雷神   作:rockon

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七話 前夜

 渡はレストランで一時放心していた。

 

 何故こうなってしまったのだ、と何度も繰り返し自らに問いかけ、最終的には自分をイタリアに送り込んだ祖父が悪いと責任転嫁しようとした。情報を伏せられたとはいえ、自ら望んでこの地に来たという事実に蓋をして。

 

(はあ~、帰ってから爺ちゃんに文句を言えばいいとして………これ以上、くだらないことを考えるのは止めようか)

 

 一度だけ上を向いてから、決闘に向けての準備をしようと決意した。決意したのだが、心の内側から湧き出る溜め息を止めることはできなかった。

 

 そんな渡を見たせいか、聖ラファエロが少しだけ申し訳なさそうに話しかけてくる。

 

「すまなかったね。無茶な注文をつけて」

 

「ん、ああ、いいですよ………もう。こっちも条件を出しちゃいましたから」

 

「そうかい。あの馬鹿を大人しくしてくれるのならば、こっちもできる限りの協力は惜しまないよ」

 

 サルバトーレ・ドニが弟子となって以来、様々な苦労を背負った彼女は大きな溜め息をついた。同じような悩みを抱えた渡に同情しているのだろうか。

 

 そんな彼女に向けて恨みがましく、淡々と告げる。

 

「協力というのなら、馬鹿を押さえてほしかったんですけど。一応師匠なんでしょ」

 

「それは無理だね―――篠宮もいつまで文句をたれているんだい。カンピオーネ、人類のうえに立つ存在として毅然(きぜん)としていなよ」

 

「………………………」

 

 師匠という立場を放棄したかのような女性の言い分ではないだろう。そんな視線の圧力をしっかりと感じたのか、彼女は誤魔化すかのように話し始めた。

 

「それよりも今後のことを考えようじゃないか」

 

「まあ、あいつの師匠であれば知っていることも多いでしょう」

 

「いや、師匠と名乗ってはいるものの、決闘相手というのが正しいのかもしれないがね………あの馬鹿は毎日朝昼晩、時も場所も選ばずに、ましてやこっちの事情なんてものを考慮せず戦いを挑んできては、勝手に剣の基礎を盗んで言ったんだよ………ほんと、もう………」

 

「うわ………」

 

 負の感情がたっぷりと詰まった声で言い放つ。思い出したくも無い黒歴史なのだろう。ドニに会ったときに思った彼女への複雑な感情が吹き飛び、一気に同情に変わった瞬間であった。

 

「まあ、馬鹿なりに実践こそが上達の一番の道のりであると勘が働いたんじゃないか」

 

 そして勘の導きにしたがって『まつろわぬ神』と戦い、カンピオーネとして生まれ変わった。冗談もほどほどにしてほしいものだ。

 

「ふう、いいですけど………協力してくれるというなら、知っている限りでいいんで馬鹿のことを教えてくださいよ」

 

「ああ、かまわないよ。まず馬鹿弟子は魔術なんてものは全く使えない、剣のみに己を捧げている奴。そして、カンピオーネとなって数週間しかたっていない新米だ。持っている権能は二つらしく、一つは簒奪したばかりだから何も分かっちゃいないよ」

 

「初めて簒奪した権能は分かっているのか」

 

「簒奪した相手はケルト神話において銀の腕と光の剣を所有するダーナ神族の王ヌアダだろう。だが、エリンの四秘宝のうちの一つ・クラウ・ソラス自体を簒奪したのではなく、輝く銀の右腕を得たようだ。その銀の右腕で持った剣を魔剣にする権能だよ」

 

 その場にいる人は聖ラファエロの解説に聞き入っている。

 

 特別なアクションを起こしているわけではないが、渡は一字一句逃さずに聞いているかのような真剣な顔をしている。普段どんな行動をしていようとも決闘が確定した以上、相手の情報は得ておくべきなのだ。

 

「ちなみに私が初めて見たときは剣を振るっただけで砦を真っ二つにしたり、地割れを作ったりしていたよ」

 

「えーと………つまり、一言でいえば『一撃必殺の魔剣』ってところか」

 

「概ねその通りだといえるね。まあ、剣自体を簒奪したわけではないし、常に剣を持ち歩かなければいけないから………剣を奪うことができれば勝てるとは思うけど………」

 

 剣士の命といえる剣を奪うのは困難なことだろう、そんな声が聞こえたような気がした。

 

 簡単に要約してみると、『剣』の性能を最大限底上げするような力だろうか。一つの性質を極めた権能というものは、それだけで脅威の対象である。もっとも権能で強化された魔剣なのだから、それ以上の何かがあると考えたほうがよさそうではある。

 

「それに、カンピオーネになるときに真髄を掴んだんだろう、剣の腕は凄まじく成長していたぞ」

 

 一撃も受けられない魔剣とまだ見ぬ剣の技量を想像して身震いした渡に対して、今まで黙って聞くことに専念していたサラが言う。

 

「威力だけを比較してみると、渡の権能の方が勝っているとは思うのだけど」

 

「篠宮の権能かい………大規模なものだと聞き及んでいるが、実際はどんな力なんだい?」

 

 そう聞かれて思い出すのは水を落下させる権能である。確かに破壊という一点だけ比べてみるならば、ドニの権能より凄まじいといえる。

 

 だが権能というものは用途が広ければ広いほど、強力であればあるほど、天秤のようにメリットとデメリットのバランスが取れているものだ。

 

 落下現象、雨を降らせる権能は効果を及ぼす範囲が全方向に広く、燃費が物凄くいい。そして弾を落下させれば重力に従って加速するため権能を使用し続ける必要が無いというメリットを持つ。

 

 その反面、地面に降り注いでくるまでにタイムラグがあり、一度落下させれば使用者本人ですら止めるのが難しいというデメリットを持ってはいるが。

 

 また、それ以上に問題なのは落下角度と加速しか制御できないという点と行使した自分にも被害が及ぶ可能性がある点、そして高高度で弾を構成する場合には巨大な弾を作り出さなければならない点の三つだろう。

 

 落下地点は落下角度を操ることで決定するのだが、弾を作る高さが高度であればあるほど、数度のずれにより落下地点を数キロメートル、場合によっては数百キロメートルずれてしまうのだ。

 

 そして高度から落下させるほど衝突したときの威力は凄まじいが、高ければ高いほど空気との摩擦によって巨石が削られて小さくなってしまい落下時の衝撃が軽減されてしまう。そのため、呪力を通常より多く消費して大きな物体を創らなければならない。また、その時の巨石によって生み出された衝撃は凄まじく強力で広範囲であるため、自分も被害を受けてしまうので注意が必要である。

 

 そのため、この権能を行使するときは慎重に制御しなければならない。もし角度の設定を少しでも間違えでもしたら、流れ弾として落下するモノが周囲に及ぼす影響は計り知れないのだ。最悪、一つの町が簡単に消滅することも考えられるのだから。

 

 これこそが渡が三番目に簒奪した凶悪極まりない権能といえる。

 

 そんな権能を簒奪したカンピオーネが戦うのだから、把握だけはしておきたいのだろう。

 

 だが―――

 

(そう簡単に権能を明かしていいのかねー)

 

 権能に限らず情報というのは一種の武器といえ、内容を知っているのならば対応策も立てられるのだ。渡の祖父も「戦いにおいて相手の情報を持っているか否かで大きく違う」とも言っていたはずだ。

 

 渡は一瞬だけ逡巡するも、対応策は少ないのではないかと思い直す。神速や不死身の権能を簒奪していないのなら、同等のエネルギーを持ってして相殺するしか道は無いのではないかと考えたのだ。

 

 そのため、軽い口調で説明をした。

 

「一言でいえば、隕石だな」

 

「隕石かい?」

 

「まあ、正確にいえば『雨』の権能みたいだけど………この権能は上空にあるものに干渉して氷の巨石を創りだし、落下させることができるんだよ。高高度で雹を極限まで大きくするイメージってところかな」

 

 改めて他人に説明してみると、自分の権能の非常識さがよく分かる。

 

 今の説明だけで破壊力と破壊規模を理解したのだろう、聖ラファエロは口をあけ唖然としていた。美女のそんな顔は見ていて面白くはあった。また、実際にその光景を見た周囲の魔術師たちは、畏敬の念がこもった目で渡を見ていた。

 

 その後、権能の扱いづらさなどを事細かに説明したら、全員ドン引きしていた。町一つ消し飛ばす権能が扱いづらいなど、冗談だとしても笑えないものだ。事実であるのなら、それこそ勘弁してもらいたいものだ。

 

 しかし、それが事実であるのだから仕方がない。

 

 落下地点ではなく落下角度しか制御できないため、大雑把にしか落下地点を決めることができず目標をピンポイントで狙うことが不可能に近いのだから。

 

 造りだした氷岩に何度も干渉すれば狙いをつけることは可能だが、自分と同等、もしくは同等以上の敵を相手にするならば余裕はない。

 

 そのため、ある程度敵の行動に予想をつけ、数で押し潰すように相手を攻撃するのが一番なのだ。

 

(大雑把になるから、そこに手違いが生じる可能性がある、と………本当、面倒くさい権能だよな)

 

 そんな考えにふけっていた渡に、一つの疑問が提示された。

 

 聖ラファエロにしてみれば渡の口から「違う」という言葉を聞きたいのだろう………。

 

「一つ伺いたいんだが―――去年、オリンピア遺跡の近くでクレーターがいくつもでき、遺跡自体にも被害がでるという事件があったんだが………」

 

 その思いに反して、時間が凍結したかのように場は静まりかえった。

 

 嫌な予感をともないながら、ハッとなって振り向くサラと周囲の魔術師たち。それに対して、物凄い勢いであさっての方向に顔を向ける少年。

 

 温度・湿度ともに快適だというのに、渡の額からは一筋の汗が流れている。渡にとっては触れてはいけない事柄、初めてその権能を使用した場所である。めまぐるしく脳内回路が回り始め、言い訳が浮かんでは萎んでいく。

 

「………ま、まあ、あれだよ………俺にも色々やんちゃな時期もあったということで、うん、そういうことだよ………」

 

 どんな言い訳をしても無駄だと悟り、事実を歪曲せずに柔らかーく伝える………本人からしてみると、だが。

 

 しかし、口から出てきた言葉は言い訳にもならない戯言(ざれごと)であった。その行動が、その言葉が自分の仕業だと言外に告げている。

 

 神妙なジョークでも飛ばせばよかったのだろうか………。

 

 渡の説明を受けて、テーブル周辺の空気が質量を持ったかのように重くまとわりつく。

 

「………少し、ほんの少しでいいから、周辺に気を使ってほしいものだ」

 

 その言葉に「…鋭意努力はします」と答えながら、神妙に頷く。

 

 こいつも同じなのか………、そんな諦めきった感情がありありと表れている彼女の顔を見てしまえば、そう言うほか無かった。

 

「まあ、一対一(タイマン)ならきっと使わないんじゃないかなっ………。ドニとの対決は大丈夫だよ………た、たぶん………」

 

 自信の無さが表われ、最後のほうは囁くかのような小声、その語尾は「だけど………」と繋がりそうな不穏な雰囲気があった。

 

 言葉を失ってしまうほどの衝撃を受け、不安を隠しきれない様子で体を震わす人々。

 

「「「……………」」」

 

 更に重くのしかかってくる空気があたり一面に漂うなか、いち早く我を取り戻したのはサラだった。実際に権能を見たことがあるぶん、ショックの度合いが少なかったのかもしれない。必死に取り繕おうとする。

 

「い、今話すべきは渡に関することではなく、サルバトーレ卿についてですよね。そうですよね!」

 

「そ、そうだね。今は決闘について考えるべきだろう」

 

 その言葉でようやく我を取り戻した聖ラファエロが話を引き継ぐ。

 

「ま、まあ、篠宮については一旦置いておいて、サルバトーレ・ドニについて私が知っていることはもう無いよ」

 

「結局、ほとんど相手の情報がないわけか」

 

「あいつがカンピオーネになってのは少し前のことだからね。仕方ないといえばそれまでだよ」

 

 確かにその通りだ。

 

 それに、相手の情報が無いまま闘うのはいつものこととも言えるのだから、少しだけでも得られたことを幸運に思うべきだろう。

 

「二つ目の権能に関しては倒した相手も分からないのか」

 

 それに対する返答はサラからもたらされた。

 

「そうでもないわ。サルバトーレ卿が倒した二柱目の神は英雄神ジークフリートよ」

 

「簒奪したばかりなのに、神名まで分かっているのか?」

 

「イギリスの賢人議会から数日前に発表されたばかりよ。約一週間前にヴォバン侯爵が『まつろわぬ神』を招来する儀式を執り行なったようだけど、サルバトーレ卿は招来された神を横取りして権能を簒奪したようなの」

 

「はあ!?」

 

「馬鹿馬鹿しい話だけど。ヴォバン侯爵のお怒りからみても事実のようね………議会の人たちは運良く生き残った巫女から少しだけ話を聞き、レポートを発表したの。それによると儀式は『ニーベルゲンの歌』を触媒として英雄神ジークフリートを招聘(しょうへい)した、そう記されているわ」

 

 『まつろわぬ神』招来の儀式。

 

 カンピオーネになりたてのころ祖父から教えてもらったことの一つで、まつろわぬ神を招来するには三つの条件があるということだ。

 

 一つ目は極めて巫力に優れた魔女や巫女―――カンピオーネの一声があれば集められるだろう。

 

 二つ目は神の降臨を狂気にちかい強さで願う祭祀―――戦いに餓えた獣、カンピオーネがいれば十分。

 

 三つ目は呼び寄せる神の魂と肉体を形成する物語、多くの国や人々の間で流布された神話―――今回は『ニーベルゲンの歌』のことだ。

 

 あとは星の配列や地脈の流れで膨大な呪力を確保できれば十分であったはずだ。それだけの労力と時間を費やしてまで招来した『まつろわぬジークフリート』を新顔に横取りされたのだ。

 

 他者の迷惑を考えない暴君が巻き起こした儀式で目的を達成できなかった道化っぷり。そして、他者の獲物を奪うという戦士として、人としても問題のある行動をやった男の非常識さ。

 

 ほんと馬鹿馬鹿しい話だ、と心の奥底で嘆息する。

 

「ということは、ジークフリートの権能か………名前ぐらいは知っているけど、ジークフリートって何をやったんだ?」

 

「ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公、ジークフリートで一番有名なのはファブニール退治でしょう。彼はファブニール退治を退治した際、魔力のこもった竜血を浴びて全身が甲羅のように硬くなり不死身の体となるわ。でも、背中に一枚の菩提樹の葉が貼り付いていたせいで竜血を浴びられず、この一点のみが彼の弱点となったのよ」

 

 竜を退治する英雄神、彼らが不死の肉体を得る物語は多い。

 

「その後も多くの功績を挙げたジークフリートはクリームヒルトと結婚するも、ジークフリートの暗殺が計画された際には彼女から弱点がばれてしまってジークフリートの暗殺は成功するの。ちなみに、ジークフリートの暗殺計画の発端になったのは女同士の争いね」

 

 叙事詩『ニーベルンゲンの歌』において後半部分はクリームヒルトの復讐劇となっているため説明を省略し、いつの世も女というのは恐いものね、と説明を締めくくった。

 

 カンピオーネになるときに得る権能は神々の一部であって、倒した神の全てではない。そのためカンピオーネの権能がどのような形で発現するのかは実際に使用してみるまで分からない。

 

 だが、倒した相手が分かれば少しだけでも予想はつく。

 

 実際に、このメンバー内でサルバトーレを一番良く知る人物は、ある程度の推測を立てることができたようだ。

 

「あの馬鹿弟子は剣にしか興味がないやつだから、魔剣か………もしくは不死身の権能といったところだろうね」

 

「そうか………まあ、これだけ情報が集まったんだから十分だろう」

 

「そうかい。篠宮、面倒なことを押し付けて悪かったな。あいつの相手は大変だろうけど頑張れよ」

 

「………この人はよー、人事だと思いやがって」

 

「まぁ、実際のところ私の出る幕はもう無いから―――他人事だよ」

 

 まあいい十分な情報は集まったのだから、後は決戦に備えて英気を養えばいいだろう。

 

 渡はその旨を説明してから、ホテルの部屋に戻り静かに待った―――サルバトーレと闘う日を。

 

 

 

 その日の深夜、『投函』の魔術によって一通の手紙が送られてきた。

 

 それは聖ラファエロがアンドレア・リベラ、〈雌狼〉と協議した結果の手紙であり、そこには三日後に決闘を行うこと、そして決戦の場が記されていた。

 

 本人達は知らないことであろうが、この手紙を受け取り内容を確かめた当事者たちは、同時刻の違う場所で喜悦に満ちた笑みを浮かべたのだ。

 

 そして、この手紙が巻き起こす悲劇を、まだ誰も知らない。

 

 

          ○     ○     ○     ○     ○

 

 

 それから二日がたった。

 

 この日サルバトーレ・ドニはとあるバーにいた。そこは魔術結社〈蒼穹の鷲〉とつながりがあるバーであり、現在店の中にはサルバトーレとバーテンダー、そして監視役のアンドレア・リベラ以外の人は見あたらない。

 

 バーテンダーは終始無言でグラスを拭くなりしている。

 

 一方、サルバトーレは店の中央付近にあるテーブル席に着いてから数時間たつというのに水すら口にせず、じっと座っているだけであった。

 

 そんなサルバトーレを離れたところから観察しているアンドレアは不思議に思っていた。

 

(いつもはバクバクと遠慮無しに食べるくせに………どういうつもりだ、あの馬鹿は)

 

 そう、普段は断食とは縁もゆかりも無く、昨日までのように人一倍飲食するのだ。それはいつ何時戦闘になっても大丈夫なように、エネルギーを蓄えているともとれる行為である。

 

 そんな男が断食している理由は、明日の決闘が原因であるのは明白だ。

 

 何故食を断つのかは分からないが、自らが敵と認める相手に飢えている男は明日という日を心待ちにしているのだ。

 

 その姿は、自分が戦うべきときをじっと待っている―――まるで肉食獣が獲物が来るのを静かに待っているかのように感じられる。

 

 この考えが今のサルバトーレを見ての個人的な感想である一方、科学的観点から今のサルバトーレを観察してみると無意味と断定できるだろう。むしろ、次の日の決闘に悪影響を及ぼしかねない行為であると。

 

 だが、いまだ人間の体の全てを解明できていない現代科学で、人間という枠から外れたカンピオーネという存在を語るのは無理があるのだ。

 

(まあ、馬鹿の調子が悪く決闘が早く終わるのならば、被害が少なくてすむだろう)

 

 一切の食を断っているサルバトーレを見ているアンドレアはそのように締めくくった。

 

 しかし、アンドレア・リベラの考えは真実とは少しだけ違った。

 

 サルバトーレ・ドニ本人が理解しているかは不明だが、彼は静かに待っているのではなく、己の『剣』を研ぎ澄ましているだけなのだ―――そのために不必要だと思ったことをすべて排除しているだけである。

 

 彼は歓喜や空腹を含めた全ての感情を明日の決闘につぎ込めるように―――剣を振るう一つのパーツになるまで己を追い込んでいるのだ。

 

 カンピオーネにおいては必要の無い工程かもしれないが、今のサルバトーレにとっては自らのモチベーションを明日につぎ込むために必要なことなのだ。

 

 そして、彼の心を占めているのは明日の決闘相手のことだけであった。

 

 

          ○     ○     ○     ○     ○

 

 

 そして、同時刻違う場所でサラも不思議に感じていた。

 

 渡の様子に何一つ代わりが無い、ということに。

 

 決闘することが決まってから二日が経過したが、この二日間は観光名所を訪れたり、土産物を探して店に立ち寄るなどと海外旅行を満喫しているのだ。

 

 明日の闘いの準備をするわけでもなく、緊張感を持っているのでもなく自然体ですごしているのだ。

 

(少しだけ顔つきが変わったといえば変わったのだろうけど………大丈夫かしら)

 

 渡本人がどう考えているかは分からないが、第三者から見れば明日決闘が控えている人間とは思えないほどだ。まるで明日のことを忘れているかのようにも感じられる。

 

(カンピオーネの在り方は獣と表現されることが多い。同じように渡も実践でしか自分を出せないのかしら)

 

 しかし、サラも知らないだけであった―――カンピオーネがどれだけ埒外な存在であり、その魂がどれだけ獣に近い生き物かということを。

 

 渡にしてみれば忘れているわけではなく、その時ではないというだけである。

 

 サルバトーレ・ドニに関する情報は手に入れられるだけは手に入れたと判断し、あとは決闘時に己の本能に任せて動けばいいのだ。

 

 カンピオーネという生き物は戦闘を生きがいとする存在であり、戦闘に関しては天性の勘がある。それこそ事前準備などまったく必要が無いほど、場合によっては事前準備が無駄になってしまうほどだ。

 

 だからこそ、決闘のときを待てばいいのだ。

 

 戦いを生業とする彼らにとっては滅多に味わえない同族との決闘は至福のときであり、その戦闘行為こそがカンピオーネを高みに連れて行く。

 

 そんな同族との決闘が近づくにつれて自然と血肉が沸き立つ。

 

 それが頂点に達したときこそが戦うべきときであり、今はそのときではないのだ。

 

「おーい、サラ。どうしたんだー」

 

 だからこそ、決闘日を待ちつつも、今を楽しむために観光を満喫するのだ。

 

 

 

 その夜、ホテル近くのレストランでサラと食事をしたあと、渡は「おやすみ」と言い残して部屋に戻り、それから一歩も外に出ていない。

 

 何をするでもなく、窓の外を眺めているだけだ。

 

 ホテルや家からもれ出る光、空にうかぶ月が見てとれる。

 

 過剰なまでに光が存在する日本の夜とは違う光景に目を向けてはいるが、その光景に感嘆するでもなく渡は椅子に座っている。

 

 そのまま数時間が過ぎ、時刻が夜の十一時に差し迫ったころ、ようやく椅子から立ち上がった。

 

 そして、渡は窓からホテルを出て、ある場所に向かったのだった。

 

 


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