神を喰らいし者と影   作:無為の極

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番外編8 開発は程々に

 フライアが極東に来てからどれ程の期間が過ぎたのだろうか。当初は困惑しながらも持ち前の人当たりの良さが功を奏したからなのか、ブラッドの中でも比較的ロミオとナナがこの環境に慣れ始めていた。一度突破口が出来れば、後はそのまま流れるかの様に周囲に馴染む。

 徐々にこの環境に馴染んできたのか、最近ではブラッド全体も元々からここに居たかの様に周りも慣れ始め出していた。

 

 

「ねぇロミオ先輩。ここの居住区にある自動販売機なんだけど、1個だけ常に売り切れになってる飲み物があるんだけど、あれって何か知ってる?」

 

「ああ、あれだよな?実は俺も気になったからコウタさんに聞いたんだけど、何だか嫌そうな顔して何も教えてくれなかったんだよな」

 

「そうなんだ。でもあの初恋ジュースってどんな味なんだろうね。何だか気になるんだよね」

 

 アナグラには基本的にラウンジもあるが、このスペースでここの全員の食事を賄うのは事実上不可能だった。あくまでも憩いの場であって、決して生活の場では無い。

 だからこそ非日常を求める事で何かと活用される事が多かった。そんな中、居住スペースに必ず設置されているのが自動販売機。少し喉が渇いた際にはすぐに解消出来る様にと設置されていた。

 

 

「おや。君達は初恋ジュースに感心があるのかい?」

 

 そんな話の中、まさかこんな所で会う可能性が全くないはずの榊が2人の背後から声をかけていた。

 

 

「榊博士は初恋ジュースの事を知ってるんですか?」

 

「良い質問だねロミオ君。実は初恋ジュースは僕が開発した物なんだが、諸般の事情で発売が終了してね。今は完全に販売停止となってるんだよ」

 

「そうだったんですか」

 

 この2人は何も知らなかったが、かつてこのアナグラを阿鼻叫喚の地獄に叩き落とした禁断の飲み物。

 古参の人間なら、誰もが未だにトラウマレベルとも言われるあまりの味わいに一時は大事になる可能性もあった。当時の説得によって現在はまるでそんな物など何も知らないとまで思われる程の代物。

 勿論、新人はそんな物があった事すら知らない以上、ブラッドもまた同様だった。

 

 

「実は、この初恋ジュースの続編とも言える内容の物を開発しようと考えているんだが、実の所難航していてね。で、今回はそんな事情も踏まえて各方面でデータの採取をしている所なんだよ」

 

 この情熱は一体どこから来るのだろうか。ここで当時の状況を知っている人間が居れば間違いなくその情熱をもっと業務の方に傾けてほしいと考えるが、この場にはそのツッコミを止める者は居ない。

 何も知らないとは言え、ここまで並々ならない情熱を語られた事で感化されたのか、ナナの何かが目覚めようとしていた。

 

 

「榊博士。やっぱりここは周りの話を聞く事で今後の方針を決めるのが一番だと考えます」

 

「そうか。ナナ君はやる気になってくれたかい。これは心強いね。では済まないが世間が何を求めているのかリサーチしてくれるかい?」

 

「了解しました!」

 

 こうして第二の初恋ジュースの開発プロジェクトは密かにスタートする事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり聞くならラウンジが一番だよね」

 

 ナナが言う様に何だかんだとラウンジが一番人が来ると同時に、色々な人の嗜好が一番良く分かる。折角の施設を利用しない手はない。

 そう考えながらにロミオと一緒にまずは色々と眺める事に決めていた。

 

 

「エリナ。紅茶の道は一朝一夕で極める事など到底不可能とも言えるんだ!それ故に確実な知識と紅茶に対する愛情が更なる味わいを生み出すのは至極当然の話であろう!」

 

「なんで一々そんな事を言う訳?さっさと入れれば良いでしょう!」

 

 そこには予想通りとも言える様なやり取りが行われていた。

 このアナグラの中でエミールの存在は色々な意味で異質だった。貴族特有の紅茶の薀蓄から始まり、それを実践するかの様に淹れた物は通常以上の味わいがある。紅茶特有の香りと味わいはエミールが一番だった。それが理解出来るからなのか、エリナも黙って飲む事しか出来なかった。

 

 

「エリナさん。エミールさんの紅茶って美味しいんですか?」

 

「あ、ナナさんですか。エミールは紅茶を淹れる事に関しては悔しいんですけど私よりも数段も上なんです」

 

「なるほど……紅茶味もアリと」

 

 普段は余り紅茶を飲まないナナもエミールが淹れた紅茶に関しては確かに他の人よりも味わい深い事には同意できた。同じブラッドの中で言えば、恐らくはギルが一番理解しているのかもしれない。残念ながらナナはそこまで紅茶に対しての思い入れは無かった。しかし、データとしては必要だと心のメモに留めていた。

 

 基本的にナナは紅茶を飲む事が少ない為に理解はしにくいものの、他の人の話から総合的に判断すれば、やはり紅茶に関しては上位に入る事だけは理解出来ていた。

 

 

「アリサさん。アリサさんが普段飲んでいる飲み物ってなんですか?」

 

 この場ではロミオが聞くのだが、アリサに関してはエイジとの話を聞いてからどこか一線を引いている様にも見える。それともこの場はナナに任せた方が何かと都合が良いのか、ロミオは沈黙を保ったままだった。

 

 

「そうですね……色々と飲んでるとは思いますけど、私の場合は場所に応じてって考えるのが一番かもしれませんね」

 

「そうなんですか?」

 

 アリサは基本的には何が好きとは考えていなかった。アナグラに居る際には色々な飲み物を飲んでいる。

 統計を取った訳では無いが、恐らくはエイジと居れば緑茶か抹茶が一番頻度が高くなっていた。

 

 屋敷ではコーヒーや紅茶ではなく緑茶や抹茶が出る事が多く、アリサも事実として好んで飲んでいる事が多かった。それ故に何が一番と聞かれれば回答にはかなり困る。

 改めてそう考えると、明確な答えが思い浮かばなかった。

 

 

「でも、単純に飲み物だけとは考えにくい様な気はしますよ。でも、どうしたんですか急に?」

 

「実は榊博士から初恋ジュースの話を聞いたんですけど、それの続編を考えているらしく、今はその為のリサーチです」

 

「初恋ジュース………まさか、あの恐怖の再来が……至急対策を」

 

 会話の最後にアリサが何かを呟いていたが、その言葉は誰の耳にも届いていなかった。何気に言われた事でナナはここで考えを一旦自身に置き換えて考えていた。

 

 確かに喉が渇けば単体で飲むのが一番だが、リラックスしたい時は必ず何かがそこには存在いていた。

 事実として合う合わないは横に置いても、ソウルフードでもあるおでんパンがそこにある以上、単純に何かだけを特定するのは難しいと考えていた。

 

 

「ロミオ先輩。私重大な何かを見逃していた気がする」

 

「何だよ突然。で、何を見逃してたんだ?」

 

 当然のナナの発言に一体何が起こったのか、ロミオは理解する事は出来なかった。

 

 

「ほら、料理なんかだとよく飲み物と食事のバランス?だったかな。ほら食べ合わせって言葉が極東にはあるんだから、やっぱりここは食べ物と合わせるのが一番と思うんだ」

 

「ええ~そうか?それってナナが何か食べたいだけじゃないのか?」

 

「ロミオ先輩。そこは黙って女の子の言う事を聞くのが男前なんだよ。そうじゃないとモテないんだから」

 

「いや。それは無いって」

 

 まさかそんなツッコミが入ると思ってなかったのか、ロミオの口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。しかし、先ほどまでの飲み物のリサーチだったはずが、気が付けば食べ物の話になっている事には気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたいた。ロミオ、アリサから聞いたんだけど榊博士がまた何かを作る計画をしてるんだって?」

 

 その後の調査は難航し始めていた。原因を作ったのは誰でも無かったが、既に考えが飲み物ではなくその食べ合わせとなっている事に気が付かないまま現状に至っていた。

 そもそも食べ物と合わせる時点で榊の目的から大きく逸脱している。ロミオは少しだけ気が付いていたが、それ以上は藪蛇とばかりに口を開く事は無かった。

 そんな2人を捜していたのか、コウタが何か言いたげな表情のままやってきた。

 

 

「そうなんですけど…コウタさん。それがどうかしたんですか?」

 

「あのさ、初恋ジュースを飲んだ事は無かったんだよな?」

 

「ひょっとしてあるんですか?」

 

 恐らくは何も知らないからからこそ初恋ジュースの続編に疑問が出ていなかった可能性が極めて高いとコウタは判断していた。

 先程何か慌てた様子のアリサを見た際には珍しいとも考えていたが、アリサが慌てるのであれば余程の大事であるだろうと、落ち着かせた所で漸く話の本筋が語られていた。

 

 アリサからの聞き取りでまさかそんな事態になっていると考えていなかったからなのか、この時点で在庫が無い初恋ジュースの再現をコウタはエイジに頼んでいた。

 成分は分からないが、あの味を思い出すと気分も悪くなる。その可能性を避けるべく事前に手を打つ事を考えていた。

 

 

「いや。もう再販はしないから、改めて作ったんだよ。何をしようとしていたのかは……まぁ、言うよりも経験した方が早いだろうから、まずは飲んでくれ」

 

 コウタが差し出した物は綺麗なピンク色の飲み物だった。

 何となくコウタの言い方に感づいたのか、ナナは口にしようとはしない。これのどこに問題点があるのだろうか?そんな疑問がロミオにはあった。

 

 

「あれ?ナナが飲まないのか?」

 

「ちょっと食べ合わせの事を考えてるから、良かったらロミオ先輩からどうぞ」

 

「そうか?じゃあ、遠慮なく」

 

 笑顔の中にどこか伺っている様にも思える程の言動にロミオも一瞬首を傾げそうにななっていた。いつもであれば、この状況下でナナが遠慮する必要はどこにも無い。にも拘わらずこの態度は何かある事だけは間違いなかった。

 態々コウタが用意した物をそのまま放置する訳にもいかない。少しばかり匂いを嗅いでロミオはそのまま一口飲んでみた。

 口の中に拡がるのは言葉には言い表せない程に色んな味が時間差で襲い掛かる。何かおぞましい物でも口に入れたかの様にロミオの反応が怪しくなりだしていた。

 

「……こ、コウタさん。これ…って……」

 

「これが初恋ジュースの味だよ。これでもまだマイルドになってるんだ。本家はもっと味わいが尖った感じで口に入れた途端吐き出したくなる味だよ」

 

 以前販売された際に、コウタは色んな人のそれぞれ振舞っていた。

 当時はまだどんな物なのか分からなかった事もあり、誰も疑う事も無く口に含んでいたが、その後手痛いしっぺ返しを食らい、一人で何本か飲む羽目になっていた。

 ロミオに言いながらも当時の状況を思い出したのか、コウタはどこか遠い目をしていた。

 

 

「ナナもどう?飲んでみる?」

 

 飲みかけではあるが、ロミオの状況を見れば、それを自らが進んで飲みたいと思う道理はどこにもなかった。

 見た目はファンシーだが、味わいが破綻している。だから先程のアリサの様子がおかしかったのと、今のコウタの様子がおかしかった事に合点していた。

 

 

「わ、私は遠慮しておきます」

 

 この時代に食べ物は貴重だと誰もが理解している。しかし、そんな概念を目の前にある見た目だけは良さげなジュースはその期待を違う意味で裏切る様な代物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、あの2人は結局何がしたかったの?」

 

 ミッションから帰投し、今は休憩だからとエイジはムツミとお茶菓子となる物を作っていた。

 先程コウタから依頼された物を作った際には以前の様な悪戯なのかとも考えていたが、それなら態々少量だけ作るとは考えにくく、また当時の状況を知っている者からすれば、恐らくそんな事はしないだろうとも思っていた。

 だからこそ、初恋ジュースの類似品の作成を依頼された際にはコウタに疑惑の目を向けていた。

 

 

「なんでも榊博士から初恋ジュースの続編となる物を作成する際に、世間へのリサーチを依頼されたらしいんだよな」

 

「まだ諦めてなかったんだ……」

 

 以前に納豆を作った際にも同じ様な事を言われた記憶が確かにあった。

 あの時は今後も改良するからと一旦は棚上げになっていた記憶があったが、どうやらその考えは未だに残っていたのか、まさかこんな場面で再燃するとは思っても無かった。

 このままだと当時の二の舞とあんる可能性が極めて高い。そんな気持ちを察したのかコウタも苦笑いしたままだった。

 

 

「でも、そんな事を考える位の余裕が出来たって前向きに解釈すれば良いんじゃないかな?」

 

「でもさ、いくらなんでもあれは無いって。あの時のアナグラは思い出したくないぞ」

 

「それはコウタが面白半分でやらかしたんだろ?」

 

「そりゃそうだけどさ…でもあの時のソーマの顔は面白かったな。そう言えばソーマってそろそろこっちに戻るんだっけ?」

 

「確かそうだった記憶があるかな」

 

 初恋ジュース紛いの物が物の見事に効果があったのか、2人はそれ以上の事は何もする事は無かった。

 そんなやりとりにムツミはキョトンとしながらもエイジを一緒にお菓子作りに精を出す。そんな日常の空気が拡がっていた。

 

 今はクレイドルとしてソーマは遠征をしているが、エイジもリンドウとそろそろ次の任務が入る可能性が高い。そんな事が理解できるからこそエイジはムツミと試作を作りながらに、レシピを教えていた。

 

 エイジが帰ってきてからは以前同様にオヤツが何か出ているからなのか、以前よりもラウンジへと足を運ぶ人数が多くなっていた。

 もちろん人員に余裕があるからこそ出来る話だが、これがムツミ一人では厳しい状況に陥るのは間違いない。となれば簡単に出来る様な物があれば困る事は無いだろうと、なにかにつけて任務が終われば2人で居る事が多くなっていた。

 

 

「エイジさん。お願いがあるんですが…」

 

 そんなやりとりを他所にナナが珍しくエイジに依頼をしてくる。一体何なのかは分からないが、取敢えずは聞くだけ聞いてみる事にしていた。

 

 

「お願いって何?」

 

「実は、過去のアーカイブで見たんですが、おでんって色んな味があるみたいなんで、それを教えて欲しいな~と思ったんですが」

 

 どうやら初恋ジュースの事は諦めた様だが、今度は違う何かを発見していたのか、いつもよりも真剣な表情をしている。

 教えるのは構わないが、下手に色々とやると、今度はアリサが臍を曲げる可能性があった。周囲は知らないが、最近になってアリサも料理に目覚めたのか色々とエイジに聞いて来る事が多くなっていた。そこには様々な思惑が絡んでいるが、料理に関してはエイジも真剣に教えている。だからこそナナの言葉を聞いた際には少しだけ考える部分があった。

 出来ることなら穏やかに過ごしたい気持ちもあったのか、今回の件とは別件で榊博士から依頼されていた物があった事を思い出していた。

 

 

「確かに色々とあるけど…そうだ。おでんなんだけど、これ榊博士から依頼された新しいレーションの代用品なんだよ。これの試食なんてどう?」

 

 そう言いながら無地の缶を取り出していた。先ほどのおでんとどう関係があるのか、ナナだけではなく、コウタも疑問しか出てこなかった。

 レーションの代わりとなるならば、今後は市販化される可能性が高い。中身は見えなくても開発した人間が目の前に居るのであれば味は保障されているとすれば、断る要因はどこにも無かった。

 

 

「へ~珍しいな。今までこんな物無かったよな?」

 

「これはサテライトに配布予定のレーションなんだよ。中にはおでんが入ってるんだ。これはいくつかの種類があるから、これを比べるのはどうかな?」

 

 そう言いながらエイジがパカッと蓋を開けると中にはおでんの具が出汁の中に沈んでいる。出汁は灰汁が浮く事なく澄み切っている為に中身は直ぐに確認出来ていた。

 よく見れば出汁の色が微妙に違う。用意された物は魚介をベースにした物と獣脂をベースにした物の2種類があった。

 

 

「あの…これ良いんですか?」

 

「試作だからね。あとは数種類のバリエーションがあればそのまま流通する事になるよ」

 

 そう言うと同時にコウタとナナは少しづつ食べ始めていた。中の具材も違えば味わいも違う。これならば一石二鳥だと考え様子を見ていた。

 

 

「コウタさん。これは大発明だよ。いますぐ製品化しないと世間に申し訳ないと思うんだ!」

 

「う~ん。確かにそれは言えるな。エイジ、この後これどうなるんだ?」

 

「承認されればあとは一気に流れるから多分承認が出次第って所だね」

 

 そう言いながらに今後の予定を確認していた。

 食品に関しては試作を何度か重ねた結果、製品化する運びとなっているが、このおでん缶をよほど気に行ったのか、以前と同様の光景が思い出されていた。

 

 

「これ、ヤバいな。レーションの域を超えてるぞ」

 

「コウタさん。これ早く製品化してほしいです」

 

「榊博士にはジュースじゃなくてこっちを優先してもらうのが一番だな」

 

 恐らくはこうなると早くなる事を考えながら、今は2人の様子を伺っていた。

 

 エイジの予想が的中したのかその2週間後には新たなレーションと同時に手ごろな大きさから、自動販売機にも売られる様になり、それと同時に初恋ジュースの気配が消え去っていた。

 

 

 


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