雷神   作:rockon

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一話 異国

 天候は曇天、天蓋(てんがい)のごとく空を覆いつくす厚い雲がある。そんな、今にも大雨が降りそうな気がするイタリアの地。

 

 ローマのテルミニ駅、鉄道、地下鉄、駅前広場からは多くのバスが発着する交通の要衝、ローマの玄関口といえるこの中央駅に一人の日本人の少年が降り立った。

 

 その少年はあたりを見渡し、持参した観光ガイドブックの地図と照らし合わせながら何かを探しているようだ。

 

 背は約180cm、服の上からでは分かりにくいが細身にしては鍛えられた肉体、顔立ちから十代後半だろう。

 

 特徴的なのは男性にしては長いといえる、肩まである伸びた黒髪を後ろで縛っているヘアースタイル。それ以外は特徴的という部分がない普通の少年である。

 

 しかし、一番不思議なのは彼の周りを歩く人たちだ。彼には他人を惹きつける何かが、他の人にはない雰囲気が漂っているせいなのか、多くの人が彼とすれ違ったとき視線をやる。

 

 だが、次の瞬間そんな存在がいないかのように、その少年を無視して普通に歩き出すのだ。正面から向かってきた人間が記憶に残っていない、一度視線を向けたというのに少年が見えない、認識できていないというかのような所作である………。中には首を傾げながら、その場所を見たことを不思議に思う人もいたが、人が突然と姿を消したことに騒ぐことなく通り過ぎていく。

 

 彼の名前は篠宮 渡(しのみや わたる)といい、18才の高校三年生である。学生の身分の少年少女が待ってましたとばかりに喝采をあげる長期休み、夏休みに突入した直後にこの地にやってきたのだ。

 

 渡は電車から降りた後も、一生懸命に地図を読み取ろうとしている。

 

(たぶん、こっちで良いよな―――初めての場所だけど何とかなるだろう)

 

 地図を逆さに持っているのに気が付かずに、間違った現在位置を確かめながら楽天的なことを考えていた。

 

 

          ○     ○     ○     ○     ○

 

 

 来年の春から大学生となる予定の少年、篠宮渡は大学生活を機に一人暮らしをしようと考え両親に相談したのだが、

 

「おまえ、家事が苦手なのに一人暮らしをするつもりか」と家主である一郎(いちろう)から諭された。

 

「一人暮らし………渡ちゃん……………私のこと嫌いになっちゃたの」とその妻の(みお)が泣きそうな顔をした。

 

「一人暮らしが始まったら、家事の手伝いに行くね。それとも一緒に住みましょうか」と一足先に大学生になった二人の娘、皐月(さつき)が少し論点がずれたことを言ってきた。

 

 家事は自分でやる、子供の一人立ちを嬉しそうにしてくれよ、大学は暇なところなのかなど、多くの言葉を使って説得した。それでも、家族の猛反対があったために、一人でも暮らしていけることを証明しなければならなかった。

 

 そして、緊急家族会議の場で祖父、谷尋(やひろ)から一つ提案された。

 

「少し前からローマの知人がやってほしい事があるから、イタリアに来てくれと言われているんだよ。渡一人でイタリアに行って、最後までしっかりとこなせたら一人暮らしを認めても良いんじゃないかな」

 

 祖父は渡がどのような存在か知っているため最初から反対せずに妥協案を提案してのだ。

 

 渡が生まれた篠宮家は魔術、呪術を家業としているわけではなく、高い呪力を持って生まれた祖父だけが術者として関わっている。

 

 基本的に祖父は親族内では変人とされる爪弾き者なのだが、八年前から渡は高い呪力を保持したために祖父の訓練を受けることになった。そのとき初めて祖父の人柄に触れ、呪術というものを知った三人は渡のことを受け入れ、谷尋のことも理解してくれたのだ。もし歩むべき道を間違っていたとしたら、今の家から離れて祖父と二人で暮していたという可能性もあったかもしれない。

 

 その祖父が頼まれたこと、皆がいるこの場での遠まわしな言い方を聞く限り術者としての仕事だろう。

 

 渡は祖父の実力から今回の仕事が大変かもしれないと考えはしたが、自分にとっては失敗することは無いとも考えていた。なぜならば、その世界で渡は特別といえる存在なのだから。

 

 実際に、八尋も「渡なら簡単にこなせると思うから、一人暮らしのシュミレーションだと思えばいいよ」と言い放つ。

 

 そのため、祖父の提案に便乗したのだ。

 

「いいね! 一人でやっていけることを証明してやるよ!」

 

 また、渡にはストレスがたまっていた。

 

 祖父はそれなりに有名な術者であり、危険なものを含めた様々なものを保管しているため別宅に住んでいるが、渡は一般の家に住んでいる。

 

 そして一緒に住んでいる家族は渡が術者であることは知っているが、特別な存在ということは知らない。このことは三人、特に心配性が行き過ぎている女性陣には秘密にしなければいけないし、自分の力は強力すぎるため矢鱈滅多にふるえないのだ。

 

 そのためストレスはたまる一方であり、発散方法が無い現状は好ましいものではない。一人で旅行に行くことで、羽を伸ばしストレスを発散させようと思ったのである。

 

 そう考え、渡は勢いよく承諾したのだ。

 

 それを確認すると、祖父は笑いながら後押ししてくれた。まるで、罠にかかった獲物を見るかのように。

 

「渡本人はこう言っているけど、三人はどう思う」

 

 三人中二人は心配そうな表情を浮かべながら、祖父の提案をしぶしぶ受け入れたのだが―――

 

「そんなの駄目よ! 渡ちゃんが一週間もいなかったら、私は発狂してしまうわ! 私には渡ちゃんが必要なのよ!!!」

 

 目に涙を浮かべ、今にも泣きそうな表情をしながら訴える澪だけは最後まで祖父の提案を受け入れようとしなかった。

 

 夏休みはイタリアで一人で過ごすことで一人暮らしを納得させようと考えたのだが、渡や谷尋が何を言っても許してくれそうになかった。

 

 やはり最大の難関は子供を溺愛しすぎている澪であった。

 

 余談となるが、皐月も大学生活が始まる前に一人暮らしを両親に提案したのだが、母親が泣きながら止めるように懇願したため断念したという。懇願から膝をついての祈りのポーズのまま放置しておくと、最終的には土下座にまで発展すると考えたようだ………流石に実の母親の土下座を見るのは辛い、とは当時の感想である。

 

 そこで、最終手段として皆が寝静まっている間に出掛けたのだ。

 

 渡を行かせないため澪は何の援助もしてくれず、そのため金銭面では祖父が助けてくれた。一郎と皐月は金銭面より言語のことを気にしていたのだが、ある理由によって様々の言語を話すことが出来る渡にとっては何の問題もなかった。

 

 そして、時限爆弾を家に放置することになるとは、このときの渡には考えが及ばなかった。

 

 

          ○     ○     ○     ○     ○

 

 

 方向音痴の自覚があっても改善しようとしない渡は駅の近くにあるホテルを予約していたにもかかわらず、三十分近く費やしてホテルにチェックインした。

 

 チェックインした後、部屋に荷物だけ置いて、

 

「まずは、爺ちゃんの知り合いに会いに行きますか」

 

 約束している時間までは一時間近くある。

 

 そのため周辺をぶらつきながら、ゆっくりと目的地に向かえばいいと考え、ホテルから出て歩きはじめた―――迷子の典型的な特徴、地図をクルクルとまわしながら。

 

 渡は真面目で完璧主義者といえる傾向が少しあるために、旅行に行くときはスケジュールを先の先まで決めて動く。しかし自らの方向音痴が原因となって、予定どおり進めないことがほとんどではある………。迷子になった先で面白いことに出会うことが多く、本人にしてみれば「迷子になってラッキー」程度にしか思っていないのが一番の問題でもあるのだが。

 

 そして一日目は観光を二の次にして頼まれ事をこなし、二日目から観光をすればいいと考え、

 

(この辺りは面白そうな店があるよなー、夜になったら散歩がてら食事をしにこようかなー)

 

 今後の予定を決めながら歩いて数十分、予定調和というべきか渡は迷っていた。

 

 目的地を目指した当初から周辺を見ることばかりに気がいって地図を見ないで歩いたせいだ。もっとも地図も使いこなせないのでは結局変わりはなかっただろう。

 

 そして近くを歩いている人に道を聞き、いざ歩こうとすると逆の方向に行ったりするのだから当たり前の結果である。とある海賊漫画の三刀流剣士を彷彿させるほどの方向音痴だ。

 

 そのため最終的には道を聞くのではなく、道案内をしてもらう羽目になった。

 

 そして、さらに一時間ほど費やし、

 

「Thank You!」

 

「………Oh」

 

 とてもいい顔でお礼をいいながら手を振る少年と、とても疲れた顔で来た道を戻っていく青年が対照的である。

 

 紆余曲折(うよきょくせつ)はあったものの、渡にしては珍しく目的の店にちゃんと着くことができた。

 

(しかし………何か疲れた顔をしていたけど大丈夫かな、あの人)

 

 渡は不思議に思ったが、原因は単純であった。

 

 本人は案内人からはぐれなかったと思っているが、ここでも渡の迷子スキルはしっかりと発動された………だが割愛させていただこう。

 

 それはさて置き、数十分遅れたとはいえ目的地にたどり着いた渡はその建物を見渡してみる。

 

 シックな色合いにあった落ち着いた外観、とても雰囲気がいい建物だ。雑貨店なのだろう、店の窓には様々な商品が並べられている。

 

 そして、その視線が一点に集中した。

 

 そこには「close」と書かれた雲型の板が扉に掛けられていて、誰も中にはいないことを示していた。確認のため店内をのぞいてみるが、誰もいない。時間に遅れた自分のせいではあるが、初っ端から出鼻をくじかれてしまった。

 

 店の前で直立不動の体勢のまま、これからどうするか考えていると―――

 

「途方にくれた顔をしているけど、どうかしたの? ………もしかして、このお店に何か用があるの」

 

 と優しそうな声、しかもイタリア語ではなく日本語で話しかけられた。

 

 日本語で話しかけられるとは思いもしなかったため、驚いて声がしたほうに目を向けると、渡は目を奪われ、固まった―――そこにいる少女を一目見た瞬間から、彼の心臓はドクンドクンと、全力疾走したかのように鼓動を速めたのだ。まるで、恋する乙女のように。

 

 そこにいたのは自分と同じ十代後半とおぼしき女性であり、腰辺りまでのびている薄茶色に染まった波打つロングヘア、エメラルドを連想させる瞳と全身から醸し出される知的な雰囲気。そして、細いウエストに慎ましくも膨らんでいる胸で構成されるスレンダーな体つき。彼女はブラックジーンズに黒いシルクサテンのシャツを上手に着こなしている。

 

 しかし彼女は万人が認める女性というわけではない。十人に聞いたら四人か五人が好みの女性と答えるだろうか………。

 

 外見は美人の域にあるといえるのだが、振る舞いは全体的にはかなげで小動物が怯えているかのような目で周囲を見渡している。その弱々しい部分に保護欲を掻きたてられる人もいるかもしれないが………外見に反したそれが印象を低下させている原因だろう。

 

 アンバランス、彼女のことを表現するのにとても合っている言葉である。

 

 だが、渡にとっては文句なしの完璧であったのだ。なぜなら、

 

(メガネっ娘、キタアアアァァァァァーーーーー!!!) 

 

 そう、なにより渡の目を引いたのは、知的な雰囲気を底上げしているメガネであった。

 

(やばい、やばいぞ。めちゃくちゃ俺好みの女性じゃんか! 知的で可愛らしい顔もいいけど―――――やっぱりメガネが一番のポイントだよな。コンタクトなんて邪道なものでなくて良かったよ)

 

 彼女のメガネはブルーフレームのメガネであり、ブリッジやヨロイの造形は三次元曲線を生かしたナチュラルな流線美を見せている。メガネの色と曲線の組み合わせが彼女の顔立ちをすっきりと見せることで、知的さが増しているように感じられるのだ。

 

(しかも、彼女の雰囲気に良くあっているのはポイントが高い! 百点満点、いや点数をつけることすら間違っている! 彼女がメガネっ子であるという事実が重要なんだ! やっぱり、メガネっ子は最高だよな、メガネはなくちゃいけないよな! メガネっ子バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!!! そう、世界中にいる人間はメガネをかけている者とメガネをかけていない者に分かれるんだよ! それこそが世界の真理なんだから! 逆らってはいけないんだよ、メガネこそが真実なんだから! メガネ イズ ジャスティス! 逆らうものには正義の鉄槌を下さなくてはいけないんだ! メ、ガ、ネ! ME、ガ、ネ!! メ、GA、ネ!!! メ、ガ、NE!!!! ME、GA、NEEEEE!!!!!)

 

 自分の理想の女性を目にしたことで脳内の自分が狂喜乱舞し、拍手喝采のメガネコールが起こっていた。

 

 彼女のメガネに見蕩れて、思考が上手くまとまっていないようである。

 

(メガネの女性を見てるのはいい、特に知的で優しそうな彼女を見ていると、不思議と落ち着くんだ! これが、一目惚れなのか………いや、違う! この熱い想いは、心の奥底から出てくる溢れんばかりの想いは、そんな単純な言葉で表せるものじゃない! そう、これは―――)

 

 一目惚れではなく、この想いは―――

 

(―――――――これこそ、まさしく愛だ! 俺はメガネを、彼女を愛している! 愛に理屈など必要ない! 愛している、その一言があればいいんだよ! よし、告白しよう! 今俺がやるべきことはそれだけだ! この熱い思いを彼女に伝えねばならない! ど、どうしよう、何処でプロポーズすればいいんだ! 花、花を用意しなくては………指輪が無い! 一番重要なものが無いじゃないかー!!!)

 

 今の渡は一種の錯乱状態にあるのだろう、脳内のメガネコールが予想もつかない方向に転換している。

 

「………ねぇ、あの…」

 

 だからこそ、目の前にいる彼女から心配されてしまったのだろう。先程の優しそうな声とは打って変わって、気味が悪そうな存在に接触したことを後悔しているかのように、不安を隠しきれない声が聞こえてきた。

 

 まぁ、話しかけた相手が突然目を見開いてから黙り込んで、自分の考えに没頭してしまったのだから不気味に思ってしまうのはしょうがないというもの。

 

 メガネ美人を見て興奮していたとはいえ、頬を赤くするだけで鼻息を荒くしていなかったことがギリギリセーフであったのだろうか………。

 

「あなた、大丈夫? 突然顔が赤くなったのも変だけど、なんというか―――」

 

「い、いえ、何でもありません!大丈夫です!」

 

 動揺して彼女の言葉を遮ってしまうばかりか、何故か敬語になってしまった。

 

 まさか、自分のストライクゾーンど真ん中の女性に出会い、すぐさまプロポーズしようとしていたとは言えまい。彼女にだけは変な人だと思われてしまうのは避けたかった渡である。

 

 冷静になれ、冷静になれと自分自身に必死に言い聞かせる。

 

「ふーん………そうなの。本人がそういうなら信じるけど」

 

 少女は心配するように渡を見るが、興味を失ったかのように視線を別の方向にやる。彼女はしきりに周囲に目線をやっては、溜め息ばかりをついている。誰か人と待ち合わせをしているのだろうか。

 

 その事に渡が気がついたのと同時に、思い出したかのように「そういえば………」とメガネ美女は不思議そうに小首を傾げる。

 

「ねえ、あなたこのお店に用があるの」

 

 やはり雑貨店の店員なのだろう。渡の待ち合わせ相手は彼女で間違いなさそうだ。

 

「そ、そうだよ。爺ちゃんに頼まれたんだ。内容は聞かなかったけど、相当重要な用事だそうだから」

 

「………あなた、もしかして篠宮渡」

 

 違っていた方がいいな、というような雰囲気を醸し出しながらも尋ねてくる。

 

「そうだけど。何で俺の名前を知っているんだ」

 

「そう、あなたなのね」

 

 渡の質問に答えるそぶりもみせず、勝手に落胆したように再び溜息をつかれた。渡は少しだけムッとしながら抗議の声を上げる。

 

「なんだよ。初対面の人に溜息をつかれる事をした覚えはないぞっ」

 

「………ごめんなさい。あれに関わる大事なお客さんが来るといわれていたから―――」

 

「同年代とおぼしき少年が来るとは思わなかった、と」

 

「………ええ、その通りよ」

 

 少し気まずそうな顔をして呟いた。自分でも失礼な態度をとっていたと分かっているのだろう。

 

「あなた、本当にあれをどうにかできるの」

 

「? あれって何のことだ。爺ちゃんは何も説明してくれなかったんだよ。俺なら大丈夫だとは言ってはいたけど―――何の用件かも知らないから、断定できないよ」

 

「………そうなの………案内するからついてきて」

 

 少し不機嫌そうに言い放つと、足早に歩いていく。その彼女の背中に向かって、渡は声をかける。

 

「ちょっと待ってくれ」

 

「………何?」

 

「そ、その、だな………君の名前はなんていうんだ。俺は君の名前を知らないのに、君は俺の名前を知っているなんて不公平だよ」

 

 恥ずかしそうに赤くした頬をかきながら、言い訳がましくも言いたかったことを告げる。

 

 その言葉に対して少しためらいながらも、しっかりとした声で、

 

「サラ………私はサラ、サラ・アルベールよ」

 

 そして、少女―――サラ・アルベールは、もう何もしゃべることは無いとばかりに歩いていく。

 

 その後姿を見ながら、渡は急いで彼女のあとを追った。

 

 

 

 サラが何を考えているかは分からないが、暗い雰囲気を出している彼女の背中を見ていると簡単には話しかけることが出来なかった。

 

 彼女の名前以外で、唯一聞き出せたことは魔術師であるということだけだ。それもあまり口に出したくない類のことらしい………彼女の不機嫌さは上がりっぱなしである。

 

 サラについて行くこと十数分、駅周辺から少し離れた大学都市とS・L・フォーリ・レ・ムーラ聖堂を過ぎた先に一軒の住宅がある。

 

 その住宅に入ると―――中には黒いつば広の帽子をかぶった魔女風な女性や腰に剣を佩いた騎士たち、そして幼い子供までもいた。彼らの間にはおびえと緊張の二つが漂っていて、人によっては今すぐにでも逃げ出しそうな感じである。

 

 そして、サラの後から入ってくる渡を見たとたん、シーンと静まりかえり、その後静寂を打ち破るかのようにブーイングにも似たざわめきが広まった。

 

 そんなざわめきを無視し、周囲を見わたすサラ。

 

「父さんと母さんは地下にいるのね………念のために人払いの結界を張っといてくれる」

 

 それから周りに指示を出しながら、奥まったところにある扉の中に入る。

 

 サラの後を追って扉の中に入ってみると、底が見えない地下に続く空洞があり、壁際にある螺旋階段が奥深くまで続いている。

 

 光が差し込まない場所であるため、キャンドルランプを手に彼女は先を進んでいく。目的地はこの階段の終着点のようだ。

 

「上にいた人は皆、俺のことを変な目で見るよな」

 

 地下にいく扉を閉める直前、渡は子供が中指を立ててこちらに向けていたのを見ていた。

 

 「FUCK YOU」と、万国共通のサインを送っていたのだ。何処で習ったのだろうか、親の教育方針に文句の一つでも言いたい気分だ。

 

「………町の存続に関わる大事なことなのよ。本当は言うべきではないのだけど、今すぐ帰ってもいいのよ。きっと、誰も文句は言わないでしょうから………私も含めた全員があなたには期待していないわ」

 

 深い悲しみを含んだ声で告げる。心なしか声が震えているようにも感じた。

 

 大切なものを守れない自分に怒っているのか、それとも他人に責任を転嫁するしかない自分が嫌なのだろうか。どちらが原因にせよ、彼女が深い悲しみと怒りを押し殺そうとしているのが理解できた。

 

「そんな重要なことなら、近隣の結社にでも応援要請すればよかったんじゃないか。確か、ローマには〈七姉妹〉にあげられる大結社が二つあっただろう」

 

「………少しややこしい話になるのだけど………私が所属する結社は〈漆黒の猫(ブラック・キャット)〉というの。上にいた人たちを合わせても、構成員がたったの11人のとても小規模な結社なのよ」

 

 彼女は自分たちが置かれている厄介な状況を淡々と、そして心底嫌そうに語り始める。

 

「母はイタリアの大結社〈雌狼〉の総帥の孫娘で、由緒正しい家系の生まれなのだけど………私の父は邪派の魔術結社の生まれで、嫌気が差して結社から抜け出して〈雌狼〉にきた人なの。結婚を認められなかった二人が駆け落ち同然で抜け出し、二年前に創設したのが〈漆黒の猫〉なの」

 

 今喋っているのは全体の一部分だけのはずだが、あまり聞きたくない内容である。

 

「基本的に〈雌狼〉に睨まれた人たちで構成されているせいか、肥溜めの結社とも言われているわ。本当は皆いい人たちなんだけどね………近隣の結社は矛先を自分達に向けられることを恐れて、私たちの応援要請を無視することがほとんどなの。それが今回みたいな重要な事柄でもね」

 

「うわぁ、悪質な嫌がらせだな。でも、もう一つの大結社、ええーと………〈蒼穹の鷲〉だっけ、そこに話を通せばいいんじゃないのか」

 

「………私たちのような小さい結社には〈蒼穹の鷲〉との繋がりがないのよ」

 

「ああ、そういうこと。それで、最後には爺ちゃんのところに話がやって来たというわけだ」

 

「ええ、あなたの祖父と私の父は師弟関係のようね………父が最後の手段といっていたから、皆期待していたのよ。期待していた分落胆も大きかったけどね」

 

 搾り出すように告げると、階段を降りていくスピードが上がった。

 

 そんなサラの後姿を見ながら、「なるほどなー」と納得したような言葉を口に出してみるが、心中では理不尽な八つ当たりに嫌気がさしていた。

 

 しかし、目の前に困っている人がいるなら放置する気は無い。ましてや、困っているのが自分好みの女性(メガネ装備)というのなら、助けない理由の方が無いというものだ。

 

(明日は観光をする予定だし、やるべきことを手短に済ましてしまいますか………というか、明日観光案内してくれないかなー、二人っきりで! そしたらラッキーイベントでも起こるかも………!)

 

 遠ざかっていくサラの後姿を見ながら、渡は思いにはせる。

 

 そして、楽観的に考えていた渡は自分が何をするべきか、この先に何が待ち受けているのか知らないためサラに訊ねてみた。

 

「………―――よ」

 

 そのとき、外では雨が降り出し、近くに雷が落ちた。

 

 雷鳴が地下にまで伝わったため、聞き取ることが出来なかった。

 

「んっ」

 

「………何十年もの間消えることの無かった炎と燃え尽きることの無い鉄よ」

 

 強く冷え冷えとした散弾のような雨が降り始めたのだ。

 

 まるで、この町に起こる災難を嘆いているかのように。

 




 メ、ガ、ネ! メ、ガ、ネ!!! メ、ガ、ネ!!!!!

 皆さん、メガネを崇めましょう!

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