とある科学の極限生存(サバイバル)   作:冬野暖房器具

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 前書きで補足を失礼して……

 木原統一君の知識は新訳10巻(激おこアレイスター)までです。A.A.Aは知りません。









 


 


068 秩序の破壊者 『8月31日』 Ⅱ

 前提として。木原脳幹というキャラクターについて、木原統一が知ることは少ない。

 

 それもそのはずで、木原統一が知る限りではこの謎のゴールデンレトリバーの登場はほんの一コマ。『人的資源(アジテートハレーション)』という学園都市の中でも1、2を争うほどの大事件の黒幕としてチラリと登場するだけなのだ。より正確には、黒幕である木原唯一という女性の、さらに上の存在としてだが。

 

 知っている事と言えば、木原の中でも各界に顔が利く存在で、正真正銘の犬。犬種はゴールデンレトリバーだという事くらいか。

 

(木原唯一が操っていたのは、学園都市統括理事会の一人、薬味久子だったか? それはこの際どうでもいいんだが……問題は、そんな大物を平気で使い潰せるような力が、コイツにはあるって事だ)

 

 はっきりとはわからない。だがもし『木原』に序列のようなモノがあるとすれば、この犬はそのピラミッドの頂点に近い場所に君臨しているはずだ。少なくとも猟犬部隊を指揮する木原数多や、バゲージシティで消費された木原病理を含む木原一族よりも遥か上。それこそ、木原一族を名乗ることすら出来ない木原統一など、ミジンコほどの価値も感じられないような遥かな高みに。そんな存在がわざわざ自分の前に姿を現したという事実は、一体何を意味しているのだろうか?

 

「……木原脳幹か」

 

「いかにも」

 

 それがどうした、という風に。目の前のゴールデンレトリバーは短く応じた。もはやこちらが名前を知っている事など、当然であるとでも言うように。威風堂々とした佇まいで、一匹の木原はこちらを静観していた。

 

(俺が木原統一になる前の……元々知り合いだったって可能性は……いや、もしそうなら『私の事も知っているか』なんて言葉を言うはずがないか。俺の知識が偏っているとも……この犬は、俺の抱えている事情を知っているのか? それも土御門や上条、布束より正確に? でもそんな存在、この世界の住人にいるはずが……いや)

 

 ……いる。俺の事を全て見抜いたうえで、それを許容しているような『人間』が。そこまで思い当たった瞬間、なぜか木原脳幹とその『人間』の表情が重なった。全てを見透かした上で、それを見守るかのような表情。驕りでもなければ慢心でもない。圧倒的な強者、などという言葉では表現しきれない次元の違う存在の気配。あの窓のないビルで感じた、恐怖と親しみの入り混じった感情が、再び俺の中に思い起こされている。

 

 何を馬鹿なと思うかもしれない。何の根拠もなく、世界最強の魔術師とゴールデンレトリバーをまるで同格のように扱うなんて。どう考えてもどうかしているのは、俺自身もわかっているというのに。それでも、この瞬間に抱いた木原脳幹への印象を、俺はどうしても拭えなかったのだ。

 

 逃げるべきか、という考えが一瞬だけ頭を過ぎる。だが相手は魔術サイドではなく科学サイドの住人(犬)、しかも統括理事会を手玉に取るような怪物なのだ。このレベルの相手から逃げるとなれば、それこそ学園都市から脱出でもしないとダメだろう。

 

「……ほらよ」

 

 逃走は不可能と悟った瞬間、俺の手は自然と葉巻の先端へと伸びていた。指先の動きで簡単な魔術記号を描き、手品のように人差し指から炎を出す。

 

「うむ」

 

 満足そうに、木原脳幹は葉巻を吹かし始めた。犬が喫煙なんてして大丈夫なのか? というかそもそも、葉巻の匂いに耐えられるのだろうか? どう考えても犬の嗅覚ではキツイ気がするのだが、この恍惚とした表情を見ていると真面目に考えている自分が馬鹿らしくなってくる。

 

「思っていたよりも冷静なのだな。こちらとしては、いきなり仕掛けてくる可能性も考慮に入れていたのだが」

 

 葉巻をアームで掴み直し、口から離したところで木原脳幹はそう言い放った。

 

「どんな可能性だよそれは……まぁでも、一応聞いときたいんだけどさ。もし俺が仕掛けちまった場合はどうなってたんだ?」

 

「どうにもならんよ。君の持つあらゆる手段を講じたところで、私には届かない」

 

 "あらゆる手段"と聞いて、俺はポケットの中身に意識を向けた。ルーンのカード。俺の行使できる魔術群を全て把握していて、それを退ける自信があると。目の前の犬のいう事を真に受けるとするならば、つまりはそういう事になる。

 

(いや、だけど。現時点で魔術を把握している学園都市の住人は、数える程しかいないんじゃ……? それに、魔術ってのは科学と違って抜け穴だらけだ。単に物理的接触を断てば防げるなんて素直な代物じゃない。そこの部分を、コイツは正しく理解しているのか?)

 

 可能性は薄い気がする。たとえ木原脳幹が、学園都市内における木原統一の魔術行使を録画映像か何かで把握していたとしても。その魔術的理論まで追えているとは到底思えない。なにしろ科学と魔術が交差してまだ一か月と少しだ。この認識の違いを利用すれば、あるいは……

 

「……言っとくが、俺の扱う炎は───

 

「魔術だろう。我々の司る科学とは、対を成すよう設定された技術体系……なるほど、私がそこまで無知な存在だと思えるならば、これは福音だなアレイスター」

 

 ダメだった。どうやらこの犬は、魔術に関しても完全に理解しているらしい。そのうえ魔術絡みの話でアレイスターの名前を出したという事は……アイツが魔術師であるという事も承知の上か。どんな化け物だよオイ。

 

「なんで木原の癖に自然体で魔術を知ってるんだよ……」

 

「それを君が言うのかね」

 

 ごもっとも。ぐうの音も出ないほどの正論である。

 

「はいはい、適わねえのはわかったよ。それで? 何でも知ってるゴールデンレトリバーが、一体俺に何の用だ?」

 

 目の前の犬がトンでも存在である事は十分理解した。いくら警戒したところで無駄なレベルであり、ありがたいことに戦意が無いという事も。ならばここで肩肘を張ったところで意味はないな。とっととお話を聞いて、とっとこお帰り願おうか。出来れば布束が帰ってくる前に。

 

「なに、そう難しい話ではない。君にとっても利益のある提案のはずだ」

 

 そう言って、木原脳幹は再び葉巻を咥えた。その香りを楽しむかのように目を瞑る姿は、まるで人間のような仕草だ。だがのほほんとした平穏を感じさせる佇まいではあるものの、この状況下では嵐の前の静けさにしか感じられない。

 

「……おい、勿体付けるなよ。はよ中身を言え中身を」

 

「やれやれ、いまいち情緒に欠けているなぁ君は。まあ、その年齢なら無理もないか」

 

 何故俺は犬に呆れられているのだろうか。というか年齢って……お前は幾つだゴールデンレトリバー。

 

「まぁいい。ひとまず私の目的だが……計画(プラン)を歪める存在の排除、と言えば伝わるかな?」

 

 瞬間、思わず右の拳を握りしめる。そんな様子を見て木原脳幹は微笑み、さらに言葉を重ねていく。

 

「端的に言ってしまえば、君が少々邪魔になってきたのだよ。アレイスターの奴が何を考えているのかはわからんが、こと計画(プラン)の進行に関して言えば、君の存在は障害でしかないはずだ。いかに無数に分岐し正解へと向かう計画と言えど、君のような不純物を含めてしまった場合の挙動は未知数。小手先の誤魔化しではいつかは限界を迎えるだろう……ならばその前に。元凶を遠ざけておきたいと思うのは、自然な発想ではないかね?」

 

 そんな木原脳幹の問いかけに、俺は言葉を失った。何故なら、このゴールデンレトリバーの発想は、かつて俺が考えていたものとまったく同じだったからだ。未来の知識を携えた侵略者。計画(プラン)の要であろう幻想殺し(イマジンブレイカー)一方通行(アクセラレータ)へ接触を図る者。こんな俺を、何故アレイスターは野放しにしているのかという疑問を、まさか目の前の犬が提示してくるとは夢にも思わなかったのである。

 

(しかもこの口ぶりから察するに……利害の一致とか一時的な共闘なんて感覚じゃない。正真正銘、アレイスターの側に立つ存在……その目的達成に思いを馳せるような仲間が、アレイスターには居るっていうのか?)

 

 魔術を知り、木原統一を知り、計画(プラン)の行く末を憂う。そんな事が出来るような奴がアレイスター以外にいるなんて、俺は夢にも思わなかった。どこまでも孤高で、孤独な人間だと思っていた世界最強の魔術師に、相棒(パートナー)がいるなんて事は。原作知識(オリジナル)を以てしても、この爆弾の到来は予測不可能だろう。

 

 ここにきて言葉を交わす事数度。その度に、目の前の犬の存在(スケール)は大きくなっていく。上位階級の『木原』、統括理事会を手玉にとる犬……そんな俺の知っている木原脳幹の評価は、木っ端微塵に砕け散った。

 

「何を呆けているのやら。こんな可能性は、君ならば考えて然るべき事柄だと思うがね」

 

 無茶を言うな。唯一無二だと思ってた人類最強枠に、四足歩行の相棒がいるとか思いつくわけがない。先日は木原統一(自分自身)の存在にも驚かされたが、お前はそれ以上にイレギュラーすぎる。

 

「……いや、確かにアレイスターの思惑とか、そういう部分に考えを巡らせた事はあるけども……それをアンタから提示されるのは予想外だった」

 

「なるほど。どうやら、私は未だに君を量り損ねているようだな。思うに君の認識する木原脳幹と私自身が、乖離しすぎているのが原因か」

 

 そんな事を言いながら前の両足を揃えて前に突き出し、木原脳幹は大きく伸びをした。こっちの緊張なんかお構いなしかお前は。まさかとは思うが、それで帳尻を合わせてるつもりなのではあるまいな? 「お前の考える木原脳幹ってこんな感じ?」という風に。今さらそんなポーズを取ったところで、只の犬扱いなんざ出来るわけねえだろうが。

 

「まあいい、話を進めよう……と言っても。流石の君でも、もう私の言わんとしていることについて、おおよその察しはついているだろうがね」

 

 わかるわけねえだろ馬鹿野郎、なんて言葉を言い返す余裕もなく。幾ばくかの沈黙を経た後に。散々に俺の心を搔き乱してくれた存在は、どこまでも致命的な言葉を言ってのけた。

 

「学園都市から出て行きたまえ、木原統一君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の木原が対峙しているスーパーの裏手。そこからそう遠くない場所で、1台の携帯が鳴り響いた。

 

「……うん?」

 

 両手の塞がった状態で、空いた指を使い器用にポケットから携帯を引っ張り出す。画面に映し出されているのは着信表示。だがしかし、提示された番号には心当たりがない。やや首を傾げつつも、少年は通話ボタンに触れた。

 

「もしもし」

 

『ひゃっ!? ほ、本当に繋がった……!』

 

 一瞬の空白。電話の相手が誰なのか、脳内検索をかける事数秒。どうして番号を知っているとか、何の用だとか。そういった相手の事情に思いを馳せる前に。持ち前の危機察知能力に従い、少年は思いっきり本音をぶちまけた。

 

「……切ってもいい?」

 

『どうしてよ!!』

 

 上条当麻と御坂美琴。本来であれば今日この日に、電話など交わす事のない二人。 

 

 まるで何かに吸い寄せられるかのように。レールを外れていた二人の道は、今この瞬間に交差する。

 

「で、なんだよビリビリ。というか、何で上条さんの番号を知ってるんでせう? ハッキング?」

 

『……アンタの中の私って一体どんなキャラなのよ。そうじゃなくて、アンタの……友達? 木原って人から聞いたんだけど』

 

「うわ、なにしてくれちゃってんのアイツ!?」

 

『だからどんなキャラしてるのよ私は!!?』

 

 この現象に明確な名前は無い。だが呼び名であれば、それこそ人の数だけ存在する。

 

『はぁ、まったく……実は、折り入ってそ、相談があるんだけど』

 

 それを『偶然』と言う人もいる。

 

 サイコロやコインで再現される世界、確率論で説明できるだけの出会いであると。あるいは、ミクロ世界の揺らぎや不確定性原理を引き合いに出しても面白いかもしれない。社会学、人類学的見地に基づいてだって、十分理由は示せるはずである。無数に転がる可能性の法則を明かす事。それはこの街の存在理由でもあるのだ。

 

「相談? 常盤台のお嬢様が上条さんに相談ねぇ……もしかして、また物騒な事に巻き込まれてるのか? 木原が番号を教えたってのも、まさか───」

 

 あるいは『運命』という人もいる。

 

 救世たる八芒星(ベツレヘム)やとある文明の終末予言のような大掛かりなモノではなく。ごく一般に普及している西洋占星術(ほしうらない)の真似事で示される曖昧な解。東洋で言えば陰陽五行説に基づく四柱推命(誕生日占い)。運命の赤い糸、姓名判断、さらに程度を下げれば血液型占いまで。人を構成するあらゆる概念に関しての符号、その偶然の一致。到底論理的ではない途中式ではあるものの、男女の出会いに難解極まる数式を当て嵌めるよりはロマンがある。

 

 学園都市と言えどその全てを否定してしまうほどに、人々の幻想は壊れてはいない。ましてやその大半を十代の少年少女(ティーンエイジャー)が占める街なのだから、需要は推して知るべしといったところだろう。

 

『ち、違う! そうじゃなくて……その……』

 

 当代最強の『木原』はこう言うだろう。悲劇を収束させ、目についた人物を片っ端から救い上げる性質を持つ上条当麻であれば当然であると。あらゆる位相の奥底に眠る真なる世界。その導き手たる幻想殺し(イマジンブレイカー)の主ならば、この結果は必然なのだと。

 

「……わかった。電話で言いにくい事なら、直接会って話をしよう。御坂、お前は今どこにいる?」

 

 世界最強のゴールデンレトリバーは(わら)うだろう。必然であるかどうかは関係なく、その在り方に人は惹かれるのだと。明けの明星と呼ばれる黄金の星が、実際は灼熱の熱風が吹き荒れる死の星だとしても。その輝きにロマンを感じる人々の感性が、何一つ間違ってはいないと断言できるように。

 

『ふぇ? えっと……い、いいの? か、かなり無茶なお願いになるんだけど』

 

「無茶だろうがなんだろうが関係ねえ。木原が番号を教えたって事は、たぶん何かしら意味があるんだろうし。お前が困ってるって言うなら力を貸してやる。俺に出来る事なら───

 

 

 今は亡き、黄金の師は告げるだろう。これもまた、運命とも呼ぶべき位相の衝突の結果だと。一から十を叩き出す魔術の弊害。この世に蔓延るあらゆる幸と不幸は全てが必然。唯一の例外である幻想殺し(イマジンブレイカー)であっても、その流れを完全に変える事は出来ないのだと。丁度、動くことのないビリヤードのポケットが、吸い込む球を選ぶことが出来ないように。

 

 

 ……だからこそ、かの弟子は歩み続ける。彼自身の『(テレマ)』に従い、あらゆる失敗を重ねながらも。位相の火花、運命……そんな、誰かが作った奇跡(システム)に挑み続ける。この世のあらゆる不条理を撃滅し、正しい世界の形を取り戻すその日まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに、ただとは言わない。要求する身としてある程度の支援もやぶさかではない。当然出ていく理由(カバーストーリー)はこちらで用意する。国内外を問わず、好きな場所を言いたまえ。君の連れ共々、指定された場所での君たちの最低限の生活、そして安全は保障する」

 

 間髪入れずに木原脳幹はそう続けた。まるで木原統一の答えなど聞くまでもないと言うように。淡々と条件を突き付けた上で、再び葉巻を吹かし始める。その仕草が、提示できるだけの条件を出し終えたという合図だ。後からどのような要求をするにしても、まずは返事を聞かせろと。そんな思いが込められた獣の眼差しが、木原統一を射抜いていた。

 

「魅力的な提案だな」

 

 その後出てきたのは、自分でも驚くほど平坦な声だった。社交辞令のような肯定を示そうとしたのに、声色にはまったくといっていいほど興味の色は無く。結果として演出されたのは冷ややかな、半ば非難めいた台詞である。

 

 対して木原脳幹は表情を変えず。まるで次に続く言葉を知っているかのように首を傾げた。気にせず続きをどうぞ、といった感じだ。その様子はこちらの心理を見透かしているようにも見える。なるほど、遠慮は要らないと言うのなら、率直に返事を聞かせてやろうじゃないか。

 

「断る」

 

「ふむ。理由を聞いてもよいかね?」

 

「聞く意味があるのかよ。……アレイスターの計画を把握しているアンタなら、木原統一が学園都市を離れない理由なんてわかりきってるんじゃないのか?」

 

「まぁな。だが理由があるからと言って、人はその通りに動くとは限らない。決意なんてすぐに揺れ動くものだ。後先も考えず、一度決めた目標にただただ本能のままに突き進む大いなる獣(Beast)には……まだ君は届いていないだろう。それに、私が聞きたいのは『木原統一』ではなく、『君自身』の理由なんだがね」

 

「……」

 

「もはや『木原統一』を演じる理由もない。君は今日まで戦い続け、そして君自身を勝ち取った。自分自身の価値を他人に見出した今、『木原』に執着し全てを捨てた『木原統一』を続ける必要性がどこにある? 君が最初に抱いた願い、それを貫き通す理由は何かと。そう尋ねているのだが」

 

 ……なるほど。最初に抱いた願い、すなわち木原数多を救うという挑戦。何も知らない『木原統一』というキャラクターであれば、迷いなく選ぶであろう選択肢。いや、何も知らないのであればそもそも、自分の父親が統括理事長の計画(プラン)に使い潰されるという事も知るはずはないのだが……問題はそこではなく。

 

 大切な者を得たという幸福を捨ててまで、最初の願いを貫き通すのか。それこそが木原脳幹の言葉の真意、ということか。

 

『勘違いしないで。好きになったのは、私を命がけで助けてくれた貴方よ』

 

 ……木原脳幹の言う通り。彼女の傍にいるのに、もう木原統一である必要はないのかもしれない。危険性を考慮すれば、木原統一であり続ける事は足枷にすらなり得るだろう。

 

 それなのに。自分は何故『木原統一』を続けようとしているんだろうか。

 

『ああ。だから君が拾ってくれて、本当によかった』

 

 ……違う。彼に託された木原統一というバトンを続ける事。それ自体は動機ではなく結果にすぎない。

 

 頼まれたから続けているなんて、そんなつまらない理由ではないはずだ。

 

『生きてくれよ。お前にとっちゃ、難しい頼みじゃねえだろ』

 

 あの瞬間こそが答えだと俺は思う……でもたとえ何かきっかけがあったとしても、それを口にすることに意味なんてない。自分の選択の責を、自分以外の何かに負わせる事なんて。そんな無責任な事はないだろう。

 

『汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん』

 

「俺が、そう決めたからだ」

 

 幾許かの静寂の後。小さくも、はっきりとした声でその言葉を絞り出した。

 

「俺は『木原統一』であり続ける。木原数多も救う。そこに理由なんかないさ。強いて言うなら、俺がそうしたいと願ったのが唯一の理由だ」

 

 誰のためでもない、誰かに言われたからでもない。

 

 やらなければならない事でも、やったからといって何かを得られるわけでもない。

 

 それでも───何かを得たからと言って、投げ出すような事でもないはずだ。

 

「なるほど」

 

 自分勝手で、説得力なぞ皆無なこの言葉に。木原脳幹はなにやら嬉しそうに応えた。理解からは程遠い返答だと思っていたこちらとしては、少々肩透かしな反応である。

 

「……馬鹿だと思うか?」

 

「まさか。向こう見ずで無鉄砲、と言えば聞こえは悪いがね。未知を恐れぬその姿勢に関しては及第点をあげたいところだなぁ。正直な所、見直したと言っても過言ではない」

 

 なにやらよくわからないが、何かが木原脳幹の琴線に触れたらしい。提案を断ったら好感度が上がるとは、どれだけ捻くれた性格をしているんだコイツは。まぁ、逆上して敵に回る可能性を考えていた身としてはありがたい話だが。

 

「そうかい、それはどうも。お褒めに預かりなんとやらだ。で、俺としてはそろそろこの歓談を切り上げたいんだが……もうじき相方も帰ってくるだろうし」

 

 できれば布束には、このゴールデンレトリバーとの会話を目撃されるのは避けたいところだ。というか見られてプラスな面が一つもない。学園都市の最暗部、『木原』、そして犬。あらゆる面で心配されるのは間違いないだろうな。

 

「安心したまえ。彼女は来ないよ」

 

 その言葉を聞いた途端、全ての思考は吹き飛んだ。気がつけば俺はルーンのカードを取り出し、木原脳幹の鼻先に突き付けていた。

 

「どういう意味だ」

 

「安心しろと言ったはずだがね……なに、私の弟子が君の可愛らしい彼女を、世間話で足止めしているだけさ。決して、それ以上の事はしていないよ」

 

 そうのたまう犬を見つめて数秒。俺はゆっくりとルーンのカードを下ろした。冷静に考えれば、俺と世間話をする裏で布束に危害を加える理由はコイツにはない。無論この後コイツが、何か不条理な条件を突き付けてくるならその限りではないが……現状その気配もないのだから、敵意をむき出しにするのは逆効果だな。

 

「そうだな、覚えておきたまえよ。君が獲得した勇気の代償を。これまで君を縛り付けていた恐怖という鎖は、他でもない君自身を護るための盾だったのだから。今まで行ってきた身勝手な振舞いは、君以外の首を絞めることにも繋がるのだと、な」

 

 ……なんだろう。言いたい事はわかるのだが、『木原』の最暗部にそう言われるのはなんとも納得がいかない。回復アイテムを温存しておけと、ラスボスに忠告されているような。はたまた帰宅時に手洗いうがいを勧めるウイルス擬人化マスコットに出くわしたかのような、そんな違和感を覚えるのだ。

 

「……何しに来たんだ? お前」

 

計画(プラン)を歪める存在の排除……だったのだがね。まぁ、今の君にはその権利があると私は思う。勝手気ままに駒を動かす子供の悪戯は見過ごせないが、盤上の駒となる覚悟があるのなら、差し手が文句を言う権利も無いだろう」

 

 木原脳幹がそう言い終えた瞬間。彼を繋いでいたリードがしゅるりとポールから解けた。その後、掃除機の電源コードのようにリードは首輪へと収納されていく。

 

「最後に一ついいかね」

 

 カバンから生えてきたアームでもって、首輪をカチャリと外した彼はおだやかな声でそう言った。いいかねと尋ねてはいるが、どうせ拒否権なんて無いんだろうな。

 

「まだ何か?」

 

「まぁそう嫌そうな顔をするな。先ほどのとは違い、コレは単なる世間話に過ぎないよ。大した話じゃない、この話が終わったら行くといいさ」

 

「……行く? アンタじゃなくて俺が? 一体どこに?」

 

幻想殺し(イマジンブレイカー)、上条当麻だ。君も知っての通り、彼はまたトラブルに見舞われているようだからね」

 

 知っての通り、という言葉を聞いてギクリとした。俺が知る限りで、このタイミングで上条当麻を襲う存在なんてたった一人しかいないわけだが……コイツも知っているという事は、あの偽海原の襲撃もアレイスターの計画(プラン)に織り込み済なのか? いやでも、夏休み最終日の上条の行動は史実とは……

 

「最後の質問だが……あらかじめ言っておくと、先ほどの君の覚悟に決して水を差す気はない。それは『木原』の名に賭けて誓おう」

 

 混乱の最中、木原脳幹はなにやら物騒な事を言い出した。「『木原』の名に賭けて」と言われてもだな……『木原』の名がアンタにとってどれだけの価値を持っているんだか。というかそもそもの話、人間としての一族のジャンルに、如何にしてゴールデンレトリバーが名乗りをあげたのだろうか。

 

 そんな益体もない事に思考を割いている所に。スケールの大きくなりすぎた謎のゴールデンレトリバーは、謎賭けのような、例え話のような、それでいて至極真面目に聞こえる。そんな質問を投下した。

 

「もしも。我々『木原』や統括理事会、あるいはアレイスター=クロウリーの意図など関係なく。決して努力では成しえない、あらゆる手段を講じても救えない。例えるならば運命、とも呼べるようなモノに、君の父親が囚われているとしたら」

 

 憐れむような表情と共に。木原脳幹は最後の言葉を絞り出す。

 

「……君だったら、どうするかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 次話で今章最後の予定です。








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