とある科学の極限生存(サバイバル)   作:冬野暖房器具

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 ※若干のオリジナル要素があります。原作に登場する術式の勝手な解釈がありますので御容赦下さいませ。













059 混沌世界のサスペクト 『8月28日』 Ⅳ

 

 

 

 

 

 

 

「……こんなもんか」

 

 旅館『わだつみ』の屋上にて。炎天下の中どうにか侵入者撃退用の術式を組み終わった俺は、そっと溜息をついた。ピークは過ぎていてもやはりまだまだ暑い時間帯だ。額の汗を拭いながら、仕掛けた術式の最終チェックを行っていく。

 

(ま、撃退用っつっても、また性懲りもなく『魔女狩りの王(イノケンティウス)』の応用版だけど……しかし、本当に便利な術式だなコレ。シンプルだから明確な弱点も無く、それでいて色々と応用も利く……ステイルも大した術式を習得したもんだ)

 

 強いて言うなれば、ルーンを消されると術式が保てないのが弱点ではあるものの。それは「心臓を潰されれば人間は死ぬ」という主張に似ている。術式の大本を叩かれればどんな魔術も消えてしまうだろうし、逆に言えばこの『魔女狩りの王』は、心臓(ルーン)以外は無敵の存在なのだ。そんなモノを弱点と呼んだところで、何の意味もないだろう。

 

(インデックスを護るための魔術……か。応用の余地を残していたのは……もしかしたら、彼女のサポートが前提だったのかもしれないな)

 

 実際にはあり得ないIFの話。ステイルの横にインデックスが、未だ側に居続けていたら。この術式は、一体どんな進化を遂げていたのだろうか。魔術師になりたての自分でさえここまでの改良を加えられるのだから、まず間違いなくインデックスならもっと手の込んだ改良を加えられるに違いない。

 

(いや、それこそ考えたところで意味もないか……さて、と。そろそろ上条たちの所へ戻らないと。そろそろ神裂も目を覚ましているかもしれないし)

 

 ようやく仕掛けの確認が終わった。安い旅館とはいえこの建物の敷地はそこそこ広く、そこに連続殺人鬼が紛れ込んでくるなんて正気の沙汰ではない。原作では上条が最初に襲撃される予定ではあるがこの世界ではそんな保証もなく、万が一にも撃ち漏らしがないようにと慎重に術式を組んだ結果、かなりの長丁場となってしまった。現在時刻は午後3時を過ぎてしまっている。

 

 上条夫妻やインデックスとの対話から、もう既に2時間近くが経過していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色々と説得を重ねた結果、明日の買い物に付き合う約束を代償に、上条は従妹である竜神乙姫を部屋から追い出すことに成功した。普段であれば、「それくらいはしょうがないか」という上条のボケや、「どう考えてもご褒美じゃねえかぶっ殺すぞ」という土御門のツッコミがあってもおかしくない場面ではあるものの。今この二人に、そんな軽口を叩き合う余裕は無かった。

 

 議題はただ一つ。さきほど偶然にも発覚した、木原統一の謎についてである。

 

「……なぁ土御門。おれは魔術に明るくないから何にも言えないんだけどさ。『御使堕し(エンゼルフォール)』の例外には、木原も当てはまるのか? 俺はこの右手のせいで防げたらしいけど……さっきの話だと、お前達はバリアだかなんだかの中にいたんだよな?」

 

「バリアじゃなくて結界だぜい、カミやん。噂に名高いウィンザー城の防御結界ですたい。んでもって、間違いなく木原っちはその中にいた。俺はたまたま側にいなかったけど、ねーちんがすぐ近くにいたはずだにゃー」

 

 ねーちんか、と上条は未だ目を覚まさない布団に目をやった。数時間前に空から降ってきた落下系ヒロイン。そしてそのまま全力疾走の果てに、上条をぶっ飛ばしたインデックスの親友、神裂火織だ。

 

「じゃあ、一体どういう事なんだよ。木原がお前や神裂と同じ場所にいたのなら、お前らと同じ状態になってねぇとおかしくないか? それともアイツは……実は『御使堕し』を防いでなんかいなくて、その効果をモロに受けちまったとか?」

 

 もしそうなら、先ほどの現象にも説明がつく。『御使堕し』の直撃を受けた者同士なら、入れ替わりに気づく事は出来ないのだから、『木原統一』は『木原統一』のままと認識されるはずだからだ。

 

「……いや、それなら俺たちからはまったくの別人になってないとおかしいぜよ。さらに言うとその場合、木原っちの目にはねーちんはステイルに、俺は一一一に見えてないとおかしいからにゃー。『御使堕し』が発生した後も、木原っちはきちんと俺らを認識できてたぜい」

 

 だがその仮説は却下だった。そんな土御門の言葉に、上条もそうだよなと相槌を打つ。しばしの沈黙の後、上条当麻は事の核心たる部分を呟いた。

 

「……アイツは、木原はこのことに気づいているのか? というか、アイツの目には、インデックスや俺の家族はどう見えてるんだ?」

 

 疑問続きの上条に対して、土御門は明確な回答を示せない。ただその呟きに、土御門は木原統一の飛行機でのあの言葉を思い出した。

 

『いやなに、向こうで神裂と話している人の見た目が、完全に俺の親父になってるんだよ。まぁ冷静に考えたら親父がこんなとこにいるわけもないし……うわー紛らわしい、マジで入れ替わりが発生してやがるのな。土御門が接触済みってのはアレの事か』

 

 父親。土御門にはどう見ても同年代の少年にしか見えない白衣の男を、木原統一はそう称した。つまり───

 

「入れ替わる前の状態……インデックスはインデックスのまま、という風に見えている可能性が高いな」

 

「……なぁ、俺なんかよりもアイツの方が百倍怪しくねえか? いや、木原が犯人でしたーなんて事はまずないと思うけどさ。ちょっとこう、なんか……あるだろ」

 

 とある魔術を防ぐために、はるばる地球の裏側からやってきた3人組。その内の一人は、上条を犯人だと勘違いしたか何かは知らないが、半ば交通事故みたいな勢いで上条をぶん殴ってきたのだ。殴られた側としては、もう少し色々と調査してから事に当たれと言いたくもなる。何か手がかりを掴んでいるかもしれない男が、その3人の中にいるのならなおさらだ。

 

「犯人ではない、か」

 

 一方で、土御門はこれまでの情報を反芻(はんすう)し整理していた。予言騒動、ウィンザー城での一件、旅客機での一幕、そして今。上条は知らない木原統一の裏の顔。与えられている情報量は膨大だ。そしてその情報が、どこまでが木原統一の思惑通りなのか。その判別が、土御門にはつけることが出来ないでいた。

 

(いや、場合によってはもっと前から……? まさか、ステイルとの邂逅から計算通りって事はないと思うが)

 

『今年の5月に、私の実家を訪ねてきたことがあるの。お兄ちゃんの不幸体質の原因を知りたいから、色々調べにきたって』

 

 土御門の記憶には、木原統一が上条当麻の従妹、竜神乙姫の実家を訪ねたという情報は無い。逐一彼の行動を把握していたわけではないが、流石にクラスメートが学園都市の外に出たのなら、その時点で土御門の情報網に間違い無くひっかかるはずだ。つまり木原統一は、周囲に気づかれないよう工作を施していたという事になる。

 

(まさか、スパイ()の存在をその時から把握して? いや、そうとは限らないが……だが、しかし……)

 

 謎はまだある。上条の不幸の原因、即ち幻想殺しについてもその存在こそ知っていたが、それが不幸の原因だと判明したのはつい最近。魔術世界の禁書目録(データベース)、インデックスの見解の話である。魔術ではなく科学側の、それもただのクラスメートが、その真実に辿り着けるとは到底思えない。

 

(まさかカミやんの右手についても何か知っているのか? アレイスターの手順(プラン)に組み込まれている幻想殺し(イマジンブレイカー)まで知っているとなると……)

 

 世界規模の魔術、その発生源付近にいた幻想殺し(イマジンブレイカー)と禁書目録、そして、その両者に関わっていた謎の魔術師。これらを直感的に結びつける事など簡単過ぎる。だがここまであからさまに判断材料を用意されてしまえば、逆にその筋道通りの判断をしていいのかと迷ってしまうのだ。2時間ドラマの犯人が、わずか10分で捕まってしまったようなものだろうか。その時点でおおよその視聴者が、「コイツは犯人ではないな」と考えてしまうように。

 

(……だが奴は、駆け引きにおいて稀に神憑り的な行動をすることがある……ウィンザー城の決戦、『スタディ』の壊滅、絶対能力進化(レベル6シフト)計画への介入、インデックス救出……俺の予測を上回る瞬間は何度も見てきた。ここまで、俺が思考を巡らせること自体が計算の範囲内だとしたら……)

 

「ま、たぶん木原のことだから、どうせまた何か一人で抱え込んでるんだろ? 入れ替わり前の状態が見えるって事は、気づいていないわけがないんだし。戻ってきたら聞いてみようぜ」

 

 一方で、上条当麻は木原統一のことを微塵も疑ってはいなかった。予言のことを知らず、そして時に無茶をするのが木原統一であると、上条は知っているからだ。

 

「……いや、ダメだ」

 

 楽観的に決着をつけようとした上条に対して、土御門は反射的に否定の色を示してしまった。怪訝そうな顔をした上条に対して、土御門は慌てて言葉を付け加えた

 

「木原っちが黙ってんだからにゃー、たぶん言えない事情があるんだぜい。もうしばらく様子を見てからでも、遅くはないはずだにゃー」

 

 もうしばらく泳がせていたい。そんな本音など、言えるわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何があった」

 

 しばらくして、俺は上条たちの部屋へと戻ってきた。何も考えずにふすまの戸を開けた瞬間に「もし神裂が目を覚ましていて、着替えとかをしていたらどうしよう」という考えが頭を通り過ぎたが時すでに遅し。その目に飛び込んできた光景を見て、俺は絶句した。

 

 たしかに神裂は起きていた。いや、おそらく起きていたというのが正しいだろう。何か特殊な寝相でもなければ、この体勢はありえまい。

 

 彼女は、土下座を敢行していたのだ。

 

「……戻ってきたか、木原っち。随分と遅かったにゃー?」

 

 最初に声をかけてきたのは、何事もなかったかのように振る舞う土御門だった。

 

「ああ、なんとか上条夫妻への説明会は終わったよ……口裏合わせは後でやるとして、だ。コレはどういう状況……いや、待て。なんとなくわかったから言わんでもいい」

 

 神裂は無言の土下座、その前にはオロオロとする上条当麻。この景色の理由は、ほんの数時間前の出来事を思い起こせば説明がつく。

 

「ま、たぶん木原っちの考えてる通りだぜい。てんで的外れな言いがかりをつけちまったねーちんの大反省会ってとこですたい」

 

 それが御使堕しに関する事なのか、インデックスの事なのかは不明だが、そのどちらともが的外れであることは間違いない。冷静に考えればこんな事にはならなかったはずだ。そしてその暴挙を働いた相手は、かつて親友の命を救ってくれた恩人である。大失態、と称しても余りあるほどに致命的なミスであることは間違いようがなかった。

 

「……土下座で済んでよかったな。これで「腹を切る」とか言い出したらマジで収拾がつかなかったぞ」

 

「今でも十分に収拾がつかないぜい。なにせねーちんは昨日、言いがかりをつけてきた騎士団長をぶっ飛ばしちまってるんだからにゃー。ミイラ取りがミイラってな具合で、自己嫌悪に拍車がかかってるぜよ」

 

「あー……なるほどな。自分が騎士団長と同じことをやっちまった、って考えてるのか。いやいや、別にまったく一緒ってわけではないと思うけど」

 

 そんな俺の言葉に、神裂はピクリと反応した。

 

「だってほら、冷静に考えれば上条は無実だけどさ。俺は冷静に考えて怪しかったわけだし」

 

 更に言えば神裂は別に上条の命まで取ろうとしたわけでもない……いや、どうだろうか。あの勢いは物理的にあの世に叩き込み込んでもおかしくなかったな。これについては保留と言わざるを得ない。

 

「はっはー、確かにその通りだぜい木原っち。んでもって一つ訂正すると、怪しかったではなく怪しい……現在進行形だにゃー!」

 

「おい、お前らのせいで神裂が更に凹んじまったじゃねーか! どうすんだよこれ!」

 

 もはや日本式の土下座は崩壊し、神裂はエジプト神話系の神を崇めるポーズへと移行していた。猫の伸びのようなあの体勢である。

 

「……どうしたらいいと思う? 土御門」

 

 不覚にも可愛い、と一瞬考えてしまった罪悪感に苛まれながら、それを誤魔化すために土御門に話を振る。

 

「ふむ、ここは一つ。俺たちはささっと退散して、ねーちんには桃色な方向で借りを返してもらうってのはどうかにゃー?」

 

「……非常に面白いけど却下だな」

 

「面白くねえよ! 一体何処に面白い要素があるんだっての!!?」

 

「どうせ上条のことだから、不幸にもその現場を他の人に見られたりするんだろうなーと。たぶんインデックスとか竜神ちゃんとかに」

 

「案の定だよ!! やっぱり面白くねぇじゃねえか!」

 

「いやいや、何が面白いって今の神裂の見た目は、なぁ? 不良神父との逢瀬なんざ、家族会議開始まっしぐらだろ」

 

 この一言で土御門は吹き出し、そして上条の右拳が俺の顔に向かって飛んできた。ひょいとその一撃をかわすが、上条の怒りは収まる気配がない。2撃3撃と続く拳の連打を食らう気も無いので、ぐるりと神裂を間にはさむ要領で上条の攻撃範囲からの離脱を試みる。

 

「きゃー、上条に襲われるー」

 

「カミやん、襲う相手が違うぜよ」

 

「この、歯ぁ食いしばれ木原ァ!!」

 

 ぐるぐると神裂の周りを走り回る俺と上条。それを見てげらげらと笑う土御門。いよいよ収拾がつかなくなってきた頃に、ぷるぷると震えながらとある一人のサムライが立ち上がる。

 

「いい加減にして下さい!!」

 

 ゴンッ!! という鈍い音が響き渡り、二人の男に鉄拳制裁がぶち込まれる。木原統一と上条当麻、二人の馬鹿野郎は畳に叩きつけられた。

 

「なん、で……俺まで……不幸だ……」

 

「……いや、うん……なんかスマン」

 

 挑発に挑発を重ね、ステイル呼ばわりした俺がやられるのは計算通りだったのだが。流石に上条が殴られるのは計算外だ……畜生、視界がちかちかする。手加減されたとはいえ結構勢いよくやりやがったな神裂。

 

「あーあ。こうなる前に、とっととピンク色の展開を選んでおけばよかったのににゃー……ん? ねーちん? なん、何でそこで七天七刀を握り締めてるのかにゃー!!? 俺は完全に無実だぜい!?」

 

「いいえ、土御門……貴方にはイギリスでの借りがあります。見たところ、私をからかうだけの元気はあるようですし」

 

 作戦通り文字通り。神裂は立ち直ったようだな。うん、いいスイングだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……大勢は理解しました。」

 

 俺と上条が頭を擦りながら起き上がると同時に、神裂は現状を把握したいと告げてきた。結局の所、ひとまず神裂は上条への謝罪を先送りにしたらしい。なんだかんだで彼女もプロ、御使堕し(エンゼルフォール)の危険性の方を重視したようだな。俺としても断る理由はなく、上条夫妻への説明やインデックスの対応を、一部伏せながら簡単に説明した。

 

偶像堕し(アイドルフォール)ってのは流石に無理があるんじゃないかにゃー……いや、それをインデックスが信じたって事がまず信じられないぜい」

 

 ボタボタと鼻血を垂らしながら土御門は言った。

 

「そうでもねえよ。天使を天界から叩き落す術式よりは、まだこういう馬鹿げた術式のほうが信憑性がある。古今東西、人の信用を失墜させる逸話は腐るほど存在するし。流石のインデックスでも、この情報だけで術式を特定する事も不可能だから、そうそうバレねえとは思うんだ」

 

 それだけではない。インデックスが信じてくれたのはおそらく、これが『木原統一』の言葉だったのもあるだろう。信用を利用し、恩を仇で返すような所業に胸が痛むが、彼女を危険な目に会わせないための処置だ。ここは割り切っていかなくてはな。

 

「……なるほど。言われてみれば、そんな気もするぜい。そこまで考えてるとは流石は木原っち……まるで、あらかじめ( 、 、 、 、 、)考えていた( 、 、 、 、 、)ような嘘だにゃー?」

 

 そんなわけがあるかい。完全に即興でついた嘘だっての。

 

「私のミスを、ステイルに泥を被せる形で解決してしまったのは少々悔やまれますが……彼らがステイル本人と出会う事はないでしょうし、問題はありませんね」

 

「まぁな。とりあえず神裂は、後で上条と一緒にあの人たちに会ってきてくれ。仲直りしました、みたいな雰囲気でな。そこまでやれば警察沙汰は完全に回避できるはずだし、ステイルの名誉をある程度取り戻す事も出来るだろ?」

 

「ええ。そうですね……お願いできますか、上条当麻」

 

「おう」

 

「……ふぅー、どうやらやっと、全員の足並みが揃ったようだにゃー」

 

 ……たしかに。日本に到着してからと言うもの、どたばたと騒動の繰り返しで……いや、イギリスでもそんなだったな。俺、土御門、神裂がきちんと足並みが揃えた状態は久しぶりだ。そこに上条が加わるとなれば百人力である。この布陣で御使堕しを無事に攻略できないわけがない。後は俺の立ち回り次第だ。

 

「さて、現地の方への対応は木原統一がやってくれましたが……これからどう動きますか土御門? 唯一の手がかりであった上条当麻が何も知らないのであれば……」

 

「八方塞がり、って事になるにゃー……まぁ方針はいくつかあるんだが……」

 

 ちらり、と土御門は俺を見た。

 

「木原っちは、どうすればいいと思う?」

 

 どうすればいいと言われても。本音を言えば「上条家を爆破すれば良いと思う」となるわけだがそれは無理だからなぁ……下手な事を言ってボロを出すのも嫌だし、ここは適当に流すか。

 

「……ここで俺に振るのかよ。つい最近までただの学生だったんだぞ俺は。お前らプロの魔術師よりもマシな意見が出せるとは思えな───」

 

 次の瞬間、土御門の右手が俺の口を塞いでいた。手を当てる、なんて生易しいものではない。がっしりと鷲掴みにし、呼吸すら出来ない状態にしているのだ。

 

「いいから言ってみろ」

 

 怒りや焦燥などは感じない。このまったりとした場で、ギリギリ自然に感じるぐらいの声色で、土御門はそう告げると手を離した。呆気に取られて土御門を見るが、奴はこれ以上特に何も言うつもりは無いらしい。

 

 神裂も上条も同様である。どうやら俺の言葉を待っているようだ。ここまでされてしまっては、自分の考えを言わざるをえないな。

 

「……とりあえずは様子見、だろ。別にここでじっとしてたのは、神裂と上条が目を覚まさなかったからってだけじゃない。俺たち以外にもこのふざけた術式を止めようとやってくる魔術師が来るはずだから、そいつらと情報を共有すれば……ってのが本命だったはずだ。それに、下手に動いてその魔術師に誤解されたくもない。御使堕しを止めようとする者同士で潰し合い、なんてのは一番避けたいパターンだからな」

 

「……ま、その通りだぜい。現状出来ることといえば、これから起こり得るパターンを想定しつつ、待ちに徹することだけですたい」

 

 どうやら土御門も同意見のようだ。だったら何で俺に言わせたのか……自分の意見と照らし合わせたかっただけか? あるいは……プロの意見を聞いてからだと素人である俺が意見しづらいと考えたのか。

 

「なぁ、ちょっと質問してもいいか?」

 

 上条が手を上げ、おそるおそる言葉を発した。

 

「御使堕しってのは、もともと天使を……えーと、俺たちの世界に出現させる魔術なんだろ? でもそれに何の意味があるってんだ?」

 

「意味、ですか。十字教的にはとてつもなく大きな意味が存在しますが……」

 

 天使の降臨。天の使いの出現は、聖書ではたびたび起こり得る出来事である。神の言葉を民衆に伝える。祝福を与え、罰を下す。天使にも種類があり、その役目によって使役される天使も違う。ただし共通して言える事といえば───

 

「天使が遣わされるってのは、目的はどうあれ、天の意思を地上に反映させるって時だ。だけど上条が言いたいのはそういう事じゃねえだろうな」

 

「犯人の目的、意図。天使を叩き落して、一体何の意味があるかって話かにゃー」

 

 そんな土御門の言葉に、上条は無言で頷いた。

 

「たしかに、それが一番の謎ですね。堕した天使を手に入れるためか、あるいは空いた天界の階位へと、自らが上り詰めるつもりなのか」

 

「単に、世界を混乱させたい愉快犯って線もあるぜい。木原っちはどう思う?」

 

「うーん……どれが正解かはわからんが。付け足すなら、実は別の魔術を起動させようとしていたのに失敗して、その結果こうなっちまった。って可能性もあるんじゃねえかな。ま、現状わかっている事と言えば、この御使堕しは未完成って事だけか」

 

「……未完成、だって?」

 

「そ、未完成。神裂の説が正しいのなら、今頃は国の一つや二つ消滅しててもおかしくない。天使ってのはとにかく、それだけヤバイ代物なんだよ。堕ちてくる天使にもよるけど。その天使による被害が見当たらないって事は、犯人はまだ天使を手に入れてない。手に入れてたとしても、掌握できていない……と思う。天界の階位へ人間が上り詰める云々ってのは流石に与太話が過ぎるだろうし、それがもし成立していたとしたら、世界は今以上に狂っちまってるはずだ」

 

「……木原や土御門の説はどうなるんだ?」

 

「土御門の説は怪しいな。混乱させたいにしたって、入れ替わりの現象は極一部の魔術師しか気づいていない。犯人がこの狂った世界を見るだけで満足できるような酔狂な輩なら話は別だが……俺の説は例外中の例外だけど、もしこの魔術が失敗作なら、犯人はどうやっても完成品を作ろうとするだろう。ってことはやっぱりこの魔術は未完成ってわけだ」

 

 そこまで聞くと、上条は頭を抱え悩み出した。魔術に明るくない上条であればこうもなるか。

 

「別にそこまで悩む必要もないぞ。洗脳か、革命か、自爆テロかはたまた事故か。今の所、世界の体制には何も影響はなく、ただ天使(王様)が行方不明でみんなが混乱中ってだけさ」

 

「いや、余計にわからなくなるぞそれ……」

 

 上条に渋い顔をされてしまった。まぁダメ元で言っただけの例え話だ。そこまで期待していたわけではない。

 

「とにかく、一刻も早く御使堕しの儀式場を見つけて破壊しましょう。犯人の目的はどうあれ、それさえ達成してしまえば問題は無いはずです……上条当麻。貴方の右手の力を、もう一度貸していただけますか?」

 

「……ああ、今さらここで引けるかっての。このふざけた魔術は、俺がぶち壊してやる」

 

 お前がぶち壊したらまずい事になるんだけどな、とは言えない。御使堕しの儀式場は一気に破壊する必要がある。下手に手を出せば、壊れるのは術式ではなく世界のほうだ。

 

「……ま、壊さなきゃインデックスはあのままだしな」

 

「お願いします、上条当麻!」

 

「……絶対に、絶対にぶち壊す!」

 

 奥歯を噛み締めながら、苦い表情の神裂。そして涙目になりながら、上条は拳をギリギリと握り締めていた。切実だな……俺の目にはインデックスに特段の変化は見られないが、やはり相当悲惨なようだな。俺の視点ではインデックスどころか世界全体に影響は見られないので、全ては想像でしかないわけだが。

 

「……御使堕しは未完成、か」

 

 その呟きは、決意を新たにしている神裂や上条、そしてそれを眺める俺には届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで。上条と神裂は、上条家に挨拶に行くといい部屋を後にした。ついでに上条に頼みたい事もあると神裂は言っていたが……原作通りなら風呂の件だな。そういえばイギリスからここまで、神裂だけではなく俺や土御門も湯に浸っていないな。この際だ、騒動が起きる前に入っておくのもいいかもしれない……しかしながら、ここまで筋書きが歪んでいてもなお上条は平常運転なのか? 賭けてもいいが、アイツは絶対に神裂の風呂を覗くハメになるだろ。まったくもって恐ろしい女難の相だな。

 

「なぁ、木原っち」

 

「なんだ、土御門」

 

 あの二人が部屋を後にしたので、今やこの部屋には俺と土御門しかいなかった。説明はしたが、アイドルの姿になってしまっている土御門が外をうろつくのはやはり得策ではないし。俺は俺で、今の所他に用事もない。

 

「さっき、カミやんの両親に説明をしてくると言って部屋を出て行ったが……妙に帰りが遅くなかったか? 一体何をしていた?」

 

「ん? ああ……ちょっとこの建物に魔術で細工をしてたんだよ。自動迎撃ってやつだな。トリガーは……俺、土御門、神裂以外の人間に危険が迫ったときだ」

 

 実は本当のトリガーはちょっとだけ違うのだが、それを土御門に言うわけにはいかない。

 

「……なるほど。俺たち以外の一般人を危険に晒さないためか。いい判断だが、しかしよくそんな都合のいい術式を覚えていたものだな」

 

 土御門は微妙な表情をしていた。小骨が喉に刺さったみたいな顔だな。なにやら不満があるというわけではなさそうだが……

 

「別に都合よくってわけじゃないんだけどな……結界魔術の構成はウィンザー城で特大のモノを見れたから、簡易的に魔女狩りの王に組み込んでみただけさ。"イノケンティウス"ってのはもともと『潔白な人間』って意味だし、悪意ある人間に反応させる術式を組むのは結構簡単だった。俺たち3人組が護衛対象外なのは───」

 

「元は魔術師狩りの魔術だから、か」

 

 イノケンティウスと言う名前はローマ教皇の役職の別命だ。1世、2世と言う風に、代々受け継がれていくもので特定の個人を示すものではない。"魔女狩りの王"の術式はその中の一人、魔女狩りを活発化させたイノケンティウス8世に由来するものである。

 

「ウィンザー城でも色々と中身を弄ったけど……ホント、この術式は単純で応用が利きすぎるよ。ルーンを信徒に見立てることで、信仰の厚さが権力、即ち強さに直結する。その方向性を曲げるだけで、どの性質を強化するかも思いのままだ……敵を焼き尽くすだけが魔女狩りではないからな。今回は、主の敵をひきずり出すって意味を拾い上げて、索敵能力に特化させてみた」

 

 魔女狩りによって命を落とした魔術師が、最後に思い描いた光景。視界が処刑の炎で覆われた時、自らを死に追いやったローマ教皇(神の代理人)が、炎の中に浮かび上がる。それが、炎の巨人たる『魔女狩りの王』の由来なのだ。

 

 即ち、彼が姿を現した時には魔術師の死は確定している。主の敵は一匹たりとも逃さず、灰になるまで焼き尽くすという強い意志が、炎を通して彼らの身に伝わっていく。

 

 故に───『必ず殺す』。いつしか『魔女狩りの王(イノケンティウス)』は魔術師にとって、そんな意味を持つ言葉になってしまったという。

 

「……即興で作った魔術、か」

 

 色々と説明はしたものの、土御門の表情は晴れない。なんだ? 何が納得いかないんだ?

 

「あー、土御門。たぶん俺の気のせいではないと思うんだが……何か問題があるのか? さっきから随分と表情が暗いように見えるんだが」

 

「いや……こうして言われなければ、俺はお前の仕掛けた魔術に気づく事も出来なかった。そこまで隠蔽性能のある魔術を、木原っちが行使出来る事が意外なだけだ」

 

「……? いや、まぁ参考にした魔術がウィンザー城のアレだからなぁ。王族に負担をかけないような構成になってたから、それをそのまま継承しちまってる。ま、如何にも"防御してます"って看板をぶら下げちゃ、ここにやってくる魔術師も警戒しちまうだろうし、好都合だからその性質は残したままだ。でも見つかりにくくした分、性能はかなり落ちてるよ。というか、『魔女狩りの王』を室内で出しちまったら火事になる。嫌でもその辺りの性能はダウンさせなきゃダメだからな」

 

 理には適っているはずだ。術式について実は多少の嘘を吐いているが、それはバレるはずもない些細な事。だが土御門は神妙な面持ちのまま、ただ一言「そうか」と呟いたっきり、何も言わなくなった。おかしい、リスクを回避したことは伝えたし、魔術を仕掛けた事に対しては土御門も「いい判断だ」と先ほど述べた。だが実際にはこの顔だ。一体何を心配しているんだ?

 

 ……ダメだ、わからん。ただ、コイツがだんまりを決め込んでるって事は、まだ答えが出ていないんだろうな。こういう時はせかしても何も良い事はない。土御門のことだから、時が来れば教えてくれるはずだ。

 

「さて、と。色々とひと段落したし、俺は風呂にでも入ってくるかな……土御門も、あまり根を詰め過ぎるなよ。少し横になって休んだらどうだ?」

 

「いや、大丈夫だ。それと、風呂なら俺も付いて行こう」

 

「怪我人なのに入れるわけねえだろ!」

 

 そう言いながら土御門に枕を投げつけると、ボフッ、という音と共に奴の顔面に直撃した。こんな単純な攻撃でさえ、今の土御門には回避が困難らしい。どう考えても限界だな。世界を股にかける多重スパイが、枕如き避けられないでどうするんだよ。

 

「薔薇色の浴槽なんざ御免被る。おとなしくそこで寝てやがれ……後でお湯とタオルくらいは持って来てやるから」

 

「いや、だが───」

 

「やかましい。今の内に休んでおかねえと、いざと言う時に動けねえだろうが。これ以上ごちゃごちゃ言うと次は枕じゃなくて炎ぶつけんぞコラ」

 

 仁王立ちで土御門をしばらく見つめていると、しぶしぶといった感じで布団に潜り込んだ。いや、グラサンくらい外せよお前。

 

「……10分だけ眠る。何かあったら起こせ」

 

「キリンかてめぇは。いいからぐっすり寝て、いつものにゃーにゃー口調を取り戻してこい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……エンゼルさま、エンゼルさま、お聞かせ下さい」

 

 その声の主は、海の家『わだつみ』の天井裏( 、 、 、)に隠れていた。

 

「エンゼルさま、どうすれば無事にここを脱出できますか?」

 

 その問い掛けに、ガリガリという音が返ってくる。右手にナイフを持ち、木の板を刻むように文字を書きなぐる音だ。

 

 そして、その板にははっきりと『KILL』という文字が刻まれていた。

 

「ああ、エンゼルさま。またイケニエを捧げれば、私を助けてくれるのですね?」

 

 そして、帰ってくるのは『YES』の文字。傍から見ればこの男は、口頭と筆記で自問自答をしているにすぎない。だが男は迷わず、その板に刻まれた命令を実行に移す気でいた。

 

 これまでも、そしてこれからも。"エンゼルさま"の言う通りにしていれば問題ないのだと。この、自らの意思( 、 、 、 、 、)に反して( 、 、 、 、)動く右手( 、 、 、 、)には、エンゼルさまの意思が宿っている。こちらから疑問を提示すれば、答えをくれる( 、 、 、 、 、 、)。彼は何の迷いもなくそう信じていた。

 

「エンゼルさま、エンゼルさま、それでは、イケニエはあの少年でどうでしょう?」

 

 再び帰ってくるのは『YES』の文字。その言葉を見て安堵し、その声の主、火野神作はナイフに舌を這わせながら、自らの目標を見た。部屋にはたった一人。泥のように眠る男しかいない。どうやら今回のイケニエは楽に用意できそうだ。

 

 

 

 

 

 

「エンゼルさま。私は今日も、エンゼルさまを信じます」

 

 

 

 

 


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