「そうか。すぐに調査隊を派遣させよう。弥生君、済まないが彼らを呼んでくれないかい?」
「承知しました」
以前に本部周辺で見かけた原初のアラガミとも言えるキュウビの痕跡が見つかったとの一報が極東支部の榊の下に届いていた。
以前に逃げられた際に付けたマーカーは既に捕喰された事もあってか、現状では探知する事は不可能ではあったが、ここ最近になってから行動範囲が広がったのか、上海やシンガポール支部でも目撃情報は少しづつ出始めていた。
原初のアラガミと名付けた最大の原因はこれまでに一度も見た事が無い程のオラクル細胞の活性化と反応だった。既にソーマ自身が少しづつ研究した結果、このアラガミのオラクル細胞は従来の物とは違い、細胞の一つ一つの動きが活発に動くだけではなく、他の細胞よりも反応が素早い点だった。
オラクル細胞そのものは単独でも学習する事で進化を果たすのが最早常識ではあるが、この細胞に関してはその常識を覆す程の性能を秘めていた。
しかし、それを取得するには討伐の方法しかなく、そうなれば当然どこかで戦う事になる。短期間での進化であれば、あれを保有するアラガミもまた強固な個体である事に変わりはない。
相反する内容ではあるが、それはこの時代では最早当然と考える他無かった。
現在のアラガミ防壁のアップデートだけではなく、神機そのものの性能すらも大幅に底上げできる可能性を秘めたこの細胞を原初のアラガミと名付けた事から『レトロオラクル細胞』と名付けていた。
「忙しい所済まないが、事が事なだけに簡潔に言うよ。キュウビが再びこの近くの支部で姿を現した。今はまだ目撃程度になっているけど、僕は近い将来ここ極東に来るんじゃないかと考えている。
今の所は君達が動く程では無いが、近々調査隊を結成して近隣での警戒に当たってもらう事になる。発見した場合は……頼んだよ」
キュウビの言葉にリンドウとエイジは当時逃げられた事を思い出していた。あれからは姿形は一切見えず、実際に戦った側からすればあの程度で死ぬ可能性は皆無だと考えていた事もあってか、今はそれ以上の事を考える事はしなかった。
被害は無いとは言え、絶対に襲撃しない保証はどこにも無い。今はただその内容を確認しただけに留まっていた。
「哨戒の連中はこれからすぐですか?」
「その件なんだが、先週の時点ではシンガポール支部で発見されただけだね。ただ、討伐に入る前に逃げられたみたいなんだが、痕跡はこれまで解析したデータと一致している以上、間違い無く君達が直接戦った個体に違いないだろうね」
榊の言葉に当時の状況が思い出される。キュウビの攻撃は他のアラガミと比べても決して劣る様な事は一切ない。それだけなく、軽やかに動くその有様は確実に討伐を困難な物へと引き上げていた。
決して驕る訳では無いが、極東で仕留められなかった物が他の支部では相手にすらならないのはある意味では予想通りだった。キュウビを発見したのは偶然にしかすぎず、該当するデータが無かった事もあってか本部に照会した際に、今回の内容がそのまま極東にも届く事になっていた。
「では僕達が行動を起こすのは、キュウビが見つかってからと考えれば良いんですか?」
「現在の所はそう考えてもらっても構わない。ただ、見つかった場合は急遽ミッションを発注する可能性があるからそれでは留意してくれないかな」
「了解しました」
改めて敬礼をすると同時に意識がキュウビへと向かう。未だ見ないアラガミがここに来ると決めた事でリンドウとエイジは再び当時の戦いの二回戦を繰り広げる予感だけが走っていた。
「キュウビが見つかったんですか?」
「ああ。どうやら東南アジア周辺の支部で痕跡だけが発見しれたらしい。榊博士の話だと、恐らくはここ数日の間に現れる可能性が高いって事だけだな」
キュウビ発見の一報はすぐさまクレイドルにも伝えられていた。当時戦ったのはリンドウとエイジだけではない。その場にソーマとアリサも居ただけに、お互いが当時の状況を苦々しく思い出していた。
「って事は、今回の討伐任務は」
「その件に関しては現在の所調整中だ。何せ目撃証言だけだからな。ただ、近日中には第一弾としての調査隊が動く事になる」
直ぐに討伐任務に入るかと考えていたアリサの考えを読んだのか、リンドウは調査隊の名前を出していた。ここ最近は大型種が少なかった事もあってか、サテライトの製造拠点が完成してからは一気に建設の数を増やしていた。
002号サテライトで他のサテライト用の部材を製造すると同時に、現地では時間をかけないやり方が功を奏したのか、いくつものサテライト建設が勢いよく同時に進み始めていた。
「サテライトに関しては今の所は何とも言い難いのもまた事実だな。今は002号のサテライトとネモス・ディアナに主力の一部を派兵している。一旦は戦力の再分配も必要になるかもしれんな」
既に一戦を交えている以上、そこには冷静な分析の結果だけがあった。それぞれが互い思惑を抱えながらにこれから来るであろうアラガミの対処を迫られていた。
「あれがキュウビか。話の通りまるで動物そのものだな」
調査隊が派遣されてから既に1カ月が経過しようとしていた。元々交戦した経緯もあった為に、大よその行動パターンはクレイドルからも提供される事になった。
知能が高い割にどこか野生の動物の様な動きを見せるアラガミの探索には当初の予定以上に困難な物となっていた。従来のアラガミの様な行動パターンは存在せず、事実上の本能の趣くままの行動には、これまで幾つものアラガミを調査したベテランであっても厳しいものだった。
時期的には物資の補給のタイミングが近づきつつある。そんな矢先の出来事だった。
突如として水場を探しに来たのか大型種でもあるキュウビがゆっくりと姿を現す。周囲を警戒するつもりが無いのか、それとも必要が無いからなのか何事も無い様に水場の傍へと歩いていた。
「知能が高いと聞いている。各自警戒だけは緩めるな。撮影班は映像を撮ってるか?」
「こちらは大丈夫です。既に撮影は開始しています」
キュウビとの距離を考えれば聞こえるはずの無い声での会話。キュウビの探索にだされた神機使いはいずれもそれなりに実力があり、アラガミの特徴も理解している。
いかに聴力に優れたアラガミと言えど、聞こえるはずの無い声での会話だったはずが、まるで何かを察知したかの様にキュウビは調査隊へと視線を向けていた。
「全員退避だ!」
これまで生き残った勘が働いたのか、隊長は隠れるつもりが無いとばかりに大声で全員へと指示を出す。
既に察知していたからなのか、既にキュウビは腰から6本のオラクル細胞を噴出しながら、大きなレーザーを上空へと放っていた。
数える事すら出来ないオラクル細胞のレーザーが調査団全員へと向かっている。退避しようにも既にその弾丸の様なレーザーは目の前にまで迫っていた。
「えっ!調査隊が壊滅しただって!」
キュウビの攻撃を受けた事によって派遣したはずの調査隊の全滅の一報が榊の下へと伝わっていた。元々は探索を中心とした部隊を再編制した事で派遣したが、今回のメンバーはいずれもそれなりに実績を残していたメンバーだったにも関わらず、最後に届いた情報は通信の途中で切れていた。
「既に連絡が途絶えてから24時間が経過しています。バイタルのビーコン反応も確認できません」
普段は冷静なはずのフランも榊の叫びに珍しく驚きながらも自身の知っている内容をそのまま伝えている。
今回のサポートを担当していたフランも今回の結果に対しては内心忸怩たる思いがあった。もう少し警戒する事が出来るのであれば、最悪の展開は防げたのかもしれない。もう少し指示が早ければ今頃全滅を免れたかもしれない。
榊の叫びだけではなく、自身の力量までもが嘲笑われた気分だけが自信に残っていた。
「そうか……フラン君、彼らが撮った映像はどうなってる?」
「それに関してはギリギリの所でデータがこちらに転送されています。私もまだ確認はしてませんが、直近で映像データファイルが一件来ています」
言葉と同時に榊の下へも画像データが転送されている。キュウビとの交戦の話をきかなければ脅威としか思えなかった事もあってか、核心したデータを見る榊の目は既に何かを解析している様にも見えていた。
「これが彼らが全滅する寸前に送ってきた画像データだ。実際に交戦した君達から見て、これがお目当てのアラガミだと思うかい?」
画像を見た後の行動は早かった。アナグラの内部で研究していたソーマだけでなく、帰投直後だったリンドウやエイジ、アリサもすぐさま支部長室へと召集する。既に確認したからなのか、当時のメンバーが集まって見た映像は確かに交戦したアラガミのそれだった。
「十中八九そうだと考えるべきだな」
「だろうな。しかし、目測でこの距離の会話が聞こえるのは前よりも強力になったんじゃないか?」
当時キュウビと交戦した際にはここまで聴力が発達した形跡はどこにも無かった。あの当時はまだ単なる大型種にしか過ぎず、聴力もそこまで強固では無かった事だけが思い出されていた。
「あれは取り逃がした事だけじゃなくて多分だけど、結合崩壊させた部分が足りない何かを補う様に進化したのかもしれない」
ソーマとリンドウの言葉にエイジは一つお可能性を考えていた。色んなアラガミが居る中で、このキュウビに関しては未だ研究の途中であると同時に、これまでのアラガミには無かった驚異的な反応がある事だけが現状では分かっている。
そんな中で交戦した結果取り逃がした事で今までの様な形ではなく、別の部分での進化をした可能性がある事が予想されていた。
「って事は前回に交戦したアラガミではあっても、別の個体って事です?」
「それは無いな。これまで調査した結果からすれば、あれは俺達が交戦したキュウビである事には間違い無い。多分レトロオラクル細胞の学習能力の結果から危機管理能力だけが異常に進化したのかもしれない。俺達が研究しているアラガミは完全に解析出来た個体は今までに一つも無い。こうまで急激な進化を成し遂げたのであれば、やはりあのレトロオラクル細胞は今までとは違った性能があると考えた方が良いだろう」
アリサの疑問に答えたのはソーマだった。今回のレトロオラクル細胞を研究していく傍らで、これまで散々研究されたと思われていたオラクル細胞学を改めて検証した結果、完全に解析された種はどこにも無いと言った結論となった。
事実、人類でさえも完全にDNAの塩基配列を解析出来ている訳では無い。それよりもはるかに進化する速度が早いオラクル細胞ともなれば、アラガミとしての個体の対策は出来たとしても、それがどんな結果を及ぼすのかまでは未だ検証されていなかった。
「ほう。もうそこまで知ってたんだね。ソーマの言う通り、アラガミは我々にとっては未知ではあるが未知の生物では無いと言ったある意味矛盾した存在なんだ。事実我々が知り得ている内容なんて物はオラクル細胞全体からすればほんの数パーゼント程度なんだよ。だから最近になっても新たな学説が発表されているんだ」
榊の言葉にクレイドル発足当時の事が思い出されていた。アラガミの規則性と捕喰欲求が研究されたのはまだ記憶に新しい。
常に進化し続ける存在との敵対は嫌が応にも研鑽をし続けなければ、早晩にも人類は絶滅す事になる。確かにこれまでに終末捕喰を何とか回避できたが、その原理と原因については誰も知らない。
精々が仮説の段階でこれが地球の意志ではないのかと言った程度が今の人類が知る限界でもあった。
「とりあえずは見つかってからの対処しか出来ないと考えて良いんですよね?」
「そうなるな。まだ極東の圏内での目撃情報は無いのであれば、暫くの間は各部隊にも通達した方が良いだろう」
調査隊の壊滅がどれ程の物になるのかを知らない神機使いは極東支部には居ない。アリサとてそれを理解しているからこそ今後のサテライトの建設にも影響が出る可能性を考えていたのか、ソーマの言葉に終始何かを考えていた。
それがいかに脅威であるのかを何も知らないままであれば危険しか無い以上、今は内部通達で注意喚起する以外には何も出来ないでいた。
《帰投の際にも警戒を怠らない様にお願いします》
「了解しました。帰投の際にも警戒を怠らない様にしますので」
今回の内容は全部隊に即時通達されていた。キュウビの話は詳細はともかくどんな形状をしているのかは聞いているも、実際にはどれ程の力を有しているのかすら分からないのであれば、今はただ警戒する以外には何も出来ない。
現状ではミッション帰投中のブラッドにも他の部隊同様に通達がされていた。
「シエル。何か起きたのか?」
「先ほどヒバリさんから連絡がありました。北斗もクレイドルがキュウビを追いかけているのは知ってると思いますが、今回の調査隊が壊滅に追い込まれたのと同時に、クレイドルが本部付近で交戦した当時よりも強固な個体となっているそうです。
現状では極東支部ではまだ観測されていませんが、今後の可能性を考慮すれば警戒した方が良いと榊博士が判断したそうです」
「確か、原初のアラガミって言ってたあれだよな?」
「そうですね。我々が現在の出動中の部隊で一番の遠隔地にいるので、通達があったそうです」
ミッションの帰投中に突如として入電した内容はブラッドを警戒させるには十分すぎる内容だった。
今回は珍しく感応種の討伐だった事もあり、何時もよりも携行品を多めに持ったミッションではあったが、想定外のアラガミの侵入もあってか、通常のミッションと大差無い結果に終わっていた。
「でも、キュウビだっけ。確か先週の話だとシンガポール支部で見かけた後で調査隊が壊滅したんだよね。ひょっとして近くまで来てるのかな」
「詳しい事は分かりませんが、現状は警戒を緩めない様にするのがアナグラからの命令ですので、今後は警戒しながらになります」
シエルとナナが話をしている際に、北斗はふと今回のミッションの内容を思い出していた。
感応種との戦いは既にそれなりの数に上ってはいたが、問題だったのは侵入するアラガミの数だった。本来であればこうまで膨れ上がる事はあまりなく、また感応種との戦いであれば、案外と侵入する個体は今までの経験からすればそう多くないのが通常だった。
今回の内容であれば、本来ならば即時撤退の考えもあったが、やはり相手が感応種である事からもその考えを捨て去りそのまま討伐任務に入った形となっていた。
「あっ!ヘリが来たよ!」
ナナの言葉と同時にヘリが近づく音が聞こえている。これで漸く帰投に入ろうかと思った瞬間だった。まるで待ち伏せしたかの様にオラクルが対空砲の様にヘリへと襲い掛かる。
本来であれば対アラガミ装甲を備えたヘリであれば余程の事が無い限り、アラガミの攻撃には一定レベルであれば耐える事が出来る、にも関わらず目の前で起こった惨状は既にその事実を忘れさせようとしていた。