雷神   作:rockon

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十二話 日常

 

 夏休みが終わり新しい学期が始まると、新しいサイクルが始まって、自分にも何かいいことがやってくると思わせる独特の雰囲気がある。

 それもそのはず、夏休みというのは学生にとってもっとも長い休暇であり非日常といえ、その非日常から始まる日常にはある種の開放感というものがあるのだから。

 何かが動き出す予感としか言いようの無い幸福感で満たされると同時に、新しい恋すら始まる気がするのだ。そう、様々な変わり目というものは恋を始めるのに一番相応しい時期といえる。

 しかし、そんな暖かな時期にため息ばかりをつきながら学校に向かっている少年、篠宮渡がいる。

「……………はぁ」

 とても深い、マリアナ海溝より深いかもしれない溜め息である。

 鞄の中身がとてつもなく重たいというのも事実であるが、渡の頭を占めているのはある一人の少女であった。

 人に恋をするというのは、心の奥深く、自分でも見ることも理解することも出来ない場所で起こる変化のことを言うのかもしれない。その意味では、一週間前に別れた少女に対して本当に恋をしたのだろう。

 その少女、サラは遠い異国の地にいるのだ。彼女の姿を見ることも、声を聞くことも出来ない状況が彼にとっては苦痛なのだ。

 彼女と共にいるだけなら簡単なのだ。サルバトーレ・ドニと決闘をしてまで隠した正体を明かせばいいのだから。そうすれば使者や監視役として送られてくることだろう。

 しかし、その代償として日本の術者のみならず世界中からも多くの人間が群がってくるはずだ。サラにいてほしい思いと群がる人はいらないという思いの狭間で葛藤している。

「………………………はぁ」

 先程よりも深いため息が漏れた。

 そんなため息ばかりをついている、負のオーラを発している少年に近づく勇気ある生徒は当然いないため、渡は再びサラのことを思い出してしまう。

 そんな無限ループのような思考から渡を救い出したのは、一人の少女の声だった。

「おはよう」

 渡の後方からやってきた少女が春風のように穏やかで、透明感あふれる声で朝の挨拶をした瞬間、涼しげな風が吹いたような気がした。

 通学路を歩いていた生徒のみならず社会人とおぼしき人までもが思わず息を呑むのがよく分かった。特に男子生徒、男という本能に目覚めた十代特有の煮えたぎる性欲をもてあました男子生徒の動揺が凄まじいことになっている。

 視線を後方に向けると、そこにはもの柔らかな雰囲気の美少女が微笑んでいた。

 上背があるスリムなモデル体型、染み一つない白い肌と腰まで届く流れるような黒髪。黒曜石のような瞳と落ち着いた穏やかな眼差し、ふっくらとした薄桃色の唇がきゅっと左右に吊り上っている―――どこか未成熟さを残しながらも、目の前の少女は一人の女性として完成の域に達しているのではないかと思わせるほどだ。美しいというのが行き過ぎると恐いと思えたのは彼女が初めてであり、これは美女というより女神とカテゴリーしてもいいのかもしれない。

 そんな完成された存在でありながら彼女には完璧すぎて逆に近寄りがたい印象があるのではなく、親しみやすい雰囲気が漂っているのだ。

 わいわいがやがやと騒がしかった道の上で、その少女だけが輝いてみえる。何か特別なことをしているわけでもなく、ただ歩いているだけだというのに華やいだ印象を受ける。

 同じ高校に通う男子女子のみならず、他校の生徒がその少女に注目をするのも理解できるものだ。

 しかし、渡にとっては足りないものが―――

「………こいつにはメガネがないんだよな………ふぅ………萎えるわー」

 そう、彼女にはメガネという大事なパーツが欠けているのだ。これはダメだ、どうしようもない、そんな感情が含まれた溜め息をついた。

 その少女は渡の傍まで来ると、細い腰に手を当てながら目を細めて、

「渡、人の顔を見てため息をつかないでくれる」

「だってさー、何でメガネをかけていないお前が人気なんだよ」

「私が知るはずがないわ。それに、異性を見るポイントはメガネだけじゃないでしょう―――あなたもメガネ、メガネと五月蝿いのは相変わらずね」

 この少女、北川 更紗(きたがわ さらさ)は顔は不機嫌そうなのに、頬を少し赤くするという器用なことをしながらも文句を言ってくる。

 頭の回転が早く、会話も楽しいし、女性として恵まれた容姿の持ち主でもあるのだから、見ているだけでも幸せな気分になる女性、それが北川更紗である。

 彼女とは幼馴染であり、家が隣同士なだけでなく、母親同士が中学の同級生ということもあり家族ぐるみの付き合いをしている。更紗とは幼稚園、小、中学校が同じなだけでなく、クラスまでも一緒であった。高校三年間までクラスが同じというと、腐れ縁もここに極まれという感じだ。

 腐れ縁といえばもう三人ほどいるのだが―――

「二人とも変わらないねー。相変わらず夫婦漫才は健在だねっ」

「俺に言わせれば、三人とも変わっていないよ。メガネフェチとそいつに片お―――ゴフッ………オウ」

「そんなこと言うと殴るよ」

 前方数メートルの校門前に立っている少年少女に近寄ったとき、いきなり少年がお腹を押さえて蹲った。

「そういうことは………殴る前に言うべきかと………ゴバァ!」

「口は災いのもと、馬鹿なあなたは体で覚えなさい」

 隣に立っていた少女が目にも留まらぬ速さで裏拳をみまい、更紗が正面に立つや否や鳩尾への痛恨の一撃を与え、黙らせたからだ。

 素晴らしい一撃を繰り出し、男子生徒をゴミクズのように見下しながら踏んでいる生徒は西田 遠花(にしだ とおか)という名の一学年下の後輩だ。

 大きな瞳の色は少し薄く、グレーに近い色合いで、肩より少し長い程度の黒髪を白いリボンでまとめている華やかな少女だ。服は学校指定の赤いリボンを巻いた半袖シャツと濃紺のスカートと飾り気が無く地味なものだが、表情には生き生きとした輝きがある。更紗と比べると少しだけ劣るものの、可憐な美少女といって間違いはないだろう。

 しかし、その女性みたいな顔と遠花という名前、女子生徒の制服を着ていることから女子だと思う人が多数なのだが、書類上での性別は男性である。遠花は世間で広く認知されている男の娘、もっと言うのであれば「可憐な美少女を見つけはしたけど………ああ、がっかり」というやつだ。

 男でありながら体が細く、顔が女性みたいな遠花は多くの人に勘違いされるほどの『女の子』らしさを持ち、絶滅危惧種にさえ指定できる。『女の子』であろうと努力した結果得られた『らしさ』は、男の空想の産物であり、現実ではありえない存在であるが故に多くの視線を集める。

 そんな遠花に関して一番印象に残っているのは、中学校時代に男子生徒が遠花を女子と認定するようデモを起こしたことだ。高校に入ってから同じ騒動は起きてはいないが、常に多くの男子生徒から人気を得ている。遠花が女子生徒の服を着ているのは当たり前だと思えるのだ………否、そうでなければいけないのだ、とは彼らの言い分である。

 そして、渡の正体を知る数少ない知り合いである。

 もう一人、床に這いつくばって苦しんでいる男子生徒の名前は南原 真哉(なんばら しんや)という同級生。

 真哉はがっしりした体格の野球少年であり、明るく面倒見のいい性格のため多くの人に好かれていた中学時代のスターであった。

 ほとんどの人は知らないことだが、彼にも問題が無いわけではない。生粋のMなのだ、ドM、ド・ドMといっても間違いではないほどだ。殴られて悶絶し、現在進行中で遠花に踏まれているというのに、「くふっ………♪」と喜びに満ちた声を出すやつの姿を見れば一目瞭然である。

 マゾ相手には罵倒や暴力は通じない、痛みを快楽に変換することができる最強の生物、恥的生命体(ちてきせいめいたい)悶題児(もんだいじ)というやつだ。それよりも、踏む相手は同性で本当にいいのだろうか………全てが規格外のやつだ。

 二人とは小学校からの付き合いなのだが、更紗と同じで小、中と同じ学校の同じクラスであったため自然と仲が良くなった。

 中学から思うのだが幼馴染、いや問題児と一緒のクラスになったのには何かしらの陰謀を感じる気がする。

「変な人ばかりが集まって、まともな人は私だけ。夏休みの間によくなっていると期待したのに残念よ」

「まともねー、愛しい男の子のために教師と話し合った。これだけ聞くと面倒見のいい優等生だよね………どんな会話になったのか知りえないから、素直にまともとはいえないけれど。考えすぎかな」

「………考えすぎよ。男の子にしては想像力がたくましいわね、遠花君」

 口は笑みを形どっているのだが、目はまったく笑っていない。そんな今にも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気を二人は醸し出している。

 そんな二人の話を聞いていると、真哉が楽しそうに声をかけてきた。

「おい、周りを見てみろよ。あいつら二人に視線が集まってるぞ」

 確かに二人を見つめている生徒の数は多い。特に久しぶりに二人の姿を見た男子生徒からの熱い視線というべきものが多い。

「夏の開放的な雰囲気に任せて、更紗か遠花に恋する生徒がウジャウジャと出てくるぞ。振られるか愕然とするかの二択なのによ―――失恋する生徒を含めて可哀想だよなー」

 何が面白いのか理解できない。更紗に告白して振られたのに真哉にとっては、仲間が出来るのが嬉しいのだろうか。

 ちなみに、告白の言葉は「ストレス解消のため踵が鋭く尖った靴で俺を踏んでください!」というありえない内容だったらしい。

 確かに、更紗のすらりと長く伸びた足に、金を払ってでも「踏んで下さいと!」と懇願する男はいそうではある………いや、この学校に『北川更紗に罵られる会』など意味不明な会があるのだから、そのようなM男は山ほどいるのかもしれない。

 自分の性癖を見つめ直したほうが良いのではないか。自分のメガネ愛を棚に上げて、真哉を見ながら心配する渡であった。

「お前はいいのかよ」

「? 何がだ?」

「更紗に彼女が出来てもいいのかと聞いたんだ」

「俺は関係ないだろう。俺はな、俺にほれない女になんか興味が無い! そして―――メガネをかけていない女にはもっと興味が無い!」

 話し合いというには不穏な空気を漂わせていた二人が会話に入ってくる。

「………あなたって、ほんと清々しいほどクズで、カスで、変人よね」

「はぁ、普通の人代表である俺をクズ呼ばわりし、変人扱いするとわ。お前の目、どこか狂ってんじゃないのか。一度医者に診てもらったほうがいいぞ―――そうじゃなきゃ、世の中が間違っているとしかいえないな」

「更紗さんがおかしいところなんて少ないよ。ただ先輩がメガネ、メガネ、メガネと毎日五月蠅いだけ。それに、目の前に異物があるような気がして、僕はメガネなんか好きじゃないだけどね」

「………メガネなんか………そういえば、遠花はメガネを持っているのに、時々しか使わないよな」

 少し声のトーンが落ち、顔は無表情になっていく。近くにいた生徒が異変を敏感に感じ取って、数歩ずつ音を立てないように、静かに校舎の中に入っていく。

「………メガネを持っているのに、メガネの良さを知らないとは最低のやつだな―――わかった。今から俺がメガネの素晴らしさを語ってやろう。耳を澄ませて、一言も聞き逃さずに聞け―――」

 あまりにも冷たい、見られるだけで心の底まで凍り付いてしまう冷凍ビームのような視線で遠花を見る。渡がカンピオーネであることを知っているだけに、迂闊に「聞きたくない」とは言えない。

 そして、酸素を補給するために一拍置いたのち、カッと目を見開いて言う。

「メガネの発明者の詳細はいまだ不明であるものの、物を拡大して見る行為は紀元前からあるとも言われている。それらは狩猟の場で、戦場で使用され、そして13世紀後半になるとイタリアで今のメガネの原型が生み出された。その技術は、現在では医療や宇宙にまで多種多様な方面で利用されるほどになった。そうメガネは人の歴史と共に歩んできたんだ!メガネが発明されたからこそ、人は進化できたといって過言ではない!」

 何、それはレンズの功績であってメガネではない。

 何を言っているんだ!物を見る行為は全てメガネの役目に集約されるんだ!メガネがあってこそのレンズだ!順番を間違えるんじゃない!

 

「しかし、必要なときだけの視力矯正道具としてだけがメガネと考えるのは一昔も二昔も前のことだ。今では目の保護、視力補正という実用性と着飾るというファッション性の二つを兼ね備えた画期的なものとなっている。そんな古くからあり、多くの人に使われている愛着あるもの。そんな大切なメガネを何故愛さない、何故崇めないんだ。人類が崇めなくてはいけないものなんだよ。―――だが、ファッション性だけを求めたメガネはいけない、モテファッションとしてだけの伊達メガネは認められないんだ!そうメガネは実用性があってこそなのだ!実用性があってこそのファッション性なのだ!メガネがなくては現代での生活に支障をきたす人は少なくはないのが証拠だろう!

―――しかし、それだけではない。メガネをかけた女性には、メガネをかけたことにより美しい二面性が与えられる!それは伊達メガネでは得ることのできない素晴らしいものだ!メガネをかけたときの恥じらい顔やメガネとの一体感、メガネをはずし目が無防備になったとき不安感、素顔を見られたときの恥ずかしがる顔と恥じらいに潜む淫靡さ、一生懸命に物を見ようと目を細める可愛らしい顔、どれもが美しく、慈しむべきモノなんだ!また、メガネには使用者の思いが、魂が宿りよりいっそう神秘的にもなる!そう!人間という未完の生物を完成させる唯一のパーツ、それがメガネなんだ!そんなメガネを愛する輝ける女性を見るたび、メガネという自らのパーツを認めた女性を見るたびに心が震えて綺麗にされていき、救われているんだよ!知らず知らずのうちだとしても、世界はメガネによって救われているのだ!世界NO1の癒しアイテム、恒久平和の実現に欠かすことが出来ない必須のアイテム、それがメガネだ!何故それを理解しないのだ!メガネという気高き存在を見て、何故魂が揺さぶられない!

 そして、メガネはかけているだけで人を認識しやすいアイテム、個性を主張する強力な手段なんだよ!そう、メガネは個性なんだ!社会は、いや世界はメガネを認めるべきだ、メガネを個性として認める法律を制定すべきなんだ!それは世界が選択しなければいけない、導き出さなければならない道なんだ!そして、アイデンティティであるからこそ、メガネをかけていないやつは無個性といわれても仕方が無い!だから、俺はメガネをかけていないやつを認めないんだ!絶対に認めない!そんな奴らは異教徒であり、弾圧すべき存在!今からでも遅くはない、メガネを愛するのだ!メガネに向かって頭をたれるがいい!そして、共に世界を救おうではないか!ハイル メガネ、ハイル メガネ!!!」

 

 天に、神に届けとばかりに声を張り上げて叫ぶ。

 ここは譲れない、譲ることの出来ないことだ。こだわりという名の美学、もっといえば俺を俺たらしめている主要な要素なのだから。譲ってしまえば自分自身を否定することにつながる。だから譲ることは出来ない。

 そんな力強い気持ちがのった演説が終わった後、渡は肩を上下に動かして、荒い呼吸をしていた。

 ハアッ、何処からとも無く溜め息が聞こえてきた。呼吸を整えながら周囲を見回してみると、自分の大演説に共感する人皆無であった。

 彼ら、彼女らのなかには吹き出た汗を拭い、唾を飲み込み、恐れのこもった表情をしている人もいるが、大部分の人は一様に路傍の石ころを見る目でこちらを見ているのだ。

 呼吸を忘れてしまったように渡を見つめる生徒の目には「こいつは排除したほうが世のためじゃないか」「新学期初日から校庭に異星人がいる」という救いようのない間抜けを見るかのような負の思いが宿っていた。

 人は同じ想い、意見を持つ仲間を探し一致団結する。それが民主国家においては最大の力となり一部の反徒を排除しようとするものだ。

 しかし、そんな排他的な状況におかれたとしても―――俺はメガネを愛しているのだ!

 顔を引き締め、大人っぽく演出できるスクエア型が好きだ。キツイ印象を和らげ、ナチュラルでやさしい印象を与えるオーバル型も好きだ。素顔に近い印象を与え、フレームがあるものよりスッキリとエレガントな印象を与えることができるノンフレーム型も好きだ。あまり見ることは無いがアンダーリムも好きだ。

 俺はメガネが大好きなんだ!

 この愛を止めることなど不可能なのだ!

 そんな時―――

「………メガネをかけていないのは悪ということ」

「そうだ! 七つの大罪に匹敵するほどの悪だ!」

 遠花が当たり前のことを聞いてきた。

 何故理解できないのだと、少しばかりイライラと機嫌が悪くなっていく渡。しかし心中にはゴロゴロと暗雲が立ち込め始めた。

「………………………あんただってメガネをかけてないじゃん」

 クロスカウンター!

 遠花の的確な反撃に周囲がどよめくなか、真哉をふくめ渡と同じクラスにいたことのある生徒が親指を立てていた。グッジョブと、よくやったと。今までは渡のメガネ愛が恐ろしくて何も言えなかったので、勇気をふりしぼって戦う戦士を祝福しているのだ。

 一方、渡はすぐには言葉の意味を飲み込めなかった。しかし脳がしっかりと認識した瞬間、受けたダメージを徐々に表に現れ始める。動揺を隠せないなか手が震え始め、次に頭、胴体、足へと震えが伝播していく。陸地に打ち上げられた魚のように口をパクパクと動かしている。

「!?!?!? な、な………な、なんだ! まさか、この俺が間違っていたというのか!」

 最終的に膝から崩れ落ち、制服が汚れるのも気にせず四つん這いになって落ち込んでしまった。

「どうすれば、どうすればいいんだ………俺にメガネを語る資格が無いなんて………メガネを愛する同胞よ、助けてくれ。俺にメガネを愛させてくれ………」

 まるで一枚の絵に描かれたかのように、どんよりとした空気が一点に集まっていて心のそこから絶望したかのような雰囲気である。

 周りの生徒は、これで大人しくなるのではないかと思っていた。新学期初日から変な生徒を発見したのだが、明日からは静かな学校生活を遅れると思っていたのだ。

 しかし、渡の思考回路は一般人とは少しずれているのだ。そのため、予想できなかった方向に話が進んでいくのは仕方ない。

 現在進行中で落ち込んでいた渡が、何かを閃いたかのように勢いよく起き上がる。

「!!! そうか! 俺がメガネをかければいいだけだ! そうすればメガネへの愛を語っても問題は無いじゃないか!」

「お前、目悪くないだろう。視力はどれくらいあったけ」

「両目とも2.0だ。しかし、そんなものは関係ない―――世の中には、伊達メガネというものが存在するのだ! 俺は明日から伊達メガネをつけ、メガネデビューを果たすのだ!!!」

「指摘するのもバカバカしいんだが、伊達メガネやコンタクトレンズは邪道じゃないのか」

 その言葉を聞いたとたんに、渡はやり場のない怒りに身をゆだねて声を荒げた。

「………ブァッカ野朗! しょうがないじゃないか!!!」

「え、逆ギレですか」

「お前の言うとおり、確かにコンタクトや伊達メガネは邪道なんだ!コンタクトではつけているか分からないばかりか、メガネという美しき存在を見ることができない!そして、メガネにとって一番重要な実用性がまったく無い伊達メガネとなれば論外だ!今の時代には電磁波防止メガネやパソコン用メガネなど多くの種類が存在しているのだが、やはりメガネの良さは二面性に集約される!目がいい人がメガネの良さを十全に引き出すことはできないんだよ!」

 心の底から悲しそうな表情を浮かべたが、次の瞬間には歓喜に満ち溢れた表情に変貌した。

「―――でも、仕方ないじゃないか!そうしなければ、メガネを語ることが許されないのだから!メガネをかけている人しかメガネを愛することができないなんて間違っている!そう、メガネは万人に平等なんだよ!!!」

 先程とは言っている事が少し違っているような気がするが、触れないでおこう。人が自分の主義主張を示すときは稀に言っていることに破綻が存在するのだから。本人がよければ良いというものだ。まあ、周囲の人間にとってははた迷惑この上ないのだが。

 渡が異常なほどのメガネ好きということは理解しているため、真哉は不毛な会話を打ち切り違う話題をふってみた。

「わかった、わかったから。お前がメガネを愛しているのは分かったよ……………それより、メガネ以外に女性の好きなところはないのかよ?」

 メガネについて熱く語っていた渡は「そんな重要なこともわかんねーのか」という目で見てから、

「メガネが一番に決まっているだろう! それ以外に選ぶものなどない!」

 予想通りの反応が返ってきたが、

「―――――だが、あえて、あえてだぞ。あえてだからな。勘違いしては困るが、単独トップなのがメガネであることに変わりはないんだからな………それでも第二位というランクをつけるならば……………目だな」

「おおっと、珍しくまともな答えが返ってきたよ。それで、どんな瞳の色がいいんだ。もしかしたら蔑む目をした女がすきなのか」

 十年以上の付き合いのなか知ることの無かった渡の好みが気になって、真哉は身を乗り出すように聞いてくる。

「いや、瞳ではなく目だ。眼球だよ」

『………………………はっ?』

 三人の幼馴染を含め周囲にいる生徒は頭が狂っている答えを聞いたとばかりに眉をひそめて聞き返す。

「だからさー、眼球だよ、が・ん・きゅ・う。メガネの次を選ぶなら眼球だと言ったんだ―――人間は情報の八割を視覚から取り入れているから眼球はとても働き者の健気な部位であり、そして偉大なるメガネと密接に関わりあり、切っても切れない関係であるのが眼球だ。だからこそ、メガネを愛するものとして眼球も愛するべきなのかもしれない」

 まるで世に放たれた恐ろしい存在、狂気のコレクター、猟奇殺人者みたいな言い分だ。

 近い将来『眼球略奪・連続事件』のようなニュースが流れでもしたら、真っ先に疑われる対象となることだろう。そして、同じクラスであったという事実だけで(いわ)れなき迫害を受けるのではないかと思わせる言葉である。

 こんな異常な言葉を聞いたため、多くの生徒は呆れた表情を驚愕へと変え、冷や汗を流しながら渡から全力で引いた。

 その表情から「恐い恐い恐い!」「精神病で隔離をしろ!」「刑務所に収容してくれ!」などと考えているのが分かる。気持ちは分かる、誰もが一生聞きたくなかった情報であり、引いてしまうのも無理が無いというものだ。その気持ちは痛いほど分かる。

 幼馴染の三人も嫌そうな顔をしているのだから同じ気持ちなのだろう。まぁ、幼馴染として、底が見えない異常な性癖が明らかになっていくのは、見ていて辛いものだろう。

「………オウ、アメイジング………常人には理解できない新しい地に足を踏み出したみたいだけど………」

 「いや、すでに超えているのかもしれない」というニュアンスを含んだ言い方だったが、それを聞いた人は全員同意したことだろう。

「メガネを愛する健全な人間としては、当たり前の思考の気がするけど」

「………その考えはハン○バル博士並みに異常な考えよ」

「そうなのか? ………だけど、やっぱりメガネが一番だな」

 それ以外は考えられないとばかりに自己完結するけいけん(けいけん)なるメガネ教の信者。

 世界で一番重要、いや世界どころか宇宙で最も重要な事案について考えるかのように、渡は自分がかけるメガネについて想像しはじめる。

 渡とメガネを切り離すのは難しいらしい、切っても切れない関係のようだ。

 友人も、同じクラスの仲間も、同じ学年の生徒も、そしてこの学校にいる人は全員同時にため息をついた。この少年が引き起こす騒動には終わりなく、彼が卒業するまでこのままだという共通認識を持って。

 

 

 

 明日はどんなメガネをかけるかを真剣に悩んでいる渡を見ながら、

「なあ、更紗、遠花。本当にこんなメガネバカの残念男子が好きなのか? どこがいいのか見当もつかないぞ? ………ここにもっと良い男がいるのによー」

「あれでなかなか良いところが、良いところが………良いところが、あるのよ……………きっとそういうことなのよ………」

「………そうだよ、先輩にだって良いところはある。普段見ることはないけれど………それと、真哉君は自分のことをよく見てから言ったほうがいいね」

 渡の方を見ながら言うのだが、メガネのことしか考えていない少年を見る限り信じられない。そんななか頬を薔薇色に染め上げる更紗が俯きながら、

「そ、それに、しょうがないじゃない………好きになってしまったんだから………」

 それは氷像の女神が愛の女神に変わった瞬間だった。

 そんな恋する少女に向かって、一人の生徒が悲しい顔をしながら呟いた。

「男運が悪いんだね」

「それは違うのよ。私の男運が悪いんじゃなくて、世の中には変な男しかいないということよ」

 その言葉を聞いた女子一同は渡と直哉を見ながら頷いた。学校中の女子の結束が強くなった一方、渡以外の男子は何も悪いことをしていないのに居心地が悪くなったという。

 そして、同情を含みながらも女子一同は応援をする。

『………………………ガンバレ!』

 希代の美少女が変人に恋をしている。

 周りの生徒はそんな驚愕の真実に驚きながらも、美少女なら何でもありかと勝手に納得し、勝手に失恋していた。そんな彼らは傍観者となるのだ。美少女が悲劇のヒロインとして慌てふためく姿を面白おかしく見届ける傍観者へと。

 そんな彼ら彼女らに下されるのは無慈悲な言葉。

「そんなことより、お前ら全員遅刻かな」

 その瞬間、時は来たとばかりにチャイムが鳴り響く。

 渡の馬鹿な演説を聞いているうちに遅刻ギリギリになった生徒たちは、急いで教室に向かうのであった。

 




 この章はメガネに占拠されました。
 やっぱりメガネは強い! 最強!
 それより、渡の変態度が上がってきたような気が………こんな予定じゃなかったんだけどなー。

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