「博士にお聞きしたい事があります」
「なんだいツバキ君?」
「少し前に聞いたアーク計画の件ですが、あれは支部長が大きく関与し、本部でも上層部が関与している事は聞きましたが、前提条件は終末捕喰が起きる事ですが、そこまでの準備が出来ていると認識すべき事ですか?」
「それに関してだが、これから話す事は僕の推測しうる事だと思ってくれるとありがたいね。ヨハンが何を考えているかは分からないが、終末捕喰を起こす予定となっているアラガミを人工的に製造していると判断している。
しかしながらポイントになるのが特異点と言う名のアラガミのコアが今回の必要とされる物なんだよ。すなわち今の状態では終末捕喰を行うアラガミを起動する事が出来ず、今はただの入れ物にしか過ぎない。
勿論、こちらとしてもただ手をこまねいてる訳ではないが、今のままではヨハンの方が先に完成するだろうね。だからこそ、こちらは隠匿して時間を稼ぐしか手段が無い。破壊するにも既に周辺の装甲壁は完成し、現在は厳重なシステムで守られているからね」
「ですが、このままではいずれとなる以上、早めに上層部に掛け合う訳には行かないんですか?」
ツバキが危惧するのは無理も無かった。余りにも強大すぎる計画が実行された瞬間に人類の歴史は事実上途絶えるに等しい計画は悪魔の所行とも考える事が出来る。
まともな組織であれば狂気とも言えるそれを阻止しようと考えるのは必然だった。
「ツバキさん、上層部の8割はこの計画に賛同している。こちらで調査したが上への話は持って行っても握りつぶされるだけだ」
「しかし」
「ツバキ君の気持ちは分かるが今現在ではての打ちようが無いのが本当の所だね。となれば今やっている研究を早めるしか手立てが無いんだよ」
全員が退出してラボには重苦しい空気が漂っていた。当初は上層部の一部と結託し暴走しているだけと読んでいたが、無明の報告でその目論見は簡単に瓦解した。
8割の上層部ともなれば事実上の全員と変わらない。現場で出来る事は榊の研究を早める他無かった。
「博士、その研究と言うのは現在はどこまで進んでますか?」
「今の所は7割程度だね。技術的な物ならば時間はそこまでかからないが、今回の物はおいそれと進める訳には行かない。仮に出来たとしてもある程度の検証する時間が必要なんだよ」
フェンリル。いや、人類史最高の科学者と言われる榊でさえも、思うような検証をするのは極めて困難な状況とも言えた。
アラガミの研究には対象となるアラガミのコアを解析すれば、時間はそこまで必要とはしない。しかしながら、今回用意されたコアは過去の例を見ても、入手するのは事実上、不可能ともいえる代物。
しかも、一度でも失敗すればその後に別の物を回収するのはと言った代替え案が全く無い事が時間をかける事に拍車をかけていた。
「科学者の立場から考えると、目に見えない事象に対する検証は難しいとも言える。しかも、ヨハンが欲しているのは特異点と言う名のコアでもあり、それ以外のコアに関しては不要とも言える。そうなると万全を期するのであれば、ある程度仕方ない事だよ」
「今の状態はまるで、旧約聖書の内容と変わり映えしていない点ですね」
「見方によってはそうとも言えるね。さしずめ脱出用の船はノアの箱舟なんだろうね。問題があるとすれば終末捕喰を起こすアラガミの制御方法だね。今のままではその辺に居るアラガミと大差ないから、ある程度知性は必要だろうね。ところでツバキ君、人間の心は一体どこにあると思う?」
この唐突な質問に対し、ツバキは返答をする事は出来なかった。諸説あるものの単純な考えであれば脳と考えるが、心となると答えは一気に難しくなる。これに対しては事実上答えは現在の所無いに等しい。
「質問がちょっと難しすぎたね。じゃあ、アラガミならどうだろう?」
「今の所はコアと言うのが正解でしょう」
「その通りだね。アラガミのコアが現在の所は全てを司どっていると判断するのが正解だろうね。となれば、知性を持つ様にするには知性を有したコアを使うのが一番手っ取り早いんだよ。仮にクローン技術が発達しても、今の人間には生物を一から作る技術は持ち合わせていない。それこそ神の領域になるけど人間が手にするには、まだ未熟な生き物とも言えるからね」
「だからこそ、支部長は特異点のコアを欲していると考えて良い訳ですか」
「こればかりは本人に聞く訳には行かないからね。これこそ神のみぞ知るだよ」
「博士、それ以上は」
榊の話はまだ続きそうな雰囲気はあったが、外に人が居る気配を感じ、無明が制した。ラボに一瞬緊張感が走るも、杞憂に終わった。
「ツバキ教官、確認してほしい事がありますがお時間宜しいでしょうか?」
声の主はヒバリだった。防音はされているが、万が一の事もあり常時気配だけは察知出来る様に気を配っていた。
何気に話しているが、この内容は機密以外の何物でも無く、だからと言って、一般的に公表して良い物でも無い。ヒバリが来た事で、この話は即座に終了となった。
「いや~良い湯だった。風呂上がりのコーヒー牛乳は最高だよ」
「久しぶりに入ると気分転換にもなって良いね」
「リンドウ、お前は何を飲んでるんだ」
「風呂上りに、冷酒の一つ位良いだろう。かてえ事言うなよソーマ」
温泉から出ると、少しくつろぐ様な素振りで落ち着き始めた。いくら休暇中とは言え、ここまでゆっくり出来る事は任務に着いてから一度も無いと言った方が正解だった。
「ところで、アリサとサクヤさんはどうしたの?」
「二人は室内の風呂じゃないかな?流石に混浴って訳には行かないだろうし」
「そのうち来るだろ。そんなに気にする必要は無いだろ」
そんな事を言っていると、遠くから2人の声が聞こえて来た。どうやら予想通り室内の風呂に行っていたのだろう。
気が付けば、ここに来た時と姿が違っていた。最初は誰が来たのかと思ったが、サクヤの横には浴衣を着たアリサが一緒に歩いていた。
いつもの服装からはほど遠い姿にエイジやコウタも直ぐには声に出す事が出来なかった。
「あ、あのどうですか?」
もじもじしているからなのか、アリサの弱々しい声にようやく意識を取り戻したかのような状態となり、ようやく落ち着いてアリサを見る事が出来た。
アリサが浴衣を持っているとは思えなかったが、柄を見れば元々屋敷に置いてあった物。まさに着る人間が変わればここまで違うのだと理解できる様な見本だった。
「よく似合ってる。すごく綺麗だ」
エイジのどこから声が出ているのか分からない様な感想にアリサは頬を若干赤く染めながらも、まんざらでもない様な顔をエイジに向けた。
今まで部隊の人間として接してきたエイジもこの姿を見てようやくアリサが一人の女性である事を認識していた。
二人の空気が少しづつ変わり始めた頃にコウタの一言がその空気を見事にを壊した。
「ア、アリサがアリサじゃなくなっている。まるで別人だなんて浴衣恐るべし」
今までエイジに言われて気分が良くなった矢先のコウタの一言はアリサの気分を急転直下に陥れた。
「ドン引きです。普通、そんな事は口に出して言う物では無いと思いますけど?」
「い、いやそんなつもりじゃ……」
コウタ自身も先ほど発した言葉は明らかに失言だと理解するも、既に目の前のアリサは怒り心頭。まるで汚物でも見るかの様な目つきをしている。
この状況を打破するにはひたすら謝るしかないとコウタも必死に謝る。
「いつも以上に別人みたいで驚いたんだって。極東でも中々浴衣なんて最近は目にしないから物珍しさだよ。他意は無いよなエイジ?」
「なんでこっちに振るんだよ。でもコウタもアリサがいつもより綺麗な事は認めるんだよね?」
「も、もちろんだよ。いや~アリサは何着ても絵になるな~」
「何となく褒められた感じはしないんですけど。コウタですし、まあいいです」
「ちょっと酷くないかそれ!折角褒めたはずなのに」
「3人共もうそれ位にしたらどうなの。アリサも少しは落ち着きなさい」
サクヤの仲介でようやく周りは落ち着きを取り戻した。
ソーマはやれやれと言った表情で、リンドウは面白い物を見るかの様に相変わらず冷酒を飲んでいた。
「リンドウさん、今後の件ですが検査が終わった後はどうするつもりなんですか?」
「それについては無明と打合せだな。現状分かっているのは神機は既に使い物にはならない。となると新しい戦力を試す事になるから、暫くは戦闘訓練だろうな」
「神機はどうしたんですか?」
「詳しい事は分からんが、今まで使っていた神機は役目が終わったんだと。とりあえずはそう聞いている。お前らだって今は神機の整備中なんだろ?」
リンドウに言われ、そこでようやくそれぞれが今の現状を思い出した。
ディアウス・ピターとの戦いがギリギリだった為に、第1部隊の神機は完全整備中。これでは丸々非戦闘員の状態の為に何も出来ない事が事実としてあった。
しかし、ここで疑問が一つ。整備担当の2人がここに居るにも関わらず、神機の整備は今どうなっているのだろうか?そんな事も踏まえエイジ達は確認の為にナオヤ達の所に向かった。
「ナオヤ、ちょっと今良いか?」
「何だ?どうした?」
「神機の整備の事で聞きたい事があったんだけど。今、神機の状況はどうなっているの?」
「お前の神機以外は整備済みだ。って言うか、どんな使い方したらああなるんだよ。あれは実質全損だから、時間がかかるけど」
「エイジの神機なら、あとはパーツの取り付けだけだよ」
2人の会話に割り込んだのはリッカだった。今はまだデザインを起こして、各種材料を縫い合わせる為に素材をなめしている最中だった。
「そうなんだ。でも早くない?」
「それはね……」
「それは私が以前ロシアで使っていたパーツを提供したんです。以前修理には出してたんですけど、今使っているパーツをそのまま固定してたのでエイジの神機にってリッカさんに頼んだんです。ひょっとして迷惑でした?」
今度は背後からアリサの声が聞こえて来た。どうやら神機のパーツの件だと察したのか、それとも全部取り付けてから言おうかと思った所で聞こえて来た内容についての説明をしようかと言った所でのタイミングでもあった。
「あれ~アリサ綺麗な浴衣着てるね。スッゴイ似合ってるよ」
「ありがとうございます」
「ところでエイジから感想は聞けた?」
真面目な話だったはずが、気が付けば浴衣姿の話に変わり、これからどうアリサを弄ろうかとニヤニヤしたリッカがそこには居た。
「ちゃんと褒めてもらいました。ねっエイジ?」
「あ、ああ。綺麗だって言ったよ」
「ふ~ん。でもなんで浴衣なの?」
「さっき温泉に入ったからそのまま着替えとして出てたので着ましたけど」
「アリサって着た事無いよね?どうやって?」
「サクヤさんにお願いしましたので」
「へ~なるほどね。皆私たちが作業してる時に随分とくつろいでたんだね」
これ以上話すと方向性が変わりそうと感じ、ナオヤから助け舟が横から出て来た。
「作業が終わったらリッカも入ったら?着替えはまだあるから問題ないぞ」
「あ、そ、そうなの?分かった。じゃあ楽しみにしておくよ」
「盛り上がってる所悪いけど、結局神機はどうなってるの?」
そこで漸く脱線した話が元に戻り、今後の状況について確認が出来た。
現状では壊れたパーツは廃棄処分としアリサの以前利用していたパーツを改めて取り付ける事になった。
しかし肝心の刀身に関しては何も聞いていない。銃撃は良くても肝心の刀身が無ければ戦力としては半減する。そんな疑問に関しては想定外の回答が来た。
「兄貴が作成した試作品を取り付ける事になってるから気にするな。でも、ここだけの話、試作と言っても事実上の正規品だぞ」
「どう言う意味?」
「オフレコだけど、ある程度の数字が出れば、これはそのまま本部での正式採用の予定らしい」
「なるほどね。正規配備前のテストって事か」
どうやら、エイジの神機は戦力兼テスターとしての位置づけが確定となった。