神を喰らいし者と影   作:無為の極

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第249話 過去からの脱却

 

「あれ?ここって……」

 

「あら、起きたの?ナナ」

 

 ナナは自分の意識が回復したと同時に、周囲を見渡していた。螺旋の樹の探索で上層まで上り、その際に落とし穴に落ちたまでの記憶はあったが、その後の記憶は無くなっていた。目を左右に動かすも、ベースキャンプ以外での休憩出来るスペースを作り上げたなんて話は聞いていない。四方が壁に囲まれた場所はどこか懐かしい記憶だけが表に出てきていた。

 壁には小さな子供が書いたと思われる絵がいくつも貼られている。それが何なのかを考えた瞬間だった。絶対にありえない声で自分の名前を呼んでいた。

 

 

「そろそろご飯が出来理るから、手を洗ってらっしゃい」

 

 本来であればあり得ないはずの光景。自分がまだ幼少の頃に故人となったはずの母親の声を忘れる事はなかった。それと同時に改めて周囲を見渡すと、そこに貼られた紙は全て自分が書いたはずの物に酷似していた。

 

 

「え?お母……さん?これって……夢な…の?」

 

 落とし穴に落ちた衝撃で夢でも見ているのか、それともこれが現実なのか今のナナに明確な判断が出来ない。自分の頬を抓ると痛みは感じる。これが夢では無いのだと本能が告げていた。

 

 

「全く。何を馬鹿な事言ってるの?貴女はただでさえ沢山食べるんだから作るのも大変なのよ。これ、テーブルの上に置いてちょうだい」

 

 キッチンに見えるのは女性であるのは理解出来るが、肝心の顔は見えない。声とその仕草からは間違いと言えるも、それが事実なのか未だ判断に困る。しかし、言われた内容だけでなく、その雰囲気に悪意は何も感じられない。そんなナナの心情を無視するかの様に、女性の隣に置いてあった皿には大量のおでんパンが乗せられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう。よく頑張ってきたんだね」

 

「うん。皆と楽しくやってるんだよ。それにアナグラの料理はどれも美味しいんだ」

 

 ナナの両手にはおでんパンが握られていた。これまでに何度も食べてきたが、それは全部自分の手で作られた物。しかし、今のナナの手にあるのは母親が作ったおでんパンだった。

 一口齧る度に当時の様子をまるで思い出したかの様に記憶が蘇る様な味わいに、ナナの思考は当初の様子を伺う様な部分が消え去っていた。振り向いた際に見たはずの顔と、抱きしめられた際に香る母親の匂いは紛れも無く本物。味覚、触覚、嗅覚のいずれもナナに間違い無いと訴えかける。

 当たり前だったはずの日常がナナの思考をゆっくりと濁らせていた。

 

 

「そうだ。料理だけじゃないんだ!私ね、お母さんにもっと伝えたい事があったの」

 

「伝えたい事?一体何かしら?」

 

「私ね、……あのね……一緒に笑ったり、泣いたり出来る仲間が出来たんだ!」

 

 これまであった出来事をナナは嬉々として母親に話しだしていた。フライアに配属されてから今に至るまでに起こった出来事、そして自分の力を認めてくれると同時に、それを受け入れてくれたブラッドの仲間の事を次々と話していく。

 子供の頃に言われたはずの『簡単に泣いたりしちゃダメだ』って言葉を覆す事が出来た喜びの感情が次々と口から出て行く。そんな自分の感情が爆発したかの様な言葉を告げているからなのか、ナナの話を聞いていた母親の表情が徐々に変化していく事にナナは気が付かないままだった。

 

 

「ナナ。ダメでしょ?」

 

「え?どうして?」

 

 今まで嬉々として話した内容を否定する様な端的な言葉にナナの話は中断していた。今まで話した内容に何も問題は無かったはず。にも関わらずダメだと言われた言葉の意味が分からなかった。

 

 

「貴方は笑ったり、泣いたりしちゃダメな子なのよ。貴方が感情を露わにすると皆が困るのよ。現に今だって口では言わなくても皆は心の中ではそう思っているのよ」

 

 先ほどとは打って変わって母親の目にはどこか険を含んだ様にも見えていた。既に先程までの穏やかな空気は一気に変化を見せ、室内はどこか冷え冷えとした物へと変わっていた。

 

 

「貴方の事を誰よりも考えているのはお母さんである私だけよ。他の人は分からないけどお母さんは負担に思った事なんて一度も無いわ。今まで随分と寂しい思いをさせてゴメンね。これからはずっと一緒に暮らそうね」

 

 そう言いながらナナをやさしく抱きしめる。ナナは距離が近い為に確認する事は出来ないが、今の状況を第三者が見れば明らかに親子の情愛には見えなかった。

 母親の背後に黒い蝶がゆっくりと羽ばたき周囲を飛び回る。その姿は獲物を捕らえ、逃がさんとする蛇の様にも見えていた。母親の匂いや温もりはナナの思考をゆっくりと塗り替えて行く。

 このままゆっくりと変化するナナを伺うかの様に母親の表情は歪みだしていた。

 

 

「でも!それでも……私の事を受け入れてくれるって皆が言ってくれたんだよ!私も友達が出来たんだよ!皆の事を紹介したいんだ!それからでも良いよね?」

 

「どうしたの急に?」

 

「だって……皆に迷惑をかけたくないって一人飛び出した時……皆が私を探しに来てくれたんだ。アラガミがうじゃうじゃ居たんだよ。それでも来てくれたの!」

 

 抱き付いた母親から逃れるかの様にナナは立ち上がっていた。既にナナの表情は先ほどと違い、自分の確固たる意志を持っている様にも見える。

 母親から独り立ちしたのか、それとも今の情景が偽物なのかナナの様子から伺う事は出来ない。先ほどまでの空気は既に一変していた。

 

 

「私、皆のお蔭で今があるの。だから…だから…私にも出来る事があるならそれをやりたい。お母さんと一緒に暮らすのは楽しみだけど、今はもう少しだけ皆の為に何かしたい。恩返しがしたいの!」

 

「ナナ……」

 

「だから、それが終わったら一緒に暮らそう。お母さん」

 

 自分の言いたい事を言い終えたからなのか、ナナはいつの間にか隣にあったコラップサーを手にドアノブへと手をかけていた。何時もならそのまま回せば開くはずのドアはびくともしない。まるでここから逃がさないとばかりに開かないドアにナナは思わずコラップサーを振りかざしていた。

 渾身の力で扉を破壊する。砕け散った扉の向こうの景色を確認する事なくナナはそのまま扉の向こう側へと歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?場所が違う様な……」

 

 突如として破壊された破片は周囲に飛び散る。気が付けばそこは先ほどの部屋ではなく、螺旋の樹の内部へと変化していた。疑問に思いながらもナナは周囲を確認する。そこには北斗だけでなく、リヴィとギルが立っていた。

 

 

「ナナ。私達は助けに来たんだ」

 

「えっと……確か、落とし穴に落ちたんだよ…ね?」

 

 部屋に居たはずの記憶は曖昧になっていたのか、ナナは直前の出来事を思い出していた。どこか記憶があやふやなのかボンヤリとしている。先ほどの光景は夢だったのだろうか?そんな曖昧なままに今の状況を確認しようとしていた。

 

 

「そうだ。で、ナナの反応があったからここに来たんだ」

 

「そっか……やっと合流でき…」

 

「ってあのな!いきなり何すんだよ!ビックリしただろ!」

 

 3人の顔を見て安堵したはずのナナの会話が突如として遮られていた。ここに居るはずの無い人物の声。幻聴にしてはあまりにも近すぎる声にナナは改めてここが現実なのかと考えなおそうとしていた。

 

 

「って俺の事無視かよ!ナナ。寝ぼけてんのか?」

 

「……ロミオ…先輩?…えっと、夢?」

 

 先ほどの一撃を完全によけきれなかったのか、ロミオはその場から少し遠くへ飛ばされていた。自分で回避したまでは良かったが、その勢いは完全に想定外。

 怪我こそないが、それでもその場からは少し離れる結果となっていた。

 

 

「ナナ。夢じゃない現実だ。ロミオ先輩はギルの救出の際にブラッドに合流したんだ」

 

「え……嘘……ロミオ先輩!」

 

「くる…しいよ。ナナ……」

 

 北斗の言葉にナナは漸く現実である事を理解していた。これまで意識不明のまま今に至っていたにも関わらず、目の前に居るのは本物である事を確かめるかの様にナナはロミオの身体を色々と触っていたと同時に思わず抱きしめていた。

 突然の出来事に誰もが驚く以外の事が出来なかった。突然ナナが現れただけでなく、色々とロミオを触り出した突端に抱きしめた光景に、北斗だけでなくギルもどうしていいのか分からない。ぎゅうぎゅうに抱きしめられたロミオを今はただ見ている事しか出来ないでいた。

 一方のリヴィは今の光景に驚きながらも、どこか面白くない様な感情があった。特別な感情を持ち合わせていないのであれば、今の状況を気にする必要はどこにも無い。しかし、何故か本能でこのままでは拙いと判断していた。

 

 

「ナナ。もうその位にしておけ。ロミオが嫌がっているぞ」

 

「え…あ……。ご、ゴメン」

 

「ナナ。再開を喜ぶのはまだ早そうだぞ」

 

 北斗の言葉に改めてナナが出てきた先に視線を移す。そこにはギルの時と同様に黒い蝶が集まると同時に一体のアラガミがそこから姿を表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれってもしかして神融種なの?」

 

「みたいだな。コンゴウ種にも見えるが、肩にハンマーの形状をした物が付いている。恐らくはそうだろうな」

 

 現れたコンゴウが威嚇するかの様に咆哮を吐きながら自分の胸をドラミングする。仮面を被った様にも見えるそれは、これまでに見たコンゴウ種とは明らかに形状が異なっていた。

 北斗の神融種の言葉に全員の意識は自然と集中する事になっていた。

 

 

「神融種は全体的な力が強い。攻撃は極力避けろ!」

 

 北斗の指示に全員がその場から散開する。コンゴウ種を囲むかの様に全員はその場から様子を伺っていた。

 これまでに戦ったデータとこれまでのログから解析された結果から、神融種は通常種に比べて攻撃の力だけでなく耐久力がかなり強化されている事実があった。

 基本的には堕天種に近い物は確かにあるが、それでも事実上の未知のアラガミがどんな攻撃をするのか、またその攻撃範囲はどれ程の物なのかは個体によって違いが幾つか存在している。ギルと一緒に戦ったカリギュラ種はリンドウとエイジが居た為に特に考える事はなかったが、今はその2人が居ない。

 新種との戦闘経験が乏しいブラッドは幾ら見た目がそれに近いと分かっていても、全体像を把握するのが困難だと判断した結果でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラッド、ナナさんの救出が完了したと同時に交戦も同じく開始しました。これまでの状況からコンゴウ種と断定。しかし、該当データが無いのと、これまでに観測した数値から神融種と断定しました」

 

 会議室ではモニターしているフランがログの解析と同時に周囲に対する警戒を開始していた。

 幾らロミオの血の力が発動したと言っても、場合によっては戦闘音を聞きつけて寄ってくるアラガミが居ない訳ではない。これが下層や中層であれば、他の部隊の増援も可能ではあるが、今の部隊は上層なだけでなく、ナナの探索の為にこちらでも把握していない場所にいる為に、増援を送り込むのが困難となっていた。

  既にリンドウもエイジも螺旋の樹の内部には居ない。クレイドルとしての防衛任務の為にサテライトの候補地とサテライト居住区へと向かっている為に、周囲の状況を探索するのは当然の事だった。

 画面上には新たな情報が次々と上がってくる。今のフランの翡翠の色をした瞳には画面上の情報が映っていた。

 

 

「随分とラケル博士はブラッドの事を重要視してるみたいだね。まるで全員が揃うのを嫌っている様にも見えるけど」

 

「確かに分断すると同時に合流地点にアラガミの中でも神融種を配置させるのは、そう言ってるも同然ですね」

 

 榊の言葉に紫藤も改めてその状況を大画面で確認していた。刻一刻と変化するバイタルが今の状況を物語っている。神融種の攻撃の強さに警戒しているからなのか、心拍数は激しく動くが、それ以外の部分は冷静さを保っていた。

 

 

「どうやら噂の極東式の教導の賜物ですか?」

 

 そんな2人のやり取りとは別にフェルドマンはロミオとリヴィのバイタルを眺めていた。元々リヴィは情報管理局の所属であるからなのは勿論だが、それと同時に今作戦からリヴィとは変わって加入したロミオの状況が気になったのか、思わず口に出ていた。

 

 

「そう捉えてもらって構わないだろう。事実、極東のやり方は本部でも理解しているはずだが?」

 

 紫藤の言葉は暗にリンドウとエイジが遠征に出ていた事を示していた。既に派兵しなくなってからはそれなりに時間が経過しているのは、紫藤だけでなく榊も理解している。そして今の現状がどうなっているのかも理解した上でフェルドマンに発言していた。

 

 

「いえ。そんな意味で言った訳では無いので。実際にこの目で見た訳ではないですが、リヴィの数値がかなり安定しているのを初めて見た様な気がしたので」

 

「そうか。少なくとも今後は異なる神機の適合を止めれば、これまでの様な事になる事は無いだろう。事実、抑制剤の効き目は無いに等しい程に体内での効き目が悪くなっている。任務の方針を今後は変更するしかないだろう」

 

 フェルドマンの言葉の意味は分からないでもないが、やはり紫藤の考え方からすればまだ自分の人生に責任を持てない様な人間に裏の仕事をさせるのは間違いだと暗に言いながらも、画面上のデータを紫藤はジッと見ていた。

 年齢が若い方が神機の適合率が高いのは既に周知の事実である以上、こちらからどうこう言うつもりは無いが、アラガミとは違い、人間の抹殺を常時の任務として考えればやはりどこかで歪な人間が出来ると考えもそこにあった。

 紫藤の言葉に何か思う所があったのか、フェルドマンはそれ以上の事は何も言う事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり神融種は色々と面倒だよな」

 

 目の前に倒れたコンゴウ種を前にロミオは少しだけ一息ついていた。ここに来るまでに幾つかのミッションをこなしてきたが、やはり神融種はギルの救出の際に戦ったのが事実上初めてに近い事が実感されていた。

 自分が知っているカリギュラ種でさえも力や耐久力は接触禁忌種の名に恥じないにもかからず、神融種となった途端に感じた力の増大は盾越しでも判断出来る程だった。そんな前例があってのコンゴウ種もカリギュラ種同様に高い威力の攻撃を誇っていた。

 弱点そのものは変わらないが、そのタフネスぶりは攻撃を直接受けていないロミオでさえも、精神をガリガリと削られていた。

 

 

「まさか血の力に似たような能力があったのは想定外だな」

 

「だよね。まさか他のアラガミを呼ぶなんて……思わずゾッとしたよ」

 

「確かに他のアラガミを何の制限も無しに呼ばれると今後の用兵が難しくなるのは間違い無いだろうな」

 

 ギルやナナの言葉が全てだった。今後の事を考えれば、血の力に似た能力で周囲に居るアラガミを呼び込むのは想定外の能力だった。

 今回は個体の撃破が優先された事もあってか、それぞれのアラガミが単独で表れている。しかし、これが一度に出現しているとなれば今後の部隊運営がどれほど厳しい物に変わるのかを考えると、自分で発した言葉の内容が末恐ろしくなるのは間違いではなかった。

 

 

 


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