人の身には一日のうちに何が起こるか分からない。いや一時間、一分、一秒先の事でさえどんなことが起こるか分からない。
自分の生き死にを決定する出来事が起こるとも限らないというのに………。
しかし、それが起こったときには時既に遅し。
その先にどのような結末が待ち受けているかは予想もつかないなか、一つの道を選択し続けるしかない。
人生というのはそういうものだろう。
その日、一人の少年は人生の岐路に立ち、一つの道を選んだ………そして死を迎えた。
○ ○ ○ ○ ○
見上げるものを圧倒する青空の下、高く聳える山の麓には異様な静けさがあった。この場所には先程まで雷雲があり、稲妻が雨霰と降り注いでいたというのに、その痕跡が残っているだけである。
そんな台風が通り過ぎたあとのような生物がいない静けさの場所で、一人の少年が身体に大きな穴を開け、倒れ伏している。その少年の体から出る血の量は明らかに許容量を超えていて、この時点で少年は死から逃れる術はなかった。
そして、辺りには高らかな笑い声と不機嫌そうな声が響いている。
その声の出所は少年から少し離れたところの木の根元、輝きに満ちた場所には二人の男がいた。
地面に座り込んでいる男性は身の丈二メートルを超え、筋肉という鎧に身を包まれていた大男である。燃え立つ炎のような赤い髪と髭、活き活きとした生命力に満ちた表情をもっていた。彼の周囲には体から直接もれ出ている光の粒子で満ちているが、その光の量が多くなるにつれて、男性の姿が徐々に薄くなっていく。
その光景を傍で見ている他方は美しい顔立ちをしている壮年の男性である。口元を引き結んで消えゆく姿を見ている姿は、仮面をかぶったかのように表情を感じさせない。
「は、くっははははははは……………まさか、まさかな。我が人の子に敗れる日が来るとは想像すらしていなかったぞ………そして、相手が汝であるなんて」
「ふん、人間の小僧などにやられるとは………下らんな」
「ははは、そういうでない。戦場で何が起こるか分からんのは常だ。だからこそ楽しく、血が沸き立つというものだ!」
その声に導かれてやってきたのだ。
小学生四年生の夏休みに両親が提案してきた海外旅行、向かった先の北欧で出会った逞しく、神々しさまで感じさせる神秘的な男の声。彼の声は誰よりも大きく、不思議な魔力がこもっている。それは聴くもの全てに活力を与える
その少年も何処からか流れてきた声に惹かれて、大男がいる場所にやってきたのだ。その男性と過ごした日々は新たな発見に満ちていて、自分が今まで知らずに過ごしてきた多くのことを学んだ。それは新たな人物が現れたあとも変わることなく続くものだと思っていた。
だが、最後に身をもって思い知らされたのは、死という知識や経験としては学びようのない概念である。
「おお、おお、感じるぞ。我の神力が汝に流れ込んでいくのを感じる………エピメテウスとパンドラの弟妹たちが遺した呪法が、神々を贄とすることで初めて成功する愚者の落とし子を生み出す
「ほぉ、神殺し誕生の瞬間に出会えることなど滅多にあることではないな………儀式が始まったとなると」
二人が楽しそうに、そして穏やかな声色で喋りながら周囲を見渡すと、
「ふふふ、なんだか嬉しそうですわね、□□□様。そして□□様」
「お前が噂に聞く始まりの女か」
「………なかなかに早く来るものだな。やはり神殺しが生まれるというのは、汝にとって何よりも優先すべき事柄のようだ!」
男性が倒れ伏している少年がいる場所を見ると、何時の間に居たのか、一人の少女の姿が側に在った。
薄紫色にも桃色にも見える長い髪を、人間には無い尖った耳の上で二つに結い、しみ一つ無い真っ白の衣装で身を包んだ少女。
その少女が可憐な笑みを浮かべて、彼女に声をかける。
「私は神と人のいるところには必ず顕現する者、あらゆる災厄と一掴みの希望を与える魔女ですよ。何時何処であろうとも我が子が生まれるというのならば、必ず顕現致しますわ………それとも私が来ないほうが良かったのですか」
「ははっ、笑わせるでない。我が子を祝福する存在は多くて困ることはない………歓迎するに決まってるであろう。それに□□も見届けるのであろう」
「ふん、新生した奴を倒すのは俺だ。当然のことだろう」
「汝の捻くれた性格から考えると、新生する前に少年を殺すかと思っていたぞ」
「そのような無粋はせんよ。神殺しになり、力をつけたときに戦うのも面白そうだが………」
「あら、それは良かったです。神殺しになる前に殺されるなんて、たまったものではありませんものね………ふふ、この子があたしの新しい息子なのね。瀕死のようだけど、まぁすぐに直るでしょ、う………?」
そこまで喋ったところで、少女は疑問を感じたのか首を傾げた。
「我が子、ですか………その言い方ですと、まるで□□□様の子供のように聞こえるのですが」
「何を当たり前のことを………確かにその少年は汝と愚者の子供になる。しかし、我の力を受け継いで再誕する少年を我が子であるといって過言ではない………いや、我の子であると言わずして何と言うのだ。敗れ去る日が来るとは思ってもいなかったが、我が子は祝福するものだぞ」
「………□□□の三人目の息子か」
「ふふっ、そういうことでしたか」
グッ、という苦しみに満ちた声が聞こえ、そちらに目をやると倒れ伏している少年が逃れようのない運命から必死に生きようともがいている。
その少女は少年に向かって微笑み、手を伸ばす。
「大丈夫、安心しなさい………熱い? 痛い? 苦しい? でも、我慢なさい。その痛みはあなたを最強の高みへと導く代償、自ら選び取った運命の代償なのよ。直に終わるから、それに大人しく身を任せなさい」
誰かが優しく自分の頭を撫でる。柔らかい手のぬくもりと、甘く耳朶を打つ女性の声。
息子? 高み?
さっきから何かよく分からないことをいっている。何の話なんだ。
体中が爆発しそうなほど熱い。脳みそを回転させる余力が無い、何も考えられない。
少年にはその会話が何を意味するのかはわからないのだ。
ただ二つだけ理解していることがある。少女が言っていた”瀕死”という言葉と”自ら選び取った運命の代償”という言葉の意味だ。
少年は二人に逆らったのだ。
最初は双方ともに楽しく飲みあい、語り合っていたのだが、二人の感情は移り変わりが激しかった。仲が良いと感じた一時間後には、今にも殺し合いを始めそうなほど殺伐とした雰囲気が漂っていたのだ。
そして、二人は少年のことなど忘れたかのように激しくぶつかり合った。
少年は………勇猛果敢にして好戦的な赤毛の巨漢と苛烈にして無色透明な道化の戦場に放り出されることになった。
二人の戦場にいるだけで自分の馬鹿馬鹿しさに嫌気が差したが、立ち上がって抗うことにした。
そして、戦うことになった………いや、戦いにもならなかった。一方的に傷つき、何もできなかったといえる。
できたことは一つ―――それまでの無表情とは違い、心の底から楽しそうな顔をした青年から与えられた鉄の塊を投げつけただけだ。大切にしておけと、身の危険を感じたときにだけ使えと、使い方も教えずに渡されたのだ。結局、それがどのような効果を及ぼしたとかは何一つ確認することはできなかった。
結果、少年は地面に倒れ、多くの血を使い赤い池を作っているから、これから死ぬ運命にあるということだ。
しかし、これから新たな人生が始まるとも、自分の意識とは全く違うところで知覚していた。
少女は青い空を見上げ、声を張って告げる。
「さあ、□□□様!□□様!この子に祝福と憎悪を与えて頂戴! 遥か東方からやってきた少年に、彼が掴み取った新しい人生に! 遠い東の果ての国に生まれる初めての神殺し、地上に君臨する運命を得たこの子に、聖なる言霊を、祝福を捧げて頂戴!!!」
「良いだろう………よく聞け少年よ。神を殺し、新生する主に相応しき言葉を送ろうではないか………汝は我を倒したはじめての人間、これより多くの神々や同胞と戦う運命になるだろう! だが、決して負けることは許されない! 最強と名高い戦神を殺すという運命を選び取り、自ら進んだ闘争の道なのだから! 我から簒奪した力を持って勝ち続け、あらゆる敵の骸の上で自らの覇道を示すがいい! 再び我と出会う日まで、最強であり続けるのだ!!!」
「この先、お前には安息は訪れないだろう。まず初めは俺との戦いだ………これから傷を癒し、心して待つがいい!」
そして、体から発している光が霞み輪郭を崩しながら、人間によって殺された神は消えていった。彼の笑い声だけが、ほんの数秒間だけその場に残ったのだ。
消えゆく大男の傍にいた人物も、少年の側に居た筈の少女もいつの間にか消えており、其処に居るのは倒れている少年一人のみ。
だが少年の体には傷痕は一つも残っていなかった。一度死んで、新たな体に変わったかのように。
七月下旬。
ある蒸し暑い日、一人の少年は死をむかえた。
少年は真なる存在、真なる猛威、真なる力―――『まつろわぬ神』と呼ばれる存在に出会った。出会ったしまった。
そして新たな門出を迎えた。
少年にとっては記念すべき日、第二の誕生日を迎えたのだ。
人の身に生まれながら、神を殺めし者に、この世界でもっとも自由な存在の一人として。
日本史上初の神殺しとなった日。
この日を境に少年の日常は崩壊し、波乱の人生を突き進むこととなる。
神々や同胞たる存在と闘う、何一つ予想することの出来ない人生を進む。
少年は共に語り合った男の言葉を胸に秘め、日常の世界から混沌の世界へと駆け抜けることになる。
その両手に一つの信念をたずさえて………新たな旅路に向かうのだある。
えー、一年ぶりに自分の小説を読んで恥ずかしかったです。
よって、再投稿します。
気長に楽しんでいただければ幸いです。