北斗がラウンジに付く頃には既にその結果がもたらされていたのか、ロミオとシエルが待っていた。どこまでの話が2人に聞かされていたのかは分からない。元々今回のミッションは様々なイレギュラーが重なった結果でしかなかった。
今のブラッドのレベルでの接触禁忌種は到底許される内容では無いからなのか、心配気な表情が北斗を見た途端に和らいでいた。
「お帰りなさい。話はギルから聞きました。かなり大変だったようですね」
「まぁ、大変なんてもんじゃなかったかな。出来る事なら暫くはあんな強力な個体との戦いはお腹一杯って所だ」
シエルの言葉に先程までの戦いの内容は既に知らされている事は明白だった。
ミッションの内容はともかく、ギルの個人的な話は聞かされていなかったからのか、シエルはあくまでもアラガミに関する事を口にしている。だからなのか、北斗もその件に関しては言及を避けていた。
「しっかし、カリギュラなんて接触禁忌種なんだろ?よく無事で帰ってこれたよな」
「無事は無事でしたが、神機はダメになってますから、そう考えると無事とは言い難いですね。恐らく神機の強化が後少しでも足りなければ俺が真っ二つでしたよ」
何気ない北斗の一言にロミオとシエルの顔色が一気に悪くなる様にも思えていた。
神機の強化は強いアラガミが出れば、それに伴って強化しなければ、やがては自身の命を預ける事が出来ない。事実、ここに来てからの神機の強化とアップデートが一番最初に行われていたのはブラッドのメンバー全員の記憶に残っている様だった。そんな中での北斗の言葉。それが何を意味するのかは言うまでも無かった。
「でも、神機は大破じゃなくてジョイントの部分だったんだろ?だったら問題無いんじゃないのか?」
ロミオの疑問は尤もだった。盾や刀身が割れたり折れたりすれば、改めて更新するにも膨大な時間とコストがかかる。そう考えれば今回の破損した部分がジョイントであるならば、見た目は問題無い様にも見える為に、どうしても大事の様には思えなかった。
「ロミオ。神機のジョイントはある意味生命線です。稼動変形が出来るのは当然とは言えますが、今回は偶然最後まで稼働しただけの話であって、万が一途中で止まる様な事があれば、最悪はコアの部分が大破して永久に使用する事が出来なくなります。そうなればもはや適合する神機が無い以上、最悪はそのまま引退となる恐れもあるんですよ」
シエルの言葉に今回の内容がどれほど重篤な状況だったのかが改めて思いやられていた。
神機が適合するのはコンピューターのマッチングの結果とは言え、そう個人にあった神機が頻繁に出来る訳では無い。
だからこそ、神機は自分自身の相棒でもあり、また命を預ける事が出来る存在でもあった。
「そうなんだ……って事は修理までかなり時間がかかるんだよな?それまでの間のミッションはどうするんだ?」
「ロミオ先輩。それならリッカさんから聞いたんですが2日位で完全に修出来るらしいですよ」
「マジか……流石は極東。俺の想像を遥かに越えてるよ」
そんな状況の神機が僅か2日で修理できるとは考えていなかったのか、ロミオだけではなくシエルも聞かされた当初は驚いていた。激戦区故のノウハウがあるのか、それとも整備士としての腕前の良さから来るものなのか、2人はただ驚きを隠す事は無かった。
「でも、貸しだって言われたから、ひょっとしたら今後は何か無理難題がくるかもね」
「それなら私に声をかけてくれれば一緒に動く事は出来ますから、多少のお手伝い位は出来るかと思います」
「そう?だったら真っ先に声を掛けさせてもらうよ」
「はい」
この2人に何かあったのだろうか?ここに来てからのシエルは少しづつ心を開いている様にも見える。ただし北斗限定ではあるが。
任務に関する話をしているにも関わらず、どこか桃色な空気が漂っている。そんなやりとりを目の前にロミオも面白く感じる事は無い。
そんな2人を何となく見ながらも取敢えずは勝手に打ち上げとばかりにカウンターへと向かう。何か飲み物でも頼もうかとロミオは目の前のムツミに声をかけていた。
「なになに?みんなで楽しそうだね」
「取り合えずは例のアラガミを倒したから、ここで休憩だ」
北斗は炭酸が効いた辛口のジンジャーエールを飲みながら、出てきたマフィンを口にした時だった。何か用事を済ませたのかジュリウスとナナがこちらに来ていた。
そう言えば出動前の話では今回の任務にあたって局長以下、幹部の署名を貰っていると言っていた事を思い出していた。あの利己的なグレムがおいそれと署名をするとは思えない。一体どんな方法でさせたのか、北斗は少しだけ気になっていた。
だからなのか、北斗は恐る恐るジュリウスに確認する事にしていた。
「なぁジュリウス。例の署名の件なんだけど、一体どうやって貰ったんだ?」
「署名?一体何の事だ?」
「ほら、ギルの任務の前の話だけど」
この時点で漸く何の話をしているのかジュリウスも理解していた。確かにあの時のジュリウスはツバキに対し、署名を貰っていると発言したからこそツバキが容認したと考えていた。
既にグレムのイメージは神機兵の事件から誰も信用している様には思えず、また部下の命よりも己の収益方が大事だと公言する様な人物であるのは明白。特に今回の件はマイナスにこそなってもプラスに働く事は何も無いとさえ考えていた。
「ああ、あの件か。それならブラフだ。お前が気にする必要は無い」
「は?」
ジュリウスの言葉に北斗の動きが止まる。まさか何もしていないにも関わらず、あの緊迫した空気の中でそんな事が出来るとは北斗も考えていなかった。
「ブラフって……万が一の事があったらどうするつもりだったんだ?」
「愚問だな。俺はお前とギルの能力を信じたからからこそ、問題無く討伐が出来る方にBETしたんだ。負けたら負けた時に考えるさ」
「……そうか」
あまりにもあっけらかんとした物言いに流石の北斗も何も言う言葉が見当たらなかった。
確かに結果オーライではあったが、万が一の際にはフライアだけではなくクレイドルまでも巻き込んだ大問題に発展する可能性すらあった。
もちろん北斗としてもこんな所で負けるつもりは毛頭無い。しかし戦いに絶対は存在しない。にもかからず言い放つとなれば責任の所在は間違い無くジュリウスに降りかかる。
それを知ってもなお、あの迫力を真っ向から受け止めたジュリウスの胆力にただ驚いていた。
「北斗、どうかしたのか?」
「ちょっと理解が追い付かなくなっただけです。ジュリウスは凄いと思っただけなので」
「お前たちの尻拭いをするのも隊長としての役割だ。そんな事を気にする必要は要らないだろう」
隊長としての責務だと言われればそれ以上の事は何も言えない。隊長の責務がこれならば万が一これが自分だったらそんな事が平然と出来たのだろうか。
今はただジュリウスの隊長としての器の大きさに驚いていた。
「よぉ。今日はお疲れさん」
「すみませんリンドウさん。俺達の私怨の結果で懲罰くらうなんて…」
食事が終わる頃リンドウはハルオミとギルを誘って3人で飲んでいた。今回の任務は元々クレイドルが請け負っていた任務。それに横槍を入れた形で受注する代わりに、騒動の原因を作った罪でリンドウが結果的に懲罰を受ける結果となっていた。
「よせやい。そんな事気にするなよ。大体懲罰って言ってもクレイドルはただでさえ人員が足りないから独房に入るなんて事は無い。だからハルオミが気にする要素はどこには無いんだ」
「リンドウさん。ハルさん。ありがとうございました。俺も何か吹っ切れた様な気がします」
その場に居た事を考えればギルの言葉はいささか不釣合いにも聞こえていた。
私怨を晴らすと言う名目であればハルオミだけではなくギルも同じ。本来であれば同様に懲罰動議の対象だと考える事も出来ていた。
しかし結果は帰投した直後に出迎えたツバキが発したのは、リンドウに対してだけの懲罰。2人に関してはまさかのお咎め無しの結果だった。
「お前さん。俺にそれを言うのはお門違いだ。それならブラッドの副隊長さんに言うんだな。ここでは仲間が殉職なんて日常茶飯事だ。全員が出動すれば誰かが毎回殉職してくる。確かにここ数年で技術は一気に上がったからそこまでにはならないにしても、それでも最低でも1週間で一人位は出るんだ。ここではそんな考えがある意味珍しいと姉上も感じたんじゃないか?」
「それでもリンドウさんが懲罰だと俺もハルさんも気が知れないんで」
「だから懲罰って言っても、そんな独房入りなんて事は無いさ。俺の今回の懲罰に関してもあの場で状況を引き締める為の物だから、見せしめの意味合いの方が大きいだけだ」
確かにツバキの口から懲罰の話は出たが、肝心の内容に関してはリンドウ以外には誰も知らない。だからこそハルオミもギルも気になっていた。
「で、実際には何をさせられるんです?」
「俺の場合はな……3ヶ月間の嗜好品チケットの発券禁止とそれの行使権の停止だ」
「……え?それだけ…ですか?」
斜め上の発言にハルオミもギルもそれが一体何を意味するのか理解出来なかった。
リンドウはどこか遠い目をしたまま何となく虚ろな表情をしている。恐らくは肉体的な劫罰ではなく、精神的な懲罰の意味合いが多いのだろう。
誰が言った訳では無いが何となくそんな風に感じていた。
「ああ、リンドウさん。ここだったんですか。先程ツバキ教官から聞きましたよ。上級嗜好品の発券禁止が懲罰らしいですね」
リンドウの遠い目をしている理由を知っているであろう人物がラウンジへと入ってきた。一人では無く隣にはアリサが居る以上、誰なのかは直ぐに理解していた。
「エイジさん。それはどう言う意味なんです?」
ギルもその答えが知りたかったのか、そのままカウンターの中へと入るエイジに確認する。アリサは当たり前の様にその前に座っていた。
「言葉の通りですよ。それと兄様から伝言があります。この期間中は来ても酒類の提供は一切しないとの事です」
「……無明が本当にそれを言ったのか?」
「エイジがリンドウさんに嘘を吐くメリットがどこにも無いですよ。因みに今回の件は既にサクヤさんも知ってますよ。サクヤさんは喜んでましたけどね」
「マジか……」
追い打ちをかける様にアリサからも事実を告げられた事で漸くハルオミとギルも意味が理解出来た。上級嗜好品のチケットは中々手に入る事がなく、本来であれば佐官級でなければ支給されない。
偶々クレイドルは本部に認められている事から特例として支給されていた物だった。
「そうだったんです?だったら俺がリンドウさんに奢りますよ」
「持つべきものはハルオミだね。そうだエイジ。折角だならなんか摘み作ってくれ。少し小腹が減ったからさ」
そう言うとカウンターの下からはブルスケッタが出てきていた。恐らくは何かしら作るつもりだったのか、言うと同時に提供されたあたりがリンドウとエイジの付き合いの長さを証明している様だった。
「北斗。昨日はすまなかった。お蔭で助かった」
翌朝、北斗が朝食を食べに来ると、既にギルが居た為にそのまま話ながらに食事をする事になっていた。神機が大破している以上、今の北斗には精々訓練をする以外に何も出来ず、また昨日の激戦の疲労を癒す名目でそのまま休暇を取っていた。
「何時もの任務だから気にする必要は無い。大体の事はハルオミさんから聞いてたから知ってるつもりだが、ギルはもう良かったのか?」
敢えて何に対してと言われなかったが、北斗の言葉は暗にグラスゴーでの事を指していた。
当初ハルオミから聞いた話はある意味神機使いとしては至極当然の処置でもあった。
事実、本部の査問委員会でも問題無しと言われたのが何よりの証拠でもあった。しかし、世間はそんな風に考える事はない。
一部のマスコミからは心無い報道をされ、情報は正しい物が捏造に次ぐ捏造から事実は徐々に塗り替えられていた。
このままでは社会問題になるかと思われた際のフライアへの異動は正に渡りに船とも言える状況でもあった。
「ああ、今回の件はあのアラガミを討伐した事で俺の復讐心も消えたのかもしれない。……いや、正確にはただの自己満足なだけだ。倒した所でケイトさんが生き返る訳でもない。多分、今迄の俺は復讐心に憑りつかれていた事で回りが何も見えてなかったんだろうな」
「その一言が今のギルの全てと取れていた。以前、ここで早朝に会った様な表情は既に無く、どこか晴れ晴れとした様な雰囲気が漂っている。
まるで憑き物が落ちたかの様な表情から、今後は前を向いて歩く事が出来る事だけはすぐに想像が出来ていた。
「あれ?こんな時間にギルが居るなんて珍しいね。今日はどうしたの?」
シリアスな空気を壊すかの様に朝から元気いっぱいでナナが入ってきた。これが何時もの日常なんだと嫌でも認識させられる。これからまた1日が始まろうとしていた。
「これがサテライトか~ニュースで見てたから知ってたつもりだったけど、実際はこんなだったんだ」
今日は特に大きなミッションが発注される事も無かったのと同時に、ユノが慰問の為にサテライトに行くついでとばかりにブラッドも同行していた。
本部の直属の部隊であれば、極東で何をしているのかを知っていても損にはならない。今の極東を知ってもらう為にと案内しているサツキと共に002建設予定地へと来ていた。
名目上は予定地だが、実際には家屋などの建物も大よそ出来上がっている。これならば、既に完成している様にも思えていた。
「そうだな。まさかここまでとは思ってもなかったな」
「そうですね。建物はまだ未完成な物も多いですが、これだと予定地ではなく既に建設完了と言った所ではないでしょうか?」
各自が感心しながら、あちこちを見て回っている。事実、建設が完了した建物も幾つかあった為に、ある程度の骨子は出来ているが、それでも外部居住区に比べればまだまだと言える内容だった。
初めて来たのであればある程度は仕方ない様にも思える。がしかし、それでもどこか他人事の様な感想にサツキは少しだけイラついていた。
「これを見て完成だなんて話になりませんよ。これはあくまでも赤い雨の対策で暫定的に建設しているだけで、実際には住環境が良いとはお世辞にも言えないんです」
「しかし、ここまでの内容であれば及第点と言っても良いのでは?」
どこか苛ついた気分を持ちながら案内していたサツキだが、余程癇に障ったからなのか、ジュリウスの言葉につい自身の思いを口にしていた。
「貴方、ブラッドの隊長さんでしたよね?貴方方が乗っているあの
ため息と共にサツキの言葉には確実に棘が含まれていた。
ここには慰問で何度も来ているから知っているが、内情は今までの住環境からすればアラガミ防壁がただあるだけで、それ以上の事は各自でやらなければ何も進まない状況でもあった。
確かに見た目には既に完成していると思えるのはある意味仕方ないのかもしれないが、これはあくまでも入れ物の話であって、ここにこれから入植するとなれば、確実に大小様々な要望が出てくるのは001号に時点で予見出来ていた。
今回の002号は今後の建設予定地を一気に拡大する為の拠点として計画されている。その為には単純に住めるから大丈夫だとは現場に携わる人間は誰一人考えていなかった。
「私が知る限り、あの移動型の玩具でサテライトの拠点が少なく見積もっても10は作れます。たかが自己満足の為に多大な犠牲を強いるのはどうかとは思いますけどね」
サツキの言葉は半ばここに居る者達の代弁の様にも聞こえていた。このブラッドの中で他の支部からの移籍だったギルバートも最初にフライアに来た際には驚きの方が多く、こんな事に使う位なら他にやるべき事があったはずだとまで考えていた。
だからこそサツキの言葉に共感はするが、ブラッドには本部に他する発言権はグレム以外には持ち合わせていない。今はそのブラッドのメンバーである以上、簡単に容認する事は出来なかった。
「そう思われているのは承知しています。事実、今回極東支部に来た際にもそれは十分すぎる程に感じられました。確かに今はフェンリルの保護下でなければまともな生活を営む事が困難な事は我々も存じています。今後はこの様な情報を常時上にあげる事で内部の改善が図れるように上申させて頂きますので」
ジュリウスから丁寧に言われた事もあってか、サツキも僅かに苛立ちは引っ込んでいた。それ以上の事は言いすぎたと思ったのか、それ以外の事は何も言わなかった。
「ねぇ、なんか良い匂いしてこない?」
この沈黙を破ったのはナナだった。この空気感を破る為なのか、本心からなのかは誰にも分からない。それでもこの一言で先程までの重苦しい空気は少しだけ薄まっていた。
「…本当だな。でもナナは良くこんな匂いに気が付いたな?」
「ロミオ先輩。私の嗅覚は鋭いんだから!」
「食事限定だろ?」
「ロミオ先輩。ちょっとデリカシーって言葉勉強しようか」
その言葉に気が付いたのか全員がその匂いに意識が少し取られていた。時間からすればそろそろ昼時な事は理解できる。その考えで一同はその匂いの元へと歩いていた。