試験運用は途中で些細なトラブルこそ発生したものの、結果的には問題無いと判断されたのか無事に完了していた。
この時点で螺旋の樹に関しては今後の事を決定付ける為に、一先ずは全世界にそれを知らしめる必要がある。その映像を持って行う事により事態の沈静化を図ると同時にフェンリルへのクレームを少なくする為の公営放送が決定されていた。
「しっかし、本部のお偉いさんは何を考えてるんだかね。態々こんな事する必要は無いだろ?」
「それは確かにそうですけど、今回の螺旋の樹に関してはここ以外の地域では結構なクレームと言うか、心配している声がかなり届いてるらしいですよ」
「その辺りは極東の人間は肝が据わってると言うか、おおらかと言うか……」
エイジとリンドウは何故かクレイドルの制服ではなくコックコートを身に纏い、目の前の作業に集中している。エイジが厚く切ったベーコンを焼きながら手際よくパンを切り分けている隣でリンドウは寸胴の中身をかき混ぜる。
既に目の前には大量のお客が並んでいた。
「ちょっとリンドウさん。無駄口叩く暇があったら手を動かしてくださいよ」
「へいへい。なあエイジ、お前の嫁はもう少し何とかならないのか?」
「流石にこれを止めるのは無理ですよ…」
リンドウ達は公営放送の現地でFSDの様にひたすら屋台で手を動かし続けていた。 見れば他とは違いここだけがやたらと長い行列が出来ている。ここで手を止めよう物なら目の前のお客に怒られるのは間違い無い事だけは理解している。
既に手慣れた内容ではあったが、つい昨日まではアラガミと対峙しながら業務に励んでいたはず。事実、今回の事を知ったのは今朝になってからだった。
「って事ですまないが、君達にはFSDの時と同じ様にやって欲しいんだ」
「それは分かりましたが、態々僕らがやる必要性は無いんじゃ……」
支部長室に朝一番で呼ばれたのはリンドウとエイジだった。ここ最近はサテライトの建築が思いの外早い進捗だった事から、通常の教導や討伐任務が今日も入っている。
極東の人間が暇を持て余しているなんて事が無いのは榊が一番知っていたはずだった。しかし、呼ばれた先に聞かされた内容は予定任務とは正反対の内容。
突如として起こった出来事に2人はしばし固まる事しか無かった。
「本当だったらやる必要は無いんだけど、エイジの料理をぜひ出してほしいって要請があったのよ。で、ここに来て貰ったんだけど、話は既にアリサちゃんには伝えてあるから」
「はぁ……って事は当然ミッションは…」
「ええ。もちろん全部キャンセルよ。で、折角だから神機の整備もする様にナオヤには言ってあるから」
弥生の笑顔が全てを物語っていた。アリサとナオヤに手を回されればエイジとてそれ以上は何も出来ない。ミッションには出れないだけでなく、教導もキャンセルされている以上、出来る事はイエスと言うだけだった。
「エイジは分かったんだが、どうして俺なんだ?」
「リンドウさんは、既に溜まっているレポートの一部と交換よ。嫌なら溜まってる書類は今日中に全部仕上げて提出してほしいの」
弥生の言葉にリンドウはそれ以上何も言えなかった。何だかんだとマメに提出しているエイジとは違い、リンドウは良くて期限ギリギリ、悪ければ期限から1週間程遅れる事が殆どだった。
既に期限切れのレポートがどれ程あるのかは端末を開く気にもなれない。それが今日中に全部となれば頷く以外の選択肢はどこにも無かった。
「喜んでやらせて頂きます」
退路を断たれた2人に出来るのはただ頷く事だけ。すべては弥生の計画通りに事が運ばれていた。
「2人ともお疲れ様です」
「そんな事言う暇あるなら少し手伝えよコウタ」
「それってエイジとリンドウさんのミッションですよね。今回はスンマセン」
行列の隙間を縫うかの様にコウタが陣中見舞いにやってくる。既にお客もはけたのか、漸く終わりが見え始めていたのかアリサも少しだけ一息入れていた。
「コウタ、賄いだよ。持って行きなよ」
「サンキュー。まだメシ食ってなかったから助かるよ」
渡された物を見ながらコウタはその場で齧りつく。何時もの様な凝ったメニューではないものの、用意されたのは本部の指示だったのか厚く切ったベーコンのサンドウィッチとコンソメスープだった。
それなりの量があったにも関わらず次々と口の中へと消え去っていく。今回はエイジとリンドウが不在の間はマルグリットと2人で部隊編成を行っていた。
「でも真面目な話なんだけど、聖域に認定したからって何かが分かる訳じゃないんだよな?」
「詳しい事は知らないけど、兄様の話だと対外的な物らしいよ。実際に装置が設置されている場所も内部では無いし、周辺のアラガミを仮に除去した所で根本が変わっていない以上は何の解決にもなってないからね」
先程とは打って変わってコウタは真面目な顔でエイジに確認する。未だ現場に情報が降りてこない以上は推測でしか物事は分からないが、エイジであれば無明経由で何かしら確認出来るのではとの思惑も存在していた。
「そっか……この前の件で多少はガス抜き出来たのは事実だけど、何やっても知らされないとなるとモチベーションがね。俺達は何時もと変わらないんだけど、まだここに来たばかりの連中は良い様に思ってないんだよ」
「……コウタも偶にはまともな話をするんですね。少しだけ関心しました」
「あのな……アリサ、一度その件についてじっくりと話合った方が良いんじゃないか?」
「私は客観的事実を述べただけですよ」
いつものやりとりの向こうではフェルドマンが広域放送をしているのか演説をしていた。コウタだけでなくこの場に居る全員は支部長室で聞かされた事実だった為にそれ以上の関心を持つ事はどこにも無かった。
既に話の内容は終盤にさしかかりつつある。そんな時だった。
「何だ?地震か?」
リンドウの言葉と同時に地震だと思える程にハッキリとした振動は周囲に広がっている。突如として起こった事実に誰もが対処できないままだった。
「コウタ、ちょっとヤバいぞ」
「何だありゃ?」
リンドウの視線の先にはこれまで何も変化が無かったはずの螺旋の樹が大きく動き出していた。これまでの様なつぼみ状のそれがゆっくりと花を咲かせるように開きだす。 それに呼応するかの様に幹の部分も大きく変貌し始めていた。
「先ほどの螺旋の樹に関してだが、少々拙い事になった。既に君達も知っての通りだが、螺旋の樹の周辺に異変が起こった事により外縁部周辺に近づく事すら困難な状況下にある。
現時点での原因は調査中ではあるが、未だ原因は不明のままだ。我々の感知している中では何らかの人為的な要因が関係している様だが、それもあくまでも推測にしか過ぎない」
突如として起こった螺旋の樹の異変は結果的にはこれまで鎮静化した不安を再び煽る結果となっていた。既に周辺部の異変はその場からも確認が取れただけでなく、全世界の放送された事も仇となったのか、これまで以上に周辺地域からの問い合わせが殺到している。
既に起こった事に関してはどうしようもなく、現地の鎮静化がスムーズに運んだのはある意味では僥倖だった。
「それと、残念は結果が一つだけ分かった。現時点を持ってジュリウス元大尉の特異点反応は消失している」
「それって……終末捕喰が再び起こってるって事?」
特異点反応の消失の言葉にその場にいた全員は何も言う事が出来なかった。螺旋の樹は特異点同士がお互いを喰い合っている結果でしかなく、事実、ユノを中心としたブラッドが均衡を保った結果だった。
そのジュリウスの反応が消失した事実はクレイドル以上にブラッドに大きな衝撃をもたらしていた。
「コウタ、まだ決まった訳じゃない」
「しかし、今回の螺旋の樹の発現はお互いの力が均衡した結果である以上、残された時間はそう長くは無いかもしれないね」
榊の言葉に誰がそう考えずにはいられなかった。
お互いの力が均衡する様に出来ただけでも奇跡に等しいにも関わらず、その均衡が崩れれば自動的にそれは再び進行する。既に代替えとなる特異点反応を作り出す事が出来ない以上、他の手段を構築するしか無かった。
「そこでだ。現段階を持ってこれまでやってこなかった螺旋の樹の内部調査を敢行する。
もちろん外縁部に関してはこれまでと同様に進めるつもりではあるが、今回の想定外の出来事が起こった以上、予定していた計画を前倒しする事になる。その為の布石を打つにはそれなりの準備が必要となるのもまた事実だ。我々もただ指を咥えて見ていた訳では無い」
フェルドマンの言葉に揺らぎは無かった。想定外の事実ではあるものの、事前に予定していた内容をそのまま実行に移すだけだったのか、そのまま全員をフライアへと向かわせていた。
「まさかとは思うが……」
リンドウが驚きの声をあげたのは当然だった。訓練所に設置された神機の接合用の台の上には既に所有者がいないジュリウスの神機。その目の前にいるのは特務少尉として赴任してきたリヴィの姿だった。
「そうだ。あれはジュリウス元大尉の神機だ。あれが螺旋の樹を切り開く鍵となる。これまでの調査で分かった事はあれの半分がジュリウス元大尉のオラクル細胞で出来ていると言う事だ。そう言えば意味は分かるだろう」
フェルドマンの言葉にその場にいたリンドウやコウタ直ぐに意味を理解していた。
これまでのゴッドイーターがアラガミ化した場合の処理は既に公式見解として、所有していた神機を持ってその者を討伐するのが望ましく、適合者で無い物はゴッドイーターが完全にアラガミ化してから討伐する以外に手段が無かった。
しかし、その言葉には少しだけ足りない物がある。アラガミ化する直前であれば早急な人間の生命活動を停止させる事も同じ効果があった。しかし、そうなると今度は人道的、かつ倫理的な意味合いが生じてくる。
前者であれば心理的負担は少ないが、後者の手段はアラガミ化してからよりも格段に簡単に出来るが、その分自身が手掛けた事による精神的な葛藤を克服する必要性があった。
本来であればその苦渋の選択に関しては考えるまでもなかったが、これまでにそれが原因で退役した人間は極東支部には居なかった。
「なるほど……だからこそジュリウス君の神機と言う訳か」
榊の言葉が全てを表す。アラガミ化したゴッドイーターを始末するのと変わらないその手段は確かに効率を求めれば致し方ないのかもしれないが、やはりそう考える情報管理局とは相いれないと思うのはある意味では仕方ない事実でもあった。
「それは理解したとして、どうしてコレット特務少尉なんだ?確か神機は一人一人のDNAの塩基配列で決まっているはずだったと記憶しているが?」
ギルの疑問は尤もだった。自分に適合出来ない神機はむりやり接続した人間を捕喰しようと体内に侵入し、内側から喰い破る。これは適合試験の際にこれまで何度も起こった事実であると当時に、ゴッドイーターであれば当たり前の事実でもあった。
既に自分の神機を所有している人間が第二の神機を所有するなどと言った話はこれまでに一度も聞いた事が無い。だからこそ目の前で起こる行為が本当に事実なのか疑わしい気持ちの方が勝っていた。
「それに関しては言うまでもない。コレット特務少尉、準備は良いか?」
作業台の上に置かれた神機を一瞥すると同時にリヴィは当たり前の様にジュリウスの神機の柄を握る。接続の際に確認すべく神機から伸びた触手は当たり前の様にリヴィの腕輪へと接続を試みていた。
「しかし、そのコレット特務少尉?だっけか。随分と無茶な事するよな。いくら適合出来るからと言ってそれが直ぐに実戦に適応できる訳ないんだが」
「だから暫くの間はジュリウスの神機を使って習熟させるらしいよ」
リヴィの神機接合の件は直ぐに技術班にも通達が来ていた。これまでの常識から考えれば、通達された事実が本当ならば拒む必要はどこにもない。ただの整備士であればそれ以上の考えは存在する事は無かった。
時間が遅い事もあったのか、リッカはナオヤと一緒に遅めの食事を取っていた。既に技術班の連中は時間が来たからと担当以外は帰宅している。休憩室に持ち込んだ食事を取りながら、今回の顛末を改めて考えていた。
「……整備士としては言うべき事は無いんだ。ただ、教導を預かる身としては複雑なんだよ。下手に出られて負傷か死なれたらどうるつもりなんだろうな」
ナオヤの言葉にリッカは今まで口に運んでいたていたスプーンを止め、ジッとナオヤの目を見ている。既に教導でこれまでに数えきれない程に対戦してきた人間であると同時に、一人の武術者としての言葉に何か興味があるのは間違い無い。
それが何を意味しているのかを悟ったのか、ナオヤは再びリッカに説明していた。
「神機の適合を果たしたらすぐに実戦をしていたのは、既に過去の話だ。リッカも知っての通りだが、今は一定以上の技術を取得しないと戦場に出れない事は既に常識になりつつある。
ただ、神機の刀身部分を軽く考えていると万が一の時に確実にその刀身パーツは使用者に牙を向くだろうな」
「それってどう言う事?」
「前にも言ったかかもしれないが、それぞれのパーツには最適な間合いと行動原理が必ず要求される。実際に銃身パーツを思い出せば早いが、まさかスナイパーの間合いでショットガンなんて使えないだろ?原理はそれと同じだ」
ナオヤの言葉にリッカも直ぐにその状況が理解出来ていた。ショットガンは近接型の銃身である為に、その射程距離は極めて低い。着弾させるにはかなり距離を詰める必要があるだけでなく、その距離を考えればとてもじゃないが、スナイパーと同列に扱う事が出来ないのは周知の事実だった。
「でも、それだけなら個人の力量でカバー出来るんじゃ……」
「そう。一定レベルなら…だがな」
ナオヤの言葉にリッカはこれまでに手掛けてきた神機パーツについて思い出していた。
極東支部の中で一番の戦闘能力はやはりエイジである。当初、スピアとハンマーが実装された際にも、何となく関心を示していたが、それを手に取る様な素振りは一切無かった。
当時の話からすれば最終的には馴染んだ神機の方が安定しているとの回答ではあったが、当時はリッカもなんとなく程度でしか聞いてなかった。
「自分の命がギリギリのところにまで追い込まれた時に発揮できるのは、結局の所は自分が一番信頼出来るそれだけなんだ。ましてや借り物や間に合わせなんて言語道断だ。
信頼出来ない物に命を預ける事は出来ない。
仮にそれが出来るのならば、余程の馬鹿か達人のどちらかだ。ここは本部じゃない。だからこそ俺としては管理局云々以前に本人の適正が重要だと考えるんだがな」
自分の言いたい事を言ったのか、ナオヤも目の前にあった炒飯をかきこむ。既に時間はそれなりになりつつあったのか、休憩する部屋にはナオヤとリッカしか居なかった。
「さっきのはあくまでも俺の見解だ。実際にコレット特務少尉の技術がどの程度なのかは知らないが、あくまでも本部レベルでの話ならが前提だけどな」
「暫くは習熟期間を設けるらしいし、私の方からも北斗には言っておくよ」
そう言いながら食べ終わった皿を洗い終えると食器棚へとしまい込む。以前にはこの部屋には設置されてなかったが、ここ最近になってから技術班にもミニキッチンが併設されるようになってた。
しかし、現場の叩き上げの人間が利用する機会は無く、実質的にはナオヤが利用している程度だった。
「なあ、たまにはリッカが作った物を食べてみたいと思うんだけど、得意な料理とか無いのか?」
「え?わ、私の?」
「他に誰が居るんだ?」
今日の炒飯もナオヤが作った物をリッカも食べる事になっていた。ここ最近では他のメンバーも材料だけ持ってくる事で頼まれる事は多々あったが、これまでの事を考えると誰もリッカに頼んでいるのを見た記憶は無かった。
「まあ、そのうちに何とか……」
いつもの様な言葉にキレが無いのか、語尾が徐々に小さくなっていく。食べるのも仕事のうちだと考えるナオヤの腕前はそれなりのレベルに達している事をリッカが一番知っている。そんな中で自身の料理を作るのがどれほどハードルが高いのかを改めて考えさせられていた。