神を喰らいし者と影   作:無為の極

242 / 278
第225話 悩みは遠くへ

 

「シエルさん。良かったら一緒に温泉に行きませんか?」

 

 穏やかに食事会が終わり、時間的にもそろそろ解散だと思われる頃、シエルはアリサから突如として温泉に誘われていた。時間も既に遅いだけでなく、今は情報管理局の関係で、アナグラの隠し通路は事実上制限されていた。

 今回もいつもならば地下通路を利用するはずだったが、それが変更されたのか車での移動となっている。一直線の通路とは違い、陸路での移動は迂回する為にどうしても時間がかかる。今からの帰還だと遅くなるからと、既に各々の部屋には布団が敷かれていた。

 

 

「私は構いませんが、アリサさんは良いんですか?」

 

「私なら大丈夫ですよ。エイジもまだやる事があるらしいですから」

 

 今回の作戦に関してはクレイドルが蚊帳の外であるのはシエルも理解していた。確かに螺旋の樹の萌芽の際にはリンドウやコウタも居たが、その後の調査に関してはリヴィのブラッドアーツの習得を兼ねたミッションが入っていた事で部隊編成は大きく変更されていた。

 他の部隊の運用を理解はしているが、詳細まで知っている訳では無い。だからこそアリサの言葉を信用する以外に何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、食事の際に何か考え事でもしてたんですか?」

 

「いえ……そうですね。何も考えていなかったと言えば嘘になります」

 

 アリサは元々弥生から言われただけでなく、自身の経験からも今のシエルの状況が良く分かっていた。確かに確信は無いかもしれないが、それは大よそ間違っていないはず。

 理屈はともかく、今は少しだけでも話をすれば何かしら変化がある事だけは理解していた。

 

 

「言いたくないのであれば仕方ないですが、私で良ければ話してくれませんか?」

 

 アリサの言葉にシエルは少しだけ戸惑っていた。レアに話をしたまでは良かったが、その後の事に関しては完全に話すつもりが無いのかそれ以上は何も教えてくれなかった。

 何となくはぐらかされた事だけは間違いないが、それ以上は分からない。既に北斗の療養期間が終わった今、明日からはまた作戦が開始されるのは間違い無かった。今回は何とか間に合ったが、次回同じケースが起こった場合、自分は一体どうなるのだろうか?そんな考えが支配していた。

 レアから明確な答えが出ない以上、何かしらのヒントでもあればと思いアリサの提案に乗ったまでは良かったが、まさかこんな場面で言われるとは思ってもなかった。

 

 

「はい。実はレア先生にも聞いたんですが、それを教えてくれなかったんです……」

 

 この場にはシエルとアリサしか居ない。それならばとシエルは自身が感じている感情がなんなのかを確認すべく重い口を開いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……そうだったんですか」

 

 シエルから一通り聞いた内容はまさにアリサの予想通りの内容だった。これまでにコウタとマルグリットの件である程度の事は予想していたが、まさかシエルがそうだとは思っても無かった。確かにそれは一言で言うならば簡単ではあったが、それをアリサは自分の口から直接言っても良いのかと少しだけ思案していた。

 

 

「やっぱり変ですよね……私どうすれば良いんでしょうか?」

 

「変じゃないですよ。それは誰にでもある感情です。私だってそんな経験がありますから」

 

「本当なんですか?それはどうやったら治るのでしょうか?」

 

 予想外の食いつきに流石のアリサも少し考えを改めるしかなかった。なぜレア博士が答えなかったのか今になって理由が分かる。シエルの事はそう深くは知らないが、一つの事に集中しすぎる性格はある意味では危うい部分も存在していた。

 

 

「その前に確認したい事があります。それを知ってシエルさんはどうするのかです」

 

「どうしたい……ですか?」

 

「ええ、そうです」

 

 アリサの言葉にシエルは更に頭をかしげる事になった。その内容が何であれ解決したいと思うのは当然の欲求でもあり、また明日から開始されるであろう作戦に支障をきたす可能性もある。だとすれば今のシエルにとっては解決する以外の手段はどこにも無かった。

 

 

「やはり問題を解決する……のでしょうか」

 

 それ以外の方法が有りえないからとシエルは口にするが、その言葉は先ほどは違いどこか弱々しい。本当に解決できるのかすら分からない未来は不安しかなかった。

 

 

「だったら簡単ですよ。その思いの丈を直接北斗にぶつけたらどうですか?」

 

「え……でも……」

 

「大丈夫です。北斗だって真剣に話せばしっかりと受け止めてくれますから」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうですよ」

 

 既にお湯に浸かってから30分が経過していた。本来であればもう少し理性が働き冷静な考えをもたらす事が出来るが、流石に長時間の入浴は冷静な判断を起こさせない。アリサの言葉以外の方法は存在しないとシエルは徐々に考えだしていた。

 

 

「そろそろ出ませんか。このままだと湯あたりしますから」

 

気が付けばお互いの肌の色はほんのりと桜色へと変化している。どれほど入っていたのかは分からないが、そろそろ限界が近い事だけが理解出来ていた。

 

 

「あら?また行ってたの?そうだ。良かったらこれ」

 

 温泉に出た2人を待っていたのは弥生だった。食後のデザートにしては時間が遅い。既に殆どの人間が各々の部屋へと移動したのか、脱衣所の隣の部屋で弥生はアイスクリームを出していた。長時間の入浴はかなり体力を使うだけでなく、身体の温度も高くなっている。そんな状態で出されたアイスクリームはまさに今の2人にとっては有難い物だった。

 口に含んだそれはいつもの物よりもコクが深く、口の中でゆっくりと溶けていく。湯上りに染み渡るそれは今の2人にとっては甘露だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗!大変だよ。シエルちゃんが急に倒れた!」

 

 このまま平穏無事に終わる事は無かった。既に寝る準備が出来たはずの北斗の下にナナが慌てて走ってくる。シエルの言葉に反応するも、慌てすぎて何を言いたいのか分からないナナを落ち着かせる事を優先していた。

 

 

「倒れたって何かの病気なのか?」

 

「分からない。突然顔が真っ赤になって倒れたの。一応エイジさんに確認してもらったら大丈夫だとは言ってたんだけど、シエルちゃんが北斗の名前を呼んでたから……」

 

 何が起こったのか分からないが、うわごとを言っている時点で事態は軽く無いと思われていた。エイジの話では問題無いとは言うものの、それでもナナの表情に偽りは無く、焦りだけが感じられる。

 嫌な予感だけが過る。北斗と同じ部屋にいたギルも事態を重く感じたのか、3人でシエルの下へと急いでいた。本来であれば入る際には遠慮するも、今は緊急事態。一々確認するまでもなく北斗は襖を勢いよく開けていた。

 

 

「シエル大丈夫か?」

 

「……あれ?……ろうして……」

 

 ナナの言葉通り、シエルは赤い顔をして横たわっていた。息遣いは少し粗く、目も潤んでいる。何も知らないそれは確かに何かにうなされている様にも見えていた。

 

 

「どうもこうも無い。何があったんだ?」

 

「……なん…の事…れす…か」

 

 何時もの様な冷静さはどこにも無かった。上気しているのは顔だけでなく首筋までも赤くなっている。これまで見た事が無いそれは北斗を動揺させるには十分すぎていた。

 北斗の視界にはシエルしか映っていない。視野狭窄に陥ったからなのか、周囲を見る余裕はどこにも無かった。

 

 

「しっかりしろ」

 

「私なら……らい…じょうぶ…れす…」

 

この時点でギルだけが今のシエルの状況をいち早く察知していた。理由は分からないがエイジが言う大丈夫の意味が確実に分かる。確かにそれが原因ならやる事は何一つ存在していなかった。

 

 

「ナナ。この場は北斗に任せよう。エイジさんが言う様に確かに大丈夫だ」

 

「でもあのままだとシエルちゃんが…」

 

「いや。本当に大丈夫だ。そんなに心配なら冷たい水でも用意すれば良いだろう」

 

 これ以上ここに居てもやる事はなく、また事実上見ている以外に何も出来無い。どうしてこんな結果になったのかは分からないが、ひとまずナナをこの場から離す事だけをギルは優先していた。

 

 

「北斗。今のシエルは何の問題無いはずだ。後で水でも飲ませておくんだな」

 

「…それって」

 

 ギルの言葉に北斗は少しだけ冷静になっていた。確かに呂律は回っていないがシエルの呼気からは微かにアルコールの臭いがしている。年齢的に飲むはずが無い物をどうやって口にしたかは分からないが、今はかなり酔っている事だけが理解出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。わらしの話をちゃんと聞いれますか?」

 

「……聞いてます」

 

 北斗は正座をしながらどうしてこうなったんだと自問自答していた。

 ナナの言葉に慌てて来たまでは良かったが、その後については仮に聞かれても語りたくない気持ちしかなかった。酔って寝たならばとその場を離れようとした際に、無意識の内にシエルの手は北斗の浴衣の裾を握っていた為にその場から離れる事が出来ない。かと言って、この部屋はシエルとナナの相部屋の為にこのままではナナに申し訳が立たなくなっている。まずはゆっくりとシエルの手を離そうとゆっくりと指を開きだした瞬間だった。

 突如として目が覚めたシエルは何を思ったのか北斗を正座させている。まさかこんな場面で目覚めるとは思ってなかったのか北斗も酔っ払いの言葉だからと素直に従った方が良いだろうと判断した結果だった。

 

 

「ろうして君はリヴィさんとばっかりミッションに行くんれすか。私の事なんてろうでも良いんじゃないれすか!」

 

 突然言われた想定外の言葉に北斗は暫く絶句していた。目が覚めたかと思えば正座を強要し、第一声がそれであれば一体何なのかと思わざるをえない。本当の事を言えば情報管理局からの直接のミッションが故に北斗には最初から選択の余地はなく、単に命令に従っただけ。もちろんそれはシエルとて理解しているはずにも関わらず、そんな事を言われれば北斗は何も言う言葉が見つからなかった。

 

 

「北斗。聞いれますか!」

 

「聞いてるよ」

 

「私がどれほど今回の件れ心配したと思ってるんれすか!自分の事を考えずに直ぐミッションに出て、挙句の果てには大怪我してくるなんて前代未聞れす!」

 

 酔っているとは言え、今回の直接の負傷は流石に北斗自身も苦々しく感じていた。確かにあの瞬間はリヴィの事だけを考えた上での行動だった為に、自分の身体の勘定は一切入ってなかった。

 今になって思えば銃撃で意識をそらすなりスタングレネードなりを使えば良かったと思えるが、既に過ぎ去った時間を巻き戻す事は出来ない。そんな事実があったからこそ北斗は自身の鍛錬をしようと考えていた。

 

「それは悪かった。俺も反省してる」

 

「いいれすか。北斗は北斗らけの身体じゃないんです!まさかとは思いますが自分なんてろうなっても良いなんて考えてませんか!あの赤い雨の時らってそうです。君は…君は…もっと自分を大事にしてくらさい」

 

 酔った勢いとは言え、シエルの目には涙が浮かんでいた。北斗自身は自分をそうまで追い込んだつもりは全くないが傍から見れば確かにそう感じる。事実赤い雨だけでなくギルとハルオミと共同で戦ったルフス・カリギュラの際にもかなり際どい戦いであった事は間違い無かった。

 

 薄氷を踏む戦いは今後の事も考えれば決して良いとは言える内容ではなかった。実際に今回のクロムガウェインに与えた剣閃は明らかに自分よりも技量が上だからこそ出来る芸当でもあり、またそれにふさわしい鍛錬をしてきた証である事は北斗自身が一番理解している。だからこそ北斗もその高みを目指したい気持ちが勝るからこそ暇さえあれば鍛錬をしていた。

 

 

「これ以上私が好きな北斗を嫌いにさせないでください」

 

「……え?」

 

 何気に言われたシエルの言葉に北斗は固まっていた。これまでに友達だと言われた記憶はあったが好きだと言われた記憶が全くない。本当ならばその言葉の意味を確認したい気持ちはあるものの、酔っ払いに聞いた所でまともな返事が来るとも思えない。きっと友達として好きなんだと自分に言い聞かせてこの場をしのぐ事にしていた。

 

 

「決めました。これから北斗の事は私がずっと管理します。これから離れるつもりはありませんから!」

 

「あの、シエル?」

 

「北斗。私の事が嫌いですか?」

 

 この時初めて北斗はシエルの瞳を見ていた。潤んだそれだけではなく、どこか怖がっている様にも見える。何がそうさせたのかは分からないが、北斗もシエルを嫌いになる要素はどこにも無い。しかし、だからと言ってこんな場面で言うべき言葉では無いのもまた事実だった。

 

 

「…嫌いじゃない」

 

「そんな事は聞いてません。私の事は好きなんれすか、嫌いなんれすか!」

 

 既に目が完全に座っているのか、シエルの視線は北斗から外れる事は無かった。

 酔っているはずの瞳にどこか力強さを感じるそれは誤魔化す事を許さないと語っている様にも見えている。突然言われた事によって北斗は自分の感情に向き合いたいとは思うが、そんな時間を与えられる予感はどこにも無かった。

 

 

「……もう良いです。こうなったら既成事実を作るしかないれす。北斗さあ一緒に寝ましょう」

 

 正座している状態でシエルのタックルを躱すは出来なかった。至近距離からのそれによってシエルは北斗を抱きしめたまま酔いつぶれたのか、そのまま寝ている。既に逃がすつもりがないのか、シエルの腕は完全に北斗を捉えたままだった。

 このまま寝たシエルは仕方ないが、そろそろナナが戻ってくるはず。それまではこの態勢を維持するよりなかった。

 

 

 




「ねえギル。偶に激しい声が聞こえるんだけど大丈夫だよね?」

「北斗に任せておけば大丈夫だ」

 ナナの心配を他所にギルは違う事を考えていた。先ほどのアルコール臭はそれなりに摂取した結果だけでなく、明らかにブランデーの香りだった。度数こそ分からないが、飲みなれない人間からすれば事実上のストレートはかなり強い。時折声は聞こえるも、話の内容までは分からないままだった。


「ギルがそう言うならそうなんだろうけど…」

「それはともかくまだ時間がかかるならどこで寝るつもりなんだ?」

 ギルの言葉にナナは改めて現状を知らされていた。いつまでも終わりの見えない話が仮に長引くのであれば、今度は自分の寝る場所の確保が必須だった。今いるメンバーであれば、エリナの部屋しか空いていない。まだ起きていれば良いが、既に部屋に入ってからそれなりに時間は経過している。既に悩む時間は残されていなかった。


「そうだよね。今ならまだ間に合うかも!ギル、もし直ぐに終わったんだったら教えてね」

 ギルの返事を聞く事もなくナナはエリナの下へと走り出している。ナナにはああ言われたが、ギルとて酔っ払いに付き合うつもりは端から無い。この事態は隊長でもある北斗が何とかする話であって自分には無関係。そんなにべも無い事を考えながら自室へと戻っていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。