「そんな噂があったんですか。私もそれに関しては聞いてませんね」
何気に無いラウンジのやりとりが終わる頃、エイジは今回の件でアリサと夕飯を食べながら話をしていた。ラウンジではエイジが作るも、自分達の部屋ではアリサが作る事がここ最近は多く、またそれに伴い料理の腕も以前よりは少しづつ上達していた。
「多分、願望もあるとは思うんだけどね。でも、あながち間違いとも言い切れないのもまた事実なんだよ」
「確かにそう言われればそうですね」
事実上の部隊編成の際に、いくつか実験的に投入されていると思われる編成がある事をエイジだけなくアリサも知っていた。情報管理局が来てからはブラッドは常時別任務に就いている事が全ての発端となっていた。
そんな中で、今回准尉でもあるマルグリットを部隊長に、エリナを加えた不特定多数の編成をこれまでに何度も見てきていたのが根拠だった。
「でも、今はそんな事をしている暇なんて無いんじゃ」
「でも、今回の作戦が終わった際に実績が出来てれば、それもある意味考える事が出来るのもまた事実だよ。事実、人数は増えても部隊運営まで出来る人間はそう居ないからね」
エイジの言葉にアリサは否定出来なかった。今は一時的に情報の管理の為に新人を入れる数を減らしているが、今後はどうなるのかは未だ未知数。教導に関しても卒業した人数と入ってくる人数が同じなだけに、今後の展開を読める人間は誰もいなかった。
「しかし、ラウンジでマルグリットの名前が出たのは驚いたよ。まさかとは思ったんだけどね」
「暫くはそのままにしておくんじゃ無かったんですか?」
今回の蛇足とばかりに出た話はエイジ自身が経験した内容と大差無かった。既に結婚した今ではそんな話は以前ほど聞く事はない。まさかコウタまでもが同じ道を辿るなんて思ってもなかったのか、思わず笑みがこぼれていた。
「いや。ただ懐かしいと思ってね」
「…その言葉はそっくりそのまま返します」
エイジだけでなくアリサも同じ事を考えたのか、当時の状況を思い出すだけでも苦い思い出なのは変わらなかった。当時は恋人同士にも関わらず、そんな話が幾つも出れば流石に意識せざるをえなくなる。それがどれほど嫉妬心に駆られる結果となったのかはお互いが口に出すまでも無かった。
「でも、コウタは気が付いてないかもしれないけど、マルグリットって兄様が詳細を伝えてから指輪を外してる事気が付いてるのかな?」
「エイジも気が付いてたんですか?実はこの前ヒバリさんとリッカさんと話した時にその話も出たんですよ。多分コウタは気が付いてないだろうって」
ネモス・ディアナで会った時は左の薬指に指輪がはまっていた記憶はアリサにもあった。しかし、ブラッドの終末捕喰事件以降、事実を聞いてからマルグリットはそれまではめていた指輪は外していた。
実際に本人に確認した訳ではなかったが、以前の様な危うい雰囲気は既に無くなっている。屋敷の教導の際には既にそんな事すら無いのがまだ記憶に新しかった。
「コウタもさっさと言えば良いんですけどね。皆、気にしてますよ」
「確かに……でも今回の話が出れば少しは考えるんじゃないかな」
屋敷で作った味付けはコウタだけが違うのはエイジとアリサしか知らない。同じレシピでもその人間の味覚と嗜好が基本である以上、同じ物にはならない。
コウタの食事だけ違う事もあってか、本人の口から聞いていないが作る側からすれば確信できる部分は多分に存在している。
本当の事を言えば、コウタが非番の際に渡したシュークリームもエイジが作った訳では無かった。
いつ気が付くのかを見ている側からすれば、やはりもどかしいのもまた事実だった。
「そう言えば話は変わりますが、エイジって案外と女の子の事をよく見てますよね」
「どうしたの急に?」
「何でもありませんよ」
そう言いながらもアリサの目は何かを語っている。先ほどの会話のどこに地雷があったのかは分からないが、既に弁解をする余地はどこにも無かった。
「今後の為にちょっとマーキングした方が良さそうですね」
「……じゃあ、こっちもそうしようかな」
お互いが何か思う事があったのか、それ以上の言葉が出る事は無かった。いつもより早めに消えた照明がそれ以上何かを詮索させる事を阻んでいる様だった。
「ねえ、コウタ。どうかしたんですか?」
「なんで?何もないけど」
以前に見た夢なのか、それとも既視感がそうさせるのか、コウタはこの光景を少しだけうんざりした様子で見ていた。既にミッションが終わり、エリナとエミールは回収の為の探索でこの場にはおらず、結果的にコウタはマルグリットと2人きりとなっていた。
「何だか最近、心ここにあらずって感じなので。勿論ミッションではそんな事は感じませんけど」
「そう?気がつかなかった」
「ひょっとしてノゾミちゃんと何かあったんですか?」
ここ最近のコウタの様子がおかしい事はマルグリットも気が付いていた。確かにミッション中は何時もと変わらない指揮で部隊は無傷で終了している。しかし、帰投の隙間の時間になるとどこかボンヤリとした表情をする事が多くなっていた。
「ノゾミは関係ないよ。ちょっと違う事でね……」
「私でよかったら相談に乗りますよ。だって副隊長ですし」
何気に笑顔で話すマルグリットを見るとコウタは心の中に黒い何かが溢れだしていた。
それが何なのかは分からないが、良い物でない事位は直ぐに分かる。今口を開こうとしたら何を言い出すのか分からない状況にコウタは苛立ちを感じていた。
「それは関係無いから!」
突然の張り上げた声にマルグリットだけでなくコウタ自身も驚いていた。なぜこんな衝動に駆られるのか分からない。既に結論は出ているのかもしれないが、それを口に出せば戻れなくなる事だけは間違いなかった。
「何よ。私にも言えない事?」
「そんなんじゃない。ただ……」
「……ただ?」
コウタが今考えている事はマルグリットには全く関係無い事だった。自身の持つ黒い何かは間違い無く嫉妬心。いくら夢だと分かっても、第1部隊に配属される以前の事をコウタは知っている。
当時の状況に既に戻れない事も自分が一番良く知っている。だからこそ、それ以上の事は言いたく無かった。しかし、そんな心情が伝わる事はどこにも無い。コウタの抱えている考え事はまるで無関係だとばかりにマルグリットは口を開いていた。
「分かった。言いたくないなら言わなくても良いよ。でも、これだけは言わせて。私はコウタのそんな表情は見たく無いの。いつもみたいに笑顔が見たいの」
その言葉にコウタはまともにマルグリットの顔を見た気がしていた。両目からはキラリと光る物が見える。既に隠すつもりがないのか、マルグリットは頬に伝うそれを拭おうとはしていなかった。
「コウタが何をそんなに考えてるかは分からない。私の事が嫌なら嫌って言ってよ。そうしたらもう顔を見せるつもりは……無いから」
まだヘリが来ない状況でこの場を離れるのは自殺行為に近い。現時点でアラガミの気配はなくても時間が来ればどこかで発生する可能性が高く、また今いる場所はこれまでの調査の結果、中型種よりも大型種の発生が高い場所でもあった。
何を思ったのかマルグリットはその場から走り出そうとしている。まさにその瞬間だった。
《すみません。想定外のアラガミがあと30秒で侵入します。エリナさんとエミールさんも侵入したアラガミと現在交戦中です》
2人の通信機にフランの言葉が飛び込んできたと同時に既に目視出来るそれはハガンコンゴウだった。これまでにも散々討伐した種である事に変わりない。いつもの第1部隊であれば2人でも何も問題はず。それがいつもの状況であればが前提だった。
マルグリットが前衛で、コウタが後衛で動くのはこの部隊編成になってから割と早い頃だった。元々遠距離型のコウタは指揮をしながら戦闘をするが、アラガミが接近すると神機の特性上、厳しくなる。エミールやエリナはいるものの、フォローを任せるとなれば荷が重いのは間違いない事から自然とそんな体制を取っていた。
目の前のハガンコウンゴウは1体しかおらず、普段通りであれば苦戦するはずが無い相手。しかし、先ほどのメンタルの状況から考えれば果たして本当に問題無いのかと思える内容だった。
明らかに動きにキレがなく、ハガンコウンゴウの攻撃を完全に殺しきれないのか、マルグリットはコウタの援護も空しく劣勢に追い込まれる。既に殆どの部位は結合崩壊を起こすも、未だ倒れる気配は皆無だった。
「マルグリット!」
時間にして僅か数秒。コウタの視界にはマルグリットが空中に弾き飛ばれた光景が広がっていた。防御したと思われた盾のジョイントが破壊された事でローリング攻撃をまともに受ける。既に気が付いたコウタは回復弾を放つ事で最悪の事態だけは免れていた。
その後どうやって倒したのかコウタは記憶に無かった。アサルトとは言え遠距離型ではオラクルの欠乏の可能性を常に考慮する必要があったが、今のコウタはそんな事すら考える暇が無い。全弾を一気に撃ち尽くす頃、漸くハガンコンゴウが地に沈んだ事を理解していた。
「大丈夫か!しっかりしろよ!」
「私のせいですよね。コウタには迷惑ばかりかけてますね」
横たわるマルグリットはどこか弱々しいままだった。命に別状は無いが、露出した二の腕の部分には明らかに打撲を受けたと思われる痕が残っている。見える部分でこれであれば、他の部分も明らかに軽症とは言えない程度のダメージは負っているのが予測出来ていた。
既に帰投用のヘリが近寄っている事は知っている以上、今のコウタに出来る事は無かった。
「そんな事ない。俺がどれだけ助けられていると思ってるんだ。感謝こそするけど嫌になんてならない」
「でも、ここ最近私の事、避けてましたよね」
マルグリットはの言葉にコウタの背筋は寒くなっていた。あの夢を見てからどうやって接すれば良いのかコウタには判断出来なかった。色々と考えてはみたものの、やはりそれ以上の事となれば二の足を踏む。そんなギクシャクした雰囲気をマルグリットも感じていた。
「違うんだ」
その瞬間コウタの目に飛び込んだのはマルグリットの手だった。優しくコウタの頬を包むそれは命が消える事が無い意思表示。少しでも安心させようとした配慮だった。
「良いの。私がしたいだけだから」
既に左手の薬指にあったはずの指輪の跡は随分と前に消え去っていた。コウタが知っているマルグリットの指には指輪があったはず。今になってようやく外していた事に気が付いていた。
「指輪してたんじゃ……」
「随分と前の話だよ。今になって気が付いたの?」
「ゴメン。気が付かなかった」
「以外と鈍感なんですね」
「あのさ……マルグリットはまだギースの事を想ってるとばかり思ってた」
マルグリットの顔を見たからなのか、コウタは不意に漏れた言葉に内心焦り出していた。
態々こんな状態で自分の心情を吐露した所で何も良い事は無いはず。それこそドン引きされるのではとの考えが脳裏を過る。しかし、今のマルグリットの顔を見ればそんな事は些細な事だと思い出したのか、コウタはこれを気に自身の気持ちをゆっくりと吐き出していた。
「前にも言ったよ。もう踏ん切りはついたって」
「でも俺、怖かったんだ。いつか傍から離れるんじゃないかって。だったら俺は自分の気持ちを言うべきじゃないって」
コウタの言葉を受け止めるかの様にマルグリットは笑みを浮かべコウタの頬をやさしくなでる。その行為はそのままコウタの言葉を促している様にも見えていた。
「でも、この前ギースと隣に立っているマルグリットの夢を見て、俺は何もできないんだって思ったから…何も言ってないって思ったから…」
既にコウタの言葉には語尾が途切れている。それが何を意味するのかを見ている人間はこの場にはいなかった。
「好きなんだ。どこにも行かないでくれ」
「私も好きよコウタ。でも後でもう一度聞かせてくれない?少し疲れちゃったから」
既に帰投のヘリはローター音を響かせ現地へと降り立っていた。急遽の討伐によってマルグリットはアナグラ到着後、すぐさま医務室へと運ばれる結果となっていた。
「あれ?ここは」
マルグリットが目を覚ますとそこは医務室だった。既に報告が完了ているのか、気が付けばマルグリットの左腕には点滴がされていた。
「大変でしたけど、無事でなによりです」
マルグリットの言葉に返事したのは予想外のヒバリの声だった。その隣にはエリナとリッカも椅子に座っている。既に気が付けば外は夕闇がせまりつつある時間となっていた。
どれ程の時間が経過したのか分からないが、こうやって集まった顔を見ていると何だか申し訳ないと思えて来ていた。しかし、よく見れば全員が心配している様にも見えない。その疑問の答えははフランの口から出ていた。
「あの…大変申し訳ありません。あの会話なんですが、実はオープンチャンネルになってまして……」
「オープン…チャンネル……」
フランの謝罪と同時に聞こえた言葉にマルグリットはそれ以上の思考が停止していた。
あの会話は間違い無くコウタとの会話。本来であればオープンチャンネルになるはずが無いと思っていたが、一つだけ例外があった。
極東のルールではミッション中の緊急事態の際には無線は全てオープンチャンネルに自動的に切り替わり、付近の部隊が援護に向かう仕様となっていた。結果的には討伐できたものの、その設定はヘリに回収されるまで続いている。臨時とは言え、部隊長になった際に聞かされた内容ではあったが、そんな事は失念していた。
それを思い出したのか、マルグリットの顔はミルミルと赤くなっていく。その行動が全てを物語っていた。
「あの、心配には及びませんよ。オープンチャンネルと行っても全部隊じゃありませんから。近隣の部隊が対象なので」
「…ちなみにその部隊って」
「クレイドルの皆さんと第4部隊の混成チームです」
事実上の身内並に近い部隊ばかりだったからなのか、それとも近すぎるかからなのか、それ以上言葉が出る事はなかった。幾らなんでも公開では少しどころかかなり恥ずかしい。今のマルグリットは自室に逃げる事すら許されていない。今出来る事は現状を確認する事だけだった。
「コウタ隊長の事なら大丈夫ですよ。もう逃げない様に捕獲してありますから」
「ははは……そう」
笑顔のエリナの言葉にマルグリットは渇いた笑いを出す事しか出来ない。既に外にはエイジとコウタの声が聞こえているのか退路は既に断たれていた。
「じゃあ、私達はまだ仕事が有りますので」
「あ、は、はい。分かりました」
ヒバリ達と入れ替わりにコウタが入ってくる。既に何かを言われたのか顔は赤く染めあがっていた。
「へ~コウタもついにね」
「まさかオープンチャンネルの公開告白だとは思わなかったがな」
緊急ミッションの通信を聞いていたのはリンドウだった。元々クレイドル自体が旧第1部隊のメンバーで構成されているだけでなく、マルグリットは屋敷でも教導の一部をこなしている事を妻のサクヤも知っている。最初に見た際には少し陰があると思ったからなのか、暫くの間は機会があれば声をかける事も時折あった。
「でも、まあ良かったんじゃないの?彼女は何だかんだと色々と出来るみたいだし、今なら多分アリサよりも出来るんじゃない?」
「その件に関しては俺は知らないがな。でもアナグラでも人気はあるのは耳にしてたからこれで多少は落ち着くんじゃないか?」
久しぶりの晩酌にリンドウはビールをあおる様に飲んでいるからなのか、何時もよりも若干饒舌になっていた。あの時点でオープンチャンネルになっているのであれば、部隊だけでなく、ロビーにも聞こえている事になる。
事実上の公開告白とも取れるそれをその場にいた人間が何も言わない保証はどこにもない。そんな事をリンドウは珍しく考えていた。
「でも、私達の頃よりは格段に良くなっているのかもしれないわね」
「そうだな…実際に姉上がやっている教導を始めとして何かとミッションのフォローも入るからな。少なくともここ3年の間生存率は格段の向上しているしな」
当時の事を考えていたのかリンドウは珍しく物思いにふけっていた。今では良い思い出となっているのか、ヨハネスが画策した計画の瓦解から既にかなりの時間が経過している。
当時の教訓を活かしたからこそ現在の体制になっているのは間違い無かった。事実、その発端となった内容は完全に極秘となっている事から、今では当時の真実を知る者は極少数となっていた。
「あとはソーマね」
「何だ?サクヤもアリサ達と同じなのか?」
サクヤの言葉にこれまでコウタとマルグリットの件で何かとやっている事を知っているリンドウからすれば、今のサクヤの笑みは何かを企んでいる様にも見える。自分に害が無ければ問題無いが、最悪はトバッチリが来る事だけは避けたいと感じていた。
「でも、ソーマは何か思う部分もあるかもね」
「あのなあ……」
「あら?レンもここ最近は手がかからなくなってきたんだし、私もそろそろ自分の時間を有効活用しようかと思っただけなんだけど」
母親の顔ではなく、一人の女としての顔にリンドウはそれ以上の言葉をかけるのを止めていた。元々サクヤは退役した訳では無く、産休扱いとなっている。既にレンがここまであれば自分の時間にゆとりがあるのは想定内の事でもあった。
「何でも良いが、程々にしてくれよ」
「分かってるわよ」
笑顔でリンドウの肩を叩きながらサクヤは笑顔を崩す事は無かった。