。俺にとって『好き』とはなんだ? 俺にとって、女の子と付き合うとはどういう意味を持つ?

 

 そんな問いかけと向かい合い続けなければ、答えは出せないって俺は知っていた。

 

「でも、それを言うと絵里のことも心配だしな……」

 

 小さく溜息。

 

 もし、彼女がバイトをしていて、毎回夜遅く帰ることになっていたなら俺は間違いなく絵里を毎日であろうと迎えに行くと思う。もし、希のことを好きだからここに居るとすれば自動的に絵里のことも好きだって話になる。

 でも、二人共に恋愛感情を持つことなんてあり得ないし、もっと言うと穂乃果が夜道を一人で歩いてるってなっても俺はなんだかんだ走って迎えに行ってしまうかもしれない。

 

 つまり、どういうことだ?

 

 慣れない思考に回路がショート。

 プスプスと焦げ臭い香りが辺りに漂っていきそうだ。

 

 まぁ、すぐに答えが出る訳ではないし、もしかしたら考えても見つからない問いなのかもしれない。ラブソングでよく語られるその答えは、いつだって感覚的で直情的。好きっていう感情は自分の意思とは関係ない部分も大きく内包する摩訶不思議な……。

 

 

「……古雪くん?」

 

 

 耳に残る甘い声。

 鼻孔をくすぐる優しげな香り。

 

 

――リアルに心臓が口から飛び出しかけた。

 

 

「のっ……希? な、な、な……何?」

 

 我ながら上ずった声が出た。

 

「いや、それはウチの台詞なんやけど……。石段の途中でじいっと考え事してる古雪くんには言われた無いな」

「あ……」

 

 俺は我に返って辺りを見渡す。

 彼女の言葉通り、俺は石段のど真ん中で停止していたらしい。

 

 俺は取り繕う言葉も浮かばず、露骨に視線を反らすと身体の向きを降りる方向へと変えた。希が不思議そうにこちらの様子を伺っている気配を感じるが、流石に今の心理状況で彼女と真正面から向き合うほど俺は女の子慣れしていない。

 

「と、取り敢えず帰るか……」

「う、うん。今日もありがとね?」

 

 軽くローファーを鳴らしながら希は俺よりも二段ほど先まで降りると、下から上目遣いで俺の顔を見つめて一言くれる。申し訳無さと嬉しさの入り混じった酷く魅力的な笑顔。俺にはその仕草と表情がやけに可愛らしく見えて、思わず俯いてしまった。

 

「古雪くん、どうかした?」

「……いや、ちょっと目が痒くて」

 

 恥ずかしくなるほどベタな誤魔化しを披露。

 俺は俯いたまま表情を伺われぬように彼女を追い越すと普段の三割増しのペースで階段を降り始めた。後ろからおそらく俺に合わせてくれているのだろう、少し早めの足音が聞こえる。

 

 ダメだ。平常心に戻らなきゃ。

 相手が自分に好意を持ってくれてるかもしれないからって理由で意識してしまうなんて、そんな小学生ちっくでウブなリアクションを取ってる場合じゃない。もっと、理知的で大人な対応を……。

 

「それにしても、寒くなったね」

 

 石段を降りきり、希はマフラーに顔を埋めるようにして言う。

 普段通りの彼女の仕草。それでも、俺の瞳にはどこかいつもよりも魅力的に映ってしまった。

 

「そうだな」

「古雪くんは体調大丈夫?」

 

 もう、あと二ヶ月でセンター試験やん。希は心配そうに俺の顔色を伺う。

 そういえば、この娘はいつも俺の心配をしてくれてたな。

 

 ふと気がつく。今だって……。

 

「あぁ。そこそこ元気かな」

「そっか! 良かったね」

「てか、君こそ大丈夫なの? 練習、キツイだろ。新曲だし」

 

 全員で歌詞を作り、最終予選で披露することに決まった新曲。やっぱり、新しい振付を覚えこんで見せられるレベルに仕上げるにはかなりの努力が必要だ。彼女に負担が大きくかかっているのは間違いないだろう。

 

「あはは。もうちょっと、ウチに運動神経があったら余裕だって言えるんやけどね……」

 

 照れたように笑って彼女は言う。

 

 やはり、μ’sのメンバーの中にも技術差は出てくる。歌が上手いメンバー、ダンスが上手いメンバーなど。もちろん、海未の特訓の成果か、体力などの基礎的な部分に殆ど差はない。しかし、やはり振り付けを覚える速度には才能が大きく関わって来るらしくて……。

 

 残念ながら希はあまりダンスや歌が得意でない。

 

「でも、大丈夫だよ」

 

 演技ではなく、本物の笑顔を浮かべながら彼女は言う。

 

「夢が叶いそうだから。……その為の努力は苦やないし」

 

 その目には、確かな強い光が宿っていた。

 

 何度も転校を繰り返した経験からか、周りに影響を与えること無く溶け込む術を身につけた希。彼女はその性質故に、他の誰かの意見に寄り添ったり自身の考えを曲げることが多かった。

 それは良い言い方をすれば大人。

 否定的に言うなら自分を持たない流されやすさを持つということ。

 

 でも――今の彼女は違う。

 

 自分のやりたいこと、叶えたい夢を口にした。

 そして、それを掴もうと必死に頑張ってる。

 

 そんな、仲の良い同級生がひたむきに努力する姿を目にして想う。

 

――俺も負けてられないな。

 

 そう、俺は自分自身の覚悟を新たにしようとして……

 

 

 

「ありがとね、古雪くん」

 

 

 

 左耳に暖かな吐息がかかった。

 同時に、左手で感じる体温。

 優しい、聖母のような声。

 シルクを撫でるような指先の感覚。

 

 

――希に軽く手を取られ、耳元で囁かれたのだと理解するまでにたっぷり一〇秒を要した。

 

 

 至近距離で見つめ合う。

 希の熱を持った瞳、手のひら。一瞬の間の後、早鐘のように鳴り出す心音。

 

 俺たちは石段の下、同時に足を止めていた。

 

「の……ぞ、み?」

 

 呟く。

 掠れた声。

 それでも、この距離なら彼女に届いた。

 

「……あっ」

 

 希は小さく声を上げると、慌てて俺から距離をとる。静電気でも走ったかのように俺の指先から自身の右手を離して後ずさった。

 お世辞にも明るいとはいえない街灯の下でも、彼女が頬を紅く染めているのがよく分かる。

 

「ご、ごめんね?」

「い、いや……」

 

 一体何に対する謝罪なのか。

 いろいろと聞きたいことはあったが、今の俺には内容のない相槌と三点リーダしか生み出せない。ついでに、一瞬で明後日の方向へ視線を泳がせてしまったせいか、今現在希がどんな表情をしているのかも分からなかった。

 

「…………」

「うぅ……」

 

 沈黙に耐えられないのか、希が切なげに呻く。

 し、仕方ない。気を取り直して会話の続きを……。

 

「とぉっ……! と、ところで」

 

 赤面しそうなくらい派手に声を上擦らせながらも俺はなんとか台詞を口にする。

 

「ありがとって、何の話?」

「あっ。えっとね」

 

 こくり。

 彼女は小さく頷いた。

 

「今、夢を叶える努力なら苦やないって話をしたやろ?」

「あぁ、そうだな」

「それで、皆でラブソングを作って踊れるのは古雪くんのお陰やから……」

 

 優しく垂れた目尻をもっと緩め、希は笑う。

 

 

「だから、ありがとうございます……なんよ」

 

 

 俺は、その表情に不覚にも――見惚れてしまった。

 

 どこが、と聞かれたら難しい。

 

 笑顔の質、というものがあるとすればきっとツバサの右に出るものは居ないだろう。元々の顔の造り、動かす筋肉、瞳の色……。色んな要素が絡み合って笑い顔というのは形作られる。彼女なら、最大多数の人間が魅力的だと感じるそれを作り出すことが出来るに違いない。

 しかし、俺は希の……目の前のただの同級生の笑顔に引き込まれた。

 

 僅かに紅潮する頬も、柔和な光を宿す瞳も。

 呼吸が止まりそうになる程に可憐で、俺の心を掴んで離さなかった。

 

 初めてのような、それでいて懐かしいような。もしかしたら、いつも感じていたのかもしれない感情。しかしこれが、俺の中のどんな想いから来る感情なのか冷静に考えている余裕はまだ無かった。

 

「別に、改めてお礼を言われるほどの事じゃないって」

「そんなこと無いよ。ウチは本当に嬉しかったんやから」

「…………」

「あ、古雪くん。いま照れてるやろ?」

「分かってるなら言わなくて良いだろ!」

 

 素直にまっすぐ届けられる誰かの想いを、額面通り堂々と受け取れないのはきっと俺の悪い癖だと思う。もっとも、動揺している理由はもっと他にもあるんだけどな。

 

 ところで。

 

 と、俺は急いで話題を変えようと試みる。

 済んだことを改めて感謝されるのはやっぱり照れくさい。

 

 希もそれを察してくれたのか、いつもの雑談に戻ってくれた。

 

 

――からかい。

 

――ふくれっ面。

 

――相槌。

 

――ボケやツッコミ。

 

――笑顔。

 

 

 俺たちは二人並んで歩く。

 その距離は少しだけ縮んだ――様な気がする。

 

 色んな話をして、笑って。

 お互いの事を想いやって。

 表情を伺って、想像して。

 

 でも、やっぱり心の奥底は二人共まだ見えない。

 きっと、それは自然なことで、むしろそれが普通なのだろう。だからこそ色んな事を考えてみてはあぁでもないこうでもないと悩み、なんとか相手の気持ちを知ろうと努力する。自分の在り方を分かって貰おうと一生懸命言葉を紡ぐ。

 

 少しずつ、俺と希の関係は変化しつつあるけれどそれは変わらない。

 

 

 

 しかし――。

 

 

 

 俺には、そんな普通の関係とは程遠い女の娘が一人だけ。

 

――側に居た。

 

 

 

 

 帰宅して自室に戻る。

 しばらくした後、ドアを叩く音が響いた。

 

「お邪魔するわね。一緒に勉強させて貰っても良い?」

「あぁ。モーマンタイ」

「古いわね」

「うっさい」

 

 一瞬だけ振り返る。

 律儀にノックをして入ってきたのは教科書とノートを抱えた幼馴染の姿。清廉で、そのまま外出しても違和感の無さそうな可愛らしい部屋着を着こなす美少女。彼女はキラキラと輝く自身の金髪をさらりと撫でると慣れた様子で俺の隣に座る。

 

 そのまま、特に会話をすること無くお互いシャーペンを握り……。

 

 

――唐突に、絵里と目が合った。

 

 

 交錯する視線。

 別段、何かを窺い知ろうと心がけたわけではない。きっと、絵里も俺の中の何かを理解しようと俺を見た訳でもないだろう。しかし、不思議な事に意識せずとも伝わるものがあるらしい。俺と彼女にしか分からないお互いの変化。

 

 

 

 

「海菜、もしかして、今日何かあった?」

 

 

 

 

 きっとこれは、世界で一人だけ。

 絵里にしか紡げない言葉だろう。

 

 彼女は、ツバサと会うことによって変化した俺の中の何かに気がついた。

 

 

――さすがだな。

 

 素直に思う。

 同時に、どこか嬉しさも感じた。

 

 

 きっと、ツバサにも。そして希でも分からない俺の心の変化。

 それが彼女には分かってしまうのだろう。

 

 俺は少しの間逡巡した後、静かに語り始める。

 

 

 

 

 

 

 俺を取り巻く何かが大きく形を変えていく音。

 それが確かに……聞こえた様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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