神を喰らいし者と影   作:無為の極

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外伝29話 (第76話)蜜月

 嵐の様な夜が過ぎ、ここに来て漸く静寂が訪れていた。屋敷の中には人が常時いるので遠くで何かをしている様な音や声が聞こえるも、距離があるのか余程集中しないと聞き取る事は出来なかった。

 色んな事が合った物の、ここに来て漸くリッカ達が来たのは心配した結果の様子見だったのだろうか?そんな考えをする様になっていた。

 当初、極東に配属した頃の自分が今目の前にいたら、間違いなくもっと素直になれと説教したくなる様な気持ちさえあった。

 落ち着いた中で漸く少しだけあった疑問を解消すべく、アリサは思い切ってエイジに確認する事にした。

 

 

「一つ確認したい事があるんですが」

 

「確認って、何を?」

 

 口に出したまでは良いが、意識を失った状態で誰が着替えさえたのかを果たして確認して良い物なんだろうか?そんな考えがアリサの頭をよぎる。仮にエイジがしたとすれば、あまりにも恥ずかしすぎた。

 起きた当初、確かに浴衣は着ていたがいつもの服から着替えるのであれば、当たり前だが一旦脱がない事には着替えられない。一体誰がそんな事をと悩んでいたが、その答えは想定外の所からやって来た。

 

 

「アミエーラさん。来ていた服ですが、ここに置いておきますね」

 

 部屋は開けっ放しの為に、人の気配がしたと振り向けば、そこには最初に来た際に出迎えて貰った女性が居た。

 

 

「浴衣姿も随分馴染んでいる様で良かったです。お召しになられてた服は洗濯して少し仕立て直してありますのでご安心下さい。それと運ばれた際に私が着替えさせましたが、何か気になる事があったら教えて下さいね」

 

「態々ありがとうございます」

 

 この時点で、今まで疑問でもあった問題がクリアされた事に僅かに安心していた。聞かなくても良かったとばかりに安堵するも、問いかけたのはアリサである以上、エイジへの質問の回答とは別問題でもあった。

 

 

「アリサ、どうかしたの?」

 

「いえ、ちょっとした事だったんですが、解決しましたので大丈夫です」

 

「なら良いけど。とりあえず休暇は今日までだから、明日以降の準備もしないとね」

 

 エイジと同じ場所に居た事があまりにも自然過ぎたのか、この状態が今日で終わるのかと思うと急に寂しさがアリサを襲う。そんな感情の変化を察したのか、アリサの手にエイジの手のぬくもりが伝わってきていた。

 そんな中で、どこからか澄んだ歌声が聞こえてくる。この歌はアリサ自身が意識を取り戻す際に聞こえたもの。一体誰がこれを歌っているのかエイジと手をつないだまま声の主の元へと歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お~アリサげんきになったな。もう良いのか?」

 

 澄んだ歌声の主はシオだった。アナグラに居た頃にもソーマと一緒に聞いた歌を歌っていた事があったが、今回聞こえた歌もやはりシオの歌だった。しかし疑問がここで生じる。先ほどまで聞こえた歌は、恐らくソーマの趣味とは程遠い物。確かリンドウとサクヤの結婚式の際にも讃美歌を歌っていた記憶があったが、この音源はどこから入手したのだろうか?そんな些細な疑問が脳裏をよぎった。

 

 

「シオちゃん。その歌は誰かに教えて貰ったんですか?」

 

「これ、教えてもらったんだ。中々いいだろ~。シオこの歌すきだぞ」

 

 何となく的外れな回答ではあったが、誰から教えて貰ったのかは残念ながら分からなかった。エイジに確認するも、この曲を知っている人間はこの屋敷にはおらず、恐らくはどこかで聞いたんだろうと予想していた。そんな中でふとした事がアリサの頭の中をよぎった。アナグラとは違い、屋敷に居る間アリサは違和感が少しだけあった。ここでの時間はあまりにも目新しい物が多く、結果的には時間の経過があまりにも早かった。

 エイジと一緒に居た事も理由の一つではあったが、自分の知らない物がここまで興味深く引かれるのも、隣にいるエイジのおかげなんだろうとは思っていた。

 ここに来てから目に付く物全てが初めて見る事が多い。拉致の直前まで居たはずの外部居住区からすれば、屋敷の内部は明らかに別世界の様に思えていた。

 

 

「なんだか、ここは贅沢ですよね。昨晩もリッカさんとヒバリさんがそう言ってました」

 

「そうかな?」

 

「エイジはここに居たからそう感じるのかもしれません。昨晩も部屋には冷えた炭酸水がありましたし、お土産で椿油まで貰いましたから」

 

 アリサがどうしてそんな事を言い出したのか、エイジには何となく理解出来ていた。自分自身も屋敷を出てアナグラに所属して初めて外部居住区に出向いた時に感じた事をアリサも今感じ取っていたのだった。

 

 

「確かに、外部居住区と比べればそうだろうね。でも、アリサも知っての通りここはそもそもフェンリルの支援は全く受けていない」

 

 エイジのその一言でアリサはこの違和感の正体を察知していた。フェンリルの支援が無いのは、裏を返せば独立したコミュニティであるのと同時に自己責任の下で運営されている事になる。

 外部居住区はその性質上、フェンリルの保護下に収まっている関係で、どうしても様々な制約を受ける事になる代償として、安定した生活を送る事が約束されている。ここにはほんの些細な差かもしれないが、冷静に考えれば、この隔たりはあまりにも大きすぎた。ここでは無明が当主となり、フェンリルの保護下から外れた人間で構成されている。現にエイジやナオヤでさえもその限りでは無い。

 偶々当主やここに居る人間がゴッドイーターだったり、極東支部に勤務している関係上ここの住民とは上手くやっているだけにしか過ぎなかった。

 外の世界にはまだ困っている人間は大勢居る。ここで安定した生活が送れるのは本当に運が良かっただけ。ただそれだけの事でしかなかった。

 そんな当たり前な事に気が付く事にアリサは時間がかかったのは、偏に充実した生活を短いながらに送っていた事が要因だった。

 

 

「ごめんなさい。エイジにとっては当然の事でしたよね?」

 

「うん。でも、アリサがそう思えるって事はここの運営は上手く出来てる証拠だから、気にしなくてもいいよ」

 

「私、無神経すぎたんです。少し考えれば分かる話だったのに……」

 

 垣間見た現実を直視し、アリサの顔が悲しみにゆがむ。エイジとしてはあまりにも当たり前すぎた事だったが、外部の人間からすればそうは思わなかったらしい。

 折角来ているならば、楽しい時間を過ごしてほしい。そんな願いがそこにはあった。

 

 

「だったら、アリサもこの景色をこれからの人生、一緒に見れば良いんじゃないかな?」

 

 あまりにも自然な言葉で言われ、ハッとエイジの顔を見たが、そこには照れた様な雰囲気は何もなく、優しい眼差しでこの風景を見ていた。この横に一緒に居る事を許された発言なんだろうか?そんな気持ちがアリサの心を揺らしていた。

 少し時間が経つと何かに気が付いたのか、今自分が発した言葉があまりにも意味深すぎたのか、先ほどとは打って変わって少し赤くなりながらアリサの顔を見たエイジがそこに居た。

 

 

「私で良いんですか?」

 

「アリサじゃなきゃ駄目だ」

 

 それ以上の言葉は敢えて何も言わない。今のアリサにはそれが何を指していたのか、本当であれば聞きたい気持ちはあった。しかし、エイジの態度と表情を見ればそれが答えだとばかりにこれ以上の追及はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤ、昨日エイジからこれ貰ったんだけど、どうやって使うの?」

 

 休憩中のナオヤがロビーに来ると、今日は非番のはずだったリッカがそこに居た。リッカの手にはアリサ襲撃の際にお土産として貰った透明な液体が入った小さな小瓶。それが何を意味するのかナオヤは直ぐに理解していた。

 

 

 リッカは椿油とだけ聞いたが、それが何なのかは今ひとつ理解していなかった。

 エイジから貰ったのは良いが、この使い方が分からない以上何も出来ない。それならば確実に知っているであろうナオヤに聞く事にしていた。

 本来であれば渡したエイジに直接聞けば良かったが、昨晩の女子会と言う名のアリサの尋問大会の後の関係も知っているので、これ以上行くのは流石のリッカと言えども躊躇していた。

 

 

「それ貰ったのか?」

 

「うん。で、これどうやって使うの?」

 

「色々とあるけど、この量なら多分美容関連だろうな。多分純正油だから色々と使えるはずだけど」

 

「本当に?」

 

 美容関連と聞いてリッカの目に何か光が宿っていた。いくら整備で油塗れになろうと、お年頃の女子としては美容関連は重要な部分を占めている。折角顔に塗るなら機械油よりもこの椿油の方が確実にマシな事は分かりきった話。

 化粧品も流通しているが、仕事柄汗まみれになる事も多く、今はまだ若さでカバーとばかりに、そこまでしなくてもとの考えもあった。細かい話をすれば経済的な理由もそこには存在しているが、それは割愛する。

 あの時確かにヒバリも不思議そうに見ていたが、結果的には使用方法が分からず、かと言ってそのまま放置するのは申し訳ないとばかりに確認する事にしていた。

 

 

「これ、髪に使えばトリートメントの変わりにできるし、顔や手につければ保湿の効果があるよ。ってか、よくエイジがこれ渡したな。確か、かなり貴重な物だって言ってた記憶があるけど」

 

 何気に渡された物が実は貴重品である事にリッカは驚いていた。何気に貰った事で、ここでは普通にある物だとばかり思っていたものが、実は全くの正反対の品。ひょっとしたら昨晩の口止めなんだろうか?そんな邪推とも取れる様な反応をそのままに、リッカはロビーに居る事を忘れ、しばし考えていた。

 

 

「ちょっとヒバリ!少し良い?」

 

「どうしたんですか?」

 

「実はこれって……で、こんな効果があって………きっと………」

 

 どうやらヒバリと何か小声で話をしている様だったが、ここから何を話しているのかを聞き取る事は出来ない。何を話しているかは分からないが、休憩は終わりだとばかりに自分の持ち場へとナオヤは戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはどうやって使うんですか?」

 

 奇しくもアナグラでリッカとヒバリが同じような話をしていた頃、屋敷でも同じ話題が出ていた。お風呂上りもあってか、普段よりも浴衣の襟が抜けて艶めかしく感じるもこれを自制し、使い方をアリサに教える事にした。

 いくら良い物だったとしても、肝心の使い方が分からなければ無意味となる。今後の使う事が出来る様に丁寧に教える事になった。

 

 

「まだ水分が残っていると時に薄く延ばして髪に付けると艶が出るし、肌に付ければ保湿効果があるから使い勝手は良いはずだよ。匂いが気になるなら他の物と混ぜればある程度は調整が利くはずだから、そこはお好みだね。試しに少しつけるから後ろ向いてくれる?」

 

 習うより慣れろの精神で、アリサの背後に立ち、僅かな椿油を手になじませる事により、今度は髪全体になじませていく。真剣にやっているエイジには申し訳ないが、今のアリサはとてもじゃないが、他に見せる事すら出来ないほど耳まで赤く染まり、時に若干の抵抗を感じるも髪の手入れをされている事の気持ちの良さに意識が飛びそうになっていた。

 流石に顔や腕に塗る事だけは自分でしたものの、まさか髪の手入れまでとはアリサは考えていなかった。そんな幸福な時間と共に、またもや些細な疑問が生じる。

 髪をいじられる事は気持ち良いが、あまりにも手馴れ過ぎていた。エイジに限ってなんて考えもあったが、今のアリサには冷静になれる材料はあまり無い。いくら気持ちが通じ合ったとは言え、こんな事で嫉妬するのは如何な物だろうか?聞きたいけれど、その答えを知る勇気は今のアリサには無かった。

 

「はい。これで終了だよ。アリサの髪は触ってても気持ち良いね」

 

「そうですか?自分では感じた事は無かったので」

 

「他の子は堅かったり、ごわついてたりしてるからね」

 

 この一言は今のアリサにとって天啓とも言える台詞だった。この流れならば自然に聞く事が出来る。感情的にならない様に落ち着いて聞くのがベストだとばかりに口を開いた

 

 

「へ~。エイジって意外と手が早いんですね。私以外にも誰の手入れをしてたんですか?」

 

「えっ?」

 

 この瞬間、アリサは脳内で激しく後悔していた。冷静に聞くはずが、何故か嫉妬心むき出しでいかにも怒っていますと言わんばかりに聞いてしまった。今は後ろのエイジがどんな表情をしているのか怖くて確認が出来ない。

 湯上りだった体に嫌な汗が流れているのでは?と思わんばかりに焦りが生じていた。

 

 

「ここの子供達だよ」

 

 エイジの一言にモヤモヤした感情は晴れたが、残念ながらたった今、口から出た言葉は戻ってこない。

 

 

「子供達以外で、こんな事するのはアリサだけだよ」

 

 後ろから抱きしめられ、耳元でそう囁かれるとそれ以上の抵抗は何も出来ず、不意に項に感じたのは柔らかい感触。キスされたのが分かった。赤い顔が更に赤くなり、このままでは意識が無くなるのではと思う程、今のアリサには精神的なゆとりは無かった。

 自分の嫉妬心は確実に伝わったにも関わらず、そんな事を言われてしまえばそれ以上の事は何も出来なかった。

 

 

「ちなみに、これは他の2人とは中身が少し違うんだよ。今は研究中だから同じ様な物が中々出来ないんだよ」

 

「な、中身って何が違うんですか?」

 

 嫉妬した事に動揺を隠す事は出来ないが、エイジも気を使ったのか、極普通に話かけていた。

 

 

「簡単に言えば匂いかな。アリサのは柑橘系の物を使っているから割と簡単に匂いが出せるけど、それ以外の物は中々上手くいかないんだよ。本当ならもっと時間をかければマシな物が出来るんだけど、今は時間が無いからね。独自だと兄様の様には行かないよ」

 

 エイジの言うとおり、確かに僅かながらに柑橘系の爽やかな匂いが広がっている。

 データベースでその存在は知っていたが、この時代にまさか香水の様な物がある事に驚いているが、今はそれ以上の出来事に遭遇した為に、理性が追い付いていない。気が付けばエイジの位置が変わり、今度は項ではなく唇に優しくキスしたかと思うと、そこに別の椿油を小指で優しく塗っていた。

 

 

「これは匂いが無いタイプだからこうやって使うと良いよ。蜂蜜が配合してあるからこれ専用に使うと良いよ。明日もあるからそろそろ寝るよ。おやすみアリサ」

 

 

 呆けた様な表情のまま、手元にはさらに小さい小瓶が置かれた事に気が付く事もなく、アリサの意識が回復したのはしばらくしてからだった。

 

 

 

 


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