【十九世紀イタリアの魔術師、アルベルト・リガノの著書『魔王』より抜粋】
カンピオーネは覇者である。
天上の神々を殺戮し、神を神たらしめる至高の力を奪い取るが故に。
カンピオーネは王者である。
神々から簒奪した権能を振りかざし、地上の何人からも支配されえないが故に。
カンピオーネは魔王である。
地上に生きる全ての人類が、彼に抗うほどの力を所持できないが故に!
【グリニッジの賢人議会により作成された、新たなカンピオーネとおぼしき存在『
まず初めに、このことは我々賢人議会でも全容を摑めていないことを理解していただきたい。
全てを把握しているわけではないが、ことの始まりを挙げるとすれば―――北欧の地デンマークでの出来事だと考えられる。
八年も前のこと、この地に二柱の『まつろわぬ神』が顕現し、戦闘が行われたのを当地の結社が確認した。嵐が発生して自然環境を変え、デンマークの地を蹂躙した結果、勝敗が決し一柱が消滅したのだ。
我々はその後の対応を現地の結社や派遣した調査団からもたらされる情報を元に協議していた。普段であれば神殺し・カンピオーネに任せるところだが、得られた様々な情報から残った一柱が弱っていると、封印が可能と判断して準備に入っていた。
だが、結局のところ無駄であった。
議論が無駄であったのではない、準備が無駄になったのでもない。
何故なら―――誰も知らぬうちに残りの一柱がいなくなっていたのだから。
これは新たな問題の始まりでもあった。
カンピオーネが現地にいたわけでもなく、他の神々が顕現した情報もない。ましてや一柱が戦ったという報告すら受けていなかった。新たなカンピオーネが生まれたと仮定して、現地住民や旅行者を調査しても見つけるには至らなかった。
当時の我々は残る一柱が『アストラル界』に行ったのだと一応の結論を出した―――しかし、いまだに多くの謎を残したままなのだ。
それから八年経った現在までに、同じように全貌を把握できない事件がいくつも起きている。イギリスの『電光石火の貴公子』アレクサンドル・ガスコインやアメリカの『冥王』ジョン・プルートー・スミスが倒し、もしくは封印した『まつろわぬ神』や一般の術者に多大な被害を及ぼすはずの神獣が傷を負っていたなど、神々に関する出来事ばかりだ。
そして一番記憶に新しいのは、二年前に起こった『まつろわぬアーサー』に関してである。
賢人議会前議長(現・特別顧問)であるアリス・ルイーズ・オブ・ナヴァールが体を壊し、席を退くことになった一件である。彼女はその時のことをアレク王子と共に語っていた―――相手が重症を負っていたから、封印に持ち込めたのだと。
そして、姫の退席が世界中を駆け巡るなか、我々の中で問題視されたのは当然の如く『まつろわぬアーサー』の傷のことである。
今までと同じように戦った場所、相手、そもそも傷を負っていたというのに戦闘が行われたかどうかも定かでない状況であった。唯一の手がかりといえば、アレク王子の「誰かに見られていた」という証言のみ。
カンピオーネが関与していると考えても、如何なる証拠も発見できない。
多くの損害を被りもしたが、神々が戦闘を行った後とは思えぬほど被害が小さい。
消え失せたのでなく、傷を負っていたことからアストラル界に行ったのでもない。
カンピオーネでも、神々でもないのに対等に戦える存在がいるのだろうか………もしかしたら目撃証言がないだけで様々な事柄に関わっているのかもしれない。
今尚、真実は闇の中のままである。
だが、未知なる何かが関わっているのは明らかである―――我々はそれを『隠者』と名づけた。
〈中略〉
『隠者』がどのような存在かは分かっていないが、推測を立てることはできる。
一つ、神々に匹敵する力を秘めていながら、隠し通せる方法を持っていること。
二つ、自身を隠し続けるのは、目立つのを嫌う俗世から離れた人物ではないかということ。
三つ、東南アジアを中心に活動している可能性があること。
三つ目に関しては、『まつろわぬ神』に関する事件を調べていたときに浮かんだ可能性である。
簡単に顕現する存在でないのは重々承知しているが、過去十年間の米国や欧州の『まつろわぬ神』に関連する事件は十数件に上るのに比べて、東南アジアでは神獣が一体現れただけである。我々が把握している情報を比較してみると、顕現する頻度が少なすぎであり、これは『隠者』が動いていたのだと考えれば納得できるのだ。
上記の三つは
『隠者』なるものが実在するのなら、神々に匹敵する力を持つ人を超えし存在であることを。
そして『隠者』が個人か集団かも定かでなく、今現在に至るまで姿を現さないのはれっきとした事実である。
このレポートをもとにした探索行為は『隠者』の逆鱗に触れる可能性があることを………。
※この報告書は賢人議会のディオゲネス・クラブを含めた、ごく少数のカンピオーネに近しい人物にしか閲覧は許されていない機密文書である。この文書は魔術界を混乱に貶める可能性があるため、閲覧した人物には軽々しい行為を慎むよう協力を願いたい。
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この文書を閲覧した人物のほとんどは、触らぬ神に祟りなしとばかりに無関心を決め込んだ。
だが、偶然手に入れた王は隠れている者に興味がないのか鼻を鳴らし、盗み出した王は面倒ごとが増えると確信し顔をさらに顰め、部下から見せられた王は自国に関わりがあったのだと知り仮面のなかで興味を示す。
そんななか日本にいる三人の人物は、オープンテラスに座りながら語り合っている。この国では過去から今現在にいたるまで魔王の存在が確認されていないため、機密文書は出回っていないはずなのだが、あるはずのないレポートを片手に持ちながら喋っているのだ。
少年が指で示しながら喋り、男性と少女が苦笑しながら返答する。
可笑しそうに口元を歪ませては喋る少年の姿は、まるで文書に書かれている事の真実を知っているかのようだ。