本来とは予定は大きくかけ離れました。
何時もの日常は、常に半ば死と隣り合わせ。この職場に限った話ではなく、この世界の住人の誰もが同じ様な事を考えながら生活を営んでいる。それは今に始まった事では無く、こんな日常だからこそ誰もが多大なストレスをうまく誤魔化しながら生活をしていた。
もちろんそれは一般市民だけでなく最前線に赴くゴッドイーターとて同じ事でもあった。
「今日のミッションもこれで終わりか」
《み、皆さんお疲れ様でした。帰投までまだ30分程時間がありますので》
通信機の向こうではウララがぎこちないアナウンスでコウタへと現状を伝えていた。既に配属されてからそれなりに時間は経過した事から、本来であれば慣れるはずのオペレート業務のはずだった。しかし、残念ながらウララは未だ緊張からか、ぎこちなさが目立っていた。
「了解。周囲の資源を探索しておくよ」
既に第1部隊のメンバーが固定されつつあったからなのか、コウタも以前に比べれば前線での指揮が随分と緩和されつつあった。最大の要因はマルグリットの存在。准尉でありながら自分でも一時期は部隊を率いた事が良い結果を呼んだのか、ここ最近のミッションの時間が短縮されていた。
「あれ?今日はこの後非番じゃなかった?」
「非番だよ。ちょっとノゾミにお土産を持って行こうかと思ってね」
何時もであれば非番であれば真っ先に自宅に帰るコウタが珍しくロビーにいる。普段の行動をよく知っているエイジからすれば、今のコウタの行動は少しだけ珍しいと考えていた。
「だったら丁度良かった。これノゾミちゃんに渡して」
「これ、良いのか?」
「ああ。試作みたいなものだし、よかったら感想を聞かせてくれればありがたいね」
エイジが手に持っているのは白い箱だった。取っ手がついたそれはこれまでに何度も見た事がある箱。試作の言葉と感想を聞きたいの言葉から察したのか、コウタは中身を確認する事無くそのまま受け取っていた。
「それ位ならまかせておいてくれよ!」
「中々行けないけど、ノゾミちゃんに宜しく言っておいて」
そんなやりとりが終わり、エイジはそのままコウタを見送っていた。
「母さん、ノゾミ。ただいま」
「帰ってきたんだ!おかえりお兄ちゃん」
「またお土産買って来たの?偶には自分の物を買って来たらどうなの?」
コウタの家は外部居住区の中でも割と中心に近い部分にあった。ここ極東支部ではサテライトが軌道に乗り出した事から、一部の住民はサテライトへの引っ越しを余儀なくされていた。
また001、002号サテライトの様に農業や建築に携わる事によって従来の様にただ配給だけを貰う生活から徐々に脱却した事により、一部の住民は区画整理の名の下に以前の住居から引っ越す事になっていた。そんな中でもコウタの家族は現在第1部隊兼、クレイドルの隊員でもあるコウタの存在によって従来の場所よりもアナグラに近い場所へと引っ越していた。
「いや。アナグラに居ると割とお金使うのって神機の整備位で、それ以外で使う事は早々無いんだよ。実際にエイジなんてそんなだから結構お菓子とか作って放出してるんだよ」
ゴッドイーターに支給された神機は基本的には個人の支配下になった際に、各々の実力に応じた神機のアップデートが常時施されていた。そんな中でも神機の強化には素材だけでなく費用もそれなりに必要とされている。しかし、現時点でエイジの使用する神機に関してはアップデートはするものの強化する事が事実上無いに等しく、また普段の食材に関しても屋敷での試供品を使う事から、普段配給としてもらう品はお菓子の名目で還元されていた。
「でも、それだけの稼ぎになれば当然任務も厳しいんでしょ?私はまだ心配なのよ」
「いや、俺も部隊長だし、何だかんだ言っても指揮するから厳しい任務になるのは仕方ないよ。でも、皆でやっていけるから。だから母さんはそんなに心配しなくても良いよ」
「ああ!それお土産なの?」
母親との会話を阻んだのはノゾミの声だった。既に視線はコウタが持って来ていた白い箱に向かっている。そんなノゾミを見たからなのか、母親はそれ以上の言葉を出すのを止めていた。
「これ、出がけにエイジから貰ったんだ。後で感想聞かせて欲しいって」
「お兄ちゃんありがとう!」
「ノゾミ。手はちゃんと洗うのよ!」
「は~い」
白い箱とエイジの名前でノゾミは中身が何なのかを直ぐに理解していた。これまでにもお土産と称してお菓子やケーキは何度も持って来ている。事実、広報誌でも何度も取り上げられているからこそ、ノゾミだけでなく母親もそれを理解していた。
「……え?」
オヤツ代わりに出されたお土産のシュークリームは一瞬にして消え去っていた。毎度の事とは言え、その辺りで販売している物よりも味が良いのは今に始まった事では無い。3人は折角だからと口にした際にコウタは衝撃的な言葉を耳にしていた。
「だから、あっ君と今は仲がいいんだよ」
「あっ君って誰!?」
何気に食べたシュークリームの味が一気に忘れ去る様な内容にコウタはそれ以上考える事が出来なくなっていた。以前にも何気に仲が良い男の子が居た記憶はあったが、当時の名前と今の名前が明らかに違う。それが何を意味するのか理解するには些か時間が必要だった。
「ここに引っ越してから仲良くなったんだ。今は2人で一緒に遊びに行ったりしてるんだ」
それは世間で言う所のデートではないのだろうか?コウタはギリギリ動き出した思考で何とか叫ぶ事だけはしない事に成功していた。
冷静に考えればノゾミはコウタの目から見ても十分すぎるほどに可愛いとさえ思っている。以前にそんな話をした際に、エイジとナオヤには半ば呆れられた雰囲気はあったものの、コウタ自身がそれを感じていたからなのか、当時の状況を思い出すまでにはそう時間はかからなかった。
「そ、そうか……で、楽しいか?」
「うん!楽しいよ」
ノゾミの声にコウタはそれ以上の言葉を出す事は出来なかった。シスコンと言っても間違い無いそれは既にアナグラでも一部の人間は知っている。もちろん母親でさえもコウタのノゾミに対する過干渉はどうかと考えていた。
「ノゾミの事はともかくコウタはどうなの?誰か好きになる様な人はいないの?エイジさんだって最近結婚したって言うじゃない」
「そ、それは……」
「あ~お兄ちゃんだっているんだ。で、誰なの?」
母親とノゾミに言われた事で、コウタは改めて自分の事について考えていた。一番最初に浮かんだのは自分の部隊の副隊長。今はそれだけしか該当がなかった。
「まあ、居るんならいいんだけどね。そろそろ夕飯の支度しなきゃ。ノゾミも手伝うのよ」
沈黙した事で母親はそれ以上の事は何も言わなかった。
以前にも聞いた際には即答で居ないと言ったが、今回は沈黙している以上該当する人物はきっと居るであろう事だけは理解していた。事実、これまでに父親を早くに亡くしてからはコウタがこの家の大黒柱となって生活を支えてきただけでなく、部隊長になってからは他とは支給される物資の内容は他の人よりも恵まれている事も理解している。だからこそ、そろそろ自分の事に向き合って欲しい親心がそこにはあった。
「あれ?母さん。味付け変えた?」
「そんな面倒な事しないわよ。何かあったの?」
夕食になってからコウタが一番最初に気が付いたのは味付けの違和感だった。これまでに家で食べた味と、ここ最近になって食べた味がどうしても一致しない。自分の味覚が変わらず味付けが変わっていない以上、何かしらの変化があるのは間違い無いが、それが何なのか違和感がどうしても拭いきれない。
自分の記憶を呼び起こした瞬間だった。これまでの違和感が瓦解していた。
「いや、なんでもない。いつもと同じで美味しいよ」
「変な子だね」
夕飯が終わり、自室へと戻ってからもコウタはさっきの違和感の正体をずっと考えていた。自宅に戻ってきたのはかなり久しぶりではあるものの、家の食事に似たような味は確かにここ最近口にしているのは間違いない。しかし、ムツミやエイジの味付け以外で食べた記憶が思い出せない。
ここ数日のミッションは過酷さは少ないものの、その数が多かったことから、コウタの意識は徐々に眠りへと誘われていた。
「これで漸く終わりか。今回も割と苦戦続きだったな」
何時もと変わらないミッションが終わったのか、周囲にアラガミの気配はどこにも存在していない。既にエリナとエミールは物資の回収へと向かったのか、この場にはコウタとマルグリットの二人だけだった。
「そうだね。今日は少しだけ苦戦したのは間違いないね」
そう言いながらマルグリットはコンバートしたばかりのヴァリアントサイズの様子を確認しながら、今回の戦いの結果を報告書にまとめるべくタブレットを取り出していた。何時もと変わらない日常、何時もと同じ光景がそこには存在していた。
「そうそう。コウタ、私ね。ギースと結婚しようかと思うんだ」
「ギース?」
突然出てきたギースの名前にコウタは少し訝しく思っていた。
まだネモス・ディアナにいた頃、マルグリットはギースの生存を信じて黒蛛病に罹患しながらひたすらその帰りを待っている事は以前にアリサから聞いていた。しかし、結果的にギースは偏食因子の投与が為されていなかった事によるアラガミ化の結果、討伐された事をエイジを通じて無明からその事実を聞いていた記憶があった。
もちろん、当時の状況は多少なりとも事実をぼかしながら聞いていたのはマルグリットとて同じ事のはず。にも関わらず、目の前のマルグリットはギースが見つかっただけでなく、結婚するとの言葉に大きなダメージを負っていた。
「そう。この前漸く見つかったの。怪我はしてたんだけど近くのサテライトで保護されてたって」
その後も嬉しそうな言葉を言ってる事は理解できるが、コウタの耳には結婚の言葉以降の話がまるで入ってこない。突然の話にどうなっているのかを考える余裕は殆ど無かった。
「あれ?だってギースは確かに死んだはずじゃ…」
「何言ってるの。ほらここに居るでしょ?」
気が付けばマルグリットの隣にはコウタの見知らぬ男がマルグリットの腰を抱いている。その表情はまるで当たり前の様なのか、隣にいるはずのマルグリットも頬を赤らめながら話していた。
「何言ってるんだよ……だってマルグリットは俺と…」
この時点でコウタは何を言おうとしたのかを思い出したのか、そこから先の言葉を出す事が出来ない。既にコウタの事は眼中にないとばかりにマルグリットは左手の薬指にリングをはめている。お互いが目の前の相手しか見えない様なのか、そのまま唇を寄せようとした瞬間だった。
「違う!」
「私はコウタの物じゃないのよ。何を今さら言ってるの?」
「だから違うんだ!」
先ほどの頬を赤くしたマルグリットは既にそこには居なかった。今のコウタの目の前に居るのはクスクスと笑いながら冷酷な目をした一人の女性にしか見えない。それが何を意味するのかコウタには理解できていた。
「私が誰を好きになろうと貴方には関係無い事よ。もちろん、今後も副隊長だからミッションには付き合うわよ、藤木隊長」
「だから違うんだ!」
絶望に染まろうとした瞬間だった。気が付けば目に飛び込んできたのは自宅にある自分の部屋の天井。先ほどまでの事が夢であった事が漸く理解していた。
気が付けば多量の汗をかいていたのか、シャツはベッタリと張り付いている。母親から言われた言葉なのか、それともノゾミの言葉が引鉄となったのか、先ほどの夢の内容を忘れたいとばかりにコウタは冷蔵庫の水を口にしながら少しだけ落ち着く事が出来ていた。
実際に結末を聞いた事は既に過去の話だが、それでも生々しく感じたのは自身の深層心理なのかもしれないと、コウタは少しだけ考えていた。
冷たい水で少しだけ覚醒したのか、冷静にこれまでの事をゆっくりと思い出す。確かになし崩し的に今は第1部隊の副隊長をやっているが、今後の部隊運営がどうなるのかは誰にも分からないままだった。
事実、今のコウタのポジションはクレイドルも兼用している関係で他の3人に比べれば忙しさは別次元となっていた。情報管理局が来てからは従来の様な部隊運営は殆ど無く、気が付けばマルグリットはエリナと他の部隊の運用を少しづつ手掛ける様になっている。
そしてコウタも新人の指導や部隊の指揮などやるべき事が多くなっていた。そんな中で屋敷で食事した際にマルグリットを見たのはかなり久しぶりの様にも思っていた。
「コウタ。例のシュークリームだけど、どうだった?」
「うん?ああ、ノゾミも美味しかったって」
休暇が終わった事でいつもの日常が戻ってきたのか、コウタの名前を呼んだのはエイジだった。確か休暇の前に言ってたのは試作だからの言葉が漸く思い出される。
コウタにとって悪夢とも言えるそれをずっとひきずっていた結果なのか、コウタは珍しくいつもとは違うテンションにエイジは少しだけ疑問を感じていた。
「それだけ?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
いつもであればもう少しまともな感想が聞けるはずが、その返事は少し違っていた。この休暇に何があったのかは分からないが、何かが無い限りこうまで凹む姿を見る事はあまり無い。何時もと違う事をコウタ自身が気が付かないでいたのか、カウンターの椅子に座ったまま何も話す事は無かった。
「そう言えば、噂だとマルグリット准尉の部隊を立ち上げるらしいぜ」
「マジで!俺立候補しようかな」
「何だよ、お前もかよ」
「当たり前だろ?実力だけじゃなくて見た目も良いし、料理の腕だっていいんだぜ。俺、今回の件でお近づきになれるならと思ってな」
「なんだよ。お前もライバルかよ」
ラウンジのソファーセットで話しているのはまだ上等兵になったばかりのゴッドイーターだった。マルグリットに対する話はコウタは知らないが、エイジはこれまでに何度も聞いている。本来であればコウタに言っても良いのだが、どこまで行ってもそれはお互いのプライバシーであってコウタに言う必要性が無い物だった。
何気に聞いた言葉ではあるが、会話の中に聞き捨てならない話が存在している。作業をしながらでも聞こえる内容にエイジは少しだけ苦笑いを零していた。
「なあ、さっきの話って本当なのか?」
「新設部隊の話?」
突然話かけたのは先ほどの言葉に反応したコウタだった。目の前には何かを察したのかエイジがアイスティーとクッキーを出しながらコウタの言葉に返事する。先ほど話していた男連中は既にミッションに出たのかラウンジに姿は無かった。
「そんな話は聞いてないよ。実際にそんな話があればツバキ教官も何かしら言うと思うよ」
「だよな」
エイジの言葉に今朝の夢の事が嫌でも思い出される。夢だった事は間違い無いが、先ほどの話は間違い無く現実。それが何を意味するのかを考える余裕は既に無くなっていた。