神を喰らいし者と影   作:無為の極

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第251話 決意

 落とし穴に落ちてから既にどれ程の時間が経過したのか、今のシエルには判断する術が何処にも無かった。周囲を見渡すも、目印になる様な物はどこにも無く、地平線を思わせる程に周囲には物が無さ過ぎていた。持っていた救難信号を発生させる装置は既に起動している。今出来る事はこの地が何処なのかを確かめる事だけだった。

 目標となる対象物が無いだけでなく、目印が無い為に歩く方向すら分からない。このまま歩き続ければ更なる遭難の可能性が高いと判断したからなのか、シエルは進める歩を止めていた。

 

 

「シエル…」

 

 突如として耳に届いた声に覚えがあった。しかし、この場にあるはずが無い声はシエルの警戒度を一気に高めていく。既に襲撃に備えるかの様に、神機は剣から銃へと変更している。先ほどの声がどの方向から聞こえてきたのかを探るべく耳に意識を集注させていた。

 

 

「シエル。何故ここにいるんだ?お前達は俺に全てを任せたのではなかったのか?」

 

 改めて聞こえる声はなつかしくもあり、今回の目的でもある持ち主のそれ。ジュリウスの声に間違いは無いが、本当にそれがジュリウスの物である確証はどこにも無かった。

 幾ら聞きなれた声であったとしても、そう簡単に信用する事は出来ない。まさかの可能性を考えシエルは銃口をいつでも発砲出来る様に水平にする。既に周囲を『直覚』で確認するが、アラガミの気配は感じられないままとなっていた。

 

 

「お前達がここに居ても、何もやるべき事はない。今直ぐここから立ち去れ」

 

「何を馬鹿な事を……私達は貴方を連れ戻しに来たんです。既に螺旋の樹は以前のそれとは大きく変わりました。申し訳ありませんが、その言葉を受ける事は出来ません」

 

「愚問だな……俺がここから離れれば終末捕喰は再び再開される事になる。それは既に理解しているはずだが?」

 

 明らかにジュリウスの声である事に間違いは無い。しかし、自分が感じる気配がここには存在していないだけでなく、その声もどこか異質な様にも聞こえる。

 先程よりも声の発生源が近いからなのか、シエルは改めて神機を剣形態へと戻していた。

 

 

「残念ですが、このまま私が引き返したとしても事態が好転する事はありえません。それは私ではなく、貴方が一番存じているはずでは?それと、それ以上何か言いたいのであれば態々声を擬態する様な小賢しい真似をするのではなく、姿を見せて話すのが道理かと。今の状況でそれを鵜呑みにするのは愚の骨頂と言う物です。違いますか?………ラケル博士」

 

 シエルが背後に視線を向けるかの様に振り向くと、そこにはこれまでの様に車椅子に乗ったラケルではなく、健常者と変わらない姿で佇んでいた。怪しく浮かぶ笑みが既にシエルの記憶にあるラケルではない。

 薄い笑みと共に見える目は、どこか狂気を孕んでいる様にも見えていた。

 

 

「流石ですね……ですが、さとい貴女なら既に理解しているはずですよ………既にこの螺旋の樹にジュリウスは事実上一つのシステムとして取り込まれているのですから、今さらどうこう出来るはずが無い事は判断出来るのではありませんか?」

 

 ラケルの言葉が事実を表してた。確かに螺旋の樹は以前とは明らかに異なり出しているのは間違いない。それは元々一つだったはずの終末捕喰を無理矢理2つにした事により相殺した結果でしかなく、今はその相殺しているはずのバランスでさえも崩れかけている。

 幾ら何を言った所で現時点で分かっているのは、終末捕喰をどうやって終わらせるのかがまだ未定である現実だけだった。

 

 

「聞きませんでしたか?終末捕喰から特異点が失われれば、再び力の均衡は失われるだけでなく、今のままでは『再生無き永遠の破壊』だけがもたらされる事になる。そうなれば生命の再分配は行われず、この星はそのまま消滅する事になるのですよ」

 

 そう言いながらラケルはシエルの元へと近づいてくる。一歩一歩近づくその距離を離す事も出来ず、またラケルが言う言葉に対する抗弁すら何も浮かぶ事はない。今のシエルには何の手だても無いままだった。

 

 

「そうなれば貴女方は人類に対してどんな償いを……事実を公表するつもりですか?貴女がやっている事は自己満足にしか過ぎませんよ。それよりも更なる再生を行う終末捕喰をそのまま実行した方が未来に繋がるとは思いませんか?」

 

「………」

 

「沈黙は肯定と同じですよ。それならば私の言葉が正しい事になるのですよ」

 

 そう言いながらもラケルの歩は止まることなくシエルへと近づいて行く。ゆっくりと縮まる距離はシエルとの物理的な接近だけでなく、精神的な物にも近寄っている様にも感じていた。

 

 

「どんな言葉で飾ろうとしても事実に変更はありません。ジュリウスを取り外すのであれば、破壊だけが永遠に続き、そこに生命が宿る余地はどこにもありません。それでも尚、抗い続けるのは建設的な話ではありません。そうだ……どうですかシエル。改めて私の下に戻って来てはどうですか?貴女がここに戻るのであればブラッドの全員も赦しましょう。

 ジュリウスの下に全員が集まり、終末捕喰をそのまま完遂する。それならば誰の良心も呵責する事無く穏やかに過ごせるはずですよ。貴女も苛まれながら送る人生よりも、大事な人と楽しく過ごしたいでしょ?」

 

 気が付けばラケルはシエルの耳元で囁く様に言葉を告げている。何も知らないのであればその言葉は甘美な物に聞こえたのかもしれない。既に外部の状況はあまりにも危険な水準を超えている。

 このまま何もしなければどうなるのかは、ラケルが言うまでも無くシエル自信も理解していた。

 

 

「それであればお断りします」

 

「あら?私の聞き間違いだったかしら?」

 

「いえ。紛れも無く事実です。たとえ……たとえ合理的でないとしても…私はそう決めた以上、誰からの干渉も受けるつもりはありません。例えそれが茨の道であったとしても、仮にその道が険しかったとしても……終末捕喰を迎えるその一分、その一秒の直前まで私はもがき続けます」

 

 シエルのラケルに向かう視線に力がこもる。既に自分の明確な意志を持ったその視線は何があっても揺るぎない物へと変化していた。

 

 

「そうですか……実に残念です。ならば貴女にこれ以上何かを言うつもりは特にありません」

 

 既に説得を諦めたのか、ラケルの周囲に黒い蝶が群れを成して飛び交っている。ラケルを囲む数は徐々に増えだしていた。

 

 

「さよならシエル……貴女と共に歩む事が出来なかったのは実に残念です」

 

 黒い蝶がラケルの姿を覆い隠す様に集まり出している。既に交渉が決裂した事実は間違いなかった。辺り一面がスタングレネードを使ったかの様に白い闇で覆い出す。気が付けば、そこは螺旋の樹の内部へと戻っていた。

 

 

「大事な人が傍に居てくれれば、私はそれ以上何も必要とはしませんから……」

 

 誰も居ない場所でシエルは一人呟いていた。周囲には瘴気が立ち上るかの様に禍々しい風景が広がっている。あのラケルの言葉の答えとばかりにシエルの言葉はその場から消え去っていた。

 

 

《シエル、そこに居るのか?無事なら返事をしてくれ》

 

 腰に吊るした通信機から聞こえたのは北斗の声だった。所々ノイズは入るが、内容はハッキリと聞こえている。救難信号をキャッチして走っているからなのか、声は弾んでいる様にも聞こえていた。

 

 

「はい。私は問題ありません。救難信号の発生地点から移動はしていません。ですが……」

 

 周囲を警戒しながらも鳴り響く通信機にそのまま返事だけをする。ノイズと声の届くギャップが徐々に縮みだす。どの位置に居るのかは分からないが、それでもここに到着する時間だけは大よそ見当が付いていた。

 通信機越しの会話をしながらもシエルの目は依然として周囲を確認するかの様に厳しい視線をまき散らす。それが何かの合図になったのか、先ほどまで居なかったはずの黒い蝶の大群はシエルから約3メートル程離れた場所で固まり出していた。

 

 

《何かあったのか?》

 

「いえ。何でもありません。場所は動いていませんので、合流までに時間は然程かからないでしょう」

 

 黒い塊が徐々に姿を固定化させる。ねっとりと纏わりつく様な空気と、純然たる殺気の塊は既にこの場が誰のテリトリーなのかと示す様な空気へと変化する。通信が切れると同時に現れた一匹のアラガミは、大きく咆哮していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、今、アラガミの咆哮が聞こえなかったか?」

 

「可能性としてはシエルが居ると思われる場所の様にも感じた。恐らくは神融種に違いない。全力で向かうぞ」

 

「了解!」

 

 5人はシエルとの通信が切れた途端にアラガミの咆哮を耳にしていた。これまでの捜索の際には、合流される事を嫌うかの様に神融種がそれぞれ顕現していた。ここに来るまでにアラガミとの戦いらしいものは殆ど無く、一気に目的地に向かって駆け抜けている。そんな中でのアラガミの咆哮はまさにその状況を容易に判断させる物となっていた。

 周囲を過ぎ去る風景が一気に姿を歪ませてく。既にアラガミが対峙しているとなれば、今出来る事は一秒でも早くシエルと合流する事だけだった。

 

 

《シエルさんが交戦を開始しました。アラガミの種はデータベースに無い為に不明。しかし、これまでの状況から判断するとキュウビ種の可能性が極めて高いと推測されます。そこからであれば恐らく合流まであと1分程です》

 

 通信機から聞こえるフランの言葉に全員が一つの目的地へと更に加速する。目的地に向かうまでにいくつかの障害物を一気に飛び越え、最小限の行動で次々に回避する。

 既に一つの塊となって走る先頭の北斗の隣にはロミオが並んで走り出していた。

 

 

「ロミオ先輩、あんなに足早かった?」

 

「さあな。でも北斗と同じ速度で走ってるなら早いんじゃないのか?」

 

「お前達、早くしないと差が広がるぞ」

 

 北斗と並んで走るロミオの姿にナナはこれまでの状況を思い出していた。確かにあの後で話をしたが、ナナの記憶にあったロミオとは大きく異なっていた。

 口調はこれまでと変わらないが、一つ一つの行動が以前よりも鋭さを増しているのか、動きに無駄がなかった。良く見れば北斗と同じ様に並んでいるが、僅かにロミオの方が早い。あまりにも違い過ぎるその変化にナナはただ驚いていた。

 ギルとの会話もリヴィによって窘められる。既に目的地まではあと僅かなのか、アラガミの姿が荒れ狂うオラクルの嵐の中で視認出来る程の場所まで近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも手強いですね」

 

 シエルは現れたアラガミに対し攻めあぐねていた。開戦の合図と言うべき初弾こそアラガミに着弾したが、その後は狙いを付ける事さえ厳しい状況に追い込まれていた。

 最大の要因は、シエルの目の前に居るキュウビの姿をした神融種は以前に対峙した事があったキュウビに比べ、動きが洗練されていた点だった。初弾こそ狙いを定める事が可能だった為に、気になる様な事は無かったが、その後は一か所に留まる様な事をせず、ひたすら狙いを定める暇すら与えられない状況が続いていた。

 時折回避したかと思った瞬間に突進し、銃撃のタイミングを悉く外しにかかる。同じ行動ではあるが、まるでシエルの考えを読んでいるのかと思わせる行動は、精神を苛立させていく。嘲笑うかの様な動きにシエルは終始翻弄されていた。

 

 

「一旦は距離を取らないと……」

 

 何度かの攻撃で行動パターンは読み切ったのか、事前行動からアラガミの次の行動を予測する。これまでの結果から考えれば、これは回避。その隙を狙って中距離から遠距離へと間合いを外そうとした瞬間だった。

 回避行動のつもりだったキュウビは大きく身をひるがえし、このまま後方へとジャンプすると思われた瞬間だった。

 

 

「まさか!」

 

 シエルの予想を覆したのか、本来であればバックジャンプのはずが地面に着地した瞬間、巨体を活かし、シエルに対し突進を開始していた。既に自分の回避行動に移っている為に、そこから更に行動を起こすのは事実上不可能。予想外の突進はシエルに盾を展開させる時間すら与える事は適わなかった。

 アラガミの巨体は一気にシエルの眼前に迫るのか、その姿が一気に大きくなり出す。そこから出来る事は受け身を取るか、最悪は直撃を避ける事だけだった。

 距離が縮まる一瞬の時間がやけに長く感じる。既に今のシエルに出来る事は限られると判断した瞬間、アラガミの上空から空気を斬り裂く様な轟音が鳴り響く。

 僅かに視線を動かすと、それはオレンジ色をした神機の様にも見えていた。

 

 

「リヴィさん……ありがとうございます」

 

 上空からの斬撃は、アラガミに直撃する事なくシエルの眼前で地面を破壊するかと思える程の威力で叩きつけられていた。轟音と共に振り下ろされた神機は、つい最近適合させたヴェリアミーチェ。となれば、その持ち主でもあるのは一人だけだった。

 

 

「シエル。俺、リヴィじゃないぜ」

 

「え……まさか……」

 

 渾身の一撃によってアラガミは先ほどまでの攻撃をギリギリで回避すると同時に、再び距離を取り出していた。先ほどの一撃がヴェリアミーチェからもたらされた一撃であるのは間違い無いが、今の声は明らかにリヴィの物では無い。想定外の声の持ち主によってシエルは珍しく戦場に居るにも関わらず意識がアラガミから発せられた声の主へと移っていた。

 

 

「ほら!私の言ってた通りだよ。シエルちゃんだって驚くんだから」

 

「まさかシエルまでもが驚くとはな。俺の負けだな」

 

 驚きのあまり固まったシエルの隣で聞こえたナナとギルの言葉に、シエルは改めて神機の所有者を確認していた。リヴィで無ければ、そこに居るのはニット帽をかぶった青年のはず。しかし、今のシエルの目に映るのはニット帽ではなく、髪をくくり羽織の様な物を着た一人の青年だった。

 

 

「シエルがそうなるなんて珍しいな」

 

「ブラッドの俺に対する見方が良く分かったよ……」

 

 北斗と話をしているのは、見た目こそ違うが紛れも無くロミオ。突然現した事にシエルは理解が追い付かないままだった。

 

 

 


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